世界との別れは突然に
新たに書いた小説です。よろしくお願いします。
日曜日。それはほぼすべての人間にとって喜びの日である。学校や会社は休みとなり、家族との団らんにショッピングなど自由な時間を過ごせるものがほとんどだ。
今しがた、書店から出てきて鼻歌を歌いながら歩道を歩く男もそれに当てはまる。手には書籍が入っていると思わしき書店のロゴが入ったビニール袋をぶら下げている。それが男――椎名久遠が鼻歌を歌い今にもステップをさせようとしている原因だ。
ビニール袋の中に入っている書籍の数は二冊。そのどちらもが今日発売の新書だ。
一つは『武器防具大辞典』。古今東西、過去から現在、さらには空想上の物までありとあらゆる武器や防具の資料や設定をひとまとめにしたものだ。
もう一つは『SF武器大辞典』。こちらは先ほどの辞典と方向性はおおよそ同じが、SF、つまりはサイエンス・フィクションに特化している辞典だ。
久遠の家にはこれと同じような武器に関する設定集や資料が山のようにある。所謂彼は武具オタクなのだ。ただ、武具オタクと言ってもレプリカやエアガンなどを集めるのではなく、絵や写真、設定などが久遠は好きなのだ。
書店へと通じる大通りをしばらく歩いてやってきたのは自身の家がある閑静な住宅街だった。閑静なというだけあって、車の通りも少なく道路の真ん中を通らなければ危険なんてさしてない静かな場所だ。
その静けさを破るように車のエンジン音が鳴り響いてきた。久遠が振り向くと後ろから小型トラックが走ってきている。若干、スピードは出過ぎのような気もするが、法定速度を守っているので、さして気にもせず久遠は道路の端へと寄った。
普段はさして気にもするようなことはないはずのその行為が致命的なことにつながっていった。
トラックのエンジン音が近づいてきてさらに端へと寄った久遠の耳にけたたましいブレーキ音が聞こえてきた。とっさに後ろを向くと同時に、背後から強烈な衝撃が襲う。その瞬間、体の奥から響く嫌な音が聞こえた。
衝撃に耐えられず久遠の体は若干回転しながら前へと飛ばされる。回る視界の中で見たものは先ほどまで自分がいた場所へと突っ込んでいるトラックと、青ざめている運転手の表情だった。
数秒の空中浮遊を終え、地面にたたきつけられると忘れていたのを思い出したかのように激痛が体中を襲う。激痛とともに体から暖かいものが流れ出る感触が感じられ、すぐに意識は朦朧となり失う。
久遠が意識を失くす直前に脳裏には様々な思いが流れる。しかし、それは今での人生の走馬灯でも、運転手への恨みでもなかった。
「(まだ買ったばかりの武器事典読んでないのに。それにまだ発売されていない設定集が読めないのはすごく残念だ)」
無駄に熱い趣味への思いだった。
◇◆◇◆◇
ここではない、遠く離れた異なる世界。
この世界に住む知性を持つ生きとし生きるすべての者はこの世界を一律として【スラベール】と呼んでいた。世界の果てを知らぬこの世界の者たちは自分たちが住む場所がすべてだと考えていた。そんな、場所の一つ【アーカディア大陸】。大陸の東方の一つの国で新たな命が生まれ落ちた。そして、物語も静かに始まりを告げる。
◇◆◇◆◇
久遠が目を覚ましたのはとある部屋にあるベッドの上だった。起きてすぐは自分が生きていることが認識でずにただ天井を呆然と見据えていたが、だんだんと体に感覚があることが分かってくる。
生きていることは嬉しいが、ここで疑問に思うことが一つ。久遠の記憶ではついさっき、トラックにはねられて自分は死んだはずだ。奇跡の生還を果たしたとかは考えたが、体に痛みなどが全くないことですぐに捨てた。
しかし、体のことを気にした途端、違和感が。とても体が動かしづらいのだ。これは、長い間、寝ていて衰えているのとは違う。衰えたのではなくて最初から足りない感覚。首を動かそうにも全く動かない。仕方がないので目線だけ動かしてみると、すぐそばには一人の女性が船をこいで寝ていた。しかし、見えたのは木の柵越しだったが。
ここでまた、疑問。病院の別途に備え付けられているベッドにはパイプの柵があるはずだが、ここにあるのは木の柵。これで病院だという説は低くなった。
とりあえず、寝ている女性に事情を聴こうとクオンが声を発した時に事件は起こった。
「あ、あう?」
自分の声はこんなにか細く高いものだったのかと思う前に、言葉が出ない。どうやっても出るのは舌足らずを通り越した喋れない状態。
しばらく試したところで喋れないことがちゃんとわかったのでやめる。しかし、久遠の今の状態は何だろうか首は動かないし、ちゃんと動けない。おまけに喋れない。
そこでふと、久遠は思った。自分の状態はまるで赤ん坊と同じではないか。
その思いをまさかと思いながら、思いついたことを試した。それは、大きな声を出すことだ。
しかし、久遠の思いとは違って、出たのは泣き声だった。
久遠の鳴き声で起きたのか椅子で寝ていた女性が慌てて駆け寄ってきた。そして、久遠を軽々と抱えて、あやし始めたではないか。そこで、ようやく自分の体を視界の端にとらえた。それは、とても小さなものだった。これで、決定した。久遠は赤ん坊になったのだ。
事実に衝撃を受けながらも心地よい揺らし方に久遠は眠気に耐え切れずにそのまま眠りに入った。
転生。オタクでならなくてもたいていの人はその言葉の意味を知っているだろう。死して新たな命を貰うことだ。久遠も武器オタクだが、ファンタジー方面にも歩いて程度手を出していたのですぐにわかった。まさか自分が体験することになるとは露程も思ってはいなかったが。それも、前の人生の記憶もしっかりと持ってとは予想外過ぎる。
精神的には20代後半に差し掛かった青年ではあるが、今の体は赤ん坊だ。できることは決まっている。少し起きて食事をして寝る。それでだけでも結構な体力を消費する。ほぼ他人に手伝ってもらっていても。それほどに赤ん坊は体力がないのだ。寝る子は育つというからいいと思うが。
赤子でも考えることは可能だ。精神は20代後半なのだから。
これまで分かったとこを整理していく。
まず、最初に見つけた女性は久遠の母親だった。彼女はこれまた、綺麗な容姿をしていた。青ががった銀髪にいくつもの赤いメッシュが入った髪色。瞳の色は赤だ。女性というよりは少女と行ったほうが正しい風貌をしているのに母親をやっているのはとても驚いたが、それもたまにはあるだろうと久遠は無視した。
しかし、彼女の容姿はここが地球であることの可能性を薄らげた。とても柔和な笑顔を浮かべる母親が髪を地球にはない色に染めたり、カラーコンタクトをして瞳の色を変えているなんてさすがの久遠でも思いたくなかった。
さらに、地球の可能性を薄らげることがまだある。それは言語だ。久遠は学校ではそれなりに優秀だったため、単語だけならかなりの数の言語を理解できる。しかし、母親から発せられたのは聞いたことのない言語だった。そのため、何を言っているのかが全く理解できずに、どうしてほしいか困ったのは新たな思い出になっている。
そして、決定的な出来事がついこないだ起こった。それは夜泣きで久遠の意識が浮上した時だ。今の体は赤ん坊特有のことは久遠の意識と関係なく起きるようになっている。そのため、泣きたくもないのに泣いてしまうのだ。隣のベッドで寝ていた母親がランプに火をつけるときに起こったのがその出来事だ。
何と何もない指先から火を出してランプをつけていたのだ。後から何か捨てた様子もなく、まさに種も仕掛けもありません状態。これは異世界だと確信するのに十分だった。
「(転生先が異世界ってまるでラノベのような展開だな)」
地球じゃないのが分かっただけでもいいのか、悪いのか分からない状態だった。
時間と共にわからなかった言語もなんとなく理解できるようになってきた。
いつも話かれる内容から、彼の名は【クオン】であることが分かった。これまたどんな因果か前世と同じ名をつけられるとはおかしな話だ。
そして、母親の名が【リンナ】。たまにやってくる赤毛の父親の名前はわからなかったが、家族は3人であることもわかった。
言葉が理解できてくると、当然喋りたくなってくるのだが、まだ回らない口で何を言っているのかわからない状態だった。
喋れないということはすごくむずがゆい状態だったので、クオンは努力をした結果、1歳になる頃には無駄に話せるだけの能力を身に着けた。
しかし、幼いせいもあってかクオンはよく眠るのであった。