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ghost  作者: 長居智則
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ghost(上)



ぷろろーぐ。


黒い色の空から大粒の涙が地面に叩きつけられる。ザーザーと耳を刺激し、冷たい雨水で肌を不快に誘う。地に落ちた水滴はそれぞれで集まり、小さな哀しい泉を 夥しく製造する。

それに負けまいと少女が透明なビニールの脆い傘を差し、懸命に駆け抜けようとする。身にまとった黒い制服は泥水で汚く濡れた雑巾のようにぐちゃぐちゃだ。そんなことなど気にも留めず、少女は少年のところへとただアスファルトの道を蹴りつけた。途中、何度も立ち止まってはぁはぁと肩を上下させる。それでもすぐにまた脚を動かして前へと急ぐ。

やがて、少女の見慣れた風景の通りに差し掛かると、さらに脚を速め全力で疾駆 した。

すぐに目的地は見えた。全体的に白色で覆われた二階建ての一軒家、そして彼女の家のすぐ隣。

到着し、休むことなく道路に隣接する門を乱暴に開け、震える脚で中へ進む。

その時だけ急に時が止まったようだった。さっきみたいな体の節々からくる喧騒が嘘なのかと疑いたくなる。

そして、

ゆっくりと進む。


ピンポーン


何とかインターフォンに指を押し込んだ。

目的は果たしたと言わんばかりに、全身がようやく悲鳴を上げ始めた。だらりと力なく腕は下がり、膝に手をつく。血でも吐き出すんじゃないかと、少女自身でも思うほど荒く、苦しい呼吸だった。ぼろぼろの傘など手から離され、すでにその存在は無いに等しかった。

10分ほどで目的の彼は出てきた。いや、実際は10秒だったかもしれない 。それほど今の少女は朦朧としていて倒れそうだった。


―――湊


少女の幼い身体は小さくて消えてしまいそうな声で言の葉を零した。


―――香乃か


対する少年も同じくらい小さくて死んでしまいそうなほど弱くなっていた。つい 先週まではあんなに男の子らしく笑っていたのに。


―――何か用か?


今度は冷たさも帯びていた。


―――お葬式に来なかったから・・・私、心配で


―――俺に葬式なんて行く権利なんてないだろ


すでに彼から表情は意味を失い、ただ変わらない人形のような「顔」があるだけだった。悲しみに歪むこともなかった。そんな少年に少女は言葉を失った。

すると今度は少年の方から急に口を開けた。


―――お前はさ、あれは何がいけなかったんだと思う?


虚ろに遠い目をしていた少年が初めて彼女の目を見て、問うた。少女の心にしばしの沈黙が訪れ、すぐに消え去る。


―――わからないよ


そう答えた。そうとしか答えられなかった。


―――あのとき、買い物に行こうって言ったのは俺だ


少年は静かに呟いた。


―――え?


いきなりの言葉に少女も固まった。

そして静かに告げる。


―――姉貴誘ったのも俺だ


―――やめて


静かに沈む。


―――あの橋見に行こうとか言い出したのも俺


―――やめてよ!


―――姉貴が庇ったのも、俺なんだよ


一瞬で時が止まる。少女はそんな感覚に陥った。息が吸い込めなかった。今の少 年の眼はやり様のない憎悪と悲しみで溺れているようだった。


―――違う!湊は悪くない!


彼女は声を絞り上げた。


―――じゃあ、じゃあ誰が悪いんだ!!


届かない。

届くはずがなかった。

次、我に返ったときには少女はさっきとは反対の方向へ走っていた。庭を駆け、門を叩き開き、無我夢中で逃げた。

怖かった。

何もかも夢だったらどんなによかったか。

隣の自宅までの距離だったが、まるで持久走でもしているんじゃないかと思えるくらい長かった。それでも少女は走った。

悲しみの涙と苦しみの雨に頬を濡らしながら。



Daily Life


4年後。


12月6日。

「で、結局香乃は誰が好きなの?」

「ぶふっ!?」

突然の攻撃に私は唾を吹き出してしまった。

親友、君月千明が意地悪げな笑顔で質問を投げかけた。しかしそれはたった今、 青春の真っただ中を生きている私、森野木香乃にとってかなりのキツい質問だ。

「・・・いない」

「嘘だ、いるでしょ。顔赤いもん!」

微々たる私の抵抗も嬉しそうに笑う親友にはまるで通用しない。いないという方向で誤魔化すことは出来ないようだ。

「絶対いや、教えない」

「えー、いいじゃん教えて!」

私も曲がりなりにも高校生だ。当然、好きな人くらいいるに決まっている。

けど、もちろん教えない。教えるはずがない。なぜならここにいる私の親友は口が軽く、誰彼構わずに言いふらし、昨日教えたことが二日で学年全域に広がってい くスピードだ。そんな千明に言いふらすなどという自爆行為はごめんだ。

「なんで教えてくんないの、ひどいよ~!」

隣の親友もとい危険人物の千明は頬を膨らまし、小さな子供のように駄々をこねる。

「そんなの自分の胸に訊いてよ。思い当たる節がないはずないから」

私は少し怒ったようにつんと言い放った。すると彼女は本当に自分の胸に掌を置 いて「んー、わかんない」と、呑気に呟いた。

千明とは中学からの付き合いだが、天然でお馬鹿の千明は昔から少々浮き気味だ 。それでもムードメーカーな彼女はある意味学年でも人気があるので本人はまったく自覚がないし自省もない。天然もここまでくるとメーワクだ。

「あっ!自販機めっけ!ジュース買ってこーよ!香乃」

「うん、いいよ」

でも、千明の無邪気なところが私は好きだった。それでもって彼女の無尽蔵な行動力に憧れた。だからこそこうしていつも一緒にいるのかもしれない。そこのところは私自身よくわからなくてうまく言葉で表せないけど、とにかく千明といるととても楽しかった。

目の前で短い髪を北風で躍らせながら、財布から小銭を漁っている親友を眺める。 そしてなんとか10円玉のみで120円分を挿入し終えると、迷わず冷たい炭酸飲 料のボタンを押した。

ピッ、ガコンッ

乾いた音と一緒に350ミリリットルの缶ジュースが現れる。

「冬でもコーラってさすがに寒いでしょ?」

「いいんだよ、ウチはこれが一番好きだし」

すぐにプシュッと蓋を開けて口をつけた。

そういえば千明がコーラ以外を自販機で買っているところを見たことないな、そう思い返しながら私も小銭を自販機に挿し込んだ。

ピッ、ガコンッ

「ココアにするんだ、でもこの時期ってココアは暑くない?」

後ろで不思議そうに尋ねる声が聞こえる。

いや、温まるから買うんだよと思わずツッコミたくなるが、正直慣れてしまって 今のはなんなくスルーした。代謝が良すぎてどんなに食べても太らない千明はきっと年中夏のような感じなのだろう。そういえば中学のころに一度だけ冬に夏服で登校してきて注意されていたことがあったような………。

気がつけば私が缶の蓋を開ける前に千明がゴミ箱に空き缶を投げ入れていた。指先から離れた空き缶は狭い穴の中に綺麗に吸い込まれていく。よくそこまでうまいこと投げられるものだと感心してしまう。っていうか飲むの早過ぎ。

缶のプルタブをプシュッ、と開けて一口分を喉に流し込む。

「ふう」

ココアの温かさで身体の内側から癒される。この時期はこれだからココアを外すことは出来ないのだ。

カラスのカアッカアッという鳴き声がした。何気なしにそっと見上げてみる。

空は橙色の絵の具で綺麗に塗られている絵画のような幻想的で儚い光景が広がっていた。平和な午後のひと時もなかなかいいものだ。世間では事故や事件がいろいろあるが、なんだかんだでこういう平和が一番幸せなのだろう。

私は大きく深呼吸をして冬の冷たい空気を吸い込んだ。

「けほっけほっ!?」

「何咽てんの、香乃」

「な、なんでもないよ」

ふと、後ろから足音が近づいてきた。反射的に缶を口元に運んでいた手を下げ、 振り返る。そこには見知った顔があったからさらに驚いた。

170cmは余裕で超える身長に凛々しくも飾り気のない無表情、何を読んでいるのかは知らないけど片手に紙のカバーをした文庫本を持って、落ち着いた足取りで歩いていてくる。同じクラスの雨宮湊だ。

「こ、こんにちわ、雨宮」

思い切って呼んでみるも、本人は「おうっ」とだけ生返事を返し、意識は手に持 った本に向いたままだった。そしてそのまま私を通り過ぎ、歩いていってしまった 。

「あれ、香乃と雨宮君って知り合いだったの?」

「いやいや、中学から同じでしょ、千明だって同じクラスじゃん」

「そだっけ?」

親友は首を傾げて考え込むような仕種をする。実のところ、彼とは小学校も同じ 、幼稚園も同じ、というよりも近所でいわば幼馴染みという関係だ。さっきは無視されたような感じだったが昔はとても温厚で優しい人だった。(それでも笑ったところをあまり見たことないが)小学校低学年までは雨宮のお姉さんも含め3人でよ く遊んだし、恥ずかしながら一緒にお風呂に入ったこともある。何より頼りがいが あって、引っ込み思案な私を何度も助けてくれた。

さらに話を最初に戻すと、私が恋しているのはまさにこの幼馴染みだったりする 。それも初恋で、しかも小学校からずっと引きずってきている恋だ。現在に至って は幼少期の私の勇姿はどこへやら、さっきみたいに恥ずかしいやら気まずいやらで 話しかけることですらままならない。

「ねぇ、香乃」

「………」

「おーい」

「…えっ、何?」

つい考え事に没頭してしまい、ぼんやりしていた私を千明が頭に「?」マークを 浮かべながら見つめている。でもまぁ、さすがに千明の頭じゃあ、私が誰について 考えていたかなんて気づかないだろう。

「もしかして香乃ってさ、雨宮が好きなの?」

「へっ!?」

そこまで感づかれた!?


それから近所の中学校の前で千明と別れ、それぞれ帰路に着いた。会話もなんだかんだでいつも通り盛り上がり、別れるのがほんの少しだけ寂しい気がした。

それもいつものことだ。ウサギは構ってくれないと死んでしまうと聞いたことがある。後からそれは迷信だと教えてもらったが、私は独りになったら本当に死んでしまうかもしれない。すでに友人関係に失敗して友達少なだから余計に心配だ。

昔から他人への耐性が皆無だった私、今は初対面の人でも少しはまともな会話ができるようになったが、中学一年くらいのころはもっと酷かった。自己紹介で「わ、 わ、わわたしぃは・・・えーと」という感じで噛みまくり、最後には頭が真っ白になって、自分の名前をド忘れてクラス中が大爆笑という恥態まで晒してしまった。

まぁ、結果としてそのお蔭で千明と友達になれたからいいもの。とにかくあれは 一生引きずる黒歴史になるだろう。

「はぁ」

そうして私は短くため息をついた。

どちらにしろ、雨宮に話しかける数は減ったと思う。いや、今年はメールのやりとりくらいで、実際に話しかけたのはあれが初めてかもしれない。メールでも明日の授業で何が必要だとか、宿題はなんだとかのものを私が聞いているだけで、別に楽しくやりとりしてるわけではない。正直、話しかけれない。彼のことを知っているから余計にだった。

目の前の空は暗い私を表したように向こうのほうが黒くなっていた。さっきまで綺麗なオレンジだったのに、今夜は雨だろうか?

「はぁ、―――私ってホントダメだな」

「どうした、そんなに暗くなって」

「それがね、私ってば・・・」

ふと一瞬、疑問点が脳裏を過ぎった。

私は今、誰と話してるんだろうか?

そう思 って振り返るとそこには大きなカーキのコートに身を包んだ雨宮が立っていた。

「って、雨宮ぁ!?」

「うるさいな、そう騒ぐなよ」

急な展開で慌てる私に対して、彼はあくまで冷静に言い放った。

「うっ、ごめんなさい」

何か言い返すことが出来ず、しょぼんと謝る。

「…すまん、少し冷たかったな」と彼も謝る。

そこからしばしの沈黙が舞い降りた。彼は私を見たまま止まり、私も気まずくて何も言えないままだった。とりあえず何か言おう、と言葉を探す。

「…こ、これからどこ行くの?」

「本屋」

「あ、新しい本買いに?」

「そうなるな」

「………」

そして、私は力尽きた。そりゃ、質問しても単発でしか返ってこないんだもん、 どう派生していけというんだ。

「何だ、どうした?さっきから黙ったままで」

そっちがちゃんと返してくれないからでしょ、とツッコミを入れそうになる。

「…ご、ごめん」

やはり、昔は言えたそんな親近感のある言葉も今は喉で止まってしまう。情けなくてため息が代わりに喉から飛び出しそうだ。

「・・・せっかくだからお前も来い」

「え?」

「何か言いたそうだけど言い難い、言い辛いって感じなんだろう?帰るまでにまと めておけ。俺はゆっくりと本探すから」

「う、うん」

意外な言葉に一瞬たじろいでしまった。

きっと私はわかりやすいほど暗い表情しているのだろう。そう言う彼はいつも通 り無表情だ。いや、表情のバリエーションなど彼にはない。そう、4年前からずっ と――ー彼は色のない空ろな瞳で眉一つ動かさない、そんな機械みたいなニンゲンになってしまった。(顔立ちのせいか、何故か凛々しい感じで渋いと興味を寄せる 女生徒が若干名いるらしいけど)

実際、クラスでも浮いた存在になっている雨宮。私も友達とかの横の関係は苦手だが、彼はすでにそれに興味すら持たないようであった。幼馴染みという私にだっ て、昔は名前で呼び合っていたのに気がつけばお互いを他人のように苗字で呼び合 っている。

雨宮は私にとって好きな人だ。だがそれ以前に彼は気まずい存在になってしまっていたのだった。

早く行くぞと雨宮が私がさっきまで歩いていた道を機械的に足を進める。そして 私は彼の言われるがまま彼の後ろについて歩くのだった。

さらに日が沈み、雲の隙間から見える空の色が少しのオレンジ色と藍色を混ぜたような不思議な模様をしていた。彼と向かったのはデパートのすぐ向かい側にある少し大きめの本屋、 その後ろ側にひっそりと店を構える古本屋だった。そのわりには、こんな時間だというのに駐輪場に中学生と思われる飾り気のないシルバーの自転車が何台もところ狭しと置いてあった。後から帰りにせまいなと不機嫌そうに愚痴る中学生が目に浮 かぶ。

本屋の前に着くと少し立ち止まった私。

彼も急に止まった私に気づいて振り返った。

「どうした?」

見ればわかるでしょと思わず言いたくなった。だが、はぁはぁと肩で呼吸する私にはそんな余裕なかった。

ここに着くまでの雨宮の歩く速さは尋常じゃないくらい速かった。まず脚が私と違って長く、歩幅の時点で完全に遅れる。しかも彼は私がいることを忘れているの かと疑うくらいの速足で次々と進んでいく。だからこっちは走らないと付いていけないのだ。ついさっきの信号で何とか追いつき、息を整えることができたのが幸いであった。それを見て彼は歩く速さ下げようかと提案してくれるのだが、残念なことに気づくのが遅すぎ。

扉は自動ドアでゆっくりと開く。ほんの1秒程度の待ち時間だが、彼と久しぶりに共に放課後を過ごすと考えると楽しみで、不安で、その小さな時間でさえももどかしくてたまらなかった。

店に入るなりすぐに彼は文庫本のコーナーで本を物色し始めた。たまにこれは面白そうだなとか、これはないなとか、彼の声がこぼれている。よく観ると彼の手の甲には本の情報なのかメモ書きでぎっしりしていて何か不気味なオカルト系の魔法陣かと思うほどであった。でも、人間らしい彼の一面を久しぶりに見れたような気がして少しだけホッとした。というかメモくらいメモ帳とかケータイのメモアプリとかにでもすればいいのに。

真剣に本の背表紙を眺める彼の横顔をそっと覗いてみた。彼の無表情はもちろん変わらない。でも、とても凛々しい綺麗な顔立ちなのは間違いない。やはり残念な ものだと思う。私はまるで夜のゴミ捨て場を堂々と闊歩する純白の白猫を見ているような 感覚になってきた。

「…どうかしたか?」

「へっ!?」

気がつけば怪訝そうな彼がこっちを見ていた。気がつかないうちに長いこと見入っていたらしい。

「え、えっと、その本面白そうだね」

咄嗟に目の前にあった本を指差した。タイトルは漢字とカタカナのなんだか映画にありそうなものだった。というか、咄嗟とはいえ、思ってもないことを言ってしまった。大丈夫だろうか。

「それか…。それは俺から言わせてもらうとあまり面白くなかったな。展開も台詞もクライマックスもベタで内容も薄めだった。王道で勝負するなら面白さが足らない」

なんとか見つめていたことは誤魔化せたようだ。それよりきちんと返答してくれたことに驚いた。正直な気持ちとしてさっきの質問はスルーされるものだとばかり思っていた。また少しだけ温かい気持ちになる。

「…なんなら、俺のオススメ貸してやろうか?」

いきなりいつもと変わらない表情でそう言い出だした。あくまで私の主観だが、彼の表情に変化があるような気がしてならなかった。きっときのせいだろう。そう 心に言い聞かせて、なるべく表情に出ないようにして私は口を開いた。

「ううん、今は遠慮しておくよ、また今度貸してほしいな」

「…おう、用意しとく」

やはり変化はあるきがする。これはきっと感情と呼べるものだろう。周りから彼には感情がないという言葉を聞いた事があるが、雨宮にはまだ感情はある。その表し方を忘れただけなんだ。

彼はそれからも黙々と文庫本を漁っていた。仕方なく私は本屋をブラブラ歩いて みることにしたものの、当然本屋は不気味なほど静かで、本に興味があまりない人にとってはこれは長居したくないところである。悠長に説明する私も本はあまり得意ではない、急いで漫画コーナーに逃げ込んで彼の用事が終わるまで時間を潰した 。

「おい」

横からいつもの無感情な低い声が聞こえた。振り返ると5冊ぐらいの文庫本をビニール袋に押し込んで、それを左手からぶら下げている雨宮がいた。

「もう終わったの?」

彼はコクリと頷いた。少し漫画の続きが気になるが、雨宮に用がある形でここにいるわけだからここに残る必要などない。私は何も言わず、背を向けて出口へと向 かう雨宮の後ろについて歩いた。

それから、私たちはずっと黙ったままだった。駐車場を横切るときも、歩道を歩く彼を走って追うときも、信号で青い光を待っているときも、民家の間を進むとき も、口を開かなかった。その沈黙が不安と安堵を同時に胸に運んで貯めていくから 私はなんだか窮屈な気分になっていた。

気がつくと冬空はすでに夜で、さっきまで空を覆っていた雲はどこへやら、空は濃い藍色で染まっている。それどころかキラキラと星がとても煌びやかに輝いてはいる始末だ、でもよく見ればそれ以外のところは雲に覆われていた。結局まだ晴れ ていなかったようだ。きっとじきに真っ暗になってしまうことだろう。それを見て自分が何を感じたのかは自分でもわからないけど、何故か私はそれから顔をそらし た。

二人で口を開くことなく歩いていくと見慣れた川原にさしかかった。彼はいきなり立ち止まり、遅れて走ってくる私が追いついてから目を細めて言った。

「そういえば、何が言いたかったのか整理ついたのか?」

その問いに私は曖昧に微笑んだ。暗くてむこうにはそれが見えていないかもしれないけれどそうするしかできなかった。

正直、言いたいことなんて山ほどある。具体的に手紙に書き出すと富士山を軽く超えるほどの山にできる自信さえある。しかし私には、言えなかった。今までずっ と、もちろん今日も言えないだろう。すると彼のほうから急に思いがけないことを 口にした。

「…ここの川原、覚えているか?」

「えっ?」

予想外の言葉に、そして触れたくなかったことに胸がきゅうと締め付けられる。

「俺らが昔さ、よく遊んでいたとこだ」

そんなこと、もちろん覚えている。忘れるはずがない。

「…うん」

しかしまた曖昧な返事しか吐き出せなかった。

「……姉貴とも」

その瞬間、私の思考は完全にフリーズし、胸にさらなる激痛を覚えた。

「なんだか……懐かしいな」

暗がりの中、彼は遠くを見据えるように目を細めた。今の彼は一体何を見ているんだろうか?

昔のことを、あの日を見ているのだろうか?

雨宮琴、彼女は雨宮湊の実姉であり、昔の私の友人である。優しくて、お節介焼きで、ちょっとドジで、ときに強くて、変に几帳面な、そんな頼れるお姉さんだっ た。彼にとってもそうだろう。実際に歳は4つほど離れていたため、自然と大人っ ぽく見えただけかもしれないが。私たちの家は徒歩5分もかからないほどの距離にあり、幼いころから遊んでいた。いわば彼女とも幼馴染みだ。私と湊が中学校に中学したとき、とても楽しそうに中学のことを教えてくれたのを今でも覚えている。

「部活は大変だけど楽しいよ」

「毎日勉強しないとテストで酷い点数になっちゃうよ」

「あの先生がとても面白いんだよ」

「授業中居眠りしてると本当にチョーク飛 んでくるんだよ」

その一つ一つに湊が屁理屈言って反論したのも覚えている。そのときはよく3人で笑っていた。

気がつけば私たちは冷たい川原の草の上に腰を下ろし、並んでどこか遠くを見つめていた。横からなんとなく覗く彼の瞳は暗闇に何かを探すように忙しなく、それでいて疲れているように動いていた。彼は今もきっと認めたくないのだろう。

湊の表情のないの理由。

琴さんが死んだこと。

事故だった。

いきなり歩道に飛び出したコントロールを失った暴走車が湊に目掛けて突進して きた。

ーーー危ない!!

彼女の最後の言葉だった。

当時、私もその現場にいた。けれど気がついたら目の前は鉄の塊で視界が奪われ 、何が起こったかまるでわからなかった。

鉄の塊が視界から消えたときに飛び込んできた現実は目を逸らしたくなるような惨状だった。ただ3人で仲良く、気ままに買い物に行っただけなのに、たまたま帰 りに新しくできた橋を通って行こうということになったばかりに。トラックはその まま橋から琴と共に転落し沈んでいった。

ーーー姉貴ぃぃぃ!!!

そのときの彼の叫びは今も私の脳裏にしっかりと焼きついている。

死者1名、あの暴走車の運転士は奇跡的に助かり、そして琴さん1人が犠牲になった。

そのあと、琴さんの葬式に彼は来なかった。あの日から彼から「表情」というも のが消え失せ、彼を慕う友人も彼から離れていった。やがて、彼を見ているのは私だけになった。

「…なあ」

小さい、嗄れた声で雨宮は話しかけた。

「あの日、覚えているだろ?」

それはおそらく事故のときの事なんだろうとすぐに覚った。

「…うん」

「お前はさ、あれは何がいけなかったんだと思う?」

「…」

琴さんの葬式の日。結局来なかった湊を心配して私は急いで彼の家に走った。そのとき、同じ質問をされたことがある。今みたく、空ろな瞳で何がいけなかったんだと。

私はーーー

「ーーーわからないよ」

そのときも答えることができなかった。

「…買い物に行こうって言ったの俺だし、姉貴誘ったのも俺だ、あの橋見に行こうとか言ったのも俺、姉貴が庇ったのも、俺なんだよ」

彼は俯きながら私でない何かに語りかけるように言った。その言葉もまた、同じ 答えだった。

あのときと…。

「違う!雨宮はーーー」

「じゃあ、誰が悪いんだよ」

落ち着いていて、かつ冷静で憎悪に溢れる声音だった。暗がりで見る雨宮の眼は 獰猛で無感情な黒い目をしていた。誰に向けられたわけでもない眼光、それだけで身の毛のよだつ恐怖心にとり憑かれた。

彼の、今も4年前も変わらないところだった。自分自身を嫌っていて、罪悪感で今 にも潰れそうな男の子。

彼が一体何をしたというのだろう。

大事な姉を目の前で失い、そのせいで彼自身の青春も失いかけている。誰かの陰謀だ。悪い奴がいてそいつが企んだんだ。そうであれば、憤りの的があればまだよ かったのだろう。しかし、現実は違う。もしかしたら初めから自分が悪いんだと考えていたのかもしれない。

でも、私は罪悪感で潰れていく雨宮を見たくはない。

「…雨宮」

しかし、私は声に出してそう言うことが出来なかった。代わりに目が熱くなって 、痛くなってわからなくなった。今日ほど自分自身を本気で嫌になった日はないだろう、自分の臆病な性格を呪いたくなるくらいだ。

「すまない、少し熱くなり過ぎた」

そう言って彼はすぐに腰を上げた。そのまま長い脚で、追いつけない速度でどんどん先へと遠ざかっていこうとする。

私は咄嗟に手を伸ばした。声を出そうと口を開けた。

「…また明日な」

だが、去り際に振り返ってそう言った彼のあの悲しそうな無表情に私は何も出来 なかった。

そっと私の頬が濡れる。いつの間にか降り出した雨なのか、それとも私自身の涙だったのか、そのまま私は濡れた草土の上に崩れ落ちた。


その夜、私はとにかく泣いた。泣くこと自体が相当久しぶりかもしれない。止めようと、泣き止もうと思えば思うほど涙はますます流れ出る。まるで外で降る雨の勢いがどんどん強くなっていくように。やがて頬から流れた雫はポタポタと落ち、 枕に涙の湖を作るのだった。

私は怖かった。

彼がこのまま閉ざしてしまうのが怖かった。こんなにして自分を追い詰めようとする湊が怖かった。そしてそんな彼に何も出来ない自分自身が怖かった。

思いの丈ならあの運転手にでもぶつければよかったんだ。だって湊は何も悪いこ となんてしていないのだから。どんなにいい人で反省していても琴さんを殺したの はその人なんだ。一発でも殴ってやれば良いのに。でも彼はそうはしなかった。湊は優しすぎるんだ。彼はただ琴さんといっしょにいたかっただけなのに大事な人を奪われ、その責任を自分に押し付けて、潰れかけて苦しんでいる。

怖いと同時に辛かった。

「・・・今日は厄日なのかな」

そっと呟いてみた。

私の消えそうな声は雨音で掻き消えるだけ。

そんな想いはこれで何回目だろうか?

「・・・みなとぉ」

そうして私は涙に溺れ、まどろんでいくのだった。


朝、登校時に私は背中に嫌な汗をかいていた。ベタッとした気持ちの悪い汗。昨日あれだけ雨が降ったんだ、湿度のせいかな、と違うとわかって言い訳を考える。

あんなことがあって気まずくないはずがない。どうせ同じクラスで後で会ってしまうのに、私は湊に会わないようにと祈りながら速足で学校に急いだ。

しかし神様というのは相当意地悪らしい。

どんっ

「ご、ごめんなさい」

下を向いて歩いたせいか、前を歩く人に気付かなかった。それが誰なのかも気付かないでぶつかってしまった。

「・・・森野木」

雨宮だった。速足がかえってこの事態を招いてしまった。

「おはよう」

こんなにも緊張していたのに彼は何事もなかったかのように、いつもの素気ない挨拶を送ってきた。でも、いつも彼を見ている人にはわかる。

今日の彼はやけに哀しそうで暗い。

「うん・・・おはよ」

しかし、私は弱いのだった。哀しんでいる、苦しんでいる幼馴染みの変化にも気付かないフリをするのだった。

私は唇を強く噛みながら、さっきよりも速く彼を通り過ぎて逃げるように校門ま ですすむのだった。


「おっはよ!香乃」

「うん、おはよう」

教室に着くなり私の親友が新幹線のごとく私の席へと急行して見せた。

「どうしたの、元気ないじゃん」

彼女はいつもの明るさで前の席を拝借した。どうせまだ席の主は来ていないわけだし、別にいいだろうけど。それよりも今は千明のテンションに合わせる気分じゃなかったから「別に」と突き放すように言った。

「なにぃー、もしかしてフラれたとか?」

「違うし!」

「じゃあフった?」

「私が落ち込む理由になってないし!」

そんなこと考えながら結局千明のペースに呑みこまれるのだった。

「でも、本当にどうしたの?」

一通りボケとツッコミのやりとりをしてから千明が心配そうに首を傾げた。彼女 の童顔が目の前に迫ると少しだけドキッとする。

「別になんでもないって」

さすがに親友と言えどもこれは話せない。

「だって、顔に書いてあるよ?香乃顔に出るもん」

「えっ、嘘?」

耳まで熱を覚える。

「ほら、赤くなった。図星だな?」

にやりと千明が笑う。その無邪気な笑顔には彼女なりの優しさがあった気がした 。あくまで気がしただけだ、だって私は千明の表情を読むことだ出来ない。私が鈍感なだけかな?

ガラガラガラ―ー―ッ

不意に教室の扉が開かれる。誰もそんなこと気にも留めていないだろうが、私1 人が不安と焦燥に肩が重くなった。私はそっと目を合わせないように、彼が入って くるのをこの目で認めた。

悠然と彼は教室に足を踏み入れた。そして何食わぬ顔をして私の前の席に移動する。

「おっと、雨宮君ごめんね」

急いで千明が退く。

「ああ、気にするな」

そして彼は私の前に座った。ここが彼の席であることを今日ほど呪うこともないだろうと俯いた。

「・・・・・」

湊は昨日の出来事を気にしていないのだろうか?そう思えるくらい彼の態度は普通に見えた 。でも、彼の表情は登校時と変わっていない。むしろ余計に強くなったかもしれない。

そこまで分かってしても私は声が出なかった。喉の奥に何かがつっかえて声音として私の口から発せられなかった。

なんだろう、何で私にはこんなことを言うだけの勇気すらないのだろうか?

嫌だな。

「香乃?」

ポタポタという音が聞こえる頃には私の全身は小刻みに震えていた。

「・・・行こ」

すると突然、千明は私の手を無理やり引っ張ったのだ。一瞬身体の態勢が崩れて転びそうになる。

「ちょっと、千明?」

「いいから来てよ」

千明は有無を言わせずにグイグイと手を引いていく。一方の私は涙を流しているのを見られたら格好悪いと焦って拭いながら、ただ千明に引かれていくのだった。

親友に引っ張られて辿り着いたのは施錠された屋上の扉の前だった。掃除も行き滞っておらず、少々埃っぽい。よく街の裏路地とかトンネルとかにありそうなスプ レーの落書きまでされている始末だ。もう荒れ放題である。

「ちょっと待ってね」

千明はポケットからドライバーを取り出した。なんでそんな物を所持しているのかという疑問は後で本人に聞いてみるとして、彼女は屋上への扉のすぐ隣にある窓に飛びついた。

「千明、何してるの?」

「もうちょっとだけ待ってよ」

千明が慣れた手つきで指でドライバーを操り、埃のかぶった窓から螺子を抜き取った。もう玄人の窃盗犯みたいに数秒で開錠してしまったのだ、なっちゃいけないプロの領域だろうに。

「ちょっと狭いけど、出れるから。私の後について来て」

そういうと彼女は小柄な身体を窓にすり込ませ、軽々と屋上へ出て行った。それと前めりに入り込んだから、こっちからは縞模様のパンツが丸見えだ。アクティブな娘ってこういうのは気にならないんだろうか。

続いて私もパンツが見えないように用心しながら窓に身を乗り出した。

同時に、頬をそよ風が撫でて行った。

「・・・」

無意識的に言葉を失う。

冬の風なのに思ったよりも寒くはない。昨日の豪雨が嘘のように晴れ渡った空から流れる風は、むしろ心地よいほどだ。ふわりと風が髪を持ち上げ、私の身体と心を少しだけ昂ぶらせた。

「えへへっ、大人しい香乃お嬢様は屋上なんて来たことないでしょ?」

一番近くの金網に凭れ掛かった親友が得意げに微笑んだ。千明の言うとおり、確かに私は屋上なんて一度も目の当たりにした事がない。そこは認めざる得ない。

「お嬢様とか皮肉はいらないよ」

窓を通り抜ける時についた埃を払いながら、私も意地悪な気持ちでそう返した。

「あれ、皮肉いらないの?私さ、香乃ってドMって思ったいたんだけど」

「勝手に変態にしないでよ!」

チョップと共に思わずツッコミを入れてしまった。千明と友達になってからいつもこんな調子だ。彼女のキャラだとそうなってしまうのも仕方がないことだろ う。

「痛いな~!」

頬をフグみたいにプックリと膨らませたと思えば、私の懐に潜り込み、両の手で脇の下をガッシリと掴んだ。

「ひゃ!」

あまりの刺激に変な声を出してしまう。

「こちょこちょこちょ!」

千明の指はさらに蠢いて刺激を次々に押し付けた。

「ふぁ、ふぁぁぁぁぁぁっ!!や、やめれぇぇ!」

「にゃははははっ!やめるわけないだろぉ!」

こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ・・・・・。


キーンコーンカーンコーン!

「えっ?」

気がつけば始業のチャイムが私たちの意識を現実へと駆り立てた。

「ええええっ!?」

「あちゃー、少し遊びすぎたかな」

能天気にも目の前の親友は小さく舌を口から覗かせて「てへっ」などとふざけている。でもそれどころじゃない。

「もう、本当に何やってるの!」

少しだけキツく言うと片手を前に持ってきてごめんなさいとジェスチャーし始める千明。逆に何をふざけているんだとチョップしたくなる。うちの親友も大概なものだ。

「・・・それで、もうすっきりしたの香乃?」

突然の言葉に私は目を点にした。

「まったく、いい歳して泣くなんて恥かしくないのー?」

悪戯に笑みを浮かべながらぐいっと私の顔を覗き見る。

…気遣ってくれてたんだ。

今初めて気付いた。千明は千明なりに私に元気を戻そうと動いていたんだ。そう気付いてしまった途端に胸の奥が温かいものに包まれるのを感じた。

「それじゃあ、授業始まってるし行こっか」

「・・・千明」

「んー?」

「…ありがとね」

親友の頬が赤く染まった。珍しいその表情に私は少しだけ笑うことが出来た。

後ろから冬の風だけでない何かががそっと背中を押してくれた。特に理由なんてない。私はそんなふうに感じた。



Coming Out


私の家は雨宮の家のすぐ近くだ。徒歩で5分とかからない。本当に目と鼻の距離 である。

ピンポーン

傘を差しながらインターフォンを押した。

午後からの急な雨でここいら一帯はどしゃ降りとなっていた。傘を差していても10分にはずぶ濡れになってしまうくらいだ。変わりやすい天気に嫌気さえ覚える。

ガチャ

徐に扉が開かれる。中から中年層の女性が出てきた。当然私のよく知っている人だし、むこうも私のことをよく知っている。

「あらっ、香乃ちゃん。ひさしぶりね」

にこやかに迎えてくれた。

「はい、久しぶりですね。・・・えっと」

「そこだとびしょ濡れになっちゃうでしょ?あがっていきなよ」

太く肉つきのいい腕が私の腕をがっしりと掴んだ。

「えっ、べ、別に・・・」

「いいのよ、せっかく来てくれたんだもの。お茶でも飲んでって」

そのまま引きずられる様にずりずりと家の中に呑み込まれた。

木製の年季の入った壁や床、木造住宅独特の木の香り。広めの庭に全体的に和風な雰囲気を出しつつも普通に洋風なソファーが置いてある残念感と日本人らしさ。 何から何まで昔と変わっていない。懐かしい湊の家の感じだ。

「さあ、ゆっくりしていって頂戴」

少し説明が遅れたが、彼女は湊の母親だ。昔からよく湊たちと遊んでいたこともあり、当時から良くしてくれている優しいお母さんである。

にこにこと邪気のない笑顔で私を居間に座らせ、紅茶とお菓子を運んでくる湊ママ。

あ、私がミルクティーが好きなことまだ覚えててくれたんだ。少し感激だなと私も思わず表情を綻ばせた。

「あらあら、先にタオルのほうが必要かしらね」

紅茶とお菓子の乗ったお盆を置くとどしどしと走っていってすぐに大きな白色のバスタオルが与えられた。

「あ、ありがとうございます。タオルまで貸してもらって」

「いいのよ、気にしないで」

腕をぶんぶん振りながら照れくさそう言った。

この人も相変わらずなんだなと安堵の息を漏らした。この強引さも、見てて楽しくさせるこの感じも、何気ない優しさも昔のままだ。まあ、だからこそ少々強引でも無下にできないんだが。現に彼女は良かれと連れ込んだのだと思う。幼馴染の家でなかったらただの人攫いだろう。

まぁ、久しぶりにあったわけだし、たまにはいいかな。元々少しずれてる人だし ・・・こんなこと言っちゃ失礼か。

「中学のとき以来よね?うちに来たの」

やっと席に着いたと思いきや、間髪いれずに質問とお菓子の袋を破るのを同時に 行い始める。

「はい、随分と長い間顔も見せなくてすいません」

「いやいや、香乃ちゃんも大変だったでしょうに。おばさん心配したんだから」

と言いながらも口の中にお菓子を放り込む。そして流れ作業のように、すでに次の袋に手が伸びてる。

ここも昔と変わらないんだと思わず関心さえする。数年経っても湊ママのこの食い様はまったく変化していない。通りでまんまるなお腹も健在なわけだ。そういえば太ってる人って顔が潰れて怖い人相になっている人がたまにいるけど、この人がそうじゃないのはこっちとしてはかなりありがたいことだ。だってそうだと多分怖くて上手く話せない。

「・・・ところで湊は元気かしら?」

「えっ?」

不意に投げられた変化球に思わず手に持ったミルクティーを落としそうになった 。

「変な話よね、母親が息子のことを何もわからないなんて・・・」

琴さんとそっくりな目でしょんぼりと呟いた。

「あの子、あれから何も言ってくれないし、部屋に篭ってばっかだから・・・、心配になってね。学校でうまくやってるの?」

私は、言葉を失った。

なんて応えればいいのかわからなかった。ありのままを話すべきなのか、それとも心配させないように嘘をつくべきなのか。

「そう、そうなのね」

私の態度で察したようでそれ以上は追及されなかった。

「そ、そういえばその湊君はどこにいるんですか?」

「それがまだ帰ってきてないのよ」

心配そうにため息をつきながらそう答えた。もう少し明るい話題もあったろうに 、自分の会話のセンスに嫌気が差した。

「今日ね、琴の命日なのよ」

「えっ?」

またもや襲来した爆弾にまたもや固まる。

「こ、琴さんの・・・」

急いで部屋のカレンダーを探す。だが見つける前に湊ママが12月7日だと教 えてくれた。そう、忘れもしない、確かにあの日は12月7日だ。琴さんが事故 にあったあの日だ。

「で、でも琴さんの命日っていつも湊君早く帰ってくるんじゃないですか?毎年その日はすごい勢いで帰っていきますけど」

「うん、そうなのよ。なのに今日はぜんぜん帰ってこないし、電話しても出ないし 、どうしちゃったのかなって思ってね」

「・・・」

―ーーじゃあ、誰が悪いんだよ。

不意に昨日のあの言葉を思い出した。

悲しみと憎悪を込めた悲しい言葉。

急に身体の芯から、私の身体が震えだした。全身の身の毛が逆立ち、ガクガクと震える。自分でもよくわからないが、嫌な感じがした。

「あら、暖房弱かったかしら」

そう言いながらエアコンのリモコンを操作しだす。

そ、そんなんじゃない。なんだろ、何でか、湊がいなくなるかもしれない気がし て・・・。

でもそんな直接なお告げのようなものなんてない。それでも急に怖くなって、 寒気がして、心配になって、もう会えなくなる気がして。

あの言葉は彼の本心で、本気の言葉だった。自分が悪人だと本気で思っている言葉だった。昔からの頑固な彼の瞳だった。

考えて、考えるんだ私!

湊の気持ちになるんだ!

湊ならどうするか考えるんだ!

昨日の話で私は湊の心の傷を抉ってしまったのは間違いないんだ。

湊の心を読み取れ!

昔あんなに遊んだじゃないか!

あんなに笑いあったじゃないか!

私は出来る限りで頭をフル回転させた。彼ならどうするか、どこに向かうか、何をするかはもうわかっている。

「あの!」

私は勢い任せに立ち上がった。

「えっ?」

目をまんまるにして湊ママが目で追いかける。

「私、用事を思い出したので帰ります!」

返答を待つつもりなどない。私はすぐに走り出した。

「ちょ、ちょっと!香乃ちゃん!?」

証拠も確証もないが、確信はある。きっと湊は事故のあった橋にいる。琴さんの逝ってしまったあの場所にいる。

玄関まで猛ダッシュで駆け抜け、靴を蹴飛ばしそうな勢いで履き潰し、傘を掴み 、扉を突き破るつもりで開け、門の下を疾駆する。外はスコールだったがそれどこ ろではない。傘をバトンのように振りながら水溜りを踏みつけた。

走ったとにかく走った。陸上部にも勝つつもりで走った。間に合えと、間に合ってほしいと、絶対に間に合ってやると。


雨が降っていた。

冬の冷たい雨。河は雨で膨れ上がり茶色い水を奥へと奥へと流し送り込む濁流。 悲しみはやがて下へと、絶望へと下っていくように。

強い雨だ。水溜りに、地面にはねた雨水が他の音を掻き消す豪雨。悲しみに沈んだ心は周りを明かりも消灯し、見えなくなってしまうように。

そんな悲しみの渦の中、雨宮湊は傘もささずに立っていた。すぐ下で荒れ狂い、猛威を振るう激流をただ静かに見つめながら。

「雨宮・・・」

橋の上はそれくらい辛く、息も堪えないほど無残なものだった。

そう、それこそ、あの雨の日と同じように。

私が発した声でさえきっと彼にはまた届かない。それもあの日と同じように。

そうして私はまた泣くんだ。

でも、今度はそういうわけにはいかないんだ!

「雨宮ぁ!」

思いっきり、渾身の力を込めて叫んだ。それすらもすぐに残酷で無情な雨は上から塗り潰す。

だがーーー

「・・・森野木?」

下を見ていた彼の虚ろな瞳が私の胸を突き刺した。

「こんなところで何してる?」

冷たい静寂の中、彼はそっと告げた。「邪魔をしないでくれ」とその眼で訴えて いた。それほど怖くて威圧的な声だった。

以前の私ならこれだけで引き下がっていたのかもしれない。

「雨宮こそ、こんなところで何してるの!」

彼に負けじと、湊にしっかりと届くようにと叫んだ。

今度は怖気づいていられない。私は濡れた拳を力いっぱいに握った。

「・・・お前には関係ない」

「ないはずないよ!」

突き放そうとする彼の声音とそれに抗う私の尖り声。泣き出したい心に鞭を打って彼の目の前に対峙した。

「お前までも、俺なんかに関わることはない、帰ってくれ」

ゆっくりと湊なりの優しさを冷たく言い放った。

「雨宮だってそっちにいちゃダメ!そんなの許さない」

「なら許してもらわなくても結構だ」

なおも冷たく突き放し、揺らごうともしない。

悲しみに呑まれた橋。彼はとっくに覚悟を決めていた。

そっと天を仰ぐ。

そして下を覗く。

そのまま柵に手を掛け、前屈みになろうと身体を揺らした。

「ダメェ!」

気がつけば私は地面を蹴飛ばして自分でも驚くようなスピードで駆け出していた 。橋の下へと倒れる彼、私はその左手をがっしりと掴んだ。

「・・・離せ」

「嫌だ!」

私の震えた声が叫びついた。

「なんで、お前は俺を止めるんだ?俺はただ償いたいだけだ、お前が必死になって止める必要なんてーーー」

「違う!雨宮が死んだって償いになんてならない!そんなの琴さんのいない世界に 耐え切れなくなって逃げてるだけだ!」

「お、お前には関係ないだろ!」

的確に彼の傷に触れられ、表情を苦めた。

初めてだった。湊が感情を露にするのはあの日から今日まで一度もなかった。湊は、本気だった。湊は本気で死のうとしていた。

それを知ってなのか、それとも自然に出たのか、私はあっさりと古いダムのように決壊した。

「・・・じゃあ、残った私は、どうすればいいのよ」

「ーーーっ!?」

もう耐えられなかった、限界だった。私の中でずっと蹲っていた本心が弾けた。

「もう嫌なの、もうこれ以上大事な人を目の前で失いたくない!」

言いたいことなんて山ほどある。その事実は嘘じゃないし、間違っていない。でも本当に彼に伝えたいことはほんの一言だった。

「湊ぉ・・・一人にしないでよ」

力いっぱい私は訴えた。雨と涙でぐしょぐしょになった顔を湊に向けて。琴さん が死んだとき、私は人の死がここまで苦しいものだなんて初めて知った。大事な人がいない苦しみ、それはきっと湊も一緒なんだと思う。いや、きっと湊のほうが苦しいはずだ。

でも、もう独りは嫌なんだ。

だって、私は昔からずっと湊が好きだから。

私は雨宮湊に恋をしているから。

私は湊がどんなに優しいか知っているから。

私は湊がどんなに苦しかったか知っているから。

「・・・香乃」

彼はそっと私の名前を口にした。そのまましがみつく私を解く。

そして静かに抱きしめた。

「・・・ごめんな、香乃」

彼は少し湿った声でそう呟いた。雨の轟音に掻き消されそうなそんな声を私は決して逃がさなかった。

「本当に悪かったな」

「私こそ生意気言ってごめんね」


やがて私たちはぎこちない空気を保ちつつ、1つの傘に肩を並べたままゆっくりと歩いていた。まだ茶色く濁った川に沿って静かに道を進んだ。

あのあと、私は周りの雨にも負けないほど大泣きをしてしまった。高校生にもなって少し恥ずかしいが、今回くらいは多目に見てほしいものだ。そのつもりだったのか、湊は私が泣き止むまで、そっと抱きしめたままでいてくれた。こっちは 今になって考えると、少しどころかかなり恥ずかしいがとりあえず記憶の引き出しの奥にでも押し込んでおくことにした。じゃないと絶対に話せない。

あれほど降っていた豪雨はあっさりと勢いをなくし、今では周りの人がが傘を閉じ始めるくらいの強さでしかなかった。

それにしても本当に静かだ。まぁ、こんな大雨のあった川の付近、当然ながら周りには人がまったくいない。そんな喧騒のない道が余計に二人の気まずさを引き立てるのだった。だなんて言っている私も余裕がないわけで、今まで湊とどんなこと を話してきたかとかまるで出てこない。むこうもそうなのか、それともただ黙って いるだけなのかは知らないが、ほとんど言葉を発しない。自称コミュニケーション障害の私にこんなのどうしろって言うんだ。

そう肩を縮めた。

「森野木」

「は、ふぁい!」

「・・・なんだそりゃ」

いきなりの彼の問いかけに肩を飛び上がらせたものだから変な声が口から漏れ出 した。

「べ、別に。で、なにかな?」

正直、ただの恥ずかしい失敗なのでこれ以上は追求しないでほしい。

「・・・まぁいいや」

その言葉で救われました。

「お前はさ、いつも俺は悪くないって言ってくれるけど、なんでそう思ったんだ ?」

いつもみたいに表情を変えずに私にとんでもない質問をした。対する私のほうはその質問で目玉でも飛び出してしまうのではないかと思うほどギョッとした。別に疚しさがあるわけじゃないけど…。

「…雨宮自分を責めすぎだよって私は思うんだ。たしかに悪いのは雨宮でこうして 否定している私のほうが間違っているのかもしれないけど、それでも私は雨宮の味方でいたいんだ」

私は自分で思っているままを伝えた。

「なんで、そこまで…」

「…」

「なんで」、理由だなんてとっくに決まっている。

だって私、森野木香乃は雨宮湊のことが昔から好きだから。

私は湊に恋をしているから。

私は湊がどんなに優しいか知っているから。

私は、湊がどれだけ苦しかったか知っているから。

「…か、買い被り過ぎだよ。幼馴染みだからっていう簡単な理由。そうじゃなくても雨宮は私の大切な人なんだから当然だよ」

もしかしたら打ち明けるいいチャンスだったのかもしれない。でも私はそんなことを口にした。こんなときでも勇気を振り絞れない自分にまたもや嫌気が差した。

徐に雨宮のほうを覗き見ると、彼は目を丸くしてから小さくため息をついた。なんだか人を小馬鹿にしているようないやらしいため息だ。

「そうムスってしないでくれ。別に馬鹿にしているわけじゃない」

「それじゃあなにさ?」

そう問い詰めると彼はいつものような無機質な表情とは打って変わって少しだけ柔らかい顔になった。

「変に優しくて律儀なところ、森野木らしいなって思っただけだ。…ごめんな」

その瞬間、私は喉の奥で蹲っていた大きな何かがすとんっと落ちた感覚を覚えた 。彼は相変わらずに無表情のままだったけど、私には彼が少し笑っているようにも見えた。

「…違う、そこはありがとうって言うの」

私は少し調子に乗ってそんなことを言ってやった。私はそのすぐあとに来る「あ りがとう」の言葉が待ち遠して一秒さえ千秋に思えた。


12月のまだまだ上旬の週、12月8日。もう完全に冬の景色になりつつある静かな早朝の街並みを私は微笑みながら眺めていた。登校する時間まではまだ幾分余裕があるからこうして家の窓から眺めていた。

昨日、家に帰ったらお母さんが「お帰り、遅かったわね。あれ、どうしたの?そんな嬉しそうな顔をして」と出迎えてくれた。私はとりあえずなんでもないと答えて、お母さん手作りの晩御飯をおいしく頂いた。

そんなわけで昨日から私は外見だけですぐにわかるほど上機嫌だ。昨日の寝るときも修学旅行の前日のように目が冴えてよく眠れなかったものの、今は朝の冷たくて爽やかな空気を浴びて寝不足が嘘みたいに絶好調だ。こんなんで学校に行ったら千明あたりに何をニヤニヤしてるのかと、絶対訊かれるだろう。

そんな物思いに耽っていると、不意に勉強机の上に置いてある写真立てに目が行っ た。笑った私と少し驚いた表情の彼が写っている。昨日、帰り際についでということで一緒に撮ってもらったものだ。そしてそれを見るたびにニヤしまう。

私が上機嫌な理由はいうまでもない、長年罪悪感で潰れそうだった、幼馴染みであり、想い人の雨宮湊がつい昨日、少しではあったが確実に回復したからだ 。

あれならきっと彼が「笑ってくれる」のもそうは遅くはないかもしれない。きっ とすぐに笑ってくれる。そんな期待を胸に私は徐々に朝日で満たされる街を眺めるのだった。

教室に入ると待っていたかのように千明がすぐ私の席に現れた。ショートカット に少し黒目の大きい瞳に大きく緩んでいる口(いろんな意味で)いつも通りの君月千明だ。

「おはよ!」

「おはよう千明」

「・・・何かいいことあった?」

千明が隠してあったお菓子を見つけた子供のように無邪気な笑顔で問う。

「やっぱりわかる?」

「そりゃそんなに嬉しそうな顔してて悪いことあったなんて言わないでしょ?」

そういって二人で微笑んだ。やっぱり千明は憎めない親友だと私は思った。彼女が私の隣の席を借り、私に顔を向ける。

「そういえば、一昨日の結局どうなの?」

「一昨日?唐突になんのこと?」

「だーかーらー」

そこまで聞いてふと思い出す。そういえば千明に私が雨宮が好きなことバレたんだった!

「香乃があまーーー」

「大丈夫!うん大丈夫!今思い出したから!言わなくてもいいよ!!」

必死になって千明の口を押さえにかかる。それをスッとかわし、悪戯な笑みを浮かべた後で、すぐに近くの女子に話しかけに行った。

「ねぇねぇ、実はねーーー」

「わああああ!何やってんの!?」

また千明に飛び込むも華麗に避けられ、私は床に倒れる。その間にも言い終えたのか、後ろから「ええっ!そうだったの!?」という他の女子の声が聞こえた。

「ああ!もう!千明の馬鹿!!」

結局、いつも通りのいつもの日常がまた 今日も始まろうとしていた。


そして、今日という日が始まってしまった。


朝のホームルーム前のギリギリになって雨宮は教室にいつものように現れた。いつものように片手に本を持って読みながら。

「おはよう、雨宮」

「おう」

いつもみたく生返事だ。意識は完全に本の中に飛んでいってしまっているので今はどう話しかけてもきっとちゃんとした返事は返ってこないだろう。でも、不思議 と彼の表情は昨日よりも柔らかく見えた。そしてその表情にいつも以上にドキドキ すしている。周りのさっきの千明の話をきいた娘の視線などとおに忘れていた。このままこうして眺めているのもありかもと心の中で言ってからそれじゃあダメかと自分に言った。

ポンッ

雨宮が急に本を閉じた。

「お前な、そんなにじろじろ見られたら本読み難いだろ」

「え!?あ、ごめん」

「おおー、これは完全にそうですな」

たじろぐ私の横から千明が意地悪げな笑みで顎に手を添えている。

「本人に指摘されるまで見つめているなんて、これはーーー」

「あ、あう、うわわわああああああ!!!!」

何とか声を思いっきり上げて千明の声を覆い被せる。しかし、かえってクラスの みんなの注目を集めることとなり、視線がちょっと痛くて恥ずかしい。当事者の雨宮はすでに興味をなくし、読書に戻っていた。何だかいいのか悪いのかよくわからない朝だった。

「おーし、出席をとるぞ」

担任の介入により教室は放課のような盛り上がりをなくし、静かな教室に戻った 。そしていつものようにホームルームがあり、担任が無駄な長話をしてホームルームが終わってすぐに授業が始まる。授業は堅物で有名の数学の先生のせいか比較的静かでスムーズに進行した。放課までその白けた空気は続いた。

「はぁ」

「どうしたの?」

「千明のせいよ!」

「ごめん、ごめん。出来心だよ」

「ごめんで済むなら警察いらないよ!」

私は頬を膨らましながらわざとらしく憤慨した。それに対し千明はえへへっと歯を見せながら笑った。

放課になり、私の席に千明が機嫌よく歩いてきたところだった。私はというとさ っきの一件でとても険悪な空気を周りに放って怒っているアピールをしているつもりだったが、そんなに怒気は出ていなかったようで普通に話しかけられたのが少しショックだった。

「千明も相変わらずだね」

「でしょ?」

こんなお調子者だが、こういう千明も好きだからこの娘と友達やっているというところもある。前にも言ったかもしれないが私にはない千明の余裕に私は憧れてい る。

「そういえばさ・・・」

そんなことを思っていた矢先に千明が少し小さく弱々しい声になった。いきなり 今までないことが起こり、私は一瞬耳を疑った。

「昼休み、時間空いてるかな、」

「え?う、うん大丈夫だけど・・・」

いつも一緒にご飯食べてるじゃないと言い返そうと思ったが、そういうことでないことに気がついた。なんかこう、真剣なオーラのようなものを放っている。

「どうしたの?」

急に身体の芯から心配という感情がこみ上げてきた。

「・・・屋上で待ってるから」

そうとだけ言うと千明はそのまま席に席に戻って寝そべった。昼休みまで彼女の態勢は変わらなかった。


昼休み。

屋上付近のエリアは当然ながら閑散としていた。相変わらず埃を被っていて汚いどころではない。もう何と言うか、腐海と言っても過言ではない。・・・やっぱちょっと言い過ぎたかもしれない。

「もう千明いるのかな?」

千明は授業が終わると同時に消えるようにして教室からいなくなっていた。いつも賑やかな少女がこんなにも意気消沈では当然クラスでも話題になっていた。もちろんほとんどが心配の声だ、中には明日は雪が降るんじゃないかと皮肉めいたことを言っていたクラスメイトもいたけど…。

「・・・私も心配だな」

雪が降るかも、なんて皮肉でも案外当てはまるものだ。実際に今日の千明は異常なくらい静かだった。

そんなことを思いながら急いで階段を上がった。

屋上の前のフロアの窓にはすでに壊錠された窓が口を開けていた。もう千明は外で待っているらしい。

私は早まる鼓動を抑えながらそっと身を乗り出した。

ペロリッ

急に無防備になっているスカートに変な感触がーーー

「今日はピンクか、ウチの予想通りじゃんつまらん」

「へっ?」

何かがおかしいぞ。

頭が真っ白になった。

「さて、このままパンツも下ろしちゃいましょか」

「ちょ、ちょっとぉ!!!」

「それぇ!」

「このバカァァ!!!」

バキッ!

千明の顎に決まる踵。その勢いで彼女はどすんっと倒れてごちんっと後頭部を強打した。

「ってぇ!香乃、もっと手加減してよ!」

「うるさい!手加減できない状況作ったのはどっちよ!」

私は埃まみれになりながら勢いよく窓から抜け出した。そして抜けてから勢いが強すぎたことに気付いた。

私のヒップが千明の顔面の上を飛翔し、そのまま着陸態勢に入った。

「あっ」

「えっ」

当然ながら、自由落下は無慈悲にーーー

鈍く地響きと小さな悲鳴。

「ぎゃぁっ!?」

千明の顔をドロップした。


「ねぇ・・・」

「なに?」

「何でウチヒップドロップされたのさ」

少し不満げに千明は頬を膨らました。

「ご、ごめんね。そういうつもりはなかったの」

「ごめんで済んだら警察はいらないんでしょ?」

う、もしかして千明って結構根に持つタイプかな。

屋上の心地よい風に打たれながら私はしょんぼりとうな垂れた。

あのあと約5分くらいの間、千明は完全に失神したままだった。さすがに私も焦って色々と行動を試みたわけだ。だが、私の力では千明すらおぶれなかったし、起こそうにもまるで反応なし。仕方なく怒られるのを覚悟で教員を呼びにいこうとし たとき、ようやく千明が目を覚ましたという感じだ。それはそれでびっくりして階段から転げ落ちてしまった。だっていきなり起き出すんだもん、驚くよ。

「本当にごめんね、今度ジュースおごるから」

「それならいいけど♪」

「・・・」

相変わらず現金な少女だ。

ってそうじゃない。なんだかいつもみたいな流れですっかり忘れていた。そうだ 、私はさっきの千明の様子が気になって・・・。

「そ、それで、急に改まってどうしたの?」

心配で仕方ないと私は彼女の顔を覗き見る。すると千明は少し遠くを見据えた。 そう、目の前の青い空の遠くの雲をじっと・・・。

「・・・香乃、志望大学決めた?」

徐に彼女は腰を下ろした。私を千明に続いて座り込む。

「うん、決めたけど」

そっかと、千明は進めた。

「どこにしたの?」

「え、地元の私立目指そうかなって・・・、進路の相談?」

少し驚いた様子で私は言った。いつも呑気でお調子者で後先考えない娘だとばかり思っていたから進学でそこまで真剣に悩むなんて考えてなかった。

「うん、そうなんだ。ウチさ、今の学力だと先生に進学は難しいかもしれないって言われたんだよね。それでさ、とりあえず進学はしたいからさ、今更だけど行きたい大学決めようと思ったときに香乃と同じところだったらいいなってさ」

なるほど、確かに今の千明の成績では大学進学はかなり難しいだろう。でも理解できないとこがある。

「・・・なんでわざわざ私なんて追おうと思ったの?千明なら他にも友達たくさんいるのに」

そこだ。そこが理解できない。

沢山の人たちと仲良く接し接され、明るく元気な少女。それが私の千明のイメージだった。だからどうしても私に拘る理由がわからなかった。

そう言うと千明は少しハニんでから「香乃が、ウチの親友だからだよ」と言った 。

「えっ?」

そういう解答がくると思っていなかった私は隣で冬の寒風に揺られる友人を驚き見据えた。

「あれ、ウチ変なこと言った?」

「・・・いや、ちょっと、嬉しかったから」

そう言ってから二人ともが恥ずかしくなって顔を赤くしたまま気まずい沈黙が続 いた。女友達同士で何やってるんだと内心でツッコミ、それでも声をかける勇気がない自分に呆れかえった。

だから友達が少ないんだよ、私。

「・・・ウチね」

そんなことを考えているうちに千明が先に声を出していた。

「昔からさ、浮いていることは自分でも知ってた。周りの友達はウチが馬鹿やってて面白いからそのうち集まってきてくれるんだ。そういうのも悪くはないけどさ」

そうして千明が私のことをゆっくりと見つめた。

「香乃みたいにこういう真剣な話とか、悩みとかを話し合える“本当の意味での友達”がいなかったんだ。だから、お別れとか嫌で・・・」

それから彼女は自分の足元をしょんぼりと見て小さくため息をついた。

とりあえず千明の悩み事は大体理解できた。

つまりやっとできた親友の私(自分で言うと結構恥かしいけど)とこれからも一 緒にいたいが、今までろくに勉強していなかったので志望大学の差が相当開いてい て、とてもあと一年じゃ間に合わない。でも諦めきれない。という感じだろう。

たしかに私も千明のことは大好きだ。だから大学でも同じならそれはすっごく嬉 しい。現実はともかく、私たちの気持ちは固まっているんだ。

ならば話は簡単だ。

私は今のを直接言葉で(けど恥かしくて親友という言葉は使わなかった)彼女に伝えた。千明は大人しく、うんとだけ言った。

「それで、千明は諦めたくないんだよね?」

そう言うと千明は首を縦に振り、「そうだよ、でも・・・」と、口を噤んだ。

「じゃあ、一緒に頑張ろう!確かに千明はあんまり成績良くないかもしれないけど 、それでもまだ一年もあるでしょ?私も手伝うから」

すると千明は嬉しそうに表情を明るくした。しかし、すぐに戻って、

「でも、悪いよ。香乃だってこれから受験勉強とかやらないといけない時期になってきてるじゃん」

と手をパタパタと申し訳なさそうに慌て出した。

「いいよ、気にしなくて。教えることって自分の復習にもなるから私は問題ないよ 。それに、私だって千明と一緒に大学で楽しみたいもん」

気がつけば私は微笑んでいた。千明に向かって。千明本人も私が言い終えた後で 「そっか」と、いつもの表情に戻ってきた。

「あっ、やっと笑った!それでこそ千明だね」

そう私は言う。

「うるさいな、ウチはウチだっての」

と嬉しそうに2人でハイタッチを決めるのだった。


学校を出て、いつもの帰路につく。

私も千明もいつもと変わらない幸せな表情のまま喋っていた。こんな他愛のないこと、平和なことがやっぱり一番の幸せだなと感じる。昔の傷に今も苦しんでいる雨宮も昨日、ようやく生きた表情を見せてくれた。そして今日は友人の千明が本当の意味での親友となり、大学受験を一緒に頑張ると約束した。

昨日と今日ほど嬉しい日は今までにない。そしてこれからもこれよりも嬉しいことが待っていると考えると余計に明日が待ち遠しく思えた。雨宮も思い切って昔みたいに名前で呼んでみようかな・・・。

「そういえばさ」

「んっ?どうしたの?」

妙に嬉しそうに千明がこちらに振り向く。

「いろいろ考えてて忘れてたけど、明日は私の誕生日なんだ!」

「あっ!そういえば!」

今日は12月8日、明日は千明の17歳の誕生日だ。少し嫌な予感がした。

「だから、折角私達の友情を確かめ合ったばかりだし・・・今から明日のプレゼン ト買って!」

やっぱり!

「モチロン、ウチに選ばせてね」

私は「い、今からか~」と、苦笑しながらも財布の中身を思い出す。物によっては今月の残りのお小遣いを綺麗にもっていきそうだ。

「じゃあ!レッツゴー!!」

「とほほ・・・」

私はガッシリと腕を千明に掴まれ近くのデパートへ引っ張っていかれる。小さく ため息をつきながら。

「あれ?」

急に張り切って速足で進んでいた千明が止まる。思わず転びそうになりながら私は正面を見た。

そこに雨宮湊がいた。

「あ、雨宮」

「おう、君月と森野木」

彼は顔色変えず、平然とした無表情であいさつをする。ただ、いつもと違うのは目が死んでいない。それを確かめると私はホッとした。

「ちょうどよかった。森野木に用があって探してたところなんだ」

「えっ?」

そういうと彼は目の前まで近づいてきて持っていた鞄に手をいれ、何かを取り出した。これは、本?

「文庫本だね」

千明が少しニヤけた表情でやり取りを覗いていた。とりあえずスルーしてから、彼の手にある本を見てやる。白と薄い青色の紙のカバーに覆われている文庫本。それが何のために私に差し出されているのか理解できなかった。

「昨日言ってた俺のオススメの本だ。なくすなよ」

その抑揚のない言葉で昨日の本屋での出来事を思い出した。そういえば本を貸してくれるとか言っていた気がする。それをしっかりと覚えていて、それですぐ次の日に持ってきてくれる。彼の律儀さはまだ健在のそうだ。

「ありがとう、大事に読むね」

私はそっと本を受け取る。彼の掌の温もりがまだ少し残っていて少しだけ気持ちいい。

「じゃあ、俺はこれで」

さっと背を向けようと彼が脚を動かす。その瞬間、意外なところから声がした。

「ちょっと待った!」

大きな声で雨宮を止めたのは私の隣にいた千明だった。その声で雨宮はピタリと止まり、「どうかしたか?」と、振り返った。

「今から私たちと一緒にデパート行かない?」

「えっ!?」

思わず私のほうが驚きの声を上げた。

「これからか?」

「うん、それとも何か用事でもある?」

「・・・いや、ないな」

「じゃあ行こ!」

にこやかに雨宮の手を引っ張った。この強引さ、さすがの雨宮も私と千明の買い物に付き合う羽目になってしまった。


「おっ、もう着いたね」

無邪気に笑いながらはしゃぐ千明。ここまで来る道中のことだ。きっと湊も千明もお互いにお互いと今まで話したこともないはずだ。しかし、存外普通に会話が成り立てて、雨宮も今日ほど誰か と話した日はないんじゃないかと思うほど盛り上がっていた。それでも彼の表情が変化することは一切なかったが。そうやって2人で盛り上がっててくれたお蔭で私が変に緊張することもなかったのでとりあえずよかった。

「なあ」

と、不意に雨宮が小さな声でこっちに話しかけてきた。瞬間、鼓動がドクンッと 強くなる。

「へっ?なに?」

「君月っていつもあんな感じなのか?」

そう言われ、私は一度千明のほうを見る。彼女はすでに品物を見て考えるような仕種をしていた。

「まあ、いつもとそんな変わらないかな。でも今日は機嫌がいいと思うよ」

「何だよそれ」

そう言って彼は千明に興味を無くした。当人の彼女はまだはしゃぎながら私に買ってもらう誕生日プレゼントを選んでいる。

すると急に彼女はこっちに振り返り、拳に親指を立ててニコッと微笑むと華奢で細い足をもの凄い速さで動かせて店の奥のほうへと駆け出した。

「あっ!千明!」

そう呼ぶもすぐに彼女は見えなくなってしまった。あの身長で男子顔負けの運動能力を持つ千明、その能力はやはり尊敬に値するだろう。

「どうした?」

「なんか、千明が・・・」

だが、さすが生粋の問題児、突然自主的に行方不明とは恐れ入る。

走ってどこかへ行ってしまったと言い切ると雨宮は顔を上げ、キョロキョロと周りを見回す。私も同じように彼女を探す。そして私はすぐに諦める。あの速度であの体系を探すには見ているだけじゃ多分見つからない。こっちも動き回らないと探しようがないだろう。

「はぁ」

小さくため息を漏らす。

そういえば、千明は走っていく前に親指で「GOOD!」と、私に向けていたが あれは一体どういう意味なんだろう?

「・・・・・・あれ?」

「ん?どうした、見つけたか?」

「ごめん、なんでもない」

つい声に出てしまった。よく考えたら千明は私、森野木香乃が雨宮湊が好きだという事実を知っているんだ。もしかしたらさっきのサインは「ウチは邪魔しないように離れるから、がんばれ!」と、彼女が気を利かせてくれたのでは?

「ーーーッ」

気づいた瞬間、胸の奥に心地よい温かさを覚えた。同時に顔が熱くなるのを感じ た。

「・・・・ねぇ」

それらを何とか押し止め、雨宮に話しかけた。千明が作ってくれたチャンスなんだ。無駄にはしたくない!

「今度はどうした?」

彼は表情を変えずに返した。

「ここで、止まってても始まらないからさ・・・その、バラバラに探してもすれ違っちゃったり・・とかもするし、だから、その・・・・2人で、探そ?」

緊張しすぎだ。私。

「それならケータイ使えばいいだろ、そっちのほうが早い」

「えっ?」

予想外の答えに一瞬戸惑う。確かに実際に人探しならそっちのほうが早いけど・ ・・。

「えーと、ごめんね。私今日ケータイ持って来てないの。それにあの娘のアドレスだとかも覚えてないんだ」

もちろん大嘘だ。ケータイならポケットにしっかりと収まっている。よく考えるともしケータイが鳴ってしまえば即この言い訳がバレて怪しまれてしまう。

ど、どうしよう・・・。

「・・・・・」

雨宮が考えるような素振りをする。そういえば彼の成績は学年トップクラスと聞いたことがある。昔から頭の回転はよかったし、そんな雨宮だと、すぐに気づかれるかもしれない。

ドキドキ・・・ドキドキ・・・

鼓動が強く早くなるさらに顔が熱くなっていく。これはもう正直に「一緒に店内まわろう」、なんて言えばいいのだろうか?でもそんなこと恥かしくて死んでも言えない気がする。何かこの状況を打開するいい策はないものか。

「そっか、じゃあ2人で探すか」

「えっ?・・・あ、うん」

表情を変えないで彼はそう口にした。

もしかして雨宮って思ったよりも鈍いのかな?

それからなんとか2人で千明を探すことになった、というもののきっと彼女は隠 れながらこっちの様子を観察しているのだろう。それよりも私が思っていた以上に 千明の気が利くのが一番の驚きどころなのだが、それはこの際おいておこう。

雨宮との会話、こちらも予想以上に盛り上がった。昨日の件で彼もスッキリとしてくれたのだろうか?だったらとても嬉しいな。

「そういえばさ」

ふと会話が止まったとき、彼が気恥ずかしそうに口を開いた。

「昨日は、そのーーーありがとな」

ーーー瞬間。

ーーー私の中の何かが煌いた。

ーーー何か熱くこみ上げてくるものを感じられた。

私は昨日がんばって本当に良かったと心からそう思えた。

「ううん、お礼なんてとんでもないよ。私は友達として当然のことをしたまでだもん。気にしなくていいよ」

そっと雨宮のことを見上げた。昨日よりも数段と輝いている瞳、それが気恥ずかしそうにこっちの目と合わさらないように動いている。口ももじもじと何か言いたそうだ。ほんの少しだけ可愛いと思った。

「・・・ねぇ名前で呼んでいいかな?昔みたいに」

急に私はそんなことを言い出した。

「はっ?」

そう、私にはいつまでも苗字で呼び合うなんて耐えられなかった。例え恋人じゃ なくても幼馴染みという名のかつての親友にそんな他人行儀な状態なんて耐えられなかった。きっとだからなんだろう。

「私は昔みたいに、もっと話したいんだ。だから・・・・いいよね?」

私はそう言って再度彼を見上げた。今度は真剣な顔つきだった。

「・・・お前は、昔みたいに、なりたいのか?」

彼はそう言った。

「私は・・・・昔、以上が・・・」

そこで暴走しそうな私が一旦止まった。というよりも正常に戻った。

熱い。

身体の芯までものすごく熱い。きっと今の私は耳の先まで真っ赤になっているのだろう。そう考えると余計に恥かしくて悶えそうだった。

「・・・・・香乃」

「えっ?」

かなりあっさりとしていて逆に何が起こったのかわからなかった。

「だから、名前で呼んでほしんだろ?」

また彼の顔が火照っている。きっと彼も私と同様に気恥かしくて、照れくさくて悶えているのだろう。それでも・・・・とても嬉しかった。

「ありがと、湊」

「・・・そ、そういえばもうこんなところまで来ちまったな」

恥かし混れにそんなことを言った。確かに話しているうちにいつの間にかかなり奥まで来てしまった。ここまで来ると人通りもかなり少なくなる。現に私たちの周 りには誰もいないわけだ。

「そうだね、Uターンして戻ろうか」

「そうだな」

2人でもと来た道に振り返り、足を運ぼうとする。

ふと、私だけ足を止めた。

「んっ?」

続けて「どうした?」と、彼が言う。

今なら言える。

不意にそんな気になった。急に今しか言えないと直感的に思った。

「ねぇ、雨宮」

「おう」

彼は不思議そうに首を傾げながら答えた。

思い立ったなら全力でアタックするしかない、私は覚悟を決めた。

「私ね、実は・・・雨宮のことが、すーーーー」

しかしここで止まった。

「す?」

雨宮が聞き返す。

「す、す、すーーースウェーデンについてとても詳しいって聞いたんだ」

「いや、俺ヨーロッパはあまり好きじゃないな」

ち、違う!!何わけの分からないことを言っているんだ私は!

ついパニックを起こしちゃって変なことを口走った。頭を掻きむしりながら彼に謝ってから仕切りなおし、もう一度彼に言おうと挑戦する。

「じゃなくて、私は、雨宮がすーーーーーきやきが好物らしいんだけど、それは本 当?」

「まあ、嫌いじゃないな」

だから違う!!!

さっきみたいについ変な言葉が出てしまった。余計に混沌が頭をグルグルとおか しくさせた。

「違う違う!じゃなくてーーーー」

「お前どうしたんだよ」

相変わらず彼は首を傾げたままだ。さすがにこれ以上失敗できない。

「えーと、私は!雨宮がーーーー」

「おーい!」

不意の聞き慣れた声音に私の肩はビクンッと跳ね上がる。

「おう、君月」

このタイミングで千明が帰ってきたのだ。上った肩が下がらなかった。

「探したぞ、どこに行ってたんだ?」

「あはははっ!ごめんごめん、いろんな商品に目移りしちゃってさ」

彼女はいつもの調子だった。

「ねぇ」

彼が戻ろうと私たちに背を向けたところで私が声を潜める。

「何であのタイミングで戻ってくるの?」

自分でも驚くほど剣幕な声だった。

「だって、あのままだと変な奴で会話が終わっちゃいそうだったから」

「ぐっ・・・」

千明は千明なりのカバーをしてくれたんだ。確かにあのまま私が上手く言い切れた保証はない。それどころか自爆率の方が高かった。これは逆に感謝すべきなんだ。

こうして私たちは何だかスッキリしない形で帰ることとなった。ちなみに千明が選んだのは普通にコンビにでも売っているお菓子だった。



Blackout


デパートから出ると空はすでに黒くなっていた。数多の星が輝き、まん丸の満月 が煌く。綺麗な夜空の日だった。よく目を凝らすと真冬のオリオン座が顔を出している。星そのものに私は詳しくないけれどそれでもわかるほど綺麗な星空だ った。

「なんだか、星が綺麗だね」

私の後ろから千明が感嘆の声を上げる。そして雨宮もその声に反応して上を、寒空を見上げる。

「確かに綺麗だな」と、彼も楽しそうだった。こんなに心地よい夜なんていつぶりだろうか。彼がまだ昨日までみたいに潰れたままだったら、きっと今日ここでこんな出来事さえなかった。このまま上手くいって昔の明るい彼に戻ってくれたらいいのに。私は心からそう思った。

行きとは違い、帰りは3人で楽しく談笑しながら歩道を歩んだ。それでも彼は一 度も、クスリとも笑ったりしなかったが、それでも「楽しい」という感情が彼の声 、態度からにじみ出ている。それを見る度に私のほうが笑ってしまう。

「ーーークシュンッ!」

ベトッ

不意の思わぬくしゃみ、嫌な音がした。

「・・・は、はわわっ、ごめん、テッシュかぢてぇ!」

混乱状態に陥った私は思いっきり鼻声でそう言ってしまった。もちろん・・・。

「あはははは!!何やってんの!?香乃めっちゃ鼻水出てる!」

今更ながら私の現状の詳細説明をすると、鼻から粘着性の高い液体を噴射し、手がそれでベタベタとくもの巣を形成しているのだ。

「何やってんだよ、本当」


呆れながら湊がポケットからティッシュを取り出し、3枚ほど私に渡してくれる 。それを急いで鼻に当て、拭き取りる。

「あ、ありがとう・・・」

恥かしくて顔から火が出そうだった。

「まったくお茶目だな、この娘はー」

「そんな属性になりたくないよ」

私は顔を赤くしたまま千明の言葉に答える。実際にそんな属性になりたくないし 、大体そういうのは千明のほうが似合うと思う。私はそういう役回りじゃない。

そんな感じで千明にふてくされた態度を取り、また可愛いなどというからかいを受け、余計に私はムスッとした。

そんなとき、ふと道路を見た。今日はやけに交通量が多い。確かにこの時期は師走と呼ばれるだけあってみんなが帰る足を速めたくなるものだ。私はそう勝手に納得し、道路から意識を離した。

「ねぇねぇ」

千明の声に2人で振り返る。しかし彼女が話しかけていたのは湊だった。

「突然ですが、質問です」

「何だよ」

「私と香乃を動物で例えると何だと思いますか?」

「本当に突然だな」

相変わらず突拍子のないことを急に言い出す。千明に脈絡と言うものがないのは昔から。でも、確かに湊が私たちのことをどう見ているかがこれで大体はわかるん だ。少しだけ緊張してきた。

「そうだな・・・」

彼は顎に手を添えて考える。

「まず、君月は簡単なんだよ」

「なになに?」

彼は彼女の返答に間をいれず「犬」と答えた。

「なるほど、犬か」

そう言われた彼女自身、悪い気はしないみたいだ。君月千明と犬、似ているかもしれない。元気に跳ね回るところとか、楽しいことに興味津々で食いついてくるところとか、何よりもまず雰囲気がそんな感じな気がする。尻尾を振っている千明が容易に想像できるくらいだ。

「むむむ、犬か~」

だが、千明本人の脳内で犬と自分は合わなかったのか、急に難しい顔をした。とりあえず、千明は犬だ。

「あと、香乃は・・・」

ついに私の番となり、さらに鼓動が早まる。それはさっきのデパートで彼と話していた時と似ていたが、それとはまた別の興奮だった。しかし、どんなに解答を待 ってても、彼は口を開かない。そればかりか眉を顰め、口をへの字にして必死に考えている。自分が思っているよりも私を動物にするって難しいことなんだ・・・。

「・・・・う、うさぎ」

「・・・うさぎ、か」

彼が言葉を落す。内容を聞いて少しホッとした。可愛い動物だった。ここでゾウとかカバとか、さらにはゴリラなんて言葉が出て来ようものなら私は千明に笑われながらも猛ダッシュで家に直行する羽目になっていただろう。

「で、理由は?」

千明がさっきの犬というのをまだ気にしているのか、難しい表情のまま質問する 。

「何か1人で放っておくと孤独死しそう」

「おいっ」

思わず彼の頭に軽くチョップという名のツッコミを入れてしまった。

「あはは!それ香乃だ!香乃、うさぎにそっくり!!」

「うう~、また馬鹿にする」

再度私は頬を膨らました。しかしハッと気がつき湊のほうを見た。もしかしたら今の会話で笑ってくれたかな?私的には面白い会話だったと思うが。

残念ながら期待はハズれていた。彼は楽しそうにしてはいたが、表情に出ていない。これは彼がニコッとするまでまだまだ時間が掛かりそうかな。

そんなくだらない会話をしながら私たちは自宅のほうへを歩いていく。そのやり取りに大満足でついつい笑顔になっていく。そして彼の楽しそうにしながらも変化のない顔を見て思うんだ。やっぱり、私は湊が大好きなんだと。さっきの告白、正直なことを言うと上手く言えなくてかなりショックだった。でも、これからの毎日がこんな風になると考えると、きっとチャンスはまだまだたくさんあるはずだ。さっきのだってよく考えればかなり突飛で、衝動的な告白をしようとしていた。次はそんなことのないように大いに反省したい。今日はこのまま楽しく帰って明日からまた作戦を立てて、頑張りたい。いや、頑張るんだ。

千明の笑い声に再度顔を綻ばせながら私は密かに決意するのだった。

そしてそれが私の生前の最後の決意となってしまった。

「おっ!」

千明が何か面白いものを見つけたかのように陽気な声を出した。何を見つけたのか気になって私も彼女の見ている方向に視線を向ける。そこには真っ白で小さな猫がいた。私たちの数メートル先の歩道で通行量の多い車道の隙を窺っているのだろうか、さっきから通り抜ける車に首を右往左往させている。

「道路を渡りたいのかな?」

千明の声音が私がたった今考え付いたことと同じ考えを私の耳まで運んだ。

「そうかもな」

彼が千明兼私の意見に同意する。あんなふうにキョロキョロされてはほとんどの人がそう考えるだろう。なかなか車が止まらないなと、視線を猫ではなく近くの信号機に向ける。すると信号機はちょうど青から私たちと平行して走る車を止めるために黄色へと変わったところだった。

「もうすぐ車止まるね」

そう言うと千明も信号機に注目した。赤になり、後ろから来たトラックがこちらを向いて信号で止まった。

「猫も大変だね、ウチらみたいな人間のせいでかなり住みにくいんじゃないのかな ?」

再びみんなで猫を見た。

それはよほど心配性なのか、車はもう信号機の前で止まり目の前は一台も走ってない。にもかかわらずまだキョロキョロしている。しばらくそのまま様子を見て、やっと車が来ないことを覚ると車道を横断し始めた。しかし、信号は思いの外早く信号は青になった。私はすぐに気づき、口に手を添えて大きな声を出した。

「おーい!猫ちゃーん危ないよー!」

そう呼びかけるも、猫に届くはずもなく、猫はゆっくりと歩いていく。

「聞こえなかったのかな?」

「まあいいんじゃないのか、猫ならいざという時に避けられるだろ」

そう言って湊は猫に興味をなくした。

「ちょっと、やばくない?」

千明の声に私ももう一度猫を見る。

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・

青になった信号から大型トラックがまっすぐに走ってくる。猫も、運転手もお互いの存在に気づいていない。

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………!

すでにお互いに目の前まで迫った。しかし、お互いまだ気づかない!

「え!嘘!?」と私が声を出しているときにはすでに、千明が目の前で走っていた 。猫に向かっての猛ダッシュだった。勢いよく一つ車線を越え、猫に手を伸ばした 。ようやく目の前の千明にも気づき、ブレーキをかけるもすぐには止まれない、でもこれならいける!千明の走る速さならこのまま猫を抱き上げて走り抜けられる!

私の予想通り、トラックが接触するよりも速く、千明は猫まで手が届き、拾い上 げた。

だがーーー

ガクッという効果音が聞こえてきそうなほど、彼女は自分の足が縺れ、バランスを崩した。

「千明ぃい!!」

無我夢中で私も飛び出す。

そして千明の背中目掛けて突進し、彼女を吹き飛ばした!

キィィィイイイイイイイイイイイイーーーーッ!!!




ばんっ




耳を裂くようなブレーキの轟音が鳴り響くと同時に、視界が、真っ黒に、なった・・・。

12月8日の夜のことだった。



Please return


目がーーー覚めた。

気がついたらベッドで横たわっていた。悪い夢から覚めたように勢いよく眼を開いてすぐに目の前に飛び込んできたのは見飽きた青空の壁紙が張られている天井だった。それも夜なのか、異様に暗く青空はかえって違和感を放っていた。

苦しさを体が訴えてよろよろと上体を起こす。そして私は首を捻りながら、ここが何処なのか確認するように視界に入り込んだ物を自身の記憶と照らし合わせ、次々と凝視して いく。私のベッド、私の勉強机、私の椅子、私のテーブル、その上にある私のケータイ、私のスクールバック、その中から覗いている私の筆箱、間違いない、 私の部屋だ。

「・・・・夢、だったのかな」

あまりの突然の出来事にまだ頭がズキズキと痛む。そのときは外にいたし、もし室内でもあれが本当に起こった出来事なら私は病室の真っ白な部屋で横たわっているだろう。よかった、あれは夢だ。間違いない。

私は大きくため息にも似た深呼吸をし、ごしごしと零れた涙を拭き取る。それだけでも動くと体中についた、海から上がってきたときの水滴みたいな大粒の汗が流れて気持ちが悪い。

すぐに着替えないと。でもあれだけの悪夢を体験したんだ。こ の半端じゃない汗の量も理解できる。

ーーーここまで鮮明な夢は初めて見た。鉄の塊と衝突したときに襲いかかった今まで味わったことも想像したこともない激痛。90度回転した視界に映える血飛沫と大きな轍。耳を劈くブレーキとクラクションの轟音。鼻を突く鮮血の生々しい臭い。夢と呼ぶにはあまりにも鮮明で、現実と呼ぶにはあまりにも幻のようであり得ないものだった。あれが事実なら私は確実に死んでいただろうでも、私はこうして 生きているんだ。あれがただの悪夢以外に何だというのだ?

「ふぅ」

もう一度大きく深呼吸をしてベッドから立ち上がり、部屋の電気をつけようと暗闇の中を手探りでスイッチを探す。

「あった・・・」

カチッ

しかし、電灯はまるで反応しない。

「あれ?」

再度、部屋に明かりをつけようとスイッチを押すものの電気がつかない。すぐに諦めて勉強机の蛍光灯に手を伸ばし、電源を入れる。

ーーーでもそっちも反応しない。どうしたのだろうか?

「・・・・停電かな?」

一度大きなため息をついた。なんだか今日はついてない。電気つかないし、悪い夢は見るし。そう思った瞬間にまた夢の情景が脳から再生される。

すぐにそれを忘れようと私は少し強めに頬を叩いた。それで本当に頭のスイッチが切り替わったのか、あることを唐突に思い出した。

「あれ?本どこやったっけ?」

そういえば、湊に借りた本をどこに置いたか記憶にない。それどころか昨日、家に帰ってきたとき、それよりも前の湊と千明と別れた記憶さえない。曖昧どころの騒ぎじゃない、どこにもない、ないんだ。

「・・・ってあれだけの悪夢見てちゃ記憶が飛んでも不思議はないか。とりあえず本探さないとね」

制服のまま寝ているところを見る限り、私は帰ってきてすぐに寝ていたのだろうか?

掛け布団を足で無造作に押しのけ、ゆっくりとベッドから降りた。やっぱり動くたびに汗が気持ち悪い。

「あれ?」

立ち上がるとすぐに部屋の違和感に気づいた。暗がりに慣れない目を擦ってもう 一度確認する。

「・・・写真がない」

先日、湊と一緒に撮ったあの一枚。これからの明るい未来を祈って、彼に告白すると固く誓って一番目につく机の上に置いた写真。私がその大切な物を無くしてしまうはずがない。家族の誰かが持っていってしまったのか?でも父さんは私の部屋の入らないし、母さんには自分の部屋は自分で片付けるからあまり変なふうに触らないでと頼んでいる。どうしたものか。

階段をゆっくりと一段一段慎重に下りる。変に用心している理由は奇妙で、なんだか身体がフワフワして歩き辛いのだ。寝過ぎてしまったのか、昨日何時に寝たかも覚えていないから結論の出しようがないことを推測する。まぁ、この件は一旦置いておこう。

30秒近くの時間をかけて階段の最後の一段までたどり着いた。これだけでもかなり疲れた気がする。進行方向を変えてキッチンへ向かうことにした。そしていつも通りの慣れた動作で蛇口を捻り、コップに水を注いだ。

「とりあえず、水でも飲んで落ち着こうかな」

ふと、鼻腔をお寺のような慣れない臭いが刺激する。それが線香の匂りだと気づくのに数秒かかった。しかし、何で家から線香の匂いがするのだろう?

私はそのまま家を探るつもりでリビングに足を運んだ。

キッチンにすぐ近くのリビングも静かで世界が止まったような感覚に陥った。それほどの静寂がこの空間を支配していた。

しかし、それは余興ですらない、本当に止まっていたモノを示したソレはは私の目の前で強烈な違和感を放ちながら佇んでいた。

まず目に飛び込んできたのは写真だった。まさにさっきまで探していた湊と一緒に私が写っている写真。次の物を見る前にさきに嗅覚がものを言った。これは・・・線香の、匂い。

「・・・う、そ」

消えた蝋燭にすでに燃え尽きて灰の丘しか残っていない線香、そして私の皮肉にも笑っている、いや嗤っている写真。

「そんな・・・そ・・んな」

ーーーバリンッ

私は全身の力が抜けて気が遠くなるのを感じた。


それは「私」の仏壇だ。


「ひぃい・・・いやあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!!!」

夢中になって裏口から家を飛び出した!

とにかく真っ白だった。

とにかく走った。

怖くて・・・。

恐くて・・・。

行き先なんて考えていない。

ただ走った。

気がつけば私は少し家から離れたところにあるの公園ではぁはぁと肩で息をしながら膝をついていた 。ここまでどういう道のりで着たのか記憶にないが、足が痙攣して動けない。相当遠回りして滅茶苦茶な道を走って来たんだろう。

「・・・・疲れた」

私はガクガクと震えた両足を引き摺りながらベンチまで何とか届く。そして背中からゴトンッという音を立てて倒れこむように座った。少し雨が降っているようで 自分の頬に水滴が冷たく流れ落ちる。

まだ息は上がったままで肩が忙しく上下する。

寒空を大きく仰いで白い息を吐き出しながら大きく深呼吸をした。でもそんなん で落ち着けるわけがない。

「・・・さっきのは・・何かの錯覚・・・・なの?」

目の前に私の仏壇が禍々しい威圧を放ちながら私を見上げる、そんな光景。そんなのあり得ない。だって私は今ここにいるんだ。白いこの吐息も出ているし、寒いとも感じている。ベンチの感触も確かなものだ、それに疲労だってこうして感じている。間違いない。

「・・・・・?」

縋るように辺りを一瞥すると電柱に縦長の看板のようなものが立てかけてある。普段、あまり見たことないような青と白の無機質な看板。そうだ、前に見たことがある。たしかこれは葬式の・・・。


(故)森野木ーーー


「い、いやああ!!」

私はまた駆け出した。訳がわからない。意味がわからない。いろいろの言葉でさっきの看板を、仏壇を否定する。だってあり得ないじゃないか!

そして今度は目的地に向かって走った。必死になって足を前へと出した。

さっき走ったばかりでもう限界だ、でも走った。

苦しくて胃の中のものを吐き出しそうだ、でも走った。

足が引きちぎれそうで悲鳴を上げている、でも走った。

途中で転んで血が出た、でも走った。

雨が勢いを増して豪雨になった、でも走った。

ただ走った。

証明したかった。私はまだ・・・。


市の外れまできた。今が何時なのか知らないがそこ以外は夜の黒に沈んでいてホラー映画の中に迷い込んだように暗かった。唯一、明るいそこも空気がとてつもなく重かった。

「はぁ・・・はぁ・・・」

私は膝から手を離し、顔を上げた。葬式場で泣き声やらお経やらが聞こえてくる 。ちょうど式中だった。何十人かの人が中央に並んでいる。大半は私の見覚えのある人だ。クラスメイトに中学の中の良かった友達、面倒見のよかった先生まで。 みな一様に暗い表情でしゅんとしていた。

その隣、入り口に添えるようにそれは置いてあった。


「森野木 香乃様」


そこにはこの式のメイン、私の名前が・・・。

ーーーこれは夢だ。

私は瞬間的に全てを悟った。

ーーー違う、これは夢だ。

気がつけば、私は泣いていた。

ーーーコレハ、ユメダ・・・。

「・・・私」

ーーーコレハ・・・。

「何で、死んでるの?」

膝から崩れ落ちる。さっき走ったときに転んでできた傷がアスファルトに食い込みジンジンと痛む。痛い、ユメじゃない。あの夢は本当だったんだ。悪夢なんかじゃない。私の実体験だ。

私は死んだんだ。じゃあ、私は一体なんだ?

息が吸えなくなり、余計に苦しくなる。でも吸えない代わりに息がたくさん泣き声となって飛び出す。雨と一緒に涙が滝となる。

「・・・何で・・・・・何でなのよ!・・・・何でよぉ!!!」

泣くしかかなった。涙を流すしかなかった。理不尽に突きつけられた唐突の死に 私はどうすることもなかった。

バシャッという水を踏みつける音に私は我に返った。そこには雨水で濡れた湊が 速足でこっちに向かっていた。

「湊!!」

私は反射的に彼の名前を呼んで手を伸ばした。瞬間、彼の身体と私のカラダがぶつからなかった。バランスを崩し、私は前めりに倒れこむ。

思わずギョッとする。すり抜けたんだ。

それに彼も目の前にいた私に気づかなかった。そうだ、今の私は幽霊なんだ・・・。

私は悲しくて、彼に助けてほしくて振り返り、彼の背中を見据えた。とても悲しくて昔見たよりも小さい背中だった。


「こんにちわ、雨宮」

「おうっ」

不意の幼馴染みの挨拶に俺は反応できなかった。俺自身、あいつに話しかけられることは多いがまともに話せたためしがない。昔は違った。だが、俺の姉貴の死は俺たちを大きく変えてしまった。俺の幼馴染みの香乃は俺を見るたびに急に硬くなるようになり、俺自身もあいつと話していると姉貴の笑顔が脳裏を過ぎって上手いこと会話ができない。結局のところ気まずいままで同じ高校に入学して今に至るわけなのだ。


「はぁぁ」

俺は深いため息をついて本を閉じた。本はとても便利なアイテムだ。これのお蔭で俺はここ数年間を罪悪感に潰されることなく何とか気を紛らわせてきた。言わば現実逃避というところだ。それ以外にやることなんてないし、どっちにしろ楽しいわけでもない。正直言うとこのままゲームでもして引きニートになることはできた 。しかし生憎と俺は小さいときからゲームというのが嫌いだった。どんなに上手くできても嬉しくも楽しくもない。だったら外で遊んだほうが面白い。俺はそういう子供だったからゲームはアウト。アニメとかネットとかも一度見てみたが興味の欠片もわかなかったし、見てて面白くなかった、アウト。だったらと思い、本屋に顔を出して立ち読みというのをしてみた。こちらもそんなに面白くはなかったし、アウトと決断しようと思ったときにたまたま目に入った時計、こいつは俺が本を読み始めてから二時間後の時間を指していた。文字を目で追うことは思っていた以上に時間を忘れることができなのだ。それで本を読み始めてからというもの、食事と風呂と授業以外はずっと本を離さなかった。たまに本屋やコンビにに行くくらいで他のことは基本的にしなかった。「考える時間」が欲しくなかった。

そうして俺はこの歳になるまで姉貴の死から逃げ続けた。忘れることなんてできなかった。不器用 、そんなことはわかっている。

だが…。

「んっ?」

家に帰ってすぐに着替え、本屋に行こうと歩いていたときだった。

「はぁ、――――私ってホントダメだな」

頭を下に向けてうな垂れる香乃を見つけた。まだ制服姿なところを見ると家に帰る途中なのだろう。さっき追い抜いたし。このままスルーしてもよかったのだが、 何故か今日の俺は彼女に話しかけた。

「どうした、そんなに暗くなって」

香乃と並ぶような位置に立った。

「それがね、私ってば・・・」

と言いかけてから何かに気づいたように勢いよく肩を飛び上がらせこっちに振り返った。

「って雨宮ぁ!?」

もしかして今の今まで目の前の幼馴染みは俺だということに気がつかなかったのか、さすがに少し呆れた。

「うるさい、そう騒ぐなよ」

とりあえず落ち着けという意味で返答すると彼女はしょんぼりとして「う、ごめんなさい」と、本気で謝罪し始めた。ったく、こっちまで気まずいだろ。でもこいつがこんなに俺に気を使うのも全て俺のせいなんだ、そう思うと変に指摘出来ない 。

「・・・すまん、少し冷たかったな」

仕方なく俺も謝ることにした。

そして沈黙。予想はしていたがさらに気まずくなった。いつでも自分の失敗に気 づくのは事後になってからだ。ついついため息が出そうになる。

「これからどこ行くの?」

彼女なりに沈黙を断とうと声を上げた。

「本屋」

俺は素直に答えた。それしか言うことなんてなかったし、第一そこぐらいしか出かけない。

「あ、新しい本買いに?」

「そうなるな」

反射的に答えてからまたもや自分が失敗したことに気づく。コミュニケーション能力に乏しい彼女にいつもの無愛想な反応は返答が厳しいかもしれない。他のクラスメイトでもその辺で諦めるのだがら余計だ。幼馴染みということも考慮してもっ と親しい感じで接するべきだったな・・・。

しかし、このまま気まずいままというのもよくないな、とは言っても俺自身がコミュニケーション能力に長けているというわけでもない。むしろ苦手分野だ。あえ て香乃のほうに任せてみようか?きっと俺よりは上手いことしてくれるかもしれない・・・。

「何だ、どうした?さっきから黙ったままで」

そう言ってやると彼女は何か言いたそうな目を向けてから「ごめん」と、俯いた 。また失敗を犯してしまった。人生は失敗の連続で成り立つものなのだと何処かで聞いた気がするけど、今ならそれに共感できそうだ。いや、今のは俺が愚かなだけか。

とにかく初めのやり取りであいつが俺に何かしらの用があることだけはわかった。

仕方ない。

「せっかくだからお前も来い」

「え?」

間入れずに疑問の声が上がった。まあ、そうなるな。

「何か言いたいけど言い難い、言い辛いって感じなんだろう?帰るまでに考えてお け。俺はゆっくりと本探すから」

俺の言っていることを理解すると彼女は返事をし、首を立てに振った。


「そういえば、何が言いたかったのか整理ついたのか?」

本屋の帰り、そろそろ潮時だろうと俺は彼女に問いかけた。時計は確認していなかったがかなりの時間が経っていた。何かの形で整理がついた頃だろう。しかし、 彼女は困ったように微笑むとそのまま視線を落した。

これだけでこいつが言いたいことが何なのかわかった。大まかに言うと、今の俺の事なんだろう。香乃が俺のことを心配してくれているのは前から知っていた。で も、俺はそれを受け入れることができない。

あれは俺が悪いんだ。だから俺が心配されるようなことじゃない。

だからあのときのように俺は香乃を突き放した。

でも、わかっていたけど、やはりあいつの泣く顔は苦しくてこの上なかった。


限界だった。

家に着いた俺は、ベッドの上で寝転んで天井を眺めていた。いや、もしかしたらもっと上の方を見ていたのかもしれない。

本など読む気にすらなれなかった。

ただずっと上を見つめていた。

やはり、本なんかじゃ忘れられなかったと実感せざる得ない。姉貴が死んでから、今の今まで俺は逃げてきた。目を逸らしていた。そうでないと自分は愚か、香乃や周りの人も壊してしまうのではないかと怖くて逃げていた。

それすらももう無理だった。

香乃の涙を見て、確信してしまったのだ。

…俺は最低だ。

次の朝、合わせる顔がないといつもよりも早く家を出て学校に行くことにした。どうせ教室で合うことはわかっているのにだ。

しかし、神とやらは相当悪い性格をしているらしい。

どんっ

「ご、ごめんなさい」

不意に後ろから人が体当たりをしてきた。ちょうど、信号が変わってある気だそうとした時だった。

反射的に振り返って、俺は酷く後悔した。ぶつかってきた相手は…。

「・・・森野木」

香乃だった。合うまいと早く家を出たのがかえってこの事態を招いてしまった。

「おはよう」

動揺はしたが、俺は平静を装って挨拶を交わした。だが、予想していた通りに香乃は泣きそうな顔で俺を見上げていた。

「うん・・・おはよ」

「…」

彼女は逃げるように走って行った。

苦しかった。

いつも以上に自分をクズ野郎と罵った。

もう、限界だった。

そこからの記憶はほとんどなかった。

やがて、意識が追いついた時にはすでに、あの河の目の前まで来ていた。

河の流れは雨が降っているかのように濁流しており、荒れ狂う水飛沫が地獄を連想させた。

橋の上から、下を覗く。

毎年、この日にはここへはかならず花束を持って来る。12月7日、雨宮琴の命日だ。

「…姉貴」

大粒の雫が俺の頬を濡らしていた。そこでようやく俺は周りが大雨でずぶ濡れになっていることに気がついた。

「姉貴…」

もう一度、何も無い河に向かって問いかける。

今なら行けそうな気がした。いや、確信していた。姉貴に会えるって。

俺はそんな淡い期待をして河に飛び込んだ。

「雨宮ぁ!」

突然、聞こえるはずのない声が俺に穢れた心にまで届いた。

「・・・森野木?」

今さら何しに来た。

と言ったつもりだったが、喉元でそれは空気となって霧散した。代わりに「こんなところで何してる?」とわかりきったことを口にした。

「雨宮こそ、こんなところで何してるの!」

しかし、香乃は食いついた。

傘もささずに、合わせることのなかった俺の目をしっかりと見据えていた。

「・・・お前には関係ない」

と突き放した。

「ないはずないよ!」

尖り声をあげてそれでも負けないと対峙する。

「お前までも、俺なんかに関わることはない、帰ってくれ」

割と本心だった。

もうこんな俺には構うな、俺なんかより良い奴なんかいくらでもいるだろ?なら早く俺を見捨てて楽になれよと言った。

「雨宮だってそっちにいちゃダメ!そんなの許さない」

それでもまだ香乃は引き下がらなかった。

「なら許してもらわなくても結構だ」

そうとだけ言うと俺の方から視線を外した。

哀しみに溺れた橋。俺はとっくに覚悟を決めていた。否、あのときから、あのときにこうすべきだったんだろう。

そっと天を仰ぐ。

そして下を覗く。

少し遅すぎちまったな。

そんな俺の甘えから香乃を何度も傷つけてしまった。

そのまま柵に手を掛け、前屈みになろうと身体を揺らした。

「ダメェ!」

気付ば俺の左手を香乃が強く握っていた。ゼェゼェと肩で息を凝らしてしてるのに、なお離さなかった。

「・・・離せ」

「嫌だ!」

震えた声が叫んだ。

わからなかった。

なぜこんなにしてこいつは俺を止めようとするのだろう。

「なんで、お前は俺を止めるんだ?俺はただ償いたいだけだ、お前が必死になって止める必要なんてーーー」

「違う!雨宮が死んだって償いになんてならない!そんなの琴さんのいない世界に耐え切れなくなって逃げてるだけだ!」

肝を抜かれたというのはこういうことをいうのだろう。

「お、お前には関係ないだろ!」

思わず俺も叫びをあげた。

初めてだった。香乃がこんなにも激情を見せるのは。それほど今の彼女は本気で、それほどの覚悟で噛み付いてきたのだ。

もういい。

いい加減お前もいい奴過ぎる。

とっとと俺なんて見捨てちまえよ!

振り解こうと力を入れかけた瞬間だった。

「・・・じゃあ、残った私は、どうすればいいのよ」

「ーーーっ!?」

言葉を失った。

「もう嫌なの、もうこれ以上大事な人を目の前で失いたくない!」

力強く声を張る。

「湊ぉ・・・一人にしないでよ」

そして、消えそうな声音で静かにそう訴えた。

ああ、俺はなんて馬鹿だったんだろう。

失っているのは俺だけじゃない、香乃も同じなんだ。香乃だってあの日から今日まで辛く苦しい思いをしてきたのに、俺は自分ばかりが不幸だと決めつけていた。いや、きっと香乃の方が辛かったはずだ。

「・・・香乃」

無意識に、俺は香乃の小さな体を抱きしめていた。冷たい豪雨の中でも、森野木香乃という少女はとてもとても暖かった。

「・・・ごめんな、香乃」

そして心の底から謝罪した。

「本当に悪かったな」

こんなにも近くにいたのに気づけなかったようだ、俺は。この小さな少女の温かさに。

「私こそ生意気言ってごめんね」

湿った声で、香乃はそう呟いた。


やがて俺たちはぎこちない空気を保ちつつ、1つの傘に肩を並べたままゆっくりと歩いていた。昔はこんなことよくやったのだが、あのときとは違う感じがしておかしかった。

香乃は、周りの雨にも負けないほど大声で泣いた。初めてしっかりと噛み締める彼女の感情に、俺は一層強く抱きしめた。

顔を赤くしているのはきっとそのせいもあるのだろう。少しだけその光景が微笑ましてく眩しかった。

「森野木」

気まずそうにする香乃を呼んでみた。

「は、ふぁい!」

予想外にもかなり裏返った声が返ってきた。

「・・・なんだそりゃ」

「べ、別に。で、なにかな?」

恥ずかしそうに顔をさらに紅潮させる。

「・・・まぁいいや」

これ以上、変に空回らせるのはかわいそうだ。すぐに本題に移る。

「お前はさ、いつも俺は悪くないって言ってくれるけど、なんでそう思ったんだ ?」

真剣な問いに、思わず彼女はギョッと驚いたようで、さっきとは別の意味で顔を火照らせてまごまごとした。でも、答えは決まっていたようで、すぐに返ってきた。

「…雨宮自分を責めすぎだよって私は思うんだ。たしかに悪いのは雨宮でこうして否定している私のほうが間違っているのかもしれないけど、それでも私は雨宮の味方でいたいんだ」

「…なんで、そこまで?」

純粋に不思議で仕方がなかった。

なんで目の前の少女はそこまでして俺に構ってくれるのかと。

「…か、買い被り過ぎだよ。幼馴染みだからっていう簡単な理由。そうじゃなくても雨宮は私の大切な人なんだから当然だよ」

今度ばかりは俺が驚く番だった。

それだけが理由でないことはさすがにわかったが、それでもお人好しすぎる。

ついため息を漏らした。

すると、彼女は馬鹿にしないでと言いたそうにムスッと半目でこちらを覗き込んだ。

「そうムスってしないでくれ。別に馬鹿にしているわけじゃない」

「それじゃあなにさ?」

そう聞かれると困る。答えこそ決まっているが、少し気恥しい。なるほど、さっきこいつがまごまごしていたのはそういうことなのか。

「…変に優しくて律儀なところ、森野木らしいなって思っただけだ。ごめんな」

すると、不思議と香乃は嬉しそうに目を広げた。こればかりはどうしてこんなになったのかは皆目検討がつかなかったが、でも、俺も少しだけ嬉しかったのは事実だ。

「…違う、そこはありがとうって言うの」

そして、微笑んだ。

その瞬間、電撃が走ったとさえ思った。

香乃の無邪気な笑顔にかつて感じたあの感情が全身を駆け巡った。

そうか、そういうことだったんだな。

単純な自分に嫌気さえ思える。

「ありがとな」

その言葉が、何故だかすぅっと口から零れたことに、俺は納得さえした。


この日から俺はいつかみたいに香乃に惹かれていた。

都合がいいというなら言ってくれ。自分でもそう思うさ。

次の日、名前で呼んでいいかと言われたとき、何とか 表に出さないように努力していたものの、内心照れすぎて色々とぐちゃぐちゃにな っていて整理するのに時間が掛かった。それと同時にどうしようもない嬉しさもこみ上げて来て俺の脳内が許容量オーバーになるところだった。

何もかもがまるで昔のように感じられた。香乃には本当に感謝している、ありがとうなんて言葉じゃ足りないくらいに。こんな俺を諦めずに見ていてくれていた少女。だからこそ、幼い頃の俺もそうだったんだろう。

だからいつかこの想いを伝えたいと思った。昔からそうだったこれを 。


でも、そのいつかは唐突に消え失せてしまった。


「千明ぃぃ!」


彼女はトラックに轢かれそうな親友目掛けて突進して行ったのだ。


俺は一瞬遅れた。

たったその一瞬が全てを決めた。

それは本当に一瞬の出来事だった。 皮肉にもかつて、俺たちから大事な人を引き剥がしたときと同じように。そしてあ のときよりも残酷に。


キィィィィィイイイイイイイイイイイイイーーーーッ!!!


ガシャン!!

粗雑に玄関の扉を叩き閉める。金属同士の無機質な衝突音が空っぽの部屋に静かに広がった。

ふと、この家、綺麗な白い壁が殺風景に見えてならなかった 。昔の賑わっていた頃の空間が懐かしく脳の奥を過ぎ去っていった。居間の柱にかつてあった姉貴との背比べの落書き。あのときは姉貴は父親譲りで背が高くて結局勝てなか ったんだっけ?きっと今なら勝てるかもしれない。それすら今は掠れて消えている。

「・・・もうできないか」

静止という支配者が君臨している家の階段を徐に進む。静寂な空間にゆっくりと した俺の足音は十分過ぎるくらい響いた。それでも支配者には不十分だったのか、 登り終えるとまたすぐに静止が戻ってきた。

ガチャーーー

ドアノブを下ろし、ドアの固定が外れる。力なく引くもあっさりとそれは口を開 いてしまった。

そこは俺の部屋だ。

俺が姉貴の死に耐え切れず、止まっていたときに両親がせめてもと部屋は何の不自由もしないように何でも置いてくれた。テレビにパソコン、本棚に大量の本と辞 書、そして写真立て。俺は最後に目についたそいつを手に取った。つい最近撮ったものだ。そこには嬉しそうに微笑む女子と困ったようにこちらを見ている男子が写り こんでいる。紛れもなく俺と幼馴染みの香乃の写真だ。そして葬式で使用されたものだ。

「・・・」

落ち着いた動作で写真立てを元の位置に戻す。彼女が俺に微笑んでくれたのはつい六日前のことだ。しかし、もう彼女はいない・・・。

「・・・ちくしょう」

あのとき、トラックが目の前を通過し惨劇を起こす前に、俺が恐れなければ・・・ もっと早く手を伸ばしていれば・・・。

「ちくしょうっ」

俺の目の前で香乃は親友のために何も恐れずに、迷いもせずに飛び出した。それは彼女の本来の強さと優しさだ。もし、もしあのとき俺にも香乃のような強さがあ れば・・・。

「ちくしょぉぉ!」

何で!何でまた俺じゃないんだ!?

何でまた俺から大切な人を奪っていくんだ!!?

本当に神様なんているのなら一度この目で見てやりたい、一体どんな醜い奴があんな優しい2人を平気で目の前から消してしまうのだろうか?

死ぬのなんてくだらない俺でよかった!

なのに…!!


「ちぃくしょうがぁぁぁああ!!!!」


気がつけば俺は俺の部屋だったところで立ち尽くしていた。しかし俺の部屋じゃない。こんな部屋俺の記憶にない。俺の記憶が正しければ俺の部屋はここまで荒れていないはずだ。まるで空き巣に入られたよう、否それ以上だ。テレビはひびが入り、パソコンはキーボードがバラバラに散乱して使い物にならない。本棚は凹み、 中の本や辞書がビリビリになって散らばっている。枕も八つ裂きなっていてベッドなんかバネが飛び出している。でも、それを見てもぐちゃぐちゃだという感想以外、何も持てなかった。

「ちく、しょう・・・」

足元が濡れていること気づいたのは俺が我に返ってさらに5分も後のことだった 。


玄関の扉を音を立てないようにゆっくりと優しく閉める。外のひんやりとした空気が肌に痛い。いや、そんなのはきっと私の想像に過ぎないのかもしれない。

だって私は冬の夜風よりも冷たい幽霊なのだから・・・。

「・・・」

私は口を固く閉じながら徐に人のいない夜の道を歩く。濡れているアスファルトを足音なく静かに踏みしめる。自分の涙のように雨は涸れてしまっていた。 泣きたくても何でか泣けない。泣いて喚ければどんなにすっきりとするだろうか。

少し前まで泣くことが恥ずかしくてみっともないと恥じていたのに、今はこうして泣きたい自分がいた。

私の死後すでに一週間近く立っていたことには純粋に驚いたが、そんなことなどどうでもいいくらいに心はズタズタだった。それでもフラフラと脚を運んだ。

彼もあのときそうだった。自分の部屋で暴れる彼を思い出す。彼はズタズタにした部屋で呆然と立ち尽くしながら、泣いていた。とても苦しそうに泣いていた。何 故、何故また彼だけが残ってしまうのだろうか、いや私たちが残してしまうのだろうか。きっと琴さんも同じことを考えていただろう。また湊だけ残して、彼に苦し みだけを与えて逝ってしまうなんて。

トボトボと歩き、気がついたら私はあの葬儀場に来ていた。特に意識していたわけじゃないのに・・・。私はそのままゆっくりと時間の止まった空間へと足を踏み入れた。一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと力強く踏みしめた。止まらなかった、見 ればきっと後悔する。それでも私にはそれを止める術などなかった。

そしてソレはその場で静かに止まっていた。

棺桶の蓋の窓をゆっくりと開けると、そこにはもちろんワタシがいた。あんなことがあったのにワタシは外傷も見受けられず、優しい安らかな表情で微笑んでいる。周りに詰められた桃色の花模様が眠っているワタシを綺麗に見せていた。

瞬間的に私は強く拳を握った。自分でもわかるほど口元から歪み、気づけば下唇がとてつもなく痛い。それでも噛む力は弱まらなかった。

「・・・そっか、私後悔してるんだ、死んだこと」

その空気に消えそうな言葉を言い終えるよりも先に瞳から涸らしたはずの涙が溢れてきた。それはそのことを確信されるのに十分過ぎる判断材料だった。いや、きっと森野木香乃は自分が死んだと知ったそのときからとっくに気づいていたはずだ 。「独りになってしまった湊」という蓋を自分に閉めて、見てみぬフリを決め込んでいたんだ。つまり、結局私は湊がどうとか言う前に、自分の明日が奪われたことを後悔してるんだ。

…だって当たり前じゃないか、誰だって生きていたいし、誰だって死にたく ない。湊や千明は私を優しいとか言ってくれるけど私も普通の女の子だ。

未練だって?

そんなものないはずがない!

「だって・・・私、まだ・・湊に…伝えていない……のに」

涙で震えて上手く言葉にならなかった。足も身体を支えるだけのチカラを失い糸が切れたように崩れ落ちる。

何がいけなかったというの!?

私が何か悪いことでしたっていうの!?

「何で、私なの・・・」

私は震える足に鞭打ち、無理やり立ち上がった。それからもう一度自分の顔を見た。でも、今度は滲んで歪んだそれを上手く見れなかった。

「・・・ねぇ、起きてよ」

私は森野木香乃に問いかけた。

「起きてってば」

香乃は動かない。

「本当は死んでなんかいないんでしょ!?」

香乃は応じない。

「本当は生きてるんだよね?そうなんだよね!?」

香乃は答えない。

「だから、はやく………目を覚ましてよぉ!!」

私は夢中になって虚構に向かって叫んだ。

精一杯、一生懸命、藁にも縋るつもりで彼女にぶつかった。しかし、返ってくるものはなかった。いくら叫んでも掴む藁すら出てこなかった。

それでも私は吠えた。

必死に虚構から掴むものを探した。

諦めきれない!

だって私は今ここにいるんだ!

きっとまだ間に合う・・・そんな気がしてならなかった。

ドサッ

唐突に視界が低くなる。どうやら、震える足に限界が来たのだと理解するのにかなりの時間を使った。頭もクラクラとして気分が悪い。それでも何とかまだ膝で立ち上がった。食いついた。

「何で・・・何で・・・」

頭を垂らし、目の前に出来た湖を見つめながらも私は吠え続けた。声と意思が続く限りまだまだ吠え続けた。

ひたっと額を棺桶に触れてみた。あまりの冷たさに思わず飛びのきそうだった。

「・・・」

意を決して私は恐る恐る顔を上げてみた。

そこには生前の私の写真と大きく虚しく私に無力感を与える棺桶が見下ろしていた。写真にある私の笑顔はもう諦めろと嘲笑っているようだった。

「・・・そんなの、嫌だよ。何で私が死ななきゃいけないの?」

なんとか取り繕おうと虚空の中に掴めるモノを探す。でもいくら探しても助け舟も、縋ろうとするモノすら見つからない。

「何でーーー私が」

ふと脳裏をこれまでの小さな人生の思い出が繰り返される。湊と琴さんとの出会い、楽しいあのときの日々、千明と友達になったこと、琴さんの死、空っぽになった湊、私を心配してくれた千明、川原で見せてくれた湊の表情、照れるような仕種 、そしてーーー

ばんっ!!

私は力一杯、震える全身の力を振り絞って両手で棺桶叩きつけた。

「もう嫌っ、こんなの間違ってる!違う、こんなの現実じゃない!私は幽霊なんかじゃない!!これは夢だ!そうよ、絶対そうよ!だってこんなのおかしい!!これが現実であるはずがない!!これは違う!私は、生きてーーー」

刹那、私の中の大事な何かがぷつんっと音を立てて切れた。チカラを失った私は支えを求めるように頭を棺桶に押し付けた。

「返して」

それはある少女の悲痛のお願い事だった。

「ねぇ、返してよ」

誰に問うわけでもなくただ中空に吐き捨てるように悲願を零した。


「私の、明日を返してよ!!」


それは永遠に叶わない、儚く惨めな声音だった。もうこの世で存在できないちっぽけな少女の悲しい願い事。その声が弱々しく消えるように彼女の意識もゆっくりと倒れていった。


カチッ・・・カチッ・・・

忙しそうな秒針の音で自室の時計を視界に入れる、長い針が「3」短い針が「9」 の数字を示し、今もなお流れ行く時を正確に表している。この午前三時もあと15分足らずとなった。でも、そんなことはウチにとってどうでもいい、空虚なものだ。今こうして夜の常闇の時刻を泣き腫らして過ごすのは今日が初めてじゃない。きっとすでに何日もこうしているだろう。そんなことさえもウチには虚ろでつまらないものに思えた。ふと時計のすぐ近くのカレンダーに焦点が定まる。 多分、今日は12月14日くらいかな、だとすると世間の学生はもうそろそろ冬休みが始まるシーズンだ。本来なら親友の香乃とウチで冬休みの楽しい計画を決めている頃だが、彼女はもういない・・・。

「・・・ウチ、何やってんだろ」

誰に言ったのでもない言の葉は空気に静かに同化していった。その後もさっきみたく秒針の音だけが部屋に残った。

本当にウチって何やってるんだろ?

今こうしていることに対してもそうだが、しかしこの言葉はもう少し昔の私に向けたものだ。

小さな身体で道路を急ぐ猫、それに気づくことなく走るトラック、そこら辺にいくらでもいる野良猫なんて放っておけばよかったに、何故ウチは動いてしまったん だ。あのときまでは野良猫だって大切な命の一つだと本気で思っていた。そんな綺 麗事を並べるウチを神は嘲るように見下していたのだろう。トラックの目の前で私 は躓き、バランスを崩してしまった。

そのときに初めて走馬灯というものを体験した、否してしまった。瞳の奥に無理やり流れ込んでく映像の7割は香乃との思い出だった。同じ日に親友の大切さを改めて感じたばかりなのにこんなに早く次の機会が訪れるなんて、あのときは夢にも思っていなかった。初めてウチを「面白いクラスメイト」じゃなくて「君月千明」 として接してくれた、優しい憧れの親友。彼女と歩んだ青春はとても楽しかった。


―――千明ぃ!


次の瞬間、この走馬灯が悪意のある神の悪戯だと理解した。そう解釈するしかなかった。目の前の光景に心臓が潰れそうだった。

さっきまでウチがいた場所に香乃がいた。

ガドォォン!!

あの音は、それがまるで呪いのようにウチの耳から離れなかった。ウチはこの何十日と後悔だけを背負って息をしていた。何故あんなくだらないことをしてしまったのかと。どうせたかが猫だ、親友を失ってまで救ってやった恩人につめを立て、仇で返してきたようなものを、どうしてと。

あんなもの見殺しにしてしまえばよかったんだ。それなら可哀想だねって感想だけで終わったものなのに・・・。

ウチはそうして日に日に後悔と罪悪感で自分の身を潰していった。



どうも、長居智則です。みなさんはじめまして!ですよね?

この「ghost(上)」を読んで頂き感謝しかない所存です。

今回はまだ上巻です。本当はまとめて載せようと思ったのですが、如何せん文字数が飛び出してしまったのでございます。そのせいで中途半端になったことをお許しくださいな。

まだ未熟な高校生の書いた小説です。違和感の残るところや、誤字脱字、それにミスだとかもあると思います。なので、コメント(コメント機能ついてるのかな?)やメッセージでご意見頂けると幸いです。もちろん感想とかもじゃんじゃんください!

後日、下巻の方も投稿させていただきますので、よろしかったらそっちも読んでみてください。

今後ともお願いしますm(_ _)m

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