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SALVADOR  作者: れのん
【外伝】ただ一つの願い
18/20

 アルヴァが亡くなってからオルストロ家はしばらく暗い影に満ちていたが、ランバートが当主の仕事を継ぐことを決意した後は、そんな影を気にする間もないほどに慌ただしい毎日が続いていた。ランバートは勉強ができるから、当主の仕事は粗方理解していたようであったが、父親の仕事姿を見ていたわけではないため、一部では不安の声もあがっていた。しかし細かいことは実際に業務をこなしながら覚えていくつもりであると強く誓ったので、それ以降業務に関して不安の声があがることはなかった。話すことが上手で説得力ばかり一人前の彼の言葉を聞いて頷かない者はいない。こうしてランバートはまだ成人してもいない年齢のままオルストロ家の跡を継ぐこととなった。

 アルヴァとの確執について、ランバート本人が話に持ち出さないことはもちろん、誰も彼に語りかけることもなかった。そんなことを話さずとも本人はどうやら吹っ切れているようで、貴族としての勤めに専念しようとする姿勢ばかりが見られた。家を引っ張っていこうとするランバートは忙しくはあれど、とても充実した毎日を送っているように見える。しかしガルナには、本当に彼のその笑顔が本心の表情であるのか、疑問に苛まれるばかりであった。けれどよりいっそう楽観的な性格になっていく彼に本心を尋ねることのできる隙などなかった。まるでその笑顔が分厚くて強固な壁のように見えて、口数の少ないガルナにはけして壊せるようなものではない。

 ランバートは仕事や勉強のために日中は街へ赴くことが多くなった。朝早くに起きて、以前よりも簡素な、それでも美味しい朝食を食べて、使用人の用意した弁当を受け取って、馬車に乗り、畑道を通って街へと向かう。朝日に美しく輝くオルストロ家の馬車に気が付いた農民が、こちらに手を振ってくれる。幼い頃から領地の人々とよく交流をしていたランバートが領主の跡を継いで、皆とても喜んでいる様子だった。アルヴァが領主であった時もそれなりに尊敬の念はもたれていたようだが、ランバートは小さい頃から民衆に可愛がられていたために、その分の期待を寄せられているようだった。


 ランバートの統治の方針にはよく「助け合い」の言葉が出た。領主とは親分ではない、指導者であるのだ、と。民との交流を通して、民の意見を聞き、民が付いて来やすいように導いていく。領主は民を助け、民も領主を助ける。そういった関係のある領地にしたいらしい。その目的地はおそらく今よりも穏やかで過ごしやすい生活、といったようなものだろう。いつかその道が大陸のどんな社会にも通じる精神になるとしたら、この大陸はより活発で効率的な社会になるだろう、と。まるで読み返しすぎて諳んじてしまった夢物語を繰り返し、それでも好奇心を持って語り続けるかのように、ガルナに思いを呟いていく。

 そういった統治ができるのはまさに人の少ない田舎の地域のためだが、それを心掛けて実践することこそに意味がある、と彼は彼の統治のあらすじを語るのだ。語り終わった後、まだ上手くできるかわからないから誰にも言わないでねと、彼ははにかみながら笑う。


 ランバートが十八歳になり成人儀礼を終えると、ガルナを連れて夜の歓楽街へ赴くことが多くなった。

 幼い頃から勉強そっちのけで剣の稽古や体を鍛えることに専念し続けたガルナの体は、普段力仕事をしているような街の男の体躯すらも大きく上回る程立派になり、年齢不相応である程に貫禄が感じられる。ランバートのような細くて弱そうな貴族の盾となるにはまさにうってつけであった。たとえ一般市民の中ではやや目立ってしまうような高貴な服を着ていても、金を出せと脅したり楯突いてきたりしてくるような者はいなかったし、むしろガルナがいるだけで質の悪い客がどこかへ行くから助かると酒場や娼婦によく言われたものである。

 ランバートと歩く夜の歓楽街に慣れてきて酒や女の味を覚えてきた頃、オルストロ家にいる時間が少なくなったことに気が付いた。時に帰宅が遅くなることにガルナは屋敷の者たちに申し訳なくてそわつくことが多かったが、ランバートは外で遊ぶことも社会勉強の内の一つだとばかり言う。家を夜まで留守にしても、長年屋敷の雑務を担ってくれている使用人たちは快く見送ってくれるのだが、彼らに帰りを待たせていると思うと申し訳なくてしょうがない。

 ガルナは改めてふと気が付いたことがあった。オルストロ家の血を引く者はこの世でランバートただ一人だけなのである。彼の身に何かあったりしたら本当の大事になるのだ。

(彼を守ることができるのは俺だけだ)

 都は大きな事件などは起こらないが、人が多くいる以上何が起こるかはわからない。常に何かが良くないことが起こる可能性がある。ガルナはその緊張感をいつも胸に刻み付けた。


 ある夕方、ガルナは行きつけの酒場で酒を飲みながらランバートの仕事の帰りを待っていたところ、外が妙に騒がしく聞こえてきた。貧しい者たちが多く暮らす貧民街であるが、いつも街の者は仲が良くて、治安も悪すぎるというわけではない。喧嘩で騒がしくなるのはとても珍しい場所である。それだから急にそういった喧噪が聞こえてきて、ガルナはやや訝しく思った。器にある酒を飲み干して、店を出て様子を見に行こうとすると、ちょうど店主の息子が慌てたようすで店に入ってきた。そして目の前にいるガルナを見て、彼は声を張り上げる。

「大変だよ。あんたの連れが、ちんぴらに絡まれているんだ。早く行ってやってくれよ」

 それを聞いた途端、ガルナは背中に雷が打たれたような感覚を覚えた。そして何か考えるよりもまず先に、咄嗟に外へ出て、人の集まっているところに駆け寄る。

 人混みをかき分けて最初に目に入ったのは、左の頬を赤く腫れ上がらせているランバートのすがただった。ランバートは落ち着いた表情で、真正面にいる厳つい男たちと対峙している。ランバートを睨んでいる厳つい男たちは、数えると三人、親分格と思われる大男一人と、その子分である二人が偉そうな態度を示していた。その光景は一触即発の雰囲気であり、あまりにも不穏な空気が漂っている。

 厳つい男の内の大男が大きな声でランバートに怒鳴り散らす。

「さっきからふざけたことばっか言ってんじゃねえぞ、このクソガキ! てめぇが俺様の大事な剣を引っ掛けて来やがったんだろうが。おかげで傷ついちまったじゃねえか、えぇ?」

 周囲にいる野次馬の喧噪がもはや聞こえなくなるほどの大きな声で怒号をあげていたが、ランバートはそれに臆さず、むしろ飄々とした表情で言葉を返す。

「だからさっきから言っているじゃないか。ここにいる者たちの誰もが、僕は君の剣を引っ掛けていたとは言ってない。僕らの周囲にいた彼らの意見は大衆の総意だ、とても清い証拠だ。それ以上のものがどこにあるというんだい。どこに君の剣を僕が引っ掛けた、なんて根拠があるんだい?」

 あぁ、いつもの彼だ、とガルナは心の中で少しだけ呆れた。愚か者にそんなことを言っても煽り文句になるだけだというのに。思ったことを口に出してしまう怖い物知らずの一面は、見知らぬ人の多く集まる場所では不利益を被りかねないのに。

「俺の連れに何か用か」

 ガルナはすぐにあらくれ共の前に出た。

 大きな体躯のあらくれは、ランバートの前に立ちふさがるようにして立つガルナを見下ろした。

「ああ? 何だ、てめぇ」

「こっちが先に質問してんだろうが。俺の連れに何してくれてんだよ」

 ガルナはますます男に向かって鋭い睨みをきかせる。すると親分の男の口元が上がり、不適な笑みを浮かべた。

「兄ちゃんよお、あまり大人をからかわない方が身のためだぜ。痛い目に合いたくなかったらさっさと失せな。俺は後ろの兄ちゃんに用があんだよ」

 そう言ってガルナの肩を乱暴に押したが、ガルナはもっと強い力であらくれを押し返した。すると男は上がっていた口元を逆に下げ、眉間にしわを寄せた。

「てめえ、舐めた真似してくれるじゃねえか! まず先にてめえからぶっ飛ばしてやろうか!?」

 男が大きな拳をガルナに向かって振り上げる。ガルナはその拳が当たる寸前で後ろに素早く身を引き、攻撃を交わす。そして咄嗟に男の胸ぐらを鷲掴み、そのまま背中に背負い、地面へと叩き付けるように投げ飛ばした。

「あいつが俺に命令していたら、もっとお前を叩きのめすことが出来たのにな」

 無意識に口から言葉が出ていたことに気が付く。ランバートの目を見た時、「殴り合いは抑えろ」と合図していたために最後まで手をかけることはなかったが、いっそのことランバートのことを無視してでもあらくれ共を痛めつけてやりたかった。動けなくなるまで殴り続けてやりたかった。

 地に伏した男は何が起こったのか分からないような顔をしながら、しばらくガルナの顔を見つめた。やがて状況を把握できると、すぐに起き上がって「覚えてろよ」と一言残し、子分たちと共に逃げ去っていった。

 一騒動が終わってから、ガルナは自身の中でようやく怒りがほとばしっていくのが分かった。だがもうそばにあらくれ共がいない以上、その怒りを発散できるものはない。

 二人はそのまま馬車へと乗り込み、遅い帰路へと発った。

 馬車は街から出て、屋敷までの草原路に入る。夕暮れの杏色が少し残った青黒い夜の色が、背の低いみずみずしい草原に溶けている。

 先程の騒動を思い出してしまい、ガルナはむかむかとした気持ちが湧いて落ち着くことができずにいた。ランバートの方を見てみると、先程のあらくれに殴られた痕を気にしている。

「見せてみろ」

 ランバートの赤く腫れた頬を布で優しく拭ってやった。口の中が少し切れているようで、白い布地に淡く赤が滲んでいく。その色を見ていると、どうしてこれを防ぐことができなかったのだろうという思いと、どうして彼は殴られるまであのような愚か者に挑んだのだろうという思いが混ぜ合わさって複雑な気持ちになった。

 ランバートの視線がしつこい程に感じる。何か言いたいことがある時には、こちらをじっと見つめてくるのが彼の癖であった。

「来てくれて、すごく嬉しかった」

 彼は無邪気に微笑んだ。彼の笑顔を見るだけで、先程のむかむかとした気持ちがすっと消えていくような気持ちがした。それと同時に、ランバートの得意とするその技にまたもや引っ掛かってしまったと、心の中で深い溜息を漏らした。彼のそのあざとい技は、確かにある時では便利かもしれないが、ある時では災いになりかねないだろう。そのような笑顔を振りまかれる度に、また別の複雑な、ある意味悔しさに近い気持ちを抱いた。

「……次は今日みたいな無茶はしないでくれ」

 するとランバートは首を傾げた。

「無茶? 僕は彼らと普通にお話していただけなんだけどね。いきなり殴ってきたのはびっくりしたけど」

 まるで先程の出来事を楽しんでいたかのように笑う。ガルナは真剣に彼に向き合い、落ち着いた声で彼の名前を呼んだ。するとランバートも少し畏まった表情になった。

「お前はオルストロ家を背負う人間なんだ。お前に何かあれば、家が大変なことになるんだぞ」

 だがそう言うとすぐに、彼はいつもの笑みを浮かべる。

「大変って? どんなふうに?」

 それでもいつもよりやや語気が強めに感じた。からかってきているようで、からかっているわけではない。そんな雰囲気が彼の質問には込められていた。ガルナは気圧され、少し言葉が途切れそうになる。

「お前の身に何かあれば……もし連れ去られたり殺されたりしたら、屋敷の者たちの生活はどうなると思う」

「もちろん、大変になるだろう。彼らの生活を守るために、僕があの家に在り続けることも、僕の勤めだ」

「それなら、あぁいう馬鹿なちんぴらに対して変に挑発するような態度を見せるのはやめろ。今日は一発殴られるだけで済んだが、次は殺されるかもしれないんだぞ」

 するとランバートは次に、一際語気を強める。

「じゃあ、あの時僕が身を引いて、彼らに身包み剥がされても謝り続ければよかった、とでも言うのか」

 ガルナはそれを聞いて、はっとする。言わせてはならないことを言わせてしまったと深く後悔した。何か重いもので後頭部を打たれたような感覚がした。次言う言葉が思い浮かばず黙っている内に、ランバートは短い溜息を吐く。

「君も父上と同じようなことを言うんだね」

「俺は……お前のことを思って……」

「それも父上に散々聞かされた言葉だ」

 ランバートはつまんなそうな顔をしてそっぽを向き、馬車の外をじっと眺めた。ガルナはそれ以上何も言うことができなくなった。

 夜の馬車に揺らされる中、それ以降彼らの間に会話は無かった。

 屋敷に戻り、夕餉を食い、ガルナは自室に戻って先程のことを思い出す。

 ガルナにとってはあの時、本当にランバートの身を案じて言った言葉だった。だがそれと同時に、やがて形作られていくべき彼の威厳をないがしろにするような言葉でもあった。彼にオルストロ家の当主としての意識が無いわけなどない。その強い意識に気付いてやれぬ己を恥じた。彼は楽観的で傍若無人な男というヴェールを纏った、真剣な統治者であるのだ。彼の威厳はそこから培われ、歴とした一貴族の長になっていく。

(それなのに……俺の言ったことはあまりにも馬鹿だった)

――でも俺の気持ちも分かって欲しい。

 いや、分かってくれていると信じている。ランバートという存在が皆にとって重要なものであること。家のことだけではない、彼に何かがあれば我らの生活の不安などよりも先に、彼を慕うすべての者が悲しく、不安な気持ちを抱いてしまうこと。

 そんなことはもう彼自身も承知のはずだ。

 だが、それなのに何故……。

 そんなことがずっと頭の中で繰り返されて、ガルナはついにわけがわからなくなった。あともう少しで答えがわかりそうなのに、何かに突っ掛かって余計に迷走する。

 ガルナはその日はもう寝ることに決めた。幸い我らの仲は喧嘩が長続きするわけではなく、特にランバートは次の日になればいつもの態度を見せてくる。こちらも明日からまたいつもと同じように過ごせばいい。そして今日のようなことはあまり言わないようにすればいいと自分に言い聞かせた。


 だがしばらく目を閉じていても心がやけにそわついてしまい、眠れそうな気配は無い。ガルナはもう一度体を起こして、皆の寝静まっている屋敷の中を意味も無く歩き始めた。

 厨房で少しの酒をグラスに注ぎ、夜風が心地よく当たる二階のバルコニーで、ぼんやりと夜空を眺める。この心のそわつきが何なのかはっきりとはわからなかったが、脳も体もすっかりと覚醒しており、とても眠れる気分ではない。

 何も考えず少しずつ酒を飲んでいる途中、下の方で何かが動くのが見えたのでそちらへ視線を落とす。月明かりは薄く、はっきりとは見えなかったのだが、明らかに影が動いているのが見えた。戸が閉まる音は微かだが聞こえる。

(誰か帰ってきたのだろうか)

 だが今日使用人の内の誰かが外出をしていた覚えはない。

 ガルナは一抹の不安を抱き、酒の器を置いてからバルコニーを出て、できるだけ忍び足で下の階へと向かった。

 誰もが眠りについた夜の屋敷はあまりにも静閑としている。美しい屋敷ではあるが、夜になるとその静けさが不気味で、自分の吐息の音や足音ばかりが響く。その反響音を聞く度に、早く眠りについてしまいたい気持ちになる。幼少期は特に、夜の屋敷の中を歩くのが怖くて、よくランバートを起こして便所へ連れて行ってもらったものだった。

 今は怖いなど思っていられる余裕は無い。たださっきの人影がこの屋敷の者のものであることを強く願った。

 しかし入り口の付近に来た時、事態は少し良くないものであることが確信された。

 床に泥がついている。とても新しい泥だ。この付近は畑が多く、灌漑施設などから出た少しの水たまりが点々とある。今宵の月は曇り掛かっていることもあり、屋敷への道を歩いている途中に水たまりを踏んで、靴の裏に泥がついたのだろう。幼い頃から使用人たちに外から帰った時の靴の泥は念入りに取れと言われ続けて来たのだから、彼らがこんなにも出入り口の床を汚すわけがないことはガルナには充分理解ができた。

 つまりここを通っただろう人間は、この屋敷の者ではないことが明らかになった。


 ガルナは急いで剣を取り出して、屋敷に入った者を探し始めた。幸い侵入者は痕跡を残している。こちらが先にバレないように、静かにゆっくりと足跡を辿っていく。その足跡を追う度に、今日夕方にいたあらくれ共のことを思い出す。あまり考えたくは無かったが、まさかあの後、馬車の轍を追ってきていたのではないか、そして今奴らが屋敷の中へ入り込んでいるのではないか、というような不安が段々と強くなっていく。

 以前から、もしこの屋敷に盗賊が入り込んだ時にどのような場所を目的地とするのかを考えたことがあるのだが、やはりオルストロ家で代々受け継がれてきた高価な宝飾や、付き合いのある貴族や王族から賜った品を保管している部屋が怪しいと一度は思える。だが本当に今この屋敷にいる侵入者が今日見たあらくれ共であるのなら、それよりも先にランバートが危ないかもしれない。

(まずはランバートを起こしに行くか?)

 だがそうしたことで、ランバートの部屋を奴らに知らせてしまえば……そうした上でもし今夜奴らを逃してしまえば、次来るときにはランバートの部屋へとまっしぐらだ。

 しかしやはりランバートに事を伝えるのは不可欠である。それでももし彼の部屋に入るのを見られていたらと思うと彼の部屋の戸を開けるのは少し気が引ける。剣を持っているのを奴らに見られれば、もう既に警戒されているということを奴らが理解するのは当たり前である。

 いつ来るかわからない次回にまた奴らを来させるわけにはいかない。

 今夜絶対に奴らを捕まえなくてはならない。


 部屋の戸を静かに開けて、すぐにランバートを起こす。突然起こされて何か文句を言いたそうだったが、ガルナはすぐに「静かにしろ」と合図をした。

「侵入者が入ってきた」

 ランバートは少し驚いたようすだった。今の一言で彼が事態のすべてを飲み込めたとは思えないが、次に落ち着いた声で言った。

「村の自警団を呼びに行って貰おう。皆を起こしてくる」

 ガルナは首を横に振った。

「いや、俺が捕まえる。自警団にびびって逃げられても困るからな。ランバート、お前は隠れていろ」

 するとランバートは訝しそうに、眉を寄せる。

「向こうは何人いるんだ、まさか一人でやるつもり?」

「おそらく複数いるだろう。まだ見つけられていないが足跡が残っている。すぐに見つかるだろ」

 むしろ逃す方が惜しい。ガルナは心の中で付け加えた。

 もし本当に侵入者が今日のあらくれ共であるのなら――今日喧嘩を売ってきただけでも腹立たしいのに、もう一度刃向かってきたのなら、次は容赦してやるわけにいかない。

 奴らを見つけるために部屋から出ようとすると、ランバートがガルナの腕を掴んだ。

「僕も行く」

「いや、だから」

 お前は隠れていろ、と言おうとしたが、彼を一人残してしまう方が危険かもしれない。そばにいてくれた方が、こちらも守りやすいというものだ。ガルナは途中で言いかけたが、とりあえず頷く。


 二人は屋敷の中を見回り始めた。しばらく歩いていると、書斎の戸が開け放しにされてあるのを見つける。中を恐る恐る見てみると、様々な書物が無造作に破り捨てられ、荒らされていた。

「酷い、貴重な本が……」

 本の残骸を悲しそうに見つめるランバートを見て、ガルナは少し心が痛んだが、それよりも早く侵入者を見つけるべく、辺りを観察し始めた。

 部屋自体には本の残骸以外目立ったものはなかったが、足跡が今までよりもぐちゃぐちゃになってこびりついている。出入り口よりも机の周りにたくさんの足跡が付いている。

 書斎には使用人の部屋に呼び鈴が届く仕掛けになっている吊るし紐がある。書斎で仕事をしている当主がわざわざ書斎から出なくても使用人を呼ぶことのできるものである。ガルナはそれを勢いよく乱暴に鳴らした。大きな鈴の音が書斎に鳴り響く。幼い頃、ランバートとのかくれんぼでこの書斎の机の下に隠れた時、ランバートはこの呼び鈴を勢いよく鳴らして、机の下に隠れているこちらを驚かせた記憶がある。ガルナが今その呼び鈴を鳴らしたのは、その時のランバートの目論みと同類のものだった。

 案の定書斎の机の下から、または本棚の間から、何か鈍い音と男の小さな悲鳴が聞こえてきた。ガルナは咄嗟に机の下の者を掴んで、放り出し、頭を思い切り蹴った。本棚の間にいるだろう者にも同じ事をして、実に的確に一発ずつで意識を失わせた。顔を見れば、夕方見たあらくれ共の子分二人であった。

 ガルナの一連の動作があまりにも鮮やかな手つきだったため、侵入者が夕方のあらくれ共であったことにも構わずランバートは唖然としてしまっていたが、山積みになった本の影からガルナに襲い掛かろうとしている者を見て、ランバートは咄嗟に叫ぶ。

 すぐに気が付いたガルナは寸でのところで攻撃をかわす。そのすぐ後に山積みの本の後ろにいたのが、あらくれの内の親分格の大男であることがわかる。彼の持っている、大きく鋭く、湾曲したナイフが微かな月明かりに反射してぎらりと光る。

 ガルナは剣を構えて、警戒を更に強めた。こちらは斬るつもりはないが、向こうは斬る、刺すつもりで構えている。どうにかして相手の隙を取りたいものの、あまり派手に動いては後ろにいるランバートの方に向かってしまうかもしれない。

 その時、部屋の外から使用人たちの声が聞こえた。どうやら先程の呼び鈴により、数人が起きてようすを見に来たのだろう。皆何が起こっているのかわからないように戸惑っていたが、ランバートはすぐに彼らに戦闘不能の子分たちを縛り上げるよう言った。

 ランバートたちが完全に部屋を出る前に、ガルナはランバートの目を見た。


――容赦はするな。

 ランバートの目はそう語っていた。


 そうだ、こんな時に容赦などいらない。

 この屋敷を守ると誓い、そこから己を鍛えた証を今ようやく見せる時が来たのだ。

 だがこの家に誰の血も流させるつもりはない。どれだけ泥で汚されようと、血では汚させない。


 ガルナは最初の一撃で大男の持っているナイフをはじき飛ばし、すぐに彼の頭に剣の腹を打ち付けた。大男は地に伏し、気を失った。


 ** ** **


 自警団が駆けつけてくれたのは、あらくれ共三人を屋敷の柱に縛り付けて動けなくさせてからだった。その頃にはもういずれも観念しているようで、文句をぶつくさと言っているものの、暴れるようなことはなかった。暴れようとすれば、すぐにガルナの重い拳が飛んでくることは彼らも判っていたようだった。

 オルストロ家とも仲の良い村の自警団は、「よくも領主様の家に忍び込んでくれたな」と言いながら、あらくれ共を手荒に連れて行った。

 貴族に悪さを働いた罪への罰は重い。貴族が自由に何かを言えば、それが罪を犯した者への罰になる可能性があるからだ。ランバートは「もうこの領地に来させないようにしてくれ」と頼んだだけで、そのあらくれ共がどのような仕打ちを受けるのははっきりとはわからない。しかし、ただこの領地に来なくなるのであれば、どうでもいいことだとガルナは思った。


 広く続く畑道へと去って行く自警団を見送っている時、ランバートがそばに寄ってきた。

「今日は本当にありがとう。君がいなかったらどうなっていたことやら」

「たまたま、俺が起きていたから良かっただけだ」

 しかしランバートはいつになく、真剣な目つきになった。

「ねぇ、ガルナ……話がある、よく聞いてくれ」

 ガルナは彼のその眼差しを見て、少し固まる。そしてすぐに、冗談はよしてくれと心の中で呟いた。そんなにもまっすぐな眼を向けられる程のことをしたわけではない。ただ自分はこの家を守るために当たり前のことをしただけなのに。

 ランバートは、普段発しないような、落ち着いた声で言った。

「君に、姓を与えたい」

 沈黙が過ぎった。しばらく返事をしないでいても、ランバートはその真剣な眼差しを融こうとしない。妙なざわつきが、ガルナの心の中で芽生え始める。

「……何だよ。急に、そんな畏まって」

 ガルナはいつもランバートの冗談をあしらう時と同じような軽い態度を示した。それでも、ランバートはいつまでもガルナの目を見つめ続ける。とてもまっすぐで、嘘のない眼差し。信じようとせずとも、信じてしまいそうに――いや、信じること以外出来なくなる強い眼差し。その目に見つめられているだけで、ガルナは大きな存在にすべてを見つめられているような感覚を覚えた。

「この家の安泰に貢献する騎士となり、当主を、屋敷の皆を守る。それを君の名誉とするために、君に姓を与えたいのだ。――ガルナ・"ザックスフォード"。君は今日からその名前を名乗ってくれ。そして未来永劫続いていく我が道へ、共に歩み続ける一族を築いてほしい」


 全身に鳥肌が立つのがわかった。自分と比べて体格の小さいランバートのことが、ガルナにはあまりにも大きな存在に見えた。

 ガルナはふと、彼がいつも語っている統治の空想を思い出す。

 彼の威厳を、そして覇道を作るのは、何も彼だけの努めでは無いのだ。その周りに存在する人間も、彼の道に関わる人間なのだ。それは彼のそばに在り続ける者として名誉なことであり、そして自分がやらなければならない役目であると理解した。そして、強く自負した。


 ガルナは跪いた。騎士の作法を学んだわけではないため、それが正しいやり方だったかはわからないが、今、彼に自分の答えを示すにはそうするしか無かった。

 ガルナはその間、これから先彼を守り続けることを固く胸に誓った。彼への、この家そのものへの忠誠を示した。


――ランバート。お前はそのまま自分の求める道へ走って欲しい。

 俺はその道を阻む者から、お前を守ろう。


 たとえこの命に代えたとしても。

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