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鳥籠

空の色だ。新しい一日の始まりを告げる、美しい朝焼けの色。

様々な色が折り重なり、まだ静かな街のうえに架かるあの美しい空をそのままガラス玉に閉じ込めたみたい。

そう告げた私に、彼は驚いたようにその美しい瞳を丸くした。

不吉な血の瞳と例えた彼に、私は猛然と抗議した気がする。そんなに美しい色が不吉なわけあるか、それは絶対に朝焼けの色だ、いらないならくれと無茶言ったような気もする。


「そんなこと言う奴、初めて会った」


そう言ってくしゃりと笑った彼は年上なのにまるで無邪気な少年みたいで。

——今思えば、私はあの笑顔に惹かれたのだ。



姫が寝ていた。机に頭をもたれるようにして、ぐっすり寝入っている。その横には開かれたままの本があって、読んでいるうちに寝てしまったのだろうとわかった。あどけない様子にくすりと笑って、そっと近づく。見ていたのは予想通り、最近の姫のお気に入りである虫の図鑑だった。開かれたままのページには見惚れるほど緻密に素描デッサンされ華やかに色付けられた蝶が載っている。今にも動き出しそうな美しさにほうっと溜息をついて魅入りそうになるけれどその横にぞっとするほどよく描かれた芋虫を見つけて素早く閉じた。心臓に悪い。


触れればすぐにわかるほど質のいい紙。閉じると現れる美しく装飾された表紙。これだけでなく、ほかに動物と植物のものもある。全て、皇帝が姫に贈ったものだ。

突然皇帝からだと使者がやってきた時はぎょっとしたが、開けてみて更に驚いた。紙が一般にも普及し本も随分増えたとはいえ、まだまだ高級品だ。そんな中でも高価で比較的質のいいものの揃えられた後宮の書庫ですら見たことのないほど素晴らしい図鑑。それも三冊。これ一冊でどれだけの価値があるのかと、ぽんっと渡してきた皇帝に慄いたものだ。だけれど、姫の受けは抜群に良かった。


寝ても覚めても食い入るように見て、飽きることがないのかとにかくずっと眺めている。皇帝が顔を出せば膝に乗せてもらい、図鑑を一緒に見下ろしながらまだ読めない文字を読んでもらう。いきいきとした姫は本当に楽しそうで、あれはどうなのかこれはどうなのかと疑問が尽きることはない。皇帝も律儀に姫の疑問に答え、その表情は柔らかかった。好きなものについて語り合う二人はどこからどう見ても仲のいい親子で、私が入る隙もない。


「……」


喜ぶべき、なのだろうか。父親に構われて楽しそうな姫の様子を、皇帝が顔を出すというこの現状を。


——何に怯えていらっしゃる。


老医師の言葉が、何度も私に問いかける。


「——妃さま?」


乳母の声にハッと顔をあげた。やってきた乳母は寝入った姫にあらあらと苦笑を浮かべる。


「姫さまったら寝てしまわれたんですのね。また図鑑を眺めて……お運びしましょうね」

「まって……。私に運ばせて」


制止した私に乳母は少し驚いたようにしたけれどすぐに微笑んで頷いてくれる。寝入った姫はいつもよりずっしりと重くて温かくて、いつのまにこんなに大きくなったのだろうと少し感慨深くなった。



皇帝が顔を出したのはそのすぐ後だった。私はまだ寝室にいたままで、寝台に腰掛けて姫を眺めていた。なんだか外が騒がしくなったと思ったら躊躇いなく入ってきた男に少し顔を歪めてしまう。仮にも人の寝室なのだが気遣いとか、そういうものはないのだろうか。


(ないだろうな)


あったらこんなことする訳がない。憎たらしいほど整った、今日も今日とて澄ました美しい顔に悪態をつきたくなるが今は姫の前。寝ているとは言え幼子のいる場である。


「寝ているのか」

「はい」


気持ち抑え目な皇帝の声に頷いて、ちらりと姫を見下ろす。寝ている間に皇帝が来たと知ったらがっかりするかもしれない。この子はいつも、いつ来るとも知れない皇帝の訪れを楽しみにしているから。だけれど起こして不機嫌になられても困るので今日は我慢していただこう。そんなことを考えている私の横で、皇帝はおもむろに寝台に近づいてくると姫を見下ろした。


「……」

「……」


じっと見下ろしている。黙っているから私も何もいえない。そういえば皇帝が来た時に途中で姫が眠くなることはあっても、初めから寝てしまっているのは初めてかもしれない。気持ち残念そうな顔をしているような気がする皇帝に、なんとも言えない気分になる。


「可愛いな……」


小さな、思わず漏れてしまったような呟きに驚いて顔をあげる。この人がそんなこと言うなんて意外だ。私の視線にも気がつかず、皇帝はぷにぷにと姫の頰をつつく。不思議なものを見るような、好奇心に満ちた瞳だ。


「よく寝るな」

「子供ですから」


姫はぷすぷすとおかしな寝息をたてている。はだけた布団をかけなおしている間も、皇帝はまだ姫の頰をつついていた。しつこい。起こされては堪らないのでいい加減外に出ようと皇帝を半ば無理やり促した。不満そうな皇帝を尻目に共に廊下に出て、そっと扉を閉めてから、ふと思い出す。


「……生まれたばかりの時は全く寝てくれなくて、死ぬかと思いました」


きょとりと、皇帝の顔が怪訝そうになる。何を言っているのか分からなかったのかもしれない。一拍おいて理解したらしく、不思議そうに口を開いた。


「あれが?」

「乳母も見てくれましたけど、数時間おきに泣き叫んで、やっと寝てくれたと思っても下ろせばすぐ目を覚まして……」


あの時はげっそりとしていたと思う。常に姫は泣いていて、何で泣いているのかも分からなくて、やっと泣き止んだと思ってもまた泣いて、寝不足と緊張と疲労と訳のわからなさに何度乳母に泣きついたか。そんなことをつらつらと話せば、当時のことが蘇ってくる。大変だった、辛かった。嫌になったことがないといえば嘘になる。


「でも、物凄く可愛かった」


ふにゃっと姫が笑う瞬間、寝ている姫から甘い乳のにおいがする瞬間、小さな手が私の指をぎゅっと握った瞬間、全ての苦労が報われるような、そんな感覚を覚えたのだ。愛しくて愛しくて、何にかえても私はこの子を守ると、決意した。


「今もとてつもなく可愛いけれど、あの時の可愛さは別格だったなぁ……」


皇帝は驚いたような目で私を見下ろしていた。未知のものを見るような目は、見上げた私にふっと柔らかくなる。


「それは、少し見て見たかった」


——どの口がそれを言う。


瞬間、少し和んでいた気持ちは霧散した。諸々の怨みを忘れたわけではないと冷え冷えとした視線を向けた私に、さっと皇帝は目をそらす。悪かったとは思っているらしい。開き直られたらどうしようかと思った。許すわけじゃないが。


「見たければいくらでも見れるでしょう。あなたの子だったらみんな喜んで産んでくれますよ」


嫌味ったらしく私は肩をすくめる。だけれどその言葉を、皇帝は意外なほどあっさりと否定した。


「ないな」

「……なんで」

「なんでだと思う?」


廊下を抜け、スタスタと居間まで歩いていく皇帝の揶揄するような声にむっとして追う。


「どういうことです」

「別に、そう難しい話じゃない」

「もしかして嫌われてるとか」

「好かれてはいないな」

「最低」

「今更だろ」

「みんなあなたの寵愛を求めてるのに」

「お前は違うだろう」

「気がついてるなら行動に反映してよ」

「断る」

「はぁ!?」

「猫の皮が剥がれてるぞ」

「剥がしてんのよ!」

「大した態度だな」

「そうやってはぐらかして…!」


「あそこにいる奴らはみんな、子を産ませるためにおいているわけじゃないというだけだ」

「………は?」


意味がわからなくて眉間をよせた私に皇帝はくつくつと笑う。いつのまにか居間に辿りついていて、侍女や騎士が私たちを見たのがわかる。だけれど皇帝は気にせず私を振り返り、嗤った。


「まさか10年間、()()()()子が出来なかったとでも?俺が種無しでないことくらいお前は身をもって知っているだろう?」

「……なら、なんで」

「他の妃はとっくに承知しているだろうな。まぁ気がついていない奴もいるだろうが、高位の奴らはほぼ確実に理解しているだろう。……認めるかはともかく」


珍しく饒舌な皇帝の瞳は冷え冷えとしていて、憎しみすら浮かんでいるように見える。だけれど、わからない。後宮とは子を増やすためにあるところで、そのために沢山の妃が集められているのではないのか。莫大な経費をかけてまで囲っている理由がそれ以外にあるとでもいうのか。理解の追いつかない私に皇帝は少し瞳を眇めると、ゆっくり、毒を吐いた。まるで、今日の天気でも話すかのような軽い口調で淡々と。


「妃たちはな、人質だ」


——この人は、何を言っている?


「後宮にいる以上、あいつらが子を産むことは一生ない」


この人は、なんて、残酷なことを。


言葉をなくして立ちすくむ私に皇帝は少し口の端を歪めると、騎士たちに声をかけその身を翻して部屋を出て行く。帰るのだろう。でも、足が動かない。


深く考えたこともなかった。本当に私は何を見てきたのだろう。10年間もあって、これだけ沢山の妃がいて、それなのに子が出来ない理由。気まぐれにふらふらしてるから出来ないんだろうなんて軽く考えていたけど、一人も出来ないなんて、それは異常といえるのではないか。極端に出来にくいなんてことで片付くわけがなかった。現に私は、さしたることもなく身ごもったのだ。それなのになにか、作為的なものが働いていると、そう考えなかったなんて、私は、どれだけ。


妃たちはみな良家の、高位の位を抱く権力者の実の娘、またはそれに準ずる姫君たちだ。後宮にいる彼女たちの命は文字通り、皇帝に握られている。皇帝の一存で、その命はあまりにもあっさりと散らされてしまうだろう。現に、いくえもの華が消えていったのを私は知っているじゃないか。


いつだか私は、後宮を鳥籠だと思った。美しく整えられた箱庭。翼を折られ、出ることを許されない小鳥。


は、と息がもれる。


——この世界は、恐ろしい世界。


だから、嫌だったのだ。

わかっていたのに、やっぱり私はわかっていなかった。

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