決戦への準備 その3
大江山で出てくる鬼六釜は、史実で言えば反射炉に近いものです。鬼火によって千度を超える火力を確保できるとすれば、鋼そのものについて量を確保できるとしました。
龍潭寺から、歩いて井伊谷川に向かうすぐ傍らの河原に土手が築かれていて、土手の上に煙突が建てられていて亀の甲羅をした窯のような建物に、小屋が組み込まれていた。その近くに複数の小屋が並んでいる。
「あのさ、ここって、すぐ近くって言うんじゃないの」
「でも、河原です」
うん。河原だ。確かに、寺から300メートル離れてなくても河原には違いない。
「鬼六釜を継ぐ鍛冶師がここにおります」
「鬼六釜って、大江山に出てくる、赤鬼のこと?」
「はい、玉鋼を造るカグチと、河原者達が住んでおります」
小屋の外で、十人以上の子供たちが走り回って遊んでいるところへ降りていくと、遊んでいた子供達が小屋へ逃げ込んでしまいました。
「あれ、俺って怖いのかな」
「そのようなことはないと思いますが」
小屋から、小柄な女が一人でてきた。化粧ッ気は無いものの、非常に整った可愛い顔をしていて、祐ほど大きくないけど、突き出るような胸乳をしていた。
「誰だいっ、こんなとこに来る奴は」
「井上篭と言います。この上にある龍潭寺にお世話になっています」
「龍潭寺? あぁ、姫さんの寺か、あたいはカグチだ。何の用だい」
「鬼火が扱えると聞いたので」
「まぁ、鍛冶師だからね。多少は扱えるさね」
「風呂を造りたいと思って来たのです」
「風呂かい。蒸し風呂で良ければ、川向こうの水車小屋にあるよ」
サウナ。そうか、昔の風呂は、そっちだ。水車もあるのか・・・
「湯舟は」
「あたいは鍛冶屋だからね、あたい達の鬼火じゃ湯を造るのに湯気になっちまうからね。湯舟は無理だよ」
「工夫次第で、できるのではないかって思うのです」
「ふぅーん。まぁ、良くわからないが、仕事みたいだね、入れるんだったら入りな、中で聞いてやるよ」
「ありがとうございます」
礼を言って、小屋の中へ入る。おそるおそる、彩女さんも着いて中へ入ってくる来る。カグチは、迎え入れると共に、子供達に、外へ遊びに行っといでというように送り出した。
小屋の中は、土間と板間が造られていて、土間には鞴が造られていて、釜へ繋がっているようだった。
「気になるのかい」
「一代(三日三晩)吹き続けると聞いたから、凄いなぁと思って」
「ま、ここの鬼釜だと、量はこさえれないからね。せいぜい五十貫(約百八十七キロ)くらいさね。使うのかい」
「うん。鋳物として扱うんだけど、鋳物師も探しているだ」
「鋳物かい、鋳物なら、川向こうか川を上ってった伊平にいるよ」
「川向こうだと近いですね。頼めるかな」
「すぐに金を払えるんなら、引佐に頼んでもらえるかい」
「引佐の鋳物師はお知り合いですか」
恋人かな。
「ま、あたいをここに置いていてくれるからね。もともとは川向こうの村から伊平に嫁に行ったのさ、旦那を戦で亡くして戻ってきてるのさ」
女の人か・・・とっとっとと何人か足音がして来て、扉を開けた。
「「「誰が来たんだい、ここのケラは、あたいらの仕切りだよ」」」
少し紅を引いて、こ綺麗にした女達がやってきた。
「あ、園、竜、凛。みんな来たのか、あんた達の仕事みたいだよ」
「「「へ、あたいらって」」」
「湯舟風呂を造りたいんだってさ」
「「「湯舟って、杜湯かい」」」
「まずは、水車小屋の風呂を見てみたいんですが」
「わかった、仕事なら良いさね。じゃぁ、あたしが案内するかね。竜と凛は、みんなの飯の支度をしときな」
「「あいよ」」
「こっちだよ。ついてきな」
橋を渡り、川向こうに出て、しばらく川を下ると、川に一間ほど二尺程の堤が築かれていて、水を集めるようにして、土手のような高台に組まれた水車に流れ込んでいた。高低差一メートルくらい、回っている水車は二基で、6メートルほどの大きさがある揚水用水車となっていた。水車小屋から、かなりの水量が流れ出ていて、溜池に注ぎ込んでいた。しかし、この溜池、白くて固いな、もしかして、コンクリートみたいというか、コンクリート?
「これは・・・」
「知ってるのかい、白漆喰だよ」
「これは、どうやって」
「石灰岩を鬼釜で焼成して砕いて、火山灰と練って造るのさ」
やっぱり、ローマン・コンクリートだ。かなり史実と違ってきているなぁ・・・
「造り方って、どこかで教わるのですか」
「難波の鋳物師ならみんな知ってるさ。白漆喰を使って、渡辺湊を造ったからね。それに、平安の頃は、渡辺湊からの京街道や四天王寺あたりまでは白漆喰で造ってたからね」
「それは、今でも使われているのですか」
「今は、維持するほどの金を出してくれるお大尽はいないねぇ、淀川は暴れん坊だし、堺とは、川舟で京に運ぶ方が楽だからね。堺湊は、白漆喰で造ったけどね」
「白漆喰の造り方は、鋳物師に伝わっているんですね。でも、よくここで造れますね」
「カグチほどじゃないが、あたしらだって鬼火が使えるんだ。白漆喰くらいなら造れるよ」
「鬼火が使える人達って、ここに集まってきているんですか」
「まぁ、そうさね。ここの祐姫さんは、鬼の血を隠さないし、渡辺党とのかかわりが少ないからさ」
「渡辺党との係わりが少ない?」
「そうさ。渡辺党じゃないあやかしにとっちゃさ、渡辺党の強い場所だと、下に扱われるからね」
「だから、祐姫様の元に集まる」
「仕事もあるからね」
「仕事って、白漆喰とか」
「それは最近だよ。一番の仕事は、製塩さ」
「製塩って、塩造りってどうして」
「海から海水を汲んで、釜で焚けば、塩はできるだろ」
「それは、でもそれには薪・・・鬼火ですか」
「そういうことさ。釜焚きだったら、狐火でもできるからね。味は狐火でやった方が美味しいよ。だから、鬼火や狐火が使えれば仕事が貰える。塩を信州に運んだりするのは、鬼火や狐火が使えなくてもできるからね。あやかしにとっちゃ良い国だよ遠州はさ」
「だから集まってくる」
「うちら、河原者は、天朝さんの方が好きだからね。三河や駿河とかよりは、鬼の血を引くのが多いのさ。姫さんのように徴の出る奴は少ないけどね」
鬼火が使えても、角のように徴が出るあやかしは少ないんだ。
「鋳物師も一緒なの」
「まぁ、河内には鋳物師が多いからね、渡辺党以外の連中もいるのさ、そいつらが難波を離れて、仕事を探しながら戦火に追われて逃げる場所が遠州だったってことさ」
「それが、伊平ってことですか」
「そさね。比佐の村は、昔に親王さんと一緒に来て、住みついたとこだけど、親王さんとこの姫皇さんが、今川さんとこに行かれてからは、遠州では戦が減ったからね、あやかしだけじゃなくて、人も集まって来たのさ」
「戦が減った」
「まぁ、小競り合いとかあるし、野盗とかは出るにしても、ここらは鬼の里だし、姫さんが戻ってからは、東海道や塩街道も浜松の城と井伊城から、毎日見回りに出てるからね」
「凄いね」
「ある程度、平和になったんで、伊平に集まった鋳物師達は、ここらの村で嫁取りや婿取りするのさ、鬼の血が欲しいからね」
「鬼の血・・・あぁ鬼火が使える」
「そうさ、あたいらは鬼火が使えるから、伊平に嫁に行ったんだ。けれど、子供ができる前に旦那が死んで、村の連中は伊平で婿を取ってくれって言われたけど、あたいらはカグチを連れて村に戻ったのさ。伊平のために玉鋼を造るってことでさ」
「カグチは、伊平の人なの?」
「あんたらは、姫さんの味方かい」
「うん。ぼくは、祐姫様のものだよ」
「やっぱしあんたが、姫さんの男かい」
「えっと、それってなんでわかるの」
「そっちの宮狐さんは、今まで姫さんと一緒でも河原に下りて来なかったのに、今日は下りて来てるからさ。姫さんの大事な人ってことだろ」
「はい。こちらは、姫様の大事な方です」
「だからだよ。姫さんの味方なら、あたいらの味方してくれるだろ」
「姫様が護りたいって思うなら、ぼくも護るよ」
「なら、いいさね。カグチは、伊平でも匿われてたのさ」
「匿ってたって、何かあるの」
「まぁ、カグチは、姿形は綺麗な女だろ」
「うん」
「でも、女陰と男根があるのさ」
「え、それでは貉様」
「貉様って、何、彩女さん」
「はぁ。昔は、宮中の主上様を御守りする女御であったと言われています」
「昔って、今は」
「主上が巻き込まれるような戦が増えて、多くの女御貉は、伊勢斎宮家か賀茂斎宮家に逃げ込んで、今は巫女貉となっていると聞きます」
「多くってことは、例外も多いのかな」
「はい。女御貉は元々が主上様以外の命を聞きませぬが、主上の御子に従って、かなりの女御貉が流れていったと言われています」
「ここだとさは、村の男はあたいらが相手するし、龍潭寺に姫皇さんも居るからさ、逃げ込めるだろ」
「えっと、じゃぁカグチの小屋に居るのは、貴女達の子供なの」
「だけじゃないけどね」
「だけじゃない」
「あぁ、カグチは子供が好きでさ、あたいらの子供以外に村で間引かれる子をできる限り引き取ってるのさ。間引くときは、俺がやるって言ってね」
遊んでた子は、十人以上いたよな。
「あの子達を育てるのは大変ですよね」
「まぁ、姫様が、ここの米を買って、米で玉鋼を買ってくれるのさ」納めて、諏訪の鉄鉱を浜松の塩で買ってく伊平に送ってくれるのさ。そして、その玉鋼を造って、伊平から諏訪の鉱を預かって、玉鋼を造って渡すのさ」
「諏訪の鉄鉱って、諏訪から鉄が出るんだ」
「あぁ、こっちから塩や米を送って、諏訪から鉄が送られてくるのさ」
塩かぁ、信濃も甲斐も海が無いからなぁ。
「生活は、大丈夫かな。何かできることあるかな」
「そうさね。ここの蒸し風呂は、あたいらの鬼火で炊いてるけど、杜湯にできるなら、したいと思うのさ。あたしらは、ここで湯女をやってもいるからね。杜湯にできるなら、その方が儲かるからね」
「ここらへんは、旅人も多いの」
「南に出ると浜松からは東海道だし、井伊谷から田沢に抜けて三河の長篠から諏訪へ出る道と、都田から天竜川に出て上れば塩街道から諏訪へ入れる、都田から二俣に出て天竜川を渡れば駿府に出るからね。それなりに人が来るのさ」
長篠に二俣、拠点だね。
「たしかに、浜松までが半日くらいか」
「そうさね。で、どうすれば風呂にできるんだい」
「鬼火だと、炎が強すぎて、湯気になるなら、鬼火でまず石を温める」
「石・・・焼き石を風呂に入れるってことかい」
「真っ赤に焼けた石なら、沸騰はするだろうけど、湯気に変わるほどにならないいし、旅人が多いなら、温石をそのまま売ることもできるだろ」
「ここは、鬼の里だ、なんだかんだ鬼火を使える奴は多いから、それだと村の連中にも使えるな」
「鬼火で、石を温める釜を上手く作れれば、大丈夫だと思う」
「石は、なんでもいいのかい」
「碁石とか硯に使っているような石かな、真っ赤に焼いても割れにくい石なら大丈夫」
「それは、河原で探せばよさそうだね」
「後さ、焼いた石を使うと石焼き料理が作れるかな」
「石焼き料理って」
「鍋に材料や水を入れて、石を高温で焼いて、そのまま入れて煮立たせる料理。鍋の大きさや水の量で石の数を調整する」
「へぇ、面白そうだね。冬の最中に暖かい飯が食えるのはいいことさね」
「園姉、食事できたよ」
「あ、ありがと、じゃぁ夕食は食っていくかい」
「大丈夫ですか」
「ここは赤子もいれれば、二十人以上の大所帯さ。昨日、猪を捕まえて捌いたからね、今日は一人や二人増えても大丈夫さ」
「猪を食べるのですか」
「あんたは、さすがに駄目かい」
「いけません。篭様、四つ足の獣は食してはなりません」
「でも、もう殺してしまった命を粗末にするのも、仏の教えに背くんじゃないかな」
「篭様・・・」
「ごめん。今日は、彼らのところに寄るよ。暗くなるから、帰りは明日になると思う」
「泊まられるのですか」
「うん。少し、カグチさんと話がしたいから」
「綺麗でしたものね、カグチ様は・・・わかりました。帰ります」
怒ったように、帰っていく彩女さんを、見送ってしまいました。悪いことしたなぁ・・・どうしよ
「良かったのかい。本当に返しちゃって、あんた」
「園さんにも聞きたい事があったしね」
「なんだい、聞きたい事ってさ」
「色々とあるけど。まず、池を作った白漆喰って、簡単に作れるかな」
「まぁ、材料はそれなりに必要だけどね」
「道にさ、荒石を敷いて、白漆喰で固めるってできるかな」
トボトボと歩きながら、聞いてみた。
「白漆喰で道を造るのかい、出来るとは思うけど、手間はかかるよ。摂津の渡辺湊は、白漆喰で出来てるし、湊から京橋を通っていく京街道は、昔は白漆喰で出来てたからね。でも、大殿さんが敗れてからは、誰も直さないから、淀川が暴れるたびに壊れていくから、こっちでも厳しいと思うよ」
そうだよな。やっぱし造るだけじゃだめで、日々のメンテナンスができないと厳しいよなぁ。淀川は、史実だと結構、氾濫してるし、0メートル多いし、子供の頃は、淀川の近くだと、軒先に船を吊って逃げれるようにしてたものな・・・大殿さんって誰だろ。
「大殿さんて」
「源頼政様さ、うちら摂津渡辺党にとっては、最期の大殿さんだね」
頼政っていうのは、源氏だけど、平清盛に味方した摂津源氏の棟梁だ。親皇さんと全国の源氏に檄を飛ばして対抗しようとしたけど、敗れて討ち死にした。檄が届いて、源頼朝とか義仲とかが挙兵したんだよな。
「渡辺党は、どうなったのかな、無くなったのかな」
「まさか、今も、渡辺湊は渡辺惣家支配だし、摂津、和泉、河内の御厨は、主上さんへ税を納めているからね」
「あれ、主上さんに納める必要があるの?」
「御厨は、主上さんのもので、渡辺惣家はお預かりしているだけって立場を崩さないからね。石山の本願寺にしても、大江御厨として、主上さんへ寄進として納めているよ」
「本願寺って、寺領だから不入権があるんじゃないの?」
「不入権があるのは、山科本願寺で、石山は、渡辺惣家管轄の大江御厨の中だし、しかも今の本願寺が建っているのは、難波の宮があったんだ。さすがに不入権を主張するのは難しいさ」
「つまりは、主上さんには、税を納めているってこと」
「ああ。ただし、大江御厨ということで、他の大名さんに対しては税を納める気は無いみたいだけどね」
「主上さんを味方にすれば、大名に対して強気に出れるってことか」
「ま、そんなとこだね」
「ねぇ、園さんは、なんでそんなに詳しいのかな」
「そりゃ、あたしはこれでも、皇女様付きだったんだぜ」
「大婆様に仕えてたんだ」
「大婆様が、駿府に入った時に仕えていて、龍潭寺に篭られてからは、カグチの世話をしてるのさ」
「竜さんや凛さんも同じなの」
「いや、竜は、難波から来ているし、凛は井伊一宮の眷属だったのを、姫さんがカグチの側に置いたんだ。カグチに惚れているっていうところは一緒だけどね」
「渡辺党の仕事って、瘴気を焼くことなのかな」
「まぁね。今は、獣だけでなく、戦場で死体が良く出るからね。穢れを祓う仕事は、多いのさ。勝った連中はともかく、負けた連中は、生きてるうちに魔物になっちまうこともあるからね」
日本全国戦をしまくってるこの時代に、穢れに満ち、瘴気が溢れないのは、この人達のおかげなんだ。
「なに、ぼぉーとしてんだい。ほら、着いたよ」
ぼぉーと、燈のように燃える炎が、小屋の前を照らしている。扉を開けた子供が、少し不思議そうにこっちを見ていた。
「あ。ごめん」
小屋・・・と言っても、かなり大きくて、30人くらいが座れるくらいの板間に、カグチの周りに子供達が並んでいて、でっかい鍋を取り囲んでいた。竜さんや凛さんが小さい子の世話をしながら、既に食べ始めていた。
「姫さんの男なんだ、こっちに来な。ほい。少し開けてやんな」
「「「やぁーー」」」
と少し嫌がりながらも、開けてくれて、雑炊の入った椀と箸を渡してくれた。
「ありがとう」
「「「凄い、礼を言った」」」
「「「すごぉー」」」
やんやと騒ぎが始まる。久しぶりに量があるらしく、美味い美味いと言いながら食べていた。猪の肉と、米に麦、粟と稗とかかな、シソやヨモギ、生姜とかと一緒に味噌で煮込んでいた。確かに美味い。
「美味しいなぁ」
「やるかい」
椀に、注がれていた。
「酒ですか」
「造りは丹波だけど、こっちの酒さ、お湯で割ってはあるよ」
飲んでみると、確かに強いけど旨い。甘いのは、なんだろ?少し白いのは、生姜かな。
「旨い。米の焼酎に生姜湯、けど少し甘い?」
「ははは、判るかい。生姜と黒砂糖を煮込んだお湯で割ったものさ。冬はこいつを飲んでれば、風邪とかひきにくくなる」
「凄いね。医食同源って、かの国の言葉なのに」
「ははは、よく知ってるな。渡辺党には、丹波康頼って人の弟子が居て、仮名文字で描かれた書が延命院に奉納されているのさ」
生姜や甘葛、山菜も多いよな。
「じゃぁ、薬草とかは、延命院で習うんですか」
「最初にあたしが習ったのは、伊勢斎宮家だけど、延命院いくつかの神社には写しが奉納されているのさ。井伊谷宮にも奉納されてるよ」
「凄いね、生姜とか作っているんでしょ」
「そうだね。あたしは鑑札を持っているからね、酒ということで売っているのさ。ここらで造っているのは、ここくらいだからね」
「鑑札って、誰かが鑑定するんですか」
「あぁ、鑑定は大抵、都の貴族様に頼むんだ。薬酒には、鑑札を付けて売るからね、売れれば売れるほど鑑札を描いた貴族が儲かるって仕組みさ」
「鑑札は、鑑定書かな」
「ま、そういうことさ」
「まぁ、普通に飲んで旨い酒は、薬効とか気にせずに売っているからね」
「へぇ、桑の葉とか柿の葉とかもそうなのかな」
「あぁ、ああいったのは、鑑札にならないからね。造った者の勝だよ」
へぇ、見事なものだ。薬酒とかだと、鑑札が必要で、鑑札を必要としない茶葉とかは、そのまま売っているって感じだね。
「鋼とかは、色々なものを造っているのかな」
「鋳物かい、鍛造だったら、雑賀衆のところでかなり造っているさ」
「紀州の鉄砲使い?」
「そうさ、八咫烏の血を引く連中さね」
紀州は、鬼州でもあったよな。あれ、鬼が居て南蛮貿易?
「南蛮の人達とは上手くやれてるのかな」
「どういうことだい」
「かの国もそうだけど、南蛮のひとたちは、あやかしを殺そうとするんじゃないかな」
「そうさね、九州じゃぁ別府や由布院の温泉が杜湯だったんだけどね、湯女狐が襲われて拉致されたのを、平戸の松浦党が助け出したって話だ」
平戸松浦党って、渡辺党からでた水軍衆じゃないか。
食事がすんで、小さい子は寝小屋に向かっていって、園さんたちや大きな子供?も少し飲み始めていく。
「ほれ、もっと呑んでも大丈夫だよ」
「え、ぼく、そんなに強くないですよ」
空いた椀に注がれて、呑まされると、ふぅっと睡魔が押し寄せて
「いいさ。食事が終わったら、そのまま押し倒すから」
「へっ、それっ・・・」
口を塞がれて、そのまま酒と舌を絡まされて、
「「「こっからは、子供らは寝ないとね」」」
おんなの人たちの声が、ぼぉーとしている中で聞こえてきて、淫気に溢れるように纏わらされていく。
人の気配が消えて、二人になると、
「押し倒してもいいか」
「ぼくで良いなら良いよ。ありがとうって言いたいし」
そのままカグチをギュッとして、
「十分さ」
そのまま押し倒されて、淫気に溢れる宵闇を迎えたのでした。
宵闇に淫らに溢れ、男と女を併せ持つ想いが溢れゆく。
「凄いな、篭・・・姫さんが気に入るのが判る」
満足しきったように、豊かに膨らんだ胸乳にかき抱くように篭をギュッとしてくる。
「そうかな、ぼくは良くわからないよ」
「まぁ、いいさ。あたしは満足したんだ。篭は、聞きたいことがあるのだろ」
「うん。穢れを祓うって仕事は、誰に頼まれるの」
「そこは難しいのさ。戦が増えれば、穢れを祓う仕事が増える。穢れを祓えば腹は膨れるさ」
「へっ、どうして」
「戦場の屍骸は放っておけば、瘴気を放つ。なら、瘴気を放つ前に喰らえば良い」
「それって、実際に食べるってこと」
「そうさ。狗や鴉が喰らい、瘴気がでるようであれば、狗神や鴉天狗が喰らいて祓う。今の戦であれば、子天狗達で片が付く」
「なんでだろ、平安時代とかは大変だったんだよね」
「戦の在り様が違うのさ」
「在り様って」
「瘴気ってのは、もともと生気に満ち溢れる想いがぶつかりあって、負けた方が負に転じて瘴気として溢れるものさ。生気が小さければ、負に転じる瘴気も小さくなる」
「そういう意味じゃ、今の遠州は、生気が溢れ流れてきているよ」
「そなの」
「あぁ、東より発し西へ向かう、そんな流れが生まれている」
「尾張辺りでぶつかるのかな」
「かもな、尾張を通った時は、尾張の生気も溢れていた北に流れる感じだったけどね。護国の戦となれば、生気の溢れる戦になるだろうね」
「砕けた方が、瘴気に満ち溢れることになるかな」
「関わる人の運命を変えていくくらいには、溢れるだろうね」
大戦となれば、溢れる量が変わるってことか。
「大戦の時は、弔いを頼まれたりするの?」
「夏場は、腐臭が酷いからね、夏場の戦は弔いということで、カワラモノに頼む連中が増えるのさ」
「冬場だと、そんなに酷くはならないか・・・」
「まぁね」
戦では、死人がでるけど、瘴気としては、それほど強くないのかぁ・・・
「そういえばさ。カグチ達は、白漆喰とか色々な工夫をしているよね。それって、渡辺綱が工夫したのかな」
綱は、転生者なのかなぁ?
「綱様というより、颯様とか鬼六とかじゃないかな、色々なモノを造ってたからね」
「颯様って綱の妻だよね」
「あぁ、丹波康頼の弟子だった颯様は、大和に薬樹園と延命院を建てられて、博士として仮名草子で描かれた医薬書の多くは延命院に残されたから進んでいるよ」
「延命院って」
そんなのが、史実にあったっけ?
「延命院は、もともと摂関家勧学院にあった医薬寮だけど、颯様が京洛から古都の興福寺に移されて、薬樹園が造られて、医薬品とかが売られているけど、今も勧学院医学寮となってるよ。あたしはそこで学んだのさ」
「そんな施設があるんだ」
「今の勧学院は、興福寺の僧侶学校になっているけど、医薬寮は摂関家のままだからね、人だけじゃなくて、あたしみたいに伊勢斎宮から送られた狢や、八坂や伏見の巫女狐、天狗衆を含めれば人が三割であやかし七割ってとこじゃないかな。姫さんとこの狗嬪も一緒だったよ」
「人とあやかしも一緒の学校なんだ」
「そうだね、能化にもあやかしがいるからね」
「薬とかを売ってるんだ」
「延命院でしか造っていない薬や道具もあるからね」
「どんなものを売っているの」
「延命院は、南方でしか取れない薬とかを薬樹園で薬草を作って売っているし、牛とかも育てているから、蘇や醍醐なんかも造っているし、大豆から造った湯葉とかも人気だね。後は、書籍がおおいかな」
「書籍もあるんだ」
「まぁ、料理の造り方とかは、人気があるよ」
「料理?薬膳料理ってこと」
「まぁ、それだけじゃないさ。延命院のまわりには、薬屋と一緒に茶屋が何軒かあって、延命院で創作した料理をだしてるのさ。こんにゃくとか梅干、蕎麦切り、饂飩なんかは延命院で生まれて、いろんなところで造られるようになっているよ」
「でも、造り始めたら、お金にならないんじゃない」
「店として造りたい時は、延命勧請ってのをするのさ」
「延命勧請?」
「延命院に寄進して、こんにゃくだったら、こんにゃくの造り方を書いた書籍と勧請札を貰うのさ」
「店で売ったら、延命院に金が入るの?」
「そこまでは難しいさね。ただ、勧請札の配布先は記録されてるからね。それぞれの地域で延命院の巡幸祭の時に寄進願いは出させて貰ってる」
「延命院ってたくさんあるの」
「勧請札が増えた地域には、讃岐延命院、紀州延命院、下野延命院が建てられているよ」
「讃岐は、饂飩? 紀州は梅干?、下野ってなんだろ」
「讃岐は、饂飩札が多いね。梅干は、昔からあるさね。蒸留酒の果実漬けで梅酒札と杏酒札を延命院であたしが造ったのさ」
「梅酒かぁ、美味しそうだね。札を造ると何か貰えるの」
「まぁ、延命院に金が入ってくれば、あたしが延命院に行けば、融通してもらえることになってる。新しい札になりそうなものがあれば、いろんな札を作っているからね。それを考えている連中も多いさ」
「白漆喰とかもそうなの?」
「白漆喰は、坐摩神社の発祥だよ。園は、坐摩衆の一族でもあるのさ、あれだけの徴がでてるんだ、姫さんも坐摩衆の血を引いていることになるさ」
「渡辺綱ってさ、妻に衆を任せてたの?」
「そうなるのかな。九州や和泉の松浦党や甲州、関東古河の渡辺は祐姫様の血筋だよ。坐摩衆や天神衆は茨城童子、延命院は颯様、信太衆は葛葉様の流れになるさ。あたしら伊勢斎宮の狢衆も、綱の血を引いてるよ」
「そっか、渡辺党は武家との衝突が起きると親王とかに味方する者が出るから、あまり大きな勢力になっていないんだ」
「ま、平家との戦に始まって、鎌倉との戦にしても、室町との戦にしても、結果は良くないからね」
平家との戦は、治承・寿永の乱。鎌倉との戦は、承久の乱。室町との戦は、南北朝の動乱かぁ、貧乏くじだよな~渡辺党って。
「戦に勝つ勝たないってのは、渡辺党にはないからね。ただ、信義って奴は、そうは変わらないさね」
「信義?」
「内裏警護の武者は、今も坐摩衆からでてるからね」
「それが信義」
「まぁ、滝口武者にしても無位無官だからね。朝廷から、知行や領が貰えるわけじゃない名誉職だ。まして、今の天皇家の財政は、渡辺惣官家、和泉の松浦党、坐摩衆、信太衆が納める御厨からの租税くらいだよ」
「つまり、朝廷を支えているのが、渡辺党ってこと?」
「今の中心になっているのは、和泉松浦党だけどね」
三好長慶配下だったかな。能力は、良くわからないけど、岸和田を中心に河内を抑えていた気がする。
「ははは、気になるのかい」
「まぁ、祐姫のために何ができるかなって思っててさ」
「姫さんは、しばらく駿府かい」
「う、うん。・・・若殿との子を抱いて、正月が明けるまでは駿府に居るって言ってた」
やっぱ悔しいなぁ。仕方ないかなぁ・・・ちょっと複雑な気持ちである。寝取られって言っても、ぼくの方も、色々と縁があるしなぁ・・・でも、祐の傍にいたいなぁ・・・
「ふぅん・・・じゃぁ、旅に出てみるかい」
「旅?」
旅って、どこに?
「あぁ、一月くらいあれば、大高から伊勢に出て、山越えで大和延命院さ。延命院まで行ければ、多少の路銀は面倒見れるよ」
なんか、ヒモっぽい旅行だなぁ・・・でも見ておきたいな。史実そのものの流れは、あんまり変わってないけど、雰囲気が、かなり大きく違うんだよなぁ。
「祐姫様が一緒でも良いかな」
「何かあるのかい」
「うん。正月が明けて姫が帰ってきたら、祐姫と京洛の伏見稲荷に行く予定なんだ」
「伏見って、御狐灯篭勧請かい」
「うん。それと、御狐勧請もするんだ」
「つまり、浜松に杜湯を造るってことかい」
「正式な、杜湯なら、無茶な客も減るでしょ」
「御狐勧請までやるてことは、例え、狐火が使えなくなっても、湯女狐を引き取るってことだよね」
「うん。そうしたいって、言ってたんだ。それに、鬼火でも湯が造れれば、遠州の仕事が増えるでしょ」
「温石で湯を造るのかい」
「温石っていうか、石窯かな鉄は溶けても、石は溶けないからね。石窯を造れば、鬼火で湯を沸かせるようになる」
それに、あやかしが生活していることで、史実より大きく変わっているところがあるんだよな。それに、一番気になるのは、南蛮人の動きだよな。日本は、交易相手ではあるけれど、南蛮人から見ると悪魔扱いされそうなんだよな。
「南蛮人が良く来るの湊は、渡辺湊かな?」
「渡辺湊は、川湊だからね、京洛との川舟が多いさね。南蛮船は、堺湊の方が多いさ」
「堺湊は、行けるかな」
「商売するものがあればかな、あっちには住吉があるからね、玉鋼は商売にならないよ」
「住吉には、鬼六釜があるの?」
「鬼六釜は、丹波で鬼六が築いたけど、渡辺綱と摂津に来た時に住吉に鬼釜を造ったのさ」
「だから住吉には、鬼火が使える鬼が多い、南蛮船が鉱石を運んで、玉鋼や刀に変えて売ってるのさ」
玉鋼とか刀は輸出品かぁ・・・
「他にも南蛮に売っているのかな」
「そうさね、檸檬や梅なんかも売ってるさ、檸檬酒や梅酒なんかは大金で売れてるよ」
「檸檬があるの」
史実だとレモンて明治とかじゃないのかな。
「檸檬や橄欖は天竺の西から伝わったからね、瀬戸内あたりじゃかなり栽培されてるさ」
天竺というか、ペルシャとか地中海だよな。檸檬や梅の酒かぁ・・・あれ、ビタミンCが多い保存食ってことだよね・・・
「壊血病対策か」
「良く知ってるな。長く船に乗っている連中は、危ないんだ。海の病気対策に良いって売り始めたら、南蛮船がこぞって買ってくんだ。あたしの造った梅酒でもいけるんだけど、向こうの方が歴史が長いからね、梅酒の方が少し安いのさ」
「松浦党の船にもあるんだ」
「もともと、蜜柑や檸檬の果実酒や檸檬の蜂蜜漬けなんかは、松浦党の交易商品だからね」
「養蜂とかもしてるのかな」
「養蜂は昔からの業だからね、延命院だけじゃないさ」
そういえば、日本では、昔から養蜂が盛んだった。
「旅に出るかい」
「正月明けて、姫様と一緒にお願いできれば」
「わかったよ。じゃぁ、龍潭寺にあたしも行くよ」
宵闇の流れは、新たな潮流となって時代を紡いでいく。
静寂の篭る龍潭寺の広間で、冷たい冷気が流れ込むように、平伏する二人を迎える。
「ふぅん。妻の留守中に、愛妾と旅行かい。篭」
冷却された世界が、さらに冷え込んでいく。
「それは・・・申し訳ありません、松玲院様。ただ、ぼくは、祐姫のために、何ができるかがわかりません」
「だから、旅をするのかい」
「まずは、尾張との戦場とカグチを大和延命院にお連れして、堺湊に出て南蛮を確認してから、船で祐姫様を、駿府へとお迎えに行きます」
「ほぉ、祐姫を迎えにね」
「ぼくは、祐姫と、伏見に行く約束をしました」
「伏見・・・御狐勧請かい」
「はい。それに御狐灯篭勧請を行って、湯女狐を遠州に迎えることも進めたいと思っています」
「それだけかい」
「ぼくは、何も知らず、この地に来ました」
「神隠しの件は聞いてるよ」
「この地は、ぼくがいたところとかなり違います」
「違いを知りたいってことかい」
「はい。それに、少し急いでもいます」
「何で急ぐ必要があるんだい」
「南蛮です」
「南蛮?」
「南蛮は、実際には遥か西方の国々で、デウスという神一人を信じる教えです。ぼくは、そこで南蛮寺で孤児として育てられました」
「南蛮寺でねぇ・・・何か違うのかい」
「はい。南蛮人は、天主教という教えの教主に従っています」
「その天主教が問題になるのかい」
「天主教の教主は、異教徒を奴隷にする権限を国の王に与えていました。それは、この世でも同じようです」
「由布院の拉致のことかい」
「ご存知でしたか」
「由布院の事は、かなり広範囲に噂を流してもいるからね」
「どうしてでしょうか、松玲院様」
「妾も、南蛮人が危険だと思っているからさ」
「何か気になることがありましたか」
「南蛮人は、商売するにあたって、その天主教に改宗することを優先している。それが気に入らないねぇ」
「新しき教えであり、解り易い教えでもありますから」
「篭も、南蛮寺で教えを受けたのかい」
「多少は、理解できます」
神というか、サイコロを振るというか、自分自身では決してどうにもならないことはあるような気がするのは確か。だから、神を一神教として考えるよりは、万物はすべて神の欠片なり、という方が性にあっているように思う。
「篭。今回の件は、湯女狐だったからこそ、松浦党が動いてくれたし、救出について大名はともかく、国人衆の妨害にも合わなかった」
「普通の人というか、あやかし《ひとならざるもの》との混血程度であれば、その限りではないということですか」
「そういうことさ。だからと言って、止めたいという思いはあるのさ」
「えぇ、南蛮貿易は儲かります。だから、人を奴隷として売買する大名も増えるかと思います。ぼくは、それを止めたい」
「それを止めるってことがどういうことか、篭は判ってるのかい」
「彼の国も同じですが、南蛮の国々にしても、あやかしを認めていないと思います。少なくとも、わたしの知る南蛮の国々は、あやかしを悪魔と呼んで殺してきた国々です」
「ほんとかい」
「ひとつ間違えれば、元寇のように、南蛮の国との大戦となります」
「そういった南蛮の動きを急ぎ、知っておきたいのです。ぼくは、夫です。妻があやかしというだけで殺させるわけにはいきません。
渡辺綱が望んだのは、あやかしと人が共に棲むことができる世界であった思います。
だからこそ、一天万乗の大君が下では、人もあやかしも同じだと言い切ったのです」
「・・・続けな」
「一天万乗の大君が下は、この国にしか及びません。連れ去られてしまえば、どのような扱いを受けるかは、考えたくもありません。だからこそ、南蛮という国の現状を知らなければならないと思うのです。
また、この国では肉を食することは、あまり進みません。それは、御仏の教えというのもありますが、あやかしが共に棲む世では、食べる肉への覚悟が必要だからです。
だが、南蛮の者達は、獣として狩り、皮や肉を獲ります。異教徒は獣以下の扱いでしかない、殺すのにためらいはありません。
そしてこの国の領主達にとっては、南蛮船がもたらす、鉄砲や硝石といった品々の魅力が、この国への布教許可をもたらしているかと思います」
「まぁ、鋼の鏃や刀剣、そして鉛玉ってのは、あやかし殺すために、人が生み出した武器だからね」
「鉛は人には毒ですが、あやかしは死ぬのですか」
「人や獣にも毒なら、あやかしにも毒さ」
「今なら、鉄砲は高価で威力も低く、撃つのにも時間がかかります。ですが、二匁玉が撃てる鉄砲ともなれば、鎧を撃ち抜けます。鉄砲の数が増え、使われるようになれば、戦の多くは鉄砲で死んでいくことになります」
「戦場では、手当ても十分にできぬからか」
「はい。鉄砲は威力が強く、鉛玉が小札を巻き込んで人体にめり込みます」
「そのばで取り出せなければ、鉛の毒も回るということか」
「はい、小太刀か何かを焼いて、撃たれた場所を開き、鉛玉を取り出さねばなりません。結果として、失血が多くなり死に至るやもしれません。鉛玉が、身体を貫通して抜けた方がまだ、身体に残る毒は少なくなります」
「弓、刀や鑓には役に立つが、鉄砲には効かないということか」
「二分程の鉄板で鎧を造れば、鉄砲では抜けなくなりますが重すぎます」
「鋼なら一分くらいかな、篭」
「鋼なら一分か、五厘でもいけるかも知れない」
「ふうん。鋼で胴を造ると売れるかな」
「それでもかなり重くならないかな」
「まぁ、今でも大鎧は十貫近くあるんだ、おなじくらいで出来れば売れるかな」
「商売は、後にしな。話を先に進めな」
「はい、すみません。
鉄砲は、数が増え、威力があがり、人が慣れれば、早く撃つこともできるようになります。結果的には、数十年も経てば、銃には人であれあやかしであれ、勝てなくなります。戦は、人ではなく、数で進められてしまいます。人の戦は、この数十年が最期となるかと思います」
「戦が無くなるってことかい」
「いいえ、違います。戦が国の存亡に関わるようになるということです」
「それまでに、この国を纏めなければならないということかい」
「はい。今は三好長慶殿が、畿内の纏めとなりますので、彼の人に一度お会いしたいと思います」
「確か、天主教に許状をだしていたな」
「はい。堺を含めて、許状の改めを願い出ます」
「許状の改めとは」
「南蛮人であっても、この地で犯した罪はこの地の法で裁くようにすることです。
・この国は、八百万の神々があり、他の教徒を認めないことを認めないとする
・天主教そのものについては、神のひとつであり、個人の思い次第である
・領主は強制して、民を教徒としてはならない
・人の売買を禁止する
・貿易は、商売によるもので、今後とも商売を続けること
・国法に従う限り、商人でなくても、訪れることは構わず
・国内にて、国法を破れば、いかなる国の者であれ、構わず国法にて罰する
これが、南蛮人に向けて発する、最低限の心得となります」
「カグチ、この場の言葉を黙れるか」
「松玲院様、ごめん」
「カグチ?」
「あたいは、貉だ。貉は伊勢斎宮から付けられる。あたしは、虎姫さんに付けられて、篭の女になったし、母にもしてもらえた。だからといって、伊勢斎宮や主上に伝えるのは止めれない。だから、あたいを殺して口を封じてもらっても良い。ただ、少し待って欲しい」
「子を授かったか」
「たぶん。貉は、女として満足すれば、子を宿す身体になる」
へっ、それなに。子供って、えぇぇぇえぇ
「京洛や三好への繋ぎは、心当たりがあるのか」
「このカグチは狢です。一月くらいあれば、伊勢斎宮から京洛への繋ぎを付けて延命院に向かうことができます。時期が良ければ、山科卿に延命院へ来てもらえるかと思います」
「言継卿か」
「延命院の酒を飲みに来ますから」
「前に来たときは、龍潭寺の酒樽も空にしていったからな。妾からも文を書こう」
「はい」
「あ、あのぉ、子供ってぼくの子ですか」
「悪い。あたいの子だよ」
「へっ」
「貉の子は貉になる。だから、伊勢斎宮の預かりになるのさ。悪いけど、お前には抱かせてやれない」
「えっ、そんな」
「貉は、自分たちでは子供が出来にくい。できた例もあるけど、百年に一度あるかないかさ。だから、貉にとって、貉の子は、一族で育てる一族の子なんだ。相手がだれであろうとそれは変わらない」
「ただ、何年かして貉の子として大きくなったら、父親の守護貉になることが多いからね、何年かすれば逢えるとは思うよ。良ければ、嫁ぎ先を紹介してくれれば良い」
「嫁ぎ先って」
「貉の寿命は三十年程だからね、あたしも来年には二十になるからね、これが最後の子かもしれないさ。ありがと」
「ありがとって、子を産んだことが無いの」
「言ったろ、貉は、女として満足すれば子を宿せるって、満足できなきゃ子はできないんだ。あたしは、今まで満足したことは無いよ」
満足って、ほんとに良かったのかな?ぼくは、嬉しいけど、でもさ
「・・・でも、そんな身体で旅に出て大丈夫なの」
そういえば、大和までだと、冬の山越えだったりするんだよな。あれ、忘れてた。
「貉の子は斎宮で預かる。それに、延命院より安全に子供が産める場所は少ないからね」
「そっか、医薬院でもあるんだ。山科卿も、延命院の人なの?」
「稙家様が、今の藤原長者で、延命院の後見役だからね。使いで、山科様が良く来てたのさ、供物を受け取りにさ」
「供物?」
「延命院で造られる薬酒やあたしの梅酒は、鑑札が山科卿だからね。毎年、一樽は貰っていくよ」
「鑑札って?」
「鑑札ってのは、これこれこういう効能がありますよっていう鑑定をおこなった札のことさ、売る時に鑑札を付けて売るから、鑑札の代金を毎年払ってるからね」
「あぁ、鑑定をおこなった札かぁ毎年払うんだ」
「だから、売値には、鑑札代が入っているよ」
「鑑札は山科卿に書いて貰うの?」
「あたしの梅酒の鑑札は、山科卿にしてもらっているんだ。狗嬪の薬酒は、近衛様の鑑札だよ」
「狗嬪さんも酒を造ったの?」
「はい。少し」
「どんなお酒なの」
「薬用酒ですが、飲んでみますか」
すっと、立って小瓶に用意していた薬酒を、猪口に入れてくれた。色と匂いも強い薬酒だった。なんか、見たことがありそうな色だったりした。飲んでみると、やっぱし有名な薬種の味がした。
「ウコンとか芍薬とかで造るの?」
「ほぉ、ご存知ですかな」
「量とか中身は良く知らないけど、薬酒や薬湯はいくつか飲んだことがある」
「ほぉ、なかなかですな」
「狗嬪の酒は、造るのに金がかかるからね、あまり他では見れないさ」
「延命院には、薬樹園があるって言ってたけど、見せては貰えるのかな」
「何かお探しですか」
「檸檬ってさ、ぼくの知識では、外つ国にしかなくて、日本に無かったけど、かなり多く栽培されているって聞いた」
「はい、瀬戸内では松浦党が塩飽から讃岐にかけて栽培しております」
「南蛮人が新世界と呼ぶ土地にも薬樹があって、それが来ていないかなって思って」
「最近は、南蛮人が新世界と呼んでいる地域を原産にしているものが、最近はいってきていると思います。延命院で学んだ者の中には、明や天竺、南蛮といった地域へ出掛けていった者達も多く、様々な薬樹が集められています」
「明や天竺とかに出掛けていくの?」
「それほど多くはありませんが、松浦党の船で琉球へ渡り、明や天竺へ旅をする者もおります」
「それって、ずっと続いているの」
「そうですね、颯様が延命院に移られてからは、数人が琉球や明の広州あたりへ出掛けていたと聞いています。人によっては、天竺やその先の大秦あたりまで出掛けていったと聞いています」
「結構、色々な国々に出掛けているの?狗嬪」
「そうですね、篭様。百年ほど前には、かの国からよく大船団が組まれて、マラッカという南蛮の国を経由して大秦へ送られたと聞いています。それに便乗するようにして、多くの船が琉球より送られています」
へぇ、そんなことがあったんだ。
「ということは、南蛮船が来るようになったのは・・・」
「はい、篭様。南蛮船が、この国へ来るようになったのは最近のことです。それまでは、琉球より松浦党がマラッカまでの航路を拓いております」
大秦ってローマだよな、なんか凄くない。
「そんな遠くまで行ってたの?」
「はい。檸檬は、颯様の嫡男錬様が、天竺から運んだものと記されています」
「錬様って凄いね。いろんなところへ旅してったの」
「10年ほどかけて天竺で学び、さらに西へ旅をして10年修行されたと聞いています」
「修行って仏教とか」
「いえ、天竺より西にある町で湯女男医術を学んだと記されています」
ユナニ医術って、アラブとかだったっけ。
「師が投獄され、逃れる時に一緒に逃げて、暮らしていたといわれています。亡くなられた後に延命院へ戻り、師の本を訳した”治癒之書”や”湯女男”が、延命院に納められています」
凄い日本人が出たー、下手なチートより凄くね。
「凄い人だね、その人は大和延命院に戻ったの?」
「いえ、錬様は、母上が亡くなられ、葬儀を済ませるとまた琉球より天竺への旅に出て、最後は琉球にお戻りになられ、最期は、崇元寺延命院をお建てになられたと聞いております」
「えっと、つまり琉球に延命院を建てたんだ」
「はい。そのように聞いております」
日本人リアルチートすげぇなぁ・・・
「では、琉球でも様々な薬樹が育てられているってこと」
「そうですね、南でしか育たない薬樹もありますので、そういった薬樹を育てて、交易に用いていると聞いております」
「南蛮船が新大陸と呼んでいる土地にも、芋とか様々な薬樹があると思うけど、まだ見かけないかな」
これだけ、様々な薬樹を探しているのであれば、かなり早期にサツマイモとかジャガイモとか来ていないかな。
「琉球から来たものが多いですが、いくつかは新しい芋や種があったかと思います」
「ぼくの世界だと、芋類やカボチャ、赤い辛子とかが新大陸から来ていたけど、すでにあるのかなって思って」
唐辛子、ジャガイモ、さつまいも、カボチャ、入って来ていれば、サツマイモとかジャガイモが救荒作物として使える。
「それほど多くはありませんね。檸檬は天竺からですし、芥子や胡椒は既に栽培しております。芋類もいくつかありましたが、毒を持つのが確認されています」
「狗嬪さん。それは、丸っこい、握りこぶしくらいの芋ですか」
「そうですが」
「それは、多分ジャガイモという芋です」
「ご存知ですか」
「狗嬪さん。ジャガイモは、寒い地域でも荒地でも作れる芋です。花から出来る実は毒を持ち、茎から地中にできる芋も芽や緑色の皮は毒を持ちます。ですが、地中にできる芋は食べれます」
「ほぉ、荒地でもできるですか」
「はい。そう聞いています。救荒作物として年に二回、収穫が見込めます」
「年二回ですか」
「はい。もう少し回数を増やすこともできますが、連作すると畑が荒れ収穫が見込めなくなります」
「連作すると、畑が痩せてしまうのですね」
「そうです」
「篭様、遠州で育てたいのですか」
「はい、ただ、遠州だけでなく、駿河、三河を含めて、できるだけ多くの畑で造りたいと思います」
「なぜじゃ、遠州だけで良いではないか」
「松玲院様。遠州だけが豊かになっては、三河や駿河に恨まれましょう」
「恨まれては、損をすると」
「はい、充分収穫が見込めるようになれば、延命院を通じて、他の地域でも造ってもらってもいいと思います」
「さらに遠国へもか」
「はい。ジャガイモは、寒さに強い芋ですから、北陸や越後、奥州あたりでも造れると思います」
「ふむ。毒性を取り除けば、食べれるということですな」
「はい」
「篭様、延命院にはありますから、他の薬樹を含めて確認してもらい、注意書きを含め、造り方や料理法を含めて伝授いただければ、鑑札を起こしましょう、美味しい料理となれば、山科様あたりへ供してみて願えば叶えられましょう」
「狗嬪さん。鑑札は、カグチの名でお願いできますか」
「まて、お前の鑑札だぞ。あたいは、いいよ」
「だめだ、子を抱けないとしても、せめて父親の真似事をさせて欲しい」
「ん。でもさ」
「それに、カグチは、多くの子を養っているだろ。その子達も一緒に育てたいから」
「もう、わかったよ」
ぷいっと横を向いたけど、なんか泣き顔になっている。可愛いっ
「お待ち。まだ、鑑札はできてないよ」
あ、ギュッとしそうになった自分が止まる・・・
「すみません、松玲院様」
「篭は良いのか、鑑札は、売れれば一財産となるものぞ」
「そうですね松玲院様。ぼくは、このままで構いません、祐姫に捨てられたら、それまでの男であったということだと思います」
「ほほほ、面白いのぉ・・・しかたない。狗嬪と彩女も一緒に行ってやれ」
「ははっ」「・・・はい」
一呼吸遅れて、彩女の声がする。
「彩女も子が欲しいのかや」
「いえ、松玲院様。姫様より先に篭様の子を宿しては困ります」
真っ赤になって俯いてしまった。
「ならば、皆は支度して、大和へ向かうことができよう」
「は、道筋は、先の話では、沓掛から大高へ抜けて、伊勢に渡り、亀山から鈴鹿を抜けて古都にでるとのことでしたな」
「うん。伊勢では、カグチの話をしないといけないし、海を渡った方が早いよね。尾張から美濃に行くのは、難しいだろうから」
「それでよろしければ、ご案内いたしましょう」
「よろしく狗嬪さん。えっと、彩女さんは、本当に良いの?無理しなくても良いんだよ」
「いえ、これ以上、姫様の夫に悪い虫をつけては、宮狐としての立場がありません。ご一緒致します」
「そ、そう。ごめんね」
「あたいは悪い虫なのか」
「そうは言いませんが、姫様より先に子をなすのは失礼でございます」
「へぇ、そうかい」
お互いの視線がバチバチと火花が散るようにぶつかっている・・・雰囲気が怖いよぉ・・・
明日の出発準備で、カグチが戻り、ようよう解放されて、自分の準備を進めて、宵闇の褥で休もうとしたら、狐灯篭を持って、彩女さんが入ってきた。
「あの、私のようなものでは、ご不足でしょうが、精一杯努めます」
「え、なんで、不足なの」
「いえ、わたしは、姫様やカグチ様のように大きくありませんし・・・」
少し、残念そうに、自分の胸乳を見る。
「それは、確かに祐姫の胸乳は好きだけど、彩女さんの胸乳だって好きだよ」
「それでは、誰でも良いということではありませんか」
「ごめん。大きいのと小さいのって言われると、大きい方かなって思うけど、大きすぎてもだめかなって思う。祐の胸乳が好きっていうのはあるけど、胸乳ってだけじゃないし、えっとぉ、大きな身体が好きだからって、大きすぎてもダメだって思うし・・・」
なんか、必死で説明していると、がまんできずに、噴き出したように笑い声がした。
「もう、良いですよ。篭様は、ほんとうに姫様がお好きなのですね」
「うんっ」
「それなら、もう構いません」
「そ、そぉ・・・ふぅ~」
ほっと一息つこうとすると
「だから、姫様が居ない間は、篭様の精を絞らせてもらいます」
「へっ、えぇぇぇっ」
と押し倒されてしまったとさ。
大婆様に祐への文を書いて届けてもらうように頼み、ぼくは、狗嬪、カグチ、彩女と旅に出ることとなった。正月が明けないと、祐が出発できないので、まずは、カグチを延命院に届けるついでに、いくつか頼み事や根回しをすすめて、祐のいる駿河に向かうことにした。
まずは伊平で、鋳物衆と逢って、鉄砲の鋳造について話をした。
「鍛造で造っている、鉄砲を鋳物で造るですか」
「そう。できるかな」
「やってみたことはありません。それに鉄砲を見る機会もそうはありませんから」
「基本は、釣鐘の細くて長いものを造る感じかな。まずは、長さ二尺で太さが一寸中穴が五分厚さが均一」
「つまりは、穴の開いた筒ができれば良いってことかい」
「中に巣ができたりしない、出来る限り綺麗な内壁を持った、鋼の筒を造ってほしい。できれば量産できる形で」
「注文が大おますなぁ」
「うん。ごめんね。ぼくにはお願いしかできないけど、やってみてほしい。お願いします」
「ま、他ならん、姫さんの頼みや、やってみましょ」
周囲の心配そうな顔をした中で、難波から来た、職人は、請け負ってくれた。
「ありがとうございます」
なんとか、鉄砲製造への道筋を造ることには、とりあえず成功したかな。鋳造なら、大筒なんかも造れそうだしな。
さて、残された伊平の郷では、
「良かったんですかい、親方。あんな話請けちまって」
「鉄砲は、鍛冶が鍛えて造るものだって言いますぜ、親方ぁ」
「誰が決めたんだ、そんなこ。刀鍛冶の連中が、自分の仕事を取られたくないとしたら」
「じゃぁ、嘘ってことですかい」
「おれが、堺で見た、南蛮の鉄砲は、鋳造だったよ」
「親方、それじゃぁ」
「間違いねぇ、鉄砲は鋳造でも造れる。それを嫌がっているのは鍛冶衆さ」
「鍛冶衆ですかい、親方ぁ」
「あぁ、鉄砲が増えれば、作刀の仕事が減る、作刀の仕事が減っても、鉄砲を鍛造で造れれば、仕事が減ることはない」
「造れるんなら、やってみても面白いですぜ、親方ぁ」
「難しい仕事なのは確かだ。出来るかどうかもわかんねぇ。でもな、俺達は、なんでこの遠州へ来たんだ。難波の型にはまった仕事、稼ぎの少ねぇ仕事、しがらみのねぇ遠州だったら自由にできる。それが、遠州に来た目的じゃねぇのかい」
「そりゃぁ、親方、できるものならよ。やってみても良いと思いますぜ」
「なら、やってみようじゃねぇか、モノは新兵器だぜ、鋳造で造ることができれば、そこらの鍛造鉄砲より安く大量にできるってことだろ」
「それは確かに。親方、気づいてたんですかい」
「いや、気づいてたのは、あの色小姓の坊主だ」
「はぁ、まさか、なりはでかいけど、腰の低い坊主でしたぜ」
「そこはそうさ、でもあの色小姓は、鉄砲を鋳造する上で必要なことを伝えていったぜ」
「そりゃぁ、当たり前じゃねぇんですか」
「ばかいえ、鉄砲についちゃ、こっちは素人なんだ、どんなものを造れば良いっていうのを素人に説明できるってことは、凄いことなんだぜ」
「そういうものですか」
「ま、並みの色坊主じゃねぇってことは確かだ。俺が、やってみようって気になるんだからな」
「で、どうしやす。親方」
「ん。まずは竹かな」
「へ、竹ですかい?親方ぁ」
「あぁ、竹だ」
「何をするんですか、親方」
「俺の頭じゃな、真っすぐの長い棒で、中ががらんどうになってるのは、竹だってことだよ」
「あぁ、それを型にするってことですかい。親方ぁ」
「まぁな、まずはやってみるさ。おめぇらも、俺にばっか考えさせねぇで、知恵絞れ。この仕事は、鍛冶を見返す、またとねぇ機会だ」
「「「へいっ」」」
どたどたと、動き出していく。後に遠州筒と呼ばれる、鋳物による鉄砲造りがここより始まる。
伊平から西に抜けて、田沢から長篠へと抜ける道で三河に出る。豊川沿いに川を下るところで、とぼとぼ歩いていく小柄な旅人と出会った。彩女さんが、旅人に気づくと声をかけた。
「あら、藤吉郎じゃない。どうしたの」
「え。これは、彩女様、お久しぶりでございます」
なんか、驚いたように応える。
「貴方、松下様の屋敷に仕えていたのではなくて、何かあったの」
「はぁ、どうも嘉兵衛様には非常に良くしていただいたのですが、今一つ屋敷の者と上手くいきませんで、一度、郷へと帰るところでございます」
「そぉ、浜松の御城に居た時は、気が利いていて、お前に言われた数え方は今でも使っているわよ。浜松では、よくやっていると思ったのだけど・・・」
「いえいえ、どうにもやり方が悪かったようでございます」
「彩女さんの知り合いなの?」
「はい。浜松の御城に勤めていた時に、こちらは、井上篭様よ」
「はい。今川家目付衆、松下様の従者をしておりました、木下藤吉郎と言います」
「はじめまして。ぼくは、井伊家祐姫様が、男妾で、井上篭と言います」
もしかして、木下藤吉郎って、豊臣秀吉・・・ん。かなり小柄だけど、顔も小顔で可愛い感じだし、色白で猿っぽくないし、鼠っぽくもないけどなぁ・・・この世界では、どうなんだろ。
「だ、男・・・いえ。よろしくお願いいたします」
「ねぇ、先程の話だと、藤吉郎殿は、今は仕える人はいないということ」
気づかない感じで話をすすめる。
「さっき、話してた数え方って何?」
「え、豆の数を数えて、どの客にも同じ数だけ出す方法です」
「どんな方法なの」
「最初に、豆を二十個数えます」
「うん。それで」
「天秤で、それと同じ重さになれば、個数は二十個となります」
「凄いね、だけど、一個くらいは違ったりしないかな」
「その場合は、大きな豆が入っているか、小さい豆が多いかです。そのことを使って説明すれば、それほどきつくは言われません」
「彩女さんがそれを実践したの」
「えぇ、今川の目付に小野って嫌な男が居て、接待役の姫様にケチを付けようと無茶を言って来たのです。みんな同じく饗応されているかを図るって、言われたんです。それで、困っていた時に助けてくれたのが、藤吉郎さんです」
「凄いね、良く方法を思いついたんだね」
「はぁ、豆にせよ、米にせよ、一個一個の重さや大きさが違っていても、百個二百個とまとまれば、数や重さにそれほど大きな違いはありません」
平均と積算量かぁ、なかなか凄い気づきだ。流石に、天下を取っただけのことはある。頭の回転が速いんだ。
「ねぇ、先程の話だと、藤吉郎殿は、今は仕える人はいないということ」
「は、はい。わたしは、殿なんて呼ばれるような人間じゃありません」
「そう。じゃぁ、藤吉郎さんは、ぼくの手伝いをしていただくのはだめですか。今は、ただの男妾ですけど、井伊家の祐姫様を迎えて、こちらのカグチ様を伊勢から南都の興福寺へお連れする旅の途中なのです。こちらは護衛をしていただいている眷属の狗嬪さんです。今は、側仕えとして、ぼくと一緒に行ってもらえないでしょうか」
「はぁ、わたしでよろしいのでしょうか」
「はい、貴方のような方であれば是非」
「どのような役に立つかはわかりませんが、わかりました。よろしく、お願いいたします」
おっと、秀吉ゲット?
そういえば、秀吉って、この時期、信長の間者って話もあったよな。
「藤吉郎さんは、尾張の生まれですか」
「はい、中村という村で生まれました」
「戻られて何かあてがあったのですか」
「いえ、わたしは、武士になりたいので、また、旅にでます」
「武士になりたいですか」
「はい。一国一城の主になりたいと思っています」
「頑張ってくださいね。強い想いで望めば、明日は変わると言いますよ」
「は、はいっ」
にっこり笑うと、人懐っこい感じだ。髭とかないし、そういえば、絵に描かれた秀吉は、付け髭だったって話を聞いたことがあるな。
二俣で天竜川を渡り、掛川に向かい近くの村で小屋を借りる。木桶に干し飯を用意して水を入れる。アシタバやカラシナに、カブと生姜を刻んで木桶に入れる。カグチが鬼火で石を真っ赤に焼いて、木桶に投げ込む。水が沸騰し、煮込み始めていく。簡単な雑炊の造り方となる。
「これが、石焼き料理ってことかい。篭」
「はい、カグチ様。鬼火で温石を造れば、暖かい料理が作れます」
「これは・・・篭様が考えられたんですか」
「ぼくじゃありません。知っていただけです」
「ま、旅をしていて、暖かい料理が食えるっては良いことだよ」
「そうです。凄いことです」
「始めてみましたが、石はなんでも良いのですか」
「火で焼いて割れない石。ここらへんは試してみないと判らないかな。後、この方法で一度、使うと石は使えなくなる」
「使えないのですか」
「うん。水に漬けちゃうからね。二度三度使うと、石が砕けて料理に混ざるし、酷い場合は、飛び散って怪我をすることもあるからね」
「二度三度と使えないのでは、兵粮とかに使うには、難しいですね」
藤吉郎は、食いつくように木桶を見ながら、色々と考えているようだ。
「そうだね、水に漬けると駄目ってことだよ」
「武器として使うのは」
「それは、難しいかな。普通は割れるだけだし、武器にするなら、他の方法が良い」
「他?」
「陶器に火薬を入れて、火をつけて相手に投げ込むとかかな」
「それは、聞いたことがあります」
「焙烙玉や焙烙火矢という形で、水軍衆が使っているみたいな形。出来る限り遠くへ投げ込める方法があれば、城攻めとかには役に立つよ」
「は、はい。凄いですね。篭様」
「そうでもないよ。ほら、そろそろ出来上がりかな」
「えぇ、ほら藤吉郎も椀を配って」
「は、はい。彩女様」
干し飯の食事は、まぁまぁだったかな。温かい食べ物を用意できることは、重要だよな。
豊川を下り、東海道へ出て、三河一向衆の拠点である本證寺に辿り着く。実際に見てみると、寺というよりは、本当に城といった方が良いというのが良くわかる。堀に囲まれた、城郭伽藍ってこんな感じなんだという雰囲気である。
カグチが、三河渡辺党に文を送っていたので、三河、伊勢、石山の本願寺で泊まれるようにお願いする予定だ。三河松平党への、連絡はされていたようで、渡辺高綱が配下を連れて待っていた。あまり良い感じではない。
「遠路のお疲れでございました。私が、三河渡辺党が当主、渡辺高綱でございます。カグチ様、お久しぶりにございます。こちらが、文にあった井伊の姫様が愛妾でございますか」
「はい、はじめまして、井伊の祐姫が男妾、井上篭です。こちらは、供をしてもらっている、龍潭寺の侍従頭狗嬪殿。井伊一宮の狐衆が長、彩女殿、そして井伊家の側用人を務めます木下藤吉郎となります。こたびは、急なお願いにもかかわらず、お出迎えまでしていただき、ありがとうございます」
挨拶を交わした後、高綱が切り出した。
「カグチ様が、身籠られたとの文なれば、渡辺党としてお手伝いするは、当たり前でございます。また、篭様には、一度お会いしてみとうございました」
「はぁ、なんでございましょう」
「カグチ様とは、遠州に向かう前に、渡辺党としてお相手いただいたのですよ」
お相手というと、交接ってこと・・・えっと、それって、この人と兄弟?・・・満足しなかったってこと・・・それって、チート能力なのか。思考が少し混乱していると・・・横合いから、カグチ様が口を出してきた。
「おい、高綱。篭が混乱しているじゃないか」
「いえいえ、カグチ様には、この地に留まっていただけませんでしたからな。少しは意趣返しをさせていただいても良いかと思います」
にやりと笑う・・・目が笑ってねぇ・・・
「え、え・・・」
混乱から立ち直れずにいるところを、後ろから控えめに声がかかる。
「申し訳ありません、高綱様。わが主は、不慣れな長旅にお疲れのご様子にございます。少し、休ませてもらってもよろしいでしょうか、お話はそれからということで」
おっと、藤吉郎偉い。さすが天下人、気配りの達人やね。
「ほぉ、わかり申した。こちらへどうぞ」
高綱の案内で、本證寺の城郭伽藍へと連れられる。いやいや、三河一向一揆の拠点として、城郭の規模を有していると言われたが、ほんとに城だわココ。堀が二重だよ。雰囲気的には、本堂の位置が本丸とすると、案内されたのは、三の郭あたりって感じかな。
「こちらで、お休みいただけます」
非常時の兵舎のような屋敷に案内された。聞いてみると、渡辺党には、本願寺門徒も多いので、本願寺系列の寺には、いくつか渡辺党の屋敷があるそうだ。伊勢の願証寺へも連絡してもらって、泊まれるようにお願いする。
「ありがとうございます」
「篭様は、武芸はたしなまれますか、一度、御手合わせを願いたいものですが」
「え、武芸ですか、せいぜい立ち木打ち程度でございますので、武芸と言えるほどのはありません」
中学で、厨坊になったからな、単純でないと継続できないってことで、示現流の立ち木打ちくらいしかしてないぞ。あれ、見る分には良いけど、継続するのはかなりキツイんだ。二年続いた自分を褒めたい。祐も気に入ったようで、若殿の流儀より良いって、城にいる間は一緒に鍛錬をしてくれたんだよな。
「立ち木打ちですか・・・見せていただいてよろしいでしょうか」
「はぁ、用意もありますから、明日の早朝でよろしければ・・・」
「ほぉ、それでは明日の早朝、お伺いいたします。それでは、食事の手配をいたしますので、これで」
少し、残念そうに去っていく。
「よろしかったのでしょうか」
藤吉郎が、少し、心配そうに聞いて来る。
「まぁ、立ち木打ちくらいしかできないのは確かだし、勝ち負けを気にするのであれば、負けで良いよ」
「それで、良いのでしょうか」
不安が募ってくる感じの問いかけになる
「ぼくは、祐姫様の愛妾だから、男として強くある必要は無いけど、藤吉郎は強くなりたいのかな」
「えぇ、篭様よりも小柄で、小兵ではありますが、戦場で手柄を立てたいと思っています」
「戦場での勝者は、生き残った兵だと思うよ」
「生き残った兵ですか」
「戦で、相手を倒して手柄としても、自分が死んでしまったら、手柄に意味は無いよね」
「はぁ、確かにそうではありますが・・・」
屋敷の軒下には、薪にするためか、丸木が斬られて並べられて乾かしていた。四尺くらいの長さがある丸木から、一寸ほどの太さの木を手にして、屋敷の縁側に座ると、小太刀を抜いて、一尺五寸ほど樹皮を削り出していく。白木にして、太さを握りに合わせて削っていく。
振りながら、握りの調整をしていくと、後ろからかき抱くようにカグチが来て、
「なぁ、怒っているか」
「え、そんなことないよ」
「貉は、子をなすのが難しい。だから貉は、子をなせそうな男のところに出向くのさ」
「それが、渡辺党ってこと」
「そうさ。貉の多くは、渡辺綱や源頼光の子が多いからね、他の血を受けた渡辺党に向かったのさ」
そっか、貉は単独の種では、種を維持することが難しいから、常に他の種族と交わらないといけないのか・・・
「じゃぁ、遠州に居たのは、甲州か関東に行く準備だったの」
「最初はね。ただ、姫さんが気に入ったし、親王さんの血族もいて、居心地が良かったから、しばらく逗留してたんだ。それに何人か子も出来たしね」
「そっかぁ・・・」
「ねぇ・・・」
「大丈夫だよ。カグチが好きだというのは間違いないよ」
「うん。ありがと」
カグチがギュッとしてくれるのと背中にあたる胸乳を嬉しく受けながら、少し残念そうに外して、柵のために打ち込まれた六寸ほどの丸太に向かって打ち込みを始めた。立ち木打ちを始めた厨の頃は、最初百回ほどで腕が上がらなくなったけど、二年程続けていくと、朝夕千回くらいは打ち込めるようになったのがうれしかったなぁ。千回越えてからは、時間で区切って、数を数えるのをやめたしな。
この鍛錬法は、実践剣術であり、単純で練習しやすい、薩摩示現流の練習方法をググって真似たものだ。どうすれば、より速く、より強く打ち込めるかだけを考えて、必死で打ち込みをやっていたのは、二年くらいになるかなぁ。良く続いたもんだ。
まぁ、平成日本の家事情だし、施設だったから、立ち木じゃなくて鉄棒だったし、猿声と呼ばれる奇声をあげての打ち込みではなく、無言で呼吸を合わせて打ち込んでいったんだよなぁ。こっちに来てからは、声を出せるようになったけど、恥ずかしいのと、朝、祐を起したくなくて、静かに打ち込んでたんだよな。
でもさ、稽古を終えると、起き出していた祐が見ていて、
「あたしの、男は、あたしが護る」
って言われて、そのまま押し倒されたりしたなぁ・・・
打ち込みを続けていると、丸太の樹皮が削られていて、少し煙が出始めていた。??
あれ、これってかなりの達人でないと、起きないんじゃなかったっけ? もしかして何かチート貰ったのかな。
手が止まったところへ、彩女さんが狐灯篭を入れた手桶に水を入れて持って来て声をかけてくれた。
「少し、やすまれてはいかがですか」
「う、うん」
ちょっと考え込むのに、縁側に座ると、寄って来ようとしたカグチに割り込んで、そのまま小袖や肌小袖を脱がされて、手桶の湯を使って、手拭いで拭き始めた。
「相変わらず、とても綺麗ですこと。あのように凄まじい打ち込みができるように見えませんのに」
「そうかなぁ・・・祐姫だと庭にあった丸木を木刀で斬っちゃったじゃない」
うん。リアルチートって、ほんとに凄いって思ったもの。
「そうですはね。でも、姫様はおっしゃれてましたよ」
「へ。なんて」
「勝ち負けはともかくとして、戦で篭様の前に好き好んで立ちたいとは思わないって」
「そんなこと言ってたの」
「はい。業とかではなくて、心根が強いからだと」
「心根?」
「打ち込むに迷いなく、自らを省みない強さだと、だから、あたしの男として戦に立たせたくないって」
「え・・・」
肌脱ぎになった半身が朱に染まっていくのがわかる。だめだ、なんか恥ずかしい・・・
「篭は、姫様がほんとに好きなのだな」
「うんッ。でも、彩女やカグチも好きだよ」
拭き終えた肌を抱き込むようにカグチが、ギュッとしてくる。
「カグチ様、まだ拭き終わってません」
「少しくらい許してくれてもいいだろ。夜は譲るんだから」
「そ、それは・・・」
朱に染まる、彩女さんが可愛いから、ぼくがギュッとしてあげる。
「これで、いいでしょ」
「こ、篭様。このような姿は、恥ずかしゅうございます」
「ごめん。でもだめ、もう少しこのままが良い」
「はぁ・・・」
右手に陽が傾き、朱に染まる空が西に見え、東から宵闇に染まっていく。
翌朝、夜明け前に目が覚めると、眠っている彩女さんを起さないように、そっと縁側に出る。宵闇に吐く息の白さが部屋の中と外の差を示す様な感じで、厠へと向かう。
厠から出て、手水を使う頃に、闇から出でるように高綱と元服したくらいの男がやって来た。
「ほぉ。起きられておりましたか」
そのまま縁側に腰をかける。そのまま、隣に腰をかけて、高綱が連れてきた、男が嫡男の守綱(鬼半蔵だよ)だと紹介された。黙って会釈して、高綱の隣に座る。
「高綱殿。少し、訊いても良ろしいでしょうか」
「は。構いませぬが、何でしょうか」
「高綱殿は、渡辺党であることが好きですか」
「は、何を」
「えっと、渡辺党って、戦場での働きだけでなく、貉様のお迎えや世話、河原者達との付き合いを抱えているでしょ」
「はぁ・・・」
「それに、普通の武家であれば、勝てそうな方に着くことが正しいと思うけど、渡辺党の方はそこに何かを求めるでしょ、自分を納得させるモノを」
「確かに、そのように考えたことはありませんが、渡辺党とはそういうものなのかもしれません」
「一家を建てて、戦場に身を置きながら、大名とかになることも無い。まるで、剣を自分の欲がために振るうことを戒めているようだ」
「・・・ほぉ、そのように考えたことは無かったですが、確かにそうかもしれませんね」
「高綱殿は、どのような武士でありたいと思っていますか」
「我が三河渡辺は、松浦党の流れではありますが、家に伝わっているのは、家祖たる渡辺綱の名に恥じぬ働きをするですかな」
「渡辺綱ですか」
「はい。そして、家祖様だけではありませぬ。唱様の話もあります」
「えっと、渡辺唱は、平家物語に出てくる人ですか、高綱殿」
「ご存知ですか、篭様」
「確か、摂津源氏の源頼政様の郎党だったと聞き及んでいます」
「そうです篭様。源頼政様が自害された後、首を護って美濃で弔い、渡辺唱は以仁王の嫡男北陸宮と共に関東へ下向しました」
「その後に、清和源氏の流れを汲む源頼朝や、河内源氏の流れを汲む源義仲へ、以仁王の綸旨を持って挙兵を促したでしたか、高綱殿」
「はい。源義仲が信州で挙兵し、京洛を平氏から奪還いたします」
「うん。でもその後、討たれてしまった」
「義仲様は、北陸宮の人柄を信じ、挙兵したのだと伝えられています。だから、北陸宮こそが一天万乗の大君に相応しいと」
「それは、通らなかった」
「はい。北陸宮を擁して義仲が強訴に及んだ折、渡辺唱は義仲が郎党の前に、一騎にて立ちはだかり、北陸宮様に弓を向けたと言います」
とうとうと高綱が語る。
(宵闇の)平家物語に曰く
「一天万乗の大君がおわす、内裏を護るが我等滝口が勤めなれば」
「待て、唱。一天万乗の大君に相応しきは、北陸宮なればこそ我等は」
「義仲殿。どのような理由があっても、他家の相続に係わるは、理不尽であろう。まして、なんの理由を持って相続に係わるか。また、事は、一天万乗の大君が相続に係わることなれば、赤子たる身が係わることにあらず。違うというか、義仲ぁ」
「な、何を・・・」
義仲を制止して、北陸宮は輿を進めて、唱の前に立つ。
「長七(唱の幼名)は、我の武士ではないのか。だからこそ、父上亡き後、我を護りて関東へ向かってくれたのではないか」
「はい。この唱が命は、宮様へ奉げて申す。されど、この唱は、一天万乗の大君が臣にして、内裏警護なれば、誰であろうとも許可無く通すことはできません。唱が弓で宮様を討ったならば、この場にて自害して果て、地獄へのお供を致しましょうぞ」
矢をつがえ、引き絞る。
「わかった。帰ろう義仲」
「し、しかし宮様・・・」
「引きたくて引く弓で、長七を殺したく無い。のぉ、義仲」
「は、はぁ・・・判り申した。今は引きましょう。しかし、北陸宮が本来の皇位継承なることは事実ぞ。北嶺南都を動かしても、要請を起こすぞ」
「なんの、この渡辺唱は、万民の武士なり。天上にて起きることに、何の異存があろうや」
と言い切られたと。
「それが、渡辺唱ですか、高綱殿」
「はい。ですが、渡辺唱は、頼朝の軍が京洛へ攻め込む前に、法住寺から北陸宮を逃がして共に脱出し、源範頼殿と一緒に京洛へ戻られ、北陸宮は、嵯峨大覚寺へ入られました」
そのまま、高綱が言い繋ぐ、
「わたしは、武士です。だが、この時に渡辺唱が言った、万民の武士という言葉こそが渡辺党であろうと思います」
「”万民の武士にして、天上にて起きることに異存なし”ということですか、高綱殿」
「まぁ、篭様天上にて起きることに異存無しと言えるほどには、わたしは、強くはないかもしれません」
高綱って、専守防衛の軍人さんの鏡みたいだ。
「高綱殿、次の大戦が起きる場所を見に行きます。ご一緒しませんか」
「へ。次の大戦・・・」
「はい。次の|大戦《おおいくさは、織田との戦となり、その先もまた大戦となりましょう」
「その先もですか」
「はい」
「それを、わたしに見せたいと」
「はい。三河渡辺党が頭領、渡辺高綱殿と嫡男の守綱殿に」
「いいでしょう。では、その大戦が前に、あなたの立ち木打ちを見せていただけますかな」
「覚えていましたか」
「それはもう、そのために来たのですから」
「わかりました」
宵闇に浮かぶ星明りの下で、柵の立ち木に打ち込みを始めた。同じ場所へ、同じ刃筋で、より速くそしてより強く、繰り返し、繰り返し打ち込みぬく。静かに、立ち木に打ち込まれる音だけが響いていく。
渡辺高綱は嫡男と一緒に、宵闇の中で始まった立ち木打ちを半刻ほど見ていたが、手桶に湯を入れてきてくれた彩女さんに手拭を渡されて、礼を言って汗を流していると、若い声で、
「その棒を借りても良いですか」
聞いてきた。渡辺高綱が嫡男、渡辺半蔵守綱(鬼半蔵だよ)である。
「いいよ」
カン、カン、カン、カン、カンと打ち込んでいく。打ち込む間隔が長く、一度打ち込むと、手がかなり痺れている感じがしている。
「相手に打たれることを考えず、ひたすら自分の太刀を相手に先に打ち込むことだけを考えて振る。これが、ぼくが教わった剣です」
「打たれることを考えないですか・・・」
高綱が考えるように聞いてくる。
「相手に打たれるより先に相手を打てば、相手に打たれることはない。ならば、誰よりも速く誰よりも強く、ひたすらに相手より先に打ち込む。ただそれだけを鍛え上げる剣です」
「相手がいなくても良いのですか」
「打ち込む相手は、過去の自分です」
「過去の自分」
「前に打ち込んだ剣よりも、速く強く。次に打ち込む時には、さらに速く強く。自らの剣の最速最強は、次に打ち込む剣である。自らを敵として、自らを示し顕す剣だそうです。わたしに教えてくれた人がそう言っていました」
ネット上だしな。誰なのかも知らないしな。
「教えられた方は、どちらの方か」
「わかりません。風のように顕われて、去って行かれました」
カン、カン、カン、、カン、、、カン
「今日は、終わりで良いよ」
「まだまだ」
声の威勢はいいが、百回程であろうか、剣の振りが、鈍くなっている。
「だめ、今日出掛ける先は戦場だよ。戦えない者を連れていくわけにはいかない」
「戦えない・・・」
「狗嬪さん。筋肉の炎症を抑える薬ってあるかな?」
「芍薬甘草でよろしいですか?」
「良いか悪いかはわからないよ。調合とかは大丈夫」
「何度か姫様に、調合したことがございます」
「姫様って筋肉痛になったことがあるの?」
「わりに無茶をなさいますから」
「そなんだ・・・」
「最後に無茶をされたのは、今の守綱様と同じですよ」
「へっ。何」
「篭様の立ち木打ちを見て、自分も始められたからです」
「え。そうなの?知らなかったよ」
「知られないように、隠れて打ち込んでおられました」
「量は姫様よりは少なめに」
「何故でしょう」
「姫様の身体と守綱様の身体は違うから」
「わかりました」
「篭様は、医薬もなさるのですか」
「本で読んだだけだよ。どの草が甘草かも知らないよ」
「本が読めるのですか」
「少しは・・・」
「それでも凄いと思います。わたしも多少は読みますが、守綱は逃げますので・・・」
勉強嫌いの典型だなぁ・・・顔が笑ってしまう
「何が、可笑しい」
守綱は、彩女さんに筋肉をほぐして真っ赤になった顔をしながら、怒ってくるなんか可愛いなぁ・・・
「なんか、守綱殿が弟のように見えて、良いなぁって思って」
「弟がいるのか?」
「捨て子で南蛮寺に預けられていたから、弟のような子達の世話をしていたよ」
「捨て子・・・」
「そだよ」
「・・・おれは来年で十六になる」
「ぼくは今が十六だから、年はぼくの方が上だね」
「どうぞ、薬湯でございます」
狗嬪が調合した薬湯を渡されて、飲み干す。少し意外な顔をする。
「あれ、少し甘い?」
「守綱殿、甘いから甘草だよ」
「甘いから、かんぞう?」
「甘い草と書いて、カンゾウという読み方をする生薬だよ、守綱殿」
「それは、戦に使えるのか」
「戦場で怪我をした味方を助けず、見殺しにするのを武士とするのであれば、いらないかな」
「なぁッ・・・」
言葉に詰まる守綱が、面白くて、自然と笑顔になってしまう。夜が少し、紫に煙ってくる。
「さ、そろそろ出掛けますか」
「「「はい」」」「「あぁ」「ゆきますかな」」
本證寺から沓掛城へは、五里くらいだから、歩いて4時間くらいである。沓掛城から大高城へ向かうのは、二里半なので二時間ほどで着くこととなる。夜明け前に出立して、昼前に沓掛城を抜ける。
「ここらへんで戦となるのですか、父上」
「篭殿はそうみておられる」
若い声と静かな声がする。渡辺高綱と一緒に、嫡男の渡辺半蔵守綱(鬼半蔵だよ)がついて来ていた。小競り合いが多いこともあって、ここらへんにも良く来ていたそうだ。極端に大きな高低差があるわけではないが、鬱蒼した森や山が続く。東海道ではあるが、尾張と三河の国境近くということもあり、あまり整備されていない印象を受ける。
行軍経路が今一つ判断しにくいなぁ・・・史実の桶狭間が、かなり南にあるようなイメージがあったんだよな。東海道にから西へ向かうと、右手が鳴海城方面、左手が大高城かぁ。周辺に付け城をいくつか造っていくということは、あの山の向こうくらいかな、大高城は・・・ということは、あの山あたりが鷲津山なのかな。
「あちらに見える山が鷲津山なのでしょうか」
「よくわかりますね。今は、織田方とも今川方とも言えぬ山といったところでしょうか」
高綱殿に来てもらって良かった。昔、教わった地形と照合していく。
「左手が丸根あたり」
「はぁ・・・このあたりに来たことがありますか」
「地図を見ていただけです」
桶狭間あたりはなぁ、友達が延々と説明されたからなぁ、永禄になっていないから、鷲津山に先に砦を築くというのもあるかな。鷲津を抑えれば、その奥になる丸根に砦は造れないハズ。
「大高を攻めるには、あの鷲津山に砦が欲しいと思いませんか、高綱殿」
「ほぉ・・・確かに、急所となりそうですな、鷲津山は」
「先に、こちらが砦を築くことはできないでしょうか」
「鷲津山にですか、どのくらいの規模でしょうか。篭殿」
「とりあえずは、百で周辺を抑えて、五百程度が立て篭もれる砦を築けると良いかと思います」
「五百程度であれば、人が揃えば、寺がありますから、そちらに配置できます」
「寺かぁ、百程度なら、先に常駐出来ますね。つまりは、織田方に砦を築かせないことができます。高綱殿」
「寺の住職は、知り合いなので、場所をお借りすることくらいはできましょう」
「お願いしても良いでしょうか、これは、三河松平党の戦を少しは楽にできると思います」
「確かに、ここに築かれた敵の砦を落とすよりは、先に砦を築いた方が楽ですね、篭殿」
「お願いできますか、高綱殿」
「約束はできませんが、城代にお伝えしましょう」
「城代は、直盛様ですね。姫様にも文を書いて、こちらからも、少しお願いしてみます。なにとぞ、よろしくお願いします。高綱殿」
「わかりました」
鷲津山を右手に廻り、川を目指す。
「高綱殿。鷲津山を越えた川向こうが、大高城ですよね。大高の先が海だけど渡る準備はできていますか」
「はい、篭殿。此度は、伊勢長島の願証寺からの迎えを湊へ呼んでおります。案内は、嫡男の守綱にさせましょう。良いな」
「はい。父上」
元気に応える。若いなぁ・・・あれ、一つ下だっけ、周りが幼く見えるのは、相変わらずということかなぁ・・・
「そして、右手の先にある川を越えれば、織田領なんでしょ」
「そうです。篭殿」
「やっぱり、鳴海から大高までのここらへんが一番危険だと思います。高綱殿」
「危険とは、織田方の侵攻ですか」
「今は、まだここらへんに手を出せるほど余裕は無いとは思うけど、そろそろ偵察くらいはしてる気がします」
「つまりは、織田方に鷲津山を押さえられるより先に抑えたいということですか」
「うん。ぼくからも、姫様に文を出して、岡崎の直盛様にお願いしてもらいますが、高綱殿にも手伝っていただけますか」
「大高から岡崎へ戻った後で、わたしからも直盛様に進言して見ましょう」
「ありがとうございます」
鷲津山を抜けようとするところで、十数人の破落戸がばらばらと、山から現われてきた。
「おっと、ここは鷲津山の御領だぜ、関銭を頂こうか」
「わたしは、今川家家臣、岡崎城代、井伊直盛様が家来、井上篭と言います。まずは、名前をお聞かせ願えませんか」
「名前など、知らん。やっちまえ」
ばらばらと、さらに十数人が木陰から出てくる。装備はばらばら、川沿いの郷士という感じである。
「藤吉郎、彩女達を頼んだ」
すっと、今朝まで立ち木を打っていた棒を構えて、話していた男へとそのまま全力で振り下ろし、そのまま隣の男へも振り下ろした。そのまま、二人は、崩れるように倒れた。後でわかったのだが、一人目が、左側頭部から頸椎あたりを砕き、二人目は右側頭部から頸椎を砕いていたらしい。そのまま、駆け抜けるように、相手に向かってひたすらに打ち込んでいく。右に左にひたすらに立ち木と同じように打ち込んでいく。
「な、なんだ。て、ぐぁッ・・・」
打ち込んだ先で、何か砕ける音がする。構うことなく、ひたすらに駆けて行く。後方で、数人のうめき声が重なる。高綱と守綱が討ち果たしているようだ。ただ敵に向かって、立ち木へ打ち込むように、ひたすらに打ち込んでいく。
「「「あべしっ」」」
そして、脇から出てきた男が火炎に包まれ転げまわる。
「ぐぅわぁ」
「「「お、鬼だぁあッ」」」
ひっくり返ったような声がして、何人かが逃げ出していく。
「朝、見た時に感じましたが、実際に見ると凄まじいですね。この高綱、感じ入りました」
自顕流、立ち木打ちかぁ・・・ほんとに、人を相手にするもんじゃないや・・・骨を砕き、肩を砕き、当たるモノへ叩き込む。一人は、槍の柄で受けて、眉間傷を造って頭蓋が砕けていたそうだ・・・先の先、戦に当たって必要なことを、ひたすらに立ち木を相手に繰り返し繰り返し、ひとつの技を鍛え上げていく剛剣中の剛剣か・・・
無言で屍骸を、鷲頭山長祐寺に人を出してもらい、鷲津山を抜けた後の河原へと運び、カグチに屍骸を焼き祓いをしてもらう。大高城の側を抜けて、大高の湊に出て、伊勢長島へ向かう船で出る。渡辺高綱とは、湊で別れたが、渡辺守綱はついていくといって一緒についてきた。
日が暮れる前には、なんとか長島へ辿り着き、夕暮れに願証寺へと入ることができた。同じように屋敷に案内される。少し、厳しいなぁ・・・
「今日は、少しごめん。先に休ませてもらうね」
「「篭」「篭様」」
「あ。ごめん。藤吉郎・・・ちょっと良いかな」
「は、はい・・・」
大坂に本願寺を構えたこともあり、坐摩神社と渡辺湊は、本願寺の門前町に組み込まれていったそうだ。このため渡辺党には、本願寺門徒衆が多くなることとなった。瀬戸内を含め、各地に水運利権を持ち、様々な交易品を持つ渡辺党は、各地の本願寺系の寺にも屋敷を抱え、中継拠点として用いていた。三河本證寺で泊まった屋敷も渡辺党が維持していた一つである。
伊勢長島の本願寺も、本願寺門徒衆の拠点であり、渡辺党の屋敷があった。
「狗嬪殿。篭殿は、今日が初陣でだったのかな」
篭の様子を心配そうに見送るように、守綱が訊いてくる。
「おそらくは」
「しかし、ほんとに凄まじい剣であった」
感心したように、守綱が言うと、狗嬪が、
「はい。屍骸を抱える際、普通に頭蓋から頸まで砕けており、屍骸によっては、そのまま首が落ちましたからな」
「確か、自らを省みることなく、相手より先に、相手より強く。ただそれだけの剣と言われていたが、まさに言葉通りというところか」
「そうでございますな」
「なぁ、狗嬪よぉ。篭大丈夫かよ。側に居てやった方が・・・」
「それは、わたくしが・・・」
「カグチ様。彩女様。今日は、お引きを。篭様のご指名は、藤吉郎様です」
「「・・・なんでぇ」「・・・そんな」」
縁側に座って、宵闇に浮かぶ月は、居待月をぼぉーと眺める。手の震えは、なんとか止まっていた。丸木の柱にもたれかけて、言葉が零れる。祐に逢いたいなぁ・・・
「ぼくさ。神隠しにあって、此処に来た。そして祐姫に逢ったんだ」
「神隠しでございますか、篭様」
「それにさ、笑っちゃうんだよ。神隠しに逢ったらって願って、立ち木打ちとかの修練を始めて、色々調べたりしていたけど、実際に神隠しにあってみると全然違うもんだなぁって」
「篭様?」
「殺すということが、どういうことかは、何も知ってはいなかった」
打ち込んでいる時も、理解できていなかった、ひたすらに動けるように、ただ、打ち込んでいっただけだよな。
「そうなのですか」
「でもね、藤吉郎。身体が思ったよりも冷静に動いて、打ち込むことができたんだ」
「冷静にですか」
「本当の破落戸だったかはともかく、問答無用で叩き潰してって思ったら、その通りに身体が動いたんだ、藤吉郎・・・」
ん。ほんとだ。あの時は、省みたら自分が死ぬって思ったんだ。そういう意味では、先に動き先に斃すというのは、先に狂うということでもあるのかもしれない。今は、流石に狂えそうにない。
「問答無用ですか」
「そうさ。彩女さんや藤吉郎が人質とかされたら、動けなくなるからね」
「は、どういうことですか」
「ぼくにとって、藤吉郎や彩女さんが人質とかだと、心配で動けなくなるじゃない」
「そんな、わたしのような者のた・・・」
人指し指で藤吉郎の口を抑える。
「だめだよ。もうぼくにとっては、彩女さんと藤吉郎は家族なんだから」
「か、家族・・・」
「うん。だから、あんまり無理しないでね」
「いえ。この藤吉郎、主に家族と呼ばれるとは思いませんでした。篭様のためとあれば、どんなことであっても成し遂げます」
平伏した藤吉郎に向かって、
「だ・か・ら。無理しちゃだめだよ。かなり色々頼もうと思っているからね」
「は。なんなりと御申しつけください」
「ははは。ありがと。あとで泣いても知らないよ」
「泣きません」
「わかったよ。藤吉郎」
藤吉郎かぁ・・・小柄で可愛い感じだよな。猿?、鼠?って感じはしないしなぁ、秀吉とは違うのかな・・・日焼けとかしてるけど、髭とかないしなぁ。
「藤吉郎。ぼくはさ、知識があれば、薬とか造って儲けたり、武器を造ったりとか、できることが色々あるって思ってたんだ」
「違ってましたか」
「なんていうか、渡辺綱が凄いっていうか、松浦党や様々な人達が築いてきた想いが本当に凄いって思ったんだ」
「想いの凄さですか」
「そして、それを代々想いを伝えて、築きあげていく強さかな」
「想いを伝えて、築き上げる強さ」
「そ。一人でも一代でもできない。万民に拡げて、万民自体が力を築いていく力、平安の御代から五百年の継続が、万民にもたらした力」
「継続が築いた力・・・」
「多分、あやかしの人達がもたらした本当の功績は、後世になって始めて理解できる凄さだと思う」
「本当の功績」
「御狐灯篭とかさ、鬼釜ってさ、本当に凄いんだよ。お湯を沸かして、鉄を溶かす。白い漆喰で湊や道、家を造ることができる」
「それが凄いことなのですか」
「狐火があれば、お湯や食事を造ることができるよね」
「は、はい」
「同じ事を、薪や炭でやろうとすると、どのくらい必要になるかわかる」
「あ、薪の量は凄いことになりますね、篭様」
「遠州では、釜炊きを使って、塩を作っている。本来だと、山の木を大量に消費するのを、薪を使わずに、鬼火や狐火で塩を造っている」
「つまりは、薪を使うことが無いということですか、篭様」
「南蛮の国々はね、白い漆喰を造り、鉄を溶かすために、木が生長するよりも速く大量の薪や炭を消費していったんだ。それが続くとどうなると思う?」
「山から木が消えるということですか」
「そういうこと。山から森が消えて、滅びていった国があるということさ」
それに、あやかしの影響は、エネルギーというだけじゃない。この屋敷ひとつにしても多分そう。大坂の渡辺湊は、本願寺のすぐ側だから、本願寺門徒が多くなる。本願寺の拡大と共に、門徒衆に連携して渡辺党も拡大していく。この様子だと、三河、伊勢、加賀、越中といった地域を含めて、渡辺党の流れがあると思って良い。
しかも、渡辺党だけじゃない。伊平の鋳物衆にしても、稲荷神社の湯女狐の流れや、八咫烏の雑賀衆、烏天狗や大天狗もまた拡大していると思っていい。山伏、修験者、巫女だけじゃなく、鍛冶や鋳物、医薬や農林に水産といった様々な職種に、あやかしが組み込まれていっている。それこそ、この国では、あやかしの血が、人とは切り離せないほどの拡大していると思って良い。
商業も同じだ、交易商品を造り、しかも南蛮船すら高額で買い付ける、鋼や果実酒といった加工商品まで生産している。鑑札という公的なバックアップを確保して、医薬品の交易等において鑑定の大切さを浸透させ、一定の資金を確保して、教育研究機関を維持する。おそらくは、今の日本だと、延命院は世界有数の研究機関ということになる。おそらくは、昔の「神農本草経」だけでなく、様々な本草学や養生訓とかの内容は、既に描かれていて、漢方としてかなり広範囲に調べられていると思ってよさそうだ。
農業とかは、檸檬やオリーブといった薬樹を世界各地から集めて、栽培等を含めて根付かせている。しかも、一か所だけでなく、何か所かに設置して、それぞれの地域での発展に繋げている。結果的にその流れがあったからこそ、ジャガイモとかが流れてきているんだ。
住吉で鬼釜が立ち並び、鬼火での鋼造りが進められていると聞いた。からくりの工夫が進んでいけば、鬼火で動く蒸気機関とかも作れるような気がする。狐火にせよ、鬼火にせよ、なんとか上手く貯めるか、誰にでも使えるように工夫ができればなぁ・・・温石じゃぁ長時間ってわけにもいかないよなぁ・・・
それに、日本という土地は、琉球の亜熱帯から蝦夷の亜寒帯まで、南北に千キロを超え、東西もまた千キロを超える、広大な風土を持っている。かなり広範囲で気候条件を確保できるということは、世界中から薬樹を集めて、ほとんどの薬樹を日本で栽培できるようになるということだ。延命院は大和と琉球に薬樹園があるという話をしていた、つまりは、ほとんどの薬樹が、日本で栽培可能となっているってことなんだ。
「ぼくが居た世では、渡辺党の頭領ってさ大名じゃないし、戦や海に強いってだけで、それほど有名ではなかったんだ」
「篭様。それは、変わらないと思いますが」
「そうだね。例えば、三河渡辺党の当主も、大名じゃないし、勢力も小さく見える」
「はい。篭様。そうではないのですか」
「駿河の御館様や京洛の将軍様すら持っていない、長島願証寺や三河本證寺に屋敷を構えているよ」
「この屋敷にしても、松浦党が商売に使っている屋敷と聞きました」
「商売で使っているなら、金を払って使えるということだよね、藤吉郎」
「それは、みな一緒なのでは」
「でもさ、藤吉郎。知らない人に貸して、家財を持ち出されたら・・・」
「あ」
「でしょ。信用ってさ。金で買うことができないんだよ。藤吉郎」
「信用ですか」
「そ。人脈もね」
「信用と人脈ですか、篭様」
「藤吉郎・・・戦は人が為すものだけど、戦に使う道具や武器、兵粮といったものは、ただでは手に入らない。安く手に入れようとすると、金以外に必要なのは、信用と人脈ということになる」
「確かに・・・」
「藤吉郎にはさ、その信用と人脈を繋いでいって欲しいんだ」
「それは、どういうことでしょうか、篭様」
「ぼくのというか、祐姫の家臣として、藤吉郎には、信用と人脈をね築いて欲しいんだ」
「わたしがですか」
「うん。鬼の徴があるといっても、祐姫は渡辺党ではないし、半蔵殿は三河松平党の一員だからね」
「独自に築く必要があるということですか」
「そういうこと。最初は、カグチや狗嬪に繋いでもらうとしても、ぼくが動けない時に代理として動けるようにね。そして彩女さんにね」
「彩女様ですか」
「そ。藤吉郎は、彩女さんが好きでしょ」
「へっ」
真っ赤に茹で上がったように赤くなる。うん。衆道には興味ないけど、可愛いなぁ・・・いけないおじさんになってしまいそうだ。おかしいなぁ・・・
「違うの」
「い、いえ、そのようなことは・・・」
「ぼくは、祐姫に夫と呼んでもらった」
「はぁ」
「ぼくは、彩女さんにとって大切な姫様の夫だからね」
「はい。わたしにとっての主は、篭様です」
さて、周囲に来ている子達に挨拶しようか。
「わかった。まず、この屋敷には、狐や狼が来ている」
「狐に狼ですか?」
「多分、船に乗らずに、地を駆けてきたと思う。出てきて貰えるかな」
縁側から、庭に降りて、地に座る。すると、狐耳の少女と狐二人がおずおずと寄ってくる。縁側の下から、狼が三人出てくる。
「話はできるかな」
「「少しだけ・・・」「「チョット」」」
やっぱし、こんな感じであやかしがいたら、獣肉を食うのは、ほんとに覚悟がいるわ。
「他にも居るような気がするけど、誰がいるのかな」
「「いるぜ」「「「いるいるぅ」」」」
鴉が屋敷の壁に並んでいる。何人かは子鴉達であった。一人の子鴉が、四尺ほどの女童姿になって降りてくる。
「伊勢からの御客人か」
「斎宮様から貉の子を為した相手を見て来いって言われた」
「カグチに子が出来ているのでれば、ぼくが、種になるのかな」
「カグチには、確かに子が出来てた。種は貴方だよ」
「斎宮様へ、ぼくのことを報告するの」
「斎宮様へは、夜明けに子天狗達に伝えてもらう。俺が願証寺へ案内する」
「ここへ?」
「斎宮は遠いし、斎宮に男は入れない。貉はこっちで合流する」
「そっか、カグチのことは良いの?」
「カグチからは、文が送らているし、斎院までは、そんなに離れてない。安心」
「伊勢だけでなく大和や紀州の山々から、何人かの貉が亀山に集まる」
「え。どうして」
「貉の子を成せる男は貴重。護衛と子を成すために集まる」
「護衛って貉の?」
「そう。今日の昼について連絡があった。貉と子を成した男に、破落戸ごときを近づけるようでは貉の名折れ。破落戸など先に潰す」
「ねぇ、貉って多いの」
「良く知らない」
「いや、精が枯れたら嫌だって思ったんだ」
「それは大丈夫、一回一人相手にしてくれれば良い。淫気が溢れている間は、精は尽きないから大丈夫」
「え、それって・・・」
そのまま、女童が近づいて来て、口吸いをして、
「明日からは、貉が相手する。今日はおれの相手をしてほしい」
「あ、あたしもっ」
抱き着いていた狐耳の少女も声をかける
「えっと、まだ子供ではないの?」
「大丈夫、赤飯は去年炊いた」
「一昨年に炊いた」
そういえば、寿命が違うから、大人になる速さも違うのか?
でも見た目は違くないか。なんか、悪いおじさんになったような・・・
「えっと、だけど、ごめん。ぼくには童に見える」
「大丈夫、褥で一緒に寝てくれれば、あとはおれが犯るから」
「犯る犯るぅ」
そのまま、狐と狼に運ばれていった。
「お前も来い」
藤吉郎も引きずり込まれて、褥に運ばれていく・・・これって、えぇえぇッ
宵闇に浮かぶ、居待月が、淡く輝いていた。
「藤吉郎。起きてる」
「は、はい」
「みんな、寝ちゃったね」
鴉天狗も狼や狐達も、気持ち良さそうに、眠っていた。精を放つ前に、抱きしめてギュッとしながら愛していると、そのまま気持ちよさそうに、眠ってしまった。とりあえずは、良かったかな?
「淫気に溢れてしもうたからな」
え。鴉天狗の女童が、すっと素肌を晒したまま、居住まいを正す。先ほどの声とは異なる、おそらくは依代として声を放っている。
これは、伊勢の斎宮様? そのまま鴉天狗の女童に向かって平伏し、藤吉郎の頭も下げさせる。
「伊勢の斎宮様と、お見受けします。お初にお目にかかります、井伊の祐姫が夫の一人を務めます。井上篭と申します。以後、よろしくお願いいたします」
「ははっ」
気付いた、藤吉郎が額を擦り付けるように平伏する。
「ほほほ、あまり気にするでない。ここには、言霊を跳ばしているに過ぎぬ」
「言霊でございますか」
「これほど、気に満ち溢れていればの。届けることくらいは、造作もない」
「素晴らしき力と思います。此度のお越しは、いかな御用のことでございましょうや」
「そなたを見に来たのよ。井伊の鬼姫が|男≪おのこ≫をな」
「は、ありがとうございます」
「カグチは子を、延命院で産みたいと言うておったな」
「はい。斎宮様のお許しがあればということでしたが、お許しいただけますか」
「無事に産まれるならば、斎宮でのうても良い。カグチの好きにして構わぬ」
良い人だけど、良いのかな?
「ありがとうございます。あの・・・ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
「応えられることであればな」
「はい。斎宮様は、巫女狢を眷属として迎えたとお聞きしました」
「そうじゃな。それが何か」
「狢は、京洛の御所にお仕えしていたと聞きます。何故に、伊勢斎宮と賀茂斎宮に迎えたのでしょうか」
「応えは、俗人の言葉で良いか」
「はい、構いませんが、斎宮様?」
「銭じゃ」
「銭・・・ですか」
「そうじゃ、妾は斎宮ではあるが、領も無い寄進のみで祀られるだけの宮よ。なんの役得も無く、斎宮に寄進するものなどおらぬ。狢がおらねば、とうの昔に潰れておったろうよ」
「それでは、巫女狢を介して寄進を受けるということですか」
「主上が連れ去られるとか、二つに割れて戦をするなど貉にとっては地獄よ。さらには京洛にも戦の気配が増えたのでな。狢を主上よりお離ししたのじゃ」
「戦に巻き込まれないようにするためですか、斎宮様」
「そうじゃ。狢衆もな、それなりに人数もおったゆえ、伊勢斎宮家と賀茂斎宮家で分けたのじゃ。お互いに生き残るためにの」
「狢については、多少は、知られてきておる。武士によっては、狢に子をなすのを尊ぶものまでおるからの」
「気が満たされれば、子が授かるとすれば、気を満たせるほどの力があることの証とすることができる?」
「巫女狢は旅先で稼ぎ、斎宮に寄進することで、狢の子を育てておる」
「妾が斎宮として、狢を護っているのではない。妾が、狢に養われておるのじゃ」
「斎宮様。ですが、狢の郷をお守りしているのは、斎宮様でありましょう」
「実際の守護は、狢衆だけでなく天狗衆がしておる。さすがに国人衆も伊勢斎宮に直接手を出すほどには、堕ちておらぬようじゃ」
そうか、銭を稼ぎ、斎宮に寄進するのは、郷を護るためであり、狢にとっては一族を護るということか。
「斎宮様が健やかにおられることが、狢衆にとっての一族を護るということになるのだと思います」
「ほほほ。可愛いことを言うてくれる。流石に、カグチを母にするだけのことはあるのぉ」
「そうでしょうか、斎宮様。ぼくは何か他の者と違いがあるとは思いませんが」
「心根とは、難しいものよ。狢とて心があるゆえ、どんなに淫気を注がれようと、心がなびかねば、満たされることにはならぬ。世の男とは、女を征するのと、満たすのを間違うておる者が多いのじゃ」
「心無くば、そういう者もおりましょうが。斎宮様、そうでないものも多いのではないでしょうか」
「そうでない者は、気を満たせぬ者が多くなるのじゃ、なかなかに難しいものよ」
「此度、一緒に来た、守綱は、上手く成長すれば、良き男になろうかと思います、斎宮様」
「ほほぉ、そなた。何を知っておる」
「私は、神隠しに逢うて、この世に参りました」
「それは、松玲院の文にあったの。神隠しと言うよりは、妾には、刻を渡ったようにみえるの」
「刻を渡るですか、斎宮様」
「違うのかの、刻まれた時が異なる世から参ったのではないかの」
えっと、斎宮様って巫女様だから、見えるのかな。異世界の未来から来たってのが、わかるのかな。
「は、どのように見えるのでしょうか、斎宮様」
「神隠しに逢う前の世は、この地のいかなる場所にもあるまい」
「はい。それは確かに、斎宮様、その通りでございます」
「世が異なれば、時の流れも異なろう。それが異なる刻ということよ」
「そういうことであれば、斎宮様。ぼくは、刻を渡ったのだと思います」
やっぱし、この世は流石にあやかしと暮らす世界なんだ。人もまた、違ってきているくらいに鋭い。
「ほほほ。そなたの傍におる姫も面白いの。男であれば、狢でも満たせそうな気の強さじゃ」
「傍の姫・・・藤吉郎のことでしょうか?藤吉郎は男ですが・・・」
「男そんなことはあるまい。先ほど、この寄り代に気をやったが、子種ではなかった故」
鴉天狗に放った気が、子種ではない・・・無精子症なのかな。
「それは、わたしには子種が無いということなのでしょうか」
藤吉郎が心配そうに聞いてくる・・・
「女でありながら、男に見えるということかも知れぬ」
「仮性半陰陽・・・」
思わず、言葉に出てしまった。ゴメン。
「篭様、それは」
「ご、ゴメン。あんまり良く知らないんだ」
「それでも構いません。教えていただけますか。篭様」
必死に、しがみついてくる藤吉郎が、可愛いところを見ると、もしかするとという思いが強くなってくる。豊臣秀吉には、子供がいない。だから、種無しなんじゃないかという話があった。鶴松や秀頼は、淀君が間男の子と。もし、仮性半陰陽とすると、子が居ない事の理由がわかる。しかも、史実世界だとすると、ある程度、地位が上がってからだと、女性であるとばれるわけにはいかなくなる。それが、結果的に秀吉の闇を創ってしまったとしたら・・・
「藤吉郎。カグチには、園さんという女との間に子がいて、カグチ自身は、ぼくとの間に子をなしている。この場合は、女陰と陰茎を兼ね備えるということで、両性具有という呼び方になる」
「では、仮性半陰陽というのは・・・」
「女性の身体だけど、外見的に男性に見える。男性の身体だけど、外見的に女性に見える。それが、仮性半陰陽」
「わたしは、女性の身体で、外見が男性に見えるということなのでしょうか」
「藤吉郎は、彩女さんを抱いたことがあるのでしょ」
「は、はぃ・・・」
「しかも、藤吉郎は、子狐や子天狗の気を満たせる程に、淫気も強いし・・・」
「はぁ・・・」
「仮性半陰陽としても、多分、男性よりも男性らしい女性なんだと思う」
「そうなのでしょうか、篭様」
「うん・・・」
「篭様、どうすれば確認できるのでしょうか」
「裸になって見れば良い、ある程度は、それで確認できよう・・・」
斎宮様が、爆弾を投げ込む。
「へ。斎宮様それは・・・」
「あの。確かめていただけますでしょうか・・・篭様」
「藤吉郎は、男は嫌いじゃないのかな」
「はい、毛むくじゃらというか、なんか嫌いです」
「ぼくは良いの、ぼくにも髭とかあるよ」
「篭様なら・・・」
「えっっとぉ・・・斎宮様」
「ほほほ。従者の不安を取り除くも、主の務めよな」
「はぁ・・・」(斎宮様、ぜったい、楽しんでおられるでしょ)
藤吉郎は、衣を脱ぎ、下帯を外す。
「おねがいいたします」
確認をした後で、藤吉郎へ口吸いから、少しづつ身体を抱いて、ぼくの女にしてしまいました。多分、きっと史実の尾張で、起きたことをそのままに・・・
「篭様」
「何、藤吉郎」
「黙っていて、頂けますか、わたしのこと」
「藤吉郎が、女であること?」
「篭様は、わたしの外見は、男にしか見えないと、おっしゃいました」
「うん。確かにそういったよ」
男としても、普通のサイズだし、周囲もよぉーく見ないと判断できないくらいに女が隠れていたからな。彩女さんも普通に気づかなかったんじゃないのかな。
「ですから、篭様・・・」
「あのさ、何故、女ではだめなの」
「女では、武士になることができません。篭様」
「そんなことないよ。ぼくの祐姫も女だけど、武士だよ」
「それは、武士の家に生まれた女だけです」
だからなのだろうか、史実世界が、変わってしまったのかな?女性が、女性として世に出られない世界を造ってしまったのではないか。平安、鎌倉あたりまでは、普通に出てきた女領主が減り、特定の状況下でなければ、女性領主すら生まれることなく、女性であることを隠して、領主となった世界が、史実世界であったのだろうか・・・
「それは、昨日の話で、明日、女が武士になれないということではないよね」
「え、篭様、どういうことですか」
「女が、武士になれず、一国一城の主になれないのが、昨日までの世界なら、明日からの世界は、女でも武士になれ、女でも一国一城の主になれる世界にすれば良いんだろ。藤吉郎」
「は、そんなことが、できるのですか」
「創ろうよ、藤吉郎、そういう世界を。ぼくが、神隠しに逢う前に居た世界は、女が一族の長となり、重臣となり、一国の主にもなれた世界だったよ」
「女が、一族の長や、一国の主になれる世界、ですか」
「だから、創ろうよ。藤吉郎、女であるとか、男であるとかが関係ない世界を」
「できるものなのでしょうか」
「まずは、藤吉郎を女として、武士にする」
「はぁ・・・」
「大変だと思う。それこそ、隠す方が、よほど簡単に武士になれる。でもね、藤吉郎。女であることを隠して、武士となっても、天下最初の武士ではないでしょ」
「それは・・・」
「ならば、藤吉郎、貴女が女の身で、最初に武士となって新しき一家を立て、一国一城の主となればいい。それだけで、この世で最初の女の武士となり、領主となった女として歴史に刻めるよ。かつての神功皇后のように、天下を治める女にだってなれるかも知れない」
「歴史に名を刻める・・・できるのでしょうか」
「手伝う。ぼくが支援する。祐姫のためにも」
「ほほほほほ、話はついたようじゃな」
「「斎宮様・・・」」
二人して真っ赤になってしまった。
「可愛いのぉ・・・素直に生きるのが一番よな、篭、藤吉郎」
「「はい」」
障子が開け放たれているのに、寒く感じないくらいに、宵闇に浮かぶ、居待月が、なんか綺麗で暖かかった。
はははっは、豊臣秀吉になるだろう、木下藤吉郎だった頃を、女にしてしまいました。これは、史実で闇に隠されたところかとも考えた部分だったりします。同じようなことが、信長との主従関係で起きて、それが結果的に本能寺への流れとなったら・・・というのも、歴史ifなのではないでしょうか。
ま、結果的にハーレムしちゃってみました、というのが根本にあるのかも知れません。
もともと、質が高くない砂鉄とかを鋼に変えてきた日本の製鋼技術は、鍛造等で考えれば、それほど低いものではなかったと考えられます。鬼火という高火力があれば、鋳造関連の事情も大きく変わることとなります。
また、日本という国は、古来より大学寮や足利学校のように、様々な教育機関がありました。渡辺綱という個人の力というのではなく、母親(祐姫、茨城童子、颯、葛葉)が形成していった様々な組織と周囲の組織(伊勢、伏見、住吉など)が連携して力を発揮していったこととしています。