第二段、『契約と盟約』
本編よりも少し前のお話です。
あの日。
全てを失った。友人、家族、家、富、名誉、名前まで全て失った。失い尽した。ただ残っているのものがあるとすればそれは、命だけだ。本当ならこの命すらも失っていた。
けれど。
「……僕は生きている」
深い森の中で少年は血塗れになりながら、自分が生きていることに泣き叫んだ。体裁など気にしている余裕もなく、涙を堪えるほど心も強くはなかった。ただ、悲しくて、辛くて、苦しくて、悔しくて、ただひたすら泣いた。
声が枯れてしまうのではないかと思うほどに。
「……どうして僕は生きているんだろう」
「なら、殺してあげようか」
誰かが少年に問いかける。
「……疑問を持っていても僕にはまだやることがある」
「矛盾を抱えながらも生きようとするのか。だったら君は生きればいい……醜く足掻いて、生きればいいさ。……喋りすぎたかな」
少年に問いかけていたのは人の形をした何かだった。このときまで少年は亜人種と呼ばれる種族を見たことがなく、彼が何者なのか分からなかった。
「怪我をしているの?」
「ちょっとね。……それにこれは自身の弱さが招いた結果だ。故に甘んじてこれを受ける」
「……ごめん。治癒術使えないんだ」
「気にすることはないよ。君は命が尊いものだってことを知っている。その気持ちを大事にするんだ」
先ほどからこの異形の者が言っていることを少年は理解することが出来なかった。
「……っ!なるほど、ね」
「どうしたの?」
「君は英雄王の子供だね……」
「父様を知っているの?」
少年は自身の父親が英雄王と呼ばれていたことを知っていた。強く、優しい父は少年の誇りだった。
「余と契約しないか?……と言っても余はもうじき死ぬが。それでも彼にはかなりの恩義がある」
「何を言っているの?」
「これは螺旋に刻まれた因果だ。なら余はそれを受け入れる。英雄王の息子よ。力を欲するか?」
「力は欲しいよ。僕に力があればこんなことにはならなかったんだ」
少年は考える間もなく、その問いに即答した。
「ならば授けよう」
そういうと異形の者は自身の瞳に指を突き立て、抉り出す。
「……多少痛いとは思うが」
異形の者は少年の瞳を同じように抉る。少年は抵抗することが出来ず、空洞となった瞳から血の涙を流す。
「……あ、ああああ」
「ごめんね。我……メルト・ハイゼンの名の下に命ずる。血の盟約に従い、彼の者に魔の祝福を与え給え!【名無の魔導書】」
異形の者がそう詠唱すると先ほどまで血が流れていた空洞の瞳には異質な瞳は入っていた。
「……痛みが……」
「君にあげるよ。余の力……その瞳は【名無の魔導書】と呼ばれている魔の祖たる原書だよ。君には使いこなせるはずだよ……英雄王とあの方の子なら」
異形の者は満足そうに笑みを浮かべると身体が少しずつ粒子化していることに気が付いた。
「どうやら、これ以上はこの世界に留まることが出来ないみたいだ。余は常にお前を見守るとしよう」
「待って!名前は!」
「くすっ……。名乗っていなかったな。余は第七魔王メルト・ハイゼン」
「……僕は」
「知っているよ。───」
少年の名前は風で掻き消され、少年に届くことはなかった。