後宮
10年前、革命があった。
ぼんくらと呼ばれていた先代皇帝の首が刎ねられ、腐敗しきった政治と貴族に鉈が振るわれる。数え切れないほどの血が流れ、多くの犠牲が出た。
熾烈な後継者争いを経て新しく帝位についたのは、齢15の若き末皇子。逆らう者は容赦なく首を刎ね、火種は徹底的に踏み潰し、彼は瞬く間に帝国を平定した。
それが当代皇帝——人呼んで、血濡れの皇帝。
その帝位の下には、数え切れないほどの骸が積み上がっている。
皇帝のおわす帝都にそびえる白亜の宮殿には花園がある。あまたの美姫が咲き誇り、皇帝の寵愛を競う後宮だ。
家柄、美貌、教養、全てを兼ね揃えた華々になんの間違いか混じってしまった雑草。それが私。何を隠そう、生まれも育ちも生粋の庶民。由緒正しい家柄も、目を見張るような美貌も、素晴らしい教養もないただの平凡な街娘である。ははっ、と乾いた笑いが漏れそうだが残念ながら事実なのだ。
——だから、こんな面倒なことになる。
「お前、わかっているのかしら」
豪奢なドレス。ずらっと後ろに控えた侍女。苛々とした声音、不機嫌そうにつりあがった眉。真っ赤に染まった唇は苛々とした毒を吐く。
「お前のような庶民が後宮にいては陛下の名が傷つくのよ。こそこそこそこそ、ねずみのように駆けずり回って、目障りだと何故わからないの」
生まれも育ちも由緒正しい良家のお嬢様が揃った後宮。大輪の薔薇のような美貌を持つこの妃はひたすら私が気に入らないらしく、会えば必ずお小言を言われる。それを私は、反論もせずにただ聞き流す。
「下賎な生まれが調子にのるからこうなるのよ。どうやって陛下を誑かしたのか知らないけれど所詮毛色の違うものに興味を抱かれただけ、わかっているわね?お前はもう捨てられたも同然なの」
「……」
「陛下も陛下だわ、こんなねずみを後宮に入れるだなんてどうかされている。今はもう目を覚まされたようだからいいけれど本当に、哀れみなど見せずに早く処分してくださればいいのに」
苛々と今にも爪を噛みそうな勢いでまくし立てる妃はいつになく気が立っていた。ギロリと、大きな瞳が私を睨む。
「何か言いなさいよ」
「……申し訳ありません」
これがいけなかった。火に油を注いだのが目に見えてわかる。理不尽だ。カッと赤くなった妃の手が振り上げられる。
「偉そうに……!」
バシン!と高い音がした。頰を叩かれたのだ。じんじんと熱を持つ頰を抑えれば、背後で心配そうに控えていた侍女が飛び出した。
「何をなさります!」
「何を、じゃないわよ!わからないの!?こいつが目障りだと言っているの!どうして、こんなやつに見下されなきゃいけないの!どうして、どうして陛下は!!」
錯乱したような妃を横目に、侍女が囁いてくる。
「行きましょう、手当もしなくては」
「……えぇ」
ついには泣き叫びはじめた妃を後ろにいた侍女たちが取り囲み宥めていく。
その場をそっと離れつつ、小さく溜息をついた。
後宮の中心とは少し離れた隅。静かなそこに、ひっそりと私の宮はある。長い回廊を歩き、侍女が扉を開けた途端、小さな体が勢いよく腰に飛びついた。
「おかーさま!おかえりなさい!」
「姫」
後宮には数え切れないほどの妃がいる。その中には箔付のためだけに後宮に入った人も勿論いて、みながみな皇帝の寵愛を競っているわけではない。身分の低いものはひっそりと、高位の妃に睨まれぬように息を潜めているのだ。それなのにどうして私がこれほど睨まれるのか。庶民だから?違う。何かやらかしたから?違う。
私が、皇帝の子を孕んだから。
もう、三年以上前になるのか。当時、皇帝の後宮は妃は溢れているのに何故か誰一人として御子をなさないという状態に陥っていた。かなりの美丈夫なうえ皇国の頂点である皇帝に妃たちは群がるのだが本当に何故か一向に御子はできない。そして周囲が焦れる中で、懐妊したのが後宮の花どころか貴族ですらないただの街娘。意味がわからないだろう。私も意味がわからない。それはお偉い大臣様たちも同様だったらしく簡単にいって大騒ぎになった。色々とごたごたしたらしいのだが唯一の皇帝の子を蔑ろにするわけにもいかないと——男児なら世継ぎにもなりえるのだから——私は後宮に入れられた。正直、あの時は色々ありすぎて記憶が曖昧だ。気がつけば私は後宮にいて、一人の皇女を産み落としていた。
それが、齢三つになる我が愛娘、可愛い可愛い私の姫である。
「いい子にしていた?」
「うん!」
膝をついて姫を抱きしめてから、愛らしい顔を両手で挟んで、額と額を合わせる。体温の高い小さな体はお日様と花の何か甘い匂いがする。
ささくれた心を癒すようにぎゅーっと再び抱きしめれば姫はきゃっきゃと笑い声をあげて、私は頰を綻ばせる。
生まれたのが男児でなかったのは幸いだった。なんの身分も後ろ盾もない母親から帝位を引き継ぐ可能性のある男児が生まれるというのはあまりにも危険が高すぎる。おかげで平穏無事とはいえないものの、なんとか姫と母子二人、後宮の隅で穏やかな毎日を過ごせている。
未だ皇帝の子は他にいないものの、姫はすくすくと育ち、早いもので先日三つを数えた。可愛い盛りである。生まれてからもうずっと可愛くない時がない。
皇帝と最後にあったのは姫が生まれる前、後宮に入れられた時だ。その後式典などで顔を見ることはあっても、会話を交わすことはない。
身分もない、寵愛もない、皇帝に見捨てられた名ばかり妃なんて呼ばれているのは知っている。
それでも私は姫と二人、ただ穏やかに暮らしていた。