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計略


誰かが私の名を呼ぶ。

ふわりと、栗色の髪が揺れる。

まるで春の太陽みたいな温かな笑い声が響いて、()()が、振り返る。





血が舞う。

赤い、赤い血が。


——これは一体、誰の(もの)





外出用の、ゆったりとしたドレス。いつもより気持ち化粧に力を入れて、日傘を待つ。


「おかーさまどこにいくの?」

「ちょっとお外に行ってくるわ」

「えー、いいなぁ。わたしもいきたい」

「今日はちょっと大事なことがあるから、姫はまた行きましょうね」


心配げな侍女の視線を見ないふりして、見上げて来た姫に屈んで答える。上目遣いも可愛いなぁ。ぷにぷにの頬っぺたをつついて、笑った。


「良い子にしていてね」



侍女に付き添われて、宮を出る。


「——陛下」


庭園には既に騎士を従えた皇帝が腕を組んで待っていた。酷薄な色をした朝焼けの瞳に私はひとつ礼をしてから近づく。


「お待たせいたしました」

「別にいい、いくぞ」


先に行こうとした皇帝が、ふと足を止める。振り返って私に差し出された手に目を見張った。


「——ありがとう、ございます」


一瞬の躊躇いを振り払ってその手をとる。少し冷たい、大きな手。


「お前たちは少し離れていろ」


皇帝の言葉に騎士たちは従った。



まだまだ暑さは続くものの、夕方の庭園は風があり、そう不快なものでもない。青々とした葉の茂る庭園を皇帝と連れ立って歩く。繋がれた手は、そのままだ。ふと足を止めれば皇帝も足を止め、私を見下ろす。そのゆるりとした微笑みに、私は目を細める。


——嘘つき。


そんな愛おしいものを見るような目、私に向けないで。


「どうした?」

「……いえ、何でもありません」


ハッと正気に引き戻されて、私は首を振る。


(何を考えているの)


嘘つきでいいのだ。だってこれは、そういう()()なのだから。



あの後、結局皇帝は姫を餌にするということを揺らがせることはなかった。私が何を言おうが無駄だ。喚いて叫ぶだけで終わる。だからと言って、それはただ黙って見ているという理由にもならない。危険を取り除くことが無理ならば、その中でなんとかするしかない。


そこで私は、ひとつの提案をした。皇帝は少し目をすがめたものの、いくつかの条件と共にそれを呑んだ。——要するに、皇女である姫よりももっと目を引くものを作ればいいのだ。姫に手を出すなんてことを考えなくなるくらい、もっと魅力的な餌を。


最優先は、姫を守ること。


私が、姫の分まで(すべて)引き受ければいいのだ。




皇帝と二人。会話という会話はないまま、ただ静かな時が流れる。庭園に人気はないけれど、人目がないわけじゃない。後宮という場所は必ずどこかに人がいる。そしえ仮初めとはいえ寵妃と呼ばれる存在が皇帝と共にいれば否応でも目に入る。


頃合いを見計らって、私はゆっくりと、わざとらしくない程度に、ぺたりと凹んだ腹を撫でた。まるで、何か愛おしいものがいるかのように。——新たな子を、孕んだかのように。


状況は揃っている。数ヶ月間、私のところへ通い詰める皇帝、ちょくちょくと私の元を訪れる老医師、なにより大きいのは、姫という前例。


ここにきて世継ぎになりえる皇子が産まれるかもしれないというのがまず脅威だ。知ったものは私が確かに寵妃なのだと確信し、そこに子を仄めかすような噂を流せば、予測は事実となる。ただの皇女と末端妃より、ずっと大きな囮だ。きっと、姫なんて目にも入らなくなる。


真実を知るのは数えられるほど。侍女や騎士をはじめとした、本当に近いしい者たちだけ。彼らはみな、皇帝の忠実な側近であり、信用に値する者だ。


(それに——)


腹を撫でていた私は、顔をあげて驚いた。想像以上に近くにあった朝焼けの瞳に硬直する。瞬間、唇を軽く何かが掠めた。


「っ!」


バッと口元を抑えた私に、飄々とした元凶は愉快そうに瞳を細める。


「真っ赤だな」


信じられない。ぱくぱくと声にならない声を出す私に、再び朝焼け色が近づく。


——熱い。熱くて、甘い。


後頭部を押さえつけられて逃げられない。先ほどのかすめるだけのものとは違い、深く重なった唇は熱く、長く、私の身を蹂躙していく。


どれくらいの、時間が経ったか。


「っ、はっ」


やっと解放された時、私は息も絶え絶えだった。へなりと力が抜けそうになるところを支えられて、私は皇帝を睨め付ける。そんな私に瞳を細めると、皇帝は妖艶に笑った。


「これで真実味も増すというものだろう?」


調子に乗ったのか首すじにまで顔を近づけてくるので押し返す。何をするつもりだ、何を。


「これだけやれば十分でしょう!」

「そうか?」

「そうよ!第一あんな突然……!」

「別に、物も知らない少女じゃあるまいし」

「あのねぇ!」


私の抗議を無視した皇帝は髪を撫でる。せっかく侍女が可憐にまとめてくれたのに、これでは崩れてしまうではないか。ぺしっと払ってまた睨む。


「やめてください」

「これどうなってるんだ?」

「ほんっとに人の話聞かない……!」


くつくつと笑った皇帝は、今日はやけにご機嫌だ。嫌がらせなのか懲りずに髪に触れてくる。


「あれはつけていないんだな」

「……」


()()が何を指しているのかなんて明白だ。私はわざとらしく上目遣いにして、皇帝ににっこりと微笑んだ。


「蝶は春のものですから、夏の庭には不釣り合いでしょう?」


つけて欲しければ新しいものを寄越せ。そんな意味を込めた笑みに胡散臭さでも感じたのか皇帝は黙る。ふん、と鼻で笑っていれば、恐ろしい言葉が聞こえた。


「……夏なら蚊か?」

「絶対やめてください」


可愛いとか可愛くないだとか、そういう次元の話じゃなかった。




それから間を置きつつも、私は皇帝と少しずつ、本当に数えるほどだけ庭園を散策した。散策して、たわいない会話をして、隙あらば不意打ちしてくる皇帝を避けつつ腹をこれ見よがしに撫でるだけだ。時には皇帝の手を腹に持って行ったりなんてわざとらしい事もした。でも、面白いくらいに効果は覿面だった。



「あれもこれも堕胎薬。変わり種ではお産を助ける…要するに早産を促すものまで!ははは!どれだけ気が早いのか」


老医師は飄々とした態度でここのところの私の食事に混ぜられたものを話してくれる。もちろん、私の元に届く前に処分されるため私の口には入っていない。


「——しかし随分と暇なことだな。こいつら他にやることはないのか」


今日は同じく場にいる皇帝は頬杖をつき呆れた目で老医師の用意した一覧を見ていた。姫は侍女たちに任せていて、騎士たちも外で待機しているため部屋には三人だけだ。


「はははは!他にやることがあったらこんなことはしてこなかろう」

「くだらない」


一覧をばさっと机に放り、皇帝は吐き捨てる。老医師はそれにまた笑った。


「……」


私は放られた一覧を拾い上げて眺める。ここに書かれたもの全てが、私に対する悪意だ。黙る私に老医師が口を開いた。


「しかし妃さまも思い切りましたな。まさか自ら囮になろうとは」

「……姫のためです」


そう、これは姫のため。一覧から視線をそらして机に置く。しかし、それにしても。


「あまりにも釣れすぎていません?」


数に誤魔化されて本命を見逃してしまうような気がする。ぼやいた私に皇帝は淡々としている。


「そもそも毒を混ぜてくるような奴らは全て排除するから問題はない」

「……そうですか」


老医師が笑った。


「陛下は相変わらず貴族どもに嫌われておりますなぁ」

「後ろ暗いところがあるやつらだけだろう。叩いて何も埃が出ないなら、そもそも俺は手出ししない」

「ははは、嫌われるわけだ」


二人はぽんぽんと会話する。老医師は常に笑っているような人だが、皇帝の方も話すとは珍しい。


「仲がよろしいんですね」


皇帝が明らかに嫌そうな顔をした。


「はははは!まぁ付き合いだけは長いですからなぁ!陛下をとりあげたのは私なのですよ。いやぁまさか、親子そろって取り上げることになるとは思わなかった」


あぁ、生まれた時から知られているから頭が上がらないのか。それで苦手に思っていると。勿論それだけではないのだろうが理由の一端を垣間見た気がする。


「それで?まぁ、赤子など出来ていないわけですが、これから本当に出来る予定は?」

「あるわけないじゃないですか」

「ははは、辛辣だ」


老医師が笑う。私は杯に水を注いで口をつける。


「熱烈な接吻を交わされていたというのですっかりそういうことなのかと」

「っ……」


飲んだ水を噴き出すかと思った。げほげほとむせてしまった私は、元凶を睨むが素知らぬふりだ。それどころか、ふっと見下すように口の端をつりあげてくる。


「ほら、やっぱり効果的だったろ?」

「〜〜っだからってあんなにすることなかったじゃない!」

「あんなに?あんなにとはどういうことですかな妃さま!」

「先生まで食いつかないでください!!」


元凶のくせに高みの見物な皇帝に野次馬精神旺盛な老医師、収集がつかなくなってきたところで、それはさておきと老医師が自分から引いた。そういう常識があるのなら初めから食いつかないで欲しい。茶を飲んだ老医師は、皇帝に視線をやる。


「して、どうやって釣り上げるおつもりで?」

「……これを、外に出す」


私は視線を上げずに水を飲んだ。


「後宮では厳重に守っているからな。そこにあえて隙を作る」

「そううまくいきますかなぁ」

「いくさ。……上手くいかせる。散々煮え湯を飲まされてきたんだ。今度こそは捕まえてやる」


強い語調で言い切った皇帝に、迷いはない。老医師は私を見た。


「妃さまはそれでよろしいので?」

「——……はい」


危険な賭けだ。皇帝は最大限危険を減らすといったがなくなるわけじゃない。でも、仕方ないじゃないか。姫を守るなんていっても私は精々匂わせる程度が限界の末端妃で、最終的には皇帝を頼るしかなくて。なら、もう腹をくくるしかないじゃないか。これで姫が守れるというのならば、竦む足を見ないふりして、大丈夫だという言葉を信じるしかないじゃないか。


「……ふむ。まぁ、了承されているのならよかろう。それで、何の名目で外に出されるので?」


皇帝が渋い顔をした。理由は分かっている。囮のためとはいえ外に出られると知った私が、既に行き先を決めていた彼にどうしてもと懇願したのだ。外に出るということが目的なので、別に行き先が変わろうが大きな問題があるわけじゃない。だから私は粘りに粘った。最終的に渋々、本当に渋々といったようだったが彼は頷いてくれた。


「——墓参りだ」


ゆっくりと、彼は告げる。


「こいつの両親の、墓参りに行かせる」

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