Ⅳ
幼い頃から過ごして来た今宵のオルストロ邸は、上質な花と料理、そして正装の人々によって着飾られていた。遠い街から多くの人々が客として招かれているため、普段静けさに満ちている屋敷の中は、多くの煌びやかな人々で賑わっている。貴族だけではない、当主の祝福を讃える近隣の村人たちも、今日は畑仕事の作業服から催事用の畏まった服で招かれている。宴会用の大部屋の中には、祭りの時のような喧噪に満ちあふれていた。
今日はランバートの結婚式だ。
彼の相手はネリスィールという貴族階級の美しい娘で、半年程前に見合いを通して知り合った。彼女はランバートと違って、口数も少なく常に落ち着いている女性だった。とても聡明でしとやかであるが、こんなにも絵に描いたような箱入り娘が、俗っぽいとも浮き世離れしているとも言えるランバートと釣り合うのか、彼に着いていけるのかとガルナは思っていたが、さすが人は自分に無いものを持っている者に惚れるものだからか、ネリスィールはすぐにランバートと打ち解けた。
この社会では女にとって魅力的に思う男の特徴がいくつかある。顔が良い、金を持っているなんてことは当たり前のことだが、ガルナの体感的に一番重要な要素であると感じるのは話が面白い男である。一緒にいるだけで自分の知らない話を多くしてくれる、どんなに些細な話も面白く聞こえるように工夫を利かす、そういったことを出来る男が特に女にモテた。そのことをガルナは身をもって知っている。ガルナに寄ってくる女は多くいたが、ほとんどが一夜だけの関係であって、ランバートのように長続きする恋をしたことがなかった。顔立ちの良さや体躯の大きさを理由に近付いてきても、それ以降を求めることはとても少なかった。貴族ではないと語ればなおさらのことだ。
「紳士淑女の皆様、今宵は我が婚姻の祝宴にお集まりいただき、感謝いたします。ここに並ぶ数々の料理には、我が領地の民が丹精を込めて育てあげた食材が使われております。彼らの育てし作物は、彼らの愛。彼らの愛は、私の誇りでもあります。どうぞご堪能あれ」
ランバートがそう演説すると、彼と仲の良い農民たちの歓声が上がり、貴族たちは短い拍手をあげた。
ガルナはランバートのような話術の達者な方では無い。多くの人々の印象に残るような演説などひとつもできない。ランバートは小さい頃から本当にたくさんの人々に愛された。ガルナも多くの人々に愛されたが、ランバートはそこに在るだけでたくさんの人々が着いていった。ガルナは彼と同じような存在にはなれない。そこには尊敬の気持ちもあったが、わずかながらの羨望もあった。
「さて、改めて皆様に申し上げますが、私はフィルロンツェ家のご令嬢であるネリスィール様と婚約を交わしました。これにより我々は夫婦となり、フィルロンツェ家とのより一層の絆、そして社会貢献への第一歩を踏むことでしょう」
ランバートは隣に座る金髪の女性、ネリスィールに挨拶を促した。控えめな性格である彼女は大勢の人を目の前にして、はにかみながら深々とお辞儀をした。彼女がもう一度椅子に座るのを確認してから、ランバートはもう一度話し出す。
「彼女は――おそらく皆様も彼女を見ればわかるでしょうが、とても聡明な女性でいらっしゃいます。知性や品格が、こんなにも溢れ出ている人は、なかなかいないことでしょう。私が一を教えれば、彼女は十の解釈を生み出します。私が何かを尋ねれば彼女は本以上の的確な答えを返します。美しさだけではなく、賢さも兼ね備えている彼女に、私の思いは止まらなくなってしまったのでした……」
ランバートは恍惚とした表情で彼女の魅力を語る。俯いているネリスィールは長い髪で顔が隠していたが、恥ずかしがっているのがわかった。
「彼女の創造性には、毎日驚かされてばかりいます。果たしてこれからどんなに楽しく、素晴らしい日々が続いていくのだろうか、私は毎日胸を膨らませてばかりです」
ランバートは会場にいる人々全員をもう一度見渡し、一拍だけ間を開けた。
「ネリスィール様と出会うことができ、私は言葉には表しきれないほどの幸福を感じております。皆様、どうか我々の永遠の幸せを願って頂けたらと思います」
その直後、人々は一斉に立ち上がり、会場には歓声と拍手が響き渡った。
ガルナにとってはランバートの婚姻は屋敷の中では毎日話題に取り上げられていたことであったので、慣れるのを通り越して飽きた程だった。ただ少しの拍手をしてからそのまま会場を後にする。
宴の会場から遠ざかり、二階の廊下、月明かりのよく見える窓辺にもたれかかって、グラスに入った果実酒をもう一口飲んで溜息をついた。宴の喧噪が微かに聞こえてきて、その一人きりの空間に余計寂寥感が増すようで、少し馬鹿馬鹿しい気持ちになる。
ランバートの結婚を祝福していないわけではない。むしろ畑ばかりの田舎の領地を統治している貴族が、栄えのある国の、それも特に大きな街を統治している貴族と関係を持つことが出来たのだし、またとても気立ての良い娘を嫁として迎え入れることができたのだから、彼の結婚はとても幸福なことであると理解できる。
ただ、自分の方がランバートのことを知っているのに、というわけのわからない戸惑いがあった。ここ最近ではそれがずっとガルナの胸の中で引っ掛かり続けている。そして無性にむしゃくしゃした。
ガルナはひとつ、己に苦笑をする。自分は彼の伴侶でもないくせに、何を考えているのだろうか。その恥を消し飛ばすように、グラスの中の酒を一気に飲み干した。ガルナはひとりで思い悩む程、酒がよく回る質だった。そしてそのわだかまりがくだらなければくだらない程、悪酔いをした。
しばらく無心で夜風に当たっていると、後ろからランバートの声がした。
「本当に君は人が多いところが嫌いだね……食事もまだまだたくさんあるから、戻ってきてくれないか」
お前こそ普段対面できない貴族の連中と話していればいいのに、どうして俺などを気にするんだ。ガルナは心の中で文句を言ったが、ランバートはこちらが動くまで動かない様子であった。
「今日ぐらいは付き合ってくれよ」
ランバートに連れられ、また宴の広間へと戻ると、ネリスィールと彼女の父親と母親、そしてオルストロ邸の使用人たちが談笑をしているのを見た。ガルナはランバートに続いて彼の隣に座る。
「紹介をしましょう。僕の友達のガルナです」
ランバートは快活な声でガルナを紹介した。見合いには主にランバートの方がフィルロンツェ家へと赴いていたために、ガルナがネリスィールを見たのは今日が初めてであった。
「ネリスィールと申します」
たおやかに挨拶をするネリスィールにガルナは軽く会釈をする。だがネリスィールの眼はガルナから離れない。ガルナは首を傾げた。するとネリスィールは口に手を当てて微笑んだ。
「うふふ、ランバート様がよくお話されるガルナ様というのは、貴方のことでしたのね」
鈴の音のような声で紡がれるその言葉に、ガルナは顔を固めた。
「貴方のことをお話しされる時のランバート様は、まるで物語の中の少年のよう。私にはけして見せない、とてもきらきらとしたお顔を見せてくださるの。お二人はとても仲が良いのですね」
そしてガルナはランバートの方を見た。仲が良いと言われて、どうやらランバートはご満悦のようすだった。ガルナは呆れ半分で溜息をひとつついた。
「まったく……お前たちの見合いだと言うのに、俺なんかを話のネタにしてどうする」
「だって、これからネリスはこの屋敷に住まうことになるんだ。ガルナだけじゃない、他の使用人たちとも仲良くなってもらわないと、ね」
ランバートは堂々と、グラスの果実酒を口に含んだ。
「ガルナ、フィルロンツェ家というのは、遙か東方の国の貴族だ。主に軍事について取り仕切っている家柄になる。君もいつか軍隊の心得を御教授して頂くといい」
ネリスィールの隣に座っている彼女の父親らしき男は、自身の髭を触りながら深く頷いた。
「ガルナ様はどのようなお家柄なのでしょう?」
ランバートはよくぞ聞いてくれたとでも言うように、伴侶の方に向いた。
「彼の姓は"ザックスフォード"。我がオルストロ家が保証する家だ。主にオルストロ家の安全のための警護に勤めている。まだ歴史は浅いが、未来永劫オルストロ家を守る盾となるだろう」
ネリスィールは口に手を当てて「まぁ」と感心した。
この大陸では国が認めた家でなければ「貴族」という地位は賜ることはできない。つまり、領地を統治することはできない。ガルナは「貴族」であるランバートが保証をする一つの家を持ったただの一般領民であり、領地などを持つことは出来ないが、「貴族」からのご恩は賜ることができる。ガルナは幼い頃からずっと世話になってはいたが、以前にランバートがガルナに姓を与えたことで、正式な家と家の関係になることが出来たのだ。
ザックスフォード家はオルストロ家に未来永劫尽くさなければならない。だからこそ子孫を残さなければならない。しかしガルナにはあまり良い縁談は来なかった。それは「家」となって歴史が浅いのと、領地を持っていないこと、収入源が田舎の貴族の恩情だけという点で、どこの家とも関係を結べるような状態ではなかった。ガルナも伴侶を探すことになかなか気分が乗らないため、実際によその家の娘と会うことになっても自然消滅になってしまう。縁談はランバートが時々持ってくるが、彼も手をこまねいているような状態だった。
ガルナはその頃自分が家庭を持っている未来など想像することができなかったから、あまりそういった将来を考えることができなかった。ただ幾年もランバートの斜め後ろに存在し続け、そしてひっそりとこの屋敷で死ぬのだろうと漠然と思っている。
ガルナが少し考え事をしている間に、テーブルの上では別の話に変わっていた。気が付けば少し重たい雰囲気で、誰もが真剣な面持ちになっている。中でもネリスィールはやや暗い目線を手元の皿に落としていた。
「確かにこの地域は平和が保たれているやもしれません。しかし――正直なことを申しますが、西国と同様に力をつけてしまえば、この地もいつしか荒野に成り果てることでしょう」
さすが軍隊を持つ貴族だけのことはあると言ったところか、ネリスィールの父親はとても鋭い眼差しと声色でランバートに語っている。話の内容は、差し詰めこの大陸を荒らし回っているという天使の話であろう。
あまりにも凶悪な天使たちが天界から地上界に降り立ち、西方の地を度々襲撃しているということはガルナが幼い頃から都から来る新聞などで伝えられており、最近では襲撃する地域が拡大していると聞く。地上界を荒らしに来る彼らが我々に何を求めているのか知るすべはないが、多くの人は天界から授かった知恵を殺し合いに使っていることに不満を持っているためだと言った。
「娘の婚約相手が天使に殺されたというのはご存じですね」
「……えぇ、存じ上げております」
ランバートは落ち着いた声で言った後、果実酒を口に運んだ。ネリスィールはもうやめてくれとでも思っていそうな、不安そうな顔をしていた。しかし父親はまだ話を続ける。
「あれ以来彼女は心に傷を負い、縁談を断ってばかりいました。しかし、ランバート様。貴方が我が娘の元へ訪れてから、娘は日に日に元気を取り戻し、悲しみから立ち上がることができました……すべて貴方のおかげです。ネリスィールを、どうかよろしくお願いします」
ランバートは手にしていたグラスをテーブルに置き、まっすぐな視線を向けた。
「えぇ、もちろんでございます。私がネリスィール様を幸せに致します」
父親は安心したように顔を綻ばせた。
ネリスィールがオルストロ家に嫁入りすると、ランバートは毎日業務を終えた後にネリスィールと過ごすようになった。ネリスィールはやや病弱であったから、ランバートが都まで仕事する時には同行することはできなかったが、屋敷にいる時には二人でいることが多かった。それと同時にガルナは一人で酒を飲むことが多くなる。それからはずっとガルナはぼんやりとした毎日を過ごし続けた。
** ** **
その日のオルストロ邸は重い静けさと忙しなさに満ちていた。廊下には誰も歩いていない。掃除をしている使用人もいない。
当主の結婚から五年の歳月を経て、ネリスィールの腹にはようやく赤子が宿った。夜中に陣痛を訴えてから、うなされ続けたまま夜が明けたが、女の使用人は全員助産に取り掛かり続け、夫であるランバートを含む男たちは皆別室ではらはらと気を揉ませながら待ち続けている。
皆同じように不安な気持ちを抱いてはいるが、ランバートは誰よりも落ち着きが無かった。何か気をなだめるような言葉を投げかけても、「彼女はやや病弱なところがあるから」とばかり言っているので、不安な気持ちを拭えそうにもなかった。まったくいつもの彼らしくない。確かに彼にとっては嫁の出産を待つなど経験したことの無いような不安感だろう。しかしいつもの彼はチャレンジ精神と前向きな性格から何の不安感もないような、むしろ壁にぶち当たることを楽しみにしているかのような好奇心を感じさせるのだ。そんな彼をずっと見てきたからこそ、ガルナは落ち着きの無い彼が意外であった。きっと同じようなことは使用人たちも思っていただろう。
やがて屋敷に満ちあふれる静寂を引き裂くかのように、まだ見ぬ赤子の産声が聞こえてきた。ランバートは真っ先に赤子と嫁の元へ向かう。
まだ後処理をしていたので女の使用人に許可を得るのを待ってから、中へと入る。寝台の上には疲れ切っているネリスィールがいた。
「旦那様、おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
使用人もランバートが来たことに気が付くと、泣き叫ぶ赤子の体を綺麗に拭き取りながら朗らかに言った。
ネリスィールも疲れ切ってはいたが、すぐにランバートに気が付いた。力無い微笑みを浮かべる彼女に、ランバートは優しく頬を触れてやった。
ネリスィールも赤子も、その後はすぐに落ち着きを取り戻した。ネリスィールは病弱で体力は無かったのだが、赤子共に何とか耐えきることができ、屋敷一同は一安心した。
屋敷の中では、男の子がお産まれになった、次期当主様だと大騒ぎになった。その日の内に領地全体に報せが広まり、領民たちもすぐに屋敷を訪れ、産着や遊び道具、ゆりかご、母乳を作るための食べ物などお祝いの品物をたくさん置いていった。
確かに次期当主となる子ではあるものの、ランバートの頭の中にはそんな思いはあまりなかった。それよりも、その赤子が「自分の子」であることの強い喜びを感じた。
オルストロ夫妻の息子――ウィンスタードと名付けられたその赤子は、その日からは両親だけでなく多くの使用人に可愛がられた。髪の色はネリスィールのような金糸ではなくどちらかというとランバートの栗色に似ているように見える。だが瞳の色や形は母親譲りだった。おそらくとても美しい顔立ちの子に育つだろう。
ガルナも使用人たちと同様、彼を抱いたり触れたりする機会もあった。まだ小さな彼に触れる度、これがランバートの血が半分入っている子なのかと不思議に思う。つぶらで小さな双眸を見つめると、純粋さという光に貫かれているような気分になった。まだ乳を飲むことか泣くことぐらいしかわからない無垢な子と比べて、今の自分がどれだけ小さく愚かなことでくよくよと悩んでいるのかがよくわかる。小さな頃からずっと一緒だったというのに、ランバートが余所の娘と結婚し、子が生まれたことで、自分勝手にも妬んでいる、それがあまりにも幼稚で愚かであることは、もちろん心の中では感づいていた。
だがまだその頃のガルナはどこか盲目で、己の愚かさに気が付いたとしても、それが今の孤独感を認める契機にはならなかった。むしろランバートも同じ孤独感を抱いてくれるだろうかとばかり考えるようになった。
ガルナはオルストロ邸で使用人をしていたリフィスという娘と結婚し、やがてセリファという名の女の子が生まれた。
リフィスは元々奴隷だったのだが、とても気さくな性格の女で、屋敷にいる人間を笑顔にするのがとても得意だった。ネリスィールのような清楚さはまったくないが、そんなさばさばとした雰囲気が付き合いやすくて、ガルナは好きだった。
セリファが生まれた頃にはウィンスタードは四歳になっていた。ランバートの息子にしてはあまり社交的な方では無くて、いつも一人、本の虫になっている。その同じ年にネリスィールは第二子のオリワルハという女の子を産んでいるため、ランバートもネリスィールも彼女の世話ばかりでウィンスタードには構ってやれていなかったが、ウィンスタードは四歳にしてはずっと大人びているから、両親に頼って構ってもらいたいと思うこともなさそうだった。
子どもたちを見ていると、ガルナはあまり意識していなかった未来というものをとても意識するようになった。子どもたちにももちろん、末永く未来が続いている。だが彼らほどの長さではなくとも、自分にも未来が続いている。それはとても不思議であるが、幸福なことなのだ。
ランバートも同じ孤独感を抱いてくれるか、なんて馬鹿な気持ちは彼らと過ごしている内にいつしか消えていた。そんなことよりも、日々を楽しく過ごしていられることが嬉しかった。
この幸せを守り続けなければならない。自分が孤児であったからこそ、そしてランバートや彼の父親を見てきたからこそ、子どもたちにもその親たちにも何の後悔も不安も無く幸せに過ごして欲しく思った。そしてこの先の未来がどれだけ幸せで楽しいものなのだろうかと、期待に胸を膨らませた。
** ** ** **
快晴の昼下がり、ガルナはセリファとオリワルハと一緒に花壇で苗の植え替え作業をしていた。今日は新しい苗を植えるため、次の年の春にはより元気で彩りの美しい花々が、屋敷の脇に咲き乱れることだろう。
今まで植えていた花はもう年老いてきたためかあまり大きく、力強く咲かなくなっていた。そのため、屋敷の花を一斉に植え替えようということになった。もちろん庭師や使用人は晴れた日は毎日庭いじりをしているが、子どもたちも彼らの作業に興味を示しており、こうして苗の植え替えに参加することになったのだ。
セリファはおてんばな子で、先程から苗の植え替えよりも土遊びをしたり地面を這う蟻に興味を示したりしてばかりいる。彼女の顔立ちはガルナによく似ており、同じ眼の色髪の色を持つが、性格はおそらくリフィス似なのだろう、とても大胆でいたずら好きな女の子である。また同い年のオリワルハは、セリファほどおてんばなわけではないが、いつも友達のセリファや、兄のウィンスタードの後ろに着いていくことの多い彼女は、何となく何を考えているのかわからないような、どこか夢見がちのような、とても自由でぼんやりとした性格の女の子だった。容姿はやはりネリスィール譲りでとても愛らしく、また亜麻色の髪と空色の瞳はまさしくランバート譲りであった。
ランバート、ネリスィール、リフィスは花壇の見えるところで白いテーブルと椅子を置いてお茶会をしており、花壇の前で遊んでいる彼らを微笑ましそうに見ている。ウィンスタードはそこから少し離れた木陰に座り本を読んでいた。
「こらっ、セリファ。あんまり土を被るんじゃない。服が汚れるぞ」
少しでも眼を離せば、花壇の柔らかくなった土を固めたり、また掘り起こしたりをしているセリファに、ガルナは苦言を呈す。しかしセリファは上機嫌で手にしている土をガルナに投げた。
「きゃはは! お父様のお顔まっくろー!」
「おまえー! 人に土をかけるなとさっきから言っているだろう!!」
ガルナは逃げていく娘を捕まえて、小さな頬を引っ張ってやると、セリファは「ほへんははひい~!」と謝ったが、常時笑ってばかりいた。
娘のいたずらに辟易しながら、また植え替えの作業をしていると、今まで傍らで何か作業をしていたオリワルハがガルナの頭に花冠をそっと乗せた。
「ガルナ様のためにつくりましたの」
ガルナは、頭に飾られた花冠を手に取った。
「ありがとう、オリワルハは手先が器用だな」
そう言うと彼女は嬉しそうに自らの頬を手で覆った。
花壇に今まで植えていた花を使っているからか、少しへたっている花冠だが、たくさんの花を使っているためにとても可愛らしい仕上がりになっている。どうやらオリワルハは、その花々が処分されるにはもったいないから花冠を作っていたらしい。
「えーなにそれ! 私もつくりたいー!」
オリワルハの作った花冠を見て、セリファはガルナの肩に飛びついて、そう叫んだ。
「セリファちゃんも一緒につくりましょう」
「そうだな、せっかくだからオリワルハに教えて貰いなさい」
心の中の片隅で、ようやく邪魔されずに植え替えの作業ができる、という思いと、だが花冠を作るという細やかな作業など娘はすぐに投げ出すのではないか、というような思いが半々に芽生える。午後には冷たい風が吹いて、彼女たちの体を冷やしてしまうだろう。その前に少しでも植え替えを終わらせなくてはならない。
やがてランバートたちのお茶会も引き上げ、使用人たちは夕食の準備のために屋敷に入り、オリワルハやセリファもたくさんはしゃぎ回って眠ってしまっていた。ガルナも膝に乗った土を払い、眠ってしまった子どもたちを屋敷に運んだ。最後に水をあげようと花壇に戻ると、まだ木陰で本を読んでいるウィンスタードに気が付いた。
「風も冷えてきた。早く中に入りな」
ガルナがそう声をかけると、ウィンスタードは「もうこんな時間か」と言いたげな顔をした。
ウィンスタードは一見冷たい目をしているが優しい性格をしている。言葉や表情がとても大人びているだけで、気難しいようなことは何も無い。だがいつも一人で屋敷を歩いていて、一人で本を読んでいる。オリワルハとは違った、何を考えているのかわからない感じが彼の中にはあった。ランバートにもネリスィールにも無い、その瞳の寂寥感は何処からやってきたのか、ガルナにはあまりにも不思議であった。
「……言いたいことがあるなら、言ってみろ」
彼のどこに年相応の子どもらしさがあるのかしばらくずっと考え込んでいると、ウィンスタードの鋭く重い刃のような一言がガルナを刺す。
何度、そんなに早く大人にならなくてもいい、と声をかけたく思ったことか。その度に彼にとっては余計なお世話なことだ、自分の価値観で言える範疇のものではないと言い聞かせて、衝動を抑え続けてきた。
「家庭教師の授業を断ったそうだな」
ガルナはつい先日、ランバートから伝えられたことを思い出して、その話を振ってみた。ウィンスタードは、何だ、その話か、とでも言いたげな気の緩んだ顔になった。
「あぁ。今後一切、都からの魔術師はこの屋敷に入れない」
ガルナは首を傾げる。
「魔術が得意だというのにどうしてだ? 都で勉強をしてみたいとは思わないのか」
「この家にある本で充分だ」
「そうかい」
それからはしばらく沈黙が過ぎった。ウィンスタードはまだ本を読んでいようとするので、ガルナは隣に座った。
何について話しかけようか悩んでいると、先にウィンスタードがぼそりと話し始める。
「……先々代の当主はとても優秀な魔術師だったらしいな」
突然話を振られガルナは一瞬だけ戸惑うも、いきなり話を振ってくるのは彼の父親も同じ質であるからに、慣れたように返事をする。
「そうだな、俺もそう聞いたことがある。会ったことはねえけどよ」
昔、少年の頃に一度だけランバートが彼の祖父――つまり先々代の当主の話をした時のことを思い出した。あの時はランバートに、魔術の才があるから魔術師として生きるか、オルストロ家に尽くすか、という人生に関わる究極の選択肢を迫られたのだった。大人になった今ならあの質問の重さが痛いほどわかる、とてつもなく大変な選択肢を課せられたものだった。だがその選択肢を彼にゆだねてしまったことはとても残酷なことだったと、今更ながら申し訳無く思った。だからといって自分もランバートも責めることはできない、あの時はお互い幼かったのだから。
「だが、優秀だからといって、自分が守りたいものを守れるわけではない。何かを課されているのであれば、なおさらのことだ」
ウィンスタードの言葉がやたら冷たかったために、ガルナは少し唸る。
「でもよ。今の生活があるのは今までの当主たちのおかげなんだぞ」
「そうだ。先祖のおかげだ。だが、私の曾祖父は……魔術に長けているだけで国にその身を奪われたのだ。魔術師が何故、国に人生を束縛されなければならないのか、私にはわからん」
ウィンスタードは開いていた大判の本を閉じ、膝の上に置いた。
「そういう魔術師の在り方が、私は気に入らない。魔術師はそのように在るべきと認識する社会が気に入らない。自らの安全のために魔術師をかき集めるような国に、永遠の忠誠を誓いたいとは思わない」
彼の言葉には怒りが混ざっているように感じた。まるで都へ学問をしに行ったら自分の人生がどうなるのか悟っているようだった。もしかしたら彼は魔術の才を自覚したからこそ、家庭教師――つまり国に仕える魔術師にその能力を見せることに危機感を覚えたのかもしれない。魔術の才があったために国に尽くさざるを得なかった先々代の当主の末路をランバートも知っているからこそ、彼はウィンスタードが家庭教師による魔術の授業を拒否するのをすぐに承諾したのだ。
「力があったとしても、守らなければならぬ時に守りたい者のそばにいなければ意味が無い……こんな時代だからこそ、だ」
「お前……」
立ち上がったウィンスタードを見上げたガルナはあることに気付いた。
彼のその鋭い眼差しの中には、近い将来オルストロ家の当主となる覚悟が見えた。
つい最近まで泣き喚く赤子だったというのに、いつの間にか子どもと呼んでは畏れ多く思える程の貫禄が備わっている。ガルナは思わず気圧される。
「……さっきお前が植えていた球根は、隣の花の根を食らうだろう。もう少し離して植えてやれ」
ウィンスタードはそう一言だけ言ってから、屋敷の中へと入っていった。




