83 居つき
シュウト:
「両立ですか? ……それはいいにしても、今さっき『戦略的意思決定の問題』って言いましたよね?」
ジン:
「じゃあ、ナニか。両立させたら戦略的意思決定の問題ではないってのか?」
シュウト:
「そうじゃありませんけど……」
非常に納得がいかない。そういう表情が顔に出ていたのだろう、補足説明をするジンだった。
ジン:
「いいか? A・Bのどちらかを選べ!と言われて選ぶところに戦略性も何もないんだよ。それはお前の戦略ではなく、俺の戦略だ。俺の戦略により、選択肢を与えられて、ただ答えているだけだろうが。もっと言えば、これから教える内容を聞いた後でも、自分で決めていいんだ。というか、自分で決めるべきなんだよ」
シュウト:
「『絶対的な強さ』を得られるとしても?」
ジン:
「そんなもん、主観認識上の絶対性でしかない。それに囚われてしまえば、拘束されているようなもんだ」
アクア:
「両立させようとすると、中途半端になるんじゃないの?」
ジン:
「まぁ、そういう面もありうる」
シュウト:
「…………」
タチの悪い引っかけ問題だったのは分かる。分かったが、口先で丸め込まれたというイメージの悪さは残った。
ジン:
「不満そうだな。じゃあ、ぶつけさせてやろう。シュウト、俺のハラに思い切りタックルしてみろ」
シュウト:
「タックルですか?」
ジンは右足を引いてタックルを受け止める体勢だったが、姿勢そのものはかなり高い。勢いをつけてぶつかりに行けば、押し倒せてしまう気がした。……しかし、こういう場合は『ビクともしない』という結論が待っているのは、いくらなんでも予想できる。
ジン:
「どうした、こないのか?」
シュウト:
「……ビクともしないんですよね?」
ジン:
「勿論だ。だが、論より証拠というだろう? この場合、腰高なのに、重心を下げられるかどうかってことに掛かっているわけだ」
シュウト:
「僕が一人じゃ、あまり証明したことにはなりませんよね? 体重もないですし」
ジン:
「疑うなら、レイでも呼ぶか?」
シュウト:
「まず僕たちだけでやってみます。……手伝って貰っていいかな?」
ユフィリア:
「私たち? いいよ」
ユフィリア・ニキータを加えて3人でチャレンジしてみることにする。まずは聞こえないように外で作戦会議からだ。やるからには、勝ちたい。
シュウト:
「僕がなんとかジンさんの裏を突くから、二人は囮になって……」
葵:
「……ノンノン。わかっちょらんのー、シュウ君」
ニキータ:
「葵さん?」
気が付くと倉庫前の廊下に葵が姿を見せていた。さっそくユフィリアがアドバイスをねだる。
ユフィリア:
「師匠、どうすればいいかな?」
葵:
「うむっ。ジンぷーは手加減が下手だから、正面から挑むべきじゃ。下手に裏をかこうとすると、逆に痛い目に遭うのがパターンじゃろうて」
シュウト:
「そういえば……」
その指摘は的を射ていると思えた。なにせ相手が相手である。対不意打ち性能が高すぎるので、単純な力技に持ち込んだ方がまだ勝率が高そうな感じがあった。そもそもジン自身に手加減をさせなければ勝ち目はないのだ。言い方は変だが、手加減し過ぎるのに期待するという形だ。
……なにしろ下手に不意を打とうとすると、手加減のない無意識の返し技が待っている。『殺しの呼吸』を使って不意を打とうとしたら、逆に首を斬られていたことがある。その時の感触を思い出し、ノドをさすって傷がないかを半ば無意識に確認してしまった。
葵:
「ふっふっふ。もう一つ、ユフィちゃんに策を授けよう。とっときのヤツだよん」
◆
ユフィリア:
「ジンさん、いくよっ!」
ジン:
「いつでもどーぞ」
手短に作戦会議を終え、正面にユフィリア、左右に自分とニキータを配置して、突進からタックルを決めに行くことになった。女子とは言っても、筋力はレベルとステータス値で決定する訳で、男性とだって遜色はない。
葵の提案で、最初に正面のユフィリアにタックルして貰うことになった。これでなるべく手加減を誘発させたいというセコい考えもある。
鋭いダッシュからユフィリアが突撃する。滑らかな立ち上がりで意外にも素早い。
だが、タックルが決まる前に、闘牛を避けるようにしてジンは回避していた。突然のことに、何も考えていなかったであろうユフィリアが転びそうになり、悲鳴を上げた。
ジン:
「ひらりマントゥ!」
ユフィリア:
「きゃー!?」
ニキータ:
「ユフィ!」
頭から床にダイブしたかと思いきや、手を突き、辛うじて踏みとどまる。そのまま方向転換して、再突撃。
ユフィリア:
「もう一度!」
今度こそ激突。ガツンと音がするかと思いきや、分厚い布団につっこんだような、ソフトな当たり口だった。それでいて、予測通りにビクともしていない。一生懸命押し込もうとしているユフィリアに対して、ジンは笑顔のままだった。
ユフィリア:
「ニナ!」
ニキータが軽い助走をつけ、軽く沈んだ低い姿勢から、斜め上に向けてタックルを掛ける。彼女らしいクレバーなアタック。しかし、ジンは一切、揺らぐことがない。もはや物理的にあり得ないことをしているような気がしてならない。
ジン:
「ホレ、女の子にだけ働かせるつもりか? こいよ、シュウト」
シュウト:
「……せめて、一歩だけでも後退させよう!」
ユフィリア:
「わかっ、た、がん、ばるぅぅぅぅ!!」
ユフィリアの直ぐ横にポジショニングし、一緒に全力で押してみたが、案の定というべきか、一向に動く気配がない。さきほどまでに比べれば多少、姿勢が低くなった気がするものの、まさに『根っこが生えた』かのようだった。
ジン:
「まぁ、こんなもんかな」
葵:
「今よ!」
ユフィリア:
「いきますっ!」
ジン:
「あん? まだ何かすんのぉ?」ニヤニヤ
ユフィリア:
「必殺! 激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム!!!」
しーん。。。
葵が授けた秘策とは、単なる必殺技ネームだった。それに何の意味があったのか。沈黙が続いて、これは失敗したかもしれないと思った時だった。
ジン:
「…………エフッ……」
ジンが咳を、ひとつ。
葵:
「フッ。掛かったな、ジンぷー」
ジン:
「エフッ、エフッ……」
葵:
「『笑い』とはっ! 堪えようと抑えつければ、逆に爆発するものっ!」
ジン:
「葵、……汚ねーぞぉ」
かすれ声でそれだけをどうにか口にした、という風だった。押し込むために抱きついているジンの体が、やがてプルプルと震え出していた。
葵:
「語るに落ちているね。実戦に汚いもクソもないと言ったのは貴様だ。こっちは前回の失敗を元に修正済み。ヲタネタよりも破壊力があったろう? ……ハラワタを、ブチまけろッ!!」
ジン:
「ぶわははははは!!」
火山の噴火を思わせる爆笑に一瞬だけ反応が遅れたものの、ここが最初で最後のチャンスだろうと思い極める。
シュウト:
「今だ!」
ユフィリアと共に、最後の力を込める。しかし、ここでハプニングが起こってしまう。
ニキータ:
「アハ、ハハハハ↓」
困った風な声で吹き出し、その場に崩れ落ちるニキータ。笑い耐性の低い味方がいたのを忘れていた。念のために作戦会議の時、先に説明はしてあったのだ。その時は彼女も笑わなかった。どうも本番の緊張感もあってか、ここでツボに入ってしまったらしい。
葵:
「なんだと!? 完全な作戦にはならんとわっ!」
ニキータが崩れ落ちたため、瞬間的にユフィリアがそちらに気を取られる。
ジン:
「詰めが、甘めぇッ!」
衝撃に襲われ、気が付く前に床に転がっていた。何が起こったのか、キョトンとしている自分を発見する。
ジン:
「おっ、できたな」
ユフィリア:
「ぷっ、あはははは! あははははは!!」
今度はユフィリアが大爆笑する番だった。ひとしきり笑うと、またジンに抱きつく。
ユフィリア:
「ジンさん、今のもう一回。ねぇ、もう一回やって!」
ジン:
「ホッ!」
抱きついているユフィリアが、気合いのかけ声と共に崩れ落ちてコロンと床に転がる。手で投げたりはしていない。ジンとの接触はユフィリアが抱きついている部分のみ。そしてまた爆笑するユフィリア。
その後もせがみ倒して6回、7回と同じ事を繰り返していた。床に転がされては笑っていた。
ユフィリア:
「もう一回。もう一回いいでしょ?」
ジン:
「キリがねーなぁ! またやってやるから、後にしろってば」
ユフィリア:
「じゃあ後でね。 約束だからね」
シュウト:
「それって、何なんですか?」
ジン:
「体幹部で投げる合気技。高度な達人技だから、俺もできたのは今が初めてだよ。いやはや、〈冒険者〉のボディさまさまってヤツだな!」
少し珍しいホクホク顔のジンだった。怖ろしいことに未だに成長途上なのだ。こちらは追いつくどころの騒ぎではなく、どんどん引き離されていっている気がしてならない。
レイシン:
「えっと、来たんだけど?」
ジン:
「よう、飯の方はどうでぇ」
レイシン:
「作ってる途中。まだちょっと忙しいんだけど?」
葵:
「だーりん、いいところに! ちょっとジンぷー押し倒しちゃってよ」
レイシン:
「…………」
ジン:
「誤解される表現をするな、馬鹿者」
料理中のレイシンを呼び出し、いきなり問題発言で固まらせている葵。その後、説明を受けて、快諾するレイシン。本人いわく「料理に戻りたいのでサクッと終わらせる」とのこと。身構えるその姿に〈狼牙族〉の特徴をなす耳や尻尾などが現れていて、ジンが苦笑いしながらツッコミを入れた。
ジン:
「『獣化』って、おい」
レイシン:
「料理中でテンションMAXだからね」
ジン:
「マジっスか……」
獣を思わせるしなやかなたたずまいのレイシン。対するジンは石丸語で諦観を表現。足を前後に広めに開いたものの、腰の位置はやはり高い。
石丸:
「攻める側が圧倒的に有利っスね」
ユフィリア:
「そうなの?」
シュウト:
「お互いにタンク同士だし、筋力的にも大きな違いはない。いや、素手だから〈武闘家〉のレイシンさんが有利かも。姿勢を低くして、下から攻めればいいレイシンさんに対して、ジンさんの方は腰高のまま、上のポジションで守って、一歩も動いちゃいけない」
しかも更に『獣化』までしていて、筋力の増幅もある。……だが、それでもジンが勝ってくれるんじゃないかと、期待して見てしまう。
レイシンがスッと腰を落とす。重心を下げるのは彼にもできるのだと思われる。条件は五分かもしれない。
一方のジンは呼吸と共に腹圧を掛け、素人目にも分かるぐらいに重心を下げていく。内蔵を動かすなどして物理的にも重心を下げられるのに違いない。
緊張が空気を張りつめさせ、そのまま音もなく弾けた。
タックルの勢いのまま、下から浮かせるように力を掛けるレイシン。ジンは受け止めたものの、腹を押され背中が丸まっている。中心軸が崩れたと思った。
シュウト:
「レイシンさんの勝ちだ!」
アクア:
「……まだ、みたいね」
攻め手のレイシンは、足から腰、肩口までが一直線になる完璧な姿勢で押している。逆に受け手のジンは、体幹部が弓なりに弧を描いてしまっている。どちらが優勢で、どちらが劣勢なのかは一目瞭然だった。
……しかし、ピタリと動かない。たったの一歩、後に下がらせればいいだけなのに、それができないらしい。
ジン:
「……オラよ、っと」
逆にジンがゆっくりと一歩、また一歩と前に出る。レイシンの足が床を掴みきれず、上滑りしていた。物理的にありえないようなことが、現実に起こっている。この目で見ても、まだ信じられない。
レイシン:
「あらら、負けちゃったかぁ」
シュウト:
「オーバーライドですよね? じゃなきゃ、レイシンさんが手を抜いたとしか……」
レイシン:
「ごめんね。可能な限り、全力ではやったんだけど」
ジン:
「重心操作どころか『弓腰』まで使うハメになったが、この際だ、その辺はおいておこう。
オーバーライド無しでも、このぐらいのことは出来るんだぜ。〈守護戦士〉ってのは、こうした『動かないこと』、いわゆる『不動』に最も適したクラスだからな」
シュウト:
「それにしたって……」
――〈冒険者〉、しかも〈守護戦士〉であれば、時速100キロの暴風に耐える能力があったとしても、それ自体はなんらおかしく思うことはないだろう。かといって不利な体勢から同じ能力を発揮したからという理由で、違和感を覚えたのではない。状況はもう少し複雑であった。
シュウトも人間なので、ある程度まで物理運動に対して直感が働く。物を持ち上げて、放せば落ちるのが自然なのだ。もしくは、押せば動いたり、倒れたりするという予測を、経験から導くことができる。そういうことの前提となっている『物理的な直感』を、完全に否定されて感じていたのである。
ジンの不動のレベルは、〈守護戦士〉の中でも圧倒的に群を抜いてしまっている。それでいて、機動性も損なうことがないのだとすれば、ありえないを2つ掛け算したようなものだ。
これがユフィリア辺りならば、「だってジンさんだもん」といった絶対評価で済ませてしまえる。しかし、相対評価をしようとするシュウトにとっては、看過できない異常事態だった。例えるならば、どう考えても、絶対の盾が存在していたとしか思えない、といった具合であろう。
事の半分は、シュウト自身の戦闘センスによる認識のイタズラでもあった。実戦で恐れおののくことがない様に、安全な状況でたっぷりとビックリしたり、あり得ないなどと嘆いておくことで、心にセーフティーを作ることをしているのだ。
ジン:
「これが運動基準線を高くしたまま、重心だけを下げられるということだな」
アクア:
「運動基準線という言葉を使えば、重心と姿勢を切り離せるのでしょう?」
ジン:
「ご明察。通常は切り替えが必要になるんだ。用途に応じて重心を上げたり、下げたりして使う。だが、それは思ってるよりも相手にバレ易い。たとえば、剣の鍔迫り合いだとかは、接触部分から相手の動きを察知できてしまったりする」
――鍔迫り合いの攻防では、重心が高ければ簡単に吹っ飛ばされてしまう。その体勢が崩れたところに追い打ちをされてしまえば、負けが確定したも同然である。
しかし、ここで逆に押し合いになると見せかけて、突然に引いてやれば、相手をつんのめらせることができ、逆に有利な状況を作ることができるだろう。
こういうものが鍔迫り合いでの攻防なのだが、しかし、相手が弱いと分かっていれば、全力で押し込む必要もなくなるため、いきなり引いたとしても相手が体勢を崩すことはなくなる。それどころか、引くと最初からバレている場合、下がろうとする相手を狙い撃ちにできるだろう。
鍔迫り合いで駆け引きをするためには、ある程度まで強く迫ることができなければならない。強く迫るには、重心を下げなければならない。しかし、咄嗟に動きに転じるには重心を高める必要がある。この重心の上下移動の切り替え速度が、反応速度と実動作とに対してネックになってくるのだ。
ここでもしも、低重心のパワーと、高重心の機動性とが共存していたとしたらどうなるのだろうか。まず接触部から得られる情報と動作とが一致しなくなる。この場合、何をやっても通用しない、しそうにない、といった感覚を相手は覚えることになる。押すのにも、引くのにも、柔軟、且つ、苛烈に対処することが可能になる。
ジン:
「日本だと『腰が高い!もっと下げろ!』とかって指導をするんだが、かがめど、かがめど、まだ腰が高い!とか怒鳴られるのがパターンなんだ。これには、なんも理解してない先生の場合と、ちゃんと分かっている先生の場合とがあるな」
シュウト:
「どうすればいいんでしょう?」
ジン:
「指導者の理解度によって対処が違うだろう。まずは、良い先生を見つけることだな。この『腰が高い!』は、本当は『重心が高い!』って意味なんだ」
ユフィリア:
「えっと、……どういうこと?」
ジン:
「単なる言葉遊びだな。シュウトには前にも話したんだが、腰ってのはかなり曖昧な代物だ。腰が高いって指摘することで、実体としての腰回りじゃなくて、意識の中心としての腰を下ろすように指示するんだ。腰って言葉の意味を二重化させて、肉体と精神を心身二元論に分離させる。一種の意識強化法だな」
――ダブルミーニング(意味の二重化)から、ダブルバインド(二重拘束)を利用して、心身を二元論化させるのである。
教育の現場において、その瞬間に完璧なタイミングで必要とされる場面はあるかもしれないが、現状では何やら深い意味がありそうな雰囲気がするため、真似して言ってみたくなるワード程度の価値しかない。
ユフィリア:
「んー、分からなくてもいい?」
ジン:
「いやいや。そんな難しいことは言ってないんだって。用語が専門的で聞き慣れてないだけだよ。まず心身一元論ってのは、心と体が一つだって考え方。心身二元論はバラバラだって考え方だな」
ユフィリア:
「それってどっちが正しいの?」
ジン:
「どっちも正しいし、どっちも正しくない。重心を下げるように教えたとしても、心身一元論の人は心と体が同じだと思っているから、重心と一緒に姿勢も低くしようとしてしまうんだ。心身二元論で心と体を別々にさせることで、姿勢は高いまま、重心だけを下げさせようとするわけだ」
シュウト:
「それだと二元論の方が正しそうに聞こえるんですが?」
ジン:
「単にバラバラにしても意味がないんだけどなー。より自由な関係を取り持つのが理想というか。……残念なことに、身体性の喪失が二元論を加速させているのが現状だな。肉体の束縛から精神を解放しようとするムーブメントは現在進行形だ。要するに、ブサイクなのは体であって、心ではない!とかって話とかだな。少し前のニューハーフの台頭みたいなものとか、美容整形、会ったことも無い相手とインターネットで恋愛結婚とか、俺たちみたいなアバターの話もあるしな。まぁそこいら辺じゅうにネタは転がっているね」
葵:
「ジンぷーはオカマが嫌いだもんねぇ」
シュウト:
「なるほど。特に運動に限った話じゃないんですね……」
ジン:
「その辺の話は元の世界に戻ったらガッコででも勉強してくれたまへ」
シュウト:
「わかりました」
ユフィリア:
「うーん。ココロと、カラダかぁ」
ジン:
「とりあえず、やってみようか。ユフィリアよ、重心を下げるのだ」
ユフィリア:
「えっ、どうすればいいの?」
ジン:
「ほら、もっと下げる! 腰が高いぞ!」
ユフィリア:
「だって、わかんないもん!」
ジン:
「高ーい。ぜんぜん高~い」
ユフィリア:
「ジンさんのイジワル!」
ジン:
「なんとでもいいたまへ」
ユフィリア:
「スケベ、エッチ、変態、…………ぷっぷくぷー!」
ジン:
「誰がぷっぷくぷーじゃ、ゴラァ!?」
ユフィリア:
「やーん! 何でも言えって言ったのにぃ。嘘つき!」
またまた防御効果はなさげなニキータの背中に隠れて、ジンに文句を言っているユフィリアだった。
シュウト:
(ああ、葵さんが『ジンぷー』って呼ぶから……)
たぶんその辺りから『ぷー』が出てきたのだろう。なんとなく頭の中でファンファーレ(ぷっぷくぷー、ぷぷぷ、ぷっぷくぷー♪)に変換される。脳天気で平和そうなユフィリアの頭の中が想像できた気がして、つい、吹き出してしまった。
シュウト:
「ぷっ」
ジン:
「……テメェ、シュウト。なに笑っとンじゃ、このクソガキャあ!」
シュウト:
「いやっ、今のは別にジンさんを笑ったわけでは……」
片手ネックハンギング飛行機大回転なるオリジナル技をかけられ、地上1.6m付近を回転した後、僕は飛んだ(飛ばされた)。水平に投げられて壁に激突する前に姿勢制御に成功し、足から無事に着地する。ここだけの話、少しだけ楽しかった。
(この間にレイシンさんは居なくなっていた)
ジン:
「続きだ。座り方というか屈み方には2種類ある。一つはヒザを曲げたり頭を下げる方法。もう一つは、腰を下ろす方法だ。前半身で座るか、後ろ半身で座るかだな」
シュウト:
「正しいのは後ろ半身ですか?」
ジン:
「正しいとかってのは目的が決めることだな。……頭を下げると前屈するのと同じで、ケツが上がりやすくなる。重心は思ったよりも下がらないんだ」
試しに前屈してみる。ハラの息を吐き出し、手で床をベタっと触る。重心近くから回転運動が起こり、お尻が上がっていく感覚を確かめられた。
ジン:
「ヒザを曲げても、体幹部の重心は下がらない。それどころか姿勢を低くすればするほど、重心は上がりやすくなってしまう」
シュウト:
「どうしてですか?」
ジン:
「まー、動き易いように、位置エネルギーを保存しようとするからだな」
ユフィリア:
「位置エネルギーって、理科の?」
ジン:
「おう、すごく似てるんだよ。直ぐに立てるようにそうっと椅子に座ると、重心を高くしたままで座れたりする。これを練習すると、そのままリラックスしながら映画をみてても、『立て!』と言われたら瞬時にスパッと立ち上がれるようになる」
アクア:
「その場合、重心を下げてしまうと、瞬時には動けないことになるけど?」
ジン:
「そうなるな。グタッと座っちまうと、立ち上がるのにノロノロしてしまうんだ。このグタッとした感じは、重心を下げる場合の『抜き』に似てるかもしれない」
ユフィリア:
「うーんと、重心を下げなきゃダメなんじゃないの?」
ジン:
「それは目的によって変わる。瞬時にスパッと立ちたかったら、姿勢は低くしても重心は下げちゃダメだ。逆に簡単に動いちゃダメな場合は、重心は下げても姿勢は低くしちゃダメなんだ」
シュウト:
「……重心を下げるのはどうすればいいんですか?」
ジン:
「イスに座るように、腰を下ろしてやればいい。最初はヒザを前に突き出さないように注意すること。これは正しいスクワットのやり方とも同じだ。この時、あまり実体としての腰は下げないで、オシリの方向に『抜き』を掛けてやるんだ。体幹部で地面とかイスとかを踏む感じかな」
この『抜き』と言われるものが難しかった。みんな上手くできないようなので、後回しになってしまった。
ジン:
「簡単なんだけど、とりあえず後回しにしよう。重心制御の技術は最重要で奥が深い。焦ってもいいことはない。浮身・沈身なんかもダイレクトにここら辺に関わってくる。浮身の代表的な運動は『すり足』だな」
葵:
「相撲の?」
ジン:
「そっそ。有名に成り過ぎて、当たり前のものになって感じるかもしれないが、もともと超ハイレベルな運足法の一種なんだ。すり足ってヤツは、足を地面に押しつけつつ、自在に動く必要がある。これをやるには足裏に浮きを掛けなきゃならないんだ」
ニキータ:
「これも矛盾してるわけですね」
シュウト:
「ジンさんの〈フローティング・スタンス〉も、理屈は同じですよね?」
ジン:
「うむ。人体に浮きが掛かると、運動性は飛躍的に増大する。使いこなせる人間にとっては、とんでもなく便利なものだ。
……しっかし、すり足の達人がどの位のパフォーマンスをやれてたのか情報が無くってなー。現在の相撲なんて摺り足を軽視し過ぎてて論外だし、古流武術系は情報が表に出てこないしで、仕方がないから自分で研究するしかないんだよなぁ~」
――元来、相撲とは低重心・高速移動のお手本と言うべき競技であった。エンターテイメントの少なかった時代にあっては、相撲の興行こそが最高の花形演目である。そのため最も才能のある若者たちが集まり、腕を高めていたのが相撲というものなのだ。
体重のために鈍重なイメージがあるのは、現代の相撲のことでしかない。黄金時代にあっては、そのハイレベルな戦闘が観客を魅了せずにはいられなかったという。浮世絵に往年の相撲の姿をみるしかないのではあるが、当時の相撲取りはからだの柔らかさが極まっていたため、ぐにゃぐにゃの身体同士が組み合っている絵になってしまい、現代人がみると子供だましにしか見えなかったりする。
ジン:
「よし、次の段階へ進むぞ。……まず、めっちゃ動かないの反対はなんだ?」
ユフィリア:
「すっごい動く?」
ジン:
「そうだ。次はシュウトに質問しよう。敵に矢を当てようと思う場合、当てやすいタイミングはどんな時だ?」
シュウト:
「えっと、……止まっている時です。技後硬直のような状況では命中させ易いですね」
ジン:
「だろうな。止まってる場合、敵に攻撃を当てやすい。逆にいえば、止まっていると攻撃を喰らい易くなる」
ニキータ:
「……ここまでの話が無駄になっちゃいませんか?」
ジン:
「いや、別に?」
ユフィリア:
「どういうこと?」
シュウト:
「ええと、絶対に動かないでいられる味方がいるとしたら、状況によってはもの凄く有利になるけど、普段はマトにされちゃうから……」
不動という能力は、本当に使い方次第なのだ。ジンにしてもかなり素早く動けるのに、同時に不動も使えるという能力だからこそ、絶対的な意味が生まれるのだろう。
ジン:
「動かないってのは、相撲とかでなら無敵臭い能力なんだが、普段はあまり役に立たないんだよ。多対1の戦闘、要するに自分が一人で、複数の敵に囲まれてしまった場合なんかは、後ろから攻撃されたら簡単に殺されてしまう。状況によっては絶対に止まってはいけないんだ。この問題を広い意味で『居つき』という。
『居つき』は、狭い意味の『居つき』が本来の意味だったハズなんだけど、長い時間の中で、何でもかんでも『居つき』として処理すればいいや!みたいになって現在に至っている。それはそれで便利なんだけど、定義が定まらないと色々と誤解もあったりするんだわ」
シュウト:
「とりあえず、本来の意味っていうのは?」
ジン:
「うむ。信号で青になった瞬間に一番にスタートしようと思っているのに、『ウッ』となって動けなくなるのが、本来の居つきだと考えられる。やはり『ウッ』となったら『マンゴー!』だな」
シュウト:
「はい?」
どうやら動かないというような意味らしいのだが、あまり関係ないものが付け加えられてしまって困惑する。
葵:
「あれっ『マンボウ!』じゃないっけ?」
ジン:
「なん……だと……」
ユフィリア:
「それって、どっちを言えばいいの?」
シュウト:
「ちょっ、言うって何!?」
――協議中――
葵:
「決まりました。〈カトレヤ〉の絶対ルールとして、『ウッ』となったら、『マンゴー!』もしくは『マンボウ!』と叫ぶって事で」
ユフィリア:
「わーい!」
ジン:
「うむ、好きな方を言えばいいからな」
シュウト:
「なんで叫ぶことになってるんですか!?」
ジン:
「そりゃあ」
葵:
「もちろん」
ジン&葵:
「「オモシロそうだから」」
なんというタチの悪さだろうか。悪ノリと悪フザケだなんて『混ぜるな、危険』以外の何ものでもない。どうやらジンと葵の二人は対立しているぐらいがちょうどいいらしい。
シュウト:
「た、たとえばですけど、本気で戦ってる時はどうなるんですか? 相手ももの凄く真剣な状況でも、これって言わなきゃダメ、なんてことはないですよね?」
ジン:
「バカか。絶対ルールってのは絶対じゃなきゃ意味ねーわ」
葵:
「いいじゃん。突然『マンボウ!』とか聞いたら敵だって笑うって。戦いなんて笑わせたもん勝ちだよ?」
シュウト:
「そんな卑怯なマネできませんよ!」
ジン:
「しつけーなー。イヤだってんなら、絶対に居つかないように練習すりゃいいだろうが。この程度のペナルティでゴチャゴチャ抜かすな」
シュウト:
「そんな、バカな……」
こんな状況で可笑しそうに笑っているユフィリアを発見してイライラがつのる。一言ぐらい文句を言わなければ、今後のために良くないだろう。
シュウト:
「ちょっと、なに笑ってんの?」
ユフィリア:
「だって、シュウトがすっごく困ってるのが可笑しくって」
シュウト:
「ユフィリアが余計なクチバシをつっこむからじゃないか」
ユフィリア:
「別に、マンゴー!って言えばいいだけでしょ? 何かダメだった?」
シュウト:
「グッ……」
確かに彼女の性格からすれば、マンゴーだろうがマンボウだろうが、特になんとも思わないのだろう。むしろノリノリで叫びたい派閥かもしれない。
どうにも『みっともない』だとか、『恥ずかしい』だとかの、人間的に重要な感情が抜け落ちている気がする。
ジン:
「『居つき』は複数の要素から構成されているせいで、これだ!的な決め手に欠けるところがある。踏み換えの影響からくる固着と盲点化、最重要の『峰越え』なんかが理由になってると考えられる」
例題にするべく、前に立たされる。足を横に開いて自然体に。
ジン:
「踏み換えを克服していない状態で前に移動しようとすると、どっちかの足に体重を移動してから、前に一歩、踏み出すことになる」
左に体重を乗せるようにブレてから、右足で半歩前に出る。
ジン:
「これは横に足を開いているから左右に動いて見えるけど、前後足を作ると問題が出てくる」
左足を前にして、前後に足を開いて立つ。
ジン:
「この場合、前足を半歩進める動作と、後ろ足を前に持ってくる動作とのふたつがある。まず武器とかを構えている場合、後ろ足を前に移動させると、構えが左右逆になってしまう訳だな」
言われた内容に合わせ、後ろになっている右足を移動させて前にしてみる。左半身から右半身に変化している。これは当たり前の話でしかない。だが、持っている武器によっては全くの大違いになることもあるだろう。弓を使う自分の場合、右半身になったら前方向に弓を射ることはできない。
武器なしの格闘技なら平気なのだろうか?と考えてみたが、ボクシングでもジャブやストレートの腕は決まっている。左構えから右構えになることを『スイッチ』と呼ぶはずだ。
ジン:
「……となるから、前足を半歩進める動きになるのが大半だな。で、踏み換えを混ぜて半歩前に出ようとする場合、前足を浮かせようとする関係で、後ろ足に体重を戻してから、前足を浮かせて前に出す操作になってしまう」
言われたものを大げさな形にしてなぞる。前に行こうとして見せつつ、大きく後ろによいしょと体重を戻してから、前に素早くダッシュ。
ジン:
「前に説明した剣のアルファサイドをここにプラスすると更にヒドいことになる。前に行こうとしているのに、一度体重を後ろに戻し、勢いをつけて前に。飛び出たところで剣を振りかぶって、かぶりすぎの後ろベクトル。そこから剣を振り下ろすために前ベクトルってなるんだな」
大げさに再現しようとすると、後ろに行って、前に行ってを繰り返してガタガタな動きになってしまった。
アクア:
「まるっきり可哀想な人ね」
ジン:
「まぁ『運動なんかして、ごめんなさい』状態なのは間違いないな」
シュウト:
「これってどうやって対処するんですか?」
ジン:
「それを知るには、まず漢字の勉強をしなければならないな。……えーっ、人という字わぁ~」
短髪なのにしきりに無いハズの髪の毛をかき上げる。すかさず葵が口笛で聞き慣れたメロディを再現していた。この辺りのコンビネーションの良さは、レイシンのそれに匹敵するものがあるらしい。一拍遅れでユフィリアが懐かしのフレーズを歌い始めていた。可愛らしい歌声である。三年B組 ジン八劇場のはじまりはじまり。
ジン:
「人と人とが支え合って生きている!などと言いますが、……そんなのは嘘っぱちなのでぇす。本当は!短いおじさんが、長いおじさんを支えることで成り立っているのですね。し・か・も! 困ったことに、みーんな自分が支えて貰う側の立場になりたいと思っています。というか、そうなれるもんだと思っています。ですが、そんな訳ねーから。残念っ!」
葵:
「ギター侍で〆とか。ないわー」
シュウト:
「満足されたようでしたら、続きをお願いしたいんですが」
ジン:
「お前、だんだんと受け流すのが上手くなりやがって。右から左に受け流してんじゃねーよ!」
葵:
「ゲッツ!」
なぜか一発屋芸人大会の様相を呈して来てしまう。早く晩ご飯にならないものだろうかと、深いため息を吐いた。
ジン:
「……要するに、前足になってる右だか左だかの足を退かせばいい。だが、人と言う字は、この前足という名のちっちゃいおじさんのおかげで成り立っているわけですよ!」
シュウト:
「ちっちゃいおじさんは、もういいですってば」
ジン:
「バカ、お前。ちっちゃいおじさんだって生きてるんたぞ?」
シュウト:
「なんの話をしてるんですか!」
ジン:
「理屈どおりに上手く行かないのが人生なんだよ。それを教えてくれるのが、ちっちゃいおじさんなんだ。……通常、浮身か沈身を掛けることで自由落下状態を作って、足を瞬間的に自由にすればいいんだけど、身体を支えている足を取っ払うのに失敗することもあるんだ」
ユフィリア:
「失敗って?」
ジン:
「たとえば、電車で吊革に長いこと掴まったりしていると、重心のコントロールを腕でやってしまう場合があってだな。電車を降りようとする時、いつまでも吊革なんかから手を離せなくなってしまう事がある。合気をかけられた状態にも似ている。一種の依存状態なんだ。
立っている場合は、ちっちゃいおじさんが嫌がるわけだ。自分の体重を支えるという事は、重力によって発生するベクトルに対抗する力、『抗力』を発揮して自重を支えることになる。前後に構えると、前足の抗力に依存している状態になることがあるんだ」
ユフィリア:
「ちっちゃいおじさん可哀想だねってこと?」
ジン:
「うむ。難しい問題だな」
シュウト:
「あの、マトモな話っぽく纏めるの、止めてもらっていいですか?」
ジン:
「しかもだ。前足で体重を支えているんだったら、後ろ足は比較的自由だと思うだろ? じゃあ、とりあえず後ろ足から前に進めばいいやって感じになったりするんだが、この場合、前足は抗力の発揮をしている状態から更に推進力まで要求されることになってしまう。二足運動だったのが、ケンケンするみたいな片足運動へのとっさの切り替えが必要だったりして、混乱するケースもあったりするわけだ。
この話はまだ続きがあって、『峰越え』という現象のせいでにっちもさっちも行かなくなってしまうようになっている」
シュウト:
「……居つきって、何なんですか?」
ジン:
「複数の原因が混在するもの。複合現象だな。多重拘束の一つを為す、強大なる人類の壁だな」
アクア:
「とりあえず、『峰越え』っていうのの話をお願い」
ジン:
「へいよ。……これはやった方が早いからな。足をくっつけて立ってみ」
言われるままに足を閉じて立つ。
ジン:
「つま先の母指球付近に力を入れる。一方で重心は前に傾けて、そのまま前に進むようにする」
ニキータ:
「えっ?」
思わずニキータが声を上げた。気持ちは非常によくわかる。内くるぶしの下に重心を落とし、支持点と重心点のおいかけっこを練習しているために、言われていることが滅茶苦茶に感じるのだ。
母指球に力を入れれば、当然、後ろに進む。しかし、体重を傾けて前に進めと言っているのだから、ベクトルが矛盾している。
ジン:
「我慢できなくなったらそのまま前に一歩進め」
言われるままに一歩進んだが、嫌な感触が残った。バカらしく感じる。
ジン:
「これが『峰越え』と言われるもので、いわゆる『高速移動運動』の仕組みそのものだ」
シュウト:
「……こんなのが、ですか?」
ジン:
「不満タラタラかよ? ……まるっきり何も理解できていないようだな」
葵:
「これのドコが、高速移動運動なの?」
ジン:
「全てだろ」
ユフィリア:
「はい、質問っ!」
ジン:
「ダメだ。後にしろ」
ユフィリア:
「どうして? いっこだけ」
ジン:
「ダメったら、ダメ。余計なことは言わなくていい」
素っ気ないジンの態度に、ユフィリアが不満げに呟く。
ユフィリア:
「……だって、カカトダッシュすればいいんじゃないの?」
ジン:
「あーあ、言っちゃった。……ほんっと、空気読めないヤツだなぁ。それを先にいっちまったらお終いじゃんかよ。話の構成だとか展開だとか、盛り上げだとかが全っ部、台無しになるだろ?」
ユフィリア:
「そ、そっか。ごめんなさい」
シュウト:
「とりあえず、どういうことなのか、ですよね?」
ジン:
「厳密に考えてみれば、『峰越え』の本質は結構おもしろいものだぞ。後ろ向きの運動ベクトルが、とある一点を越えることで、逆転しているんだ」
葵:
「重心が、峰ってことでいいんでしょ?」
ジン:
「そうだな。つま先キックが成立するのは、重心よりも後ろに足がある場合だけなんだ。そこで、体重移動によって重心がつま先を越えるようにしてやるんだ。そうすると、キックによる運動エネルギーが前方移動力に転換されるって仕組みになっているんだよ」
――つま先に力を入れていると、後ろ向きに進もうとしてしまう。それでも前に進もうと体重を傾ける。すると、つま先の力は前に倒れようとする動きのブレーキになる。更に身体が傾くと、つま先で身体を支えることになり、重心がつま先を越えて前に進むと、まるで峰を越えたかのように、登りから下りへと代わる。つま先で作られる運動量は、後退から前進へと変化するのである。
シュウト:
「でも、それじゃ『遅い』ってことですよね?」
ジン:
「遅い。これは必ず、峰越え→つま先キックの順で操作しなきゃならないからだ。どんだけ短くても二拍子は二拍子だからな。しかも、峰越えの間は筋力を発揮できないから、空白の時間帯になってしまうんだ。高速移動運動では、峰越え用の技術を研鑽することを目的にしている」
アクア:
「なるほど。停止状態から峰越えしようとすると、体重移動のための勢いが足りない。筋力を発揮できない空白時間があるから、居つきになりやすいってことね」
ジン:
「大正解。脱力すれば、後ろ向きベクトルを小さくできて、スムーズに峰越えを終わらせることができる。前方滑落で重心を前に移動させ、キックのための屈脚も行う。次の瞬間にキック。……これが高速移動運動の仕組みってことだな。ゴチャゴチャ言ってるけど、おまえらは全員コレをやってるんだぞ」
ユフィリア:
「カカトダッシュだと、どうなるの?」
ジン:
「超高速移動運動ってことになるな」
葵:
「カカトを使うぐらいのことなら、みんな気が付きそうなものなんじゃない?」
ジン:
「峰越えをスムーズに終わらせるために、ちょこっとカカトを使う程度の運用ならしているかもしれないが、カカトを真の推進力として使うのは、そんな簡単なことじゃねーな」
アクア:
「……ここまでの話に整合性があるとするなら、カカト・ダッシュではなくて、カカト・ワイプじゃなければならないハズね」
ニキータ:
「つま先キックとカカトワイプって形で対応させるんですか?」
ジンの様子を伺うと、ちょっと黙り込み、笑い始めてしまった。
ジン:
「はっはっは。……ようこそ『フリーの世界』へ。歓迎するぞ」
その言葉、その意味を理解するのに、2秒か、3秒ほど掛かった。
シュウト:
「もっと、ずっと、先の話かと思ってました」
ジン:
「理論は短く、鍛錬は長く、さ。これでようやく山を登る資格を得たわけだが、…………」
何かを言い掛けて、くるっと後ろを振り向いてしまった。誰かと話している様子がある。どうやら念話をしているようだ。
ジン:
「ん、メシが出来たとさ。とりあえず晩飯にしようぜ。中華パーティは全てに優先される!」
シュウト:
「そうでしょうか?」
ユフィリア:
「ごっはん! ごっはん!」
◆
中華パーティという名前の夕食で盛り上がっているところ、今日教わった内容を考えながら、ひとりモソモソと咀嚼しつつ静かに食べ続ける。さつき嬢に念話しなければならないこともあり、頭のかなりの部分を復習に使っていた。言葉で伝えるのは難しいのだ。なるべくニュアンスをそのまま伝えてあげたいという気持ちもある。そうなると、味なんて二の次だったりする。
ジン:
「おっ、来たか」
レイシン:
「さ、お待ちかねのエビチリだよ」
葵:
「ワオワオ!」
アクア:
「これがエビチリなのね」
ユフィリア:
「はい、シュウトにもとってあげるね!」
シュウト:
「うん、ありがとう」
ぼんやりと受け取ったエビチリを口に入れると、モノクロな思考の世界から、一挙にフルカラーの現実に引き戻されてしまった。
シュウト:
「美味しい……」
プリッとしたエビの食感が楽しい。甘さ・辛さ・酸味が口の中で踊る。どこか物足りなさを感じて、そのことで次の箸を伸ばしてしまう。
気配を感じて目を上げると、ニヤニヤとしているジンやユフィリアの顔があった。(しまった、観られていたか)と気まずい感じになる。
シュウト:
(中華料理としては、偽物なのかもしれない。けど……)
食べ物として見れば、紛れもなく本物ではなかろうか。その赤い輝きを見つめていると、不思議な感慨を覚える。
――藍より出でた青が、藍よりも青くなれるかどうかは分からない。それでも、偽物だと思ったものでも、本物になれないことはない。……エビチリに親近感のようなものを感じるシュウトなのであった。