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日常

炎が燃えさかる。悲鳴と怒号が入り混じり、どこからかは泣き声も響く。舞い上がる煙は空高くまで昇り、肌の焼けるような熱風は容赦なく吹き付ける。焼ける匂い。焦げ臭い。


「いやぁっ!離して!行かせて!いやあ!」

「あきらめろ!もうあれは駄目だ!」

「まだ中にいるの!お願い行かせて、ねえっ!やだ、離してっ!!」


ぐいっと腕を掴まれ、引っ張られる。振り切ろうにも抗えない。ついには担がれ、遠のいていく。まって、まってあの中には。あの家の中には。ぐらりと、炎の中の建物が揺らぎ、崩れる。



「い、やあああああああああ!!!」








あぁ、もう、嫌な夢。





「……んんん」


ごろん、と姫が転がったのがわかる。寝台から起き上がった私は、寝汗をかいて前髪のはりついた姫の額をかきあげて少し笑った。おかしな方向に転がった姫の体を起こさないように気をつけながら真っ直ぐに戻して、はだけた布団も掛け直す。


「ふふ、可愛い」


ふわふわの頬っぺたは出来立てのパンみたいに温かくてもちもちしている。寝ている子供はどうしてこんなにも可愛いのか。まだかすかにミルクの香りがする気もするけれど、随分と薄れた。子供が育つのは本当にあっという間で、もう少し赤ちゃんでいてくれてもいいのになんて思ってしまう。


ゆっくりと姫を撫でる。

本来なら、妃とその子供は共に寝ることはないのだという。妃は子供を産んでも、また皇帝に侍る必要があるから。私が姫と共に寝ることが許されているのは皇帝の御渡りのない名ばかり妃だからだ。


まだ暗い窓の外を眺める。まだ、起きるには随分と早い。すぅすぅと穏やかな寝息を立てる姫の横でなら、もう一度眠りにつける気がした。


***


くぁあ、とひとつ小さくあくびをもらす。


「お疲れですか?妃さま」

「ちょっと夢見が悪くて」


整えられた庭園を大きな籠を持って歩きながら侍女と二人、とりとめもない会話を交わす。後宮を囲む塀に沿って歩いてゆけば、そのうち姫の笑い声が聞こえてきた。


後宮で生まれ後宮で育った姫は外の世界を知らない。

母親としてはもっと自由にさせてられたらと心苦しいし、命の危険も敵対心を抱かれることもない場所で同じくらいの歳のこと遊ばせてやりたいと思う。衣食住は恵まれすぎているほど揃っているが、それでももし、とどうしても考えてしまう。

しかし、そんな母親の思いも知らず、幸いなことに姫はのびのびは育ってくれている。


「ひーめ」

「おかーさま!」


侍女とボール遊びしていた姫は、姿を表した私にパッと顔を輝かせるとボールを放り投げて駆け寄ってくる。そのボールを侍女が慌てて追っていった。


「姫、ぽいしちゃ駄目でしょう」

「あっ!」


ハッとしたように口元を押さえた姫は急いで侍女のところまで行きボールを受け取る。ごめんね、と言っているらしい。侍女の笑みが微笑ましかった。


敷き布をひいて、ピクニックにする。焼きたてのクッキーと、甘くしたミルクティ。どちらも姫の好物だ。


にこにこと食べる姫の頭を撫でて、私は瞳を細める。菓子も食事も言いつければいくらでも出てくるが、たまにこうして自分で手がける。あまり褒められたことでないのは知っているが、どうしても作りたくて無理を言った。

姫の食べるクッキーをまた、私も母に作ってもらったから。


「おいしい?」

「うん!」


口の端につけたかけらを拭ってあげて、私もクッキーを口にする。素朴だけれど身に染みるような優しい甘み。さっくりと口当たりの軽い、バターをたっぷり使った特製だ。


「おててべとべと」

「あら、じゃあ拭きましょうね」


布巾で姫の小さな手を拭う。ふわふわとしていて、小さくて。どうしてこんなに愛らしいのだろう。


「姫?」

「なーに?おかーさま」


ふわりと吹いた風が姫の髪をなびかせる。姫の長い黒髪は真っ直ぐで絹のように艶やかだ。うねりのある平凡な茶髪の私からするととても羨ましい。

あぁ、もう。


「あなたは本当に可愛らしいわね!」


ぎゅっと抱きしめて体をくすぐれば、姫はきゃー!と笑い声をあげて身をよじった。




「それは何ですか?」

「あのねー、おはなー!」


ほどよい暖かさと風にさわさわと揺れる葉の音。姫と侍女の微笑ましい会話に笑い声。穏やかな風景は眠気を誘って、侍女たちが敷き詰めてくれたクッションの居心地の良さも相まり微睡んでしまう。


「おかーさま!みてー!」


紙を持ってすり寄ってきた姫に、うん?とまだ少し微睡んだ頭で小首を傾げる。


「おはな!」

「まぁ」


見せてくれた紙にはさまざまな色が使われ華やかな絵があった。形はぐちゃぐちゃとしているがこれは花だ。姫が花と言ったからには花でしかないのだ。異議は認めない。色使いも可愛らしいし、見ていてとても楽しい。うちの姫は天才かもしれない。


「上手ねぇー!」


誇らしげな姫を褒めちぎって、ふと絵の一部分に目を止める。桃、橙、緑、赤、青。よくある花や植物の色の中にひとつ浮いた黒。花というには大きいし、よくみたら顔らしきものまで書いてあるようにも見える。


「姫、これはなぁに?」

「あのね、おにわにね、ないないよー、ってしてたの!」

「……えっ?」

「へんねー、ないないしてたのね!」


誰か隠れていたということか。少し穿ったような心配をしてしまうが、警備か何かかもしれないし判断しがたい。取り敢えず辺りを見回してみるが目ぼしいものは見つからなかった。侍女にも目をやるが心当たりはなかったのか首を振られる。


「……」


嫌な予感に黙って考え込んでしまう。なぜだろう、とても引っかかる。


「あっ!おかーさま!あのね、いいことおもいついちゃった!」


姫の声にハッとした。いけない、幼子の前で険しい顔は出来るだけしたくない。微笑みを浮かべて、姫に視線を合わせる。


「あら、なぁに?」

「ひみつー!!」


姫は楽しそうに口元を押さえてまた何か絵を描きはじめる。幼い子の関心は本当にすぐ移ろう。ついていけない時も多いが、やはり微笑ましい。


(警備、でなければ他の妃か、その侍女……)


このあたりの庭園は後宮の中心部から不便なところにあるのもあって実質姫と私の専用になっている。それを他の妃たちも知っているから滅多なことでは近づいてこないはずなのだけれど。

色々と考えてみるけれど答えは見つからず、紙に真剣に向かう姫をぼんやりと眺めた。以前に比べて姫も随分と会話が成り立つようになった。ついこないだまでふにゃふにゃな小さな赤ん坊だったのになんて思ってしまう。あの時お腹にいることさえわからなかったような子が、こんなにおしゃべり出来るようになっているなんて、本当に信じられない。


(……姫に害がないならば、いっか)


やることもなく特に変化もない穏やかな、だけれど変わりばえもしない日常は淡々と過ぎていく。

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