85 バージョンアップ
本日はドラゴン狩りの日であった。少し早く起床し、朝練をこなして〈妖精の輪〉へ。今回の個人的なテーマは、『一拍子の動き』を使えるようになっているか、それをドラゴン相手に試してみることである。
まだ、たった4度目の遠征でしかない。……でしかないのだが、そうとは思えないような、こなれた感じになって来ている。ジンからは「油断して、うっかりをやらかすんじゃないゾ」と釘を刺されていた。
戦闘回数自体は、昼過ぎの時点で既に8戦。これまでの遠征の分をすべて合計すれば50戦は越えているだろう。今回の勝率(倒しきった率)は少し下げていた。原因はその一拍子の動きのせいで、意識しすぎたためか、残念な結果であった。
今回のMVPは石丸だろう。これまでのドラゴン戦では、魔法を使う回数は少なく限られていた。これは魔法使用時にドラゴンからの攻撃を受けない様に、チャンスを見極める必要があったからだ。
ステップキャンセル(ステキャン)を利用できるようになって、どう変わったのか。当然のように魔法使用のタイミングがかなり緩くなってくる。ダメなら途中で回避に転じればいい。(厳密には魔法の効果発動前後にキャンセル不能になる時間帯があるらしく、キャンセルするにも早めの見極めが必要、とのこと)
石丸がそうして気軽に魔法詠唱を始めれば、今度はジンやレイシンが『魔法を使い切れるように』と、フォローするようになっていった。
石丸は性格が合理的で判断が早く、それは同時に諦めが良すぎることを意味する。無理はせず、さっさとステップでキャンセルしてしまうのだ。そのお陰で勝率は安定するものの、こちらからすれば「もう少しだけ粘れば、今のタイミングならイケたんじゃ?」といった感覚になり易い。普通のプレイヤーなら悩みそうな状況であっても、『実はAIなのでは?』と疑ってしまうほどに悩まない。このためジン達は逆に、石丸に最後まで魔法を使わせるための工夫を始めてしまっていた。石丸側の条件設定が一定であるのなら、周囲がそれに合わせて工夫すれば良い、となる。いわゆるゲーマー魂が、こうして『攻略』を始めるのだろう。その気持ちはとてもよく分かるものだった。
結果、ステキャンの使用率はおさえられ、攻撃魔法の使用回数が増えていった。
魔法攻撃のダメージが増えれば、戦闘の効率もアップする。石丸のジュークボックスという技は『2回目以降、魔法の再使用を短縮する』という長期戦向きの技なので、散発的に魔法を使っているように見えても、再使用時の回転率はあがっていた。
これをドラゴンから見れば、ジンがヘイトを集め続けている後ろから、石丸が攻撃魔法を連打してくることになる。全体を巻き込むような攻撃を使って石丸を止めなければ、一方的に攻撃され続けてしまうことになるのだ。
ドラゴンの大技を誘いつつ、キッチリと防ぐ、大技が終わった直後の大きな隙を利用して集中砲火でダメージを積み重ねていく。これらがハマると敵が可哀想になるほど一方的な展開になることもある。
ステキャンは地味な技術ながらも、ドラゴンと6人で戦っている〈カトレヤ〉にとっては、戦術のバージョンアップを発生させるブレイク・スルーになっていた。
夕暮れが西の峰によって遮られ、周囲が薄暗くなって来たのを見計らい、帰還呪文を使ってシブヤへ。だがこうして戻ってみると、まだ夕暮れのオレンジの光がまぶしい程に輝いているではないか。もう一戦いけただろうか?と勿体ない気持ちに駆られてしまう。この日没の差は地形効果によるものなのか、それとも〈妖精の輪〉で飛んでいる場所との時差によるものなのか、そんな事を思う。
人気のないシブヤの街を歩きながら、ステキャンの話をジンに振ってみた。
ジン:
「まぁ、葵の考えることだしなぁ」
そんな調子で、意外にも反応が薄い。続きの言葉を促すように待つ。
ジン:
「……思い付けば誰でもやれるような基幹的というか、基本的な技術だから、影響が大きいんだろうな。こういう、まるで始めからあるのが当たり前に感じるようなものは『強い』んだよな」
シュウト:
「もっと防御的なテクニックだと思ったんですけど、結局は攻撃力が大幅に上がってたりとか……」
『葵ならこのぐらいは当然』という気持ちなのだろう。口喧嘩で相手をバカにするのもしょっちゅうなのに、だからなのか、あえて誉めなくてもいいと感じさせる信頼感というのか。付き合いの長さ、年季によるものもあるのだろう。
ギルド近くの道路に落ちたままになっている『大きな瓦礫』が見えて来た。ここまでくれば〈カトレヤ〉はもう目の前だ。
ジン:
「……そろそろ、次のステップに進んでもいいかもな」
ユフィリア:
「次のステップ?」
ジン:
「うむ。ダンジョン探索だ」
シュウト:
「ダンジョンって、行くつもりあったんですか?」
ジン:
「当たり前だろ」
ニキータ:
「でも、なんだかそれじゃドラゴンと戦うよりも、ダンジョンに挑む方が、まるで難しいみたいに聞こえるんですが……?」
ジン:
「あれっ、マジで言ってんのか? 基本の戦闘が出来なきゃ、ダンジョンなんか挑戦できる訳ねーじゃん。常識だぞ」
ユフィリア:
「そうなの?」
シュウト:
「うん。それは、そうなんだけど……」
ジンの言っていることは、ほとんど正しい。問題は、考えている規模とかスケールとかだったりする。大抵の6人パーティー向けダンジョンの難易度などはたかが知れている。ドラゴンとの戦闘がこなせなくたって別に何の問題もないのだ。しかし、通常戦闘のランクをドラゴン戦を基準にしているとなれば、それはつまり、かなり高難易度のダンジョンに挑むことを考えていることになってくる。
シュウト:
「ハイエンドのコンテンツに挑むつもりなんですか? 僕らは、たった6人なのに……」
ジン:
「おまえ、本当はバカなのか? そのたった6人でドラゴンを倒して来たばっかりだろうが」
シュウト:
「そうです、けど……」
その本当の難易度を、つまらないミスで全滅するような難易度のクエストを、はたしてジンは知ってて言っているのだろうか? 知らないで言っているとはとても思えない。もし知らなかったとしたら、とっくにハイレベルダンジョンに突撃して、何度も全滅していただろう。
ジン:
「レギオンレイド系の奴とかは、最小人数に決まりがあったら6人じゃどうにもできないかもわからん。フルレイド系でもダンジョン深奥部でパーティを分割しないと先に進めないような状況もあるかもしれん。……だけど」
身軽な調子でヒョイヒョイと大きな瓦礫の上に飛び乗り、振り返るジンだった。夕焼けの光を背負い、ちょっと逆光になり、その表情は見えにくかった。
ジン:
「本当に帰りたいのだったら、ダンジョンにだって挑まなきゃ嘘だろ?」
オレンジの光を炎のように纏い、傲然と言い放つ。その姿を、憧れにも似た気持ちで見上げている自分を見つけた。
……どこか、自分の中のどこかで、守りに入ろうとする気持ちがあったのだ。今日のようにドラゴン狩りをして、お金を貯めて、アキバに引っ越して、鍛錬して、実力をつける。そんな日々を繰り返していければ、それでいいと思い始めていた。以前にも、ドラゴン狩りを始める時に感じたものと同じだ。あの時だって、ドラゴンと戦うのなんて無理だとしか思えなかった。今は、そりゃ時々は逃げられてしまうけれど、普通に倒せるようになってきているではないか。だから今度だって、きっと何とかなってしまうのではないか? そんな気がした。
シュウト:
(いや、違う。自分がもっと強くなって『何とか』すればいい……)
頭を振って、自分の内のお客様指向の無責任感覚を強く追い払う。
そもそも、『本当に帰りたいです』でも、『ダンジョンは怖いからパスします』なんて考え方はあり得ないのだ。ちゃんと戦えるようになったら、ダンジョンにも挑戦する。それが当たり前ではないか。実に、ジンらしさそのままの『順番通り』でしかない。現実世界に帰還するための方法やヒントを見つけるには、そうやって地道に調べていく他にないのだから。
やがては〈ノウアスフィアの開墾〉で追加されている可能性のある最新コンテンツを見つけて、挑戦することにもなるだろう。レベル100が前提となった、真のハイエンド。だが、それが何の問題だというのだろう。現実世界に帰還するつもりならば、挑む他に道などないではないか。
ジン:
「おまえ等の装備も、そろそろ強化していきたいしな」
ユフィリア:
「うん。ダンジョンも行く! ドラゴンも倒しちゃう! 新しい装備もほしいし、美味しいものもいっぱい食べたいよっ!」
瓦礫の上に駆け上がり、欲張りユフィリアさんがキラキラ状態で叫んでいた。
ジン:
「そうだ。俺たちがやらねば、誰がやる! よーし、夕日に向かって『悪の高笑い』をやるぞっ! はーっ、はっはっは!!」
ユフィリア:
「はーっ、はっはっは!」
ジン:
「もっと腹から声を出すんだ! 世界は俺たちのモンだ! はーっはっはっは!!」
ユフィリア:
「はーっ、はっはっは!!」
ジン:
「いいぞ、そうだ! はーっ、はっはっは!!!」
二人して夕日に向かい高笑いの練習を始めてしまった。世界は今、あの二人のものに違いない。
盛大なため息を吐いていた。自分がこれまで頑なに、大切にしていた何かを諦めようとしているみたいに。
それと同じく傍らのニキータが額に手をやって頭痛を堪えているかの素振りをしているのに気が付く。
シュウト:
「でも、まぁ……」
ニキータ:
「そうね」
そんなに、悪くもないのだろうと思う。
◆
ユフィリア:
「ただいまー!」
葵:
「おかえり~。……なんか今、そこら辺で高笑いしてるバカが居なかった?」
ジン:
「知らねーな」
どうでも良さそうに、あっさりスルーしてしまうジン。笑ってしまいそうだった。余計なことは言わないでおく。
葵:
「んで、あの後はどうだった?」
ユフィリア:
「何が?」
ジン:
「いや、ダメだった。次回に持ち越しだな」
葵:
「あっちゃー。マズいねぇ」
ジン:
「ああ、完全に予定が狂った。これだと明日のプレゼント攻撃の威力も1/10以下だろうな」
シュウト:
「えっと、何の話ですか?」
荷物を下ろしてカウンター席に座るジンは、葵に冷たい水を要求していた。
ジン:
「ん? おまえのレベルをアキバ最速で91にしちまう予定だったんだが、今日は巧くいかなかったなって話だろ」
シュウト:
「何の話ですか?! 聞いてませんよ、そんな事!」
ジン:
「そりゃ、言ってないし。……言ってたって、ホレ、おまえの性格だとメンド臭そうだし」
あまりに唐突な展開だったが、性格うんぬんを持ち出されると、まるで反論できなかったりする。ゴネたところで、有無を言える立場にもない。レベルが91に上がって、どんな文句をいうつもりだというのか。
葵:
「ありゃー、アキバにニューヒーロー誕生の予感かと思ったんだけどなー」
恐ろしく勝手な言い分だ。確かに、宣伝効果のためにレベル91にしてしまう予定だとニキータから聞かされてはいたけれど、それはたぶん彼女がこっそり教えておいてくれたものだろう。しかし、アキバ最速だとかまでは聞かされていない。彼女らの様子からして、向こうもそこまでは知らなかったようだ。ジンが開示する情報を限定していたのに違いない。
ジン:
「次のドラゴン狩りっていつだ?」
石丸:
「次は5日後っス」
ニキータ:
「ここのところ4日ごとだったのに……」
ジン:
「結構、間があいちまうか。他のギルドはどうなってる?」
葵:
「〈D.D.D〉と〈ホネスティ〉、〈西風の旅団〉は完全に脱落でしょ。リードしてた〈黒剣騎士団〉も今回の騒動でブレーキが掛かったんじゃない? 〈シルバーソード〉は情報が取りにくいんだけど、展開的に逆転するかも」
シュウト:
「そういえば、もうすぐとかって言ってたような……」
葵:
「なになに?〈シルバーソード〉の内部情報ってこと?」
シュウト:
「えと、はい」
葵:
「さっすが、元メンバー!頼りになるぅ」
……考えてみると、副隊長の前では自分には関係なさそうな顔をして話を聞いてしまっていた。『その内に追いついてみせる!』ぐらいのつもりしかなかったのだが、思いっきり当事者だったらしい。
円卓会議が設立される前から〈黒剣騎士団〉と91レベル到達を競っていたことはもちろん知っていたし、自分も競争に参加していたぐらいだ。なのに、ここで抜き去って先に91レベルになってしまうということは、裏切りめいたことになりやしないのだろうか? だが〈シルバーソード〉の副隊長と会って、そんな話をしていたことは微妙に説明しにくい。
この辺りの『顔にでないように』という情報操作・制御はジンや葵の思惑がピタリと的中していたことになるのだろう。先に91レベルに到達する気で居たとしたら、副隊長の前で自分がどんな顔をしていたか分からない。
シュウト:
(ジンさんだったら……)
ジンだけなら相談しても、まるで気にしなさそうな気がする。しかし同時に『おまえ、シルバーソードに戻んの?』などと軽ーく言われそうな気がして、そんなところで腹が立ちそうな気がした。もう戻ろうなんて気はサラサラなくなっている。
……だいたい、悪いのは事情を説明せずに黙っていたジンの方であって、自分は悪くないはずではないか。それなのに自分が悪かったことにされそうなので、なんとなく却下することにした。ジトっとした目でジンの方を、睨むでもなく見る。
ジン:
「なんだその目は?」
シュウト:
「なんでもないです」
ジン:
「どっかレベル上げできそうなポイントにいくか? それこそダンジョンとか?」
シュウト:
「それだったら、居残って一泊して、ドラゴン狩りを続けた方がよかったんじゃありませんか? 今日中なら〈妖精の輪〉からもう一回飛べたりするのでは?」
石丸:
「3時間後にもう一度飛べるっスね」
まだ真夜中の戦闘には耐えられないと判断されているため、夕暮れの時刻に帰って来ているのである。別のダンジョンなどを今から考えるぐらいなら、月齢の変化していない今日の間にもう一度移動して、明日の朝までキャンプし、また朝から狩りを続ける方が良さそうな気がする。
ジン:
「最初の時のパターンだろ? あれは、まともに倒せてなかったから成立したんだ。今は倒し切る数が増えてっから、リポップまでの時間を計算しなきゃならん」
葵:
「ウロついてもエンカウントしなきゃ、戦えないわな」
シュウト:
「もうすこし別のポイントまで足を延ばすのなら?」
ジン:
「ハイリスクでローリターンだろ。敵が弱ければ意味がないし、強すぎておまえが乙ったら経験点をロスすることになる。そもそも、勝てるって前提で考えてんじゃねーよ」
シュウト:
「そう、でした……」
現在はドラゴンからの攻撃を、どうにか避けたり躱したりできるようになって来ている。その結果、ジンが攻撃に手を回せるようになり、倒し切れるようになっていた。もっと強い敵と戦うとなると、またジンがフォローに回らなければ自分たちは死んでしまう可能性がある。そうなった場合、倒し切るのは難しくなるのだ。それどころか、生き残れるのかどうかも怪しくなってしまう。ドラゴンならば、これまでの経験でどうにかなるような気がしても、出てくる敵がドラゴンだなんて決まりはない。仮にドラゴンだったとしても、2頭や3頭に同時に襲われたら、かなり厳しい戦いになってしまうだろう。
シュウト:
「ですが、今回は多少の無茶でも、やってみるべきじゃないでしょうか?」
ハイリスクに怯んでやめてしまってもいいのか?という感覚的な拒否感があった。そもそも〈冒険者〉とは、無理をするのが商売ではないのだろうか? ハイエンドを目指すという事は、無理を覆すことが前提なのだ。
ジン:
「無理・無茶・無謀の3点セット。ピンチに強くなるには、沢山のピンチを経験しているべき、ってか?」
シュウト:
「はい」
まさに、その通り。いわんとしていたこと、そのままズバリだった。やはりピンチを乗り越える力を養わずに、本当の強さなど手に入らないと思うのである。
ジン:
「答えはノン!だ」
シュウト:
「ちなみに、どうしてですか?」
ジン:
「ピンチに強い土壇場エースって奴はだなぁ、ピンチを経験させる程に遠ざかって行くものだからだ。ピンチになると分かってくると、人間ってのは土壇場になるまで本気を出さなくなっちまう。体力を温存して、力をセーブする癖がつくんだよ。土壇場で本領発揮!とか言えば聞こえはいいが、普段の能力が下がるんじゃダメだろうが」
葵:
「なーるほど、ザ・ワールド。耳が痛いスペシャル」
ジン:
「締め切り間際の作家が缶詰ってから本番!みたいなのはなるべくさけるべきなんだ。おじさん的には、お前らには普段から全力が発揮できるように育ってほしい。残業タイムになってから本気だす社員は、長期的な視点で見ればダメダメだからだ。……ぐはぁ!」(←大ダメージ)
ユフィリア:
「夏休みの宿題を8月31日にやる人も?」
ジン:
「…………その辺も耳の痛い話だが、もちろん、好ましくはない。
真の土壇場エースって奴はな、ピンチになるほどに、体を柔らかくゆるめられる人間のことを言う。ピンチに対処するには、結局、体をゆるめるしかないからだ。『ピンチでこそ笑え!』みたいなのも、同系統の解決法だ。脱力が進めば反応速度が上がる。リラックスすれば呼吸が深くなり、脳に酸素が回って思考力が改善する。視野も広くなって対応力が上がる。そして何より、ゆるめばゆるむほど、全身の細胞が活性化する。センサーとして機能するようになり、体力も回復しやすい。
そうした土壇場で体力や集中力がなくなってくると、段々と雑になってしまうものだ。だが、ピンチに打ち勝つには、ピンチになるほど、正確で精密な操作が要求される。だから、体力を残しておこうとしてしまうんだ。体力を温存すれば、ゆるめなくても何とかできるかもしれない、ってな。だが、それだと本当には『ピンチに強い』ってことにはならねーんだよ。
んなことも理解できてないのに、土壇場に放り込めばなんとかなるってか? 根性論に夢みるのもいい加減にしとけっつー……」
シュウト:
「申し訳ございませんでした」
反論して勝ち目があるわけもないので、もう素直に頭を下げる他にない。たぶんピンチ慣れすれば、ピンチ状態でもリラックスできるとか、その程度のことだったのだろう。
ジン:
「そもそも、集中力に対して幻想を持ちすぎなんだよ。あんな野生時代の戦闘モードじゃ……」
葵:
「まーまー、急がば回れっていうし、いいんじゃない? 帰ってきたばっかで、みんな待たしてるって」
立ちっぱなしの仲間たちを見回して、ジンが矛を収める。
ジン:
「…………だな。とりあえず解散だ。お疲れさん」
◆
夕飯の準備が出来るまでにやることが残っている。まず倉庫に行ってドラゴンから剥ぎ取った素材の片づけからだ。ドラゴンを倒す数が増えて来ているので、6人のマジックバッグに入る限界に近くなって来ている。この辺りはそろそろ手を打たなければならないだろう。
その後は自分の部屋に戻って荷物を整理したり、楽な格好に着替えたりするのだ。食事を終えたら、その後はたぶん恒例のお風呂の日になるはずだった。そこらを歩いているニキータなどは、今からもうフワフワしている。期待感で5ミリほど浮きあがっていた。
ジン:
「ごはん、まだー?」
レイシン:
「まーだだよ♪」
ジン:
「がっくし」
厨房から懐かしいセリフで返事をするレイシンだった。ジンはカウンターの気分のようで、そのまま机につっぷしている。
相変わらず面白い人達だなぁと思いつつ、食事までに疑問を解消しておくことにした。
シュウト:
「ジンさん」
ジン:
「……なんぞ?」
シュウト:
「矢が、こう、ピタッと狙った所に行かなくなったんですけども」
葵:
「そうなんだ?」
暇そうな葵も会話に参加するつもりのようだ。頷きを返しておく。
ジン:
「弓術のことはワカランのでパス」
葵:
「じゃあ、おねーさんが相談に乗ってあげようじゃないの」
シュウト:
「えっ? 葵さんって、弓道の経験者なんですか?」
葵:
「まさか、まったくのゼロだお」
ジン:
「それで何の相談に乗るつもりだったんだ、お前は」
葵:
「悩み相談ならプロみたいなもんですよ。〈占い師〉だかんね」
ジン:
「サブ職の話だろ?」
葵:
「そうだけど?」
かみ合っているような、かみ合っていないような会話だった。ただの暇つぶしなので、別にそれでも構わない。
ジン:
「あー、でも、関係なくもないか。『放し』と『放れ』の件で、受動のすっぽ抜けのことは教えたよな?」
シュウト:
「はい。アレのおかげで動きながらの命中率が上がってると思います」
ジン:
「そっか。まー、基本技術はさっぱり知らないんだけど、あの先は心法と言われる領域になるらしいんだよ」
シュウト:
「しんぽう、ですか?」
葵:
「しんぽうタマラン!」
ジン:
「黙れアホちび。……心の有り様っていうかな。俺の専門は意識操作だけど、微妙に圏外な分野だ。当たると知っているから当たる、とかって」
シュウト:
「はぁ」
葵:
「さっぱりわからない」
ジン:
「たとえば、弓が当たるまでには様々な諸条件があるわけじゃん。風の強さや的までの距離、的の大きさ、障害物の有無、矢の完成度、弓の重量バランス、力のこめ具合、放れ……」
シュウト:
「それは、なんとなくわかります」
ジン:
「で、人間の自覚的な操作能力だと、ある程度から先は『もう無理』ってなっていく訳だ。運ゲーじゃね? みたいな」
シュウト:
「そうなんですか?」
ジン:
「網の目が大きければ、水とか、粉、ゴマ粒なんかは通り抜けてしまうだろ? それと同じで、どんだけ頭がよかろうが、集中力が高かろうが、人間のフォーマットじゃ無理って水準で操作しなきゃならなくなる。これは弓だけの話じゃない。武術全般、それどころかある程度の水準に達したすべての分野で、人間であること自体が障害になってくるのがパターンなんだ」
シュウト:
「それって、どうすればいいんですか?」
ジン:
「とりあえずは無意識を使っての操作だな。細胞だのの生命体レベルだと、網の目は極めて細かい。水すら通さないかもしれないぐらいなんだ。しかし、そのレベルの情報ってヤツは、人間の自意識で感じ取るのが困難なことになってる。情報取得を阻害しているフィルターを外せたとしても、無価値なゴミ情報が山を作ってるから、逆に面倒、とかがいろいろあんだよ。
達人だのは、そういった意識の端にすらのぼることのない情報まで処理して、当てることを追求するわけだよ。しかし、これは精神状態にかなり左右されてしまうものなんだ」
葵:
「だから心法ってのが出てくんのか」
ジン:
「弓道で『それ』をどうやってるかは、まったく知らんけどな」
シュウト:
「当たれ!とか念じればいいんですか?」
ジン:
「表面の思考はさほど重要じゃない。問題は土台になってる『支える思考』の方だ。某勇者王ボイスで『当てたい!』とか『絶対に当てるぅ!』とかって言ってたって、支える思考は『でも当たらないかも?』とか冷静に思っているのかもしれない。
面倒なことに、支える思考の方が動作に影響しやすいから、矢を外すように逆の働きかけをしてしまうかもしれない。認識できない領域での微細な誤差レベルの影響であっても、矢が飛んで行った数十メートル先では1メートルぐらいのズレになるかもしれんわけだな」
葵:
「むずっ、つか、めんどっち!」
シュウト:
「じゃあ、無意識とか、支える思考の方で『なんとなく当たりそうだ』って思ってたら、かなり当たり易くなるってことなんですか?」
ジン:
「そうなるだろうな。この『支える思考』の関係で、『信じる』ってのは精度が低くなるんだよ。人によっては疑いの心が混じってしまうからな。だから、当たると『知って』いれば、当たるってことだ」
葵:
「知識になっていれば、もう信じる必要もない、か」
シュウト:
「深いですね。後はその状態にどう持って行くか?ってことなんですが……」
ジン:
「〈冒険者〉なんだし、特技を使って当てりゃいいんじゃねーの?」ざっくり
葵:
「ここまで説明しといて、それかい!」
シュウト:
「あははは……」
専門外なせいか、かなり投げやりな回答だった。しかし、たぶんその先の領域での対処自体はしているのだろう。説明が的確すぎる。
シュウト:
「ジンさんは、結局どうやってるんですか? 心法を使わないで、別の方法で対処しているってことですよね?」
ジン:
「むっ。…………俺は、強制認識現象を利用したりだな。だが、そっちの難易度はオーバーライド級だぞ」
葵:
「その強制認識とかってのは、どーいうヤツ?」
ジン:
「そうだなー、ある意味でスーパー自己中みたいな感じかな。俺が世界の中心!みたいなのだよ。高次生命体だとかが使ってるらしくてさ、ドラゴンの上位個体なんかだと、空を飛んでんじゃなくて、地面の方が放れていくっていう」
葵:
「はっ?」
シュウト:
「えっ?」
ジン:
「んーと、『ここ』から、『あそこ』まで歩くとする。すると『人間が』移動してしまうだろ?」
葵:
「当たり前じゃん」
ジン:
「他人からみればそうだ。しかし本人にしてみたら、本当は変な話だろ。メタ認識が入っちまってる。地面とか、地球を中心に考えてやがる」
葵:
「ん、どゆこと?」
ジン:
「だから、強制認識で歩くと地面が後方に移動して、目標地点の方が近づいてくるってことになるんだ。」
シュウト:
「???」
葵:
「それ、ただの視点変更じゃないの?」
ジン:
「それでいいんだって。その状態で俺が弓を『当てるつもり』で射るとする。そうすると、敵が、矢の方にぶつかってくるように感じるはずだ。そうなれば、矢を当てようとする必要がなくなるだろ。敵が勝手に当たりに来てくれんだから」
葵:
「……んなこと、できんの?」
ジン:
「弓は使わないから実際にやったことはないけどな。敵がドラゴンのそこそこ強いヤツだと、けっこう楽に入れるからな。避けるつもりで体を動かすと、敵の攻撃が勝手に逸れたりする。……悪りーな、シュウト。混乱させちまったか?」
シュウト:
「いえ、勉強になります。でもいいんですか、これって?」
ジン:
「んー。訊かれなかったら、答えなかったけどサ」
質問した側にも責任があるのだろう。
矢を当てよう、当てたいと考えている段階で、『当たるかもしれない』と『当たらないかもしれない』という予測が同時に成り立ってしまう。だから、そもそも『当てたい』と考えなくても良い状況を、こうして作ってしまえばいいらしい。
自分は長距離の射撃はあまりやらない。中距離では敵の大きさや動きのスピードから、『まず外さないだろう』と思うことがこれまで多かったのだ。しかし、もっと正確に当てたいと考えれば、もっと練習すれば良さそうなものなのだ。だけど『支える思考』では、練習が過剰であれば、逆に『当たらないと思っているから練習する必要がある』ということになってしまうのかもしれない。
ジン:
「そろそろ、悩み相談に乗ってやれよ」
葵:
「ほえ? なんのこったい?」
ジン:
「やっぱアレだろ? まだ失恋の痛手から回復してないとかさ。そりゃ、当たるものも当たらなくなんだろ」
シュウト:
「な、なんの話をしてるんですか?」
葵:
「そっかー、そうだよねぇ」うんうん
ジン:
「若いんだし、直ぐ次に行け!だなんて安易なこたぁ、いわねーって」
シュウト:
「違いますって! いや、違いませんけど、今回のは、そういうことじゃないんです!」
葵:
「え~っ、じゃあ、どういうことなのかにゃ~?」
ジン:
「ならナニか、新しいコレってことか?」(←小指をピンと立てる)
シュウト:
「どうしてそういう方向に持って行きたがるんですか!」
ジン:
「……青年の悩みに配慮するのも大人のつとめっちゅーか、嗜みっちゅーか?」
葵:
「さ、その辛い心の内を、おねーたんに打ち明けてごらん? 話せば心が軽くなるかもだよ~」
シュウト:
「結構です!」
葵:
「誰にも言わないって。秘密、秘密にするって~」
シュウト:
「すっごい笑顔じゃないですか。思いっきり楽しんでるじゃないですか!」
葵:
「にゃはははは!」
ジン:
「チッ、ガードの堅いヤツだぜ」
追求が激しくなかったこともあって、どうにか凌ぎ切ることができたようだ。失恋の痛手は、普段は意識しないようにしている。一人でいる時には、考えないでいるのは難しい。
話題を変えるつもりなのか、葵が口を開いた。
葵:
「強制認識の方はともかく、無意識で体が動きゃいいんだよね?」
ジン:
「そうなるな」
葵:
「シュウくんって、こっくりさんとかやったことある?」
シュウト:
「えっ、無かったと思います。クラスメイトがやってるのを見たことがあるぐらいですが……?」
ジン:
「不覚筋動か、……なるほど」
シュウト:
「なんの話ですか?」
葵:
「無意識に体が動いちゃう現象っていえば、ダウジングが有名でしょ。あたしダウジング用のペンデュラムもロッドも持ってるからさ、新必殺技ダウジング・ショット! みたいなのとかって、どうかな? 練習してみない?」
ジン:
「いわゆるエイミングだよな。『こっくりさんエイム』はどうよ? こっくりさん、こっくりさん、あの敵にあてさせてくだちい!」
葵:
「がはははは!」
シュウト:
「どうしてそこで、おちゃらけに持って行こうとするんですか!」
エイミングとは『狙いを付けること』で、FPSなどのゲームで主に使われている用語だった。弓を使うこともあって、自分にも多少はなじみがある。
ここまでの会話から、だいたいのことは予想できてきた。先日までの弓がピタりと当たり過ぎる感覚と、その意味の分からない気持ち悪さみたいなものは、ダウジングのような『オカルトめいたもの』が原因なのだろう。自分じゃない何者かに勝手に操作されて、自動的に矢が当たってしまう不気味なあの感覚。ピタっと当たれば嬉しいものだし、当たらなくなると勿体ない。やりようもなくて困ってしまう厄介なものだった。
ジン:
「お前はいったい、俺たちに何を求めてやがんだ。俺はお前の師匠ではないし、ガッコーのセンセイでも、会社の上司ですらねーんだ。そんなに硬いのが好きってんなら、ホモのコミュニティでも探して、ケツ穴の処女でも捧げてこいっつーんだよ」
シュウト:
「……もう少し真面目に考えて欲しいだけなんです」
ジン:
「ハッ、お前の万倍、真面目に考えてんだろうが」
葵:
「そのまた倍ぐらいフザケてるけどね」
ジン:
「とーじぇんネ」
1万倍はともかく、確かに二人とも、自分よりずっと真面目に考えてくれているのかもしれない。(おちゃらけが遙かに上回って感じるだけで)
葵の提案によるダウジングの練習も、真面目に考えた結果なのでは? それを雰囲気だけで拒否しようとした自分が、誰よりも真面目だなんて言える資格があるわけがない。
ジン:
「それはそうと、あれから手をさすったり、プラプラさせたりは続けてんのかよ?」
シュウト:
「えっ? ……あれって、続けなきゃダメなんですか?」
ジン:
「あの手のものにレベル固定は働かないぞ。感覚の再現はNGなんだから、毎日とは言わないけど、毎週ちょっとずつでも鍛えていく、ぐらいのつもりが必要だぞ?」
シュウト:
「わかりました」
なるほど、手の内の練習を怠けたのが原因だったのかもしれない。そちらもやってみるとして、食事の後ででも、葵に教わってダウジングの練習をしてみようと思った。やるだけやってたって、損することもあるまい。
シュウト:
(ダウジング・エイムぐらいの名前なら、許容範囲内だし……)
――シュウト自身にも自覚しない部分で、強くなるためなら何でもやってみればいいのでは? と思うところが育って来ているのかも、しれなかった。