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答え

嫌なことほどすぐに来てしまうのは何故だろう。


「おかーさま、きれー!」


祝賀会当日。着付けを終えた私は頰を紅潮させて褒め称えてくれる姫に苦笑した。


侍女たちの力作である今日の私は薄緑のふんわりとしたドレスに髪を緩く結わいている。いつもは殆どしない化粧もしっかりとして、派手過ぎず地味過ぎず可愛らしく仕上げてくれた侍女たちの腕は流石だ。


「ありがとうね、姫」


抱き上げたいところだけれど流石に今の装いだと無理があるので、頭を撫でるのに留める。姫はこれから乳母とお留守番だ。寂しい、一緒に居たい。行きたくない。


「おかーさま、おひめさまみたいだわ!」


だけれどこうも顔を輝かせた姫の前だと泣き言も言いづらかった。


「わたしも、おおきくなったらおひめさまになりたいなぁ」

「お姫様?」


目を瞬いてしまう。そうか、お姫様になりたいのか。……この子、生まれながらにお姫様なんだけれども。


「おーじさまとね、しあわせにくらすのよ」

「そうなの?」

「うん!!」


よく分かっていなさそうな笑顔につられて笑って姫の頭を撫でる。可愛いなぁ。滅入る気分が少し癒される。


「……でも大変なこともあるかもしれないわよ?ほら、意地悪な令嬢に虐められたり」

「あらおかーさま、しらないの?」


思わず意地悪なことを言った私に、姫は自慢げな顔をした。


「よのなかはね、たのしいことばかりじゃないのよ。たいへんなことものりこえてこそのじんせいだって、へーかがいってた!」

「……」


あの人は、幼児に一体何を吹き込んでいる。久しく顔を見ていない人を思い出して真顔になった。姫はかなり偉そうで、はたして意味を理解しているのがいないのか。


「……ねぇ、姫?」

「んー?」

「姫は、陛下が好き?」


いつだかも、こんな質問をした。姫には届かないような小さな声だったけれど、今回はきちんと聞こえたらしい。

パチリと、朝焼け色の瞳が私を見上げた。


「すきよ。だーいすき!でもおかーさまはもっとすき!」


——あぁもう、それなら仕方ない。







煌びやかな会場は、その煌びやかさに反してドロドロとした思惑に満ちている。


くすくすとこちらを見て囁かれる嘲笑に、ちらちらとした好奇の視線。後宮にいるときもこんな視線は向けられるが、やはり量が違う。中々姿を現さないこともあり、私はどうしてもこうして悪目立ちするのだ。

いくら壁の花に徹していようが妃たちに絡まれることは勿論、数は少ないが男性に声をかけられることもある。皇帝の寵妃という物珍しさが軽薄な好奇心を駆り立てるのだろう。


「おや、これは珍しい。ご寵妃さまではないですか」


……ほら、こんな風に。

かけられた声に顔をあげて、私は目の前の男性を見上げる。


「今日はお一人で?」

「……えぇ」


一人であることなんて分かりきってきるだろうに、白々しい問いに溜息がもれそうになる。


「しかし流石、陛下の寵愛を受けるだけある。平民とは思えないほどお美しい」

「……いえ、私なんてそんな」


悪趣味な好奇、値踏みする視線。


「あら、こんなところで殿方と二人、何をなさっているの?」

「嫌だわ、陛下にいくら見限られたとはいえこんなにもすぐに殿方に擦り寄るだなんて。……流石、生まれが違いますのねぇ」


毒のある言葉、明確な悪意。


「妊娠されたって話でしたけれど……どうやら狂言だったようね?そんなことをしてまで陛下の気を引こうとするなんて見苦しい」

「あぁ恐ろしいわ、殿方を惑わす力だけは一流ね」


見苦しいのはどっちだ。恐ろしいのはどっちだ。やっぱりこの世界は、汚く澱みきっている。

こんな世界で生きていたら、性根だって捻じ曲がりそう。あっという間に人間不信へまっしぐらだ。


(……姫への教育を考えなくちゃね)


あの子はこの世界に生まれたのだからきっと避けては通れない。こんな目に合わないのが一番だけれど、そんなこと言ってもいられないだろう。そしてそれは、あの人も。


口喧しく嫌味を言っていた妃たちが黙り込んだかと思うと、あたりの騒めきが静まりかえった。大広間の一番奥。数段高い場所に鎮座する玉座へと現れたのは、黒く豪奢な衣装を見に纏った皇帝だ。堂々たる態度に、相変わらず整った酷薄な顔立ち。一斉に広間にいたものたちが頭をさげ、大臣が口上をあげていく。久しぶりに見たその人は、随分遠い場所にいる。……当たり前だ、そもそもは顔を合わせることだってないような人だった。ただの街娘には一生縁のない人だった。


朝焼けの瞳が、なにかを探すようにぐるりと広間を見渡す。一瞬、目があった気がした。だけれどすぐにそれも逸れる。


……そう、これが、普通。


祝賀会も中盤となり、私は逃げるように会場の隅へと身を潜めていた。影に隠れるように、息を潜めてただ時が過ぎるのを待つ。


こんな風にいつまでも隠れているの?そんな思いが頭を過るけれど、それ以外にどうしようもないと自嘲がもれる。大丈夫。今まで通り、姫と一緒に、平穏さえ心がけて生きていけば。……本当に?


きらりと光った銀色の刃が、目に入った。


刃。あれは確かに“刃”だ。どろりとした、憎しみをたたえた目には覚えがある。あれは、あの時の騎士と同じ……。


その先には、朝焼けの瞳のあの人がいた。


考えるより先に体が動いた。反射だ、本当に反射。ただ何も考えずに、私は人混みをかき分けて飛び出す。


突然立ち塞がった私に、刃を隠し持った男が歩みを止める。周囲が異変に気がつき、騒めきが広がり、虚ろな瞳の男はふいに口元を歪めると刃を振り上げ、








「——レラっ!!!」



赤い、赤い血が舞った。

悲鳴があがる。甲高い悲鳴は次々と連鎖し、男の歪んだ高笑いが響く。倒れ込んだ私は自分からどくどくと染み出す赤い血を現実感のないまま眺めた。


——あぁ、これは、駄目かもしれない。



一体何をしているのだか。不思議と冷静な頭は馬鹿な私を嘲笑する。騎士に言うだとか、男性に取り押さえてもらうだとか、ほかにやりようはいくらでもあっただろうに。でも、仕方ない。そんなことを考える暇はなかったし、何より、体が先に動いた。


遠のきかけた意識に、朝焼け色が瞬く。


「レラっ!!しっかりしろ!レラっ!!」


見たこともないような必死な色をした朝焼けが、私の名前を呼ぶ。


「なんで……なんでこんなことした!!お前はっ!俺を、怨んでいるだろう!!」


はっ、と笑いのなりそこないがもれる。自覚はあったのか。なら尚更罪深い。


「はんせい……しな、さい」

「レラっ!?」

「あな、た、ぶきよう、すぎるのよ……」

「お前こんなときに何言ってる!!」


だって、仕方ないじゃないか。

ずっと調べていた。この数ヶ月間、“血濡れの皇帝”について、ずっと。

帳簿、税収、法律、官制に、捕らえられた者の罪状、議事録、下された処罰。収穫高、税率、日誌なんてものまで、とにかく出来得る限りの資料という資料をかき集めて読み込んだ。過去10年間だけじゃない。先帝の時代のものまで掘り返して、今の御代と比べて。分からないところばかりだったけれど、老医師や乳母に助言を求め、少しずつ読み解いていった。あくまで即興の素人仕事だから正確かと言われたら断言はできない。でも、私は私として出来得る限りの手を尽くした。そして出た結論は、ひとつだけ。


この人は、この国が大好きだ。


この人が即位してから、目に見えて国は活気付いた。腐敗して不正が蔓延っていた政治が、一気に民のためへと動き出した。自分勝手で独善的で独りよがりで不器用で口下手で捻くれていて高飛車で偉そうで強がりで最低な人だけれど、この人は誰よりもこの国を愛している。だから、もう。


「ゆるして……あげる」

「何言って——」


火災は皇帝の仕業。

あの言葉についても私は徹底的に調べた。わざわざ老医師に頼んでまで当時の兵の配置なんてものまで調べてもらって、出火源とされるところから井戸への距離や消火活動の記録、あの火災による損害についても調べた。結論は、やはりあの火災は暴徒によるものだということだ。あの日、確かにこの人は火事が起こることを知っていた……いや、()()()()()()のだろう。暴徒による何らかの報復行為があるであろうと、それが東で起こるだろうと、だけれどどんなことをするかまでは分からなかった。だから万が一に備えて、私を逃すなんてことしたのだ。でもあくまでそれは万が一に備えてで、彼自身まさかあんな惨禍が起るなんて思っていなかった。だから、後手に回った。消火が遅れ、あれほど大きな災害となった。

まぁたしかにあの火災は暴徒の制圧がきっかけなのだから曲解すれば皇帝の仕業とも取れるかもしれない。でもやっぱりあれは因縁をつけるだけの戯言で、血迷いごとだ。悪いのは暴徒で、皇帝じゃない。

それなのに否定しなかったのは、私のためなのでしょう?火災を防げなかった自分に、否定する権利なんてないとでも勝手に結論付けたんでしょう?憎む相手がいれば——少しは、楽になるとでも思ったんでしょう?


「あな、た、やさし、すぎるわよ……」


分かりにくい。この人は本当に分かりにくい。でも私が悪いんじゃなくてこの人が言葉にしなさ過ぎなのだ。反省しろと言いながら、苦しくなってきた呼吸に、ぜえぜえと息がもれる。


「もういいっ!もういいから話すな!!」

「い、や……」

「レラっ!!」


ぼんやりと霞んだきた意識の中で微かに笑う。多分、いやきっと、姫は大丈夫。この人は確かに分かりにくいけれど、姫をちゃんと愛してくれている。だから、どうか、


「ひ、め、を……」


ふっと、意識が暗転する。

遠のく音の向こうで、老医師の声が聞こえた気がした。

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