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SALVADOR  作者: れのん
前編
9/20

第9話

貴方に伝えたかったのは、こんなにも血に汚れてしまった私の手でした。盲目の貴方には、この醜さに気付いてくれないのです。

 その日はおかしな夢を見た。

 いつも恐ろしい夢を見るのだが、その時見る夢とは場所が特定されているものではなく、これまでの人生の中で一度も見たこともないような場所か、周りの景色さえもないような無の空間の時がほとんどだった。

 だが今回見た夢で違う点といえば、夢で見た場所というものが見覚えのある場所だったのだ。見覚えのある、というよりもいつも自分が見慣れている場所、と称した方が良いだろう。

 その夢とはウィンスタードがこの兵士寮へと入り込むというものだった。

 彼が殺されたかはよく覚えていない。だが何人かの兵士に囲まれていたのはよく覚えている。武装した大勢の兵士に重なって、彼の姿が見えなくなった辺りで夢から覚めてしまい、最終的に彼がどうなったかは不明なままになった。


 ガルナはまだ夢の中のような不思議な気持ちのまま、ぼんやりと自分の寝具を眺めていると、いつものように兵士のサウルが朝食を持って部屋に入ってきた。

 寝具から降りてサウルから朝食の乗った器を受け取る。

 今日もいつもと変わらない雑な飯が乗っている。

 いまだに不思議な気持ちは抜けず、別に聞こうと思って聞く質問でも無かったが、頭にふと思い浮かんだ言葉をいつの間にか口に出していた。

「――あのよ、サウル。本当にこの国は天界と戦うつもりなのか」

 突然尋ねられてサウルは少し驚いた様子のまま返答をする。

「そうだよ。おかげで最近は忙しくてたまらないな」

「それじゃあ俺たちが開放されることはあるのか。もう必要も無いだろう」

 そう尋ねた時、サウルは途端に真剣な表情になってはっきりと冷たい口調で答えた。

「ありえないね。上はお前たちを開放する気はさらさらない。あまり高望みをしない方が身の為だぜ」

 素っ気なく言ったサウルだったが、肩を落とすガルナを見て申し訳なく思ったのか、今度は普通の調子で話題を変えて話し始めてきた。

「俺さ、今度一時休暇を取ることができるんだ。天界と戦う時は総動員だから、俺も戦場に行くし、その前にね。数年ぶりに病床のお袋に会えるんだ……」

 やけに穏やかな口調がガルナは少し気になったが、彼は同じ口調のまま再び話し続けた。

「俺にだってな、お前の家族……ではなかったか、大切な人を思う気持ちは充分わかるつもりだ。あまり大声では言えないが、俺たち雑魚兵士はお国のためよりも、家族のために働いている気持ちを持つ者が大半だからさ。お前は良い奴だよ、この国に留まるというなら、本当に歓迎するつもりだ」

 サウルは返事を求めるようにしばらくこちらを見ていたが、ガルナは何か答える気力も無くなり、そのまま視線を落として口を閉ざした。

 サウルもそこまで返事を待とうという気もなかったようで、再び沈黙が訪れると咄嗟にその小さな部屋から出て行った。

 彼らは確かに親切だった。

 それでもガルナはここに留まるわけには行かないことをしっかりと自覚していた。

 そしてこの窮屈な寮から抜け出す時は、そんなに遠い日ではないと何となく感じていた。


 ** ** **


「象形文字の解読が終わっただと?」

 ハドレニアは驚いた様子で、ウィンスタードに問いかけた。

「して、どのようなことが書かれていたのだ?」

「期待をするな。私も何か驚くべき新事実があるかもしれないと思いながら解読をしていたのだが……つまらないことしか書かれていなかった」

 その日は、ハドレニアに完成した象形文字の訳文を見せるため、彼を書庫へ呼んでいた。

 期待をするなと忠告をしたはずだったが、ハドレニアはその訳文の書かれた羊皮紙を手にするなり興味津々で読み始める。

 ウィンスタードはこの時、本当の訳文は見せずに嘘の訳文を用意していて、それを読ませていた。同じ意味にした単語もあるが、違う意味の単語を多く混ぜていてそれをひとつの嘘の文章にするという工作を施しておいたのである。だから内容は一言で言うと「結局、地上界は天界に対抗することはできない」というようなことが書かれてある。

 本当の真実と、あの恐ろしい魔法をこの国の連中に教えてしまえば、どんな不吉なことがあるかわからない。この工作とは、恐ろしい魔法が危険性を事前に防ぐためであった。

 嘘の文章をこの国に伝えたにせよ、象形文字の解読を終えてしまえばあとはこの国でやることはひとつしかない。

――それはもちろんこの国の軍を奪うこと。

 元よりウィンスタードはこの国から出る為には強行突破しかないと考えていた。

 ハドレニアは天界と戦うことを決意したというのに、ウィンスタードもガルナも解放してやろうという姿勢はあるように見えない。このまま我々を従属させる気だったのだ。

 そんなことをさせるつもりはない。


 嘘の文章を読み終えたハドレニアはため息をつき、真剣な表情で言った。

「そうか……やはり地上界が崩壊するのも時間の問題なのか。――いや、そんなことはどうでもよい、フィルノレアの敵を討つためなら最後まで奮闘しよう……。ウィンスタードよ、お前はこのまま残るがよい。さすれば、多くの武器や資源を確保して戦うことができるぞ」

「……これまで私が交渉して、協力に承諾してくれた国々の軍はどうするというのだ、使者は使わしたか」

 するとハドレニアは嫌そうな顔をして言う。

「お前の拾った国はすべて気に食わない国ばかりだ。使者などつかわすものか。天界の相手は我が国だけで行う、他に干渉される筋合いはない」

(一夜で天使に滅ぼされる国もあるというに、この男は天使の強さも配慮せずに、自分の国だけで天界を伐とうと言うのか……?)

 天界と戦うことに協力してくれる他の国々はきっと、そのための準備を進めている頃だろう。大陸の殆どの国と協力して戦いを起こそうということを証明書にも記してくれたのだ。数年をかけてやっと得ることのできた彼らの承諾を無駄にすることはできない。

 ここへ幽閉された時は、まだ出過ぎた行為はしてはいけないとわかっていたものの、今ではそれが必要とする時期になってきたとウィンスタードは確信する。

 ハドレニアが以前よりもずっと、儚く、容易い存在に見えてきたからだった。


「ハドレニア王。あなたは愚かだ」

 ウィンスタードは淡々と、落ち着いた冷静な声ではっきりと言った。

 ハドレニアはその言葉に怒りを覚えた様子だったが、ウィンスタードはそんなことは気にせずに話を続けた。

「何故、そうも頑なに他国と協力をすることを拒むのだ。――権力に傷が付くから、だとかいう理由ではあるまい?」

 皮肉っぽく言ったが、やはりハドレニアは図星であったようで、こちらを睨んで言い訳をする。

「……この国はこれまで何百年と他国と付き合わないできたのだ。その尊い歴史を傷つけることはできぬ。権力が傷つくのが癪なのではない、歴史に傷がつくのが一番腹立たしいのだ」

「嘘を言え。フィルノレア王女が崩御したという重大な報せを、公にしていないくせに」

「彼女のことは関係ない!! その名を軽々しく口にするな小僧!!」

 ハドレニアは怒りに任せて突然、机上にあった花瓶でウィンスタードの頭を打ち殴った。

 頭から花瓶の水や血がだらりと垂れる。

 しかし、痛みにこらえる仕草さえもする余裕は無い。

 もう後戻りはできない段階まで来てしまった。この程度で集中することを止めてしまえば、ハドレニアを蹴落とすことはできなくなる。この国から出ることはできなくなる。

 ウィンスタードは何も動じず、ハドレニアに冷静な態度を示していたが、ハドレニアは怒りで興奮が極まってきたのか、息を切らし、肩を震わせていた。目も大きく見開いていて、フィルノレア王女が死んだ時と同じぐらいに乱心をしているように見えた。

「いきなり、我々国軍は天使と戦う、などと国民に言えるのか。何故我が国の王は急に人間との戦いをやめて天界と戦おうとしているのか、疑問に思うであろう。この国で天使の力を一番知っているのは国民だ。この国だけで天界に争いをかけようとすれば、無駄だと悟った国民の心はあなたから離れていくことになるであろう。その時こそ権力も歴史も崩れる事態になると思わないか」

「何が言いたい……?」

 震える声でハドレニアはそう問いかける。

 フィルノレア王女が死ぬ前はこんなにも心にゆとりのなく、切羽詰まった様子をするような男ではなかったのに、今ではこんなにも不安に心を乱されている彼が哀れに見えて仕方なかった。


「私に従え、北国の愚かな王よ」

 ウィンスタードは冷たい声でそう言い切ると、しばらくの沈黙が続いた後にハドレニアは間の抜けた口調で言った。

「は……はは、何を馬鹿なことを……貴様、自分が何を言っているか理解できているのか」

 ハドレニアは失笑のような笑みを口元に浮かべていた。しかし、彼の目には余裕の色はない。今すぐにでも怒りで爆発してしまいそうなほどに憤っていることをその感情に揺さぶられている哀れな目から感じた。

 だが、ウィンスタードはそんなことは構わず、再び侮蔑の言葉を発する。

「当たり前だ。お前は愚かだ。王と呼べる存在でもない、ただの人間だ。私を殺さなかった時点で、私に知識を肥やさせ、殺せない存在にしてしまった時点でお前は私の傘下に下ったのだ」

「貴様……!」

 ハドレニアは拘束魔法を唱えてウィンスタードを光の縄で縛り上げようとした。

 しかしその魔法は、彼の体に触れた途端に溶けるようにして消えていってしまう。

 魔法が全く効いていないことにハドレニアは一瞬目を疑うようにしてうろたえていたが、すぐにまた強力な魔法をウィンスタードに目掛ける。

 だが、その成果も空しく、相変わらずウィンスタードの身体に吸い込まれるように光の縄は魔力となって溶け込んでいった。

「く、くそ……誰かこいつを取り押さえろ!!」

 自分の魔力では為す術がないと判断したハドレニアは、書庫にいる警備兵を呼んで命令を下す。

 ウィンスタードは後ろにいる兵士二人を睨みつけた。

 その冷たい目線に兵士たちは一瞬うろたえたが、短めの槍を構えてウィンスタードにめがけて突進してきた。

 だが、槍を振りかざした瞬間、ウィンスタードの放つ魔法によって、兵士の目の前に金色に輝く光の柱が瞬く間に現れた。

 柱は兵士の持っていた槍の刃を貫き、ボロボロに壊していた。

 鉄をも貫くその光の柱が自分の顔の目の前にあることに兵士は気付くと、ぱっと槍を離し、腰を抜かしたように地面に座り込んだ。

 もう一人の兵士も戦意喪失したように、自分の持っている槍を床に落とす。

 この間ずっと、ハドレニアは唖然としていた。


「安心しろ、お前の権力も歴史も、何も傷付けない。ただ天使の戦い方をお前よりも知るこの私に従属し、その軍を命令通りに動かしてくれるのであれば、お前の国が焦土となることはないだろう。この程度の地、私一人で滅ぼしてやるのは容易いぞ」

 未だ硬直してしまっているハドレニアに、ウィンスタードは懐から一枚の紙を投げ渡す。

「自分は天界と戦う軍に参加をすることを、そこに証明しろ。これで妹の仇を思う存分取るがよい」

 ハドレニアは崩れるようにして座り込んだ。

 そして苦い表情で唇を噛み、顔を俯かせて、涙なのか汗なのかよく判別しづらい液体を床に垂らした。

 悔しさと屈辱に堪えながらも、ハドレニアは震える手で証明書に印を刻む。

 これによって、この国の軍はウィンスタードの命令通りに動くものとなった。

 汚いことをしてまで手に入れたというのは充分自覚しているものの、心は自分でも寒気を感じてしまうぐらいには、冷静だった。

 我々を幽閉してくれたハドレニアをしばらく見下した後、ウィンスタードは早速書庫から出ていった。

 目指す場所は兵士寮。

 友がそこに囚われていることは、何ヶ月か前に既にわかっていた。


――さぁ、ガルナを迎えに行こう。

 四年もの時をかけて成長した自分を見せびらかしに。

 彼と共に故郷へ帰るために。


 ** ** **


 外がやけに騒がしい。

 今日は訓練の無い日で一日ずっと部屋の中にいることを言われていたのだが、兵士たちがばたばたと廊下を走り過ぎているのを聞くなりどうしても外の様子を確認したくなって、ガルナはじっとしてはいられなくなっていた。

 何が起こっているのかさっぱりわからなかったので、早速部屋の外を覗いてみる。

 数人の兵士たちは慌てた様子で寮の廊下を走り過ぎていく。皆武装しているのが目に付いた。

 その慌ただしさがあまりにも不可思議な光景だった。

 しかし何か緊急のことが起こったということは明白だろう。

 ガルナは何が起こったのか尋ねようとしていたが、一人の兵士が慌てた様子でこちらに話しかけてきた。

「緊急事態だ! 下の階で魔術師が暴れている」

「ま、魔術師が? なぜ……」

「それがまだあまりわかってない……どこの魔術師なのか判明されていないらしいが、我々が対処するから、お前はその部屋でじっとしていろ。一歩も外へ出るなよ、わかったな?」

 兵士はそれだけ伝えると、通り過ぎていく兵士たちと同じ方向に走り去り、階段の方へと駆けていった。

 ガルナは一瞬、今日見た夢を思い出した。

 もしかすれば、その魔術師はウィンスタードなのではないだろうか。

 まさかとは思っていたがわずかながら予感はしていた。今日この日こそ、この国から出なければならない唯一の日であることを。そしてそれのために、ウィンスタードがこちらへやってきているということを。

 ガルナは一度、この緊急事態をどう乗り切るべきか深く考えた。

 部屋にいろと言われた以上、何もせずにここでじっとしているのが平生ではあったが、この時のガルナにはそういった思いは無かった。むしろ今この時こそ自分も何かしら動きをとらねばならない事態になっているのだと不意に思った。

 ガルナは兵士たちが廊下を通り過ぎる音が止んだのを確認してからドアを開いた。

 今いる階である生活寮は静かであったが、ちょうど下の階が騒がしいことに気付いた。そこで何かあらかじめ武装をしておこうと思い、上の階にある第二武器庫へと駆け上がった。

 第二武器庫は立ち入りが制限されていて今まで入ったことはなかったが、警備がある気配もなく、鍵も開いていたので入ることができた。

 武器庫は荒れた状態だった。

 きっと兵士が急いでここで装具を手に取り準備を整えて現場へ向かったのだろう。剣の抜き取られた鞘や、鎧用の外套、さらには兜までが周辺に散らかっている。

 殆ど兵士たちに持って行かれているように感じたが、何か役に立ちそうな物が無いかと思い周囲を見渡していると、部屋の隅の方に見覚えのある装具が見えた。

 ほこりだらけの散乱した木箱を除けてその装具を見ると、ガルナがかつて身に付けていた武器と鎧だった。ほこりまみれではあるが、使われた形跡も無いので放置されていたのだろう。

 ガルナは迷わずそれを手に取り着替えた。

 装着を終えて部屋から出ると、先程聞こえていた騒がしい音が近づいてきていることがわかった。

 左右どちらが一番近いのかよくわからないが、この階で何かがいるとは思えない。

 ガルナは静かな足取りで下の階へと向かった。するとやはり、すぐそばで兵士たちが何者かと乱闘をしている様子がより大きな音になって聞こえてきた。

 どうやら階段を背にして左側の方向で戦闘が始まっているようだった。何人かの兵士たちの悲鳴に似た叫び声や血飛沫の音が聞こえてくる。

 まだ遠い上に寮の建物は壁ばかりで、その戦闘の様子は目に見えなかったが、そのような惨い音を聞いて一瞬だけ現場へ向かうことをためらう。しかしここで留まるわけにもいかなかったため、ガルナはその音の方向に向かおうとした。

 しかし十字の廊下に入った時、曲がり角で偶然四人ほどの兵士に出会ってしまった。

 兵士たちは武装しているガルナを見て剣を構えずにはいられなかった。

「貴様! 部屋へ戻れ! それともこの騒動に乗じて脱走でも企む気か!」

「ま、待て。何が起こっているんだ、説明しろ!」

 そうは言うものの、兵士たちも動揺をしているようでこちらへの警戒を解かない。険しい顔をさせながら剣を構えて叫ぶ。

「そのような姿をしていれば、信じられるわけがなかろう! 上からの連絡が無く、あの魔術師がこちらへ攻めて来ている今、こいつも要注意人物だ。やむを得まい、殺せ!!」

 兵士たちは一斉にこちらへ襲いかかろうとしてきた。

 ガルナも彼らが動き出した時には、やむを得なく剣を素早く構えた。


――だが、その瞬間、床に魔法陣がいくつも描かれていくのが見えた。

 そして兵士たちが剣を振り上げた時、彼らはそのまま硬直して動かなくなった。

 兵士それぞれの足元に描かれた魔法陣からは、黄色く光る鎖が伸びていて、兵士たちを縛り上げている。

 一瞬何が起こったか理解できなかった。

 しかし魔法によって拘束されている兵士たちの後方にいる人物を見るなり、ガルナは思わずまばたきをする。

 そこには、返り血に濡れたウィンスタードの姿があったのだ。

「除け、雑兵。その人に手を出せば殺すぞ」

 ウィンスタードは恐ろしく冷たい声でそう言い放った。拘束魔法の魔法陣を壁に移動させて、拘束されている兵士たちが壁に打ち付けられる。

 そんな光景を見て思わずガルナは唖然としてしまっていた。

 ここへ歩いて近寄ってきた彼は、これまで見たこともないぐらいに冷酷な目つきをしていた。確かに、最後に会った日よりもずっと、大人びた姿に成長しているが、本当に彼はウィンスタードなのだろうかと疑ってしまうほど、非情極まりない雰囲気を醸し出している。

 四年ぶりに再会できた彼のその変貌を見て、驚きのあまり絶句してしまっていたガルナだったが、後方からも数人の兵士たちが押し寄せてきていることに気付き我に返る。

 ここへ辿り着いた兵士たちは険しい顔で剣を構えていたが、どうやら臆している様子があった。

「貴様! どうやって宮殿から抜け出してきた?」

 疑いの声をあげる兵士だったが、ウィンスタードはそれに答えるわけでもなく、ただ淡々とした調子で話し出す。

「もうこの国は私の傀儡だ、ハドレニア王も私の軍に加わり天界と戦うことを決意した。そう、正式な承諾だ。直に連絡がここへ来るだろう」

 ウィンスタードの言葉に兵士たちは口々に「嘘だ」と言う。

 ガルナも一瞬、彼が何を言っているのかさっぱりわからなかった。

 しかし、彼がこれほどまでの騒動を起こしているとなると、このまま逃げることに強行するつもりなのではないかと思う。即ち、彼はこの国に幽閉されてでも自らやり始めた務め――知識の吸収と軍の協力の交渉を終えたことを意味する。

 後方から来た兵士は憤り、浮遊魔法でこちらに剣を投げつけてきた。

 だが、この程度の魔法がウィンスタードに効くはずもなく、すぐに防御魔法で剣は粉々に崩れてしまう。

 そしてその魔法を放ってきた兵士の足元に魔法陣を出現させ、光の柱で身体を貫き、一瞬の内に殺した。

「私の言うことを聞かなければこの土地すべてを焼き払ってやってもいい、この程度の国、一夜で葬れるぞ。次に串刺しになりたい者は前に来るがいい」

 ウィンスタードがそう言い放つと、兵士たちは戦意喪失したのか、各々持っている武器を捨てて座り込み、降参を示した。

 ガルナはウィンスタードの圧倒的な強さと非情さを見て、何も言うことができず、いまだ唖然としているばかりであった。そして彼がこちらを振り返った時、思わず動揺した。

「行こう、ガルナ」

 あんなにも冷たい態度を兵士たちに示していたというのに、ガルナを呼び掛けた時は無駄に穏やかな表情をしていた。


 兵士寮から抜け出す時、またもや武装した一人の兵士に出会った。

 その兵士はサウルだった。

 彼はガルナの存在を目にすると、いかにも悲しそうな顔をして剣を構えた。

「こんなことになるなんて思ってもいなかった、本当に受け入れようとするつもりだったのに……! それなのに……」

「……サウル」

 ウィンスタードは前に出て魔法陣を構える。しかしガルナはそれを止め、落ち着いた声で言った。

「奴はいい。何もするな」

「……だが」

 ウィンスタードは不服そうな顔をしていたが、ガルナの言う通りに魔法の展開を止めた。

 サウルは剣を構えるばかりで何かしようとする気配はない。いや、したくないのだろう。

 この四年間で最も世話になった兵士なのだから、ガルナ自身も彼には何も手を出そうとは思わなかった。

「サウル、俺たちは必ず天界を討とう、約束する。だからそこを通してくれないか」

 震えながら剣を構えていたサウルは、少し迷った様子ではあったが、苦い表情をさせて剣を手からするりと落とし、床に膝を付いた。そして悔しさを堪えるように拳を握る。

 サウルはそれ以降、うずくまって震えているばかりで動く気配はしなかった。


 ** ** **

 ウィンスタードとガルナはその後すぐに兵士寮から出て、ディレクトリアの城下町から抜け出した。

 ディレクトリア王国による幽閉が、四年の歳月を経てようやく終了したのである。

 二人は国境を越えるまで言葉を交わさなかった。ガルナにはその状況が重苦しく感じたものの、何かかける言葉が見つからない。ただウィンスタードの後ろを追って歩いているばかりだった。

 彼の様子をよく確認することはできないが、何やら先程のような殺伐とした雰囲気は薄れているようだった。


 国境付近はとてものどかだった。足元は、まだところどころに雪が残っているが、草原が生い茂っていて、辺りには清々しい風が吹いている。これほどまでに広い青い空を眺めるのは久しぶりのことだった。

 突然ウィンスタードが歩みを止める。ガルナも同様に歩みを止めると、ウィンスタードは落ち着いた声でゆっくりと話し出す。

「さっきは……酷いものを見せて、すまなかった」

 そして同じぐらいの調子で「あなたが生きていて嬉しかった」と、今度はガルナの方を向いて言った。

 その目付きを見るなりガルナは、先程まで彼に向けていた印象が変わったことを感じた。

 大陸中の軍を率いようとする強い意思を抱くのに相応しい冷酷さを、この幽閉の中で備えたのだ。

 そうでもなければ、あんなにも頑固で高慢な王を敷くことなどできないだろう。

 これが、彼が四年の年月をかけて手に入れたかった力だ。

 ガルナにはそれに感服せざるをえなかった。天界を討つという一つの野望を片時も忘れずに、迷いにとらわれずに、この幽閉期間を乗り越えた彼の成長が嬉しくないわけがなかった。逆に、その一つの野望のために人を殺せる彼を残酷だとわずかでも思えた自分の方が甘く、愚かな存在に思えた。

 温厚な彼の父親とは違う、けれど似たような統率力を感じた。この時世に合った気迫を感じた。ガルナはこの"青年"に従う理由がまた一つ増えたような心地がした。

 だが、それと同時に、彼がそんな人間にならざるを得なかった状況が悔しく思えた。

 彼はきっと、やりたくないこともやっただろう。なりたくない人間に自らなろうと、血の道を進んだのだろう。そしてその道は、彼のこれから先の未来、ずっとずっと続いている。それを彼自身もわかっている。

 すべては自らが決めた目的のために、自らの信条を捻じ曲げたのだ。


 ガルナはウィンスタードの前にひざまずいた。

 そして、一生をかけて従おうということを心の底から示した。

 ウィンスタードはガルナのその態度にやや驚いた様子で、「顔を上げてくれ」とばかり言ったが、ガルナは構わずに言った。

「見違えるほどに立派になった。お前になら、世界の命運を誰もが任したくなるだろう。その気迫は、どの国の王よりも勝る」

 いつもよりも真剣な口調で言い、従者ぶっては見せたが、ウィンスタードは戸惑うばかりでなかなか良い反応をしてはくれなかった。

 彼のその戸惑う表情を見て、自分達は主従でもあるが、家族と呼んだ方が相応しい関係なのだろうとガルナは改めて気付く。この関係はきっと、ランバートと共にいた頃と変わらないものだろうと強く思った。

「そうか……な……立派になったようにみえるだろうか……」

 ウィンスタードは自信の無さそうな声で言った。ガルナは立ち上がって、俯いている彼の頭を撫でる。

「本当だよ。きっと、故郷の人々も、お前の家族も、成長したお前に驚くだろう」

 ガルナはそう優しい口調で言った。ウィンスタードは少しだけ穏やかな表情をさせたが、すぐに悲しいげな表情になって、顔を俯かせる。

 そしてガルナに寄り添った。

 背丈は四年前よりもやや高くなったような気はしたが、それでも細身には変わりなかった。

 とても小さな肩を震わせて、悲しい声で話し出した。

「ガルナ、私は……私は、人を殺したよ……罪のない人までも。こんな汚い手を使う私でも、お前は、皆は従おうと言ってくれるだろうか」

 その時の口調は確かに弱かったが、ガルナはそんな弱音を吐くウィンスタードに少しだけ安心する。彼の心すべてが冷酷になっているわけではない、彼の心に元々ある優しさは失ってはいないということが伝わったからだった。

「……気にするな。目的のために強く生きたお前がここにいることが、一番なのだから」

 そう答えると、ウィンスタードは何か言おうとしたようだったが、すぐに口に出すのをやめてしまっていた。

 ウィンスタードは顔を上げ、潤んだ目をこちらに向ける。

「ガルナ、故郷へ帰ろう」

 かすかに震えた声だったが、彼の表情は今まで見たことないほど、優しい笑顔だった。

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