77 快適な精神は
ユフィリア:
「おはようございまーす!」
レイシン:
「おはよう」
ユフィリアは本日も元気いっぱいである。遠足の日を楽しみにしていた子供のようだが、特に何かイベントがある訳でもない。もともと365日あれば、300日以上、たぶん350日ぐらいは『朝から元気なユフィリアさん』なのだ。
健全な肉体に健全な精神が自動的に宿ることは、まずないとされる。それは神に祈るべき事柄なのだが、しかし肉体が快適であれば、精神も快適になりやすいものだ。さらに快眠・快便ときて食事が美味しければ、人間の不満などはごく些細なものばかりになる。単純明快でよしとしたい。だいたいのところ『複雑な心理』とやらの大半は『つまらない不満』の積み重ねによって作られているもので、頭痛や肩こり、腹痛、腰痛などが治って機嫌が良くならない人の方が珍しかったりもする。
レイシン:
「まだ朝食まで時間があるけど、ミルクティーでいい?」
ユフィリア:
「うーんと……」
厨房のほうからいい香りがする。彼女は少しばかりそちらに気を取られ、レイシンに対する返事がおろそかになった。出汁の香りだと気が付く。
ユフィリア:
「この香りって、ジンさんのお味噌汁?」
レイシン:
「そうだよ。飲んでみる?」
ユフィリア:
「うん。お願いします」
ここのところ、ジンは起きてくるとまず最初に味噌汁を飲むようになっていた。朝はパンのことも多いので、そうなると味噌汁は合わない。だから『食事前の一杯』だ。ジンがこだわるお味噌汁とはどんなものなのか?と興味がわいてくる。
火を止め、最後に味噌を溶かすレイシン。丁寧に、というよりは慎重な感じで、そうっとお椀に注ぎ入れる。そのままこぼさないようにゆっくりと運び、「熱いから気をつけて」の言葉とともに渡される。口を付けようとしていたところで、ジンが降りて来た。
ジン:
「うーす」
ユフィリア:
「ジンさん、おはよ!」
ジン:
「おう」
相変わらず眠そう。レイシンがさっそくジンに味噌汁を入れている。……そんな動きを見ながら、意識せずに味噌汁に口を付ける。
ユフィリア:
「!?」
不意打ちになった。
上品な香気が鼻から目へと通り抜ける。のどを通る液体がじんわりと体に吸い込まれ、余韻が響いてゆっくりと消えていった。全身の細胞に染み渡る錯覚すら感じた。
ユフィリア:
「すごく、おいしい……」
それ以上の言葉が出ない。言いしれぬ大発見をしてしまった気分になる。
お味噌汁に抱くイメージは人それぞれだが、あまりオシャレな感じはしないものだろう。『お袋の味』に代表されるような、地味さや田舎っぽさなどが優先されがちだ。ユフィリアもそれは同じだった。母親の作るお味噌汁は好きだが、オシャレさんとは遠い位置関係にある。
ところが、レイシンの作るお味噌汁は違った。あまりにも上品で、お味噌汁のイメージが180度変わってしまうほど。丁寧に取られたダシは力強く、それでいて繊細だった。味噌が入ることで濁されることはなく、逆に良い部分が合わさって華やかに昇華している。まったくの雅なもの、だった。
彼女は、ジンをじっと見つめた。人の反応が素直に気になったのだろうが、なんだか『とても大切なこと』のような、思い詰めた雰囲気だった。
眠そうだったジンは、味噌汁を飲んでゆっくりと目覚めていった。どこまでもナチュラルな覚醒。ジンが味噌汁を好む理由がユフィリアにも分かる。下手なコーヒーで目を覚まそうとするのは、脳天をハンマーで叩いて起こすのに近くなってしまうだろう。こんなお味噌汁なら、毎日だって飲みたくなるに違いない。
レイシン:
「どうかな?」
ユフィリア:
「美味しいです。すっごく優しい味……」
レイシン:
「よかった」にっこり
ユフィリアの反応を見て笑顔になったレイシンが、お椀から自分の分の味噌汁を飲み、出来を確かめるように頷いていた。
ユフィリア:
「ふふふっ」
レイシン:
「?」
ユフィリアが微笑む。そのタイミングで、今度はシュウトやニキータが降りて来る。レイシンは彼女の笑みが気になったものの、朝食を仕上げてしまおうと厨房に戻って行ることにした。
ちょっとした悪戯を思い付いた彼女は、一人でニコニコしていた。実行には少々準備が必要なのだが、絶対にやると心に決めていた。
◆
シュウト:
「いただきます」
ジンの様子をうかがいながら、朝食に手を伸ばす。気が気ではないため、あまり味が分からない。今のところ、いつもと変わるところは見あたらなかった。
シュウト:
「あの、今日なんですが……」
予定を決めてしまわなければならないので、率先して口を開いてみた。言ってしまってから、牽制の意味合いが強くなってないかが気になってしまう。
ジン:
「おう。……石丸、次のドラゴン狩りはいつだ?」
石丸:
「明日っス」
ジン:
「ん。じゃあ他に誰か予定はあるか?」
シュウト:
「…………はい」
小さく手を挙げる。自分でも空気が読めてない感じが満載でイヤになってくる。
ジン:
「珍しいな。いつだ?」
シュウト:
「今日です。いえ、断っちゃってもいいんですが……」
ジン:
「別に、用があるなら行けばいいだろ。何時からだよ?」
シュウト:
「夕方からアキバで、です。ゴブリン戦で一緒に戦った人たちが打ち上げをやりたいみたいで……」
説明しただけのつもりだったが、言い訳くさくなってしまった。口を開けば開くほど、墓穴を掘っている気分になる。
本当はそれとは別にもう一件、用事がある。そちらはあまり口に出したく無かったので言わないでおいた。心理的には軽い後ろめたさも影響しているのだろう。
ジン:
「じゃあ、午前中だけ軽く練習して、午後は自由時間でいいな?」
ユフィリア:
「うん!」
シュウト:
「……すみません」
ジン:
「辛気臭せぇやつだなー、もー」
葵:
「あのさ、ジンぷー、昨日は本当にゴメン!」
もの凄い努力感を伴い、葵が一歩を踏み出した。なんだかホッとしてしまう。
ジン:
「……別に怒っちゃいねーって。基本、酔っぱらいは役立たずなんだから、しょうがねぇだろ」
葵:
「あう……」
ジン:
「だから、おまえがどうとかの話じゃねーよ。酒が発見されて数千年か? へべれけに酔っぱらったら、人間はどうしたって役立たずになるって話だろ。……たとえば、飲酒運転の禁止だとかは、酔っぱらいは役立たずだってことの社会的合意なわけで」
葵:
「そうなんだろうけど」
ジン:
「どんだけ有能な人間でも、酔ったら使い物にならない。無様に酔っぱらってんのに高く評価してもらおうだなんて考えるんじゃねーよ。酒を飲むってことは、無能になる時間を持つということだ。安心して無能でいられるように準備して、コントロールするこった」
葵:
「そうだね。わーった、気をつける!」
ジン:
「まぁ、安心しろ。俺は酔って気が大きくなって、勢いにまかせて他人に平気で迷惑をかけるような輩が大っっ嫌いだ。そこは変わらないから」にっこり
葵:
「怒ってんじゃん! やっぱまだ怒ってんじゃん!」
ジン:
「知るか、能無しチビめ」
葵:
「にゃんだとぅ!?」
ようやく見慣れた光景が戻ってきた。ギャンギャンと騒ぎ立てる葵はどこか嬉しそうにみえなくも……。あれ、本気で怒ってます? うわっ、食器を投げるのは勘弁してください!
ジン:
「フハハハハハ」
葵:
「ブッ殺ス!」
ジンは投げられた食器を次々とキャッチ、皿を重ねて片付けていく余裕すらあった。見かねたのか、ユフィリアが立ち上がって叫ぶ。
ユフィリア:
「やめてー! 私のために争わないでー!」(><)
ジン:
「……って、それはお前が言うとシャレにならん。ちょい可愛くない子が言うからジョークになるんであってだな。 ……葵! 俺の女に変なの仕込んでんじゃねーよ!」
葵:
「やっかましゃあ!」
ユフィリア:
「もう! 私、ジンさんの彼女じゃないんだよ!」
ジン:
「えーっ? 面倒だし、もう俺のってことでいいじゃん」
ユフィリア:
「よくない! 面倒とか言ったら失礼でしょう!?」
テーブルをバン!と叩いて反論するユフィリア。ここから彼女も参戦して、さらにカオスな状態に。食器を投げつける葵と、文句を言うユフィリア。二人掛かりでも余裕で対処している辺りは見てて参考になりそうな気がした(いや、真似できるわけじゃないんだけど)
ジンは絶対にワザと、狙ってやっている(と、思う)それが分かっていても、昨日の負い目はどこかに消えてしまったようだった。
レイシン:
「……もう、そのぐらいにしておこうか?」
ピリッとスパイシーな、苛立ちめいたものを醸し出すレイシンに、喧噪はぴたりと止んだ。こういう場合でもジンだけは余裕しゃくしゃくだったりする。投げつけられた食器はキレイに重ねて並べ終えてある。
ジン:
「じゃあ倉庫に集合な。四つん這いでハイハイするから適当なカッコしてこい。解散~」
ぞろぞろと食事スペースから出て行こうとすると、レイシンが葵を捕まえている。
葵:
「だーりん? なぁに?」
レイシン:
「散らかしたら、ちゃんと片付けなきゃだよね?」
皿をブン投げていたので、当然のように食べ物が散らかっている。それらの会話を横目に、そそくさと退散を決め込む。関わらないのが正解だろう。
葵:
「えーっ!? あたし一人で? あれはジンぷーが全部悪いんだよ? ジンぷーに片付けさせるべき……」
レイシン:
「一人で片付けられるよね?」
葵:
「……ハイ。すみませんでした」
◆
倉庫に入ると、レイシン以外がそろって待っていた。
個室が10あり、厨房と食事スペースのあるカトレヤのギルドホームは、宿屋に近い作りになっている。そのせいか倉庫は大きめに作られていて、室内での運動にも適している。棚などの収納具を置いていないので、少し前までがらんとしていたからだ。
ジン:
「うーむ、だいぶ物が増えて来たなぁ……」
主にドラゴンを狩って得た素材なのだが、急激に物が増えていた。そこかしこにこれまでの冒険で獲得した素材アイテムも積みっぱなしにされている。倉庫管理は石丸の仕事なのだが、ジンの指示もあって、あまり売却されていないらしい。
『雨の森』レイニートレントの木材を見つけて触ってみた。しっとりと潤いを保った木材のさわり心地を楽しみつつ、まだ売ってなかったんだなぁ、と少しばかり懐かしい気分になる。
石丸:
「このままのペースで行くと、来月の上旬にもパンクするっス」
ジン:
「だな。そろそろ計画を次の段階に進めなければ……」
シュウト:
「次の段階、というのは?」
ジン:
「さりげなくアピールするんだ。『ドラゴン素材ありマス』ってな。さて、どうしたもんか」
『冷やし中華ありマス』のようなノリで、さらっとそんなことを言うジンだった。流石にカトレヤのギルド前に張り紙するわけにもいかないのだろう。
今月が残り10日ほど。上旬というからには、3週以内にどうにかしなければならないことになる。
石丸:
「マーケットで少しずつ流す、というのはどうっスか?」
ジン:
「それでもいいけど、どちらかと言えば『中小ギルドはご遠慮下さい』なんだよなぁ」
レイシン:
「ごめん、おまたせ」
ジン:
「おう」
レイシンが遅れて倉庫にやってきて、全員がそろったことになる。葵は不参加だ。
ジン:
「じゃあ始めるか。最初は四つん這いでハイハイを30分だ。……うし、シュウト」
シュウト:
「はい!」
例題を見せるために四つん這いになってみせる。手のひらに床のひんやりした感覚が伝わる。よく掃除されているようで、砂やホコリなどは感じなかった。
ジン:
「これは手首クッション問題その2でもある。プラスするところの甲椀一致の訓練で、いわゆる『肘抜き』を目的としているんだ。まず肩甲骨を立てることを『立甲』と呼ぶ。……シュウト、その姿勢で肩甲骨を立てられるか?」
力を入れて、肩甲骨が背中からせり出すようにしてみる。不慣れなためか、維持するのはかなり大変だった。
シュウト:
「これで……どうですか?」(震え声)
ユフィリア:
「あっ、できてる!」
ジン:
「よし、いいぞ。そのまましばらくキープしとけ。……これを最低30分維持しながら、そこいらを歩き回るのが今日からの課題だな」
ジンの話の途中にも関わらず、ユフィリアは素早く四つん這いになってしまった。つられてニキータもしゃがむ。
ユフィリア:
「ジンさん、これでいいの~?」(震え声)
ジン:
「よし、それでいい」ナデナデ
ユフィリアの飛び出した肩甲骨を撫でるジン。ニキータの肩甲骨も撫でた後で、自分も同じように撫でられた。撫でられると、感覚が確かになるような気がする。
ジンによれば、そもそも『立甲』の状態を作るまでが大変らしい。〈冒険者〉の体だからなのか、女性陣もクリアしていたので次の段階へ。
ジン:
「じゃあ、そのまま聞いてろよ? 腕や足を使う場合、手首や足首の力は相対的に弱い。だから、威力を削ぐクッションになってしまう。この論理は肘・膝でも同じなんだ。肘抜き・膝抜きの練習をすると、腕や足をその付け根から全体的に動かしてコントロールしなきゃならなくなる。特に肘抜きは難しくてだな、少々の訓練では肘を使ってしまう癖が抜けないから、どうにもならん」
筋力的には問題ないはずなのだが、体がプルプルと震える。力を入れていないと、『立甲』が維持できそうにない。
ジン:
「肩甲骨を立てる訓練は、俺より上の世代だとブルース・リーが映画かなんかでやっていた関係で真似したヤツも多いんだが、どんな意味があるのかは知らないままだったりする。
……この練習の目的は、肘抜きと同時に甲腕一致を形成すること。つまり立甲させて、そのまま床に着いている手までが一直線になる感覚を体に染み込ませることに要点がある」
ユフィリア:
「ブルース・リーって、ほあちゃあ!の人?」
ジン:
「そうだ。お前の年代だと意外と知らないヤツも多そうだが、格闘家というよりも映画スターだな」
ユフィリアの声もプルプルしているのがわかって、少しホッとする。どうにか30分こなさなければ!と心を奮い立たせる。
ジン:
「肘抜きとは少し話がズレるんだが、野球のピッチャーの球速なんかで、素人の限界が130キロって話があってな。ピッチャーは肘を壊すヤツと肩を壊すヤツとがいるんだけど、プロで一流のピッチャーともなると肩を壊すのが増えてくる。どんだけ肩を酷使してんだって話だけど、明らかに腕全体、特に肩まで使った投球フォームと関係があると考えられる。肘投げになっちまうと、あんまりスピードがでないんだな」
なるほどと思ったが、声を出すと震えてしまうので控えておく。
ジン:
「腕全体のムチ化、もっと言うと足から腰、背骨までを全部ムチのように使えるようにして、それで作った運動量で腕を振り切る、といった高難易度なことをやってたりするんだけども、それでも160キロどころか、150キロもなっかなか出せない。これにはもう一つ、最低限必要になる概念があるんだけど、今はあんま関係ないから次の機会にしような」
いま教えて欲しかったのだが、やはり声が震えてしまうので反論も抵抗もできない。
ジン:
「膝抜きの方はサッカーだな。たとえば膝から下の回転半径でボールを蹴ると、どうしても威力が低くなる。足全体を『振り子』にしたキック動作を構築しなきゃならないんだ。加えて、膝下キックは原理的にボールが高く浮き易い。これが日本の決定力不足の原因だったりする訳だよ。チャンスに弱くて、シュートしてもゴールバーの上を越えていっちまう。その原因は、膝抜きが出来ていないせいなんだ。低い弾道のシュートを撃とうとすると、球を真横に近い位置で蹴らなきゃならないんだが、膝運動の依存度が高いと、膝を伸ばそうとしてしまう。膝を伸ばすとつま先が前に出るから、球が浮いてしまうんだ」
サッカーに興味がないので、話があまり入ってこない。立甲の維持が最優先だった。膝抜きが出来ていないと、球が高く浮く。その原理的な説明のようなので、あまり集中しないで聞き流してしまった。
ジン:
「さてと。……毎度のお約束だが、あんまりガンバるなよ? 楽に、力を抜いて自然に出来るようにするんだ」
シュウト:
「で、ですが」(震え声)
力を抜いてしまうと『立甲』が維持できない。力を抜いてみたが、やはりダメだった。慌てて元の状態に戻す。
ジン:
「おいおい、俺は根性論が嫌いだと教えただろう? おまえ、30分パゥワーでどうにかすればいいやとか思ってないだろうなぁ? 怠け根性か、コラ? あぁん、ワレ?」
ユフィリア:
「ジンさん、たまにガラ悪いよ?」ぷるぷる
この場合、力を抜く方がむしろ難しい。『簡単』と『楽』とが分かれて別物になっていく感覚はおもしろいのだが、力を入れたら『怠け根性』といわれてしまうと、どうしていいのか分からなくなる。
ジン:
「おいおい、シュウト~。〈冒険者〉は筋力が付かないって分かってんのか? 形だけ真似してお茶を濁しても、自己満足にしかなんねーぞ? 練習してるフリして、強くなる真似事か?」つんつん
シュウト:
「す、すみません」(プルプル)
額をつんつんと突っつかれても、どうにもならない。筋力に頼った方向に逃げるのは、〈冒険者〉にとって怠けていることにしかならない。そう頭でわかっていても、難しければ心が逃げようとしてしまう。話で聞いた内容を実行するのは、難しい。
ジン:
「もっと力を抜いて、腕を垂直の一本線になるように。地面に対してもっと垂直に。肩甲骨で体重を支えるんだ。もっと体重を感じろ。そのまま体の力も抜いて、体幹部をだらーんと下げる」
以前にユフィリアが見せた体幹部の柔らかなカーブを思いだして、自分も垂れるように力を抜く。力を抜くだけなのに難易度がどんどん上がっていくのは、体が硬いせいなのだろうか?
ここでジンも四つん這いになる。
ジン:
「そのまま歩いていくぞ? くったら、くったら、とトラになった気持ちで! 背骨は柔らかく波打つように!」
使ったことのなさそうな筋肉や骨(?)が、ゴリゴリと音を立てる。立甲を維持するのは大変だったが、動いている方が気が紛れるというか、なぜか集中できる気がした。片腕づつ、しっかりと体重を肩甲骨で支えながら四つ足で歩いていく。
ジン:
「下半身ももっともっと力を抜く! くったら~、くったら~、だ」
しばらくしてジンとユフィリアが四つん這い歩きのまま軽くぶつかる。というか、ジンがワザとぶつかりに行ったというべきだろうか。
ユフィリア:
「きゃー!」
ジン:
「そこで、ガオー! だ」
ユフィリア:
「がおー!」
ジン:
「ガオー!」
ユフィリア:
「うふふふ、がおー!」
どうやら気に入ったらしい。ニキータにぶつかって吠え、自分のところにもやってきて、肩からガツンとぶつかってきた。「がおー!」と吠えられてしまった。
ジン:
「くったら、くったら」
ユフィリア:
「がおー、がおー!」
ジン:
「くったら、くったら」
ユフィリア:
「がおー、がおー!」
石丸:
「がおー!……そろそろ30分っス」
石丸が終了の時刻を告げる。ぶつかってみたり、追いかけっこをしたり、並んで行進していると、いつの間にか終わっている。30分もやっているとかなり慣れてくるもので、最初の苦しさは消えていた。
ジン:
「どうだ?」
シュウト:
「どうにか慣れてきたと思います」
ジン:
「うむ。肩甲骨周りのインナーマッスルであろうとも、設定的には鍛える必要がないからな。脳の方でスイッチが入りさえすれば、直ぐにでも使えるようになるはずだ」
ユフィリア:
「〈冒険者〉で良かったぁ~」
ニキータ:
「本当にそうね」
シュウト:
「この鍛錬って、人類の上位10%になれる方法ってヤツですよね?」
ジン:
「まーな。『肘抜き』まで出来るなら1%でも余裕だ。70億計算で7000万人とかありえねーし、7万人すらいないな。7000でも多い。多めに見積もって700人ぐらいにしておこうか。当然、こっちの世界じゃトップ争いができるね」
ユフィリア:
「世界一なんだ?」
ジン:
「クラス別世界一、〈施療神官〉部門はユフィリアになるかもな」
ユフィリア:
「やったね!」
シュウト:
「身につけば、ってことですよね。…………そんな難易度のものがそんな簡単に身につくもんなんですか?」
ジン:
「いや、無理だな(ドきっぱり)。 いいんだよ、どうせ誰にもできないんだから。なんちゃって肘抜きとなんちゃって甲腕一致で十分。それでも攻撃時のダメージは1.2倍から2倍ぐらいまでいくだろうし」
ニキータ:
「……十分過ぎますね」
ジン:
「なんちゃってレベルでも簡単に身についたりはしないから、しばらくはやり続けないとダメだがな。続けていると突然スイッチが入ったみたいに威力だのが増えてくる。それまでは我慢だからな」
ユフィリア:
「うん!」
シュウト:
「わかりました。……でも、そんなに大切なら、今からもっと続けた方がいいのでは?」
攻撃ダメージが20%以上もアップするなら、30分と言わずに何時間か続けた方がいいような気がする。
ジン:
「毎日の習慣にするには30分が今の限度だな。二足歩行のまま、四足歩行の能力を使うズルをするのがコレの狙いなんだ。本当の四足歩行になるつもりならずっとこの練習を続けるけど、二足歩行での能力を高める方が先だし、遙かに重要だからな」
つまり、二足歩行での能力が足りないと言われているらしいのが分かってしまった。二足歩行なら普通にできていると思われるので、『そういうレベルの話』をしている訳ではないのだろう。
ジン:
「肘抜き・膝抜きの話もいろいろあるんだが、後回しにしちまった足裏を先にやらないとな」
レイシン:
「最重要だもんね?」
ジン:
「そうとも」
次の練習に向けて意識を切り替える時間を取っている様子で、しばらく動かないジンだった。
ジン:
「では、足裏訓練の要諦ってヤツを教えてやろう」
シュウト:
「はい……」
ジン:
「足首には『くるぶし』って関節があるだろ? 内側と外側にあるんだが、この内側のくるぶしの真下の部分で立つんだ」
ユフィリア:
「うん」
ジン:
「……以上です」
(しーん)
シュウト:
「えっ…………?」
ユフィリア:
「本当に? もう終わり?」
ニキータ:
「簡単なのは、うれしいけど、流石に……」
石丸:
「短いっスね」
レイシン:
「はっはっは」
シュウト:
「冗談はともかく、本当のところはどうなんですか?」
ジン:
「冗談もなにもないぞ。ぶっちゃけ、これだけ出来りゃ初歩的には問題ない。究極的には『これだけ』の難易度は極めつけに高いから、同じ内容だとは思えなくなっていくんだが、物理的にはこれだけの話だな」
シュウト:
「『基本と究極は同じになる』……」
ユフィリア:
「真下を踏むってことでしょう?」
ジン:
「あれっ? 前にも教えたっけ?」
レイシン:
「ごめん、昨日、先に教えちゃったんだ」
ジン:
「そうなん? ……まぁ、ちょうど良かったのかな? それじゃあ、詳しく話していくことにしますか」
新展開というほど代わり映えはしないのですが、今回が新しい区切りのスタートっぽい話なので、きちんとプロット練らないとズルズルするよな~という感じで(主にあまり時間も掛けらない部分で)困っています。
今回のシリーズの次のシリーズが本番なんですが、これまでの経験だと次の次になるかもしれず。というか、毎回次の1話分を乗り切れるかどうかが生き残りを掛けた切実なる大問題なのですが。アーメン。
立甲ですが、30分どころか5分でもキツいです。自分で30分やってから書きたかった……。
立甲できない場合、警察ドラマとかで犯人の腕を背中に回して絞り上げる関節技みたいにすると、勝手に浮き上がってきますので、誰かに肩甲骨の内側をはがす感じで触ってもらったりすると効果的、らしいです。