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SALVADOR  作者: れのん
後編
13/20

第13話

私に課された呪いは、一生消えることはない

しかし、それは自分が認めた宿命だ、自ら歩んだ道だ

天と地は我らの予想以上に、近くて遠い関係であった。


我らは神に創造され、神から試練を与えられ、神の思し召しで今ここに生きている。


確かな人生という道を我らに与えてくれる。


だがそれはとてつもなく残酷なもので、非情な結果だった。


神の導き出す運命でも、試練でもない。



    「神音書」第三節(故事の文)より




我ら人間こそが、神のすべての恩恵を塗り潰してしまおうとした残虐な愚者だ。


神の作った碁盤を、根底から覆してしまったのだ。


その埋め合わせができるのは、今や壊れかけの心にしかできない。



    「神音書」第八節(意識の文)より





 ** ** ** **


 その小川を越えれば、もうすぐで大陸一番の都市に着ける。

 たくさんの穀物と果物、鉄、薬、財宝の集中した、大陸で特に巨大な中心都市だ。軍隊はしっかりと整えられており、とても豊かで治安の良い、最高の都市である。

 商人はそんな城下町の風景を遠くで眺めながら、道の途中で拾った移民たちと休憩を取り始めた。

 武具と本を売りに城下町まで行く予定なのだが、そんなに急ぐ必要もないため、王国の見える小川のそばで昼餉を始める。

 王国は遠くから見ても、活気があることがわかる。皆、慌ただしく働いているが、それでいてとても豊かだった。

 天界との戦争を終えた日以来、食料の供給もますます増えたものだ。あの時代は噴火によって大地が枯れて、苦しい飢饉に悩まされていたが、天界戦争終戦後は、突然命が再び舞い戻ったかのように大地は作物の芽をぐんぐんと伸ばした。穀物や野菜、果物の獲得も今では容易になり、農業で富豪になる地主も多く現れているという。今ではきっと、食料を生産する仕事をした方がより効率よく生計をたてられるだろう。

 けれど、その商人は生涯の職を商いに捧げることを誓っている。今さら畑を耕すことなど興味もないし、する気もなかった。

 だが、こんなにも容易く、上手い麺麭が食べられるのは、例の農民たちのおかげだということは否定できない。そして悔しいことだが、心の底から感謝した。少し前までは、周辺の草むらにいる虫さえもご馳走だと思っていた時代だったから、こんなにも美味しい食べ物を低価格で得られることに喜びを覚えた。

「あんな大きな城下町、見たこともないよ。きっと仕事の数も多いんだろうな」

 移民者はその美しい城下町を眺めながら、感嘆の声を上げる。

 商人もまたその城下町を眺めながら、手製のはちみつに付けた麺麭を口に入れる。

「他の町より少しばかり税は高いですが、住みやすい町ですよ。美味しい料理、清潔で美しい建物、店、踊り子……いろいろなものがあります。きっとあなた方もすぐに馴染みましょう」

 それを聞いた移民者たちは晴れやかな顔になる。

 誰もがあの都市に移民したいと思うことだろう。不自由を感じる民は一人もいない、とても平和で幸福に満ち溢れる理想郷なのだ。

 しかし、商人は知っていた。

 あの国の平和とは、数々の戦乱があって掴めたものであると。

 天使との戦いだけではない、おびただしい程の残虐な侵略と国境の変化があって保たれているものであると……。


 ** ** **


 民が平和になる度に、心の不安は消えた。

 けれどそれと同時に別の不安も覚えた。

 戦いとは心の不安を忘れることができる手段だった。負けを祈ってみたとしても、勝つのは自軍であったため、戦場では何かを考えることは無駄だった。だからこそすべての記憶を忘れられた。

 戦場にいる時は、己の心を平常で保たせることができる。

 けれど戦場から帰れば再び過去に囚われて、心の中を不安で満たしていく。それは逃れられない現象であり、その度にえも言われぬ程の吐き気に襲われた。

 大陸にどんどんと幸福が増し、心の不安を忘れられる唯一の手段が無くなろうとしている今、自分はどうしてこの世に生きているのか何もわからなくなっていた。

 "ただ"生きている。

 恩人の言葉の通りに、今もここに生きている。

 だが、何のために生きなければならないのか。

 その疑問はどんどん深まっていくばかりで、何も答えを見つけ出すことはできない。


「ウィン様、内に籠っているばかりでは、お体を壊してしまいますよ。庭へおでかけをしましょう」

 寝具の上でうずくまっていると、ドアの方から妻の優しい声が聞こえる。

 ウィンスタードはその誘いに、すぐには反応することができなかった。今朝からずっと体調が悪く、体を動かすことがだるかったためだった。

 けれど、この暗闇にいると、自分の心を本当に見失ってしまいそうになる。

 陽の光を浴びればもっと楽になれるだろうかと思い、だるい体を起こし、妻が差し伸べている手を取って、ゆっくりと寝具から降りた。


 庭に出ると、その陽の光の強さに少し肌がちくちくと痛む。外はくらんでしまいそうなほど眩しくて、目が慣れるのに時間がかかりそうだ。

 この時点でもう部屋に戻りたかったが、妻の引く手にそのまま連れられていく。

 庭はとても綺麗な景観をしていた。今の季節がいつだったかわからないが、甘い香りをさせる白い花々がたくさん咲いている。灰色の石畳や花壇はなめらかで美しい見栄えであり、それに反射してくる光が綺麗で眩しくて、薄く目を開けながら歩かなければならない。

 その美しい景色だけではなく、警護兵たちの様子もふと思わず目を向ける。兵士たちは皆揃って、たくましく晴れやかな表情で仕事をしている。今の状況に満足をしているのか、嫌そうな顔をしている者は誰一人いない。

 ウィンスタードは周辺を見回していると、自分の住んでいる城に違和感を覚え始めた。こののどかで平和な場所が、本当に自分が築き上げた城であり、王国なのかと疑ってしまうばかりだった。

 その次に目を向けたのは、手を引いて庭の中を共に歩く妻の姿だった。


 ウィンスタードは天界戦争後、セリファと婚約をした。オルストロ家の側近の娘なのだから、何も文句はなかった。ウィンスタード自身も、心を預けられる者は今や彼女しかいなかったから、彼女からの婚姻を喜んで受け入れた。

 セリファは、天界戦争中は並みの男性兵士よりもずっと屈強な戦士の風格があったものの、王妃となった今は普通の女性の雰囲気しか感じられない。戦争中とはまるで別人のようだが、ウィンスタードにとってはそんなセリファとも親しみやすく、好意的になれた。

 いつでも明るくて、いろんなことを話し、頼りたい時にはいつでも頼らせてくれる……そんな優しい彼女といる時は、戦場にいる時とは違った安心感があった。

 今では懐かしい安心感だった。

「ウィン様、またこの城下町へたくさんの移民が入ってくるようです。貴方の国が、こんなにも名誉あるものへなっていくことに、感激を覚えずにはいられません」

 セリファはウィンスタードの手に触れて、幸せそうな表情で語る。

 二人は花が風に揺れているのを眺めながら、花壇の前にあるベンチに並んで腰掛けていた。

「貴方の国がこんなにも誇らしい。……きっと同胞たちも、貴方を、この国を、非常に尊く思っていることでしょう」

 セリファはずっと、同じ調子で言い続けていたが、ウィンスタードは何も返さず黙り込むばかりだった。

 だが、セリファは幸せそうな笑顔のままウィンスタードに寄り添う。


 天界戦争後、天界討伐兵団に所属する国々がウィンスタードに一斉に蜂起をした。

 理由はさまざまであったが、最も蜂起の火種となったのは、ウィンスタードが天界によって付与された魔導騎士という能力だった。

 天界戦争決戦の日、大陸は強い光に包まれた。あの光とは、すべての世界を破壊する魔法「サルヴァドール」を使おうとしているウィンスタードを止めるべく、超越した魔力を与えたために起こった。

 その魔力とは、人類を統べるのに非常に有効的な統帥のための魔力。これを持てば、天界にも劣らないほどの強い力を一人で一生独占できるようになる。

 誰か一人が特別に強い力を持って、人々を統帥することが、この地上界には必要だと思った天界は、その使命を、「すべての人間の罪を背負おう」と宣言したウィンスタードに課したのだった。

 それを知る者はウィンスタード以外誰もおらず、何もわからない国々は危険視し、ウィンスタードが勢力を上げない内に次々と出撃しにいった。

 オルストロ家に援助をしてくれていたギルミナ帝国でさえも、その魔導騎士討伐兵団に所属した。

 ウィンスタードに着いてきた兵士は、千にも満たないほどにわずかだった。

 しかし魔導騎士の能力は、例え大陸のすべての国を敵にしたとしても倒されることはなかった。

 魔導騎士となったウィンスタードは大陸をまとめるため、従わない国には武力を持って傘下に入れた。

 その力は、何万と並ぶ兵士を一瞬で消し去ることのできるような強大な魔法をどれだけ使っても、体には何の負担もかからない。魔力の限界など、人類で最も強い魔術師となったウィンスタードにはもはや存在しなかった。

 それによりますます勢力を増やし、民の心もウィンスタードに向いていき、一つの国ができあがった。魔導騎士の能力とは圧倒的であり、民の願う平和な国を実現させるのは、容易いことだった。豊富な食料と安心して暮らせる生活を求めるたくさんの民がここに寄り付き、国を成長させる手足となってくれた。


 理想郷だともいえるほど完璧な、このオルストリア王国こそが、ウィンスタードが治める巨大な国家である。

 やがてその圧倒的な強さに他の小さな国々が怯え始めると、彼らは途端にウィンスタードに従い始めた。そしてエルス大陸各地の政治も治安もウィンスタードが掌握したのである。


 こういった経緯があって、このオルストリア王国はほんの二年でエルス大陸の全土を支配することができた。

 侵略と支配を短期で繰り返し、達成されたこの偉業を、人々は大陸統一と呼んだ。

 この大陸統一のおかげで、エルス大陸に争いは完全に消えた。

 食べ物も水も、知識も心のゆとりも、誰もが欲しい分だけ手に入れられる、そして何にも阻まれず、安心して生活することができる時代が到来したのだ。

 エルス大陸には幸福が満ち溢れていた。

 その光景を見れば、誰もが最高の国だと思うだろう。


 しかし、ウィンスタードにとってそんなことはどうでもよかった。この現状が良いとも悪いとも思わず、ただ自分ができることを成し遂げようとするだけで、空虚な心のまま生きていた。

 戦争が終わって大陸全体には平和が訪れた。

魔術などの学問の研究を重ね、誰もが扱えるような身近な技術に進歩させた。

しかし、それらすべてを成し遂げたウィンスタードは、本当に生きているのかあやふやになってしまうほど、空っぽな心を抱いたままだった。

 何がこの心を空虚にしているのか、その答えはすぐにわかるが、考える度に悲しい気持ちになってしまうから、今ではもうそれを思うことはなくなっていた。

 心すらも暗くなる夜には、セリファがそばにいた。

 夕餉を食べ終わればウィンスタードはそのまま寝具の上に寝転び、眠れないまま夜を過ごす。すると一日の役目を終えたセリファは、寝室の戸をそっと開け、ウィンスタードのそばに寄り添って眠るのだ。


 けれどその日の夜の彼女の様子は、いつもと違っていた。

 いきなりウィンスタードの上にまたがり、服の中をまさぐってきたのだ。

 ウィンスタードはやや驚いたものの、彼女がその行為をしてきた理由を知らないわけではなかった。

 セリファの想いはちゃんとわかっている。

 人間の本能なのだから、そして人間の心を持っているのだから、愛する者と子孫を残したいと思うのは充分理解できた。

 それでもウィンスタードはそれを拒んだ。

 確かに、この世界で最も愛するセリファがより幸せになってくれるのであれば、自分の血を分け与えるなど容易なことだ。

 けれどそれには、柵が大きすぎる。

 彼女のために更なる幸福を与えてやりたかったが、自分の血を分け与えることは、絶対に禁忌であるとわかっている。それを破れば、この世に不幸が増えるだけなのだ。

「……いけないよ、セリファ」

 ウィンスタードは震えているセリファの手をどかして、細い声で呟いた。

 即答はしてこなかった。

 けれどセリファは、優しげな笑みを浮かべながら、くぐもった声で問いかける。

「なぜです?」

 ウィンスタードはまっすぐ、セリファの瞳を見つめて言った。

「私は呪われている身だ。私の血を持つ者など、この世に私だけで充分だ。この呪いで苦しむ者を増やしたくない……まして自分の子どもなど……哀れでならない」

 どんなに願おうと、この呪いが解けることはない。そして、この血を持つ者は皆、呪いに縛られ苦しむだろう。それは永代に渡り、子らを苦しめていくことになる。そしてそれを取り巻く者にもきっと不幸が降りかかる。

 ちょうど、大陸統一の戦乱で散っていった兵士たちのように……。

 しかし、セリファは顔色を一つも変えず、ウィンスタードの頬を優しく撫でて耳元に優しく呟く。

「私たちが導けば良いではありませんか」

 その言葉は、一際目立って聞こえた。

 そしてセリファは変わらない調子で続けて呟いていく。

「私たちの役目は、この大陸の秩序を守ること。それを彼らに任せることができるように、導くのです。そして貴方のその威厳を未来に、そして永遠に伝えましょう?」

 セリファの声がゆっくりとした口調になっていく。

 それを聞いていると思わず、ウィンスタードは彼女の頬に触れたくなってくる。

 体の底から、何か震え上がってくるのを感じた。

「貴方の血と、私の血をもって生まれてくる子が、呪いなどに負けるわけないのですから……」

 セリファはそう言うと、衣服の帯を解きながら、唇を合わせてきた。

 もう何も考えることができなかった。どうすることもできず、ただ欲望に、そして愛する者にこの身を委ねた。


 体の上で動くセリファを眺めながら、ウィンスタードは心の中でこの理不尽さを恨んだ。

 この呪いに苦しむだろう我が子に、苦しいほどの罪悪感を覚えた。

 けれどこの欲望から逃れることは叶わない。

 だからだろうか、けして逃れられない暗い柵を、我が子に押し付けようとしている自分たち夫婦すら、哀れに思えた。

 よりによって自分たちの子に、全人類の罪の懲罰という重荷を背負う運命を、その理不尽さを味合わせなければならないことに、ただただ疚しさを感じた。


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