決戦への準備 その9
さて、人材獲得が始まります。
祐への文を書いて届けてもらうように頼み、ぼくは、狗嬪、カグチ、彩女と旅に出ることとなった。遠江から三河へは、伊平に抜けて鋳物衆へ伊勢に戻ることを伝え、田沢から長篠へと抜ける道を通った。豊川沿いに川を下るところで、とぼとぼ歩いていく小柄な旅人と出会った。
「あら、藤吉郎じゃない、どうしたの」
「あ、こ、これは彩女様。お久しゅうございます」
なんか、驚いたように応える。
「貴方、松下様の屋敷に仕えていたのではなくて、何かあったの」
「はぁ、どうも嘉兵衛様には非常に良くしていただいたのですが、今一つ屋敷の者と上手くいきませんで、中村の家に帰るところでございます」
「そぉ、浜松の御城に居た時は、気が利いていて、良くやってくれていると思ったのだけど・・・」
「いえいえ、どうにもやり方が悪かったようでございます」
「彩女さんの知り合いなの」
「はい。今川家目付衆、松下様の従者で、木下藤吉郎と言います」
「へはじめまして。ぼくは、井伊家祐姫様が、男妾で、井上篭と言います」
もしかして、木下藤吉郎って、豊臣秀吉・・・ん。小柄だけど、色白だし猿っぽくないし、鼠っぽくもないけどなぁ・・・この世界では、どうなんだろ。
「は、はい。木下藤吉郎でございます・・・」
「ねぇ、先程の話だと、藤吉郎殿は、今は仕える人はいないということ」
「は、はい。わたしは、殿なんて呼ばれるような人間じゃありません」
「そう。じゃぁ、藤吉郎さんは、ぼくの手伝いをしていただくのはだめですか。今は、まだ、ただの男妾ですけど、井伊家の祐姫様のために、こちらのカグチ様を伊勢から南都の興福寺へお連れする旅で、さらに京洛へ向かうところなのです。こちらは護衛の狗嬪となります。今は、側仕えとして、ぼくと一緒に行ってもらえないでしょうか」
「はぁ、わたしでよろしいのでしょうか」
「彩女が気が利くというのであれば、充分な力があると思います。今は、小姓としてしかお願いすることしかできませんが、この旅が終わればわたしではなく、祐姫様の下で働いていただける様お願いすることもできます」
「どのような役に立つかはわかりませんが、わかりました。よろしく、お願いいたします」
おっと、秀吉ゲット?
豊川を下り、東海道へ出て、三河本證寺で一泊する。寺には、連絡されていたようで、鬼半蔵が配下を連れて待っていた。三河本證寺は、三河一向一揆の拠点となった場所であり、堀を巡らした城郭伽藍の配置された本格的な寺社
「遠路のお疲れでございました。私が、三河渡辺党が当主、渡辺半蔵守綱でございます。カグチ様、お久しぶりにございます。こちらが、文にあった井伊の姫様が愛妾でございますか」
「はい、はじめまして、井伊の祐姫が男妾、井上篭です。こちらは、供をしてもらっている、龍潭寺の狗嬪殿。井伊の狐衆が長、彩女殿、そして井伊家の側用人を務めます木下藤吉郎となります。こたびは、急なお願いにもかかわらず、お出迎えまでしていただき、ありがとうございます」
挨拶を交わした後、鬼半蔵が切り出した。
「カグチ様が、身籠られたとの文なれば、渡辺党としてお手伝いするは、当たり前でございます。また、篭様には、一度お会いしてみとうございました」
「はぁ、何故でございましょう」
「カグチ様とは、遠州に向かう前に、渡辺党としてお相手いただいたのですよ」
お相手というと、交接ってこと・・・えっと、それって、鬼半蔵と兄弟?・・・満足しなかったってこと・・・それって、チート能力なのか。思考が少し混乱していると・・・横合いから、カグチ様が口を出してきた。
「こら、半蔵。篭が混乱しているじゃないか」
「いえいえ、カグチ様には、この地に留まっていただけませんでしたからな。少しは意趣返しをさせていただいても良いかと思います」
にやりと笑う・・・目が笑ってねぇ・・・
「え、え・・・」
混乱から立ち直れずにいるところを、後ろから控えめに声がかかる。
「申し訳ありません、半蔵様。わが主は、不慣れな長旅にお疲れのご様子にございます。少し、休ませてもらってもよろしいでしょうか、お話はそれからということで」
おっと、藤吉郎偉い。さすが天下人、気配りの達人やね。
「ほぉ、わかり申した。こちらへどうぞ」
半蔵の案内で、本證寺の城郭伽藍へと連れられる。いやいや、三河一向一揆の拠点として、城郭の規模を有していると言われたが、ほんとに城だわココ。堀が二重だよ。雰囲気的には、本堂が本丸とすると、案内されたのは、三の郭あたりって感じかな。
「こちらで、お休みいただけます」
非常時の兵舎のような屋敷に案内された。
「ありがとうございます」
「篭様は、武芸はたしなまれますか、一度、御手合わせを願いたいものですが」
「え、武芸ですか、せいぜい立ち木打ち程度でございますので、武芸と言えるほどのはありません」
中学で、厨坊になったからな、単純でないと継続できないってことで、示現流の立ち木打ちくらいしかしてないぞ。あれ、見る分には良いけど、継続するのはかなりキツイんだ。
「立ち木打ちですか・・・見せていただいてよろしいでしょうか」
「はぁ、用意もありますから、明日の早朝でよろしければ・・・」
「ほぉ、それでは明日の早朝、お伺いいたします。それでは、食事の手配をいたしますので、これで」
少し、残念そうに去っていく。
「よろしかったのでしょうか」
藤吉郎が、少し、心配そうに聞いて来る。
「まぁ、立ち木打ちくらいしかできないのは確かだし、勝ち負けを気にするのであれば、負けで良いよ」
「それで、良いのでしょうか」
不安が募ってくる感じの問いかけになる
「ぼくは、祐姫様の愛妾だから、男として強くある必要は無いけど、藤吉郎は強くなりたいのかな」
「えぇ、篭様よりも小柄で、小兵ではありますが、戦場で手柄を立てたいと思っています」
「戦場での勝者は、生き残った兵だと思うよ」
「生き残った兵ですか」
「戦で、相手を倒して手柄としても、自分が死んでしまったら、手柄に意味は無いよね」
「はぁ、確かにそうではありますが・・・」
屋敷の軒下には、薪にするためか、丸木が斬られて並べられて乾かしていた。四尺くらいの長さがある丸木から、一寸ほどの太さの木を手にして、屋敷の縁側に座ると、小太刀を抜いて、一尺五寸ほど樹皮を削り出していく。白木にして、太さを握りに合わせて削っていく。
振りながら、握りの調整をしていくと、後ろからかき抱くようにカグチが来て、
「なぁ、怒っているか」
「え、そんなことないよ」
「貉は、子をなすのが難しい。だから、子をなせそうな男のところに出向くのさ」
「それが、渡辺党ってこと」
「そうさ。貉の多くは、渡辺党の子が多いからね、他の血を受けた渡辺党に向かったのさ」
「じゃぁ、遠州に居たのは、甲州か関東に行く準備だったの」
「まぁね。姫さんが気に入ったし、親王さんの血族もいて、居心地が良かったから、しばらく逗留してたんだ。それに何人か子も出来たしね」
「そっかぁ・・・」
「ねぇ・・・」
「大丈夫だよ。カグチが好きだというのは間違いないよ」
「うん。ありがと」
カグチがギュッとしてくれるのと背中にあたる胸乳を嬉しく受けながら、少し残念そうに外して、柵のために打ち込まれた六寸ほどの丸太に向かって打ち込みを始めた。立ち木打ちを始めた厨の頃は、最初百回ほどで腕が上がらなくなったけど、二年程続けていくと、朝夕千回くらいは打ち込めるようになったのがうれしかったなぁ。千回越えてからは、時間で区切って、数を数えるのをやめたしな。
この鍛錬法は、実践剣術であり、単純で練習しやすい、薩摩示現流の練習方法をググって真似たものだ。どうすれば、より速く、より強く打ち込めるかだけを考えて、必死で打ち込みをやっていたのは、三年くらいになるかなぁ。
まぁ、平成日本の家事情から、猿声と呼ばれる奇声をあげての打ち込みではなく、無言で呼吸を合わせて打ち込んでいったんだよなぁ。こっちに来てからは、声を出せるようになったけど、恥ずかしいのと、朝、祐を起したくなくて、静かに打ち込んでたんだよな。
でもさ、稽古を終えると、起き出していた祐が見ていて、
「あたしの、男は、あたしが護る」
って言われて、そのまま押し倒されたりしたなぁ・・・
打ち込みを続けていると、丸太の樹皮が削られていて、少し煙が出始めていた。??
あれ、これってかなりの達人でないと、起きないんじゃなかったっけ? もしかして何かチート貰ったのかな。
手が止まったところへ、彩女さんが狐灯篭を入れた手桶に水を入れて持って来て声をかけてくれた。
「少し、やすまれてはいかがですか」
「う、うん」
ちょっと考え込むのに、縁側に座ると、寄って来ようとしたカグチに割り込んで、そのまま小袖や肌小袖を脱がされて、手桶の湯を使って、手拭いで拭き始めた。
「相変わらず、とても綺麗ですこと。あのように凄まじい打ち込みができるように見えませんのに」
「そうかなぁ・・・祐姫だと庭にあった丸木を木刀で斬っちゃったじゃない」
うん。リアルチートって、ほんとに凄いって思ったもの。
「そうですはね。でも、姫様はおっしゃれてましたよ」
「へ。なんて」
「勝ち負けはともかくとして、戦で篭様の前に好き好んで立ちたいとは思わないって」
「そんなこと言ってたの」
「はい。業とかではなくて、心根が強いからだと」
「心根?」
「打ち込むに迷いなく、自らを省みない強さだと、だから、あたしの男として戦に立たせたくないって」
「え・・・」
肌脱ぎになった半身が朱に染まっていくのがわかる。だめだ、なんか恥ずかしい・・・
「篭は、姫様がほんとに好きなのだな」
「うんッ。でも、彩女やカグチも好きだよ」
拭き終えた肌を抱き込むようにカグチが、ギュッとしてくる。
「カグチ、まだ拭き終わってません」
「少しくらい許してくれてもいいだろ。夜は譲るんだから」
「そ、それは・・・」
朱に染まる、彩女さんが可愛いから、ぼくがギュッとしてあげる。
「これで、いいでしょ」
「こ、篭様。このような姿は、恥ずかしゅうございます」
「ごめん。でもだめ、このままが良い」
「はぁ・・・」
右手に陽が傾き、朱に染まる空が西に見え、東から宵闇に染まっていく。
翌朝、夜明け前に目が覚めると、眠っている彩女さんを起さないように、そっと縁側に出る。左手の空が紫に煙るように色づいていく。吐く息の白さが部屋の中と外の差を示す様な感じで、厠へと向かう。
厠から出て、手水を使う頃に、闇から出でるように鬼半蔵がやって来た。
「ほぉ。起きられておりましたか」
そのまま縁側に腰をかける。そのまま、隣に腰をかけて、
「ね。半蔵殿。少し、訊いても良ろしいでしょうか」
「は。構いませぬが、何でしょうか」
「半蔵殿は、渡辺党であることが好きですか」
「は、何を」
「えっと、渡辺党って、戦場での働きだけでなく、貉様のお迎えや世話、河原者達との付き合いを抱えているでしょ」
「はぁ・・・」
「それに、普通の武家であれば、勝てそうな方に着くことが正しいと思うけど、渡辺党はそこに何かを求めるでしょ、自分を納得させるモノを」
「確かに、そのように考えたことはありませんが、私はそうかもしれません」
「一家を建てて、戦場に身を置きながら、大名とかになることも無い。まるで、剣を自分のために振るうことを戒めているようだ」
「・・・ほ、そのように考えたことは無かったですが、確かにそうかもしれませんね」
「戦に勝ちたいと思っていますか」
「我が三河渡辺は、松浦党の流れではありますが、家に伝わっているのは、家祖たる渡辺綱の名に恥じぬ働きをするですな」
「渡辺綱ですか」
「はい。家祖様だけではありませ。唱様の話もあります」
「渡辺唱は、平家物語に出てくる人」
「ご存知ですか」
「確か、摂津源氏の源頼政様の郎党だよね」
「そうです。源頼政様が自害された後、首を護り、渡辺唱が以仁王の嫡男北陸宮と共に関東へ下向しました」
「清和源氏の流れを汲む源頼朝や、河内源氏の流れを汲む源義仲へ、以仁王の綸旨を持って挙兵を促した」
「はい。源義仲が信州で挙兵し、京洛を平氏から奪還いたします」
「うん。でもその後、討たれてしまった」
「義仲様は、北陸宮の人柄を信じ、挙兵したのだと伝えられています。だから、北陸宮こそが一天万乗の大君に相応しいと」
「それは、通らなかった」
「はい。北陸宮を擁して強訴に及んだ折、渡辺唱は義仲が郎党の前に、一騎にて立ちはだかり、北陸宮様に弓を向けたと言います」
(宵闇)平家物語に曰く
「一天万乗の大君がおわす、内裏を護るが我等滝口が勤めなれば、」
「待て、唱。一天万乗の大君に相応しきは、北陸宮なればこそ我等は」
「義仲殿。どのような理由があっても、他家の相続に係わるは、理不尽であろう。まして、なんの理由を持って相続に係わるか。また、事は、一天万乗の大君が相続に係わることなれば、赤子たる身が係わることにあらず。違うというか、義仲ぁ」
「な、何を・・・」
義仲を制止して、北陸宮は輿を進めて、唱の前に立つ。
「長七(唱の幼名)は、我の武士ではないのか。だからこそ、父上亡き後、我を護りて関東へ向かってくれたのではないか」
「はい。この唱が命は、宮様へ奉げて申す。されど、この唱は、一天万乗の大君が臣にして、内裏警護なれば、誰であろうとも許可無く通すことはできません。唱が弓で宮様を討ったならば、この場にて自害して果て、地獄へのお供を致しましょうぞ」
矢をつがえ、引き絞る。
「わかった。帰ろう義仲」
「し、しかし宮様・・・」
「引きたくて引く弓で、長七を殺したく無い。のぉ、義仲」
「は、はぁ・・・判り申した。今は引きましょう。しかし、北陸宮が本来の皇位継承なることは事実ぞ。北嶺南都を動かしても、要請を起こすぞ」
「なんの、この渡辺唱は、万民の武士なり。天上にて起きることに、何の異存があろうや」
「こんな感じだったかな」
「良くご存知ですね」
「祐姫様が、好きで良く話してくれたから。結果として、義仲は追討された」
「はい。ですが、渡辺唱は、法住寺から北陸宮を逃がして共に脱出し、源範頼殿と一緒に京洛へ戻られ、北陸宮は、嵯峨大覚寺へ入られました」
「わたしは、武士です。だが、この時に渡辺唱が言った、万民の武士という言葉こそが渡辺党であろうと思います」
「”万民の武士にして、天上にて起きることに異存なし”かな」
「天上にて起きることに異存無しと言えるほどには、わたしは、強くはないかもしれません」
「半蔵殿、次の大戦が起きる場所を見に行きます。ご一緒しませんか」
「へ。次の大戦・・・」
「はい。次の大戦は、織田との戦となり、その先もまた大戦となりましょう」
「その先もですか」
「はい」
「それを、わたしに見せたいと」
「はい。三河渡辺党が頭領、渡辺半蔵守綱様」
「いいでしょう。では、その大戦が前に、あなたの立ち木打ちを見せていただけますかな」
「覚えていましたか」
「それはもう、そのために来たのですから」
「わかりました」
柵の立ち木に打ち込みを始めた。同じ場所へ、同じ刃筋で、より速くそしてより強く、繰り返し、繰り返し打ち込みぬく。静かに、立ち木に打ち込まれる音だけが響いていく。
豊臣秀吉が、木下藤吉郎だった頃というナレーションが昔ありました。