第7話
自分の信じる世界のためなら、小さな花など惜しくもない
寮部屋の窓の外は、どれだけ時間が経っても、いつもと変わらない雪景色のままだ。時には何も降らず、時には静かに降り、時には一面が白に埋め尽くされるほどに多く降る。雪の降る量が変わったとしても、街の景色も、庭で鍛練をしている兵士もいつもと同じような容姿服装だった。
ガルナは寝具から起き上がり、兵士に指定されてあった兵装に着替え始める。
これは幾月か前に借りた服で、兵士訓練に参加するにはこの国の兵士と同じ格好をしなくてはならない。
兵士訓練とはその名の通り、この国の軍隊の訓練に参加するというものだった。別に強制されて参加しているわけではないが、寮の部屋でおとなしくしているのも自分の体がなまっていくのを感じて仕方がないので、ある訓練兵の推奨を受けて訓練に参加することにした。
若い兵士と混じって剣の稽古をするのはなかなか面白く、新鮮で悪くはなかった。剣術において指導することも指導されることもあった。
それでもこれほどまでに大きな組織に所属することは自分には合わないだろうとガルナは気が付いた。
無理もなかった。ずっとオルストロ邸で過ごしていて、学問所にも訓練所にも通ったことのない自分が、大きな組織に入って多くの人間と親しくするには少し限りがあった。この年になってようやく、自分はよく知らない人間と群れると居心地の悪さを感じることに気がついた。それだけ親しい者のみに付き添って生きてきたことを実感させた。
「俺はあいつに閉じ込められて生きてきたのか」
今まで気付いていたことではあったけれど、最近ふとそう思った時があった。幼い頃にランバートに着いて行ったせいで、自分は見聞の広くないままに年を取ってしまったのだと改めて深く理解してしまう。
それでも別に悔いることはなかった。自分の恩人を恨むことなどありえなかった。
自分はこんな人生を辿ることしかできない宿命だったのだから、幼い頃の決断など惜しくもない。
着替えている最中、部屋のドアが開く音がした。
見ればサウルだった。見た目によらず割と真面目な彼はもう準備を整えたらしく、何か連絡があるようだった。
「今日は朝に会議がある、よって訓練はいつもの時間よりも二時間後になってるから伝えに来た。それとこれが朝飯だ、今日はいつもよりも丁寧な飯だが何だ。お前は厨房の料理人にでも媚を売ったか」
「別に何もしていない、っていうか会ってもいない」
サウルは「ふーん」と適当な返事をさせて、部屋の真ん中にある円卓に料理の乗っている盆を乗せた。
そして鏡の前で着替えているガルナを見て声をかける。
「前も思ったけどよ……お前のその背中の傷――特に、肩甲骨に付いてるだろ? それが訓練所の兵士の間で話題になっててな」
「なんでだ?」
「そりゃあお前。天使は大体背中に羽がついているから……兵士たちはみんな、天界の回し者なんじゃないか、とか言ってるぜ」
くだらないことを……。ガルナは言葉を返す気力もなくして装備の装着を進めた。
「まぁお前は魔力がないから何も危険に見えないけどな。むしろお前の主の方が、俺は恐ろしく見えるけど」
「俺が天使だったら、お前らは今頃俺に殺されているだろうよ」
「ふん、まぁお前が人間でも天使でもどっちだって構わんよ。"おとなしくしとけ"っていうのが上からの命令なんだから、ちゃんとおとなしくしとけよ。そんな時には流石に俺たちも、お前の主がどうなるのかはわからないから」
「あぁ、わかってる……」
本当は幾度かこの寮から抜け出して、ウィンスタードを助けに行こうかしていた時もあった。それでもここにいる人々の気の良さによってその衝動は収まりつつあった。さらにはサウルが度々彼の安否を伝えに来てくれるから、やがて助けに行こうという気力も無くなっていったのだ。自分が下手なことをすれば、逆にウィンスタードの身に危険が及ぶかも知れないのはちゃんと心得ているつもりだった。
「――あぁ、そうだ。今日もお前の主は書庫で勉強だと聞いた。一応、それも伝えようと思ってな」
「……そうか」
生返事になってしまったが、サウルの言葉はしっかりと耳に入っていた。むしろそれが残ってしまって、ぼーっとした思考の中、ふとウィンスタードのことを思い出させる。
ディレクトリアに捕まってから、二年が経つ。
今まで関わってきた人々からはとても親切に接してきてくれた。あんなにも汚い考えを持つ王が統べる国の民だというのに、そしてこちらは王に捕らわれた身であるのに、これほどまでに優しい対応をされるとは思ってもみなかったから随分驚いたのだが、心の荷が少しだけ軽くなるような気持ちでもあった。
だが幾月が過ぎようとも、この国がまともに見えてくることはない。国の人間たちはいつも変わり映えなく、何か変化が起こるわけもなく、ガルナにはそれがより気味悪く感じる。あの小賢しい国王がいる限りこの国を良い国だと思えることはまずありえなかった。
どんなに庭の外を覗いてもウィンスタードの姿を見たことはこれまで一度も叶っていない。
彼の姿を見ることがあるのは、今までずっと見てきた予知夢の中だけだった。兵士、盗賊、そして天使に殺される彼を見るのが大半であったが、時には自分で彼を殺す夢を見た。
そんなむごい夢を見た朝には気分が悪くて、起床時間になっても起き上がることはしなかったが、いつしか彼の予知夢を見ることは、彼はまだこの世に生きているのだということに気が付いた。
だから警備兵のサウルにウィンスタードの安否を伝えてもらうよりも安心できる種となった。
滅多にないことだが、逆に予知夢を見ない日があれば、その日はずっと憂鬱に過ごした。
ガルナにはそれがどうしても悲しく感じる。
ウィンスタードの死を見ることが、自分の心を安堵させられる種となってしまうことが嫌で仕方なかったが、どんなに乞おうとしても無くなりはしない死の不安という苦しみから逃れるために、そんな意思へ勝手に向いてしまったのだろう。
人でなしだ、とガルナは自嘲した。
今この瞬間でもウィンスタードの死の予知は続いている。
しかしその予知の存在で彼が生きていることを感じる。
それだけで、離れていても救われている気持ちになった。
** ** **
「そなたに戦場へ来てほしい」
ハドレニアはいつもの怪しく微笑んだ表情で、それでも真剣な眼差しでウィンスタードに告げた。
以前からも彼から戦場へ来いとは言われていたが、今日はやけに改まっていて真面目に頼んでいるふうに感じた。
違和感を抱いてしまい、ウィンスタードはハドレニアに向いていた視線を、手に持っている書物に戻す。
「私が戦場へ行って、何になるという」
「そなたはもうこの国の魔術をすべて吸収してしまったではないか。その能力を一体いつどこで発揮するつもりだ?」
「私は人間と人間との戦などに魔術を使うつもりはない。私の魔術は天界と戦うためにあるのだ」
「それならば尚更ではないか。そなたは戦を知らずに天界と決戦を挑もうというのか?」
ウィンスタードはその言葉に一瞬だけ言葉を失う。視線を本からハドレニアに向いて睨んだ。
沈黙の隙にハドレニアはまた説得をしはじめる。
「戦を知れ。戦がどういうものかその目に焼き付けてから、天界との決戦を物語るがいい。それでも来ないというならば――」
「もういい」
ウィンスタードは言葉を遮った。そして読んでいた本を閉じて、椅子から立ち上がる。
――それでも来ないというならば、お前の従者がどうなっても知らない。
ハドレニアはそんな風なことを言いかけたように感じた。元よりどんなことでも脅しにかけられた時にはちゃんとハドレニアの言うことに従っていたから、ウィンスタードは渋々承諾の意を告げる。
「怪我人の救護ぐらいはしてやろう。だが戦闘には参加はしない」
その言葉にハドレニアは喜んだように言う。
「いいや、きっとそなたも戦をしたくてたまらなくなる日も来るだろう。だが来てくれるというならありがたい、こちらもそなたのために、強固な陣地防衛と精鋭兵士の派遣に勤めよう」
彼が言い終わった時、書庫の出入り扉が開く音がした。
向いてみると、そこには薄緑色の高貴な服を着飾った少女がいた。閉じているので瞳の色はわからないものの、ハドレニアと似たような髪色をしている。
親族だろうか、そう思った時に少女は鈴の音のような美しい声でハドレニアを呼んだ。
「お兄さま、お兄さまどこ?」
少女は細い手を空中に伸ばしながらハドレニアとは違う方向にゆっくりと歩く。しかし、壁に当たって立ち止まってしまい、そのまま動けなくなってまたハドレニアを呼んだ。
その姿を見て、すぐに彼女が盲目であるとわかった。しかも纏足であり歩き方もぎこちなく、すぐに床へしゃがみこんでしまう。
ハドレニアはすぐにそばへ行き、弱々しい彼女の手を取る。そしてこれまで聞いたことのないほどに優しげな口調で声をかけた。
「ここだよ、フィルノレア。一人で書庫へ来たのかい? 危ないだろう」
「うふふ、だって早くお兄さまの作ってくださった石板を返したくって」
フィルノレアと呼ばれた少女は手に持っている一般的な書物と同じぐらいの大きさの石板をハドレニアに差し出した。
石板の平たい面には文字が彫られている。
「もう読んでしまったのか。本当に君は勤勉な王女だ。また続きを作ってあげよう。……しかしもう私のことをお兄さまと呼ぶのはやめないか、婚約者だろう?」
そうハドレニアは言うと、フィルノレアは顔を赤らめてうつむいてしまった。
ハドレニアはウィンスタードの方を振り向き、フィルノレアを紹介しはじめた。
「私の婚約者だ。実の妹でもあるが、な」
「確かこの国の王家は近親で子孫を残すと聞いたが……」
ハドレニアは頷き、フィルノレアの髪に頬を寄せて言う。
「あぁそうだ。我が王家は純粋な血を持って生まれる。だからこそ、早く死ぬ者がいるが、大昔から続くこの神聖な血に他人の穢れた血を混ぜることはできない」
地方異民族が純血をせねば子孫を残せぬ環境にあるのはわかるが、王家が好んで近親婚をするなど西国では聞いたことがなかった。西国の各王家は通常、他領の王族や貴族の娘を嫁にとり、他領の家との関係を強く結ぶ。実際、ウィンスタードの母親もヒキルシルカ領という領地の領主の娘であった。
「あなたがウィンスタードさま?」
フィルノレアは手を合わせて、無邪気に笑った。
「宮殿の下女たちが噂しているの。とてもうつくしい魔術師さまがこの国に留学しているって。この国はたくさんの本があるでしょう? わたしもいろんな本が読みたくて、お兄さまに石版を作ってもらったり読んでもらったりして勉強しているのです」
ウィンスタードはこの国では留学生扱いとされていた。確かに表向きは、他領から学問をしにきている魔術師というふうに見えるだろうが、実際は幽閉だ。さらにはガルナを人質として扱われているため、たかが留学生などという平穏な立場などではない。
おしゃべりな王女はまた話を続ける。
「ここはとってもいい国でしょう。朝には小鳥が歌ったり、雪はさらさらしていて冷たくて、下女も兵士さまもお兄さまも、みんなやさしくて暖かいの。ウィンスタードさまもきっと、さみしいことなんてないわ」
彼女から出る詩人めいた言葉はあまりにも世間知らずで無垢に感じた。
この国の真実の一つも知らない、知ることのできないその盲目の少女が、何とも哀れに見える。ウィンスタードは彼女の言葉に耳を向ける気力も失せていた。
「フィルノレア、書庫は冷えるからもう部屋に戻ろうか。石版を置いたら連れてってやるから、外で待っていなさい」
ハドレニアはそう言うと、フィルノレアを書庫の外まで連れて行き、彼女を扉の前に待たせてから、返された石版を元の位置へと戻しにまたこちらへきた。
ハドレニアは石版を入れる本棚を探しながら、ウィンスタードに話しかける。
「フィルノレアは私がこの世で最も愛する女だ。私が戦いたい理由は、きっと、彼女のためでもあるような気がする。……愛する者のために戦いたいのはお前も同じだろう。自分の愛する者を阻む者を駆逐したいという気持ちは、私と同じはずだ」
「……それでも人間を殺す理由がわからない」
「それではお前は、お前の愛する者が人間に殺されそうになってもそんなことを言うのか? 自分が殺されそうになる時でもいい。そんな事態になったとしても、同族は殺せない、など戯言を言うか?」
以前、オリヴィア領の森で殺した男たちを思い出す。あの時に飛び散った血しぶきが脳裏に鮮明に映って思わず吐き気を催してしまったが、耐えて答えた。
「……そんなのは仕方ないことだ……しかし、歴とした正当防衛だろう」
「正当防衛? それならば我々も正当防衛を行っているようなものだ。武力を持つ国は、我が国、我が婚約者を殺そうと企んでいる輩であると考えても相違ないだろう。私は攻撃を仕掛けられる前に仕掛けているまでだ」
そんなのは早とちりだ、無差別だと言っても過言ではない。
ウィンスタードは心の中でそう思った。
何か言葉を返そうと思い口を開こうとするも、ハドレニアに先を越される。
「そなたは攻撃を仕掛ける前に仕掛けられた。ただそれだけだ。ただの哀れな小僧だったのだ。この時世、一つの損害も受けずに生き延びた者が、最も賢い者だと思わないか? 今この世で最も価値のある行動とは、どんな手段を使ってでも領土を広げて、愛する民や家族を潤すことなのだよ。……きっとお前にも分かる日が来よう」
石版を元の書棚に戻したハドレニアは上機嫌で書庫から出て行った。
ウィンスタードは彼の言った言葉を心の内で強く否定しつつ、再び静寂を取り戻した書庫の中で、天界の象形文字を解読するのに集中し始めた。
** ** **
翌々日、ウィンスタードはハドレニアに着いて遠征へと出掛けていった。
遠征の場所はディレクトリア領地から南に位置する異民族の住む地域であり、岩や瓦礫がごろごろと転がっている荒野である。草木は一切無く、砂が目に入りそうになるほどに風が強い。広い荒野に多くの兵士が並んでいたり、陣地拠点を張っている様子を見てようやく戦場へやってきたことを実感させる。
ディレクトリアとは違った環境を見るのはまさに二年ぶりであり、ウィンスタードは自分がどれだけ宮殿の中に閉じ込められていたのかがよくわかった。
拠点に着くとハドレニアは馬から降りて、テントの中へ入り込む。テント内のすぐそばにはこの陣地の守護を任せられている分隊長の兵士がうやうやしく敬礼をしていた。
「このような砂だらけの陣地に来てくださるとは……王の寛大さに、兵士たちの士気も高まることでしょう」
「期待しているよ。それと防御には念をいれてほしい。何せ今日は見学者がいるのでな」
分隊長の兵士はハドレニアの後ろに着いているウィンスタードに目を向ける。しばらく不思議そうな顔をしていたがすぐに宮殿に来ている留学生だと気付いたようで、また一つ敬礼をする。
留学生――勉学をする者は知識人であるから、魔術師以外の兵士からは宮殿でもよくへりくだった態度をされていた。
兵士は作戦会議に使う長机の前に椅子を置いて、座ることを促す。さらには一杯の白湯を出してきてくれた。
「戦況はどうだ?」
ハドレニアは白湯の入った器に指を当てながら兵士に尋ねた。だが、ハドレニアはもうすでに余裕の表情をさせており、兵士などに聞かなくとも本当はわかっているということが何となく目に見える。
「はい。昨日にかけて敵は猛攻撃を仕掛けていましたが、西部二班の合流により鎮圧に成功いたしました。いまだ攻撃は止んでおりませんが、相手の軍勢も減っており、三日後にはほぼ壊滅させることができるかと」
「ほう、そうか。昨日来れば良かったな、楽しいものが見られただろうに」
「そんな……王を危険に晒すことなどできません」
分隊長の兵士は真剣な眼差しで言った。ハドレニアはそれを笑い飛ばしながら軽快に言う。
「お前は私の魔術を愚弄する気か? あんな異民族ども、私の敵でも我が軍の敵でもない」
分隊長の兵士は慌てて謝罪をする。
「こ、これは失礼なことを申し上げました。そうですとも、我が王に楯突ける敵などいないことは、確かでございます」
兵士はまたかしこまって敬礼をした。
ウィンスタードは白湯を口に含ませながら、陣地の地図に目を向ける。
こちらの陣地には東と西とその中央の三つだけ拠点が張られており、どうやら一番大きい陣地はこの場所の中央拠点であるようだった。ここにはちゃんとした救護班――魔術医師、看護師、さらには万全の医療品が揃っているという。さらにはこの位置から、一万歩ほどの距離まで飛ばせる遠距離の魔術砲台もあるらしい。
敵の拠点は九つほどあったのに対して、こちらの陣地側の方から六つも制圧の印が押されてあった。
この戦場の地図をみて、誰がこちら側の勝利を思わない者がいるのだろうか。ただの地図という紙を見るだけで、それがあまりにも確実的に見えた。
これは兵士、医療、魔術、兵器、作戦、陣地配置、すべてが完璧に揃っている、完璧な戦争なのである。
「申し上げます、隊長。たった今、敵兵を三人ほど捕獲して参りました」
テントに他の若い兵士が入ってくる。装備を見る限り、分隊長の兵士よりも階級の低い兵士に見えた。
若い兵士はハドレニアがいることに気付き、咄嗟に敬礼をする。
「さて、捕虜をいかがいたしましょう。情報を聞き取るのが得策かと存じますが……最後には王の判断にお任せいたします」
「ふむ……」
ハドレニアは顎に指を当ててしばらく考え込んだ。敵兵士の捕虜がどうなるのか何となくわかるものの、彼のその表情から何か一種の企てがあるかのように感じる。
ハドレニアはウィンスタードに向いて提案をした。
「今日は戦の見学者がいる。敵の捕虜がいかなる運命を迎えるのか、是非とも見せてやろうではないか」
その提案に、ウィンスタードは抗議をする。
「私が手を貸すのは救護だけだ、それ以外のことは一切関わりたくない。……捕虜の治療を行うのであれば手を貸してやらないこともないが」
「勝手にすればいいさ。異民族の捕虜など何の使い勝手もないことが今にわかる」
ハドレニアは椅子から立ち上がり兵士とともにテントから出た。
何とも気が進まなかったが、ウィンスタードもその後を追った。
テントの外は騒がしく、暴れまわろうとする捕虜を止める数人の兵士の姿がある。
異民族の捕虜は浅黒い肌をした毛むくじゃらの大男ばかりで、とても同じ人間のようには見えないほど醜い外見をしていた。
捕虜たちは吠えるように叫びながら、兵士に力づくで取り押さえられている。
そこにハドレニアが近寄ってきて、捕虜たちを魔法による光の縄で縛り上げて動きを封じさせた。捕虜たちは暴れまわることはなくなったもののうなり声をあげたり叫んだりするのは絶えない。
ウィンスタードがその光景にあっけにとられている様を見ながらハドレニアは目を細めて嘲るように言う。
「異民族の中には会話をすることもできぬ者がいる。そんなのは人間とも似つかぬ、ただの野蛮な獣だ。すでにこの地の異民族は、このような低能ばかりらしい」
殴られ頭から血をだらだらと流し、苦しみもがいている捕虜の男たちを見て、ウィンスタードは眉を寄せた。
こんなにも乱心していて目を血走らせている様子を見ればわかる通り、彼らからはひとつの情報すらも得られないだろう。今からこの捕虜たちは処刑されるのだということを確信すると、ウィンスタードはこの場にいることが嫌になり、救護班のテントに向かおうとした。
しかし、ハドレニアに手首を力強く掴まれ、歩みを止められる。彼の表情は思わず動くことを忘れてしまうほどの恐ろしさと冷たさがあった。
「目をそらすな。彼らの末路をその目に焼き付けろ。たったそれだけのことをできぬお前ではなかろう。それともお前はただの臆病者か。いや、偽善者か?」
ハドレニアのその物言いに怒りを感じたが、彼を睨みつけるだけで必死に抑えた。
黙って捕虜の方を向くと、ハドレニアはこちらの手首を掴んでいた手を離す。
人が死ぬ様は見たくない。既に事切れている死体を見るよりも簡単ではない。
ただとにかく、ハドレニアの気に障るようなことは避けたい。ガルナのためにも、自分のためにも……。
捕虜たちは兵士たちに首を斬られていった。
しかし、最後に残った三人目の捕虜にとどめを刺す寸前でハドレニアが手を差し出して止めに入る。
「ウィンスタードよ。最後にお前がこの捕虜を処せ」
その言葉にウィンスタードは心臓が跳ね上がりそうになったのを感じた。
抗議をするのは無駄な抵抗であったが、それに気付いたときには思わず反論をしてしまっていた。
「な……なぜ? 私はそんなことをするためにここに来たわけでは――」
言い終わりかけた瞬間に、ハドレニアは冷ややかな目をさせて強い口調で言った。
「やれ。それだけで、この国の民もお前の愛する者も救えると思え」
「……」
自分の手をさらに汚さねばならないその屈辱に激しい悔しさを感じる。
しかし、今の立場ではハドレニアに従うことこそが得策になってしまう。ウィンスタードは仕方なく、捕虜の前に立った。
最後に生き残った捕虜は、同胞を殺された悲しさから涙を流していた。表情も悔しそうに唇を噛み締めている。よりにもよって、仲間を殺されるのを見てから、最後の最後に殺されるその絶望感が、痛ましいほど伝わってくる。
その様子が、自分の過去と重なって見えてしまい、しばらく動けなくなった。
この捕虜にも家族がいるのだ。
そして自分の知らない内に自分たちの領域が侵され、家族を殺され、滅ぼされるのだ。
捕虜の男は顔をうつむかせながら口を何やらもごもごと動かし始めた。うなっていた声も止み、先程とは違う様子になっていることに気付く。
どうしたのだろうと思い、ウィンスタードはその様子をしばらく見ていた。
すると突然捕虜の男が顔を見上げ、口から針のようなものを勢い良く吹き出す。
吹き出された長い針は、ウィンスタードの方を狙っていたものの、耳のそばを通っていき、運良く刺さらずにすんだ。
だが、その針は後ろにいる兵士に命中する。兵士は自らに刺さった針を咄嗟に引き抜いたが、すぐに心臓を抑えながら倒れた。
――毒の塗られた針だ。
捕虜の男を見れば、毒針の当たった兵士のように苦しみもがいている。
「早く殺せ!!」
ハドレニアが叫ぶのが聞こえる。
ウィンスタードは無意識に詠唱を唱えていた。まるで意識が遠のいているように、何も考えることができなかった。以前に森で数人の男を一度にすべて殺したときと同じような感覚がそこにあった。
捕虜は一瞬の内にして、光の柱に額を貫かれた。
枯れた地面に捕虜の額から吹き出る血が染み込む。
あんなにも乱心していた捕虜は、今ではぴくりとも動かず、気が付けばあっけなく事切れていたのである。
毒針の当たった兵士が、回りにいる看護師や兵士に救護班へ連れていかれる。残りの兵士は捕虜たちの無惨な死体を片付けていく。ハドレニアは分隊長の兵士とともに拠点のテントに戻る。
ウィンスタードは放心状態となり、しばらく荒野に立ちすくんでいた。
人を殺すことが、以前よりもいっそう容易になっているのを感じた。
これは自分の力が強くなったためだろうか、それとも人を殺すことに慣れてしまったためだろうか。
いろんなことを考えていたが、どうしても頭が働かなくなり、答えの出ないまま兵士たちが動いているのを見つめていた。
これが本当の戦争の姿。
自分が四年も大陸を巡り、二年も他国の魔術を学んでまで起こそうとしているものの実像だった。
** ** **
一週間後には荒野全体に広げていた拠点を片付けて、帰還の準備をしていた。
占領した領地の統治を行わせるため、ハドレニアは兵士たちに地方統制の指示を告げてから、ある程度の人員をその場に残した。そしてすぐに、城下町から職人や官吏をこの地へ送らせようという予定になった。そのため、異民族の敵兵をすべて処刑したあとに、集落にいる女や子供、老人たちを捕虜として捕まえて武器を回収し、彼らを労働力として服従させようとした。
広い居住区域を持っていた異民族の領地を二週間たらずで植民地として取り込んでしまう軍の力には驚きを隠せなかった。
まともな連絡手段もないこの時世では、連れていく人員一人一人がどれだけ状況を把握できるかで戦争の動きは変わってくるだろう。無駄な動きをする者がいれば無駄な損害や時間が増えるが、その時点での状況を全員が把握していれば、連絡手段がのろしのみであろうとも、それぞれがその場に合った動きをしてくれる。
ウィンスタードはこの軍の力を欲した。ただ一言に、自分でこの軍を指揮してみたくなったのだ。こんなに優れた軍を動かせれば、天使の軍勢にも抵抗できるのではないかと思った。
指揮はできなくとも、最高指令官であるハドレニアに、天使の軍勢と戦ってみてほしかった。
実に人間などに振るうには惜しい力なのだ。
それでもハドレニアは頑なに天使と戦うことを拒んだ。ウィンスタードは今までも、「その力を天使に使えばいい」と彼に言い続けたというのに、いつものように「我々人間は、天界に抗う立場ではない」とばかり言い返された。
ハドレニアが天使と戦うことを拒む理由としては、彼は天界を敵視していないからだと考え付いた。
彼らを悪として見ないのも無理もないだろう。
なぜなら、魔法という技は天界から授けられたものだからだ。
魔法を手にするには類まれない才能と努力が必要だ。実際、この大陸は魔法を使える者がごろごろといる世の中ではない。だからこそ民は魔術師という神々しさに惹かれ、魔術師を崇め、共に生きようとする。
確かな権力を握れる魔法という技術に、ハドレニアが依存するのも理解ができる。
このことから、ハドレニアは天界に感謝をしているのではないかと感じた。感謝といっても、無意識的な感謝だろう。
いくら質問を重ねても口に出すことはなかったからあまり聞くこともなくなったが、国民が天使に殺されたという情報が宮殿に入っても、ハドレニアを含め臣下である魔術師たちも何の対策も始めようとしないから、この国の政府が天使に興味を持たないのは明らかだとわかった。
それでも彼の力が欲しい。
しかし、どうすればいいのだろうか。
ウィンスタードはふと、自分がなぜ天界を討とうと旅に出たのかを考えた。
もちろん、家族や同胞が天使に殺されたから復讐として立ち上がったのだ。
いまは亡き愛する者たちの無念を晴らすことができれば自分はそれで満足なのだ。大陸の平和も惜しいが、自分には家族や同胞のことが第一に大事だった。
大切な人が殺されたから、その復讐をする。それが成功しても失敗しても関係ない。憎き天界に足掻けるだけ足掻くことに意味がある。
至って単純な思考だ。むしろ何の捻りもないつまらない愚考だとも言える。
しかしそれが人間というものであり、人間の心には譲れない成分だと思える。この世にいるすべての人間の思考は、知性が有るか無いかとは別に、根本的な部分でもっと単純にできているのだ。
それでは権力に溺れる者も単純ではないか?
ハドレニアも、王と呼ばれても、魔術を心得ていても、権力を得たいという単純な思考をする単純な人間なのではないか……。
その時、ウィンスタードは自分の心が邪悪に染まったのを感じた。
それでも、自分は単純な考えをする単純な人間の一人に過ぎないが、他の人間――ハドレニアよりも上手であるとこの時点で自負してしまっていた。
そしてその単純な考えから出た計画の実行へと移った。
** ** **
正直その計画の実行には躊躇いがあった。
しかし日を追うごとに、その躊躇いは消え去り、ただ一真にハドレニア王の持つ強力な軍隊を手に入れることを考え始めるようになった。
自分は旅を始める前に、目的のためならどんな手を使っても致し方がないということを決めたではないか、もう人間を幾人か殺したこの手を汚すことに何の引け目があるのだ。
遠征から帰還してからも、ハドレニアから頼まれた〈天界之書〉の後ろに記されてある象形文字の解読に勤しんでいたが、ウィンスタードはハドレニアの軍隊を手に入れたくてたまらず、一度本を書棚にしまっていた。
ハドレニアの強力な軍隊を手に入れるのは、至って簡単なことと見えた。単純な人間の彼にはよく効く行為だろう。
――自分が天界と戦おうとする気になったほどの経験を、彼にもさせればいいのだ。
たったそれだけで、ハドレニアは天界を敵視する側に傾く。
誰よりも妹を、婚約者を愛する「人間」である彼ならば。自分と同じような、単純な考えを持つ「人間」ならば……。
ウィンスタードは自分の心がより冷酷になっていくのを感じた。
もしガルナがそばにいてくれていたなら、きっと自分はこの愚者への道を歩かずにすんだのだろう。
それでもウィンスタードは自分で自分を止めることは、あえてしなかった。
ハドレニアの軍隊を手に入れ、この国から解放される日へ近付き、またガルナと会えることができるのなら、自分の心がどうなろうともどうでもよかった。
秘密の散歩へと誘われ、誰もいない城の端の方をウィンスタードと共に歩くフィルノレア王女は、常に期待感に満ちた表情をさせていた。瞳は閉じていても、その綻んだ顔からは胸を躍らせている様子が見てわかる。
「ウィンスタードさま、これからどちらに向かわれるのですか」
フィルノレアは小さな声で尋ねる。
ディレクトリアに初めて来た時とは違い、ウィンスタードは城の敷地内の一定時間の散歩は許されていた。しかし夜の外出は許されておらず、はたまた纏足のか弱い王女を連れ出すなどもってのほかであったが、ウィンスタードは記憶隠蔽の術を使いながら兵士や下女たちの監視を押しきって、宮殿の外へと出ることができた。
「美しい自然をあなたに見せたくて。……なに、触れるだけでよいのです、聡明なあなたには、きっとあの美しい景色を胸に映すことができましょう」
彼女に聞こえやすいように耳元で囁くと、王女は一瞬驚いたようで、顔をうつむかせて口を紡いだ。
フィルノレアの手をとりながらしばらく歩いたあとには、美しい花が咲き乱れる花畑に着いた。周りは大きな木が佇んでいて、誰かの目につくことはけして無いものに感じる。
そしてここから一番近い場所にいる天使を知ることは容易いこととわかった。
「これが大地の上に自然に咲く花です」
フィルノレアの手をとり、地面に咲いている小さな花に当ててやると、彼女は満面の笑顔になる。
「まぁ……花瓶にさしていないのに、こんなに力強く咲いているなんて……とってもすてき」
「周りにはもっとたくさん咲いていますよ」
しばらくその花畑に居座っていると、ウィンスタードはフィルノレアの手をそっと離して立ち上がり、周囲を確認した。
――天使がこの周囲にいる。
やけにおどろおどろしい魔力の気配が、この身体中に射すようにして伝わる。
「ウィンスタードさま?」
手を離されたフィルノレアは、不安そうにしてこちらの名を呼ぶ。
そしてまた彼女の手に触れながら、穏やかな口調で伝えた。
「大丈夫です、周りに誰かいないか見てくるだけですから。少しだけ待っていてください」
まだフィルノレアは不安そうにしていたがそれ以降は何も言わずに花畑の上でしゃがみこんだ。
ウィンスタードはフィルノレアから離れる時、彼女にひとつの簡単な魔法をかけた。
その魔法により、彼女から微力な魔力が放出し始める。
先程から周りでうろつくおどろおどろしい気配は、きっと〈穢れ〉に狂った天使のものだろう。
そんな〈穢れ〉にとらわれた知性の無い天使だからこそ、魔力を放っている者に目掛けて襲いに行くと考えられる。
ウィンスタードはそのまま、宮殿へと戻っていった。
帰るまでの道のりの中、罪悪感はなかった。兵士に見つからないようにしなければならないという配慮をしていたからという理由もあるが、人を殺す時と同じように、無意識で何も感じない虚無感に囚われていたのである。
そのぼんやりとした感覚の中でも、しっかりと足跡や証拠はすべて消した。
さらには道端に落ちていた天使の羽根を広い、宮殿の玄関口に置いた。
自室へ近づくにつれて、先程までしていた行いがどれだけ残酷なことか分かり始めた。
緊張と罪悪感がようやく生まれ、体が震えてくる。あんなにも酷いことを、冷静にやってのけた自分がたまらなく恐ろしかった。
床へ着いても落ち着かず、何度も外の景色を眺めるために窓を覗いた。
明日の朝にはきっと王女は殺されていることを信じてやまない。
彼女が死ねば、自分はこの国の軍隊を得ることができるかもしれない。すなわち天界と戦える大きな戦力を得られる一歩となろう。
この国の軍隊の力が合わされば、天界の侵略から守れるかもしれないのだ。
もはや一人のか弱い犠牲など知ったことではない。
まとわりつく冷や汗はたまらなく気分の悪いものだった。静かで冷たい部屋の雰囲気も不気味に感じて仕方ない。
ウィンスタードはまるで悪魔に覆い被せられているように、邪悪で苦しい長い夜を過ごした。




