自然主義国家の構想第2報告
==初めに==
まず、これだけは言っておく。これから話す内容については、次のことを絶対的な優先事項とする。
・人類の半永久的な、かつある程度の人口を保った存続。
私が一番問題視しているのは、現代人の、現代人による、現代人のための開発がいかに危険で、いかほど深刻化しているかを知らない、知ろうとしない、知りたくない人間が満ち満ちていることである。
もしくは、知っていても、「別に私たちの世代で お わ り は来ないからどうでもいいもん!」とかいう人間である。私はそういう人に会えば確実に憤慨し、無責任極まりないと思う。もしそういう人に会ったら、哀れな顔を浮かべて「いいや、君たちの世代も、ちゃんと地獄を見るのだよ。」と言ってほしい。彼らは自分たちの孫から、「じいじ(ばあば)は、なんでうちらのことを考えなかったの?じいじ(ばあば)、大っきらい!」といわれる運命なのだ。まあ、それだけで済めばこれほどよいことはないのだが・・・(きっと異常気象や海面上昇が彼らを、私たちを襲う)。
これよりも酷いのが、「エコカー補助金」だの、「環境に配慮した製品です」などという文句を並べて、顧客に良い印象を与えることで商品を買わせる、という手口である。気づいてもらいたいのが、彼らは自然破壊や環境保護に関して、顧客を洗脳、ブレインウォッシュしているのだ。こういう社会の行動が、先にあげたような人間を大量発生させているといっても過言ではない。
どちらの場合でも、彼らには、自分たちが生態系を、すなわち人類の基盤を根本から壊そうとしている張本人だということを自覚してほしい。そのためには、私のような人間が、何らかの大きなショックを彼らに与えることも必要だろう。その面で、私のような人間が後世の人類に対して負う責任は計り知れないほど重い。
では、この文章の読者の方々、これから書かれていることを読むときには、強い衝撃に警戒してください。内容はズバリ、「自然主義国家の建設」。もう衝撃を感じた人もいるかもしれない。すいすい頭の中に入ってくるように書いたつもり(つまり強いのが来る)なので、受け流さないでくださいね(笑)。
==なぜ自然主義国家の建設なのか==
なぜ?上のテーマを読んでそう思った方、積極的ですねー。「初めに」で、絶対的優先事項として、「人類の半永久的な、かつある程度の人口を保った存続」としました。この絶対的優先事項がなかったら、人間何もできませんからねえ。
ここは消去法で考えていこう。
○経済成長は捨てよ!滅びたくなければ。
まず、資本主義(=競争社会)は絶対無理。競争社会にすることで、どんどん自然がむしばまれて行っているのは承知のとおりです。これは、自分が立っている生態系という建物の柱の全てに、ダイナマイトを仕掛けて、爆発させようとしているのですよ。足の骨折っちゃったぁ、では済みません。全身を打撲、それか悪ければ頭から落ちて即死ですね。保険に入っているって言い張る人(いないと思いますが)、「地球環境保険株式会社」なんてありませんからね、多分。
例えはこのくらいにして、自社の発展のために暴走した企業が、どんどん商品を出そうと、その商品の原料を得るため、森を破壊し、原料製造工場を空いた土地に建て、さらに高速道路まで立て、ああ儲かった、儲かった。そしてなぜか、もっと儲けよう、という発想に行ってしまうのですねー。さあ頭の中は金でいっぱいだ。もっと儲けるために、さらに開発を続け、それが繰り返されるのです。
森林は、「打ち出の小槌」ではありませんから、いずれは全滅します。そうなれば土地は痩せ果て、食料生産ガタ落ち、結果、地獄としか言いようのない飢餓の時代が、終わりが見えない災厄の時代が始まるのです。これは絶対的優先事項に当てはまりませんね。
じゃあ社会主義はどうか。一見するとよさそうなのですが、実は意外な落とし穴があるのです。まずは思想の目的から。社会主義の目的は、「万人平等」です。おっ、社会主義って少しはいけるかも、って私は最初に思いました。しかーし、「万人平等」であればいいんです。つまり、国民全員が貧しい農民でも、国民全員がお金に多少余裕のあるサラリーマンでもいいのです。あれ、もし国民全員がお金持ちになれば、当然そこには開発があります。例えばソ連では、「自然改造計画」なんて言う政策もやっていましたねー。あれは結果的に、世界第四の面積を誇ったアラル海の全水量の七割近くを消滅させました。もちろんこの「ソ連式社会主義」は絶対的優先事項には当てはまらないのです。また、ソ連のレーニンの頃の時代くらいが良かったもので、ほかのたいていの社会主義国は、独裁者の欲望のための制度になり、崩壊していきました。それに、その社会主義体制が崩壊すれば、たいていは資本主義の国へと生まれ変わるのです。人々は、なぜか資本主義に、ブラックホールみたいに吸い込まれていくのでしょうねぇ。一線を越えたら、戻ってこられないのに…。
ならば毛沢東思想はどうか。文化大革命の時期は、酷い弾圧もあったようですが、当時を知る国民は「あの時は幸せだったなー」という人もいるそうで、最初私も「いいかなー」とは思いました。しかーし、毛沢東思想の目的は、「中華人民共和国の発展」なんです。「発展」されたら困るのですねぇ。
結局社会主義もだめという風になりますが、例外があります。「エコ社会主義」というものがあるのです!これは私の考える自然主義国家とかなり似ている。二本の平行線のようにかなり似ている。しかし少し私の理論とは異なるので、ここでは述べません。
これで、資本主義と社会主義は、結果的に人類を滅ぼしてしまうということになりました。ところで、この二つの、ぜんぜん違うような思想ですが、実は同根なのです。えー!はい。同根です。この二つの思想は、もともとは人権思想から来たものなのです。この「人権思想」、実は自然主義を考える上では厄介者なのです。これについては、次の章で詳しいことを話すとしましょう。
では話を戻して、資本主義と社会主義、この二つはどちらも「文明の発達」もしくは「経済成長」が目標なのです。これでは、文明が発達するのに伴って発生する生態系の破壊は避けられません。しかも、現在の文明のレベルにおいても、環境破壊はすさまじい勢いで進んでいるのです!これはもはや「退化」が必要なのかも知れません。え、でも、100%リサイクルの社会にすればいいじゃないか、そういう人もいるでしょうが、一人っ子政策や社会保障の停止でもしなければ、人口は増え続けるので、新たに開発がおこなわれるのです。結果、資本主義と社会主義(≒経済成長)は、次世代の国家の政治体制としてはふさわしくないと思います。
○一般国民の限界
さて、資本主義と社会主義という、20世紀の2つの大きな政治思想が消されました。次は何が消えるのでしょうか。なんと、「民主主義」なのだ。ただし条件付きで…。
ふざけるな、民主主義がなぜ消える!そう思う人が大多数でしょう。しかしご安心を。民主主義が消えるべきなのは、「国民の意識と地球の現状との相違」がなくなるまでの間だけです。これが条件の一つ。
では説明しましょう。もしこれからずっと一般国民による民主主義が続いたとすれば、多くの国民は、今まで通り、社会保障(生活保護)をしっかりととり、経済成長を推し進め、自国の発展のために尽くす人間を、自分たちの代表として選ぶでしょう。こうなれば、前の節で述べたことになると思われます。結局、「民主主義が人類を滅ぼす」という事態になりかねないのです(これはあくまで私の妄想ですが)。ま、「国民の意識と地球の現状との相違」がなくなればいいのですよ。そうすれば、皆が環境のことを考えた政治を行うでしょうからね、多分。
○結局何が重要なのか
まさか民主主義が消えるとは思わなかったでしょう、皆さん。強い衝撃に警戒するのはここでいったんやめにして、今までのまとめをしてみましょう。
まず、資本主義と社会主義のところです。ここでは、「文明の発達」や「経済成長」を目的にすべきではない、ということになりました。しかも、現在の段階でも環境破壊はどんどん加速しているので、「退化」が必要なのではないか、と私は考えます。いえ、ひょっとしたら、「退化」することが「進化」なのかもしれません。
次に、民主主義の一時撤廃のところです。ここでは、「国民の意識と地球の現状との相違」を解消することが重要だ、と説きました。つまり、地球上の全人類に、我々の母体たる生態系がいかにもろいのか、そして発展の先には地獄があるのだ、という意識を植え付ける必要があるのです。民主主義という高次すぎる態勢はそのあとです。
つまりは、文明を「退化」させ、民主主義を「停止」し、その間に全国民、いや全世界の人類に地球の現状を説く、ということが必要だ、私の結論はそうなり、これを、資本主義や社会主義になぞらえて「自然主義(ecosystemacy, 直訳すれば、生態系主義)」と命名しました。
では実際に、その「自然主義」とやらがどういうものなのか、実際に見てみましょう。また、一部常識から逸脱している部分がありますので、ご注意ください。
==自然主義国家==
まずは、「自然主義」という名の根拠から。
○人類は主権者じゃない?
そうなのです。人類は主権を持っていないのです。はあっ、じゃあ誰が持っているのか?ズバリ「自然」です。それこそが「自然主義」という名称になったゆえんなのです。理由は、前章であげたとおり、人類が政治を行えば、大変な事態になるからですねー。
おいおい、自然がどうやって政治をするのかよ、はっはっは。実は、自然が政治を行うともちろん、自然(生態系)は政治をすることはできません。なので、代わりに「自然府」という組織が、自然(以後、主権者とする)の代理として主権を行使するのです。日本の政治でたとえるならば、内閣と国会を合わせたようなものです。
自然府はとても大きな権限を持っており、予算の編成及び承認、法度(今でいう法律)の発布及び施行、外交全般など様々です。しかし、これらの政治活動全てを行う際は、絶対的優先事項を実行するために、常に主権者の立場に立つことが求められます。もちろん、前章で述べたように、文明の退化と、環境教育を心がけるでしょう。
さて、その自然府、先に述べたように民主主義の観点から国民の選挙で議員が選ばれる、なんて言うことはもちろんありません。ではどういう仕組みで動くのか、説明しましょう。
あっ、独裁ではないのでご安心を。
自然府のトップは、「最高責任者」と呼ばれる「三人の」人たちです。えっ、三人?そうなんです。政府一のお偉いさんは三人いるのです。これには、最高責任者が独裁的になるのを防ぎ、さらに三人分の意見を交えて政治を行えるという効果があります。最高責任者の次のお偉いさんは、「副責任者」という「六人の」人たちです。また複数形になりましたが、この理由についてはのちほど。基本的には、最高責任者と副責任者の計九人が、国の立法及び行政を行います。三権分立など完全に無視されていますが、これで大丈夫な理由ものちほど(のちほどって多いな~)。この9人からなる、自然府の中にある機関を「枢要院」と呼んでいます。この枢要院が、国政を担う事実上の主権者となります。
その下で働くのは、「自然府官吏」という、政治の実務を担う、日本で言えば「国家公務員」のような存在です。自然府の政治は、この二者で行われます。
では、枢要院と自然府官吏の人間は、どのようにして選ばれるのか。もちろん選挙じゃありませんよ。
まず、枢要院の人間は、全て自然府官吏の中から出てきます。自然府官吏になるには、枢要院が催す面接試験で合格する必要があります。技能や知識は必要ありません。後から学べばどうにかなるでしょうから。必要なのは「やる気!!」と「禁欲」と「洞察力」だけです。老若男女問わず、その3つさえあればいいんです。
さて、自然府官吏になった人間は、枢要院から何か仕事を与えられます。それを一生懸命、ほとんど給料なし(衣食住は最低限を予算から捻出)でがんばるんです。辛そうですねー。しかも、婚姻、交際(同性愛も)はご法度です。(!!!)。逆にいえば、これだけの熱意が必要なんですねぇ(悲)。あっ、退職すればもちろんできますよ(ホッ)。
そしてもう一つ、自然府官吏は、最高責任者からの指導を受けます。おそらく枢要院の主催で学習会も開かれるでしょう。そこで最高責任者らから、職務時の心構え、及び執務のテクニックなどを教えます。教わる自然府官吏たちからいずれは枢要院に入る人が出てくるので、「枢要院次第で国が変わる」というわけです。
では、その名のごとく、責任重大な、最高責任者になるには、どうすればいいのか。まずは「副責任者」になりましょー。副責任者は、自然府官吏全員の中から、投票で6人が選出されます(もちろん得票の多かった順で)。副責任者は、おもに最高責任者の補佐をします。そして、最高責任者から直接(!)指導を受けることができるのです(半強制)。しかるべき時が来た時、最高責任者たちに気に入られた3名が、次の最高責任者となるのです!!えっ、なれなかった人?それは「初心を忘れずに」ということで、また自然府官吏に戻されてしまうのです(悲)。
あっ、いうのを忘れていましたが、自然府は独自の「領土」を持っているのです。国土の中に、ですよ。その面積は、なんと国土全体の約7割!そしてその中には何があるのかというと、「主権者(自然)」のみで、ノーピープル(無人)です(!!!)。これを読んで「もったいなっ!」と思った人もいるでしょう。これは主権者を、人類の侵略から守るため、及びあの二酸化炭素を吸収してもらうためです。我々はこの領域を「自然領(正式には主権者直轄領域)」と呼んでいます。入域したら現行犯逮捕なのでお気をつけて。
ちなみに、誰がその逮捕を行うかというと、「防衛軍」と呼ばれる、枢要院直轄の「軍隊」です。軍隊といっても、その主な任務は自然領の警備なので、そう怖がらないでくださいね。あっ、場合によっては、敵が攻めてきたときに防衛に徹することもあります。
ふー、やっと自然府の説明が終わりましたね。え、これでこの章は終わりなのか?いえいえ、まだあと2つほど残っております。頭がくらくらしてきたら、少し休んでくださいね(笑)。あまりにも考えすぎたら、不幸になりますよ(悲)。
○中央政府の監視役
さて、自然府がかなり強大な権限を持っているというのはよくご理解いただけたかと思います。となると、かなりの確率で、俗に言う「独裁者」なる人物が登場するんじゃないのか、という疑問が浮かぶはずです。まあ、本当に地球の未来のことを考えている人ならば、私利私欲に目が向かないだろうとは思いますが…。もしも独裁者が出現したときの為に、もしくは出現させないために、ピリピリっと、自然府を監視する人たちがいれば、安心ではないか?そこで登場するのが、「中立府」という組織です。
中立府は、自然府と比べれば簡単な組織で(自然府の仕組みも結構簡単ですが…)、おもな内部機構は2つしかありません。ズバリ、「評議会」と、「中立軍」です。今度は頭がくらくらすることはないでしょう。
ちなみに、中立府も、自然府と同じように、独自の「領土」(中立領)を持っています。しかしその割合は、全国土の5~10%ほど。といっても、長野県とほぼ同じ大きさです。
では、「評議会」の説明に入りましょう。評議会は、一言でいえば、自然府が私利私欲に暴走したり、言論弾圧を行っているか否かを判断したりするのが仕事です。もしも自然府が暴走していると判断した場合には、自然府にそれを警告し、それでも聞く耳を持たない場合は、中立領の外を含めた全国民に、自然府打倒を呼びかけるのです。そこからが「中立軍」の仕事なのです。
「中立軍」は、原則として、評議会委員を除いた中立領在住の全ての成人男子が加入します。彼らは普段は、他の国民同様農作業などを営んでいますが、もし上に書いたような事態になった場合は、蜂起した国民の先頭に立って自然府打倒を進める、いわばヒーロー的存在になります。
中立領においては、評議会が大きな権限を握り、それはたとえ自然府でもなかなか犯すことはできません。その代わり、中立府は自然府からはほとんど何らかの支援を受けることはできません。しかし、外国から何らかの勢力が侵攻してきたり、もしくは国内で大規模な反乱がおこったりした場合には、自然府と協力してその勢力を討つのです。
日本が自然主義国家となった場合には、天皇を含めた朝廷が、中立府の役割を担うのもいいですね。
○領土がまだ25%分残ってるよ?
あっ、そうでした(笑)。今までクソまじめに書いてきたのは、まあ、政治システムだの自然府だのその監視人だのと、一般国民にはあまり関わりのないようなことでしたが、これから話す、その領土の残り35%の部分は、国民に最も深くかかわる部分、「村」です!!
まず、今現在、日本全国にあるような都市、っていっても、弘前とか横須賀とか呉とか言った地方都市も含めますが、自然主義が現実のものとなれば、文明を「退化」させるという名目のもとで、そのような都市は解体されます。そして、村になるのです。ここでいう村というのは、今みたいに境界線が決まっていて、村議会があって・・・、とかいうような規則正しいいわゆる「行政村」ではなく、そこの住民が自分たちの共同体として自主的に作り上げた「自然村」という、一種のコミュニティーです。一言でいえば、「江戸時代の百姓たちの村」っていう感じでしょうか。
この自然村(以下、村とする)には、年貢の徴収を除いて、自然府の権限はそこまで及びません。そして、その村の自治体系は、住民自ら決めることができるのです!・・・あまりピンとこないかな?ほら、今の村といえば、村議会があって、議会議員は村民の選挙で選ばれ、議会と首長が協力して村を運営する、といった感じですねぇ。単純にいえば、その村一つ一つが「州」のようなものです。しかし自然主義化されれば、たとえ村が今の議会制度のままでも、絶対君主制でも、長老制でもいいんです(驚)。しかも軍隊だって持つことができます(民兵団)。ただし一つだけ条件が。それは「村民の多くが幸せであること」。それだけです。その詳しい理由については、次の章で説明しましょー。
村では、農耕や畑作、その他の伝統工芸など、昔ながらの生活が営まれ、家族みんなが肩を寄せ合って暮らしていることでしょう。その暮らしが良いのか悪いのかの判断は、皆さんにお任せします。
ふー。これでやっとこの章の説明が大体終わりましたねぇ。頭が痛くなった人は休んでくださいね(笑)。
==阻む壁はもろい?==
○壁その壱、人権思想
皆さんは、「人権」と聞くと、何を思い浮かべますか。平等権とか、自由権とか、プライバシーの権利とか・・・。考えてみたらいろいろな人権がありますね。そしてそれらの人権の多くが、日本国憲法によって「保護」されています。皆さんの多くが、人権は正義だ、とお考えでしょう。人権は、全ての人間に備わった権利だ、と主張する人も大勢います。そして私は、今からそんな常識を打ち破ります。
よくよく考えてみてください。人権が正義だ、なんて誰が決めましたか?人権が全人類に備わっているなんて言う根拠はどこにありますか。ヒトのDNAに、人権に関する遺伝情報が書き込まれているんですか。そう、よくよく考えれば、人権=正義だなどという根拠はどこにもないのです。正義だと主張する法律や条約も、それ自体の正当性は不明なんです。