第10話
この心に生きる愛しくて憎い人、それが私の生きる糧だった
争いの絶えない日々だった。
血に濡れた大地は穢れに染まり、
草木の恩恵はどこにも生えぬ。
それと同時に、人間の心も血に染まり果てる。
虐殺も略奪も、そこかしこで起こり、罪のない者は絶え、
罪深き者は骸の上で勝利の酒を酌み交わした。
賢者が悟るべきものとは、その祝杯の濁り。
その濁りとは罪の濁り。
故にその悪酒とは、人の道をも崩す。
「神音書」第一節(故事の文)より
** ** ** **
ディレクトリア滞在中には、エルス大陸で発生し続ける災害のあらましについて書かれた書物が、とある研究者たちによってよく著された。宮中でもそのような本が話題になっていたから、ウィンスタードはふと読んでみたことがある。
一番印象に残った書物の序文にはまず、ある日を境にして災害が多くなった後のエルス大陸のことを語っていた。地震で住処を破壊された者、瓦礫に潰れて大怪我をしたり死んだ者のこと。火山の噴火で大地が穢れて作物が育たなくなり、飢饉が発生したこと。それによって多くの餓死者をセゼル地方に出したことなど、とにかく災害の悲惨さが記されていた。
そんなことが起こった「セゼルの大懲罰」と人々が呼ぶ年から以降、突然災害が多くなった。
この大陸にのしかかる不幸の連続は、天界の懲罰のひとつであると多くの人々は嘆く。
しかし八年前の「セゼルの大懲罰」の後、エルス大陸は地震や噴火などの災害への対策に強くなった。
災害に耐えることのできる防災や、飢饉のための食料保存など、人々は災害への対策というものを始めたらしい。
それでも命を落とす者は多い。身も心も、傷を負う者は絶えない。
それが理由だからだろうか、久しぶりに見た故郷への路は、〈穢れ〉の魔力が以前よりも多く漂っているように見えた。浄化が必要な部分も少なからずある。
しかし〈穢れ〉があるにせよ、それはほとんど致死量ではない。漂っているのはごく一般的な量であるから、こうして土地が荒廃していないのである。八年前にあった大地震の爪痕は未だ残ってはいるものの、ほとんどの建物や道路が復興されている。故郷への帰路には、気の良さそうな行商人や旅人の姿も目立っていた。
馬車を走らせ西国へ入っていくと、やがてギルミナ帝国の関所に入った。東国にあった関所のように壊れておらず、その美しい建物を見るなり、ウィンスタードはようやく故郷へ帰ってきたことを実感する。
だが、久しぶりの故郷の懐かしい感覚に浸っている場合ではない。
ギルミナ帝国下の自領地であるクェリシスカ領はいまだ遠いが、帰還したことを国王に伝えるべく、まずはギルミナ城へと向かうことを決めた。
さらにウィンスタードは城へ訪問する前に、帰ってきたことを事前に王国へ伝えておこうと思い、関所の者に早馬で使者をつかわすよう頼んだ。使者が言伝を受け取ると、関所にいた足の速い良馬にまたがって、颯爽と城下町へ向かっていった。
馬車で城へと向かう途中に、ガルナは独り言のように呟いた。
「オルストロ家にいた人々は、今どうしているんだろうな……」
かつて世話になった同胞たちが今どうしているのか、ましてやどこにいるのかさえわからない。もしかすれば各々歩みたい道へ散っていってしまったかもしれない。
仕方のないことではあるが、もしかすれば一人の同胞も我々の帰りを待っていないという可能性もある。それはとても寂しいことである。
だが、ガルナが一番心配に思っていることはウィンスタードにはよくわかっていた。
「お前はきっと、セリファのことが特に気になるのだろう」
「まぁ……そうだな」
ガルナにとって娘のことを忘れた時はなかった。そして非常に申し訳なく思う気持ちも薄れた時はない。
親であるのなら誰でも、母親を失ったばかりの十歳の少女を一人置いていってしまったことに罪悪感を感じないではいられないだろう。
ガルナは娘と再会した時には、つらい少女時代を送らせてしまったことに深く謝りたいと思った。明るい青春を送る権利を持っていたはずなのに、それを守ることができなかった自分を許して欲しかった。
「あいつも今年で十八になるはずだ。年頃の娘であるし、嫁にでもいって幸せになってくれていたらいいな」
親のいなかった期間を埋め合わせてくれるような良い人と共に生きて、幸せな生活をまっとうしてくれていたなら、それほど喜ばしいことはない。あんなにも可哀想な子をもらってくれた人がいるというなら、それは娘にとっても父親である自分にとっても感謝しきれないぐらいにありがたい存在だろう。
とにかく彼女がこれから繰り広げられるであろう戦乱に巻き込まれることがないよう、ガルナは切実に願うばかりであった。
ギルミナ帝国の王都へ辿り着くと、城下町の門前には、かつてオルストロ家で小間使いとして世話をしてくれた人物が立っていた。
ウィンスタードはこの男をよく覚えている。細い目と鼻の下が広いのが特徴的な面倒見の良い小間使いだ。少しだけおっちょこちょいで、時々食事用の皿を割っていたのを思い出す。
彼は今にも泣きそうな潤んだ目で、それでも喜びに満ち溢れた面持ちで出迎える。そして人目もはばからず咄嗟にこちらに跪き、震える声で挨拶をした。
「よくぞ無事お戻りになられました……ウィンスタード様、ガルナ様」
そう言って男は顔を上げて、満面の笑みをこちらに向けた。
「久しいな……ジャクルメ。お前に再び会えて嬉しいぞ」
「わ、わたくしめもあなた様方と再会でき、言葉では表せぬほど喜ばしく感じております」
そう言うと彼は必死に堪えていた涙を一気に流し始め、号泣する。
ウィンスタードもつられて涙を流さずにはいられなかった。
けれど再会に喜んでいる暇はない。
早急に知りたかったことは、我々の同胞たち、そして西国の現状だった。
「オルストロ家にいた者は今どうしている?」
そう尋ねると、ジャクルメも気を取り直して質問に答える。
「はい。皆あなた様方のお帰りを心待ちにしております。お二人が旅に出られた後は、城下町の復興を手伝うためにギルミナ帝国の城下町に我々皆身を置きました。復興の作業が終わり、兵士が集まってくるにつれ、ウィンスタード様のご意向に沿いたいと立ち上がる者が増えました、今ではあの城にて軍の強化や武具の整理を進めております」
そう言ってジャクルメは前方にある大きな城を指差す。大地震があったというのに、傷痕を感じさせないほど美しい立派な石城が佇んでいる。
「セリファもこの街にいるのか?」
ガルナのその問いかけに、ジャクルメは優しく微笑み、答えた。
「えぇ、ご息女もお元気にしていらっしゃいますよ。……きっと今のお姿を見ればお二人共驚かれることでしょう」
「お、おぉ。そうか……」
ガルナの安心したような面持ちを見て、ウィンスタードはふとセリファのことを思い出してみた。
おそらく屋敷の人々で一番明るい子だったと思う。おてんばでややいたずら好きだが、いつでも愛らしい笑顔を絶やさない、母親似の朗らかさがとても印象的だった。
そんな彼女は今頃どうしているのだろう。片目と母親を失ったつらさを乗り越えて、また明るい自分を取り戻すことができているだろうか。
今からかつての同胞と会えることに、二人は胸に期待を満たした。八年を経てようやく彼らと会うことができるのだ、喜びと期待を覚えないはずがない。
二人は召し使いのジャクルメに連れられ、城へと続く城下町を歩いた。
大地震で跡形もなく崩れていた城下町はどうにか復興できているようで、相変わらず美しい街並みが続いている。市民は慌ただしく、それでも快活に働いていて、身なりもみすぼらしくない。民の心も荒んでいるわけではないようで、ウィンスタードはこの街並みを見るだけでも安堵すると同時に、懐かしさまでも感じた。
この国はオルストロ家との関わりの深い国であるため、時折家族や小間使いと共に城下町へ遊びに行って、買い物をしたり、美味しくて珍しい食べ物を食べたり、劇団の催し物を観たりして楽しんだものだ。
しばらく歩いていくとやがてギルミナ城の門前へとたどり着いた。そこでジャクルメは門前の兵士に理由を告げた後、こちらに向かって話しかけてきた。
「この先が国王の城でございます。私はこれから宴の準備をしに向かいます。この門の向こうに王座へ案内をする兵士がいるはずですので、その者に着いていってください」
そうすると、彼は大慌てで城の端にある勝手口へと駆けていった。
門前にいる兵士が大きな城門を開けた。
門の向こうでは多くの兵士が、王宮にまっすぐ伸びる道の脇に敬礼して立ち並んでいた。そしてその兵士たちの真ん中には赤い鎧を身にまとった露出過多の屈強な女性が、こちらを向いて立っている。
ウィンスタードとガルナが門を越えてその女性の方に歩み寄ると、彼女はこちらに跪く。そしてゆったりとした声振りでねぎらいの言葉を述べた。
「あなた方のお帰りをずっとお待ちしておりました。八年間の長き旅路、お疲れ様でした」
今までいろいろな国の軍隊を見てきたが、女戦士を見るのは初めてであった。さらにはウィンスタードよりも背の高く、女ながらも筋骨逞しく、目つきも鋭い。周辺の兵士たちよりもずっと戦士らしい風格を感じた。
「手厚い歓迎を感謝する。顔を上げよ、名を何と申す」
ウィンスタードがそう尋ねると、女性は顔を上げ、片笑んで答える。
「私の名はセリファ。あなた様の作り上げた兵団に所属する戦士の一人にございます。……さぁ、王室へとご案内いたしましょう。国王が、あなた方をお待ちかねです」
その女の返事に、ウィンスタードとガルナは呆然とした。
女戦士は、驚きのあまり言葉を失ってしまっている二人を構わず、さっと立ち上がり後ろを振り返って、王宮へと向かう。
ウィンスタードは彼女に着いていこうとしたが、いまだ硬直しているガルナに気付き、足を止める。
「お前の娘は元気そうで、よかったじゃないか」
「……そういう問題じゃない」
** ** **
ギルミナ帝国の城内に入ると、敬礼をして整列をする兵士や官人、宴の準備で慌ただしい召し使いなどが周りにあった。城内は豪華絢爛で、エルス大陸の西国の中心の国である風格を物語っている。
しかし、そんなことよりもずっと気になるのは、王座へ連れて行くため先を歩くセリファのことだった。
特にガルナは、周囲も見渡さずにただ前にいる娘に目を向けている。彼女の正体を知った時からずっと、そわついた様子は絶えない。
「着きました。ここが王室になります」
装飾の豪華で大きな扉の前に着くと、セリファは一度立ち止まって説明をした。
そこでガルナは思い切ったように彼女に問いかける。
「なぁ、ここに入る前に答えてくれないか。お前は本当にセリファなのか……?」
しかし当の彼女はまるで聞いている素振りはなく、王室の扉を開こうとする。
「私が王とお話をするだけだ。久しぶりに再会できたことなのだから、お前たち親子は共に語り合っていればいいじゃないか」
ウィンスタードはそう口を挟んだが、セリファは笑みを浮かべたまま淡々とした口調で返す。
「あなた方のご帰還をお祝いすることが最優先です。その後であれば、思う存分語り合えましょう」
セリファの素っ気ない返答にウィンスタードは違和感を覚えていたものの、そのまま扉は開かれ、一行は王室へと入った。
国王のいる間は広く、天井は高いものの、多くの出迎えの兵士や官人で何となく狭く感じた。だがその場にいる人々の熱意や喜びが、彼らの表情と歓声を受けることでより強く伝わってくる。
前方の玉座にはギルミナ帝国王が、喜びに満ちた表情をさせて居座っている。
兵士たちの歓声が止んでから、ウィンスタードは国王にひざまずいて帰還の挨拶をした。
「大陸の国々への呼びかけ、兵士の召集の務めを完了して只今帰還いたしました。国王のご尊顔を再び拝することができ、恐悦に存じます」
「うむ、ご苦労であった。召集された兵士とその国の連絡はもう既に取れてある。兵の制限はあるが、いつでも軍隊を集めることはできるぞ。……こうして多くの国と連携を取ることができたのは、そなたたちの尽力があってのことだ。本当に、たった二人でよくやり遂げてくれた」
連絡手段の無いこの時代は、使者を遣わして国と国との連絡を取り合うというのが通常のことであった。だからこの八年の旅をすることなく、ギルミナ帝国に頼んで使者を送ってもらうこともできたはずなのである。
しかしそれをあえてしなかったのは、ウィンスタードが特に兵団を作りたい意思があったからである。使者でもない、戦争を起こそうと決意した本人が交渉に赴いたことで、その交渉の言葉には説得力が生まれたのであった。
さらに東国には強力な魔術師が多くいるため、ただの人間では城に入ることも許されない。だからウィンスタードが交渉へ行かなければ、もっと時間がかかっていただろう、ましてや一国とも連携を取ることなど不可能だっただろう。
「安心してほしい、オルストロ家はこの私が保護していた。財産も爵位も、すべて保証してある。……八年を経て、どうやらその面持ちも前当主以上に頼もしいものになったようだ。そなたを中や上の貴族などという位につけていては惜しいかもしれぬな」
そう言うと国王は立ち上がり、そばにいる大臣の持っている聖杯を手に取る。美しい装飾が付いた金製の杯だった。その杯をウィンスタードの前に差し出す。
その聖杯は、いわゆる国王が側近や大臣に大義を与える時のための杯である。だから国王が本当に信頼を寄せる者にしか与えられない品だった。
「そなたたちがこの国の軍隊の協力を交渉しに来た時、私は兵の数の制限をしていたが、もうそれは必要ない。ウィンスタード・オルストロ、そなたにギルミナ帝国の全兵士を預けたいと思う。そして天使討伐兵団の司令官として働いてもらいたい」
「私が司令官を、ですか……」
ウィンスタードは思わず顔を上げて、目を丸くさせた。
しかしギルミナ王は、穏やかな表情をして言う。
「あぁ。そなたのような偉業ある俊英が素晴らしい指揮を取れることを期待して、この杯を用意した。どうかね、やってもらえるだろうか」
――この大陸のほとんどの兵士をこの手で指揮できる。
そう思った途端、重い責任を負わされているのを感じるのと同時に、多大なる興味が心の底から湧き上がってきた。そしてその興味は頭から離れず、軍の指揮を今すぐにでも執ってみたい衝動に駆られる。
国王のその申し出に、ウィンスタードの答えはひとつしかなかった。深く頭を下げて、心からその地位の礼を述べる。そして王の持つ聖杯を受け取った。
「国王の思し召しとあらば、是非務めさせていただきたいと存じます。そのような任に携われること、言葉に表せぬほどの感激の至りです」
** ** **
宴も終わり、ウィンスタードとガルナは今の兵士の規模を確認するため、セリファに連れられて野外の訓練場へと向かった。
広い訓練場には、多くの兵士たちが戦闘演習を行っている。三百人ほどが時間毎にこの広い場所で訓練を行うようで、藁人形に向かって素振りをする部隊、兵士同士で木刀を使って打ち合う演習をする部隊、ひたすらに体を鍛えている部隊などが点在していた。
国王の兵士強化の計画によれば、この訓練場での強化だけでなく、学問所でも魔術師の教育に力を入れているらしい。魔術が少しでも扱える者、魔力が体質に合っている者を片端から徴兵し、戦場へ出せる魔術師として育て上げる。戦場へ行くつもりの魔術師はもちろん、権力を手に入れようとして魔術を学ぼうとしているただの貴族であるはずはない。彼らは歴とした兵法を学んだ軍人同然の者ばかりだ。
さらには武具の生産も急いでいるとのことで、全体的な軍隊強化が行われている。ちょうどセゼルの山が噴火したことで鉱物の資源が発見されてきたから、武具の材料は多くあった。
このような軍隊強化はギルミナ帝国だけでなく、他の国々も力を入れているらしい。ただの人間同士の規模の戦争を起こすだけであれば、今この時点でもかなり強力な軍隊となろう。
しかし戦法は自分なりのやり方を反映させたい。天界を迎え討つにはまだまだ課題が残っているということは目に見えていた。
「セリファもここで修行をしたのか?」
野外にある武器庫の様々な武器を眺めながら、ガルナはセリファに問いかけた。
柄も鞘もその刃も、全てが洗練されている質の良い武器が溢れるばかりに置かれてあった。得意とする者が多いから剣がありふれているようだが、槍や弓、鉄槌などの武器も目立つ。今までなかなか感じてこなかった「戦争」というものが、その武器庫の光景を見るだけで一目瞭然だった。
「えぇ。お二人が旅に出られたすぐ後、オルストロ家にいた我々がギルミナ帝国に移り住んだことはお存じですね? 幼い私は、何かお力添えができればと思い、この国の兵士たちと混ざって訓練を始めたのです」
すると彼女は前髪をかきあげて、隠していた左目をこちらに見せた。
刃で切られたような傷で潰れた目がそこから覗く。そしてガルナに向いて、飄々とした口調で言った。
「先程あなたは私に、本当にセリファなのかと尋ねましたね。この傷をご覧に頂ければ、本人であるとわかるはずです。私は八年前、天使によってこの目と母親と友人を奪われました。――ですが、そんなことはどうでもいいのです。それは過去の話なのですから」
セリファは段々笑みを深める。そのままガルナの後ろにやや距離を取ってから再度こちらに振り向く。
「私の心に残る人々は過去の人。私の知りうる限りの人はすべて、この私が消しました。戦士となるにはどうしてもその記憶が邪魔だったからです。……無論あなたもですよ、ガルナ・ザックスフォード。戦士となるために私は、唯一の肉親であるあなたという存在を殺したのです。あなたと私は、今や同じ志と敵を持つ、戦士と戦士……以前の父と娘のような関係は、ここには無いのです」
するとセリファは自身の腰にかけている剣を引き抜き、そしてガルナに刃を向けた。
「私は戦士としてのガルナに興味がある。あなたがどのような手で天使を殺め、どのような手でウィン様を守り通してきたのか……それを確かめたい」
「……どういう意味だ?」
ガルナは眉をひそめながら落ち着いた声色で問う。しかし、内心では娘に剣を向けられるとは思ってなかったため動揺もしていた。
セリファは怪しく微笑んで、答える。
「あなたに剣の手合わせを申し入れたい」
彼女のその要求を聞いて、ガルナは言葉を失う。だが彼の剥き出しの動揺など構わず、セリファは言葉を続ける。
「私は……この時を待っていました。あなたを殺すつもりで戦うことができる日を、この八年間ずっとずっと待ち望んでいたのです。この時こそが、私が、この力と技術を身につけた理由のひとつでもあるのです」
セリファの怪しい笑みと口振りを聞く度、ガルナは先程からおかしなことばかりを言われているように感じたが、彼女の目はいたってまっすぐだった。とても冗談で言っているようには感じることができない。
「お前は……お前は馬鹿か……?」
返すための気の利いた言葉がなかなか見つからず、ため息混じりで呟いた。
あぁそうだ、この子は家庭教師による授業をよくさぼる子だった。それでこんなにも頭の悪いことを言うようになってしまったのか……。
幼い頃の彼女を思い出しつつ、ガルナは呆れるように肩を落とす。
いろいろとつらいことが起こったから、幼い頃のような明るい少女ではなくなっているかもしれないとは思っていたが、まさかこんなにも変貌しているとは露ほども予想していなかった。この目の前にいる女戦士が、ますます自分の娘だというふうに思えなくなってくる。
自分の娘とは一体誰だったのだろう? 本当に自分の血を分けた子だったのだろうか?
この現実を前にしてガルナはとても複雑な気持ちになっていたが、それにも構わずまだセリファは同じ調子で言葉を続ける。
「情けは無用ですよ。ご自分のお得意な武器を使って構いません。あなたも、一人の戦士と戦う気になって向かっていただきたい」
そしてセリファは剣を構える。口元は綻んでいるものの、その目つきは真剣そのものであり、本気でガルナと戦いたいと思っていることがわかる。
この親子の一連をウィンスタードは黙って見ていたが、はらはらと気を揉まずにはいられなかった。しかし口出ししようにも、何も言葉が見つからない。
一方ガルナもしばらく考えてはいた。本当はようやく再会できた喜びや、この八年間をどのようにして過ごしていたのか語り合いたいというものの、彼女にはさらさらそんな気はなく、こともあろうか手合わせをしたいなどと言われてしまい、どうしたものかと心の中で嘆いていた。
しかしなぜか次第に、こんな成長を遂げた彼女の強さを知りたくなってくる。今まで見たこともなかった女の戦士を、我が娘がなったのだ。そうであれば彼女と剣を交えてみても良いのかもしれない。
「仕方ねえな……ウィン、下がってろよ」
「え? でも……」
ウィンスタードは止めようとしたが、ガルナは自身の大剣を構えて、セリファの前に向かい立った。
「本当に得意の武器を使っていいのか? お前のその剣と比べれば、不利なのは目に見えているだろう」
「そんな甘いこと、私は求めておりませんよ。敵は大抵、自分の一番得意とする武器を使うものですから」
渋々その手合わせをしてやることにしたガルナだったが、実際にこうして剣を構えて娘と向かい合ってみて、何となくためらいというものを感じてきてしまった。
だが今更やめようというのもセリファは望んでいないのだろう。そして「この程度の人間なのか」と軽視されるかもしれない。
ウィンスタードは突然親子二人が戦うことになってしまうのを見て気が気でなかったが、二人に促されて渋々その決闘のような手合わせの始めの合図を入れる。
戦闘が始まるとすぐにセリファは素早くガルナに駆け寄り、剣を振りかざす。
まるで半狂乱になっているかのように、予測不能で妙な動きの攻撃をくり出した。しかし太刀筋はしっかりしているようで、その一撃は重いように見える。
その素早くて推測のつかない挙動にガルナは一瞬だけうろたえてしまったが、何とかその重い一撃を剣で受け止める。防御をしたとしても、セリファは身を退くことなく、次々と攻撃を繰り出してきた。
二人の武器は木刀などではなく、鋭い刃を持つ歴とした剣だ。こんなにも本格的で殺伐とした戦いになるとは思わず、ウィンスタードはいよいよ焦り始める。剣の打ち合う音が辺りに大きく響いて、何事かと何人かの兵士が見物をしに来始めた。しかし止めようと動く者は誰一人おらず、その親子の剣の打ち合いを眺めるのみであった。
そこにいる兵士にウィンスタードは状況を説明し、止めさせてくれと頼んだ。しかし兵士はいかにも軽い態度で笑い飛ばす。
「セリファ殿は少女の時から、ガルナ殿を殺すことを旨に修行なさっておりました。今日こうしてようやく彼と剣を交えることができて、とても喜んでいることでしょう」
「そ……そういう問題ではないだろう。怪我でもしたら大変じゃないか。どうして止めさせないのだ?」
そう抗議すると、兵士は先程の朗らかな表情を少しだけ曇らせて、彼女を見つめながら返す。
「セリファ殿の意思を変えることが容易いものであれば、彼女は今あんな姿にはなっておりませんよ」
** ** **
ガルナは少々、この娘の能力を見くびっていた。戦いが始まってから二十回近くは剣を打ち合っているが、普通の兵士には敵わないぐらいの実力を感じる。
とにかく獲物を狩る、それ以外の思考はいらない。目の前の標的を、俊敏な動きで追って、強い攻撃を入れて、早く仕留めてやろうという感情が一身に伝わってくる。
だが、半狂乱で推測のつかない動きをしていても、そつのない太刀筋をしているのは、日々の鍛錬の賜物なのだろう。
力も技も、女ながらもたくましいその姿に等しいものだと切に感じた。
「たった八年でよくこれだけ鍛えられたな」
苦笑をしつつ、ガルナはセリファの攻撃を剣で受け止めて言う。
彼女はにたにたとほくそ笑みながら答えた。
「全ては私の中に生きるウィン様のおかげなのですよ」
「ウィンが……?」
「えぇ。修行を始めようと決意した後にも、私の中にはまだウィン様だけが生きていらした。あの方を想わない日などありませんでした。そして段々と、私の中で育っていき、彼は私の心の支えとなっていったのです。……それにしても、成長した彼のお声もお姿も、全部私の思い描いていた通りで感激の至りです。あの方をようやく拝謁して、これまで想うだけでは感じることのできなかった身体の疼きを感じました」
セリファは恍惚の表情を浮かべながら言った。
この時ガルナは、こうして故郷へ帰ったとしても安心せずに引き続きウィンスタードを守らなくてはならないのだろうということを思わず感じていてしまった。
「防御しているばかりでは退屈ですよ。……それとも、未だ動揺でもしているのですか?」
「当たり前だろ。無邪気で可愛かったあの小さな娘が、こんな露出狂の変態女になっているんだからなあ」
するとにやにやと笑っていた彼女その時だけ真顔になり、ガルナを睨みつける。
「あんな非力で弱い女……思い出すだけでも気分が悪いので私が殺しました。今の私はあのクズとは全くの別物です。私は戦士だ。戦士は未練に囚われることなどない!」
そしてまた狂ったように笑いながら攻撃を繰り出す。
ごく普通の少女であったというのに、たった八年間で一体どれだけの修行をして、この肉体と技術をものにできたのだろうか?
戦っていれば彼女の強さの秘訣を知れるのではないかと思っていたが、その力強い攻撃を受ける度、謎がより深まっていくばかりであった。
しかしこのままこちらもなにかしないでは、セリファにつまらなく思われるばかりだ。
ガルナは一歩後ろへ退く。ようやく何か動きを見せたガルナにセリファは警戒をして、また彼女も身を退いて剣を構えなおす。
するとガルナは素早くセリファの左側の方へ回り込んだ。
それにつられて彼女も左に向く。だが、またすぐに左側へと回り込まれる。
そんなことをほんのしばらくの間だけ繰り返していたが、ガルナは彼女の反応を見てある事に気付いた。
こちらに振り向くのが一瞬だけ遅い。
ガルナはこの作戦が効くのかわからないまま試してみただけであったが、どうやら思った以上に隙があった。
回り込むだけでほかの動きをしてこないことにセリファは少々いらついたようで、我慢ならずとうとうガルナに攻撃を入れようとしてくる。しかし彼女にとって死角である左側に向けた攻撃は、通常の攻撃よりも弱い一撃となってしまう。
――その瞬間、刃の打ち付ける大きな音が鳴り響く。
セリファの剣はガルナによって弾き飛ばされ、地面に突き刺さる。武器を手離してしまったセリファは呆気にとられた表情をして、驚きのあまり腰をついてしまった。
「……汚いですよ、ガルナ」
「てめぇの下品な剣技を見るよりよっぽどましだぜ」
そしてセリファの喉元に向けていた剣を引いて「敵は大抵、相手の弱点を付くものだろう」と言い放った。
離れて見ていたウィンスタードがその手合わせに決着が着いたことを確認して、二人に近づく。そしてセリファの腕に擦り傷があることに気付き、すかさず治癒魔術を施し始めた。
そこでセリファは治療中、恍惚とした声色と表情でウィンスタードに声をかける。
「ふふふ……相変わらずの優しさ、すごく素敵ですわ……。今夜、ウィン様のお部屋にお伺いしたいです」
「行かんでいい」
ガルナはセリファの言葉に釘をさした。そして地面に突き刺さった剣をセリファに投げ捨て、再度言葉を続ける。
「それで? まだやるのか?」
その言葉にウィンスタードが眉を寄せながら、強い口調で反論をする。
「もうやめないか。せっかく久しぶりに会えたというのに、こんなことしてほしくない」
するとセリファはまた戦闘前のような釈然とした態度になって言う。
「ウィン様がそう仰るのであれば、もうやめにしましょう。――ですが、ガルナ。まだ私はあなたを殺すことを諦めたわけではありませんよ。次には覚悟しておいてくださいね」
「あー……はいはい」
ガルナはうんざりとした口調で返した。
戦闘が終わったところで、先程城下町の門で会った召し使いのジャクルメがこちらにやってきて、セリファに声をかける。
「セリファ殿、彼らをお連れしなければならない場所はここだけではありませんよ」
そう言われると、セリファは何かを思い出したかのような表情になる。
「そうでした。お二人に是非来ていただきたいところがあるのです」
訓練場から出て、ウィンスタードとガルナはセリファに連れられ、宮殿から少し離れた墓地へと向かった。
訓練場とはうってかわって穏やかな風景がそこに広がる。優しい色と香りをしている花畑の上には、いくつかの墓石が立ち並んでいた。
その平穏であり、寂しげな景色を見て、ウィンスタードは短くため息をついた。
この墓地こそ、オルストロ家の者、また、それに仕えていた者の眠る場所である。
こうして墓地へ近づくと、ふいに現実味を感じてきてしまい悲しい気持ちになってしまう。
今まで家族や友人の死をつらいと感じていたが、つらいとは思ったとしても、本当の別れを実感してはいなかったのである。炎で焼けてしまい、誰が誰だか区別できなくなるぐらいに皆焼けてしまったのだから……。
この墓の並んでいる光景を見て、何となく悲しさと悔しさがこの心に舞い戻ってくる。
それでもウィンスタードは、自分がこうして天界との戦いの準備を着々と進められていることを彼らに伝えたかった。そして天界の横暴に終止符を付けるということも、強く誓いたかった。
ウィンスタードは父の墓石の前にひざまずき、自らの心にある野心を告げる。
「只今帰りました、父上。……オルストロ家、ここに仕えていた者皆の無念を晴らすべく、我々は天使を退治しに行ってまいります。私たちが胸を張ってあなた方に会えるその日を、どうかご期待ください」
そして花を手向けてから、全員はその場で短い黙祷をする。八年を経て初めて彼らの墓参りをしたウィンスタードとガルナは、今までできていなかった分だけ深く祈りを捧げた。
けれども長居をしたいわけではない。故郷へ帰ったとしても、やるべきことは多くあるのだ。
ウィンスタードは空を仰ぎ、青い空を見つめた。
そしてこうして天界と対決するために生きる自分を家族はどう思っているのだろうかと考えた。今から多くの国家と手を結んで大きな戦争を始めようとする自分に、彼らはどんな感情を抱くのだろうか。ここまで来るためにだいぶ人を殺してきてしまったことをどれだけ蔑むのだろうか、と。
しかし彼らがこの世にいない以上、そんなことを考えるのは無駄なことであった。
自分はもう後戻りできないところまできてしまったのだ。後は結果がどうなろうが、とにかく力を尽くすことが、このいつ終わるかわからない人生の内にやるべき最大の目的となる。
己の野心のために懸命に生きて、戦ったのならば、天界に敗れたとしても勝ったとしても、最後には家族に胸を張って会うことができる。
そんな再会を果たすために、今までの八年の旅よりも、いっそう努力をしなければならない。
故に、天界との戦いはこれからが始まりとなるだろう。




