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傷痕

私はその日、朝から出かけていた。

家のある地域から、川を挟んで向こう側。家からは少し距離のあるそこで、のんびり人を待っていた。


来るはずもない人を、ずっと、ずっと待っていたのだ。




朝、目がさめると瞼が重かった。姫の横を抜け出して寝室を出れば、侍女は瞼を腫らした私に目を見開いて、温めたり冷やしたりとむくみを取るため尽力してくれた。おかげで姫が私の変化に気がつくことはない。私は蝶の髪飾りを引き出しの奥にしまいこんで、いつも通りの毎日を始めた。


勘違いしてはいけない。そもそも、私は皇帝を警戒していたのだ。だからこれまでとこれからは何も変わらない。私はただ穏やかに暮らすために、姫を守るために力を尽くすだけ。

考えるのだ。

私は姫のために、何ができるのか。





「差し出がましいかとは思ったのですけど、色々調べて来ましたっ!」


数日間、そわそわと何か言いたげだった侍女が二人きりになったところを見計らって私に切り出したのは、大量の資料だった。

どさどさと積み上げられた資料の山にに私は言葉を失う。沢山の書き込みのある紙から、栞や走り書きの挟まった書籍。侍女はひとつひとつ説明していく。


「これは火災の被害の度合いを示した地図で、こっちは被害状況の報告書、火災の経緯を調べた調査書に、それから……」

「——これ、全部……?」

「はい!」


頷いた侍女は、一枚の紙を取り出す。何やら出来事が時系列によって、箇条書きにされていた。


「よろしければ、お話しさせていただけますか?」


一瞬躊躇って、だけれど頷く。知りたかった。私の知らない、あの日のことを。侍女は私の表情を確認すると、紙を片手に語り出した。


「始まりは、昼下がり。帝都の東にあたる地域各所にて発火——」


首謀は反皇帝派。同日、同組織の過激派に対する一斉制圧が行われていたため、それに対する報復行為だという見解が強く、捕らえられたものも認めている。出火した炎は一気に広まり東のほぼ全域へ侵食。消火活動も行われたものの項を為さず三日間燃え続け、その後の雨によりようやく収束。出火源と見られる地域は灰燼となり、東地区は壊滅的被害を受けた。逃げ遅れたものも多く、その被害数は計り知れない。首謀者たちはほぼ焼け死んだが、生き残ったものは捕らえられ、既に処刑されている。


「——以上が、火災の大まかな概要です。何か、分からないところなどはございましたか?」

「いいえ……いいえ」


すらすらと淀みなく語った侍女に、どれだけ調べて、読み込んで、まとめあげてくれたのだろうかと思いをはせる。あんな、私の気まぐれな言葉を真正面から受け止めて、労力も惜しまず、丁寧に説明までしてくれて。


私は侍女の用意してくれた被害の分布図を引き寄せる。


「……ここね」


私が指差したのは、特に被害の酷かった、全てが灰燼と化したという地域だ。店や露店が密集し、多くの人で賑わう地帯。きっと、あの混乱の中で逃げ場もなく、沢山の人が炎の餌食となってしまった。

ゆっくりと、労わるように指先で撫でる。


目を閉じればすぐに浮かびあがる。

沢山の店に連なる露店。頑固な職人たちに商魂逞しい商人たち。雑多とした人混みにごちゃまぜの雰囲気と、活気で溢れるのは皇帝のおわす帝都の東。大陸一の賑わいと称される、私の大好きな生まれ故郷。

暴徒によって灰燼と化した、私の失われた生まれ故郷。


「ここにね、私の家があったの」

「——」

「小さな、変哲も無い食堂で。父は物書きなんてやっていたんだけど、全然稼げなくて。……母が殆ど家を支えていたわ」


懐かしい。懐かしいと感じてしまう今が、とても悲しい。


「……本当に普通の、なんてことない街娘だったのよ」


後宮なんて場所には縁も所縁もない、平凡な少女だったのだ。母の食堂を手伝って、へなへなとした父の尻を叩いて。いつか同じように平凡な人と結婚して、平凡に、だけれど幸せな家庭を作るのだと、勝手に思っていたあの頃。全てが狂ったのはきっと、気まぐれで自分勝手な、やけに偉そうで顔だけはいい黒髪の青年がふらりと現れてから。

私がその朝焼けの瞳に、魅力されてから。


「……どうして、死ななくてはいけなかったのかしら」

「え?」

「炎に包まれて、苦しみながら亡くなった人達は、何を考えていたのかしら……」


全て灰燼と化した街では、かすかな遺骨すらも見つからない。全てが燃え尽きて、跡形もなくなったのだ。だからその人の消息は、直接会わない限り掴めない。顔を合わせてようやっと、生きていたのだと喜べるのだ。


赤い、赤い、炎が燃える。慣れ親しんだ街が燃えていく。

父も母も、可愛がってくれた近所のおばさんもおじさんも、食堂で馬鹿騒ぎばかりしていた頑固者の親父さん達も。みんな、いなくなっちゃった。


悲鳴が、怒声が、泣き叫ぶ声が、延々と鳴り止まない。


「妃さま」


ぎゅっと、手が握られた。温かさにふと現実に引き戻される。ぼんやりとしたままの私に、侍女は泣きそうな顔で笑った。


「続きの話を、させてください」


侍女が広げたのは、帝都の地図だった。びっしりと路地から家までが書き込まれ、複雑な模様を描いている。


「これは、今の帝都です」

「………」


全てが燃え尽きた東の地区には、他の地区と変わりなく、びっしりと建物や路地が描かれている。


「妃さまが指し示されたのは、この辺りですね」


侍女が指差した場所は、知らない建物がありながらも、確かに見知った場所だった。


「確かに一度は絶望したかもしれません。だけれど東の方々は、こうして、新しい街を、辛抱強く、粘り強く作り上げました」


侍女が自分の耳につけていた耳飾りを指差す。濃い青色の水晶玉に、美しい銀細工が飾られている。明るい彼女によく似合う、パッと華やかなものだ。


「これ、うちの兄が東で買ってきてくれたものなんです。露店なんかを冷やかすのが好きで、気まぐれに買い付けてはよく送りつけてくるんですよ」

「……」

「とても綺麗だと、思いませんか」


綺麗。綺麗だ。東の街には、いろんな素敵なものが溢れていた。いや、今もまた溢れているのだろう。


「陛下が、とても心を砕かれたんですよ。復興のために、惜しみない支援をされました。傷ついた人のためにと、沢山の医療院も建てました。私、それをこの目で見てきたんです」

「……」

「私は所詮、部外者で、資料から当時を想像することはできても、妃さまのように大切なものを亡くした方の気持ちを知ることはできません。綺麗事だということも分かっています。でも、少しでも妃さまが楽になれるならと……妃さまが笑いやすくなれたらと、思うんです」

「……」


控えめな侍女の微笑みに、私も、頑張って微笑み返す。


「あなたの気持ちがね、とても、嬉しいの」

「妃さま……」

「私は何も……あの後のことを何も、知ろうともしなかったから、あなたがこんなにも心を砕いてくれて、こうして教えてくれて、なんて、ありがたいのかしらって……」


だから、ありがとう。

そう告げた私に、侍女は花のように可憐な、泣きそうな笑みを浮かべた。二人で言葉もなく見つめあっていれば、ふと侍女の顔が曇る。


「……ひとつだけ、気になることがあって。私の、思い過ごし、考えすぎなら、いいんですけれど……」


綺麗な黒い瞳が迷うように揺れた。


「なぁに?もうこの際、全部言ってしまって欲しいわ」


私の言葉に、侍女は決意したように顔を上げた。


「あの、妃さまは、火災のあとすぐ後宮に入られたと仰いましたよね」

「え?そうね?」

「——違うんです。妃さまが後宮に入られたのは、火災からひと月程後のことなんです」

「……え?」

「あの時、物凄く話題になったからよく覚えています。私が妃さまのもとで仕えさせていただくことになったのはもっと後ですけれど、それは間違いないんです、だってあの時は」

「……まって、それはどういう」


私の記憶は穴抜けだ。朧げで、断片的で。だけれど、私はあの火災のあと、後宮に来た。それは、間違いないはずなのに。


どくんと、心臓が嫌な音をたてる。


「——余計なことは思い出さなくていい」


視界が、真っ暗になった。背後から両目を塞がれたのだと気がついて、息を飲む。


「やっと、笑えるようになったんだ。そんなもの思い出さなくていい」


まるでゆっくりと身を侵していく甘い毒を吐くみたいに、その声は私の目と耳を塞がせる。


——この人は、ずるい人だ。

酷く非情であるくせに、ふとした時に憐れみを見せる。だから誤魔化されて、私は舞い上がってしまう。盲目になれたらどれだけ楽だったろう。全てを都合よく信じてしまえれば、どれだけ。


でも、私には姫がいる。守らなければいけない存在がいるから。


私はその手を払いのけた。


「思い出してなんて、いないわ」


思い出すどころか、ちょうど謎は深まったところだ。朧げな記憶は変わらないまま。ただ断片的な恐怖が、この身に刻みついている。


「でも、思い出したいの」


心配そうな侍女に苦笑する。この子には悪いことをしてしまった。こんなことに巻き込ませて。


「……少し、私とお話しする時間をくださいませんか」


憮然とした皇帝を振り返る。本当にこの人は、間が悪い。

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