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夢現

我らが皇帝は即位10年という経歴に反してその年齢はまだ25と青年と言っていい年をしている。整った顔立ちに圧倒的手腕、それを讃えて帝国の若獅子なんて例えられることもあるのだという。


(獅子、ねぇ)


確かに皇帝はそんな印象かもしれない。しなやかで威厳ある絶対的王者。獅子とは言い得て妙だ。血濡れの皇帝に帝国の若獅子と大層な名前を持ったことではないか。でもそんな気取った二つ名も、こんな姿を見せられると形無しだと思う。


「あっち!つぎはあっちね!!」


皇帝に肩車された姫はもう大興奮でずっときゃーきゃー声を上げている。女世帯ではあぁいうことをしてあげられないから、楽しくて仕方ないのだろう。何だかんだで育ちのいい乳母や侍女は姫が落ちないかとハラハラしているらしいがこの父娘はそんな心配も知らずに好き放題だ。あぁでも、あっちに行けこっちに行けと姫が皇帝を顎先で使うたびに乳母たちの顔色が悪くなっていく気もするから、心配しているのは落ちることについてだけではないかもしれない。


「おかーさま!みて!みてください!!」

「あらー高いわねー」


もう何度目かの主張に少し離れた場所で椅子に座って眺める私の返事もおざなりになってくる。よく似た親子が肩車で遊んでいる。字面だけみると微笑ましいのに、穿った目で見てしまうのは私が汚れているからなのか、警戒のしすぎなのか。でもそれも仕方ないことだと思う。


あの日以来、皇帝は短時間だが日毎にひょっこりと顔を出すようになった。宮に来たのは突発的な出来事かと思っていたのに違ったらしい。あの日は去り際の気遣いの言葉に心配してわざわざ言いに来てくれたのかと正直少し感動したものだが、そんな思いは翌日には霧散した。奴がそんな甘い人間なわけなかった。あの月夜に告げた私の放っておいてくれという言葉は見事に無視され、覚えているかすら怪しい。おかげさまで他の妃のあたりは前にも増してきつくなり、私は目障りなネズミから皇帝を誑かす悪女に絶賛格上げ中である。嬉しくない。


正直、私だって不本意なのだ。

姫と皇帝を関わらせたくないという思いは変わらない。それもあんなことがあったから尚更だ。皇女という立場ゆえに姫が危険に陥るのなら、これ以上元凶である皇帝との関わりを深くしたくないと考えるのは自然なことだろう。しかし皇帝が能動的に顔を出し姫も皇帝の訪れを楽しみにしてしまっているこの現状、なし崩し的に私は受け入れた形を取らざるおえなくなっていた。


(ほんと、何考えてるのかしら)


頬杖をつき、庭先を眺める。

気がつけば肩車は終わり姫は高い高いを所望していた。言われるがままに姫を高く掲げた皇帝は微かながら口の端が笑っている。


「………」


ぐいっと、水を呷った。頭をよぎる考えを捨て去って、深く息を吐く。あの男は弱冠15歳で皇帝として名を轟かせるような化け物である。そんな人間が一筋縄でいくような単純なつくりをしているわけがない。今まで放置してきたくせにここに来て突然顔を出し始めるというのも胡散臭いことこの上ないし、皇帝業が暇だなんてそんなはずはないのだから忙しい合間をぬって日参しているというのも引っかかる。捻くれた考えをしているのは分かってる。だけれどどうしても疑ってしまうのだ。血濡れの皇帝、その名がただの誇張でないと私は現に知っている。


「おかーさま、おみずください」


とてとてと駆け寄って来た姫に、考え込んでいた顔をあげて新しく水を注いでやる。はい、と渡せばあっという間に飲みきってしまう。最近は暑くなって来たから喉の渇きも早いのだろう。そしてそれは大人も同じだった。


「一杯くれ」


姫の後を追ってゆっくりとやってきた皇帝の言葉にちらりと侍女に視線をやる。あいにくここには私用の杯しかない。姫にはそのまま渡したが流石に皇帝にそういうわけにはいかないだろう。察して取りに走ってくれた侍女を確認して皇帝に視線を戻す。


「少々お待ちを……」

「別にこれでいい」

「あっ」


折角の人の気遣いを無視して皇帝は水を呷る。それから杯を見下ろして少し怪訝な顔をした。


「……水?」

「水ですよ」


だから、新しく用意すると言ったのに。私は淡々と杯に新しく水を注ぐ。皇帝は怪訝な顔をしながらも素直にそれも呷った。


「水だな……」

「だからただの水ですよ」


何か言いたげな視線に気がつかないふりして、ちょうど侍女の持ってきてくれたものを受け取る。レモンが浮かんだ冷えた果実水だ。大抵ここでは水といっても果実水が出される。ふわりと香る柑橘の香りなんかは爽やかで夏にはもってこいだし、そうでなくとも果実で香り付けのされたものは飲みやすい。この人もそれに飲み慣れているから疑問に思ったのだろう。


「こちらもお飲みになりますか」

「……いや、いい」


二杯も飲めばやはり十分だったらしい。侍女が折角とりに行ってくれたのに徒労に終わってしまった。はじによせて軽く片付ければよじよじと姫が私の膝に登ってきて、すとんと座る。


「どうしたの?」

「んー……」


甘えたような声が少し眠気を含んでいた。はしゃぎ疲れたのかもしれない。


「お昼寝しましょうか」

「やだ……まだあそぶー」

「でももう眠いでしょう?」

「やだぁ」


駄々っ子になりはじめた姫に小さく息を吐く。眠くなった三歳児なんて話の通じないもの相手にまともに取り合う気はない。もうこのまま寝室まで連れて行ってしまおうか。抱っこしたまま立ち上がろうとして、ひょいと体が軽くなった。


「え」

「どこまで運ぶんだ?」


姫を抱き上げた皇帝の言葉に、目を瞬かせてしまう。


「寝室に……」

「わかった」


スタスタと歩き出した後を慌てて追いかける。姫はこの短時間のうちに眠気がどっと押し寄せたようで皇帝の肩にもたれて既にうつらうつらとしていた。扉まで辿り着いた彼は視線で私に開けろと命令する。姫を抱っこしてもらっている以上文句も言えず素直に開いて中に引き入れた。慎重に姫を寝台に寝かしつける彼を傍目に思わず疑問が口をつく。


「……来たことないくせになんで部屋の間取りを知ってるのよ」


ぼそっと呟いた声はきっちり聞こえていたようで酷薄な視線が振り返った。


「来たことならある」

「……先住者がいたの?」


少し驚く。ここは長らく空いていたと聞いた気がしたのだけれど、以前住んでいた妃がいたのか。そんな私に皇帝は嫌味ったらしく溜息をついた。


「お前が覚えていないだけだろ」

「え?」

「俺は、お前がここに来てから訪ねている」


そんなの記憶にない……。そう言おうとして、ぼんやりとはっきりしない空白の期間のことを思い出す。もしかして、あの頃か。まだ後宮に入れられたばかりの時の。そういえばあの月夜も寝室の外の窓にいた。間取りを知っているからこそあんな行動をとれたということか。


「………」


少し罪悪感を覚えて記憶を探ってみるけれど、やっぱり何も引っかかるものはない。黙った皇帝を見上げて、また視線を下げた。


「……ごめんなさい」

「別にいい」


しんと空気が静まって、気まずさに何もいえなくなる。——なんで突然来るようになったの。そんな言葉も浮かんだけれど、口に出すことはできなかった。


「……おかーさま……?」


姫の声にパッと顔をあげる。すぐに寝台まで近寄って、姫の頰を撫でた。


「なぁに、姫」

「……ふふ」


私の声にへにゃりと笑った姫は、そのままこてんと眠りにつく。本当に寝ぼけて呼んだだけだったのだろう。愛らしい寝顔に微笑んで額にキスを落とした。可愛い姫。愛しい姫。私は、この子を守らなくては。


黙って立っていた皇帝を振り返り、出来る限り泰然に、ゆったりと笑んだ。もう来てから、随分と時間が経つ。


「お帰りになりますでしょう?……お見送り致します」





かつて、帝都を大火が襲った。

暴徒によるその火災は帝都の三分の一を飲み込み、多くの人が犠牲になった。

そう昔のことではない。ほんの、四年ほど前の話だ。

私はそれを、残りの三分の二に含まれる地区から、ただ呆然と眺めていた。

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