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76  総力戦/ヒロインの資質

 

ユフィリア:

「超でっかいカニさんが……、食べられちゃった」


 呆然と呟いたユフィリアに、葵が一拍おいて反応する。


葵:

「いや、そこは『使徒を、喰ってる……(ガクガクブルブル)』じゃないと」

ジン:

「…………」


 ジンが無反応だったため、これは痛々しい結果に。


葵:

「誰かツッコんでよ! お願い、ツッコミは愛なの! 愛が足りないと生きていけないの! ぐふっ、つらひ……」

レイシン:

「…………大丈夫?」

葵:

「んーん、もうダメポ」


 十分に平気そうな葵を放置して、ジンとアクアの対峙が再開される。ひとしきり笑い終えたアクアは、少し高い位置からジンを傲然と見下ろした。


アクア:

「何よ、文句ある?」

ジン:

「あのなぁ、どういうことか説明しろってんだよ」

アクア:

「どうも何も、見たまま、というか『感じた』通りよ」

ユフィリア:

「ねーねー、何がどうなってるの?」

ニキータ:

「さぁ……?」

シュウト:

「ラストキャンサーが食べられたってことは、それよりも強い敵がいるはずなんだ」


 その言葉に反応して、苦い顔のジンが振り向いて説明する。


ジン:

「あの馬鹿デカいのに喰われたくないから、カニどもが逃げてたんだろ。……ということは、アクアは最初からアレを待ってたんだ。ったく、サイズがデカすぎて、(ミニマップで)気付くのが遅れちまったぜ」


 小さな町ぐらいの大きさがありそうな巨体だ。未来SF的に表現すれば、ラストキャンサーが多脚戦車なら、それを食べた方は宇宙戦艦や空母クラスということになる。

 海岸にいても今のところ襲われる気配はないのだが、あまり好ましい状態ではない。もう少し避難するなど自分たちの態度を決めてしまわなければならない。


葵:

「それこそ、あんなの倒さなくてもいいんじゃないの?」

アクア:

「そうね。これは貴方達が決めるべきだわ。私は強制しない(、、、、、、、)


 あっけらかんと言い放つ葵に、アクアもさっぱりと言い切ってしまう。ただ1人、更に苦い顔をしたジンが応じる。


ジン:

「……ダメだ。ここで倒しちまう以外の選択肢はない」

葵:

「なんでよ? ジンぷーが嫌がってたんじゃん」

ジン:

「そんなもん決まってるだろ。地中海だかアドリア海だか知らねーけど、あんなの放置しておけるわきゃねぇっつの!」

アクア:

「そうね、貴方ならそう言うでしょうね」


 後先を考えるなら、放置はあり得ない。ジンがやる気なら自分も戦える。そこでさっそく疑問を口にしてみた。


シュウト:

「倒す前提にしても、今回は相手がレイド×4どころじゃないと思うんですが? レイド×2のラストキャンサーが食べられてしまっている訳で……」

ジン:

「本当にヤバければ俺だけで戦うから、お前等は後方支援に徹しろ。まぁ、面倒なら帰っちまっても……」

ユフィリア:

「そんなこと言っちゃダメ!」

ジン:

「あっと、ユフィリアさんが残ってくれるなら、体力的にも安心して戦えるんだけどなぁ~。頼んでもいいかな?」

ユフィリア:

「うん、もちろんだよ。任せて!」


 怒らせた次の瞬間にご機嫌取りに切り替えるジン。彼女が単純なのか、ジンの口八丁が優れていたのかは判断に迷うところだ。ユフィリアをごきげんにしておくのは大事な要素らしい。


 海から部分的に浮かび上がってくる。サイズが巨大過ぎて、小さな島のような、海に浮かんだ足場が出来ていた。全体像は巨大タコに近いシルエットだが、色的にはイカだろうか。モンスターとしての名称や分類はクラーケンだろうと思われたが、名前は非表示だった。ランクもわからない。レイド×4ではない、ということだろう


シュウト:

「レベル70ですね。名前ほかは非表示です」

葵:

「あれれん? 思ったより敵のレベルが低いね……」

シュウト:

「クラーケン、ですよね?」

葵:

「その辺はどうなの?」

アクア:

「さぁ? 聞かされてないわね」

ジン:

「へぇへぇ、おーざっぱなこって」

アクア:

「苦労を察して欲しいわ」

ジン:

「……で、なんで俺らなんだよ?」

アクア:

「DPSで選んだら貴方しかいないじゃない」

ジン:

「平均22000で2.5秒だと、1秒あたり、えーっと……」

石丸:

「8800点っス」

ジン:

「……にしかなんねーんだから、レギオンレイドでも連れてくりゃいだろ!」

アクア:

「そんな便利な駒があったら、言われなくても連れて来てるわよ!」

シュウト:

(1人で8800点か……)


 96人を要するレギオンレイドでなら、DPS(ダメージ・パー・セコンド、1秒あたりのダメージ値)でジンの8800点を超えられるだろう。しかし、それも現実には至難の業だった。これはヘイトコントロールが成立する範囲でしかダメージを与えられないためである。ヘイトコントロール能力がほぼイコールで、レイドで敵に与えられるダメージの限界を規定しているのだ。


 原理・原則的には、メインタンクのもつヘイト値を超えないギリギリまで、残りの95人が自らのヘイトを増加させる行為(攻撃や回復)を行える。

 自分ですら〈アサシネイト〉を使えば8800点ぐらいは超えられるのだ。しかし、それを2秒目も続けられる訳ではない。レイドでもこの状況は同じであって、とある1秒では合計数万点のダメージを叩き出せたとしても、平均してしまうとそこまで高い値を持続することはできない。魔法使い達は呪文を毎秒のように投射できるわけではないし、仮に出来たとしても、タンク役の持つヘイト値を超えてしまっては連携が成立しなくなる。


 これらヘイト値の内部的な順位を『ヘイトリスト』と呼ぶ。ヘイトリストの1位に対して、モンスターのAIは攻撃を加えてくる。実際、この世界では〈冒険者〉である我々も自由意志を阻害されてしまい、半ば強制的にヘイトリストの1位を狙って攻撃をしかけてしまうことになる。


 手練れのプレイヤーにもなると、ヘイト運用の抜け道も当然のごとく知り尽くしているため、短時間なら好き勝手に行動できたりもする。自分のスタイル『消える移動砲台』もその点は同じであるので、完全にやりたい放題、とまではいかない。奇策は奇策でしかないからだ。


 正攻法の場合、仲間が回復の準備をし、自らも防御を堅めているメインタンクがヘイトリストの1位を維持することが絶対条件となる。それでこそレイド全体の生存性を大きく高めることができるのだ。連携における鉄の掟なのだ。

 ここでタンク役以外の仲間がヘイトリストで1位を取ってしまうと、モンスターの挙動が変化し、新たな1位に対して攻撃をしかけることになる。連携ミスによるヘイトリスト1位が変わってしまう事故をゲームスラングでは『跳ねる』と呼び表して、忌避している。最悪のケースでは、連続して跳ねる挙動が発生し、まるでランダムに攻撃されて見える状況に陥る。前衛を突破されると、魔法使い達のところまで攻撃の魔の手が伸びることもありうる。

 このようなアンコントローラブル(制御不能)になってしまうと、かなり熟練したリーダーでも立て直せずにそのまま全滅するのが普通だ。

 逆を言えば、アンコントローラブルを敵側に押しつけて滅茶苦茶に叩いてしまえば良いわけで、そういうことを平気でやってのけるのがジンであったりする。


 |斯様〈かよう〉に、タンク役の経験やヘイトコントロール能力が、レイド全体の能力を決めてしまっている部分も大きく、それは最終的にレイドの総DPSを決定するところまで影響していく。バランスの問題もあるためDPSが全てとは言えないが、低いよりは高い方が断然有利なのだ。攻撃は最大の防御にもなりうる。戦いの早期決着は被害度を減らし、先へと進む余力を生み出すのだ。


 自分の場合はどうか?と考えてみると、まず単純な話として、8800点を超えるDPSを獲得できたとしても、同時にヘイトコントロール能力を会得していなければ、(ヘイトを自分に跳ねさせてしまうので)あまり意味がない。ジンはタンク職でありつつ、ダメージディーラーとしても高い能力を備えているわけで、問題そのものを不成立にさせてしまっている。

 この意味では、ジンのヘイトコントロール内で可能な最大攻撃力までしか能力的に『必要がない』とも言える。


シュウト:

(もう少しまともにダメージディーラーの仕事はやれるようになりたいけど……)



ユフィリア:

「ねぇ、あれってレベル70なんでしょ、レベル92のカニさんを食べちゃったのはどうして?」

ジン:

「たぶんスケール差の問題だろう。たとえばレベル90の蟻が居たとしても、人間は気付かずに踏みつぶしている可能性がある」

ユフィリア:

「そっか。じゃあ、気が付かない内にレベルが上がっちゃうこともあるのかな?」

ジン:

「レベル90の蟻とか怖すぎだけどな」

葵:

「ねぇ、もしかして総力戦用のイベントキャラって線はない?」

ユフィリア:

「総力戦?」

ジン:

「あー、流行ったな」


 総力戦とは、多人数で協力して行うバトルの形式のことで、レイドの簡易版のようなものである。エルダー・テイルでその様な形式のイベントがあったなどとは聞いたことがない。別のさまざまなオンラインゲームで行われていたもののことだった。

 他のゲームでは、ギルドのようなチームを組み、連携の練習をするゲームばかりではない。気軽に他のプレイヤーたちと協力して、1人では倒せない強力なボスと戦う、といった形式でイメージされるイベントの一種なのだ。


 イベントの仕立て方によってはエルダー・テイルでも面白くなるかもしれない。ギルド対抗でのダメージ競争や、個人MVPなどの要素を入れられそうに思える。こう考えてみると、どこかのサーバーが独自に実験でイベントを仕掛けていてもおかしくはなさそうだった。

 そうなると誰かが考えたイベント用のボスキャラクターがそのまま放置されていた、ということになるのかもしれない。(作ったら作りっぱなし?)


ジン:

「その場合、うげっ、問題はHPか……」

葵:

「100人向けだったらレギオン用のクエになるはずだもんね。1000人が参加して、各1万点のダメージを想定してたら1000万点っしょ」

アクア:

「いくら何でも各1万点ってことはないでしょ。10分しないで終わっちゃうじゃない」

ジン:

「……やっぱり帰ろう。うん、それがいい」

石丸:

「ジンさんの〈竜破斬〉はダメージ22000、1分に24回攻撃で528000、1時間で31680000になる計算っスね」

シュウト:

「3千万オーバーですか? それなら1時間でいけそうじゃないですか」

ジン:

「このガキャあ、簡単に言うんじゃねーよ! 各10万ダメージを想定するなら切りよく1億点じゃねーか! そもそもイベントが1000人だったかどうかすら仮定でしかねーっつーのに……」

アクア:

「わかったわ。全力で戦うの、30分ぐらいが限界なんでしょう?」

ジン:

「ぐっ、……ベヒモスん時は3~4秒ペースだったしな。やってみたことはないが、オーバーライド使って1時間保つかどうかってとこだろ。オーバーライド無しでも最大ダメージは変わらんから、(敵は)レベル70だし、どこまで行けるか」

ユフィリア:

「それって1時間越えたらどうなっちゃうの?」

ジン:

「俺はメインのリソースが意識だから、たぶん、気絶みたいな感じで寝るだろうな」

ユフィリア:

「寝ちゃうの? 戦闘中でも?」

ジン:

「たぶんな。敵地のド真ん中でぐーすかぴー、みたいな?」

ユフィリア&シュウト:

「…………」

ニキータ:

「蹴っ飛ばしたりしても起きないのかしら?」

シュウト:

「ちょっ!?」

ジン:

「ほほぅ、どうも普段の可愛がり方が足りてないようだな。あぁん?」

ニキータ:

「あら、気に障るようなことを言ったかしら? ごめんあそばせ」

シュウト:

(きっと、オシリを叩かれた恨みだ……)


 お上品な微笑みでジンを軽くスルーしてのけるニキータだった。


アクア:

「現実逃避はそこまでにして。さ、()るわよ!」

ジン:

「まぁ、女の子が()るですって! もしかして誘われてる?」

アクア:

「早漏のクセに生意気」

ジン:

「誰が早漏だ、ゴラァ!!」

アクア:

「1時間限定で世界最強だなんて、早漏じゃなかったらなんなの?」

ジン:

「なんだ、そっちの話か。人聞きの悪い言い方しやがって。……べーつにー、1分どころか10秒立ってられるヤツだってこの世界にゃいるかどうかだ。三コスり半すら必要ないね」

アクア:

「まだ分からないんじゃない? 世界は広いわよ」

ジン:

「だったら、俺が早漏かどうか確かめてみろよ。お前の硬そうな乳を揉みしだいて、ヒィヒィ言わせてやんよ」

アクア:

「それは楽しみだわ」

シュウト:

「あれは喧嘩してるんですか? それとも口説いてるんですか?」

レイシン:

「会話を楽しんでるんだよ、きっと」

シュウト:

「なるほど」





ジン:

「ユフィリア、水中呼吸の呪文をくれ」

ユフィリア:

「ちょっと待ってて」

ジン:

「とりあえず様子を見てくる。お前らはその辺で『足』を相手してろ」

シュウト:

「分かりました」


 水中呼吸の呪文を詠唱するユフィリア。ショートカットに登録していないのだろう。呪文リストから選択して詠唱開始。ワード数が多く、すこし時間が掛かっている。

 この水中呼吸の呪文は丸1日水中での呼吸を可能にする魔法のハズ(、、)だが、効果時間は丸1日から、2時間に短縮されているかもしれないので注意が必要だった。


 元々のゲームでは1日が2時間で表現されていたため、『3時間だけ効果がある魔法』などとしてしまうと、ひっきりなしに呪文を掛け直さなければならなくなる。そのため、この手のバフの持続時間は必要以上に長めに設定されている事が大半だった。

 しかし〈大災害〉によってこちらの世界に来たことで、一日の長さが24時間になっている。ここに起因する新たな問題の一つが、『時間12倍問題』である。個々の魔法の効果時間は『この世界』の仕様に合わせる形で変更されていることもあるので、確認と注意が必要になっている。


 ……たとえば戦闘中の1秒の再使用規制はそのまま1秒のままだった。もしアサシネイトの再使用規制5分が12倍になったとしたら、それだけで1時間に1度しか使えなくなってしまう。時間12倍問題としてみれば矛盾だが、これらはプレイヤーにとって都合の良い矛盾である。


ユフィリア:

「がんばってね!」

ジン:

「やだよ。いいか、無茶はいいけど、無理はすんなよ?」

ユフィリア:

「うん!」

ニキータ:

「どっちも大して変わらないでしょうに……」


 フェイスマスクを下ろしてオーバーライド状態となったジンが、巨大イカタコの足を伝い、浮き島めいた本体部分に向かっていった。中心部に渡っていける辺りの挙動はゲームの名残りらしい。


レイシン:

「こっちも始めるよ」

シュウト:

「了解」

葵:

「目標はー?」

レイシン:

「うーんと、1秒あたり500点ぐらいかな?(笑)」

シュウト:

「じゃあ僕は800点ぐらいで」

レイシン:

「いやいや、もっと行けるでしょ?」

シュウト:

「レイシンさんこそ、目標が低過ぎです」


 総力戦用のイベントボスという予想は当たっていた様で、メインタンク不在でも攻撃されることはなかった。従って、ひたすら切って叩いて殴り続けることになる。反撃がないのは、総HP量から考えてダメージと言えるほどの痛みを敵に与えられていない可能性も考えられる。


 反撃が来なければ、気配を消す必要もない。最初のうちは〈アクセルファング〉を用いてテンポ良く斬りつけていった。この技は『速度バフ』が付くのだが、ステルス化などの気配消しとの相性が悪いので普段はあまり使わない。ステルス化すると速度バフはキャンセルされてしまう。


 効果重複する〈アクセルファング〉の速度バフを活かし、アクアの永続式援護歌と併せてかなりの速度で連続攻撃を行う。加えて高威力特技から順番に使用するローテーションで、可能な限りの大ダメージを狙う戦法だ。明らかなオーバーペースだったが、アクアの支援はこれを可能にする。


葵:

「動くよー!」

アクア:

「一度、下がりなさい!」


 単調にならないようにするためなのか、巨大な足の位置が時々変わるらしい。巻き込まれないように一度退避し、直ぐに近くの足へと移動して攻撃を再開。3回目のアサシネイトを入れたところで、アクアからの檄が飛んだ。


アクア:

「貴方達、もっと楽にやりなさい!」


 言われてみればもっともだとは思ったのだが、具体的にどうやれば楽なのかが分からない。〈冒険者〉の体は高性能なので、キツいとかツラいとかイタいなどの感覚が鈍い。もともと『キツくない』せいで、何をどうすれば楽になるのか、その区別が付けにくいのだ。


アクア:

「シュウト! もっと楽に!」

シュウト:

「……それは分かるんですけど、具体論が欠けてませんか?」(ボソッ)

アクア:

「そんなの自分で考えなさい!」

シュウト:

(しまった、聞こえないと思って……)


 アクアの耳が良すぎるのを忘れて愚痴ったのが聞こえてしまった。失態である。しかし、「体の声を聞くのよ!」と言われても分からないものはわからない。


レイシン:

「…………『真下を踏む』んだよ」

ユフィリア:

「えっ?」

レイシン:

「『基本と究極は同じものになる』んだ。だから、丁寧に、真下を踏むようにして動いてみて」

シュウト:

「真下……」


 ミナミへ行く途中、走法のさわりだけ習った時にも『真下を踏む』ように言われていた(※)のを思い出す。


(※)該当個所では描写カットしたため、今回が初出です。


 素人が速く走ろうとすると、足を前に大きく踏み出そうとしてしまい易い。……ところがこれはつっかえ棒の形になるため、一歩一歩がブレーキになってしまうのだ。本当に速く走ろうとする場合、足を大きく前に振り出しても、地に足を着く時は体の真下に足が来ていなければならない。


 前に行こう、行こうとするほどブレーキになってしまうのは、皮肉であり不思議だった。人間、無理をすると調子が悪くなってしまうらしい。


シュウト:

「丁寧に、丁寧に」


 つぶやきながら、足下を感じるように動く。段々と気持ちよくスピードに乗ってくる。ちょっとしたところで無意識にかけていたブレーキがなくなり、速度が落ちにくい。速さで体が流されるのに任せて位置を変え、動きを止めないように動く。すると心地よく連携がつながり、急ごうとしていた気持ちが消えた。そのことで更に速度が増す。それでいて体への負担は減っている訳で、むしろ楽にやらない方がどうかしている。



 1時間が経過したものの、敵が怯んだ様子はなかった。

 ジンは浮島状になっている本体にダメージを与え続けている。所々、足場が海中に潜ったりしているようで、あっちに移ったり、こっちに移ったり、を繰り返しながらダメージを与えているらしい。


 こちらは〈冒険者〉の体といっても、だんだんと息が上がって来ている。呼吸は荒くなっても体は動く。酸欠には遠いのだが、呼吸数の増加にあわせて精神力は削られ、丁寧に動くのがおっくうになって来ている。雑になれば楽には動けなくなるので、更に草臥れるという悪循環に陥るのである。レイシンが何度も「丁寧に、丁寧に!」と声を出していた。


葵:

「こりゃ、1億点コースもあるかな?」

アクア:

「…………」


 攻撃の合間に、後方の葵の声が聞こえてしまって苦笑いしてしまう。1億点コースの場合、ここから更に残り2時間は戦わなければならない。


シュウト:

(それもこれも、全てはジンさんのペース次第、か)


石丸:

「25回っス」

葵:

「……何が?」


 石丸は謎の回数だけを言うと、次の呪文詠唱に入ってしまった。



 更に30分経過。ひたすら巨大モンスターの足を攻撃し続けたが、特に変わったこともない。ダメージを受けていないが、ユフィリアが回復呪文を唱えた。体の熱が少し引いた気がする。


シュウト:

「ありがとう!」

ユフィリア:

「もう少しだから、がんばろ!」

ニキータ:

「ジンさんなら、『イヤだ』っていいそうね」

ユフィリア:

「そうかも」にっこり


 レイシンのところに素早く身を寄せ相談を持ちかける。


シュウト:

「このままじゃ埒が明きません。ジンさんのところへ行って、本体を攻撃すべきじゃありませんか?」

レイシン:

「そうしようか」


 ユフィリア・ニキータにはそのまま攻撃を続行してもらい、レイシンと2人でジンの戦っている浮島部分へ移動する。もの凄く太いが、割合ツルツルと滑る足を慎重、且つ、足早に移動する。



 浮島部分は、岸から見えるよりも広く感じられた。ジンを探すものの、青い〈竜破斬〉のライトエフェクトで居場所は直ぐに分かった。あちらこちらに移動しながらダメージを与え続けているらしい。


レイシン:

「お疲れ様!」

ジン:

「おう!……シュウト!」

シュウト:

「はい!」

ジン:

「攻撃の合間に、コイツの弱点を見つけろ!」

シュウト:

「分かりました!」


 弱点を見つけろと言われても、モンスターの解剖学的弱点を知っているハズもない。つまり〈アサシネイト〉を使用するときのガイドラインを使って見つけろということだろう。5分に一度のチャンスを利用して、浮島のあちこちに移動して弱点を探すものの、これといったポイントはみつけられないまま時間だけが過ぎ去っていった。


 ジンは黙々とダメージを与える作業を続けている。夕方に向けて日が傾き始めている。


 ――そして終わりが静かにやって来た。


 何百という足が一斉に持ち上がる。ユフィリア達が退避するのが見えた。浮島の内側からは、このまま閉じこめられるのでは?といった不安に襲われる。ここでは安全な場所などあり得ない。このまま潜られたら困ったことになるだろう。


ジン:

「弱点は見つかったか?」

シュウト:

「まだです。広すぎて、それらしい場所はどこにも……」


 〈アサシネイト〉の効果があるポイントはあっても、本命は分からないままだった。一通り調べ尽くしたと思われ、本当に弱点があるのか不安になって来ていた。このままでは見つからない公算が高い。


ジン:

「いいか、目で見た情報に頼りすぎるな。もっと皮膚で感じるんだ」

シュウト:

「ですが、アサシネイトのマーカーは……」

ジン:

「目に頼るなと言っている! 殺すんだ。こいつの命を絶て!」

シュウト:

「殺す……」


 あえて目をつぶると、まずそれまで聞こえてこなかった様々な音が聞こえ始めた。次に磯の香りやモンスターの臭いが混じって鼻を衝く。足下の微かな揺れはこのモンスターが生きていることを教えていた。足に囲まれた浮島のような敵本体の上、否、開けた海の上に立っている自分を自覚する。


 ゆっくりとまぶたを開くと、目の端に光を感じた。浮島中央部分の床面のずっと下に命の脈動を捉える。感じ取れたことで、アサシネイト用のマーカーがハッキリと見えるようになっていた。


シュウト:

「ジンさん、見つけました!」

レイシン:

「シュウトくん、目が……」


 この時、自分の目が薄青く光っていたと言う。これは後で聞かされて知った。


ジン:

「よし、この奥だな?」

シュウト:

「ですけど、僕の武器じゃ届かないほど深くて」

ジン:

「オオオッ!!」


 ノータイムで突き刺し。〈竜破斬〉の青く光る剣が、その根本まで埋め込まれる。


ジン:

「どうだ!?」





アクア:

「フムン、あっちはグダグダみたいね」


 アクアによれば、ジン達は弱点部位を狙って何度も攻撃を繰り返しているものの、どうにも上手く行かないらしく、とうとう掘じくり返そうとしているらしい。

 こちらでは何十~何百という足が持ち上がった事で、慌てて安全な距離にまで後退。攻撃できる箇所が海の上だけになってしまっているため、石丸の攻撃呪文だけが続けられている。


ユフィリア:

「私達も一緒にいけば良かったかな?」

ニキータ:

「待ってて正解でしょ」


 数分後、足が一斉に落下して海面を盛大に叩いていた。水しぶきが派手な爆発を起こす。見えはしなかったが、シュウトが剣を突き刺してトドメを刺したそうだ。やがて死骸となった敵の足を歩いて、彼らは戻ってきた。


葵:

「おつかれ様~。2時間ちょっとか、やや呆気なかったね」

シュウト:

「流石に、もうおなか一杯です」

葵:

「だけど、レベル70じゃ誰にも経験点は入らないし、まだラストキャンサーを倒した方がうま味があったのにねー」

二キータ:

「そう上手くは行きませんね」

ユフィリア:

「ジンさん、お帰りなさーい!」

シュウト:

「お疲れさまでした」

ジン:

「…………あー、ダメだ、あっづい。死ぬっ!」ぬぎぬぎ


 慌てて上半身の鎧を脱ぐと、水筒の水を頭からかぶる。更にレイシンからも水を受け取って、頭にかけてしまった。


アクア:

「何? 熱でもあるわけ?」

ジン:

「頭に熱性の気が上がっちまって降りねーんだ。井戸ねーか、井戸!」

葵:

「近くにあるのかな?」

ジン:

「石丸、悪い、氷だしてくれ」

石丸:

「了解っス」


 氷を砕いてタオルで手早く包んで額に当てるのだが、氷が溶けてしまうのも早く、しかも体の内側からの熱には殆ど効果がないらしい。首筋の頸動脈や、脇の下などの体温を下げやすい場所に押し当てても、氷は溶けるばかりで症状は改善されなかった。こもっている熱量が半端ではない。氷をかじっていたが、これもダメ。


シュウト:

「ジンさん、大丈夫ですか?」

ジン:

「あーもう、海に飛び込んでくるしかねーか!?」


 心配して声をかけるシュウトを無視する勢いで下半身の鎧も脱ぎ始めてしまう。そこにユフィリアが何気なく近づき、額にぺたりと手を当てた。


ユフィリア:

「ジンさん、大丈夫?」

ジン:

「ん? …………なんか、自然な感じの冷たさで、気持ちいいな」


 熱に浮かされてイライラと動き続けていたジンだったが、ユフィリアの手でぴたりと止まる。しばらくそのまま黙っていた。


ジン:

「こりゃいいいや。ついでに膝枕も頼むぜ」

ニキータ:

「なんのついでですか。第一、頭がまだ濡れてるでしょう」


 頭から水をかぶった状態でユフィリアが膝枕なんてしたら、彼女の足まで濡れてしまう。


ジン:

「おぅ、そうだった。……いや、とっくに乾いてんな」


 タオルで拭いた訳でもない。氷を溶かしてしまうスピードといい、かなりの熱量があることになり、途端に心配になってくる。


ニキータ:

「ユフィ、その手、もしかして火傷してるんじゃ?」

ユフィリア:

「うーうん。別に何ともなってないよ」


 低温火傷のようなものもあるので、時々は確認するように念押ししておいた。

 図々しくも膝枕をねだるジンもジンだが、あっさりOKしてしまうユフィリアもユフィリアだ。得意げな顔で『自分の場所』的な主張をしているジンを睨みつけ、いやらしい事をするつもりがないか監視の目を光らせる。

 ところが、すぐさまトロンとした目つきになって、そのまま寝入ってしまっていた。疲れが出たのだろう。


ニキータ:

(オーバーペースの代償、か)


 毎分24回攻撃が限界だったものが、1時間を越えたころから25回に増加し始めたのだった。石丸が最初に気が付き、すぐさまアクアがリズムの変化を察知して判明した。ジンはそのまま25回ペースを30分維持しつづけた。さらにじわじわと26回に増やしていったようだ。

 そうして最終的に1分間27回攻撃に達してしまっている。これは2.2秒毎攻撃ということになる。もともとの〈竜破斬〉は毎秒攻撃可能の特技と聞いているので、この2.2秒というのはジンがブーストするためにかかる時間、ということだ。

 

ユフィリア:

「うふふふ。寝ちゃってるジンさんって可愛いね」

ニキータ:

「普段、憎ったらしいものね」


 寝ている表情から(多少は)毒気が抜けてみえた。寝ている時が一番自然な顔だとどこかで聞いたように思う。寝ている間はユフィリアにちょっかいを出すわけもないので、顔の形にまで文句をいう気はない。


シュウト:

「ああ、ジンさん寝ちゃったんだ?」

ニキータ:

「そうみたい」

葵:

「なんだ~、それじゃしばらく帰れないじゃん」


 これは帰還呪文が使えないという意味だろう。アクアがいるなら〈妖精の輪〉まで寝ているジンを担いで連れて行く方法もなくはないが、まだしばらくはみんな動きたくなさそうな雰囲気だった。


アクア:

「まったく、この程度で寝ちゃうだなんていい御身分ね」

レイシン:

「多少は許してあげてよ。がんばったんだし」

アクア:

「もの凄く嫌々だったけどね」


 一人で戦っている時にジンがぶつぶつ言っていた内容を、おもしろおかしくバラしてしまうアクアだった。あれだけ離れてても聞こえてしまっているのでは、彼女がいる時に滅多なことは口に出来そうもない。


葵:

「『うえーん、もう疲れたー』はいいんだけど、こんだけがんばったらもうちょっと何かないのかな?」

シュウト:

「ドロップアイテムとかですよね」

レイシン:

「時間もあることだし、ちょっと潜ったりしてみようか?」

葵:

「うみっ。地中海でバカンスと思いたまへ、チミたち!」


 海に入る準備として装備を脱ぎ始めたシュウト達だったが、すぐさまアクアがストップをかける。


アクア:

「ちょっと待って。……カニが戻って来たわよ」


 生き残りのアスコットクラブ、それにギガスシザースが大量に戻って来て、そのまま海へと帰って行った。天敵の捕食者が消えたためだろう。ジンを膝枕しているユフィリアを守るように武器を構えてみたものの、完全に無視されていたので、こちらもそのまま無抵抗でスルーしてしまう。どの道ジンが居ないのであれば、ギガスシザース2~3体と戦えれば精々だろう。


 海に潜りに行ったシュウトとレイシンは、超巨大なタコ系モンスターの素材は見つけられなかったものの、食べられてしまったラストキャンサーの素材アイテムや、その他の飲み込んでいたものらしきアイテムをゲットしていた。


 一段落している時、何処からか小さな女の子が現れて、ユフィリアの近くに立っているのに気付く。〈大地人〉の子供だった。


ユフィリア:

「こんにちは」

大地人の少女:

(こくり)

ユフィリア:

「どこから来たの?」


 尋ねられると指で「あっち」と方角を示した。近くに〈大地人〉の集落が本当にあるようだ。


大地人の少女:

「おねぇちゃん、おっきなカニさんは?」

ユフィリア:

「んーとね、カニさんはもう海に帰っちゃったんだよ」


 そんな会話をしていると、母親らしき〈大地人〉が現れて、走って少女を抱きしめた。心配していたのだろう。ともかく何度も頭を下げてユフィリアに謝ると、娘を連れて足早にその場を去ってしまった。少女の方はきょとんとしたまま、手を振ってバイバイをしている。


 そのあとが急展開だった。

 〈大地人〉の大人達十数人が近付いて来て、集落を救ってもらった礼をするという。葵が何をどう話したのか、海辺で宴会が始まるまでそう時間は掛からなかった。


 酒が振る舞われ、さまざまな食材が出されると、レイシンまでもが立ち上がって腕を振るい始めた。ジンを介抱していて動けないユフィリアのために料理を運んだり、食べさせたりをしていると、いつの間にか日が落ちてしまっていた。


葵:

「いやぁ~、満足まんぞく」

アクア:

「私はもう行くことにするわ。悪いけど、帰りは帰還呪文を使って頂戴」

葵:

「ありゃ、もうちょっといたら~? ジンぷーまだ寝てんじゃん」

アクア:

「いえ、これ以上は見てられないもの。……貴方達、もうちょっと大人になりなさい」

葵:

「え~? これ以上ないぐらい大人なんだけどな~」

アクア:

「ユフィ、また来るわ」

ユフィリア:

「うん。……またね」


 アクアが立ち去るのと時を同じくして、村人たちも住処へと帰っていった。〈大地人〉の少女に手を振って見送る。明かりが必要なほど暗くなる。急に静かになったことで、妙に寂しい気持ちになってしまう。


 潮騒と共にジンが眠りから帰ってきた。


ジン:

「ぬぁ~、むー、あー、かなり寝たっぽいな」

ユフィリア:

「うん。もう夜だよ。そろそろ帰ろ?」

ジン:

「ずっと膝枕してたのか……面倒かけた。ありがとな、ユフィ」

ユフィリア:

「フフフ、もっと感謝してもいいよ?」

ジン:

「ああ、これ以上ないぐらい感謝してるって。何しろこのフトモモの寝心地は最高だったからな」さわさわ

ユフィリア:

「もう、触っちゃだーめ!」

ジン:

「って、顔がツヤツヤしてねーか? なんか思ったより元気そうだな」

ユフィリア:

「なんで? 私はずっと元気だけど?」


 沈思黙考。

 やおらユフィリアの手を取ると、自分の頬に当てて撫でさせる。次に手のひらに口づけをした。手の甲ではなく、手のひらへのキスにはユフィリアもうろたえる。


ユフィリア:

「な、なんかえっちだよ、ジンさん?」

ジン:

「そうか、吸った(、、、)んだな」

ニキータ:

(吸った? ……何を?)


 意味を把握することが出来ない。


 ――ここでジンがしているのは、ユフィリアの能力の解析である。

 〈竜破斬〉をハイペースで放つために、ジン本人も制御できなくなるほどのエネルギーを循環させた。このため胸(中丹田)の熱性エネルギーが上がり、頭が猛烈に熱くなってしまったのである。本来は下丹田の重性のエネルギーで上昇を抑えつつ、上丹田の冷性エネルギーで対処するべきところなのだが、一度上がってしまうとなかなか下ろすことができなくなってしまう。それほど意識エネルギーの濃度・量が高かったともいえる。


 ジンの熱エネルギーを冷却しようとすれば、当然、そのエネルギー消費・消耗も尋常なものではなくなる。『体質的に手が冷たい』といった程度では1分と持ちはしないので、この場合ユフィリアが元気でいること自体がおかしいことになってくる。


 どういう仕組みなのか、手で触れて分からない場合には、頬や唇といった敏感な部分を使うこともある。……と、これはジン本人からすれば自然な行為でしかなかったのだが、外からみると愛撫にしか見えなかった。


 ユフィリアの活力が『残っている』のではなく、『溢れている』という事から、ジンの余剰エネルギーを吸い取ったことがまず考えられる。吸い取ったことでジンが冷却されたのであれば、余剰エネルギーが移動しただけになるので(ユフィリア側の器が無限に大きくない限り)今度はユフィリアが熱くなるのだが、そうはなっていない。


 ……つまり、吸収したエネルギーを使って冷却力に変換し、ジンを冷やしていた、という風に解釈できる。この場合、『エネルギー吸収』『吸収したエネルギーを利用・変換』『冷性エネルギーとして放出』の3段階を行う複合能力になってくる。


 問題はその規模だ。ジンを冷やすほどの冷却力となると、かなりの威力が必要になってくる。以前の会話で「お酒で酔ったことがない」という内容がここで思い出される。酒に酔う場合も、上昇するエネルギーに関係があり、たとえばロシアの冬ではあまりにも寒すぎて酔うことが出来ない、と聞く。端的に言えば、ユフィリアの冷却力はロシアの冬並かそれ以上となるのだ。


 しかし、ここまでの冷却力があると、人格に影響が出ずにはいられない。これは意識エネルギーの話でしかないが、むしろ意識の話だからこそ、人格に影響が出やすい。通常、ロシアの冬並の冷気を身に纏っているとすれば、感情が動かなせなくなってしまい『氷のロボット』のような人格が形成されてしまう。冷気が強すぎると、感情を動かすのに一般人の何倍ものエネルギーが必要になってしまうのだ。クールビューティーの様な中途半端な冷たさとはそもそもの次元が違うのだ。


 ところが、ユフィリアはどちらかと言えば、感情も豊かで、暖かな人格特性をしている。すると彼女の本質は、その冷却力ではないということになる。特に意識の世界においては『最も強い要素』がその人物の特徴となる。つまりこの超強力な冷却力をも越える内面的な温性がユフィリアには備わっていて、それが彼女の本質だと考えられる。


 ロシア美人は寒いロシアに居るからこそ成立する。……ところが日本の気候風土にいるユフィリアはどうかと言えば、途轍もない矛盾を抱えてしまっている。それこそ『真夏にクーラーをガンガンに利かせておいて鍋料理を食べる』に似た種類の矛盾を持っているのだ。

 ユフィリアの『とっつきやすい高嶺の花』という矛盾した性質の『高嶺の花』部分は、この冷却力によるものだろう。大雑把にいえば美人は冷たく、可愛い人は温かい。極寒であるロシアの冬が、彼女の美人度の高さを表している。


 ここまでがおおよそジンが解析した内容と、そこから瞬時に得た洞察の内容である。

 教えた内容を切っ掛けにしながらも一足飛びで成長してくるシュウトと、教えた内容とあまり関係なく生まれながらの素質を開花させてくるユフィリア。二人の対比はジンにとって愉快なものだった。



ジン:

「みんな悪い、待たせたな」

葵:

「そうらろ。こっひはまらされてたいへんらっらんら」

ジン:

「……酔ってんのか、おまえ?」

葵:

「できあがってまーふ。にゃははは!」

ジン:

「何があった……?」


 カニが逃げて行った後に宴会があったこと、ついでにアクアが先に帰ったことなどもシュウトが伝えている。ジンは「それで寝てる間、なんとなく騒がしかったのか……」と呟く。


ジン:

「『なんだかオラ、ハラぁ減っちまった。あまりもんでいいから、なんか喰わしてくれ~』」

葵:

「悟空、乙」

シュウト:

「そういえば食べ物ってどうしたんですか? もう残ってないんですか?」

レイシン:

「そういえば、〈大地人〉の人たちが片づけちゃってたかも」

ジン:

「『おい、オメたちだけたらふく食って、オラには無いってことか? そりゃねーだろ~?』」

葵:

「あうっ、そのっ、ジンぷー、ごめん!」


 いっぺんに酔いが醒めた様子の葵がしどろもどろになって謝る。


ジン:

「…………『こんなこっちゃ、何やったって意味ないじゃないか』」


 おやっ?と思う。冗談めいていたが、どこか様子が変だ。葵がうなだれて地面を見つめているのは少々オーバーでもある。


レイシン:

「帰ったら何か作るよ」

ジン:

「……そうしてくれ」


 一人でさっさと帰還呪文を使うジン。普段なら「よし、帰るぞ」などと声を掛けたりするところなのだ。おいていかれないように、慌てて脳内ステータス画面から帰還呪文の使用を選択する。


 一足早くシブヤに着いたジンは、後ろも見ずにどんどんギルドホームへ歩いていく。のんびりした調子のシュウトは「ジンさん、かなりおなか減ってたんですねぇ」と葵に話しかけていた。


葵:

「あたしが悪いんだよ、ゴメン」

シュウト:

「悪いって、そんなにジンさん怒ってるんですか?」

葵:

「んーん、怒ってる訳じゃないだろうけど、もっと悪いかも。…………たとえばね、大学のサークルとかで、避暑地にあるような山ん中のロッジなんかに男女混合でお泊まりに行ったと想像してみて? 外は寒いんだけど、誰か一人は薪割りみたいな作業をしなきゃならない。そこで君がみんなのために率先して引き受けることにしたとするよね」

シュウト:

「はぁ」

葵:

「なれない作業で体はきつい。手もかじかむ。暗くなっちゃった頃にようやっと作業が終わって、みんなの所に戻りました。暖かい室内でみんなくつろいでいて、戻ってきた君に向かって決まり悪そうに、でも笑顔でいうわけさ『あれ、まだやってたの?』『ごめーん、居なかったんだ? 先にご飯たべちゃった』『どうしよう、何も残ってない』……どう思う?」


シュウト:

「それは……、なんとも言えない気分になりそうですね」

ユフィリア:

「んー」

ニキータ:

「『ああ、私は仲間じゃないんだな』って思いますね」


 そんなことをされたら、私ならどうするだろうか。決まっている。荷物をまとめてさっさと帰るのだ。雰囲気をぶち壊そうが知ったことではない。1秒でも早く帰るべきだ。そんな連中と一緒にいても何の利益もない。ましてやその中から自分のパートナーを選ぶなんてあり得ない。


 だけど、自分が『そんな連中』になってしまったのではないのか?


 たかが食事ごときで大げさだ、といった反論は天に唾を吐くのと同じで、完全にブーメランになってしまう。今回、一番がんばったのはジンだ。そのことはミジンコにすら分かることなのだ。そしてさっきまでやっていた宴会は、本当はジンに感謝するためのもの。一番に美味しいものを食べる権利があるのはジンなのだ。それなのに、自分達だけ満腹になり、お酒まで堪能していい気分になっておいて、ジンの分を取っておく程度の配慮も、それこそ『たかが食事ごとき』の気遣いすらもしなかった。「余り物でいいから寄越せ」と言わせた段階でもかなりの失態なのに、そのジンに対して「何も残っていない」と言ってしまった。


 がっかりさせた。

 あまつさえ、その事にも気が付きもしない。

 ……自分が一番なりたくない人間に、いつの間にかなってしまっている。


ニキータ:

(だけど、だけどユフィだけは、貴方のためにずっと側にいた!)


 だから、あの子にだけは、がっかりしないで欲しい……。そうジンの背中に向けて叫びたかった。しかし、子供のように感情のままに声を出すことなどできやしない。自分が大人であるというちっぽけなプライドが捨て切れない。


 こういう時なのだ。

 こうしてユフィリアを言い訳に使ってしまう時に、自分が脇役でしかないことを強く思い知らされる。

 間違いは唐突にやってきて、何が正しいかは後になって始めて分かる。前もって『正しい選択』を選ぶチャンスは与えられはしない。与えられていてもそれに気が付かなければ同じだろう。勇気も、正義も、愛も、使おうにも出番がいつ来るのか分からない。巧くやれるかどうかは、まるで運に支配されているかのようにしか、感じられない。


 ユフィリアは知らぬ間に駆け出していて、ジンに後ろから飛びついていた。「重たい、乗るな」「そんなに太ってないもん」などと言い合い、強引にジンと腕を絡めて先に歩いていってしまった。


ニキータ:

(私は、ああいう風には……)


 ユフィリアの反対から挟むようにジンの腕に身を預けている自分をイメージしてみる。しかし、辛気くさい顔をしてひきつった笑顔しかできそうにない。


 アクアが言った『もっと大人になれ』がようやっと理解できた。こうなることが分かっていて、見ていられないから彼女は去ったのだ。こうならないようにすることも、きっと彼女には出来たのだろう。しかし、保護していたら、保護されていたら、いつまで経っても『ちゃんと』することは出来ない。


シュウト:

「ジンさんのご飯には気をつけないといけませんね……」

葵:

「それは逆差別なんだよ。それじゃいけないの。怒られたくないからやるような義務感なんて、『仲間』のすることじゃないもの」


 どこかで見たことのある光景だった。上司や先輩を持ち上げているつもりで、やっていることは仲間内から閉め出しているだけ。丁寧すぎて侮辱しているようにみえる『慇懃無礼』と本質的には同じなのだ。たかだか7人のギルドでもこんな問題になってしまうのだとすれば、あまりにもお粗末だった。


ニキータ:

「人間としてお粗末だったら、強くなったところで何の意味も……。それじゃ、丸王たちみたいな悪人と何も変わらないんじゃ……?」


 それどころか、強い分だけ迷惑な存在だということにもなりかねない。思わず口から出た言葉だったが、シュウトの顔がこわばったのを見て口を閉じる。何もかも手遅れの気がする。


レイシン:

「ま、がんばってフォローしてみるよ」

シュウト:

「レイシンさん」

葵:

「だーりん、お願いね」


 すがるようにレイシンを見てしまう。救世主の登場に少しだけ心が救われた気がした。



 ギルドホームに戻り、そのまま厨房に入る。ユフィリアとシュウトも一緒に並んで立った。


ニキータ:

「何かお手伝いできることはありませんか?」

レイシン:

「……ごめん、集中したいから」

ユフィリア:

「レイシンさん、がんばって!」


 それはあまりにも心強い拒絶だった。ユフィリアの激励に笑顔で応えると、料理の支度に取りかかるレイシンだった。


 ありもので凝った料理は作れないだろう。お腹を空かせているジンを相手では時間も掛けられない。複数の料理の同時進行をしていた。料理慣れていない人間の目には、ゆったりとしていて同時進行しているようには見えないだろう。メインはハンバーグとチャーハンらしい。その他にも簡単な料理を何品か用意している。


 チャーハンは冷や飯を使ったもののようだ。新しくご飯を炊いている時間が掛けられないせいもあるだろう。大胆にも目の細かいザルにご飯を入れ、水をかけ、手で直接ほぐしている。

 卵の処理も丁寧だった。落とす位置がかなり低い。これは卵黄の細胞(卵黄球)を崩さないための配慮だろう。5センチよりも高い位置から落としてしまうと味わいが変化してしまうのだ。ひとつひとつ割った卵に殻が混入していないか確認し、まとめたところで優しくかき混ぜている。

 溶き入れた卵が固まる前に、よく水を切った冷や飯を入れて炒める。卵が半分は卵焼きになり、半分はご飯に絡まって黄金チャーハンになっている。チャーハンの好みは人それぞれあるものだが、これは見事だった。


 中華料理は火力が命などと言われるが、じっくりと時間を掛けて炒めている。学校の家庭科の授業で習う通り、お米は冷えるとアルファ化してしまう。これを元に戻すには、水と熱を加える必要がある。

 しかし、チャーハンの場合には別の問題がある。長く炒めてしまうと、ご飯の表面がパサパサになってしまうのだ。パラパラチャーハンというのは、強い火力でお米の表面の水分が無くなってしまう前に仕上げるのが秘訣であり、家庭用コンロなどの火力ではそもそも火が十分に入らないため、パラパラには出来ない。このため、時間を掛ければパラパラにはなるのだが、同時にパサパサのチャーハンになってしまうのだ。

 この問題を解決するためにレイシンはとった手法は変わっていた。少量の沸騰したお湯を用意し、仕上げ前にサッと振りかけた。長い時間火に掛けられた鉄鍋で少量のお湯はすぐに蒸気に変わる。素早く鍋を振り仕上げである。これでふんわりパラパラチャーハンの出来上がりだ。


 もう一つはハンバーグ。こちらはジンの大好物でもある。

 肉の塊を取り出すと、二刀流の包丁で手早く・細かく・丁寧に刻んでいく。ボールに材料や繋ぎを入れて混ぜるのだが、氷を取り出すとしばらく手を冷やし、握りつぶして細かい氷を一緒に混ぜていた。これは手の温度で肉汁が溶け出してしまうのを防ぐための配慮だろう。豚肉を使っているか、豚の背脂を混ぜているらしい。

 本来、最大の問題はソースなのだが、デミグラスソースを作るには下準備からかなり時間がかかる。しかしこれはクリアできる。ジンは『醤油で食べるのが最強』と豪語しているからだ。このため時間的な短縮は可能だが、同時に特徴は出しにくい。そこでレイシンは荒技を使った。ミルクを入れた蓋のできる小瓶をシュウトに持たせ、激しく振るように指示。生バターを作っているということは、『醤油バター』で食べさせるつもりだろう。


ニキータ:

(しばらく料理してないなぁ……)


 こちらに来てからもうずっと料理をしていない。レイシンの手際を見ていると、自分でも久しぶりに作ってみたくなってしまった。


 まるで魔法のように、ぴったりのタイミングで完成させてジンの前に出される。湯気がふわりと立ち上がり、香気をまとって広がり、食事の空気が生まれる。

 本気を出したレイシンの料理はいつもながら圧巻だった。簡単な料理だからこそ、実力が見えやすい。


レイシン:

「おまたせ」

ジン:

「ああ」


 厨房スペースから出て、料理を食べようとしているジンの様子を、固唾をのんで見守る。柔らかな生バターがハンバーグの上でとろけて醤油と混じり合う。

 マイスプーンを握ったユフィリアがジンの所へ行ってしまう。止める間も無かった。


ユフィリア:

「ジンさん。ちょっと味見してもいい?」

ジン:

「満腹の癖に、まだ俺の食い物を奪おうって? ふざけんな」


 撃沈されて戻って来たユフィリアは涙目だった。


ユフィリア:

「うわーん、怒られたー」(><。)

シュウト:

「あ た り ま え だ !」

ニキータ:

「ユフィ、……今のは流石にフォローできない」

シュウト:

「っていうか、なんでジンさん相手にそんな強気で行けるんだよ!?」

ユフィリア:

「だってー、レイシンさんのお料理がすっごく美味しそうだったから」

レイシン:

「はっはっはっ。ありがとう」

ユフィリア:

「レイシンさん、お鍋の残りチャーハン食べてもいいですか?」

レイシン:

「ごめんね。念のためにおかわりは残しておかなきゃ」

ユフィリア:

「そっかぁ」


 味見したい気持ちは十分すぎるほどに分かる。しかし、ここは我慢すべき場面だった。


ジン:

「ごっそーさん」


 ぺろりと綺麗に平らげたジンが言葉少なげに席をたった。


レイシン:

「お粗末さま。どうだった?」

ジン:

「んー、……そこそこ、かな」


 それだけ言うと、部屋に戻ってしまった。

 辛口の評価を耳にした葵は、ぐったりしていた体を起こした。レイシンは無表情で厨房に戻った。しまってあった残りのハンバーグの種を取り出し、再び葵に火を頼んで調理を再開した。

 ほどなく、スプーンを握っているユフィリアが期待した通り、レイシンの料理を味見することになった。

 

ユフィリア:

「おいしー!」

シュウト:

「……ジンさん、やっぱり怒ってますよね? そこそこってことはないと思うんですけど」

レイシン:

「いや、彼がそこそこって言ったのなら、そこそこなんだよ」

葵:

「ジンぷーは怒ろうが落ち込もうが、評価は曲げないからね。……このチャーハン、少し味がボヤケてない?」

レイシン:

「そうかも……」

ユフィリア:

「えっ? えっ? すっごく美味しいのに」

葵:

「7~8人向けに作ってるならともかく、一人用でコレじゃダメかも。塩気は十分利いてるから……」

レイシン:

「ダシかな? 卵の量も多かったかも……」


 ユフィリアに食べさせるためではなく、すぐに反省して問題点を見つけるために調理したらしいことが分かる。この徹底的な空気が、うまく言えないが『カトレヤ的』な気がした。


 味見を終えた葵が再びテーブルにつっぷす。


葵:

「あーもー、酔っぱらったのがいけないのは分かってんのに、飲まなきゃやってられない。ダーリン、ワインだしてー!」

レイシン:

「楽しくないお酒は、飲むべきじゃないよ」

葵:

「…………うん」


 素直に頷く葵というのも珍しい気がした。

 後片付けしているレイシンがぽつりと呟いた。


レイシン:

「今日は負けだね。クエスト、失敗」

 


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