独白
「いい加減、レラ様に言うべきだわ。黙っていていいことなんて一つもないんですよ」
「……わかってる」
幼馴染の実に率直かつ真っ当な言葉にアルベルトは苦い顔をした。
「じゃあなんてさっさと言わないんですか、アル様が皇帝だって!」
「ディオナ、声がでかい!」
「別にでかくて問題はないでしょう!?」
「あるに決まってるだろう!」
この口煩い幼馴染はすっかりアルベルトの恋人のことを気に入り、近頃介入が激しい。もっともそれが恋人の——レラのことを思うが故のことだと分かるがために、強く反論できない。
「……言えば、レラの態度も変わる」
「まさか怯えてるんですか。レラ様がそんな狭量な方だとでも」
「……狭量とかの問題じゃないだろ」
血濡れの皇帝。アルベルトは、自分がそう呼ばれていることを知っている。
「きっと怯える……」
「ではいつまでも黙っていると」
「そういうわけじゃ——」
「じゃあさっさと告白なさい!」
「簡単に言うなよ!」
そもそも皇帝という身分が重すぎるのだ。ごく普通の街娘であるレラには、重すぎる。貴族だというのでも何となく嫌そうにしていたのに、皇帝なんて論外だ。告げればそれで、この関係は終わる。それに、そもそも。
「……親を、亡くしたばかりなんだぞ。あまりにも今は酷だろう」
「……」
ディオナは黙ってから、溜息をつく。
「……言いたいことは分かります。でももしレラ様が意図せずアル様の正体を知ってしまわれたら、きっとレラ様はとても傷つかれます。それはアル様が皇帝だからじゃないんですよ。隠し事をされていたからです」
「……」
「いいですか、こうしてレラ様を離宮に置かれている以上そう長く隠しておけることでもないんです。さっさと覚悟を決めて、明かしてしまいなさい。あなたの地位は——良くも悪くも、影響力が強すぎるんですから」
そんな幼馴染の忠告は、最悪の形で現実となった。
アルベルトは親というものにあまり馴染みがない。父である皇帝はそもそも顔を合わせることも殆どなく、母である皇后は皇帝の気をひくことに必死だった。皇太子である兄はともかく、末のアルベルトに目を向けることはない。だから、アルベルトを育てたのは使用人たちだ。中でも特に良くしてくれる官吏がいて、アルベルトはよく懐き、授業を抜け出しては顔を出していた。彼は元々貴族でなく平民上がりの叩き上げで、温和な見せかけに反して中々図太く、いい性格をしていた。アルベルトが城を抜け出すようになったのは、完全に彼の影響だ。
城を抜け出したことにより、アルベルトは外を知った。実際に見た国は授業で聞く平面的なものとは随分と違っていて、活気があり賑やかで、強かだ。夢中になった。今まではつまらないものでしかなかった授業も途端に面白くなった。そして、歪な現実を知った。
腐敗した政治、蔓延る不正。民は苦しみに喘ぐばかりで、段々とアルベルトが夢中になった帝都も活気を失っていく。極め付けは、懐いていた官吏が処刑されたことだった。彼を目障りに思った貴族が全く関係のない罪を擦りつけ、彼はあっさり首を刎ねられた。そう珍しいことでもない。よくあることだったのだ。だからアルベルトは、立ち上がった。こんな冤罪がまかり通るような世の中を変えるために。
父は勿論、兄だって駄目だ。母も姉も、害悪にしかならない。元々、民も限界だったのだ。危機感を抱く貴族も多く、存外簡単にアルベルトは帝位についた。それからアルベルトはありとあらゆる——少々強引な手も使い、国を掌握した。幸か不幸か、アルベルトは切り捨てるということを迷うことはなかった。それは時に冷徹とされるほどで、いつしか“血濡れの皇帝”と呼ばれるようになった。
だからきっと、それはその罰でもあったのだ。多くのものに手をかけた罰。
帝位についてから中々暇もなく、城を出ることは出来ていなかった。暗殺だって幾度狙われたか知れないし、そう簡単に出歩ける状態ではなかったのだ。だけれどようやっと落ち着き、息抜きにと城を脱走したところで、アルベルトは彼女に出会った。
レラ。アルベルトの唯一。
儚い見た目に反して中々いい性格している彼女は、どこかあの官吏を思わせた。初めはただの興味本位だったが、真剣になるのにそう時間はかからなかった。皇帝という身分で、簡単に手を出して良いわけがない。それでも、欲しいと思ってしまった。何としてでも、彼女が欲しいと。……やはり、これは罰だ。身の程知らずに願った罰。
「全部……あなたの、せいだったの?」
恐怖に顔を歪めたレラの言葉に何も言えない。少なくとも彼女がこうして恐怖を覚えているのはアルベルトのせいで、火災だって、アルベルトが下手を打ったせいであんなことになった。——ディオナが、あんなことになったのも。
「ねぇ、嘘だと言ってよ……」
レラは信じられないというように、ただふるふると首を振っている。真っ青な顔で、アルベルトを見つめて。
「ねぇ……アルベルト!!」
悲鳴をあげたレラは、うっと口元を押さえると座り込む。
「れ……」
「さわらないでっ!!」
身を引き裂くような叫びに、アルベルトは伸ばしかけた手を止めた。そのまま気を失ったレラに侍女が駆け寄るのを、ただ呆然と見ているしか出来なかった。
……最低だ。分かっている。
レラの妊娠がわかり、物凄く苦言を申された。当たり前だ、分かってる。
堕ろすべきだという馴染みの宮廷医の言葉に、簡単に頷かなかったのはアルベルトだ。
それでも一度だけ、レラに問うた。子供を産むか、堕ろすか。堕ろすと答えたら、もう解放してやろうと思って。だけれどぼんやりとしていた彼女はそれを聞いた途端、泣きながらも腹を守ろうとした。絶対に堕ろさない、この子を産むと泣き叫んで。
……本当にレラのことを思うなら、やはり宮廷医の言葉通り自由にしてやるべきだった。皇帝の子なんて枷を正気を失った彼女につけるなんて、それこそ正気じゃない。だけれど彼女の意思を尊重すると託けて、後宮に閉じ込めたのはアルベルトの我儘だ。反対の声を押し切り、警護のものも、侍女も、みな自分の息のかかった信頼の置けるものだけを厳選し、絶対に逃げ出せない場所に閉じ込めた。煩わしいものは全て取り除けるように力を尽くした。アルベルトが近づけば、レラは泣き叫ぶ。だから、近づきはせずに、影からずっと。
レラが小さな小さな命を産み落としたのは、それから暫くしてのこと。
ずっとぼんやりとしていたレラは、その時を境に笑みを見せるようになった。小さな娘を腕に抱いて、柔らかな笑みを浮かべながら子守唄を口ずさむ。レラは名をつける様子がなかったので、アルベルトが代わりに名をつけた。——メルヴィナ。神話に出る春の幸福の女神の名だ。レラは特に何も言わず、その名を受け入れたという。
姫、姫、とレラは娘を可愛がる。
穏やかに幸せそうに、レラは娘を可愛がる。
アルベルトの執着が知れてレラ達を狙うものも出てきた。だからわざとアルベルトは以前よりも警戒を解き、少しレラを自由にした。後宮の他の妃の元にも行くようにした。レラには興味を失ったのだと思わせるように。
煩わしいことばかりだ。相変わらず煩い貴族たちはいるし、件の仇も捕まえられない。妃たちだって煩いし、そろそろ皇后を据えろと大臣たちも煩い。あと少しなのだ。だけれどその少しが上手くいかない。
そんな中で、アルベルトと同じ色彩をした小さな少女に出会ったのは偶然だった。
「……メルヴィナ?」
きょとりと目を瞬いた少女は、何となくレラを思わせた。
それを思いついたのは、いい加減痺れを切らし初めていたからだ。あまりにも面倒ごとが多すぎて、まとめて叩いてしまいたくなった。それに、魔の手はレラ達にまで伸び始めていて、早急な対応が必要だった。しかしレラが毒に倒れたのは完全にアルベルトの不手際だ。まだ警戒を強めていなかったからその隙を突かれた。だけれど、警備を厳重にしてからは絶対に傷つけない自信があった。
関わってみると思いのほか、メルヴィナは面白かった。突拍子のないことを言ったかと思うと、時折ふとハッとさせられるような真理をついた言葉を言う。好奇心も旺盛で、自分の幼い頃を思い出す。それに、下心もなにもなく無邪気に慕ってくる様は文句なしに愛らしかった。惜しむらくはアルベルト似過ぎる顔立ちだが、レラの面影もあるのでよしとする。
レラは以前のように泣き叫んだりすることこそしないが、依然アルベルトに距離がある。明らかに警戒した、厄介ごとを見る目。メルヴィナと関わることにもいい顔はしない。放っておいてくれという言葉を聞かなかったのは、あくまで計画に必要だったからだ。……そうとでもしないと、近づくことも出来ないから。
やっと笑えるようになったレラを思えば、やはりアルベルトは近づくべきじゃなかった。詰られて、泣かれて、でも何も言えないアルベルトは、ディアナに絶対に刺される。
レラの言う心配はわかるのだ。だけれどそれ以上に、今のうちに仕留めておかないと厄介だった。それに毒を飲んで以来、水しか飲まないレラを見ていれば尚更だ。レラは弱い。弱いから、何とかして守りたかった。……でも同時に、彼女を都合よく利用する皇帝としての自分もいて、どっちつかずな態度に自嘲した。
ようやっと、10年来の政敵を引きずり出した時、レラが忘れていた記憶を思い出したと聞いて、潮時だと思った。
きっと、記憶を思い出したレラはアルベルトを許さない。
最も危険なものは排除した。なら、彼女の望む通りにもう関わらないでいようと、前のようにただ影から見守るだけにしようと。
——思っていたのに。
何故、レラが血を流して倒れている。どうして、彼女が倒れているのだ。
「アルベルト、お前なにしとる」
「……じいさん」
飄々とした宮廷医——大叔父である老公爵は気を失ったレラの傷口を塞ぎながら、迅速に指示を飛ばしている。
「失いたくないなら手を動かせ。お前は頭で考え過ぎるきらいがある……いくら考えようと、行動に移さんとなにも始まらないことくらい、分かっておるだろう」
「……」
「分かってるならさっさと動け!!妃は私が見ているのだから、お前はやるべきことをやれ!」
怒鳴られ、やっと思考が動き出す。そうだ、捕らえたものの処遇はもちろん、騒めいたこの場を収めなければならない。情けない。血濡れの皇帝なんて言われていながら、結局これだ。
騎士達は既にアルベルトの指示を待っている。官吏たちもアルベルトの挙動を見守っている。
——まずは、この騒めきを収めることから始めよう。
今度こそ、レラときちんと向き合うために。




