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81  オリジナルをリスペクト

 

 その日の夕食は見慣れない顔が加わっていた。〈カトレヤ〉は基本的にアットホームな雰囲気だが、客人がいてもさほど違和感がない。それが何故なのか、すこし不思議な気がしている。ギルドホーム自体が宿屋タイプの建物なので、食事スペースが『多人数で食べる前提』でデザインされているから、かもしれない。

 本日の客人エリオは、レイシン(180ぐらい?)やジン(186センチ)よりも背の高い、しなやかな体付きをした色黒の偉丈夫である。しかし、そんな外見を上回るのは『ござる語尾』という特徴だ。日本マニアといえばいいのか、日本が大好きな勘違い外国人そのままだった。


エリオ:

「これが日本の食事でござるか……、感激でござるっ!」

シュウト:

「エリオさんは、日本のご飯って初めてなんですか?」

ジン:

「まっさか。今時、どこの国にも日本食レストランぐらいあるだろ? ……経営してんのは中国人か韓国人だけど」


 ――付け足しの一言に、ジンが複雑な感情を滲ませる。

 これに関してはニキータもジンの意見に近い。海外旅行をした時、日本食レストランに入るのだとすれば、そこは日本人に経営していて欲しいと思っている。海外で心細い気持ちになっている時に、日本人に出会うと嬉しくなるからだ。長期滞在中はともかく、海外旅行中にわざわざ日本食レストランを選ぶ理由などは、そう多くない。


エリオ:

「拙者の故郷ではそうでもないでござるよ。日系人のレストランがあったでござる。しかし、それとは別に日本で食事するをするのは夢でござった」

葵:

「ここが日本かどうかは、怪しいラインだけどねぇ~」


 葵が軽く冷やかしのセリフを言ったのだが、エリオ本人は気にした風でもない。

 そこに配膳を手伝ったユフィリアがやって来て、エリオの前にお味噌汁をおいた。これで一通り料理が揃ったと思われる。


エリオ:

「ありがとうござる!」

ユフィリア:

「レイシンさんのお料理はとっても美味しいんだよ」

レイシン:

「はっはっは。嬉しいな」


 我がことのように料理自慢をするユフィリアは誇らしげで、見ているこちらも優しい気持ちになる。少し前屈みになってエリオをのぞき込むユフィリアの肩口から、キューティクルもバッチリの、美しくも長い髪がサラサラと流れ出す。髪を押さえようとする手の動きに釣られたのか、エリオの目が追いかけ、そのまま奪われる。


エリオ:

「おお~ぅ。料理も素晴らしいでござるが、日本の女性もたいへん美しいでござる。さすが大和撫子、世界の憧れ。感無量でござるっ!」

葵:

「そうだろう、そうだろうともっ!」


 真っ先に反応した葵が、尊大に大肯定して笑いを誘っていた。


ニキータ:

(意外にナンパな所もあるのね……)


 そのことを少しばかり意外に思う。女性への誉め言葉を照れずに言えてしまうのは、ラテンの血がさせることなのかもしれない。


ジン:

「テメェは『大和撫子』とか言いたいだけだろうが! ゴザル、ごちゃってねぇでとっとと食え、冷めるだろ!」


 この一言で得心が行った。恋愛対象としてではなく、自分とあまり関係ない世界への憧れとしてのセリフなのだ。だから、日本人なら歯が浮きそうなコメントも平気で言えてしまう。例えるならば、エリオはガラスを一枚隔てた世界からこちらを見ているのだろう。まるでテレビを見ているかのように。

 ……逆に考えれば、私達もガラスを一枚隔てて彼を見ていることになるのかもしれない。


エリオ:

「で、では、温かい内にいただくでござる!」


 ジンに怒られ(そうになり)慌てて箸を取るエリオ。実際、ジンはまだ怒ってはいない。乱暴な口調だが、気遣いをしただけ。エリオにはその違いがまだ分からないのだろう。


ユフィリア:

「召し上がれ、でござる!」

ニキータ:

「ユフィ……(苦笑)」


 伝染したのか、相手に合わせるために真似たのか、ユフィリアがござる語を使ったので苦笑いしてしまった。


 エリオの箸使いは意外にもかなり達者であった。きっちりと練習している様子が感じられて、下手な日本人などより上手かもしれないと思うほど。


 彼の性質は『爽やかさ』とは対極的な方向だが、暑苦しいとまでは言えない。まじめで一本気な、いわゆる実直そうなタイプ。感情を素直に表現するので、周囲からは信頼されていそうだ。

 そんなエリオだが、料理の美味しさに首を左右に降りながら悶える姿は、かなり不気味だった。アクアの連れて来た客人にしては、少々、アレな気がしないでもない。


ユフィリア:

「どう? 美味しい?」

エリオ:

「うはいでござう」もむもむ

ジン:

「飲みこんでからしゃべれよ……」


 口いっぱいに頬張りながら食べるエリオに、感想を求めてしまうユフィリア。どうやら彼を気に入ったらしい。ということは、彼女の感覚では善人だということだろう。確かに、あまり裏表がありそうには思えない。


ユフィリア:

「美味しかったぁ!ごちそうさまでした」

エリオ:

「大満足でござる。ごちそうさまでござる」

レイシン:

「お粗末さまでした」

シュウト:

「ちゃんとした日本食が口にあって、良かったですね」

ジン:

「『ちゃんとした日本食』ねぇ。エビチリの件は知らなさそうだな……」

ユフィリア:

「エビチリがどうかしたの?」

エリオ:

「エビチリとはなんでござる?」

ジン:

「それがなぁ……」


 ――それぞれの国に様々な味覚の人々がいるのであるから、料理もその国に合わせたアレンジがされてしかるべきものだろう。故に、中国人や韓国人の経営する日本食レストランを一概に否定するのは難しい。

 たとえば、日本にも『中華料理』の看板を掲げた日本人経営のラーメン屋が数多く存在している。これは中国人からすれば詐欺に近い行為かもしれないのである。


 一方で、日本人はオリジナルの料理に対しては、キチンとリスペクトしているという意見もあるだろう。日本は例外的に、国内にいながらにして、さまざまな国の料理が食べられる特殊な土壌がある。そこでは日本人向けにアレンジされた料理が並ぶこともあるし、本場の食材を使った本格的な料理が並ぶこともある。それでも、そのことでオリジナルの価値が失われることはない。本物は本場で食べるモノだという風に考えられているからだ。

 寿司の海外アレンジとして有名な『カルフォルニアロール』などを見ても、あれはあれで寿司として在っても良い、という気持ちになる。これは真似されてもオリジナルに対してのリスペクトが自分たちにはある、という余裕がそうさせているのだろう。逆にいえば、日本の本物の寿司の方が、絶対に旨いという自負やプライドが、カルフォルニアロールを許容する心理的な余裕を生み出していると考えられるのだ。


 ここでジンが話題にしたエビチリの話とは、オリジナルを粗末に扱った実例の話である。横浜の中華街などで、中国人の経営する『本場らしさ』を売りにした中華料理店に入っても、エビチリを注文する人が後を絶たなかったのだという。エビチリは日本で生まれた料理なので、『日本風の中華料理』でしかない。当然、本場の味を掲げる中華料理店にエビチリがあるハズもない。そうとは知らず料理店に入り、エビチリが無いと知るや、日本人は不平・不満を言い始め「エビチリが無いと中華を食べた気がしない」とまで言ってしまった。その結果、多くの店がエビチリを出すようになったという。


シュウト:

「子供とかは言いそうですよね」

ユフィリア:

「『ママ、エビチリが食べたい』みたいな?」

ジン:

「うむ。『ごめんね、このお店には無いんだって』と母親が説得するのかもしれないが、それを耳にした店の連中はどう思っただろう」

エリオ:

「その、エビチリとはどのような……?」

ニキータ:

「どこにでもある軋轢、なんでしょうけど」


 どこの国でもそういう小さくてつまらない誤解や勘違いはあるのだろう。『良いこと』とは思えないが、かといって無くすことも出来ない気がする。


 ――この様に、オリジナルに対してリスペクトするつもりの無い日本人は、一定の割合で存在している。お金を払ったから、わざわざ遠くから食べに行ったから、自分のイメージと違ったから、……そんな理由で『自分の方が正しい』と主張してはばかることがない。最悪の場合『日本に居させてやっている』、『郷に入りては郷に従え』などと言いたい放題である。


 ……となれば、海外にある中韓の日本食レストランがオリジナルに対するリスペクトを欠いていたとして、果たして日本人に文句がいえた義理なのだろうか?となってくる。日本人のフリをして、本物の日本食だと偽る行為は道義的に問題があるかもしれないが、前述のとおり、日本にも中華料理を掲げたラーメン屋があるのだ。


 結論の一つを提示するのであれば、日本食レストランのある現地の人々が満足するかどうか?が問題なのであって、『本当』かどうか、『ちゃんとしている』かどうか?には何の価値もないことになる。


 たとえば日本人が、日本式の寿司店をアメリカでオープンさせたとしても、エビチリが無いと文句を言った以上、求められればカルフォルニアロールを出さなければならない事になる。「カルフォルニアロールが本物の寿司だ!」などと暴言を吐かれても、文句を言える立場があるとは断言しにくい。


 この問題の背後にある真の原因は、現地でアレンジされた料理の方が『本物だと認識されてしまっていること』にある。根本的な解決を目指すのであれば、日本式の料理を世界に広めていく努力をするべきなのだ。その努力を怠って、中国人や韓国人が日本食レストランを経営していることを卑怯などとののしることに意味はない。

 和食が本当に美味しいのであれば、美味しいという単純な理由で人々に求められるだろう。紛い物が自然淘汰される環境を作ることが、本当の意味で勝利するただ一つの道なのである。


ジン:

「……って訳さ。情弱はバーミヤンで食っとけって話ではあるんだがな」

ユフィリア:

「私、バーミヤン好きだよ?」

ジン:

「美味いよな、俺も好きだ。いいよな、バーミヤン。マジであそこでいいと思うよ。日本人の好きそうな中華料理はたいてい揃ってるわけだし。 ……まぁ、ここのところレイが料理するようになって、行けてないけど」

ユフィリア:

「それって、おうちで中華パーティ? えーっ、私もお呼ばれされたい!……レイシンさん、行ってもいいですか?」

レイシン:

「そう言ってもらえると嬉しいな。勿論、招待するよ」

ユフィリア:

「やったね、ニナ!」

ニキータ:

「なにか、すみません……」

葵:

「もう、ぜーんぜん、気にしないでよ。どんどんカマンっしょ♪」

エリオ:

「その、エビチリとは一体、何でござるか……」

ユフィリア:

「うん。私、なんだかエビチリが食べたくなっちゃった」

レイシン:

「あー、エビチリは、……作れたかなぁ?」


 手を動かして料理している風のジェスチャーをしながら、レシピを思いだそうとしているレイシン。ああしているのであれば、きっと手で覚えているのだろう。


ユフィリア:

「あと、餃子も!」

ジン:

「今、晩飯くったばっかだぞ、もうハラ減ってんのか?」

ユフィリア:

「おなかはいっぱいだけど、食べたくなったの!」

ジン:

「この業突く張りめ」

ユフィリア:

「ジンさんに言われたくない↑」

レイシン:

「はっはっは。えっと、水餃子? それとも焼き餃子?」

ユフィリア:

「もちろん、焼いてある方! パリパリの!」

ジン:

「うぇーい。中国式じゃ、餃子と言ったら水餃子のことだぜ」

ユフィリア:

「そうなの? ……じゃあ焼いてある餃子ってどこから来たの?」

ジン:

「えっ? えっと、それは……」


 言葉に詰まったジンを見て、すかさず石丸がフォローを入れる。


石丸:

「水餃子を食べた翌日に、残った餃子を焼いて食べるのが焼き餃子と言われているっスね」

ニキータ:

「……なら、残りご飯でチャーハン、みたいなポジションなのね」

ジン:

「へー、ほー」

ユフィリア:

「ジンさんも知らなかったんだ? 仲間だね」


 ユフィリアが目を細めてクスクスと笑った。なんだって知っていそうな顔をしているジンにも知らないことがある、というのが嬉しいのだろう。


ジン:

「いーんだよ。知らないことがある方が、人生は楽しい」

ユフィリア:

「ウフフフフ」


 ちょっと気詰まりな顔をしたジンが、言い訳じみた返事をする。そんなムキになってしまうちょっとした部分に可愛らしさを感じさせて、余計にユフィリアを楽しませてしまっている。


エリオ:

「ううっ、エビチリ…………」


 誰にも相手にされず、エリオの声がだんだんと小さくなっていった。それを気にしたのか、レイシンが語気を強める。


レイシン:

「じゃあ、明日の晩は中華にしようか」

ユフィリア:

「賛成ーっ!」

ジン:

「いいねぇ」

シュウト:

「楽しみです」

エリオ:

「もしや、エビチリでござるか?!」

ユフィリア:

「エビチリでござる!」

エリオ:

「エビチリとは、これは楽しみでござる~」


アクア:

「……あら、それは残念だったわね。1日だけの約束なんだから、明日のエビチリは無しよ。さ、帰る準備をしなさい」

エリオ:

「な、なんとぉぉぉぉ!!?」


 起き抜けらしきアクアが顔を見せ、彼の希望(?)を打ち砕いてしまった。エリオはいたく衝撃を受けた様子で驚く。どうやら予定を聞かされていなかったらしい。


ジン:

「残念だったな、ゴザル。 まー、また機会もあんだろ」

エリオ:

「そ、それは殺生でござる! 後生でござる! もう1日だけ、なにとぞ、なにとぞ!」

アクア:

「却下。マルコって奴との約束で、1日だけって決まってるの。それで今後もたっぷりと協力してもらう契約なんだから」

エリオ:

「拙者には3日のバカンスと! マルコ、また裏切ったでござるか? 拙者の純情を弄んだでござるか……」めそめそ

アクア:

「日本の晩ご飯が満喫できたんならいいでしょ。エビチリってのが中華料理なら、アンタには関係ないわけだし」

エリオ:

「エビチリは日本で生まれたものでござる。もはや日本の料理にござる。なれば、ここで食べない訳にはおけぬ。……そうでござる! アクア殿もいっしょにエビチリを食べれば良い! そう、思わんでござるか?」

アクア:

「私の事は心配しなくていいの。アンタを帰したら、ここに戻って来て、ちゃんと食べるもの」

エリオ:

「うぉおおおお! 帰りたくないでござるっ! 帰りたくないでござるぅぅうう!!」

ジン:

「やかましいっ! 叩き出すぞ!」


 ……その後、アクアはシュウトに命じてエリオを無理矢理に連れて帰り、アクアだけが、すぐさま戻って来たのだった。


ニキータ:

「よく、大人しく帰ったわね」

シュウト:

「うん。アクアさんに喧嘩を売ると、帰れなくなるし、二度とここにも来られないですよって説得したら大人しくなったから」

ニキータ:

「そ、そう……」


 なんでもない風で、しかしエグい説得をしていたらしい。シュウトが悪しき実利主義に染まってきているような気がして、少しばかり心配になる。間違いなくジンによる悪影響だろう。


アクア:

「レイシン、アレは出来てる?」

レイシン:

「言われた通りに作ってみたけど、どうかな?」


 レイシンが先割れスプーンと共に食べ物をもってくる。赤いのはトマトソースだろうか。ごちゃごちゃとしていて、赤いフルーツ・グラノーラのような雰囲気だった。


ジン:

「……なんじゃそりゃ、炭水化物のお混ぜじゃねーか」


 よくみると、ご飯とパスタを混ぜてトマトソースで味付けしたようなものだった。日本でいう『そばめし』に近い感覚だろうか。


アクア:

「コシャリよ。……(もぐもぐ)……。いいわね。もっと安っぽい味が好きなんだけど、これはこれでアリだわ」

レイシン:

「よかった」

ユフィリア:

「私も味見していい?」

アクア:

「もちろん」


 「美味しい」と言って食べているユフィリアの頭にアクアが手を伸ばす。ユフィリアは大人しく撫でられていて、嬉しそうにしていた。

 あくびをしていたジンが、(ものいいたげに)問いかける。


ジン:

「……んで、今度はいつまで居るつもりだ?」

アクア:

「とりあえずは、明日のエビチリを食べてから考えることにするわ」

ジン:

「じゃあ、ここにいる間はニキータの面倒を頼むな」


 突如、自分が話題になって恐縮する。アクアの顔には何の表情も浮かんではいない。


アクア:

「あら、報酬を要求してもいいのかしら?」

ジン:

「モチロンだ。今後も宿泊代、メシ代は気にしなくていいからな。……好きなんだろ、それ?」


 コシャリの方をチラりと見て、説得という名の脅しを入れるジン。アクアは無言で先割れスプーンにレンズ豆をすくい、口に入れてモシャモシャと食べた。それはまるで『コシャリに免じて許してつかわす』とでも言いたげな態度だった。


葵:

「あの客室はアクアちゃん専用の部屋ってことにするから、これからも好きに使っちゃっていいかんね!」

アクア:

「ありがとう。悪いわね」

ニキータ:

「……よろしく、お願いします」


 恐縮していると、彼女はコシャリを食べながら、喋っていない風にしながら話しかける。腹話術に近い技術。その上に指向性音波を制御している。


アクア:

「気にしないでいいわ。最初からそのつもりだったもの」


 ジン達には聞き取れないように自分にだけ、そう囁いたのだった。まるでイタズラっ子のようだった。






ユフィリア:

「私たちも見学してていい?」

アクア:

「私はオーケーよ」

ジン:

「……なら、いいか。静かにしてろよ」

シュウト:

「分かりました」


 夕飯の時間が終わり、アクアがジンに改善できそうな所を指摘しなさいと命令口調で頼んでいた。自分を伴って室内練習場所になりつつある倉庫に入る。ユフィリアやシュウトも興味津々で付いて来てきたようだ。


アクア:

「……ふーん、ドラゴンのアイテムね。まだ売ってないわけ?」

ジン:

「これからだな。とりあえず第一段の作戦が進行中。ドラゴンの素材でアクセサリーを作って、お試しサンプルを配布してみる」

ユフィリア:

「シュウトの考えた作戦で、今、アキバの友達にアクセサリーを作って貰ってるの」

アクア:

「へぇ、シュウトが? やるじゃない」

シュウト:

「ど、どうも」


 『どうもありがとう』なのか、『どうもすみません』のつもりなのか、途中で言葉を濁すシュウトだった。

 昨晩、ドラゴン戦から戻ったその足でアキバへと出向き、〈ロデリック商会〉の花乃音(かのん)に頼み、アクセサリーの制作を依頼してあった。明日、途中経過を確認しに行く約束になっている。

 ジンの説明では、マダムの女子会で大手ギルドの女の子達に向けて、無料で配ってみる予定だった。



アクア:

「では、始めましょう」

ジン:

「……とは言ったものの、俺は音楽関係にゃ疎いし、発声練習なんかは微妙に専門外。となると、基本の姿勢だとか、呼吸法のポイントを教えるしかないんだが」

アクア:

「はじめから自分の専門分野まで、貴方に教えて貰うつもりなんてないわ」

ジン:

「そりゃ、そうだ。……発声用の立ち方とかがあるのかどうか知らんけど、絶対の基本姿勢からやるぞ?」

アクア:

「お願いします」


 瞬間的に学ぶ姿勢に変わっている。生徒役となったアクアは、教師役のジンの言葉を一言も漏らすまいと集中しているようだった。アクアという巨大な才能を持った天才が練習するとどうなるのか? ジンという異色の才能とコラボレートした結果、どうなってしまうのだろうか。そう考えただけで、高揚を禁じ得ない。この場に居られる幸運に感謝してしまう。


ジン:

「最初は足は揃えて立つ。内くるぶしの真下に重心が落ちるように、体重をコントロールする。ヒザは一度完全に伸ばして関節をロックしてから、そのロックが外れたところだ。……よし。大腿骨からあがって、骨盤、ハラとコシは、出さない・凹まさない。胸と背中も同じ。張らない・丸めない。 ……ニュートラルを心がけて。首は伸ばしすぎないように。まだ前にのめってるぞ」


 正しいポジションを教えるべく、正面から肩に触れて、そのままぐいっと押して位置を微調整する。


アクア:

「思ったより、かなり後ろ寄りなのね」

ジン:

「そうな。……全身の力を抜いて、骨格で体重を支えるようにしてやること。特に腰回りがポイントだな。高いイスに腰掛ける感じで、腰を1センチ落としてみな。上手くできてくれば、ヒザまわりの力が抜けて、ケツで立つ感じになる」


 シュウトが慌てて立ち上がる。自分も同じ姿勢を練習するつもりらしい。


アクア:

「こうかしら?」

ジン:

「上手いぞ。そのまま腕と足の力を抜いて、ハラに力を入れる。そのまま……、よし。ハラから力を抜いて、エネルギーだけを残す。充実感が満ちる感じを維持。じゃあ、足は肩幅ぐらいに広げて、少し声を出してみてくれ」

アクア:

「…………」

ジン:

「……? 声、出てんのか、それ?」


 僅かに聞こえたものは、通常の可聴域を遙かに越えているであろう高音だった。〈冒険者〉で〈吟遊詩人〉であるためなのだろう、この場で聴きとれるのは辛うじて自分だけのようだった。


ニキータ:

「モスキートボイス。……かなり高音の、超音波」

アクア:

「正解よ、良い耳をしてるわ。こういった高音の維持は大切なの。歳と共に低音になってしまうから、毎日練習するべきね」

ジン:

「高音ってレベルじゃねーだろ。つか、今はとりあえず俺でも聞こえる様に低くしてくれ。……って、今度は聞こえないレベルの低音とかのネタは要らないからな」

アクア:

「はい、はい」


 一音だけでも、ぞくりとするほど美しかった。見事な声量で、しかもそれが長く続いていた。一息が、とても長い。


ジン:

「息を吸う場合、中心軸を通して、軸の全体から吸い入れるようにするんだ。体が満遍なく、均一に膨らむように。……まだまだ脇が硬い。脇や背中の肋骨がなめらかにズレて、膨らむように徹底的に。ホラ、このあたりだ。音の振動を使って、内側から硬い部分をほぐして」


 可能な限り、息を吸い込むように指示している。それはまるで風船を限界まで膨らませるのに似ていた。アクアは現在でさえ信じられない声量があるというのに、細く感じるその体に、まだまだ空気の入るスペースがあるとジンは思っているらしい。

 アクアはといえば、嫌がる素振りさえ見せずに淡々と、ただ真剣に注文をこなすように努めている。


ジン:

「中心軸から吸った息は、中心軸から吐き出すんだ。吸い込む時と同じように、均一に、滑らかに。まだ声に変換しないで、まず呼吸から確認。……吐いて、吐いて、限界まで、吐いて~」


 腹部が凹み、エグれても、そこから更に息を吐き出させる。それが終わると、また息を吸い入れるように指示する。



 ――息を吸い入れようと力を入れると、体は硬くなって上手に膨らまなくなってしまう。しかし、強く息を吸い込まないと、空気は入って来ない。この矛盾した状況でも、アクアはジンの要求によく応えていた。

 腹式呼吸による発声が出来るようになれば、喉への依存度を下げることができる。アクアも当然に腹式呼吸はできるし、喉への依存度もかなり低い。だが、それでもまだ修練の余地が残っていた。喉の性能が良すぎることで、無意識に利用しようとしてしまう部分があることと、使うことで能力を高めようとする意識もあった。


 ジンは特に腹式呼吸時のインナーマッスルの使用にポイントを絞って指導を行っていた。ただし、今回ジンの教えているものは、厳密に言えば腹式呼吸の概念からはやや外れている。腹式・胸式呼吸のメソッドは、人体の前面に位置するハラや胸を、『前方向に膨らませること』を前提としてしまっている。……ところが、高度な呼吸能力では、人体背面(のみならず側面)を膨らませられることが『前提』になってくる。この前提の違いが、鍛錬、能力、最終的なアウトプットに至る断絶を作ることになる。


 そも、『骨格は動かない』という幼稚なイメージでは、肋骨がズレあう高度な体幹運動を認識することは不可能である。言語←→認識に渡る『不自由さ』は、人間を強烈に拘束する。生まれつきの才能なくして天才になることができない、とされる理由はこのように内在する論理が幾重にも存在し、複雑に絡まり合うことが原因であろう。


 呼吸ひとつとっても、それは全身運動にまで高度化することが可能である。否、前提である。横隔膜の上下運動のような単純化されたモデルで呼吸運動を説明しようなどという試みは、もはや下劣なのであって、人間の品性までも貶める無知に近い。生きるとは、息をすることなのだ。肋骨周辺や背骨周辺の表層・深層筋群は当然のように全て連動しなければならない。随意筋は当たり前、不随意の筋肉群まで影響を及ぼし、一体となる。

 ……だが、それらを全て自覚的に操作することは人間には不可能でもある。高度な身体性能を持つ〈冒険者〉であっても、一部の特技使用時において僅かに可能になっている程度。人間が自覚的に扱える範囲は狭く、限られているのだ。

 このため、識域下での連動を鍛錬し、統合処理しようとする長時間の努力が不可欠である。そうして初めて、微かに中心軸の必要性を感じる可能性が生まれる。中心軸なしには、ただ均一に呼吸しようとすることすら不可能事なのであり、そもそもそのことすら理解されえない。



ジン:

「じゃあ、そろそろ試してみようか」

アクア:

「…………」


 呼吸を整える間をとり、緩やかに息を吸い入れる。アクアは呼吸を声、やがて音そのものへと変換させていった。


ニキータ:

(凄い……!)


 キラキラと輝くような、天上の音楽が出現する。

 途中から天に抜けるような声質に変わったところで、鳥肌が止まらなくなった。重厚にして荘厳、それでいて『軽い』。まるでモーツァルトの楽曲のよう。

 全身の細胞が喜びの悲鳴をあげている。目からは涙が後から後から零れ続け、頬の上で川を作っている。このままでは眼球がしぼんでシワシワになってしまうかも?と心配になるほどだった。


 ユフィリアも、シュウトも、あのジンでさえも涙を流している。感極まったように、音の奔流はクライマックスを迎え、そしてやや唐突に終わった。すかさず、ユフィリアが拍手を始めた。


ユフィリア:

「私、めちゃめちゃ感動しちゃった!」

シュウト:

「やっぱり、凄いですね」しみじみ

ニキータ:

「本当に、本当に素晴らしかった」

アクア:

「……ありがとう」


 軽く賛辞のを受け入れ、涼しげな顔をしているアクアだった。


ユフィリア:

「ジンさんも泣いてる。……今の凄かったよね、すっごく感動したでしょ?」

ジン:

「感動なんかしてねーよ」

ユフィリア:

「でも、泣いてたでしょ? たまには、素直になろうよ」


 茶目っ気たっぷりに、泣いているジンをからかうユフィリアだった。


ジン:

「あのなー、細胞の共鳴振動は〈吟遊詩人〉が使う援護歌の基本原理だ。その上で、ある程度までクオリティが『癒し』に近づいてくると、人体ってのはほぼ自動的に涙を流すもんだ」

ユフィリア:

「それを感動したっていうんじゃないの? 私、鳥肌すごかったよ?」

ジン:

「感動してなくても、鳥肌は立つし、涙も流れんの。そうすると『ああ、私、感動したんだ』って思って自己説得しちまうんだ。アクアのレベルなら、この程度の事は造作もなくできるし、できて当たり前だろ」

ユフィリア:

「もう~、言い訳しすぎだよ。 泣くのはそんなに恥ずかしいことじゃないよ?」

ジン:

「だー、かー、らー、泣かないようにも出来たけど、プラスの共鳴振動を強引にキャンセル掛けるのは無駄な努力だから、しなかったんだよ!」

ユフィリア:

「ジンさんの意地っぱり」

ジン:

「コイツ、言葉が通じてねぇ……」

アクア:

「フッ、その男の言う通りよ。今のは技術で泣かせただけ。次はちゃんと魂にまで響かせなきゃね。……でも、ということは、既に同じことを経験したことがあるのね? 日本にはそんなレベルの歌い手が存在しているの?」

ジン:

「まぁ、その人はピアノだったけどな」

アクア:

「ピアノで……」

ユフィリア:

「でも、私はすっごく感動したんだよ!」

アクア:

「ありがとう。ユフィは真っ直ぐで、心も綺麗ね」

ユフィリア:

「ううん、普通だよ。ぜんぜん」

ジン:

「へぇへぇ、性格ヒネてて、心は汚れてますよ。わるーござんした」


 真面目そうな顔をしてジンの方に向き直ると、ぽつりと呟くように語るアクアがいた。


アクア:

「……まだまだ、行けるわね」

ジン:

「だろうな。改善の余地は幾らでもある。人体は奥深いもんさ」

アクア:

「キリがなさそうな程にね。お陰で分かってきたわ、貴方の言うフリーライドってものの事もね」

ジン:

「そうかい」

アクア:

「声は『出す』ものではなく『出る』ものなのね。今日のは、一番調子がいい時と同じだった」

シュウト:

「出す、じゃなくて、出る……?」

アクア:

「だから、まだシュウトには教えられなかったのね」

ジン:

「…………まー、そーいうことかな」

アクア:

「結局、歌うというのは最終的な局面なのよ。偉大なる先人たちは、歌うことで、歌いながら、呼吸や、もっと魂に近い部分を高め、育てていたわけでしょう?」

ジン:

「その通り。それが出来たから天才なんだろうな。……これで、俺がおまえに教えてやれることは、もう残っちゃいないかもな」

アクア:

「あら、そうかしら?」


 不敵な笑みを作ると、練習は終わったのだろう、「ありがとう」と礼を述べ、笑顔でジンに握手を求めるアクア。対して、ジンは眉をひそめ、不本意そうな顔をし、形だけの握手に応じていた。『ん? ここで握手なんかすんの?』といった言葉が聞こえてきそうだった。


ユフィリア:

「もうちょっとアクアさんの歌が聴きたいな」

アクア:

「いいわ、特別にサービスしてあげる。ただ、場所は移動しましょう。こんな窓もない部屋じゃ、半分も声が出せないのだから」

シュウト:

「それって、じゃあ、今のは?」

アクア:

「もちろん、遠慮したわよ。この男はともかく、貴方達の耳をやっつけるつもりはないもの」

 

 

 その夜はたっぷりと、涙の流し過ぎで目が痛くなるほど、アクアの『慣らし運転』を堪能することができた。

 


3週ぶりになってしまいました。

申しわ;y=ー( ゜д゜)・∵. ターン


EX 鞘走りと剣聖からこんなに話数というか日にちが経過するとは思っていませんでした。位置を移動させようかと思ったんですが、嫌な予感しかしないので止めておきました。バックアップに失敗したり、予想外のミスをやらかしそうでしたので。あと、コピペで移動させると投稿日が嘘になるのもあります。

間に挿入する形で書くことはできるんですが、1話分の削除はできない仕組みだったんですねぇ(苦笑) 残念です。


私はオリジナルをリスペクトしてない二次創作なんざ読む価値はねぇ!と思う人だったのですが、自分で書いてて、こう長くなってきますと、オリジナルをリスペクトするってどういうこと?アヒャ?な感じでして。ゲシュタルトが崩壊してしまってたりします。では。

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