秋雨
随分と暑さも和らぎ、涼しい風が吹くようになってきた頃。
私は相変わらず外に出ずに、宮で引きこもり生活を継続していた。
何故わざわざ引きこもりを続けているのかといえば、一応対外的には妊娠したことになっていて他の妃に出会すのは色々面倒だということと、諸々の諸事情ゆえである。
過去を吐き出した私に、老医師は気がすむまで悩めと言った。だから言われた通り気がすむまで悩むことにした。でも、うじうじするのはもうやめだ。それでは何も変わらないと、私は既に知っているから。
そんなわけで、絶賛引きこもり中である。
「おかーさま!ただいまもどりました!」
バタバタとした足音に読んでいた数字の羅列から顔をあげる。あちこちに広がっていた紙の束を端に寄せた私は隣に姫を呼び寄せた。
「おかえりなさい、姫。お散歩はどうだったの?」
「あのねっ!たくさんひろったのよっ!!」
興奮した様子で姫は持っていた籠から拾ったらしい落ち葉やら木の実やらを机の上に並べていく。赤、黄色、橙、いつのまにか色づいた葉は秋の訪れを告げていて、早いものだと私は少し驚いてしまう。宮の庭はまだ青々しているから、外がこんなにも色づいているとは意外だった。
「すごいいっぱいね」
「うん!!」
私は引きこもり中なので、最近再開した姫の毎日の散歩は完全に侍女と乳母に任せだ。護衛もいるから安全だし、申し訳ないが正直とても助かる。その代わりと言ってはなんだが、姫が帰ってくれば私は隣で何があったのかその日の話を聞くことにしていた。
姫はひとつひとつ、何という名前なのか指をさして教えてくれる。葉っぱの名前、木の実の名前、時にはどんな効能があるのかまで。きっとあの図鑑で知ったのだろう。いつのまにこんなに覚えたのかと感慨深くなる。
「これは全部姫が拾ったの?」
姫はふるふると首を振る。
「どどかないのがあったから、とってもらったの」
「あらそうだったの?良かったじゃない」
私が微笑めば、姫は笑って頷いた。無垢な笑顔のなんて愛おしいことか。
(可愛いなぁ)
ぎゅっと姫を抱きしめれば、くすぐったそうに姫は、きゃー!と笑い声をあげて逃げようとする。そんな姫を捕まえて額を合わせれば、もー、と姫は怒ったようにしながらも笑う。私もくすくすと笑いがもれてしまって、結局二人で声を上げて笑った。
大丈夫。私には姫がいる。
この子がいるなら、大丈夫。
胸にうずまくもやもやは見ないふりして、私は淡々と日々を消化していた。
——反皇帝派の中心とも言える人物たちが、バタバタと続くように失脚したのはあの墓参りからそう経たない頃。
どうもあの時の賊を指示した貴族の屋敷からたまたま色々な証拠が見つかり、それにより芋づる式に罪が露見したということらしい。何より宮廷を騒がせたのは反皇帝派と関係がない、中立派とされていた大貴族もその中に名を連ねていたということだ。その話を聞いて、皇帝が本当に追い詰めたかった人物はきっとその大貴族だったのだろうと悟った。
表向きは中立派だったから、きっと簡単に処罰も出来なかったのだろう。皇帝はずっと確固たる証拠を掴むため、その機会を虎視眈々と狙っていたのだ。そして、やっと、念願を叶えた。
私はその日、乳母が影で咽び泣いていたのを見た。そっとその場を立ち去ったけれど、きっと彼女はあの時、亡くなった夫君のことを思っていたのだろう。
そして念願の叶えた今となってはもう用済みということか、結局あれから今に至るまで皇帝は私のもとを訪れていない。放置だ。完全に放置である。あれだけ来るなと言っても聞かなかったのに、目的を果たした途端こうであるのだからある意味潔くて素晴らしい。
「妃さま、こちらの資料は片付けてよろしいですか?」
机の端に積み上がった資料を指した侍女に、私は書面から顔をあげた。
「ありがとう、そっちの山はもう見たから大丈夫よ。そうだ、そういえば新しく探してもらいたいものがあって——」
私の連ねたものを侍女は紙に書き留め胸元にしまいこむと、机の上に積み上がった紙の山を見渡した。
「それにしても随分溜まりましたね……」
「そう多くもないわ。分からないことだらけだし。あぁそうだ、先生にお聞きしたいことがあるからこの手紙を届けてもらっていい?」
「承知致しました。その場で返信を描いていただけばよろしいですね?」
「えぇ、ありがとう」
慣れた様子で侍女は封筒を受け取る。
「あ、そうでした。封書が届いておりましたよ」
「封書?」
「はい、即位記念の祝賀会についてのものかと……」
一気に渋い顔になる。
「欠席……は無理よね」
「全員出席するようにとのお達しですので……」
溜息をついて封書を侍女から受け取っる。憂鬱だ。ただでさえ人前に出るのは憂鬱なのに、今回は妊娠沙汰もあったかは尚更憂鬱だ。
妊娠を匂わせたのだから、当たりは絶対にきつい。祝賀会に出れば私の腹が膨れていないことからもあれが嘘だったということは明らかだし、皇帝の訪れがなくなったということからも絶対に平民風上が調子に乗ったからというようなことを言われる。
「色々、準備しなくてはいけませんねぇ……」
しみじみと呟く侍女も気持ち遠い目をしている。
「……新年の時のドレスと同じは、流石に駄目よね……」
「それは……流石に季節も違いますし……」
後宮の妃も勢ぞろいするような大規模な式典は基本年2回。新年の祝いと春の建国記念日だ。それが今回は即位10周年と節目の年なために秋の祝賀会なんてものが行われることになった。諸外国の要人も招き、かなり大々的に執り行うというのだから溜息も深くなる。
「ドレス……ドレスね」
その時々の流行もあるし、季節なんて関係なく、もし以前と同じものでも着ようものならどこの小姑かというほどの目敏さで妃たちに嫌味を言われることだろう。あの人達は無駄なところばかり記憶力が異様に良い。私が覚えていないような私の装いの細かいところまで覚えているのだから、ある意味感心する。
「……まぁ、いつも通り無難に行きましょう。何だかんだで今までは乗り切ってきたのだし」
やるべきことは、大まかにまとめてドレスの準備と作法の確認。もう何度もやってきたからそう構えることでもない。書いてある内容は大体わかっているのだからと、現実逃避するように私は封書を読まずに卓上に置いた。
今はまだ、見たくなかった。
雨の音がする。
ざあざあと降り注ぐ雨の音だ。
「——……」
誰かが、私の名前を呼ぶ。頰をすっと撫でられて、くすぐったさに身をよじった。温かい。温かい大きな手だ。そのまま擦り寄れば、抱きしめられる。
彼の匂い。
ふふっ、と笑みをもらせば微かに笑う気配がした。優しく頭を撫でられて、気持ちいい。
「……ごめんな」
ざあざあと雨の音がする。
「許さなくていい……いくらでも、憎んでくれていいから……」
誰かが、何か言っている。
「ごめん……ごめんな」
——放してやれない。
重ねられた唇は甘くて、甘いのに、苦くて。わけのわからないまま、私はただ、その熱に翻弄された。
目が冷めれば、姫が欠伸をして枕元に座っていた。
夜に雨が降ったのか、外がキラキラと雨粒に濡れている。窓からはよく晴れた空が覗いていた。
「おはよぉございます……」
「……」
「おかーさま?」
姫の怪訝な声に、私はハッと振り返る。
「……おはよう、姫」
小さな体を抱き寄せて、ぎゅっと抱きしめる。ふわりと自分の身から、あの人の匂いが香った気がした。




