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SALVADOR  作者: れのん
前編
1/20

第1話

復讐とは愚かな決意か

聲を聞け


災厄はいつの日も起こり得る


耳をすませ


国境はどんな時でも変化する


世に渡り歩くは数多の嘘


いつしかその嘘が真実となり


真実は嘘となる


    「神音書」序説より



** ** ** **


 何故我々は阻まれ続けなければならない。

 人の生を、なぜ、こんなにも醜いやり方で虐げられなければならないのだ。

 大きな存在に迫害されるということは、弱者にとって非常に残酷なものである。

 一番憎むべきものだ。

 一番蔑むべきものだ。


 焼けた館の中を、何かを抱きかかえながら走っている姿があった。

 誰か、ではない。何か、である。

 それはもう人と呼べなくなってしまった、骸という姿。手に力はなく、生を感じられないその骸には、衣服に赤く滲んだ血がおびただしく広がっている。とても小柄な体だ。少女の骸である。

 その骸を抱きかかえ、苦しそうな表情をさせているその少年は、炎の館の中を懸命に走っている。焦っているのか素早い足取りだが、何処か疲れているような雰囲気を滲ませていた。

 周囲は熱くて、皮膚が溶けそうなぐらいに体中は痛かった。生まれ育った館が炎によって焼け落ちていく。周辺の崩れ落ちた壁や装飾などが視界に入ると、余計に悲しく、恐ろしい気持ちでいっぱいになる。

 煙を吸って胸の辺りの苦しさも既に極地に達していた。今すぐ立ち止まって、うずくまり、何もかもを投げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 それでも立ち止まらずに、出口へと走り続ける。疲れも痛みも、悲しみも、その身に降りかかる痛みすべてがとても苦しかったが、何も考えずに、ただひたすら、生き残れる道へと向かった。


 ようやく館から抜けると、そこには先に逃れていた小間使いたちが何人かいた。今まで彼らが勤めていた館は、もう消し止めることが叶わないほどに、燃え盛っている。窓から漏れ出す黒煙や火柱は闇夜を引き裂くように、登っていく。

 しかし、そんな人々の光景よりもまず先に、火の手から逃れ、まともに呼吸ができるようになったことの安心感が、先に湧いて出た。そして、足元から崩れ落ちるように倒れ込んだ。

「ウィン!」

 大男が複雑な表情をさせながら、少年の名を呼ぶ。

 この館の使いの一人である、とても大柄な男だ。

「……死んでいるのか」

 抱きかかえていた骸を地面に横にさせると、大男は、ひきつったような声で呟いた。その声を聞き、ふいに先程までよく感じることのできなかった現実というものが一気に伝わってきた。

「オリワルハ……」

 かつて骸がそう呼ばれていた名をこぼす。

 しかしその美しい少女は、しばらく経っても反応を見せることは無かった。

「どうして……オリワルハ……」

 少女の頬を血に濡れた手で触れてみる。まだほのかに温かいが、徐々にその温かみは消えていくのだろう。

 そう考えると、胸が抉られるような、悲しくて辛い気持ちが心の底から這い出てきた。


 少年は涙をした。

 彼女はその少年の妹であった。

 両親は助けられなかったけれど、彼女だけは助かる見込みがあった。

 それでも少年は守りきれなかった。奴らに胸を突かれ、あっという間に死んでしまったのだ。

 自分の服に滲んでいる血を、涙をこぼしながら見てみる。

 この服にこびりついている血……これこそ彼女の血そのものである。自分のものではない。

(どうして私は助かったのだ……?)


――こうなったのも全て、天使たちのせいだ。


愛しい人を奪い去る天使たち。

 大切なものを壊しにくる天使たち。


 これは本当に天使が下す罰なのだろうか?

 それとも精神の狂った彼らの非行?

もうどちらでもいい。

 彼らを止めなければならない。

 言葉で和解することなど、端から不可能なことだったのだ。


 人間と天使。どちらが罪深い存在なのか、わからなくなってくる。


 ** ** **


 惨劇の一夜が明け、静かな朝が、その草原に訪れた。

 うなだれている小間使い、焼け落ちた我が家は丘の上から一望できる。

 さわやかな朝だというのに、この静寂と平穏さが、とても異質なものに感じられる。

 ウィンスタードは、丘の向こうに咲いていた花を手にし、その希望と絶望とが混ぜ合わさったような不気味な景色を見た。それを見続けていたら、また悲しい気持ちが溢れてくる。

 火の焦げ臭さもまだ辺りに残っている。

 その臭いを嗅ぐ度に、夢から現実に引き戻されるような感覚がして、とても嫌な気持ちになった。あのような悲劇が起こったことの実感が、未だに沸かない。

 こんなにも苦しく、悔しい気持ちがあるというのに、鮮明な夢を見た日の朝のような、ふわふわとした感覚があった。

 家のそばに向かおうとした時、丘の上の木のそばで座っている人影に気付く。

 ふと目をやると、そこにはあの生家で使用人をしてくれた、ガルナの姿があった。彼が扱うとは思えないほど、細く、短い剣を握り、同じ景色を眺めていた。


 彼との付き合いは、ウィンスタードが赤ん坊の頃からずっとであった。

 ウィンスタードが生まれるよりもずっと昔、父親がまだ少年だった時に、館へ連れてこられた者である。年の離れた側近ではあるが、殆ど友人と呼んでしまっても構わないだろう。

 ガルナは今回の惨劇により、正妻を亡くした。彼と同じように明るくて、誰とでも親しくなれるような、優しい人だった。

「すぐに折れちまいそうな、ボロボロの剣を片手に握っていたんだ。……セリファを守ってくれたんだよ」

 そう、ガルナは、遠くでうなだれている小間使いたちを見ながら、言葉をこぼした。

 先程ガルナは川で水を汲んで、彼らのために運んでやったが、誰一人それを喉に通している者はいなかった。

 皆、食べ物はおろか、水を飲むことすらままならないほど疲弊している。

 動ける者は墓を掘ってくれているが、その進捗も、あまり良くないようにみえる。

 多くを失ってしまったために、粗末になってしまうだろうが、ちゃんと墓を作ってやりたかった。

 遺体は完全に燃え尽きて、骨すらも瓦礫に埋まっているだろう。朝には多くの者が、焼け跡をあさっていたが、誰の骨すらわからなくなって、皆疲れてしまった。

 形だけでもいい、彼らへの弔いをしたかった。

 また悲しい気持ちがこみ上げてきたウィンスタードは、何か気分を変えようと、ふいにガルナへたずねた。

「セリファは?」

「あぁ、あいつは……」

 ガルナの指さす、館の焼け跡のそばに、彼女の姿があった。崩れ落ちた瓦礫を眺めながらじっとそこにうずくまっている。

「怪我は大丈夫なのか」

「どうだろうな……一応手当てはしたが、左目はもう殆ど見えていないんだとさ……痛みも引いていないだろうに」

 そう、ガルナは暗い口調で説明する。

 彼の娘のセリファは母親に助けられ、命こそはとりとめたものの、突如襲い来た天使によって左目を怪我してしまった。母親と左目の光を突然失ってしまい、あんなにも明るかった彼女が今は暗い悲しい顔をして塞ぎ込んでいる。朝も話しかけたが、何も反応を示しては来なかった。

「いや……お前も気の毒だよな。家族を、肉親を全員失ったのだし……」

 ガルナの一言で、一瞬、あの時の光景を思い出してしまう。

 目の前で瓦礫に潰されていく両親、天使によって殺される妹。炎に燃え盛る館。今まで過ごしてきた場所が壊されていく。つい昨夜起こったあの出来事は、いまだ実感はないものの、一生心の中から消えることのない程に衝撃的だった。思い出すだけで吐き気がしてくる。

「すまん、思い出させたな」

 ガルナがそう一言詫びる。

 しかし彼もつらいはずだ。

 両親や彼の妻は、彼にとっても大切な人なのである。自分が両親と一緒に過ごした時間よりも多くの時間をガルナは彼らと共に過ごしているのだ。

 なんとなく気まずくなったので、ウィンスタードは瓦礫となった生家に行き、摘んできた花を添えた。

 ふとセリファを見たが、今まで見たことも無いほどの無表情をさせながら瓦礫を眺めるばかりで、話しかけられる雰囲気ではなかった。


 ウィンスタードは何気なく、空を見上げた。

 空は青く、心地よい風が吹いている。焼け落ちた生家の周りは緑の草原が生い茂って風に揺られている。

 あんなにも残酷な出来事があったのに、こんな平穏な光景が周りにあることに、どうしても違和感ばかりが募る。


 貴族階級の家柄を持ち、天使の被害を受けない安全な地域で裕福に暮らしていた生活の記憶が次々と蘇ってくる。何の柵もない、不自由もない、幸せに満ちた毎日。

 しかし、そんな日々は永遠には続かなかった。

 とうとう天界は今まで踏み込まなかった地域にも目を向けていったのだ。

 もはやこの大陸に、天界の目が行き届かない安全な場所など存在しない。


――天使たちによる襲撃。その事の発端は、我々人間たちにあった。

 この世界には、天使たちの住まう天界、人間たちの住まうこの世界である地上界、そして邪悪なものが住まう下界の三つの世界が存在している。特に大昔から天界と地上界は何らかの関わり合いがあった。

 今まで無力で戦う術も身を守る術も無かった地上界を天界は哀れに思い、人間たちに「知恵」を授けた。その「知恵」というものには、この世の森羅万象の知識も生きる力も全てが含まれている。

 低脳で生きる力も弱い、ただの獣にも同然な人間たちは、天界からの恩恵によって人間たちの全ての能力が大きく飛躍し、文明の急進展を遂げた。生きるために必要な道具を作り始める行動も、人間をまとめ共生するべく指導する者も、同じ人間同士を生かし愛し子孫を残していこうとする意思も、今までの弱い文明には反映されていなかった「知恵」である。

 この天界からの恩恵は、何にも勝らない程に素晴らしいものであるだろう。誰もが尊び、誰もが感謝し、誰もが慕うべき人間たちの宝だ。

 しかし、人間たちはその人類の宝とも言えるべき「知恵」を、同じ人間を殺すために使うようになっていった。

 集団が肥大化すると国が生まれる。

 発展すれば発展するほど、他の国との摩擦も増えていく。それにつれて、国と国が争い合い、侵略と支配が繰り返され、一部の人々や土地は戦火に滅ぼされていく。

 そんな彼ら人間に絶望し、憤怒した天界は、地上界に制裁を加えるようになった。


"人間は「知恵」を得たことによって、低脳で弱い動物だった時よりも愚かな存在になってしまった"

"同胞を殺し合わせるための「知恵」ではけしてあらず、その報いを受けよ"

"今こそ神からの懲罰を受けるべきだ、その苦しみを永久に与え続けん"


 天界はそう、この大陸のすべての人々に告げた。

 宣戦布告、には程遠い。無差別な虐殺を始める、という残虐非道極まりない宣言。

 地上界が天界に徐々に破壊されていくようになってから百年以上が経っている。この世界がすべて、消滅させられるのも時間の問題なのだ。

 なのに人々は誰も立ち上がろうとしない。天界に荒らされたことで、人々は憎悪と悲しみにくれるばかりで、何とかしようとする人間はいないのだ。そのうえ、天界の侵略に怯えながらも、人間たちの間でも奪略や虐殺が多くの地域で繰り返されている。

 憎悪と悲しみにくれるのは、何も他の人間だけではない。自分も同じようにつらい経験をして、わけがわからなくなるような絶望に目の前が暗闇で覆われている。一夜で家族全員と大切だった人々を亡くして、体に力が沸かなかった。


 けれど、どうせ天界に侵略されるのがこの世界の宿命だというのならば。どうせ皆死んでしまうというのが天意だというのならば。

 最後に足掻けるだけ足掻いて、絶対的な力に対抗しきった後に家族の元へ逝きたい。


 その日の夜はいつもよりもずっと冷えて感じた。


――。


「旅へ出る。大陸中を歩き、天界と対抗できる軍を集めるのだ」

 その一言は、生存者の皆を驚かせる決意だった。焚き火の周りにいる同胞たちは、どよめきこちらに半信半疑の表情を向けている。

「どうせ消えゆく命だ。誰かが、何か出来ることをやらなくてはいけない」

「しかし……」

 以前館で小間使いとして働いてくれていた者たちが口々に戸惑いの声を上げる。

とても優しく聡明で、親切な人々だ。肉親でもないのに、いつも気にかけてくれていた一生の恩人たち。旅へ出ようとしているウィンスタードを不安に思うのも無理はなかった。

 ふと、ガルナの方を見た。

 暗い顔をしているセリファの傍に寄りながら、何か考え事をしているように、焚き火の火の中をじっと見つめていた。

 彼にはもう、この決意を打ち明けている。

 初めは確かに戸惑ったようで、それでも落ち着いた声色で「本当にやるのか」と問いかけてきた。

 ウィンスタード自身も、突飛で無茶なことを言っているのはわかっていた。物語の読みすぎだと言われても何も言い返せないほどに、現実味のない、それこそ愚かな選択だ。

 しかし、ウィンスタードにとってこれは野心であった。どうにかしてこの世界を救いたいと思うよりも、何もしないまま死ぬことを待つのが嫌だった。胸を張って、家族の元へ逝きたかった。

 そして、それを成し遂げられる強みを持っている。

 今まで培ってきた魔法の力はこれから向かおうとする長い旅に必要不可欠なのだ。この強みこそが、今後のこの世界の命運が決まるといっても過言ではない。

 武力の行使を避けては通れないことは、今まで以上に強く確信していた。

 自分自身も狂っているかもしれない、と、心の中でつぶやいた。

 それでもこれしか、方法はない。


 天使によって壊滅させられた我がオルストロ家は、国家との結びつきがやや強かった。そのため、後日この事件を国に申し上げたところ、家を立て直す為の援助を少しだけ任せていただけるという。

 その後は当分、側近たちに何とか家を守ってもらわないといけない。

 当主の父親の亡き今、家の跡を継ぎ、管理するべきなのは息子である自分だというのは、ウィンスタード自身分かっているが、それも全て任せようと父親の側近たちは口々に言う。

 いまだ惨劇の傷は皆癒えてないようだったが、ウィンスタードが旅へ出ることを宣言した後は、何やらわずかに希望の色の見える瞳をさせていた。

 彼らの表情を見て、ウィンスタードはつくづく、父親は立派な貴族であったと思った。数々の人に信頼されるだけの人望を備えていた。

 そんな父親も、今はこの世にはいない。

 母親も妹も、天使たちの襲撃によって殺された。


 簡単に人を殺せる天使が憎い。彼らの行いは懲罰でも制裁でもない。

 ただの虐殺なのだ。

――残酷で非道な虐殺なのだ。


「本当に行かれるのですか」

 旅に出る前、まだ包帯をその左目に覆っているセリファが見送りに来た。以前よりも暗くなってしまった右目に涙を溢れさせながら、かすれる声で言った。

 十歳になったばかりの少女は母親も友達も亡くしている。彼女にとっては唯一の肉親である父親と一緒にいたい気持ちでいっぱいなのだ。その気持ちは充分に理解できた。

 この時、既にこの旅にガルナも同行することが決まっていた。彼に決意を言った時に協力しようというふうに言われたのだった。

 もちろん、ウィンスタードは彼に着いてこなくてもよいと言った。母親を亡くしたばかりのセリファを一人にさせるのはセリファにも申し訳なかったし、その父親であるガルナにも申し訳なかった。

 けれども彼は「お前が一人でやりきれるような役目ではない」とばかり言い、こうして共に旅立つこととなった。

 馬車へと乗る我々を遠く見えなくなるまで、最後までセリファは悲しそうな顔をさせて見送った。

 あの悲しそうな顔をずっと覚えている。


 けれどこれは野心のため。そして亡き家族のため、世界のためにも行わなくてはならない。

 誰かがやらなくてはならないはずなのに誰もやらない役目を、今行おうとしている。


 ノズ七二六年。

 我々の復讐という汚れた旅が、天界と対決をする第一歩を踏む


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