80 天才の努力
ジン:
「頭が良くなる方法?」
ユフィリア:
「うん!」(こくこく)
本日はドラゴン狩りの日である。朝食後、軽く1時間ばかり朝錬をしてから出発することになっていた。トレーニングルーム代わりの倉庫で、朝練を始めようとした時にユフィリアから質問が出たため、ちょっとストップになっている。
ジン:
「そんなの幾らでもあるけどな。というか、基本的に頭ってのは良くなり続けるもんだし。まぁ、どう定義するかにもよるけど」
ユフィリア:
「そうなの? どうすればいいの?」
ジン:
「現実世界だったら、マンガを読み漁るのとかが簡単でいいな。努力感抜きである程度まで頭を良くするには最適だろう。ジャンルを問わずに読みまくれば、間違った知識も入り易いけど、それ以上に絵付きでイメージや考え方が入るからなぁ。ついでに日本語の語彙も地味に増えるのがグッドだ。日本でマンガを利用しないのは勿体ないことだよ。問題は、それなりにお金が掛かるのと、レイプ願望を煽ったりBLに誘導しようとする一部の少女マンガとかがNGなことだな」
葵:
「男向けのエロマンガみたいなファンタジーだってダメじゃん」←BLもいけるクチ
ジン:
「あれはアリなんだよ。ファンタジーは心に不可欠の栄養素だ!」
ユフィリア:
「マンガかぁ。ココじゃできないね。他には?」
葵との対決ムードを高めつつ力説するジンを無視して、ユフィリアが続きを促す。
ジン:
「……じゃあ、もっと簡単で気持ちいい方法にしようか。今からお前の部屋に行くぞ」
ユフィリア:
「私の部屋? どうして?」
ニキータ:
「また始まった……」
ジン:
「妊娠すれば天才になれるっつったろ? 俺様が直々に孕ませエッチをしてあげようじゃあ、ないか。どーんと任せておけ!」
ユフィリア:
「え、遠慮します」
ジン:
「頭良くなりたいんだろ? 遠慮スンナ」ずずいっ
シュウト:
「……時間がなくなっちゃうので、そろそろ練習しませんか?」
ジン:
「1時間で戻る」すちゃ
ユフィリア:
「やー! やー! やー!」
ニキータ:
「その手を離しなさい、この変態!」
ユフィリアの腕を掴んで連れて行こうとするジンだった。冗談のつもりなのだろうけれども、半分以上、本気の気がしてならない。
ジン:
「クックック。喜べ、これでもか!ってぐらい中出ししまくってトドメを刺してやろう」コハァ~
ユフィリア:
「ジンさん、目が怖いよ!?」
シュウト:
「最初っから1時間で戻る気ないじゃないですか……」
ジン:
「ヴァ~レたか~。まぁ、今日のところは冗談だ」
ニキータ:
「油断も隙もないんだから……」
ユフィリア:
「うーっ。ジンさんのいじめっ子~」
葵:
「おいおい、キワドい冗談はほどほどにしとけよ、ジンぷー?」
ジン:
「本気なんだがなー。…………ともかく、戦闘と同じで、知力もまた総合力の問題だ。広範囲で深い知識、それを統合処理するための思考力。そんなんを揃えたとしても、才能やセンス、さらには人間力なんかでレベル差を付けられたりする。たとえばどん欲な知識欲とか好奇心、色々な人と話し続けるコミュニケーション欲求だのを維持するのが案外しんどくなっていくもんだ。食事と同じで、短時間にいろいろ詰め込もうとしても『満腹』になってしまうんだな。
その他にも、たとえば石丸みたいなスーパー計算力とか超記憶力みたいな方向性もあったり、色々ですよ」
ユフィリア:
「そっかぁ」
ジン:
「思考力やセンスを鍛えるためには、観察力を養うのがオーソドックスな方法だな。情報を入力する部分である観察力を高めることで、出力処理を高度化するフィードバックループを作るわけだ。
意識系だと、中心軸によるメタ認識の向上だとか、もっとダイレクトに上丹田で前頭葉の活性化、みたいな方向もあるね」
ユフィリア:
「うーんと、どれがいいの?」
ジン:
「そうだなぁ。……じゃあ、頭が良くなる体操でもやろうか?」
ユフィリア:
「うん! それがいい!」
そういうと、ジンはユフィリアを仰向けに寝かせる。
ジン:
「真っ直ぐに寝て、ヒザを立てて90度に曲げる。足はぴったりと合わせたままでな? そうそう。それで、片方の足を上げて、ヒザの上に乗せます。……足の力を抜いて、足自身の重さで、ふくらはぎがヒザに押しつけられて、軽く押しつぶされるのを味わう」
ユフィリア:
「こんな感じ?」
ジン:
「いいぞ。で、上下に動かして軽くコスる。場所を変えて、いろいろなところを探りながらやるんだ。痛気持ちいい程度にな。片側2分半、両足あわせて5分が最初の目安だ。……おまえらも見てないでやれ」
シュウト:
「はい」
天井を見るように寝て、ヒザを曲げる。足を組むような感じで持ち上げて、ヒザでふくらはぎをマッサージしていく。
ジン:
「そのまま素直に上下に動かすんだ。力は抜けよ。専用のヴォイスはコゾコゾだ」
ユフィリア:
「コゾコゾ、コゾコゾ」
シュウト:
「…………」
ジン:
「シュウト」
シュウト:
「コゾコゾ……」
ニキータ:
「足のむくみはとれそうですけど、これが『頭の良くなる体操』ですか?」
ユフィリア:
「えっ? 頭、良くならないの?」
ジン:
「ばっか、良くなるって。ニキータみたいな頭いいつもりの批判屋に騙されんなよ」
シュウト:
「えっと、じゃあ、どういう効果があるんですか?」
念のため、仲裁的に言葉を挟むことにする。
ジン:
「足のむくみはもちろん取れるけど、分かりやすいのは脳血流量の改善・増加だよ。ヒザでコゾコゾしていると、心臓からいっちゃん遠い足の血流が改善する。はじめの内はちょっと息苦しい感じがあるかもしれないが、これは足にたまってる血が、心臓にドッパドッパと戻っていく感覚なんだ」
ユフィリア:
「ドッパドッパ?」
ジン:
「そうドッパドッパ。……想像してみるといい。受験とか、期末テストとかの前日やその当日の朝なんかは、どうにか頭を良くしたいと思うだろ? 思うよな? その最後の悪足掻きになにをすればいいか。脳の血流量アップがベストなアンサーですよ。
たとえば、カレーに含まれる香辛料にも脳血流量を増やすものが入っているらしいけど、所詮は食い物による副次的な効果に過ぎない。それよりももっと、直接的に血がドッパドッパすれば、全身の血の巡りが良くなるから、結果的に脳にも新鮮な血液が持続的に供給されることになる」
ユフィリア:
「それって、カレーでもいいの?」
ジン:
「おいおい、毎朝カレー食べるつもりか? この運動なら、起きてそのまま布団でできるんだぜ? 低血圧で頭がボーっとしているヤツなら、血の巡りが一気に改善される感覚を味わえるだろう。メガシャキですよ。
……もっと言うと、メタボからの成人病コンボってのは、血流の悪化によって障害が起こる仕組みだから、真逆の効果になるんだよ。末端への血流量も確保されるし、循環が次第に改善していく。全体の血液循環が良くなれば、脳だけじゃなくって、自然とお肌なんかにもプラスの効果が見込めたりする」
ユフィリア:
「すごーい!」
ジン:
「血がよどむと人間は死んでしまう。だから、血管がつまってても心臓はがんばって血液を送り出さなきゃならない。その結果として血圧があがってしまうんだな。この運動は心臓への負担を緩和させる効果もねらっている。従って老化速度の減少であるアンチエイジング効果も出てくるし、部分的には若返りすらありえるだろうな。横になれればドコでもできるコストの低さがあるから、足のむくみが気になっている女の子には福音になる。続けていれば、体質が改善して、そもそも足がむくみにくくなっていくはずだ」
――血管には弁が付いているため、血液は一方にしか流れないように作られている。もしも弁が無かったとすると、心臓から出発した血液が、どこかで溜まり、心臓に戻らなくなってしまうだろう。
人間の脚部は『第二の心臓』と呼ばれることがある。筋肉の塊りである足は、運動することによって筋収縮し、血管を圧迫する。弁が存在することで、圧迫された血管は血液を送り出す『ポンプ』の仕組みになる。これを『ミルキングアクション』と呼ぶ。
正常な人体は、このミルキングアクションのおかげで足がむくむことが無い。しかし、運動不足の現代人は、座ったりしたまま一日の大半を過ごさなければならなかったりする。酷い場合、エコノミークラス症候群と呼ばれる血栓症を起こしてしまうこともあり得る。ミルキングアクションの改善は、心臓への負担を減らし、足本来の活動を活性化させ、脳にもプラスの刺激を生み出すのである。
ニキータ:
「これは……」
シュウト:
「なんか、究極っぽくないですか?」
ジン:
「実際、魔法効果を付与するのに近いな。半日ぐらい効果が持続するし、ハマった人は早く家に帰ってコゾコゾしたいと思うようになる。
マッサージしてもらうのと違って、自分で動かしていることも大きい。上達すればコゾコゾの動作でインナーマッスルを自然と使えるようになるから、歩行運動の改善効果も大きい」
シュウト:
「たしかに頭も良くなりそうですね」
ジン:
「一日や二日でどうにかなるモンじゃないんだけどな。バフが掛かった状態で、365日活動するのと、掛かってない状態で同じ時間を過ごすのじゃ、結果は明らかだ。2~3年もすればかなり違ってくるだろう。
毎朝眠くて頭が回ってない状態で過ごすのと、朝から血の巡りがいい状態で過ごすのとじゃ、圧倒的に違ってくる。学校だの会社だのの違いはあるだろうが、そこでの時間の充実度が変わるからな」
葵:
「……なぜかしら、耳が痛いのは気のせい?」
ジン:
「ああ。時間はもう、戻ってこないからな」
葵:
「せ、せつねぇ~っ」
レイシン:
「大丈夫。今も充実しているよ」
葵:
「そうだよね、ダーリン!!」ひしっ
レイシン:
「はっはっはっ」
葵:
「うにゅ~」すりすり
ジン:
「ま、盛ってるヤツはおいとくとして。疲労回復効果もあるからな。お前ら、くたびれて玄関で寝っ転がって、コートどころか靴すら脱げずにしばらく動けなくなったことがあるか?」
ユフィリア:
「うーん、それはないかなぁ」
シュウト:
「上着ぐらいは脱いだりしますよね」
ニキータ:
「…………うっ」
葵:
「おやおや?」
ジン:
「おっと、ニキータ先生の様子がおかしいですね。これはちょいとインタビューしてみましょうか。 現場の、葵さーん?」
葵:
「はーい! では、ニキータちゃんにインタビューしてみたいと思いまーす。……さぁ、キリキリ白状せい!」
シュウト:
「いや、全然インタビューになってませんって」
ニキータ:
「就職活動した時に一日中歩き回ったりして、そういう日もあったかな、と……」
ジン:
「うっわ、ニキータさんともあろうお方が、上着も脱がずに玄関でゴロゴロ?」
葵:
「あっちゃー! やっちゃったねっ!」(><)
ニキータ:
「くっ……」
ユフィリア:
「もう! ニナをいじめるつもりなら、私が相手になるよっ!」
ジン:
「ハハハ、悪い悪い。でも、そういう時にも効果を発揮する訳ですよ。靴を脱ぐのも面倒って時にも、靴を履いたままコゾコゾできるんだぜ? とーぜん、ムクんだ足にゃかなりの効果が期待されるわけですよ。翌朝、布団でもう一回やれば、翌日もそこそこ元気に動けたりするって寸法さ。
……さて、反論があるなら聞こうか?」
ニキータ:
「疑ったりして申し訳ありませんでした。是非、やらせて頂きたいと思います……」
ジン:
「うむっ!」
ニキータにしてもわざわざ告白しなければいいのに、とは思ったが、自分から負けてみせるのはジン達もやっていることであって、どことなく大人っぽい配慮のように思えた。
……その後、甲腕一致の四つん這い歩きと、重心線の追いかけっこを終わらせてドラゴン戦の舞台へと移動する。無事に転移を終え、獲物を求めて歩き回ることになったのだが……。
◆
ジン:
「うぉおおおお!〈竜破斬〉!!」
激しく叩きつけられるジンの必殺技に、ドラゴンの血しぶきが飛んだ。
ジン:
「続け、シュウト!」
シュウト:
「はい! いけぇ!!〈アサシネイト〉ッ!!!」
ジンの刻んだ場所に重ねるように〈暗殺者〉最強の奥義を放つ。すかさず本命のレイシンが手に持った刃を突き立てた。
ユフィリア:
「みんな、がんばって~」
ほんわかとした応援をするユフィリアに、「おう!」と応じるジン。
レイシン:
「まだダメだよ、もっと深くいかないと!」
ジン:
「よし、もう一丁!!」
死んで倒れたドラゴンに向けて、再度の〈竜破斬〉を加えていくジン。
……今は、炎を吐くタイプのドラゴンを解体し、あるかないか分からない『ドラゴン袋』を取りだそうとしているところだった。当のドラゴンとの戦闘で早めに使ったアサシネイトだったが、再使用規制が解除されたために自分も投入してみた。なんだかもの凄く間違っているような気がしないでもない。
シュウト:
「あの、ドラゴンと戦ってる時よりも真剣じゃないですか?」
ジン:
「あたりめーだろ、時間がないんだ。ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ」
レイシン:
「もう一回、でもあまり深く入れないで」
ジン:
「俺のは手加減できない。おまえがいけ、シュウト!」
死んだドラゴンの血液でびちゃびちゃになりながら死骸をほじくり返す作業は、実のところ戦闘よりも重労働だった。しかも結果が『時間切れで成果なし』とくれば、その疲労度は戦闘の三倍近い。レイシンが嫌がるのも当然だった。
ジン:
「あーっ、くっそー!」
仰向けにゴロンと転がるジンに倣って自分も寝ころぶ。標高が高い場所にいるためなのか、空が近い気がした。手を伸ばせば宇宙も直ぐそこ、とまではいきそうになかったが、そんな気分ではある。
ぼーっと空を眺めていると、辺りのスカスカな空間が気になってしまう。この周囲には自分たちしかいない。どこか離れた場所にはドラゴンがいるはずだったが、こんな地の果てのような場所に来て、一体、何をやっているのだろう?などと考えてしまう。異世界に来て、ドラゴンを狩っている自分を客観的にみれば、かなり異常だと感じる。
……いや、本当は違うのだ。強烈な違和感が、現実感覚にまで浸食しそうになっているだけだった。
シュウト:
「あの、今日はかなり絶好調なんですが……?」
ジン:
「割と動けてるみたいだな。それがどうかしたか?」
がばっと体を起こして、ジンを見た。割と非難がましい顔をしていたと思う。
シュウト:
「ですが、まだ努力っぽいことをしてないんですけど……」
言葉が尻すぼみに消えていく。理解していたつもりのことが理解できていない。だからこういう発言が出てきてしまうのだろう。口から出た言葉に、自分の頭の悪さがにじみ出ているようで、辛い。
ジン:
「ハッ、でたよ努力厨のニワカ発言」
レイシン:
「ハッハッハ」
努力らしきことは、一切していない。四つん這い歩きが多少、慣れない運動という程度。それなのに、どんどん変わっていく。着実に強くなっているのだ。その理解のできなさが不安として蓄積され、少しずつおかしくなってしまいそうだった。現実の風景が変質してしまう恐怖、とでもいうのだろうか。
ジン:
「まぁ、天才の努力ってのは、そういうもんだけどさ」
シュウト:
「天才の、努力……」
ジン:
「安心しろよ、コゾコゾすんのも一過性のものだ。やらなきゃ直ぐに効果なんて消えちまうって」
ユフィリア:
「そうなの?」
ジン:
「当然だな。歩きとかは十年単位の時間でゆっくりと今の形になってんだ。5分やそこらの運動で変化なんかしねーよ。何十日もコゾコゾを続けて、その内に脳内のプログラムが巧く上書きされればラッキー、とかその程度のもんだ」
シュウト:
「それは、そうなんでしょうけど……」
ジン:
「立つのとか歩くのとかは、やっぱり時間が掛かる。ある程度はやり続ける必要があるのさ。……だからな、自分で選んでもいいんだぞ? キツイばっかりで大して効果も無いような努力を延々とやり続けて行けば、それなりに自己満足も得られるかもしれない。『俺はやった!』みたいな」
シュウト:
「はぁ……」
ジン:
「じゃなきゃ、努力した気はしないけど、結果だけ手に入っちゃいました、てへー、みたいなので我慢するかだ」
シュウト:
「……それじゃ、悩みようがないんですが?」
ジン:
「そうさ。だから、努力すんの嫌いだって言っといただろ!」
ユフィリア:
「ねぇ、その会話おかしいよ。絶対ヘン」
ニキータ:
「シュウトも良い感じに壊れて来たんじゃないかしら?」
ユフィリア:
「そうかも」
シュウト:
「勝手に壊れたことにしないで欲しいんだけど……」
ドラゴンと遭遇するべく山道を歩いていて、もう既に楽だった。〈冒険者〉に体力があるのは当然としても、それとも違ってきている。よく分からないのだが、歩き方が変わっているらしい。
そのまま戦闘になっても絶好調で、何戦かしたすべてでドラゴンを倒し切ってしまっていた。自分がどうして強くなっているのかも分からない。ドラゴンが相対的に弱く感じるほどだった。
ジン:
「……つまり、努力もしてないのに強くなっちゃ困るってことだろ? なら簡単だ。全っ然、強くなってないと思い知ればいい」
スクッと立ち上がって、剣を抜くジン。
ジン:
「ホレ、手加減してやっから、掛かってこい」
シュウト:
「今ですか?」
ジン:
「じゃあ、いつやるの? ……今でしょ」
どこぞの教育塾ネタで挑発してくる。まるっきり勝ち目がないのは分かっていることなので、気が引けた。
ジン:
「なんだよ、ビビッてんのか?」
シュウト:
「勝ち目が無いですし……」
ジン:
「あるわけねーだろ、この大バカ野郎! こっちから行くぞ、避けろよ」
武蔵の剣ではないらしいが、踏み込み速度は相変わらず突き抜けている。厄介なことに『見慣れる』ということが無い。それでも跳んで回避し、抜刀。半身に構える。
ジン:
「フン。車でいうドリフトのような、制御外の大きな動作はずいぶんと良くなって来てるな。それが制御内の小さな動作にも、いわば逆輸入されるようになればもっとよくなる」
シュウト:
「……はい」
ホメられて、もっと良いところを見せたくなるのだが、双身体を使われると、その攻防同時制御に反応が追いつかない。右半身と左半身が分厚くなったように感じられる。そうして左右同時に集中させられていると、見えてない方向から攻撃された。吹き飛ばされた後に下からのヒザ蹴りだと知る。畳みかけられる前に離脱をかけて仕切りなおす。
ジン:
「じゃあ、スピードアップな」
見てからでは防御が間に合わない速度で連撃が繰り出され、左腕を犠牲にしてダメージを抑えるしかなかった。盾はこちらの攻撃を封じるように動いてくるし、足癖も悪い。膝蹴りだけではなく、足払いも混ざり、姿勢を崩そうとしてくる。集中しようにもそうして意識を分散させられてしまっていた。更に正面からグイグイと押し込むような前進をかけられ、少しずつ後退しながら戦わされる。それだけで気持ちが防戦に回りそうになっている。
最初から実力差があるのに、戦い方まで徹底されると、近接での勝ち目の無さを思い知らされるばかりだった。
距離をとり、中距離で自分のスタイルへ移行しようとしても、簡単に間合いを詰められてしまう。一度みせてしまっているので、警戒もされているのだろう。思い切って全力で走って逃げるぐらいしないと、間合いも取れそうにない。
ジン:
「近接での怖さがないと、中距離でのスタイルが活きてこない。下手にアサシネイトに頼ってるとジリ貧だぞ!」
間合いを詰めれば怖くないと思われてしまえば、『消える移動砲台』は通用しないのだ。武器攻撃職として、近づかせた時に怖い〈暗殺者〉だからこそ、中距離での戦法が活きてくる。ハイレベルを相手にしても通用するところまで、もっと磨いていくしかないだろう。
ソロと、パーティでの戦法は違うにしても、基本的な有効性が一致してこなければならない。パーティでは強くても、ソロで役立たずなのでは、自分としても納得いくはずもない。これも大きな課題だった。
やはりというべきか、為す術もなくズタズタにされて終わった。こちらのクリーンヒットはゼロで、完封されている。近接の乱打戦にみえて、試合運びから決定力に至るまで、全てで大差があった。それでもわずかばかり長くもったような気がしただけマシだった気がする。
……手加減されまくったあげくに、もったとか、もたないとかで一喜一憂している自分が情けなくない訳ではないのだが、つまらなさそうに戦ってくれたジンのことを思えば、どうとか思うべきではない。
結局のところ、心配するほど強くなってなどいない、ということを身をもって分からせてくれたのだ。呆れて言葉も出なくなるほどの、分厚くて高い差を実感として感じることが出来た。
ユフィリア:
「ボロボロだね、シュウト」
シュウト:
「ああ」
ニキータ:
「どう? ボロボロにされて納得できた?」
シュウト:
「これでもか!ってぐらいにね」
ジン:
「オラ、休憩は終わりだ。回復したら次いくぞ~」
◆
ジン:
「ちょっと向こうに行ってみるか」
〈妖精の輪〉のあるゾーンに戻って昼食を終え、午後はこれまで行ったことの無い方向へ向かって歩を進めていく。谷を下っていくルートは初めてだった。
ジン:
「うーむ。……問題は、営業しないでどうやって売り込むかだ。派手なアピールをするか、派手じゃないアピールをするか」
シュウト:
「なんの独り言ですか?」
ジン:
「ドラゴン素材を売り込むのに、なんぞ良い手はないものか、ってな」
ユフィリア:
「どういう風にすればいいの?」
ジン:
「そうだなぁ。マッチ売りの少女みたいな格好して『このドラゴン素材を買ってくれませんか?』とか言いながら、可哀想な感じで売ってみるとか?」
シュウト:
「もの凄い絵面ですね……」
赤いフードをかぶったユフィリアが、半泣きで何かを売っていて、優しそうなおじさんが『どれ、ひとつ買ってあげよう』とバスケットの中をのぞき込むと、そこに入っていたのは凶悪で禍々しいドラゴンの素材だった、というイメージ。……それは単なる罰ゲームではなかろうか。
ジン:
「じゃあ、お前も何かアイデアを出してみろよ」
シュウト:
「え? えっと……、お試しサンプルを配る、とか?」
咄嗟に思い浮かんだのは、よりにもよってティッシュ配りだったりした。何人か並んで配っていると、つい貰ってしまう。
ユフィリア:
「試供品でーす!って言いながら、ドラゴンの鱗とか配るの?」
ジン:
「…………」
石丸:
「…………」
シュウト:
「す、スミマセンでした」
素直に謝っておくことにした。自分でも無茶なことを言ったと思う。ティッシュじゃないのだし、使えるアイデアとは思えない。
レイシン:
「でも、悪くないよね?」
シュウト:
「ええっ?」
ジン:
「ああ。……配るモノとか、やり方によるだろうな」
そのまま長考に入るジン。適当なアイデアを言ってしまった気まずいような気持ちのまま、ドラゴンとも遭遇できずに、時間だけが過ぎて行った。
そのまま、1時間近く経過した頃だった。
ジン:
「いたぞ」
先頭のジンが手で仲間の動きを制する。そのままジンが発見したドラゴンを確認するべく移動していく。
ここから戦闘開始まで、可能な限り有利な状況を演出しようとするのだが、実際にはあまり大きなアクションは取れない。これは基本的に戦力を割れないのが大きい。ギリギリ可能なのは、ジンがひとり、残り5人、という組み合わせで、それも残り5人の側はドラゴンを相手にすればかなりのリスクを負うことになってしまう。
シュウト:
「あまり見ないタイプですね」
ジン:
「そうだな」
クリスタルのようなものが鱗の代わりにドラゴンを覆っていた。もはや装甲材などと言いたくなるレベルで、(こりゃまた、硬そうだなぁ)が第一印象だった。ジンはともかく、自分たちは酷く苦労するであろうことは容易に想像される。
ジンの〈竜破斬〉は非属性性をブーストした攻撃なので、硬さの影響を受けない。それどころかあらゆる魔法的・物理的な防御手段をほとんど無視する特性がある。これは『対非属性防御』といった同一レイヤー上の防御手段が存在しないためだと考えられている。
言ってしまえば『何でも切れる剣』だ。この効果は〈付与術師〉の駆使するソーンバイト・ホステージの拘束1つ1000点のような、『一定ダメージ』の攻撃に似ている。それでいて、ダメージの物理限界をも突破させてしまっている。こちらの特性はアサシネイトに近い。
自分もアサシネイトを使えば、あのドラゴン相手にもダメージが通るだろう。しかし、それは5分の再使用規制という制限が存在した上での話なのだ。もっと厳密にいえば、ヘイトという足枷がある。再使用規制が短かったとしても、今度はヘイト管理の問題で連発できなくなる。
本来、あのドラゴンに大ダメージを与えるということは、6人パーティではそもそも不可能、という話に落ち着くのだ。……それがたまたま、ここに例外中の例外がいて、アサシネイトの倍以上のダメージを、2秒ちょっとで連射できたりするおかげで、なんとかなっているのだ。
シュウト:
(そうか、HPへの直接攻撃に近いのかも……?)
スケルトンやゾンビのようなアンデッド系モンスターには、生物的な意味での生命力は無いはずだが、『存在する力』のような意味でHPは設定されている。
本来、攻撃すれば生命に対して危害・損害を与え、その結果としてダメージを蓄積させ、最終的に相手を死に至らしめる、という順序を取ることになる。もともとゲームであった時には、それらは自動的に計算され、ダメージが値として表示されていたのだ。それが〈大災害〉を機に、ダメージ値は非表示になっている。つまり、ゲームが現実化したことで、正しく生命や相手の存在に対して『損害』を与えている可能性があるのだ。
逆に、ジンの攻撃はよりデジタル的に、相手のHPを『消している』のかもしれない。例を考えてみると、まず10万円を貯金していたとする。それが銀行ではデータ化されている。ここでジンが〈竜破斬〉を使うと、2万2000円分が唐突に失われ、残金が7万8000円になってしまうのだ。
シュウト:
(……嫌過ぎる。じゃないよ、これを何かに応用できないのかな? アサシネイトとか)
考察という名前のムダ思考を重ねていると、女性陣が小声で騒ぎはじめていた。
ユフィリア:
「すっごく、キレイ!」
ニキータ:
「そうね、まるで宝石みたい」
ユフィリア:
「あの石みたいなので、アクセサリーとか作れそう」
ニキータ:
「いいわね」
ユフィリア:
「ねぇ、ジンさん。倒せたら、ちょっと分けて貰ってもいい?」
ジン:
「あっ、……そうか、それでいいじゃん」
石丸:
「サンプルに使えるっスね」
ユフィリア:
「そうなの?」
ジン:
「なら、逃がすわけにゃあ、いかねぇなぁ」
シュウト:
「作戦はどうしますか?」
ジン:
「今回は俺がソロ気味で戦う。初見だし、フォローは最低限で頼む」
ユフィリア:
「動けなくならないように、だね?」
ジン:
「そうだ」
動きを止める状態異常は様々に存在している。石化や麻痺、睡眠、更には死亡もその一つだ。戦闘時にユフィリアに与えられた最優先課題は、ステータス異常の内『動きを停止させるもの』から、ジンを回復させることなのだ。たとえば毒と麻痺に同時になった場合、麻痺を先に回復させる必要がある、という話だ。ジンの防御力は桁外れに高く、HPの回復はそこまで優先されないことが、これらの話の前提になっている。状態異常にも信じられないほど強靱なのだが、完璧に無効化できる訳ではない。
フェイスガードを下ろしたジンが、全力となって突撃する。
残念ながら、今回は『邪魔するな』というお達しなので、離れた位置から見守ることになる。いざという時にユフィリアが援護ができるよう、ほどほどに接近するのだが、戦っている時よりもむしろ緊張してしまう。
下手に狙撃などをして注意を引いてしまうと、ヘイト的にみてパーティが『分割されている』と判定されたタイミングに、おまけ程度に攻撃される可能性があった。しかし、そのおまけ攻撃でも、紙防御の後衛メンバーにとっては即死級のダメージだったりする。
シュウト:
(うわっ、メチャクチャだな……)
ジンはといえば、パーティ戦闘から解放されてノビノビと戦っていた。密着するようにポジショニングし、連打を叩き込んでいると思えば、反撃を誘ってカウンターの斬り抜けを当てていく。午前に自分と戦った時とは動き方も強さも段違いだった。
シュウト:
「フローライトドラゴンか、戦った記憶はないな」
レイシン:
「少しでも情報があれば良いんだけど」
石丸:
「そうっスね」
ジンは一方的に圧倒しているというよりは、敵の攻撃を誘いながら戦っていた。淡々と、だがかなりの速度でドラゴンの命を削っている。その静けさが恐ろしい。
ユフィリア:
「あのね、フローライトドラゴンってどんなモンスター?」
ニキータ:
「ユフィ、誰と話してるの?」
なんとなく嫌な予感を覚えつつ、ユフィリアの念話が終わるまでの間、油断しないように努める。
ユフィリア:
「うん、わかった。アリガト!……えっとね、フローライトってホタル石なんだって。もーす硬度っていうのが4で、あまり硬くないみたい。それから、光って、熱くなって、毒って言ってた」
シュウト:
「ちなみに、誰が?」
ユフィリア:
「えーっと、……ユミカ、だけど」
シュウト:
「…………」
何かあるだろうと思ったのだが、やはりだ。そんなことだろうと思った。ドラゴンの話を使って、(自分だけ)仲直りしようという魂胆だ。
それにしても、相変わらず詳しい。ドラゴンの情報までフォローしていたとは思わなかった。……いや、それよりも、どういう状況だと思われたのだろう? まさかユフィリアが本当にドラゴンとの戦いの真っ最中とまでは想像できまい。なんというか、申し訳ないような気がした。
――〈蛍晶竜〉。
クリスタルドラゴン系の亜種モンスターであり、特に蛍石の特徴を与えられている。遭遇頻度はかなり低い。
モチーフである『蛍石』(けいせき、ほたる石)のモース硬度は『4』であり、この鉱石がモース硬度の基準になっている。ナイフでも簡単に傷を付けることが可能だ。ただし、フローライトドラゴンは蛍石と比べてかなり硬質化されている。
ちなみにダイヤモンドのモース硬度は10で、こちらは広く知られている。その下のモース硬度9は鋼玉と呼ばれ、ルビーやサファイア、スピネルがある。……特にスピネルドラゴンはクリスタルドラゴン系では最も強く、且つ、最も出会いにくい希少種とされる。
蛍石は毒と光の性質を持っている。
毒性においては、濃硫酸と混ぜて加熱すると毒性の高いフッ化水素を発生させる。(蛍石の主成分はフッ化カルシウム、歯磨きに利用されているフッ素はフッ化ナトリウム)
光の性質においては、その名の通り光を放つ性質がある。現代では蛍光ペンや蛍光灯などで利用されている。昼間に太陽光を蓄積し、長く光り続けるものがある(光が持続する場合は蛍光ではなく燐光と呼ばれる)。
ユフィリア:
「ジンさーん! 光ったら、熱くなって、毒だってー!」
ジン:
「おう!」
そのまま大きな声で情報を伝えるユフィリアだった。
シュウト:
「いや、それ、こっちが知ってるってドラゴンにもバレちゃったんじゃ?」
ユフィリア:
「えっ、ダメだった?」
ニキータ:
「次の時は、念話にしましょうね」
ユフィリア:
「うん。……ごめんね?」
シュウト:
「僕はいいけど」
この会話が逆に牽制になったのか、そこからしばらくドラゴンは光らなかった。不意を衝くタイミングを狙っていたのかもしれない。
実際に光るのを見たら、かなりの光量があり、カメラのフラッシュよりも遙かに強烈だった。数メートルの近接戦の範囲では、数秒程度の目くらましの効果がありそうだ。ジンは事前に得た情報の甲斐もあってか、これはしっかりとガード。ドラゴンの周囲の空気が揺らめいて見える程の熱量があったので、そちらで後退した。
その後にくるらしい毒ブレスに巻き込まれないように、自分たちはしばし後退。熱で下がったジンも問題なくブレスの回避に成功していた。濃硫酸の毒ブレスが当たった地面はみるみるうちに溶けていき、その恐ろしい威力が伝わってくる。
ジン:
「なにっ!?」
トドメを刺そうと接近したジンが驚きの声を上げる。いつの間にか猛毒のステータス異常を受けていた。ブレス後に全身から噴射した無色透明の水蒸気が、ただの冷却機構かと思いきや、猛毒性を持っていたらしい。この辺りは実際に戦ってみなければ分からない部分だろう。
厳密に言えば、濃硫酸ブレスは『腐蝕性』であるから、毒の攻撃が別種に存在している可能性はあったのだ。ユミカの情報に感謝しつつも、それを活かせるかどうかはちゃんと注意できるかに掛かってくることも分かった。
毒を中和しようと慌てて動き出すユフィリアだったが、ジンは一切慌てることなく、そのまま討伐を完了してしまった。快癒を終えた時、HPの約2割強を毒に持って行かれていた。猛毒の継続ダメージは長く放置できないものなのだ。
……このフローライトドラゴンが、本日最大の収穫になった。単純な素材価値の意味においても、今後のギルド〈カトレヤ〉の未来にとっても。