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追悼

明朝。まだ、空が美しいあの人の瞳の色を描く頃。裏口からそっと隠れるように、私は多くの護衛に守られながら馬車へと乗り込んだ。供につくのは侍女でなく乳母だ。元は幼い日の皇帝の侍女であったという彼女なら()()()の時の経験も豊富だからと言われ、私は彼女の経歴を初めて知った。これだけ身近な人なのに、本当に全く知らなかった。私はどれだけ気にしてこなかったのだろうと改めて自省し、帰ったら侍女達にも彼女達自身のことを色々話に聞いてみようと心に決める。だからまずは、目の前の彼女(うば)からだ。


がたん、と馬車が動き出す。流石王宮のものだけあり乗り心地は素晴らしく揺れも少ない。ゆっくりと走り出した馬車は、ついに後宮の門を抜けた。


「——……」


感慨深いような、現実味のないような、不思議な感覚。ずっと出たいと思っていた外にいざ出てみれば、そう大きな実感はなかった。


(まぁ、当たり前か)


これはあくまで一時的な外出に過ぎないし、外出は外出でも囮という扱い。妃という問題は解決しておらず理想とするものとは程遠い。


「妃さまは——……」


向かい側に座った乳母の声に、私は窓にやっていた視線を向ける。目隠しのカーテンを閉めつつ、首を傾げた。


「なぁに?」

「……後宮を、出たいと思われますか」


パチリと目を瞬く。つい先ほどまで私が考えていたことと同じようなことを乳母も考えていたらしい。私は席に座りなおして、苦笑いする。


「……出られるなら出るけど、出来ないことを考えても無駄だわ」

「それは……規則があるからで?」

「そうね」


皇帝も言っていたじゃないか。一度でも子を産んだ妃は後宮を出ることは叶わない。それに、最近思い知った。後宮にいるから私たちは危険にさらされているけれど、同時に後宮にいるから守られているという一面もあるのだと。


「もう私は、あの後宮で生きていくしかないもの」


姫の為にも、私の為にも、そう覚悟をくくらなきゃ。


「……妃さまは、お強くなられましたね」

「え?」

「初めてお会いした時の妃さまは……凶事の後でございましたから仕方なかったのかもしれませんが、とても儚くてか弱くて……いつも陛下の後ろで啜り泣かれていた印象が強くて」

「……そんなあからさまだった?」

「えぇ。割と」


乳母はくすりと笑う。


「なんてか弱い方なのかと思ったのですよ。あの子と打ち解けてからは笑われるようにもなりましたけど——」

()()()?」


ハッと乳母は表情を険しくした。でもすぐに、何事もなかったかのように微笑みを浮かべる。それは、誤魔化しだった。


「……あなたは、離宮の時からいてくれているのよね」

「……」

「それなら私が、何を忘れているのか……あなたは知ってる?」


乳母は黙りだ。暫く待ってみるけれど、口を開きそうにもない。これは駄目そうだと私は早々に見切りをつけた。


「離宮については答えなくていいから、陛下について教えてくれない?」

「え?」


目を丸くした乳母は、もっと私が粘るとでも思ったのだろうか。私は軽く笑う。


「どうせ陛下にでも口止めされているのでしょう?それなら、他の話を聞かせて欲しいわ」


帝都は広い。郊外にある慰霊塔までの道のりもまた長い。無駄な押し問答を続ける気はなかった。


「小さな時の陛下に仕えていたんでしょう?どんな子供だった?やっぱり姫と似ていた?そもそもどれくらいの時に仕えていたの?」

「……やはり、妃さまはお強くなられましたね」


次々と問いかける私に乳母はそう呟くと、微かに微笑んだ。


「私が……陛下に仕えさせていただいたのは五つの時から、ちょうど十になられるまでの間です。とても大人びた、聡いお方で……」


乳母の目は愛おしい記憶を辿るように遠くを見る。


「よく王宮を逃げ出しては姿を消されて……私はいつも探すために駆けずり回って」


ふふふっと乳母は笑い、秘め事を伝えるかのように悪戯っぽく瞳を細める。


「存外、姫さまとそっくりでしたよ。もちろん違いはありますけれど……無邪気に好きなことを貫かれるところだとか、好奇心旺盛なところだとか……虫がお好きなところだとか」

「——やっぱりあの人、虫好きよね!?」

「えぇ、幼い頃からよく好まれておりました」


乳母の肯定に私は歯噛みする。


「おかしいと思ったのよ。私は全く虫は好きじゃないのに、姫はあんなに興味を示すから……!」

「そ、うですねぇ……」


苦笑いは実際に私が被害に遭うところを目撃しているからか、それを見過ごしたからか。


「そう……でも小さな頃から好きだったの」


銀色の、気持ち悪いほどよく再現された蝶の髪飾りを思い出す。


「割と変わっていないのね」

「……妃さまは、いつ頃から陛下とお知り合いに?」

「そうね……もう、六年くらい前になるかしら」


全く、そんな実感ないけれど。



特に何事もなく辿り着いた慰霊塔は、小高い丘となっている場所だった。木々が揺れ、風を感じられ、帝都を見通すことも出来る美しい場所だ。そこに、白く高い、人二人分ほどの高さの塔が立っている。


「……」


遠目に見る帝都は、どこもかしこもぎゅうぎゅうに建物が詰まっていて、火事の跡なんて一つも見えない。まるで、何事もなかったかのように、賑わっている。


時間は確かに、進んでいる。取り残されているのは——。


持ってきた花を抱きしめ、塔に近づく。ふわりと、風が私の頰を撫でた。ふいに、母の香りがした気がした。


「——……っ!」


無理だ。

やっぱり、無理だ。


だって私には、二人が死んでしまっただなんてこと、どこにも証明するものがない。遺体どころか遺骨さえ見つからなかった。どこかで生きていてくれているんじゃないか、どこかで笑っているんじゃないか、いつか、私のところに戻って……。


かくんと、その場に座り込む。


「……ひどいわ、ふたりとも……」


思い知りたくなんて、なかった。


ひめがうまれたの。

可愛い、可愛い子なの。

三歳になったのよ。

小さな頃の私と同じで、クッキーが好きで、寝る前に絵本を読んでもらうことが好きなの。あの人は皇帝なんて訳のわからないような地位にいる人で、酷い人だった。お父さんが心配していたのは正解だったの。小娘な私はころっと騙されていた。お母さんはきっと笑い飛ばすんでしょうね。なるようになるなんて、適当なこと言って。でもそれで私が泣いたら、必ず助けてくれる。

——姫に会ったら、何て言うかしら。


「……っ」


じわじわと、ゆっくりと、長い日々の中で二人の死は私に事実として染み込んでいた。だからもう大丈夫だと、思っていたのに。


今もまだ、嘘であって欲しいと。

願ってしまう私はどれだけ。


「——おかあさんっ、おとうさんっ……!」


もう一度、あなたたちに会いたい。





時間だと促され、泣き腫らした目で再び馬車に乗り込んだ私の背中を、乳母はただ黙ってさすってくれていた。温かい手が心地よくて、その優しさが嬉しくて、また、涙が溢れる。


やっと落ち着いた頃まだ馬車は郊外の道を走っていて、外には長閑な風景が広がっていた。姫を連れてきてあげたら喜びそうだと、そんなことを思う。


「……妃さま」


乳母の声に、私はゆるりと視線を動かした。瞳を伏せた彼女は、まるで懺悔するような声音でゆっくりと口を開く。


「……陛下は……良くしてくれていた官吏を、ある人物による謀略で亡くしました」

「……え?」

「あの頃は冤罪が蔓延っていて……気に入らないものを陥れる為ならどんな強引な手段も迷わず使われ、それが成り立ってしまう世だったのです」


乳母は、零す。


「私の夫も、それで首を刎ねられました」

「——……」


今や禁忌とされる先帝の時代。

腐りきった政治が国を疲弊させ、もはや崩れかけていた暗黒の時代。


私は恵まれていたから。

父と母に守られ、日々の生活に困ることもなかったから、何も、知らないけれど。


先帝の玉座もまた、血濡れていた。


きっと、目の前のこの人が見てきた世界は、私の知るものとは全く違うのだろう。

彼の見てきた世界も、きっと、違う。


「陛下は、二度とあのようなことを起こさない為に……国を建て直すために、まだ、まだ15という年齢で立ち上がられました」


乳母が話すのは、私が知らない話。きっと、知らなくちゃいけない話。


「簒奪帝と恐れられることも厭わず、いつしか血濡れの皇帝だなんて呼ばれるようになっても、あの方は歩みを止めなかった……ただ、あの時、彼を陥れた、今もまだ反皇帝派の中心にいる者を捕らえる為に……ずっと、ずっと」


ふわりと、視界の端で栗色の髪が揺れる。


「お優しい方なのです。優しいあまり、思い詰めて、自分を追い詰めて、」


『——あの方は優しい方だから』


春の太陽みたいな笑顔が、私を振り向く。


「あの方も必死なのです。国のため、あの時の無念の為、必死になりすぎて、大切なものを見れなく……」


『——とてもね、複雑な方なの。だからお願い、あの人を——』


振り返った彼女が、私の名前を呼ぶ。




『——逃げて!!』




がたんと、馬車が動きを止めた。

俄かに騒がしくなった外に乳母がハッと身を強張らせる。




——血が舞う。

赤い、赤い命の花が散っていく。







『——あんた知ってるか?火事は、皇帝(こいつ)の仕業だってこと』


誰かが、私の耳に囁く。



刎ねられた首は、嘲笑を浮かべていた。

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