第14話
それは孤独を埋めるための、大切な者たちに近づくための決意。故に私は、私の心の中の英雄を書き記す
愛する者と共に老いることができない悲しさは、同じように死も老いも知らない体を持つ者にしかわからないだろう。
戦場でどれだけの矢に射たれようとも朽ちることがない、体に驚く者がいた。
何十年と時を経ても老いない体を羨む者がいた。
そして、不老不死の体を持つあなたこそ、この世に現れた神であると、民も臣下も口々に言った。
けれど、どれだけ傷付いても死なない体も、どれだけ時を経ても老いることがない体も、不老不死を受け持った当の本人には、強い苦しみだ。
皆がそこまで羨望する理由などわからなかったし、不老不死を嫌悪しても理解してくれる者はいなかった。
けれどウィンスタードは、この不老不死の苦しみも、天界から課された懲罰の内に入るのだと認めていた。
永遠に地上界の人々をまとめさせるために、天界はこの不老不死の体を与えたのだ。
だからもうすでに納得しているつもりだった。
――だが、今はその苦しさが一際強く感じる。
「ウィン様」
かすれた声で呼ばれるのが聞こえた。
その声でふと我に返り、病床に伏すセリファの姿が目の前の視界に映る。
「どうした……また、どこか体が痛むか?」
弱い声でそう問いかけた。
「いいえ。……少しだけ元気が出ませんが……貴方がここにいてくれるだけで、嬉しくって……」
セリファはそう言って口元を綻ばせる。彼女の声も力のないように感じたが、とても穏やかな笑みだった。
天界戦争が終わって、五十年ほどの年月が経つ。
あんなにも逞しく屈強な女だったセリファは、今や肉も落ち、顔には血の気がなく、しわだらけで、さらには寝たきりの不自由な体になっていた。
それに比べてウィンスタードの外見は、あの決戦の時代から何も変わっていない。
セリファが老けていくのを見て錯覚してしまったためか、鏡を見る度そこに映る自分の若い体に、強い違和感を抱く。鏡に映っている自分こそが現実であるということを認めたくなかった。
けれど五十年も経っているというのに、老いていないということは紛れもない事実である。
そして今まさにセリファが亡くなろうとしていることも、認めなければならない現実だ。
セリファの病気を治すために、様々な治療を施した。体を楽にする薬なら毎日作って飲ませた。そして、もっと生き長らえる方法を探し続けた。
それでも体調は全く良くならず、むしろ衰弱していくばかりだった。
セリファはとうとう、治療の中止を頼んできた。
ウィンスタードは認めたくなかった。どうしても彼女の病気を治してやりたかった。
それでも彼女は、治療で振り回され疲れながら死ぬよりも、穏やかな最期を迎えることを願った。
それ以来、ウィンスタードは彼女の最期を看取るため、毎日、一日中ずっと、セリファの寝台の前で座り、口下手ながらもいろいろなお話をした。
庭で咲いている花の色や匂いだとか、王を受け継いだ子らが今こんな政治をしているだとか、朝の食事から夜の食事、昔読んだ本のあらすじなど、何でも話した。
しかし、その日はそんな他愛のない話ができるほどの余裕はなかった。
突然体調を悪化させたセリファを前にして、悲しさで目の前がぼんやりとしていた。
もうそろそろ訣れの時が来てしまうことを、何となく彼女の様子から感じた。
「叶うならば、お前と共に老いて、死にたかった」
ウィンスタードは思わず本音をこぼした。
そんな弱音を吐いたとしても、セリファは優しい笑みを崩さず、かすかな声で答える。
「きっと貴方には、まだやるべきことがあるのですよ」
そして、また同じような調子で続ける。
「貴方というお方に出会えて、寄り添うことができて……看取ってもらえて、私は世界で一番の贅沢者かもしれません。……私は幸せでした、貴方を支えられて本当に、良い人生でした」
かすかな声ではあるが、最後の方はとても強い調子だった。
ウィンスタードは余計に悲しくなって、静かに涙を落とす。
その泣き顔を見るや、セリファはウィンスタードの頬に、力のない細い手で触れる。
「だから泣かないで……」
とても震えた声だった。
「貴方の笑っている顔が見たいです」
以前にも、別の人間に同じような言葉を言われたことを思い出す。
すると何故だか、口元が綻んだ。
あの日、笑顔を見せられないままに逝かれてしまったからこそ、今度は絶対にこの笑顔を、――例え下手であるとしても、見せてあげてから逝かせたかった。
「……私も、お前といられる時間がとても幸せだった……空虚な私の心を、唯一、お前が希望を与えてくれた……」
そして、あの日、伝えきれないまま逝かれてしまったからこそ、今度は絶対にお礼を言ってから看取りたかった。
「……ありがとう」
精一杯の笑顔を見せて、そして心を込めて礼を言った。
するとセリファは、満足そうな笑みを浮かべて、瞳を閉じた。
瞳からは涙が落ちていく。
それを見ると、またもう一度胸の奥から悲しみが込み上げてくるのを感じる。
セリファが完全に事切れた後も、ウィンスタードは彼女の手を離さなかった。
そして胸を抉られるような耐えられないほどの悲しさに、ウィンスタードは長い間、号泣した。
その後、ウィンスタードはまた空虚な心のまま生きることとなった。
もう心を預けられる者はおらず、毎日を誰もいない暗い自室で孤独に過ごした。
けれど、また大切な人を失ってしまうことが怖くて、誰かと親しくなろうとする気になれない。
国のことはすべて聡い子どもたちに任せ、ウィンスタードは何もしないまま、ただ寝台の上でじっとしていた。
ある時には、体の気だるさから抜け出すために自分の手首を切った。
そしてまたある時には天井から縄を垂らし、首を吊った。
けれど痛みと苦しみがあるだけで、どんなに体を痛め付けても、その空虚と孤独から抜け出すことは不可能だった。
やがて死の苦痛にも慣れ、飽きてくると、また寝台にうずくまり、やって来るのかわからない最期を待ち始めた。
** ** **
セリファが亡くなってから、二百年ほどの年月が経つ。
ウィンスタードの齢は三百に近づき、年を数えるのにもだいぶ億劫になってきた頃だった。
ある夜、暗い重苦しい部屋の中に突然何かの気配が現れた。
時折、孫や召使いが心配して部屋に入ってくるから、その人たちだろうか、とも一瞬だけ思ったが、その異様な気配に違和感があったため、少し気になり、体を起こしてその気配の方を向いた。
とても懐かしい、だが、嫌な気持ちになる雰囲気だった。
そしてしばらくその気配の方を向いていると、その気配とは、天使のものであると何となくわかった。
「……何をしに来た」
ウィンスタードは低く、弱い声で言った。
するとその気配は、闇の中からすうっと現れ、顔が見えるか見えないかぐらいの暗闇で、こちらを向いて佇んだ。
不思議な格好をした天使だった。
大きな布にくるまっていて、ウェーブのかかった髪の毛は顔を覆うように垂らしている。そして耳の辺りからは天使の羽根が覗いている。暗闇であまり確認できないが、おそらく男だろう。
仮面を付けてないし、武器も持ってないところを見るに戦士ではないことがわかるが、何をし始めるか予想はつかないため、ウィンスタードは咄嗟に身構える。
天界との関係は、天界戦争が終わってからすぐ断たれた。
ウィンスタードという、地上界の秩序を天界の代わりに守る魔導騎士がいるために、一切の干渉が無くなったのだ。人間も天界へ行くことは不可能になり、また、天使も戦後にこの世界に現れることはなかった。
けれど今、目の前にいるのは紛れもなく天使だ。
どんな目的のためにここへやってきたのか答えるのを待っていたが、次に天使が口を開いたときにはまったく別のことを話し出した。
「朽ちぬ体も、老いぬ体も、健康で良いものだな。……だが、心はもう朽ち果ててしまいそうか? 心の脆い人間にとっては、長い時間だろう。我々とっては、ほんの刹那の時間だけどな……」
「……質問に答えよ。貴様はなぜ、地上界に降りてきた?」
天使は喉を鳴らしながら不敵に笑い、怪しい声で言った。
「創造神の命を伝えに来たのだ。……だが、お前のような壊れた心にこの命が務まるのか、わからんな。せっかく我々の傑作の代物を、お前に与えたというのに、もったいない使い方をする」
ただそれだけか、と思い、ウィンスタードは再び寝台に横になった。
「傑作など……笑わせる。こんなもの、呪いだ。永代続く、理不尽な呪いだよ」
そんな皮肉を言いはなったが、天使は怪しい笑みを崩さないまま、寝台に近付く。
「創造神の命とは何だ」
今までこんなふうに天使がそばにやってくることなどなかったが、ウィンスタードの心は妙に落ち着いていた。
たとえそこにいるのが危険な天使だとしても、ただ殺してくれればいいと思った。
天使は、ゆったりとした口調で答える。
「この地上界に、天界と地上界の関係を、その歴史を書き記した大きな社を建て、後世の人々への教訓とさせよ」
ウィンスタードは眉を潜めた。
「……なぜ、そんなことをしなければならない。天界の存在など、多くの民が歴史書を読み、語りを聞き、知れ渡っていることだ」
実際、今ではこの大陸のほとんどの人が文字の読み書きができるようになっている。
ウィンスタードが民への教育の内容を変え、さらに、大陸の人間全員に教育が行き渡るようにさせたため、天界と地上界についての歴史を誰もが知っていることは確かであった。
だが、天使は顔色ひとつ変えず、むしろ口調を強めて言葉を返す。
「いいや、足りないね。なぜなら皆が知っている歴史とは、地上界だけの知識だからだ。俺はそれをお前に伝えるために、それによって完全なる歴史書を作らせるためにここへ来たのだ」
天使は笑みを浮かべてはいるものの、ウィンスタードはその見下すような冷たい目が何となく癪にさわり、つまんなそうにそっぽを向く。
「別の者に頼めばいいじゃないか。私にはもう、そんな気力がない。生きる気力も見失っているというのに」
「魔導騎士のお前にしかできぬ。……第一、創造神の命だ」
「見返りは?」
すると天使はウィンスタードの体の上にのしかかり、笑みをますます深める。
「――この世からの脱出だ」
ウィンスタードは黙りこんだ。
この世からの脱出――つまり、死――それが本当のことなのか、一瞬疑ってしまったが、天使の言う話を黙って聞き込んでしまう他なかった。
「魔導騎士とは、役目を果たさなければ死ねない。お前には社を作ることが命じられた。これも魔導騎士の苦しみの一部だと思って取り組むがいい」
ウィンスタードは天使の目をまっすぐ見つめて呟く。
「本当に、死ねるのか」
「あぁ、本当だ」
「家族にも、会えるのか」
「そうだ。……お前が、一番望む記憶の中に帰れる」
そんな条件で死ねるというなら、戦場で戦うよりも政治を行うよりも、ずっと楽で簡単なことだ。
けれどウィンスタードは少しだけ躊躇いの気持ちがあった。
この壊れてしまった心で、まともな歴史を、言葉を記せる気がしなかった。
ウィンスタードは少しの間考えたが、結局天使に向けていた目線を反らしていた。
だが、天使はウィンスタードの頬に手を触れて、無理やり目を合わせる。
「では一つ、お前にある話を伝えよう――事実のことだが、な。動機付けにでもなってくれればいい」
ウィンスタードはぼんやりとしながら、「何を、だ」と尋ねた。
そしてまた天使は目を細め、不敵に笑う。
「お前の従者であった、ガルナ・ザックスフォードのことだ」
その名を聞いた途端、心臓に冷たいものが当たるのを感じた。
そしてため息をつきながら、心の中の言葉をこぼすように言った。
「ガルナ……懐かしい名だ。とても強くて優しい男だった」
今ではもう、顔や声を思い出せないが、彼の人情はまだ忘れていない。
素晴らしい人だった。あの若かった時期は自分の気持ちを正直に彼に伝えることができなかったし、最後まで機会を掴めなかったが、ただひたすら心の内で敬愛していたものだった。
戦後は、自分を遺して先に逝った彼を恨んだ時もあった。どうして自分を置いていってしまったのか、いつまでも答えの返ってこない問いかけを何度もした。そして寂しさに耐えきれなくて、憎しみになりきれない、憎しみを抱いた。
しかし、どれだけ憎んでも、彼を思う度に、その憎しみがすべて愛に変わっていく。そしてまた果てしない孤独が生まれるのであった。
それが一番苦しかった。
今でも、また会いたくて仕方ない。
「お前、ガルナの出生を知らないだろう」
突然質問を投げ掛けられ、ウィンスタードは少しだけ間を開けてから答える。
「……そうだ。確か、彼自身も何も知らなかったはず」
「あぁ。だがな……今から言うことはすべて事実だ。彼には別の名を持っていて、ガルナという名は、本当の名ではない。――そして、その正体は人間でもない。彼は、フォルゼアールという名を持った天使なのだ」
ウィンスタードは眉をひそめた。そして、静かに「嘘だ」と呟いた。
天使は涼しげに、怪しく笑いながらウィンスタードに顔を近付ける。
「いいや、本当だ。フォルゼアール自身は自分の正体を知らなかったわけだから、思考は人間かもしれないが、能力も体も天使そのものだ。しかも純血の、な……」
ウィンスタードはますます驚きの表情になる。
天界の天使はずっと昔から天使と人間の混血が殆どの割合で占めている。だから天使と天使の混血など、なかなか珍しい。
ガルナがそんな希少な純血天使だったなんて思いもよらなかった。いや、まだ信じることはできていない。
ウィンスタードはすべてを鵜呑みにする気を無くして、ただ天使の話を黙って聞き始めた。
「地上界が争いを始めるようになったとき、天界でも争いが起こり始めていた。ちょうど天界を二分するように、内乱が起こってしまってね。天界を今まで通りの姿にし続けようとする保守派の天使と、人間と協力して今の天界の上層部を打ち倒そうとする革命派の天使が対立したのだ。革命派の蜂起の理由は、色々あったが、中でも一番の対立の理由は、秘術という我らの最高傑作の代物だった。ちょうど、創造神がお前に与えたカレヴァン――確かこの世界で魔導騎士、と呼んだな。その能力と同じような目的で作られた代物のことだ」
「……秘術?」
「そう、お前に与えた秘術は、強大な魔法の力。天界にも劣らぬ絶対の力だ。秘術はお前に与えられたものを含めると全部で四種類存在する。一つは、お前が持つ、魔力の秘術カレヴァン。二つは、蘇生の秘術クロノリアス。三つは、変化の秘術ジャグネーゼ。そして、四つは予知の秘術フォルゼアールだ。これらは創造神が天界の象徴として作られた尊い品で、それを体内に埋め込めば、先程言った能力が備わり、創造神の部下という高貴な地位を獲得できる。お前のような、能力のある者しかそれを持つことはできない。――この手にその証があるだろう。お前は左手で秘術に触れ、秘術を獲得したのだよ」
すると天使は、ウィンスタードの左手を掴んで甲に描かれてある黄色い紋章を見せつけるように言った。
「……ここでフォルゼアールの話に戻そう。フォルゼアールの両親は共に純血天使であり、保守派の天使だった。保守派の数は、増え行く革命派よりも圧倒的に劣るため、彼らは自分達の故郷を守ろうと戦いに向かうつもりだった。だが、その寸前にフォルゼアールが生まれてしまう。そして、彼の父は秘術所持者だった。だから子のフォルゼアールにもそれを受け継がせねばならなかった。だが、両親はこの紛争の中、子などまともに育てることはできないと判断した。保守派の天使だったが、この争いがあるのは紛れもなく秘術が存在するからだという意見の持ち主だった。そこで、秘術をまだ赤ん坊のフォルゼアールに託した。背中の翼を彼が泣き叫ぶ中、切り落とし、それでできた傷によって秘術の証を見えなくさせたのだ。まったく意思の強い両親だろう?」
ウィンスタードは、ガルナの肩甲骨辺りに大きな傷痕があったのを思い出す。実際あの傷の原因もガルナは知らなかった。本人が知らなかったのだから、周囲にも気にする人はいなかった。
その両親は翼を折った傷痕で秘術の紋章を消したのだ。
見た目だけでも、人間として地上界に生かすために……。
「そしてフォルゼアールは地上界に捨てられた。彼は自分が誰なのかもわからずに、獣の少年期を過ごし、聡い貴族に拾われ、心は人間として育った。……しかし、その体に根付く秘術の能力で苦しむことは避けられなかった。彼の秘術とは予知の象徴フォルゼアール。しかし、地上界で人間として生きていたため、秘術の能力に偏りが生じてしまった。本来どんな未来も知ることができる能力だが、人間として生きるフォルゼアールは人の死の予知しか知ることができなかった。能力は不完全のままだったのだ」
天使は次に寝台の横に腰掛け、ウィンスタードの髪を撫でながら続ける。
「この地上界にはな、創造神がお決めになった筋書き通りの運命を歩まない魂がいると、地上界に何らかの災厄が訪れるという規則がある、例えば地震や噴火、飢饉なんかもそうだ。人間にはわからないが、天使には誰に教えられなくとも物覚えがついた頃には皆知っている規則なのだ。その規則を知り、さらには人の死を知ることができるフォルゼアールにとって、どんなに関係のない人物だとしても、筋書き通り――すなわち、予知通りに死なない人物に関しては気が気ではなかっただろう。若い頃には、何人か人を殺したことがあった。一人の命で万人を救える方が、人の心を持つ彼にとって楽だったのだろう。しかし、唯一死の筋書きから救おうとした人物たちがいた。……お前はこの出来事を覚えているか?」
天使は目の前に手をかざす。すると、ウィンスタードの頭の中に、少年の頃のあの残酷な一夜の映像が浮かんできた。
瓦礫に埋もれていく両親と燃え盛る生家、殺戮を続ける天使、泣き叫ぶ召使い。……そして既に事切れてある妹の亡骸。
ウィンスタードはかすれた声で答えた。
「あぁ……覚えている。私が、酷く非力だった頃だ。幸せな日々を天使たちに奪われた、悲しい日……」
その映像を見て、段々とその時の記憶が蘇ってくる。
この悲劇の日に、最後まで足掻けるだけ足掻きたいという、未熟な考えを持ったからこそ、自分はこうして心を壊してまで生き続ける羽目になったのだ。
この時に何も行動をしなければ、ガルナと死別することもなかっただろう。共に生きることはできなかっただろうが、少なくとも共に家族の元へ逝けたはずだった。
「フォルゼアールはこの日の帰り道に、屋敷の人間が死ぬ予知を悟った。そしてオルストロの姓を持つ者は皆、死ぬということも彼はわかっていた。助けてはならないとはわかっていた。けれど人の心を持つフォルゼアールには、自分と親しい者たちを死なせることはできなかった。しかし、助けにいこうとするも、屋敷を目の前にして天使に阻止されてしまった。おかげで屋敷の多くの人間は死んでしまった。――だが、ここで問題だったのは、予知で死ぬ予定だったお前が生き残ってしまったことだった」
ウィンスタードは胸にひんやりとしたものが当たるのが触れた気がした。そして驚いた表情をさせるも、天使はそれに構わずに言い続ける。
「フォルゼアールはこのことに焦った。筋書きに沿えなかった者がいる世界は災厄が起きて、どんどんと壊れ行く。それは抗えない運命であり、抗ってはいけない運命だ。だから災厄を恐れ、一度はお前を自分の手で殺そうとした」
すると天使の声が少しだけ低くなる。
「だがな、人の心を持つ彼が、そんなことをできるわけがなかったのだよ。大切な者たちが死に逝く中、何とか助かってくれた命を、その奇跡を、自分の手で壊す勇気がなかったんだ。フォルゼアールは、たとえ、多くの災害が起きたとしても、その罪悪感に耐えてお前を守ったのだ」
ウィンスタードは体が震え始めた。
「……あのひどい災害は、私が生き残ってしまったがために起こったのか……?」
顔をひきつらせながら言うと天使はにやにやとしながら頷いた。
「おかげで何人もの人が死んだ。地震によって埋められ、飢饉によって飢え死に、そして奪略や殺戮がより増えた。けれどフォルゼアールは、お前を生かすことを優先したのだ。しかも予知の夢は死ぬ予定の者が死なない限り、もしくは創造神の気まぐれで運命が変わらない限り、止まることはない。やがて夢だけでなく、起きている時にでもお前が死ぬ残酷な予知を見るようになった。それでも彼は八年間その苦しみに耐え続けた。その意思の強さに、お前を殺そうとかかる天使もむやみに手を出すことはできなかった。……第一、フォルゼアールはまだ創造神に愛されていた。秘術を持っているという理由で、その存在には一切手を出すなと天使たちに告げられていた。だからこそ、フォルゼアールも平常の天使に襲われることはなかった。けれど、やがて創造神はフォルゼアールが哀れだと思し召しになった。通常は一度決められた運命を変えることは滅多にないのだが、早く生の苦しみから救って、楽にさせたいと仰せられたのだ。天界戦争の決戦の日の朝、フォルゼアールは自身が死ぬ予知夢を見て起きた。そして自ら予知通り、戦場で天使に殺され、彼はこの世から去ったのだ」
ウィンスタードは思わず顔を覆った。胸の奥からどうしようもないほどの悲しさがこみ上げてくるのを感じた。
「あの時フォルゼアールが生きていれば……その時こそ、地上界は完全に天使のものになっていただろう。万人の幸せを実現させることなどできるわけがない、ましてや魂すらも地獄の苦しみを味わう、残酷な世界になっていただろう。お前が魔導騎士にならず、いまだ地上界と天界の行き来ができるような世界だったならば、最低の結末を迎えていたと、お前もわかるだろう? フォルゼアールは、お前が死ぬ世界よりも、お前が生きる世界を選んだ。それがこの地上界を救えたことに繋がるのだよ」
堪えきれず、涙が溢れてくる。
そしてどうにもならなかったあの時代の運命を恨んだ。けれど何をどれほど恨んでも、今のこの状況は何も変わらない。
「この世にはもう、ガルナの存在を知る者はお前だけになってしまった。だからこそお前は、それを後世に伝える権利だってあるはずなのだよ?」
天使のその言葉に、ウィンスタードは虚ろになりながら呟く。
「……ガルナの存在を……わたしが……?」
ガルナこそ真の英雄だ。
民も臣下も皆、ウィンスタードを英雄だと称えたが、ウィンスタードにとっては 彼だけが英雄なのだ。
――伝えたい。
――伝えなければならない。
ウィンスタードは起き上がると、天使と向かい合い、そして今した決意をはっきりと述べた。
「……いいだろう。それでこの苦しみから解放されるなら、容易いことだ」
すると天使が頷き、怪しく笑いながら言う。
「良い心意気だ。人生で最後の偉業に、是非積極的に取り組みたまえ。後世の人々をも導く歴史を、すべてを記すのだ」




