天に地獄に熱き迸りを!
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商業では粟生慧で執筆しています。
おもに電子書籍ではBL中心です。
商業の内容はほぼエロです。
「いえー! はじけてるか、兄弟! 俺はこのステディな夜に真っ赤なハートを炎よりも熱く燃やしてるぜぇ!」
多喜二がいつものように、派手な革ジャンと赤いTシャツ姿で、ほぼ床を滑り込みながら、引き戸を蹴破って入ってきた。
「うるせぇ……」
雹伽は部屋にたった一つ置かれた一人掛けのソファに深々と足を組んで座ったまま、冷たい目を多喜二に向ける。
多喜二の顎までラインを描く自慢のもみひげを横目で流し見て、鼻で笑う。
「おまえ、笑ったな!? 俺の顔見て、いま、鼻で笑いやがったな! この透かした男女が!」
派手なリアクションで右の人差し指をビシッと雹伽に向ける。もちろん、両足は無意味に広げて腰をくねらせポーズを決める。
「で? 今日は何の映画を見たんだ?」
ソファのわきにある丸いテーブルから、雹伽は古ぼけたハードカバーの本を手に取った。多喜二がしばらく疲れるまで待って、それから、本題に入るつもりだった。
「よくぞ聞いてくれたぜ、兄弟! レザボア・ドッグス観たんだ! ありゃ、かっこいいの一語に尽きるぜ?」
「ふーん……」
興味なさげに雹伽は手元の本に目を落とした。
「そういうお前は何読んでんだよ?」
つかつかと先のとんがった皮靴の踵を鳴らし、多喜二が近づいてきた。上体を大げさに折って、雹伽の手元を覗き込んだ。
雹伽は迷惑そうに眉を顰め、多喜二を見上げる。
「ジードの背徳者。あんたには一生わかんねぇ文学」
その言葉を聞いて、多喜二が渋い表情を浮かべた。
「手厳しいねぇ、かわいこちゃん」
雹伽は軽蔑しきったように目元を歪め、本に視線を戻した。
雹伽の髪は白い。透きとおって銀色に近い。照明が暗くなければ、きっと、神々しい光輪を頭に描くことだろう。肌も雪のようだ。名が示す通り、冷たく凍えたように青白い。それなのに、その唇も瞳も血が滴ったように朱に染まっている。ひと睨みされただけで心臓が震えるような心地になる。その効果のほどを雹伽は知っている。
だから、ことあるごとに多喜二を睨みつけてやる。罵って、莫迦にして、くだらないと吐き捨ててやる。
この間は、伊達男を気取り、ストライプの入ったスーツに黒いシャツ、白いネクタイを決めてきた多喜二に向かって「死ねば」と言ってやった。
それでも多喜二は、この閑々とした書斎に入ってきては、本に埋もれて暮らす雹伽に会いに来る。
雹伽のスタイルはいつも黒いスラックスに白いシャツだ。華美な装いはしない。上に羽織るものも黒いコートのみ。時折、衿元に黒狐の毛がついているときがあるくらいだった。
今日はそれほど寒くない。薄着のまま、朝からずっとこの書斎で本を読み耽っていた。
雹伽の書斎には四面を巡るように作られた天井まである書棚と、雹伽を正面から映し出す鏡。雹伽がいつも座っている革張りのソファ、そのわきに据えられた丸テーブルだけがある。無駄なものはない。正面は高い天井に取り付けてあるようだが、天井が高すぎて、薄暗く翳り、天井そのものが見えない。窓もなく、外界とつないでいるのは、多喜二が蹴破った引き戸だけだ。それも、締め切ると書棚の一部と化してわからなくなるはずだが、いまは多喜二に蹴破られて、ぽっかりと闇に向かって口を開けている。ドアの向こう側は光もささない暗闇に包まれていた。
「毎日毎日、そうやってよぉ、人間と関わらず、本と対話してるだけなんて、ひっじょうに不健康だぜぇ?」
「うるせぇ。不健康とか笑わせるな、私は人間の営みには興味がない。すべてなされたことのみ。それだけあれば十分だ」
今度は多喜二が鼻で笑い、歯をむき出して見せた。
「へっ、笑わせるぜ。雹伽ちゃん。鏡に映る、堕落した魂にしか興味ないなんて、もっと勤勉になったらどうなんだ?」
「何遍も言わせるな、死ね。人間の本能にまみれて、その欲求を満たすことにしか興味のないあんたとは違うだけだ」
多喜二が肩をすくめる。
「死ねと言われてもよ、俺たちゃ、魂をもたねぇ存在じゃねぇか」
「じゃあ、消えろ」
雹伽は消えることがないとわかっていて、多喜二を罵った。多喜二は雹伽に莫迦にされ、踏みにじられるのが好きなようだった。
「おう、こえぇな。わーったよ、今日のところは退散してやらぁ」
「その前にドアを修理していけ」
トンずらしようとする多喜二に向かって、雹伽は声をかけた。少しだけ、多喜二がここにいる時間が延びる。時間なんて概念は皆無だが。
多喜二は両腕を伸ばし、伸びをした。その途端、その背中からまばゆいばかりの白い羽が天に向かって広げられた。
「まぶしい……。羽なんてしまえ」
「このステディな夜に、おまえのために愛を讃美しようって思ったんだよ」
「愛とかそんな愚劣なものは、肥溜めの糞だ」
「いいねぇ、雹伽ちゃん。おまえみてぇな悪魔はほんっと痺れるぜぇ」
「私は、まったく、微動だに、痺れない。魂の搾取をしているのはあんたも私も変わらねぇだろう」
「いいや、俺は愛に満ちた天国にけがれた迷える魂を導くんだよ」
「人間の魂は一様にけがれてる。迷ってもねぇよ。選択を間違えるだけだ。私は選択を間違えた魂が自ら私の懐に飛び込んでくるのを待つだけだ。導くにしてもおこがましい。居場所を与えるだけだ。その魂が選んだ居場所をな」
雹伽は鏡に顔を向ける。白く影を落とす雹伽を取り巻くように、苦しみもがく人間の姿がわらわらと、手を伸ばして、縋り付いていた。
「人間は、目に見えるものにただ、手を伸ばしてつかもうとしてるだけだ」
だから愚かで愛おしい。そう言って、初めて微笑みを浮かべた。
「おお、こわ。これだから悪魔ってやつは始末に負えねぇ」
「その悪魔に暇さえあれば会いに来てるあんたのほうが、よほど堕落してるよ」
雹伽の言葉に、多喜二が片目をつぶって見せる。
「天使は慈愛でもって、地獄より深い奈落に落ちた悪魔さえも愛せるもんなんだぜ、兄弟」
「死ねっ」
雹伽は口元を歪め、本を閉じた。背後から覗きこむ多喜二を見上げ、赤い唇に笑みを浮かべる。
「堕ちたのは、あんただろうが」
唇に降る甘い交わりに、正邪ももはや入り込む隙間はない。
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なお商業収録作品は除外しております。
「キミイロ、オレイロ」
「悪徳は美徳」
「不確かな愛を抱いて」
「甘い蕾を貫いて」
関連作品のみ。