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SALVADOR  作者: れのん
前編
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第5話 

鳥かごに囚われるは非力な存在

 ウィンスタードは幼い頃、屋敷にいるたくさんの小間使いたちに「神童」と呼ばれた。

時には遠い街、遠い国から、その俊才ぶりをその目で確かめるために国家魔術師が屋敷へ訪ねてきた。 またある者は浄化を施してもらいに、天候を読んでもらいに、占いをしてもらいに、一人の少年のもとに人々が集まった。十歳にもなっていない子どもであったが、その対応は大人びたものだったし、他人からの期待も大きいものだった。

 やってくる国家魔術師には時折、国の運営する学問所に入ることを勧めてくる者がいたが、ウィンスタードはそれにあまり興味を示さず、そして父親であるランバートも息子の意思に従って、王都には連れていかなかった。

 自領の国家と親しい関係を持っていなければ、上級貴族であったとしてもこの意向は国家魔術師の前ではあっけなく背かれていただろう。

 ウィンスタードはとにかく生家を離れることをためらった。そのため、より発展した学問を学びたいという純粋な好奇心も捨てた。捨てたというよりは、諦めたと言った方が良いかもしれない。たとえ多様なことが学べるとしても、その力を王都に捧げるのではなく、家族を守るために使うことの方が先決であると思った。

 だが、そう心に決めていたとしても、天使に敵うことはできなかった。家族を守るために家に留まることで、より発展した学問を捨てたために、家族を守れなかったのだ。


 ウィンスタードは、四年が経った今でも、その懺悔が毎日のように繰り返された。

 自分は本当に王都で勉強をして、力をつけるべきだったのだろうか。それともあのまま生家で過ごすことこそが最良の選択だったのだろうか。

 しかし、いくら自問自答しても、その答えはわからない、知れる術はない。

 今わかることといえば、自分は非力な存在だということだった。四年間も故郷を離れて、時折天使と戦い、人間とも対立をした。確かにその経験によって家にこもりがちだった時よりもずっと強くなれたと自覚はできる。

 それでも我々が相手にするのは天界。人間の住まう地上界を造った偉大なる存在。大陸を旅した程度で培われる力など、いまだ微々たるものである。


 必要なのは知識だ。

 天界と戦うための知識だ。

 自分に国家魔術師の習う学問を身に付けていれば、これほどまでに焦ることはなかっただろう。

 ウィンスタードは心の底から、幼い時の、まだ甘い考えしかできなかった自分の決断を悔やんだ。

 そして更なる知識を欲した。


 大陸にはびこる数々の国を巡り、とうとうディレクトリアという大国への訪問を行おうとしていた。

 今まで巡っていた国の大きさを遥かに超えるディレクトリアは、巨大な軍隊と豊富な魔術の知識をもつと評判である。その名は西国へも轟かせており、影響力は強い。しかし中身がどういった国かは、外面だけではなかなか探ることはできなかった。

 どんなに調べようとも考えようとも、「ただ魔術師の強くて領土の広い大陸最強の国」としか特徴を見いだせないのだ。もしかしたら探ることのできないような仕様なのだろう。こんなにも大きな国だというのにあまり目立った特徴を見いだすことができないのは、一切の情報を漏らしたくないという意図があると考えられる。

 関所を越えると、国民と見受けられる者はいても、行商人や旅人は一人もいない。舗装された道があったとしても行商人が通りやすい幅の広い道路ではなかった。

 この領地の特色を見るに、貿易をせず他の国と関係を持たない中立国家なのではないかと一度は思える――だが中立国家では、大陸で一番大きな国を保たせていくことはできない。だからこそ他の領地へ侵略し、そこで得た資源を自国の蓄えとする。そして必要なものを必要な分だけ生産する。

 つまり、この国も侵略国家なのだ。この時代は特に国の内情よりも、どれだけ世間に権力をとどろかすことができるかが重要視されている。

 ウィンスタードにとって侵略国家ほどばかだと思える国はない。やはり元が貴族であるためか、どうしても穏健な生活を持つことこそが最良だと考えてしまう。

 国民すべてが平和に暮らせるにはどうすればいいのだろう。そのためには武力をもつべきなのか。武力を持ったために敵が更なる力を持ってしまえば、こちらも対抗する力を持たざるをえない。こうした連鎖が重なって、ついに人間と人間で殺し合うのだ。

 誰かが絶対的な力を持ち、それを行使して世界をまとめない限り、争いのない平和な世界など訪れるわけがない。

 地上に現れた神だとか、誇り高き救世主だとか称されるような、誰にも越えられない超人がいれば、大陸には争いも起こらなかったし天界の侵略もなかっただろう。

 疲れているからかふとそんなおとぎ話のような妄想をしながらも、大国ディレクトリアの王都への道を歩いていた。

 しばらく歩いていたがなかなか王都にたどり着くことができない。

 気が付けば空も暗くなりかけていて、冷たい風が吹いている。

 北の方向を見ると、それほど遠くないところにディレクトリアの王都が見える。山の頂上に城を建てて、そしてその斜面に街を並べているような高い位置にある王都だった。城に住まう王は、あの位置から街や大陸を見下ろしているのだろう。

 城が見えているにせよ、辺りも暗くなってきたことだしこれ以上歩くことはできそうになかった。

 道の脇に並ぶ林の向こう側を見ると小さな川があった。川の中には小ぶりの魚が悠々と泳いでおり、早速魚を捕らえて付近に焚き火を敷き、軽い夕餉とした。

「もしもディレクトリアで兵の協力を得られたなら、その頃はクェリシスカ領へ帰ってもよい時分だろう」

 火に焼かれていく魚を見つめながら、ウィンスタードは呟いた。

「そうだな……そういえばだいぶ長いこと旅をしていた。だが、もういいのか? どうやって協力してくれる兵を集める」

「クェリシスカ領へ戻る際には、通る関所すべてに徴兵の申し紙を貼る。それと関所での宣伝だけではなく、使者も多くつかわそう。そろそろセゼル地方も復興が完了して安全だと言うから、馬車を使えば自領までは十日ほどだろう。帰ったならば、ギルミナ帝国に砦を建てることをお願いする。そこへ各国の兵士たちを滞在させる」

 今までガルナに言ったことがない考えであったし、いまだこれの欠点の対処を考えていないうえでの予定であったため、「上手く行けばの話だ」と一言加えて言っておいた。

 説明の直後までは真剣な表情で聞いていてくれていたガルナだったが、しばらくすると焚き火に視線を落として、口元を綻ばせた。

「……どうした?」

 なぜ笑っているのか疑問に思ったウィンスタードはそう問いかけたが、ガルナはまた薄く笑った。

「なに、旅を始める前のことを考えていたら、今のお前は本当に強くなったと思っただけだ。国家魔術師なんかよりもずっと広い視野、強い魔術、強い意思を持っているんじゃないか。旅に出る前はまでは内にこもりがちで、時々外に出れば庭の隅っこで、一人で本を読んでいるようなやつだったというのに」

 彼のその言い草にさらに口を尖らせていたが、ガルナはまた言葉を続ける。

「いつしか国を建てればいい。お前のその器なら、できるだろう」

「国……か」

 しばらく沈黙があった。

 国を作るなど今まで考えたことがなかったから、なかなかすぐには返事ができなかったのである。

 自分のような存在では、人々をまとめることなどできないとわかりきっていたからだろう。

 苦笑混じりではあるが、少し声を小さめにして言う。

「私は人を統べることのできる、大した人間ではないさ」

「人を統べるんじゃない、統率者というのは人を導くんだ。支配することがすべてじゃない」

「そうであっても同じことだ、私はお前のように強くないんだ。いまだ心の弱い私は、導かれる側の人間なんだ。実際、お前がいなければ私は死んでいただろう。――いや、もっと早くに死んでいたんだ」

 そうしてまた沈黙があった。

 焚き火の火が弱くなったことに気付いて、すかさず木の枝を何本か投げ入れる。

 ぱちぱちと音を立てる焚き火をぼんやりと見つめながら、再度口を開いた。

「お前のような器こそ、私が王の質にあってほしいと思える器なのだが」

「ありえねぇよ、俺はお前よりも幼い頃から、ずっと従う側の人間なんだぞ。ランバートに何十年も従っていた俺にはわかる。お前こそあいつの息子だと、そしてあいつの意思を受け継ぐことができるだろう、ってな」

 ちょうど魚が焼き上がり、焦げない内に焚き火の際から取り出す。

 熱い串を袖にあてて持ち、冷めるのを待ってから身の部分を少しずつかじった。

 最初はこういった簡素な食事になかなか慣れることができなかったが、今では必要な栄養源であり、自分の活力として頂けるありがたい食事なのだと実感していった。

 歩き続けても宿さえ辿り着けないことは普通にあるものだから、野宿という事態になることも普通にある。むしろどこかの街の宿に泊まることができた時が幸運なことなのだ。


 食事が終われば、焚き火をつけたままにして休憩をとることにした。

 大陸の北の地方は寒い地域だ。今の季節も時折雪が降るような時期だったから、余計寒さを感じる。そのため焚き火の暖かさはなくてはならないものだった。

 ディレクトリアの王都がすぐ近くであるため、眠ることはなかった。いつ天使や獣が襲ってくるかもわからないこの状況では、あまり油断はしない方が身のためである。

 東国に入れば、天使と遭遇することも増えて、余計警戒を強めなければならなくなっていた。

 眠らないと心に決めていたウィンスタードであったが、やはり疲労も重なっていることだったので、次第に瞼が重くなる。いけない、と思いつつまた読んでいる書物に目を向けるものの、文字を追うにつれてまたうとうととしてきてしまう。


――だがその瞬間、突然わけのわからない気配が、体中に突き刺してくるような感じで伝わった。


 気配の正体は紛れもなく、人間の魔術師が発する魔力であるということが、ひとまずわかった。悪寒の芽生える嫌な気配ではなかったが、その気配がどこから発している魔力なのか、何の目的の魔力なのかわからない。それが、ウィンスタードをよりいっそう焦らせる。天使でも獣でもない、人間だとしても人間とはどこか違うような、不思議な気配だった。未知なるものだからこそ、底知れない恐れがあった。

 ガルナはまだその魔力がこちらへ近づいているということに気付いていないようだった。

 ウィンスタードはガルナに小声で「何かがこちらに近づいている」とささやいた。ガルナは最初あまりピンと来なかったようだったが、ウィンスタードの言葉を信じ、自身の武器に手を触れて周囲の様子を確認した。

 周囲には草むらがあり、林があり、小川がそよそよと流れている。上を見上げれば青白い月が輝いていて、夜の暗闇を照らしている。

 月の光は川の水に眩しいぐらいに反射していた。水面には強い光が川の流れに沿って浮かんでいる。

 ウィンスタードは何となくその反射した光を見つめていた。

 しばらく見つめていると、川の流れに沿って伸びている光の反射が一瞬だけ流れを逆方向へ変えるように、奇妙に歪んだ。

 その光景を見て、異変が起きることに気付き、はっと息を飲んだ。

 しかし、その時にはもう遅かった。

 紫色に光る魔方陣が、ウィンスタードとガルナを囲うようにして瞬時のうちに足元に描かれていき、魔方陣の描かれた部分から縄のような閃光が飛び出てきて二人を掴んだ。


 為す術もなく、二人はその光の縄に縛られ、地面に伏す。

 突然のことで、状況を把握するのになかなか整理がつかない。

 誰の仕業か、相手はどこにいるのかを探っている最中に、その犯人は現れた。


「ほう……貴様たちが各国で噂されている者共か」

 若く艶っぽい、中性的な男の声が聞こえる。地面に伏されている状態のため、あまり周囲を見られないにせよ、その男以外にも複数の人間がいることがわかる。

「誰だ、お前たちは……」

「我が領土に関所の断りのみでやってきて、よくそんな馬鹿げた質問をできるものだな。貴様のその衣服も魔術も、低俗で野蛮な片田舎で得たものではあるまい?」

 先ほどから高慢な態度で話しかけてくるその男に、ウィンスタードは髪を掴み上げられる。

 そしてその男の顔が視界に入る。

 青白い肌、銀色の長髪。鳶色の冷たい瞳がこちらを見つめる。今まで見たことがないほどに長く尖っている耳が特徴的な高貴な若い男だった。

「貴様の出身地は知らないがな、余は貴様が来るのをずっと待っていたのだ。天界と戦争を起こすために大陸の国々を旅している、愚かな貴族がいるとね……まさか本当にやってくるとは。大した意思の強さだ、誉めてつかわす」

 男は投げ捨てるようにウィンスタードの髪を手から離した。

 ウィンスタードはまた地面に伏せながら、男に質問をかける。

「何のために我々を拘束する?」

 ガルナを見るとどうにか拘束魔法から抜け出そうと必死にもがいているようだった。

 拘束魔法は術者の意図のままに操れる。動けば動くほど拘束の強さも増すだろうし、術者がその気であれば絞め殺すこともできる。無駄な足掻きはかえって危険であった。ウィンスタードはガルナに向かって首を振り、「動かない方が良い」と示す。

「我々は遠征の帰還途中であった、まぁ短期間ではあるがな。その帰りにお前たちを偶然見つけたわけだ、これを逃すわけがない。どうせお前たちが城に行き、余の前にのこのこと現れることは眼に見えているのだから」

 拘束魔法はしているにせよ、どうやらすぐに殺してやろうという気配がない。しかし緊迫した雰囲気はいまだ続いている。

 回りにいる人間は皆、魔術師だ。

 それも国家魔術師だろう。こんな輩の前で、身動きもできずにひれ伏しているとなると、下手な真似をすればいつどの瞬間で殺されるか見当もつかない。


「もう英雄ごっこはやめて、我が国にその力を捧げるのはどうだ? たくさんの書物や装備がここにはあるぞ」

「……何が言いたい」

 ウィンスタードは眉をひそめ、低い声で言った。

「余は貴様の能力を買いたい。天使を瞬時のうちに八つ裂きにできるその能力を、な」

 男は怪しく微笑んだ。

 このような人間がいるのは、何となく予想ができた。無論、そんなものに従うつもりはない。できることならば、この場から今すぐにでも逃げたいところである。だが、多くの魔術師が周りにいる状況の中で取り押さえられていることなど今まで無かったため、無茶な行動はできなかった。

 不利な状況に焦りを覚えるウィンスタードだが、冷静さは失わずに、言葉を返した。

「私の能力を何に使おうというのだ。天使を殺させるか? それとも人間か?」

「貴様が知っていても何の得もなかろう」

「我々の命の保証はあるのか」

「人聞きの悪い小僧だ。我々は無差別に命を取ろうとする連中ではない……だが我々に逆らう時はそれ相応の処罰をさせてもらう」

「……」

 ウィンスタードは迷った。ディレクトリアは大陸で最も軍事力に発展した国だ。つまりは様々な学問が発展している。どのような状況下であれ、大陸最強の国の知識に触れることができるのであれば、自分の力をさらに強くできる手段があるのであれば、国家魔術師たちに幽閉される身でも良いのかもしれないとも思った。

 しかし、それによってどんな危険が伴うのかはよくわからなかった。本当にこの魔術師たちの言葉を信じても良いのかなかなか決断することができない。

「もう一度問うが、本当に我々を殺さないと誓えるか。私だけでなく、その男もだ。できれば一切の危害も不自由もあってほしくない」

 ガルナを指して言うと、目の前に立つ高貴な尖り耳の男がまた怪しい微笑みを浮かべながら答えた。

「それでは人質に取るか。そなたが逆らえば、すぐにでもその大男を殺そう。お互いに勝手なことをすれば、相手が死ぬという条件だ。これならば、余に従わざるをえまい?」

 汚い考えだ。ウィンスタードは心の底からそう思い、男を睨み付けた。

 しかし、彼の命令に従わなかったら、こちらが殺されるというのは明白だった。もしくは自分は殺されないとしても、ガルナの命が危うい。


 それはウィンスタードにとって一番堪えがたい展開となる。

 しばらく考えた末、渋々承諾の一言を告げた。

「……いいだろう。お前に従い、お前の望む道への力となろう」

 その答えに、ガルナは驚きの声をあげる。

「ウィン……!? なぜ!?」

 ガルナは必死にもがくが、国家魔術師の操る拘束魔法の前ではどんなに力を入れようとも解放は叶いそうにない。

 ウィンスタードは拘束魔法から解放されると、すぐに国家魔術師に囲まれ両腕を手錠で繋がれた。

 魔法道具と呼ばれるものだろうか、ただの手錠ではない。魔法を使えなくさせる特殊な魔術効果を帯びているようだ。常に扱っている浄化の魔法が、その手錠を付けた途端に機能しなくなっていることに気付いた。

 ガルナは光の縄に拘束されたまま無理やり起き上げられ、国家魔術師たちが引いていた馬車にウィンスタードとともに押し込まれる。

 車の中は広いものの、暗くて不気味な空間だった。死体を入れる馬車なのか、血の匂いもする。埃やカビの匂いもある。その嫌な空間が、余計二人の間を気まずくさせた。

「……すまない」

 沈黙の中、ウィンスタードは顔を俯かせながらか細い声で謝った。

 今さらながらも、ガルナに迷惑をかけてしまったと、後悔の気持ちが溢れてきた。

 しかし、あの時逃げようとしていたら、きっとどちらも殺されていただろう。

 こうするしか方法が無かったのだ、とウィンスタードは心に言い聞かせた。

「本当に……お前は、突拍子もないことを言う。命がいくつあっても足らないだろ」

 ガルナは呆れたように言った。拘束魔法で地面に顔を押し付けられていたからか、鼻から血が出ている。彼は手が塞がれていたから、ウィンスタードが代わりに血を拭ってやった。

「これからどうするんだ」

 ガルナは低い声でそう問いかける。

「……わからない」

 そしてまた沈黙が訪れた。


 これからどうなるのかわからぬ不安と焦りが、胃のあたりをしこる。

 もしかすれば、先ほどの尖り耳の男の言っていたことはすべて嘘で、王都に着いた時には処刑にさらされるのではないか。それとも奴隷にされて国家魔術師にされるがままになるのか。様々な悪い予想が頭の中に溢れる。

 二人は王都に連れて行かれるまで、一言の会話も交わさなかった。馬車に揺らされるまま、カビと血の臭いのした埃まみれの車の中でじっと、王都へ着くのを待っていた。

 もう少しで着くはずだった王都への道が、こんなにも長く感じられるとは思いもしなかった。


 ** ** **


 馬車の車の隙間から、民家らしき建物が見える。人の姿はあまり見えなかったが、建物にはオレンジ色の灯りがもれていて、人の存在を確認することができる。

 その頃にはごつごつとした道ではなく、舗装された平らな石畳の上を移動していることが、馬車の引く音からわかった。

 王都に着いたことを示している。


 しばらく移動し、車の戸が開かれる。

 紫色の法衣をまとった魔術師たちに馬車から下ろされて、歩けと促される。

 周囲を見渡せば、そこは今まで見たことがないほどに広く美しい石城の中だった。

 宮殿に続いている道の両脇には、魔術師のように見える兵士たちが大きな斧槍を構えてずらりと並ぶ。

 その緊張感のある荘厳な景色に思わず立ち止まっていたが、周りにいる魔術師に「早く歩け」と注意をされる。

 尖り耳の男は周囲にいる魔術師たちに跪かれていた。その高慢な態度から感づいていたが、どうやら権力者であるようだ。ディレクトリアのことを「我が国」とも称していたことだから、もしかすれば国王なのだろうか、自ら遠征に赴く王など非常に珍しい。

 確かに容貌も立ち振る舞いも、周囲にいる魔術師とは至って違う。その不思議な目の色や尖った長い耳から、同じ人間なのだろうかとも疑ってしまう。

 長い、長い、宮殿への道を歩いている途中、ウィンスタードはとうとう引き返せない場所まで来てしまったのだと確信をする。

 緊張が増す。心臓が脈打つのも早くなる。

 自分の命も、ガルナの命も、助かる気がしなくなってきた。


 宮殿に入った最初には、廊下が十字に分かれていた。

 そこでガルナは数人の魔術師に囲まれ、東側の廊下に連れて行かれる。

「離せ! どこへ連れて行く気だ!」

 ウィンスタードとどんどんと離れるにつれ、ガルナは魔術師を払い除けて抵抗をする。

 見かねた尖り耳の男は魔術師たちに命じ、抵抗を止めないガルナを昏倒魔法で気絶させた。

 崩れるように倒れたガルナは、魔術師たちの操る浮遊魔法で引っ張られながら、東廊下の向こうへと連れて行かれていった。

「ガルナっ……!」

「安心しろ。大事な人質だ、何も危害は加えぬ。余はお前と話がしたいのだ。魔術師ではない者はこの場に必要ない」

 尖り耳の男はそう言い捨てると、王室へと入り、すれ違った警備兵たちと言葉を交わす。

「王よ、無事のご帰還、何よりでございます」

「あぁ。今回も海岸沿いの野蛮人共はあっけないものであった。いつか、海を渡った向こうにある土地も得られれば良いな」

「我らが王ならば、叶えられない未来ではありませぬ」

「お前たちがよく働いてくれるからだよ」

 他愛ない会話であったが、ウィンスタードはその会話を聞き逃さなかった。

 この男はまさしく、この国の王なのだ。

「王が遠征に参加するのか……」

 ウィンスタードはその問いかけを独り言のように呟く。

 その小さな声にすぐに反応を示した国王は、軽快な口調で答える。

「戦争は楽しいぞ。お前もきっと気に入るだろう。その能力を最大限に振るうことのできる舞台なのだから」

 ありえない、と心の中で強く思った。

 戦争を好む者とは人を殺すのを好む者と一緒だ。

 こんな思考を持つ者がすぐ隣にいることに、ウィンスタードは不快に感じた。

 天井までも広い王室は殺風景で薄暗く、無表情の兵士が王座への道の両脇に佇んでいる。

 国王は王座に座ると、兵士たちに人払いを促した。

 無駄に広い王室には、尖り耳の国王とウィンスタードしかいなくなる。

 声も足音も周囲に響いて聞こえる。

 一人の兵士もいない空間ではあるものの、緊張感は増していくばかりであった。

「余はハドレニア=リエル=マカラズエ。ディレクトリアの第十五代目国王だ。お前の名前はもう知っているよ――ウィンスタード・オルストロ。名門貴族の魔術師だな?」

 ハドレニアは、怪しく微笑みながら名乗った。その余裕ある笑みが何とも腹立たしく、不快に思わせる。

「そなたを我が国に迎え入れたい。先ほどは少々手荒なことをしたが、この気持ちは率直なのだよ。どうか信じて欲しい」

「……信じて欲しいというのに、この手錠はまだかけたままなのか。おかしな話だな」

 手錠にかけられた手首を差し出して、皮肉っぽく言った。

 そう言われたとしても、ハドレニアは余裕の微笑を崩さない。

 彼が指を一度鳴らすと、手首にあった手錠が一瞬のうちに外れた。

 ウィンスタードは魔術を扱える国王を初めて見て少し驚く。今まで通ってきた国にも、魔術を使える国王など見たこともなかった。

「何度も言うようだが、我々はそなたたちには何の危害も加えぬ。ただ力を貸して欲しいだけだ。それにここには西国にはない魔術がたくさんあるぞ、興味がないわけあるまい。ぜひ、我が国の豊富な知識を与えようではないか」

 これほど大きな城を構え、他国よりもずっと魔術師が多くいるというのに国王さえも魔術が使えるとなると、この国に存在する知識の量は、到底予想もつかないほどだろう。

 だがなぜ、この国王がウィンスタードに知識を与えると言うのか疑問があった。

 いつ裏切るかわからない、忠誠を誓った相手でもない部外者になぜ更なる力を与えようとするのか。ひょっとすると裏があるのではないか。いろいろな考えが頭の中を駆け巡る。

 落ち着いて、整理をしながら対話をしなければこちらの身が危うくなりかねない。

「わかっている、この国の豊富な知識は、西国には到底、敵いもしないだろう。もちろんありがたく頂戴する……だが、私はここにいる限り、自分の役目を知っておきたいのだ。一体、そなたは何を考えているのか知りたい。私をどう扱うつもりだ? そしてガルナはどこにいる?」

 ハドレニアは引き続き微笑みつつも、考えているのか、しばらくこちらを見つめながら黙り、そして溜め息混じりに話し出した。

「そう急くな。どちらも具体的には決まっていないよ。どちらも良く働いて貰うことは、確かではあるが……まぁ、あの者ならば、今は牢屋に閉じ込めているだろう。その後は奴の反応次第で寮の塔が決まる。まだ細かいことは決めておらん。命と生活の保証はするが、今後一切の面会は許可しない」

 その言葉にウィンスタードは瞬きをする。

「な……なぜだ。どうか会わせてくれ。一日の、ほんのわずかな時間だけでいい」

 心からそう願ったものの、ハドレニアの表情が少し冷たくなるのがわかった。それを見て、少し後ろへ引き下がる。

 それでも請うのをやめるわけにはいかない。ガルナに自分の今後の考えを伝えなければならないのだ。

「頼む……今日だけでいいから……数分だけでも、彼に会いたい」

 ハドレニアは座椅子の肘掛けに指を当てながら、寂しげに俯くウィンスタードを眺めた。

 彼もそこまで強情な人物ではないようで、さすがに気の毒に思ったのか、うなりながらも承諾の意を示した。

「ふむ、いいだろう。だが明日からはしっかりと自分の職務をこなせ。わかったな?」

「……感謝する」

 ウィンスタードは王に深く頭を下げる。

 この程度を屈辱に思えていたら、今からこの国で滞在するなど堪えられないだろう。いつまでここにいなければならないのか、そしてどうやったらここから抜け出せるのか、何も明白なことはなかった。

 ただ生き続けなければならない。

 それを第一に考えて、この国で過ごさねばならないようだ。


 今からガルナに会える。

 そして、それからはしばらく会うことは叶わないのだろう。それがどうしても寂しくて、想像するだけで苦しかった。

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