67 不完全な計略
フレディ:
「ほら、さっさと歩け」
念話によって誘導された先で待っていた男に背中を突かれ、歩くように促される。やはり〈黒曜鳥〉のメンバーだった。
ニキータ:
「触らないで!」
フレディ:
「強がっていられるのも今の内だぞ?」
罪を犯すことへのためらいが感じられない。とっくに一線を踏み越えてしまっているのだろう。慣れた感じで脅迫をし、下卑た視線で体を舐め回してくる。人の嫌がることをして気持ちよく感じる人間は、実際にどこにでもいるのだろう。
心の中の怖れを悟られないように、いつもよりもしっかりとした態度で歩く。弱みをみせれば付け込もうとしてくる。怖れなければ、逆に相手が警戒し始める。――ジンの言っていた事だった。
自分は平気なのだと言い聞かせ、自分が信じるまで繰り返す。……だが、どうにも怖ろしいままだった。ならば、平気なフリを演じるしかない。
念話が掛かってきた時、テントから外に出てしまった。フレンドリストに登録していない相手からだったので、少しばかりキツい言葉で二度とかけてこないように言おうとしたからだ。
念話のフレンドリストは、一定範囲内からなら、誰であれ一方的に登録することができる。しかし、断りもなくリストに入れるのはマナー違反になる。だから削除するようにキツく言っておく必要があった。マナーを守らない相手に優しくする必要はない。攻撃的な言葉で迎撃するにしても、仲間や、特にユフィリアにはあまり聞かせたくなかった。これもマナーだろう。
念話を掛けてきた相手は、まず「動くな」と言った。その後は「ユミカを人質にしている」「念話を切るな」「トモダチを助けたかったらこちらの指示に従え」と言われて、そのまま指示通りに歩いて行くことになってしまった。
念話を通話状態にしておけば、声に出す内容は相手にも伝わってしまう。それでユフィリアやジンに助けを求められなかったのだが、たぶん自分は勘違いしたのだ。こちらが宿営地に居ることを前提に相手は話を進めていたこともある。それでこちらを監視してるのだとばかり思ってしまった。含むような言い方に引っかかってしまった。
しかし、ここで「アキバにいるから指示に従えない」と突っぱねていたら、どうなっただろう。ユミカはそのまま相手の餌食になるのかもしれない。下手な応答をした時点で彼女を助ける可能性など完全に失われていただろう。そこだけは間違えずに済んだ。
ニキータ:
(……結局、自分の短慮が招いたこと、という訳ね)
敵の目的は自分たちのハズだった。それなのにユミカまで巻き添えにしてしまった。
シュウトの恋人であることはともかく、それをネタに自分たちを脅迫できるだろうか? それならまずシュウトを脅すはずだ。無論、ユミカはユフィリアと親しい友人関係にある。しかし、そこまで〈黒曜鳥〉の人間が知っていたとは思えない。たとえばマダムの集まりにはたくさんの女の子がいる。特別に誰と親しいかなんて分かるはずもない。
……だとすれば、一緒にいるところを見られたのだろう。それはいつ、どこでなのか。シュウトの洋服を選んだ日ぐらいしかない。ジンの言う通りにしておけば、今回の事は避けられたかもしれない。ユミカが〈D.D.D〉のメンバーだから、少し安心していたところがあったのだろう。でもそれは、自分達の思い込みに過ぎなかったのだ。
ニキータ:
(でもまだ、ユミカが捕まっているかどうか分からない)
まだ確認できてはいない。単にその名前で自分を脅しただけかもしれない。でも、捕まっていたとしたらどうすればいいのだろう。捕まっていなかったらどうすればいいのだろう。出来ることはそう多くない。助けが来ることに期待して、時間を引き延ばすしかない。
人気のない場所を通っていた。宿営地の人の多いところからはかなり離れている。大声を出しても聞こえないと思う。広い宿営地の中から、この辺りを見つけだすのは難しいかもしれない。
そんな不安が心を過ぎった時、目的地に到着した。
20人ばかりの集団の出迎えを受ける。話しかけてきたのは、丸王ではなく、記憶にない相手、道壁トオルだった。
道壁:
「来たな、ニキータ」
ニキータ:
「…………」
ユミカの姿を見つける。目隠し、猿ぐつわ、両腕は後ろ手に縛られている状態だ。眠らされているのか、ぐったりとして力感が感じられない。後ろにいる手下の一人がずり落ちそうな彼女をひっぱり上げ、かろうじて立たせている。
後ろにいる丸王は、興味なさそうに一瞥しただけだった。
ニキータ:
「お望み通りココに来たのだから、……ユミカは放しなさい」
道壁:
「は? 何を言ってるのか分からないな」
ニキータ:
「ユミカを助けるって条件でしょ!」
道壁:
「そんな約束はしていない。助けたければ来いと言っただけだ。違ったか?」
ニキータ:
「…………」
道壁:
「だが、この女だけ助けてやってもいい。その代わり、お前にはユフィリアを呼び出して貰おうか」
ニキータ:
「…………」
他者と交渉するには、約束を相手に守らせる手段が、力が必要なのだ。敵は暴力と人数を後ろ盾にしている。こちらには何もない。相手の善意に期待して、訴えかける意味などない。この世界には『しがらみ』が無さ過ぎる。罪を犯したことを悲しんだり、怒ったりしてくれる両親も、悲痛な思いをする兄弟もいない。現実世界での家族など、なんの制約にもならない。それどころか、罰せられて死刑になっても死ぬこともない。結局、この世界で善意を持ちえるかどうかは、その個々人の資質に左右されるものなのだろう。
口惜しかった。涙がでそうになるほどに。口論を続けて時間を稼がなければならないのだが、喋れば涙があふれてしまいそうだった。自分の弱さが痛ましい。
ニキータ:
(こんな所で終わりなの……?)
いや、きっと仲間が助けに来てくれる。そう信じてはいる。……でも、この異変に、この自分の窮地にいつ気付いてくれるのだろうか。それがほんの何分か遅ければどうなるのか。何もかも間に合わなくなってしまうのだ。今はもう探してくれているだろうか? 真夏の夜に、血が冷たくなっていく。歯の根が合わないみたいに、今にもガタガタと震え出しそうだ。不安で、不安で仕方ない。
ニキータ:
(ユフィを呼べば……)
ユフィリアを呼び出せば、その間の時間を稼ぐことができるかもしれない。自分は助かるかもしれない。自分だけではない、ユミカもだ。上手く念話できれば、仲間達が助けに来てくれるだろう。
でも、そんな真似はできなかった。
しかし、それではユミカはどうなってしまうのだろう。
自分だって助かりたい。
薄汚い男達に蹂躙されるくらいなら、潔い死を選ぶ。しかし、この世界では死ぬことすら許されない。暴虐の限りを受けても、どれだけ心に傷を負うことになろうとも、そのまま生きて、生き続けなければならない。
(誰か、助けて……)
あの人の名前を考えそうになる。叫びそうになる。ここで私が我慢すれば、きっとユフィリアは助かる。あの人なら、確実にユフィを守ってくれる。笑いながら、暴力を『更なる暴力』で蹴散らしてしまうだろう。強いから自由でいられるのか、自由だから強いのか……。
丸王:
「そこにいるヤツ、出てこい!」
沈黙を守っていた丸王が、強く叫んだ。間を空けず魔法使いに攻撃を命じる。指さした方向に爆発が起こった。同時に丸王は素早く動き、首に短剣を突きつけて来た。手下に指示し、手を後ろにして縛ろうとしてくるのだが、無理に抵抗はしなかった。
黒煙が白煙に代わり、暗闇に溶けて消えた。
ニキータ:
「ジン、さん……?」
闇と同化した影が、銀色の輝きによって分離される。あれには見覚えがあった。銀鞘の短剣だ。
ニキータ:
「シュウト……!」
シュウトがここで現れたことは、まったく意外なようでもあり、どこかで納得している自分がいたりもした。もしかしたら助かるのかもしれないと、ぼんやり考えていた。
◆
丸王:
「そこにいるヤツ、出てこい!」
様子を見るために接近したのだが、なぜバレたのか分からなかった。当然、気配を消しているため周囲からは見えない状態のはずなのだ。加えて問題は、まだジン達に連絡していない部分だろう。本日2度目の痛恨のミスだった。
シュウト:
(くそっ、何処かに戦闘哨戒を配置してるのか!)
相手は知恵のある『人間』なのだということを忘れていた。犯罪のようなリスクのあることをしているのに、周囲の警戒をしていない訳がなかった。
続けて範囲攻撃の魔法が飛んでくるのを木の影でやり過ごす。ダメージその他、大過なし。人質が2人いる以上、もはや度胸を決めるしかなかった。堂々と歩いて姿を見せる。何の作戦も無い。
丸王:
「ほぅ、お前だったか」
シュウト:
「仲間が人を呼びに行ってる。もう終わりだ、そこの2人を返せ!」
ハッタリもいいところだったが、ここは嘘でも言っておいた方がいい。
丸王:
「さて、その援軍とやらは、来るまでしばらく掛かりそうだがな。その間に移動させてもらおう」
シュウト:
「2人を置いて行け。逃げられないぞ!」
丸王:
「フン。キサマを殺して、2人とも連れて行くだけさ。……いや、面白いことを思いついた」
野獣のような笑みを浮かべる丸王。気を呑まれる訳にはいかない。
丸王:
「返してやろう。……ただし! どちらか一人だ。お前が選べ」
シュウト:
「な……?!」
道壁:
「マル、何を!」
丸王:
「黙っていろ」
〈黒曜鳥〉の仲間達もこの決定にざわついていた。お宝をみすみす半分にしようとしているのだから、当然の反応だ。
丸王:
「サッサとどちらかに決めろ。恋人か、仲間か。さぁ、どうする? お前が決められなければ、こっちで決めてやろうか?」
無論、2人とも敵に渡すわけにはいかない。しかし、一人だけでもここで取り返しておくべきではないのか? 相手の目的は、一人を返すことで身軽になり、その後の追跡から逃れやすくするためだろう。この話に乗るべきどうか。しかし、選ばれなかった側の気持ちはどうなる?
ユミカはぐったりとしていて、意識があるかどうか分からない。ニキータは起きて話を聞いている。でもユミカは〈D.D.D〉のメンバーだ。身内のゴタゴタに他ギルドのメンバーを巻き込む訳には行かない。だとすればニキータを敵に預けておいて、後から取り返す方が理屈としては正しい。しかし……。
考えがまとまらず、頭が真っ白になりそうになる。
シュウト:
(ジンさんなら、どうする……?)
しかし、これは考えるまでもなかった。
シュウト:
(決まっている。ジンさんなら、相手を皆殺しにしてでも2人を奪い返す。それだけの実力がある……)
自分もずいぶん強くなってはいる。もう同クラスの装備を持つ相手になら、ほぼ負けないところまで来ている。それでも、多人数を相手にすれば3人程度が限度だし、それも勝つ見込みはかなり薄くなってしまう。
こうして考えると、まるで強くなっていないのが分かる。山に例えると、まだ麓にしかたどり着けていない、と言っていたのは事実なのだろう。力が欲しかった。今すぐに。せめて、諦めてしまわないぐらいの、心の強さだけでも。
丸王:
「フン、どっちを選んだら得か決めろ。援軍とやらが来るまで待ってはやれないぞ。それともどっちもいらないのか?」
丸王のイヤミな催促を聞き流す。
どうして、ここに自分が居るのだろう? なぜ、ジンはここにいないのだろう? 責任を自分が負わなければなららないのは、どうしてなのだ。 どうしていいのか分からない。どうにかする実力もない。助けを呼ぶにも…………
妄想のジン:
(……幸運だと、いいな?)
ジンの声が再生され、海の見える遠景が脳裏に広がった。
シュウト:
(あれは、いつだったっけ? ……そうだ、たしかミナミに着く前)
丘の上から、コウベを見た時の事を思い出していた。大地に刻まれた爪痕を話題にいろいろな話を聞かされたのだった。
シュウト:
(あの時は、確か……)
時間は掛からずに思い出せた。とある女の子を助けるためには、必要な時に必要な能力をもって、その傍にいなければならない。そんな内容だったと思う。
シュウト:
(そうだよ、ここにジンさんはいない。だから、どうしようもないじゃないか!)
妄想のジン:
(もし、努力するつもりなら……、幸運だと、いいな?)
シュウト:
(まさか、僕は幸運だってこと……なのか…………?)
ジンが立てない場所に、自分は立っている。その意味を、価値を、わずかながら、認識する。どれだけか強かろうと、その力が必要な場所にいなければ、意味はない。そのどうしようも無さを、ジンは知っていて、伝えようとしていたのではないか?
シュウト:
(どれだけか強かろうと、『使う場所』がなければ意味が、ない?)
しかし、必要な場所に立てたとしても、『必要な能力』が足りなければ結果は同じではないのだろうか。自分は、どうしようもなく、弱い。
シュウト:
(僕が弱いのは、僕のせいだ。あの人が悪いわけじゃない)
ならば、自分に出来ることは何か。20人を相手に何ができるだろう。ただ殺されるのを待つのは趣味じゃない。『内なるケモノ』は暴れたがっているが、20人を相手にしたら、とてもじゃないが通用しないだろう。突撃の果てに死ぬのなら、自分の気分は良いかもしれないが、その後で大切な人たちが犠牲になってしまうだけだ。
ならば、どうするべきなのか?
シュウト:
(……できることを、する)
アサシネイトは5分に1度しか使えない。同等の威力を持つ弓攻撃のスナイパーショットは15分に1度だ。……ならば、15分で4人殺せばいい。1時間なら16人だ。生き残って、一人ずつ殺す。絶対にユミカにも、ニキータにも手出しさせない。夜の間中、つけ回して寝させない。朝までに必ず、全員を殺す。そうやって、二人を無事に取り戻す。
丸王:
「どっちにするか決めたか? 決められないなら……」
シュウト:
「いいや、最初から決まっている」
丸王:
「むっ……」
無造作に歩く。まるで朝の散歩のように。
道壁:
「何をするつもりだ? 止まれ! 女がどうなってもいいのか?」
警戒的コミュニケーションの無視。これはジンの言った通りの行動だ。無造作に歩く自分に、相手は上手く反応できていない。緊張の中に、楽しさすら感じていた。
丸王:
「止まれ、近づくんじゃない!」
無視してただ歩く。急ぎすぎないように注意して。〈黒曜鳥〉のメンバーも怒鳴って制止させようとする。威嚇だけで自分を支配しようとしているのだ。際限なく威嚇を強めてくる。
今ならハッキリと分かる。なるべく戦いたくないのだろう。脅して勝つことに慣れている相手は、脅して屈服させたがり、実力行使に移行するのにためらいがある。……自分の攻撃が届く間合いまでもう少し。
距離が近づいたために武器に手を掛けているが、もはや遅すぎた。
シュウト:
「〈アサシネイト〉」
最後の数歩は瞬時に間合いを詰め、前に立っていた連中の一人(道壁)を一息に斬り殺してしまう。崩れ落ちていく間、崩れ落ちた後になっても、誰ひとりまともに対応できていなかった。
手の内に、その感触に、感動のような天啓の様なものを得た。無造作な歩き、無造作な攻撃、そして敵のあっけない死。『殺しの呼吸』のようなものをみた気がした。
自然と高まるテンションのままに、宣言する。
シュウト:
「二人とも、返して貰う。それ以外にはない」
丸王:
「道壁……くそっ、殺せ!!」
もの凄い形相で向かってくるが、背を向けて一目散に逃げだす。格好悪かろうと、ここでまともに戦うつもりも、死ぬつもりもない。単純な走るスピードでは同じ〈暗殺者〉だろうと、誰も追いつくことは出来ないハズだ。未確認ながら、ほぼアキバ最速の移動力だ。問題は呪文などの遠隔攻撃。その狙いを外すためジグザクに走り、近くの木立に飛び込む。
そこで念話が掛かってきた。
ケイトリン:
『5分もたせて』
シュウト:
「……監視してるフィールドモニターがいる」
ケイトリン:
『了解』
どうしてケイトリンがこの状況を知っているのか?と考えて、自分が追跡されていたことに気が付いた。ニキータと待ち合わせしているとでも思って、気配を消して後を追いかけて来ていたのかもしれない。
5~6人が真っ暗な木立の中で、自分を殺すために捜していた。明かりを使っているため、位置は分かる。こちらは夜目を利かせて上手く隠れればいい。
丸王達は〈アサシネイト〉で倒した一人を蘇生させようとしていた。人質2人を確保しながら、自分を殺すために割いてくる戦力は、多くても半分の10人ぐらいだろうと想像する。まだ数人の余力がありそうだ。ニキータを助けてこちらの戦力にしたかったが、それもさせて貰えそうにない。
メイズ:
「な~にがんばっちゃってんだよ~。この人数相手に、お前一人で勝てるわけないだろ~?」
飄々とした物言いをする敵が、至近距離を通り過ぎる。その後ろの一人に狙いを付け、通過と同時に木の上から落下。〈羽毛落身〉の着地で音を立てない。
すかさず〈キリング・サイレントリィ〉で敵の発する『音』を奪っておく。切っ掛けを掴んだばかりの『殺し呼吸』を用い、不意打ちから数度の攻撃を加えて倒す。そのまま死体を引きずって隠しておく。メイズという男が振り返える前に仕事は終わっていた。
同一ゾーン内でこうした死体を隠す行為に意味はあまりないが、少しでも蘇生を遅らせるだけで良かった。その分だけ勝機も増える。
場所を移動して、道壁を蘇生しようとしているヒーラーを狙撃すべく弓を構える。特技選択〈スナイパーショット〉。
樹木の後ろから身を乗り出し、射ようとする直前の事だった。微かに風を切る音が聞こえた。
シュウト:
「ぐっ……」
目敏い手下:
「いたぞ! あそこだ!」
どこかから飛んできた矢を、逆にこちらがもらってしまう。間が悪く、〈スナイパーショット〉も外れる。特技一回分が無駄になったと歯噛みする。一連の動作で居場所も発見されてしまった。矢を引き抜いてから、移動をかける。
シュウト:
(くそっ、あのフィールドモニターは、ヤツか!)
以前、ユフィリアに矢を射た狙撃手が、ここでも高台から狙っていたらしい。一方的に攻撃をしかけてくる厄介な相手だった。逆襲したくても、向こうの位置が分からない上に、こちらの弓はたぶん届かない。
走って逃げる途中に、追っ手とも戦うことになってしまう。何回か攻撃したところで逃げに転じる。倒せなくもないが、急いで場所を変えなければ、別の敵に囲まれるか、また弓で攻撃されてしまう。さすがにノーダメージという訳にはいかなかった。
慌ただしく場所を移動し、気配を消して森に潜む。回復薬を2本、一気に飲み下す。……偶然にも、回復薬にはかなりの余裕があった。今回のゴブリン戦に出かける前、ジンの指示で村人に配るための回復薬を石丸と一緒に調達していた。ところが、そのまま別行動になってしまったため、自分の割り当て分をそのまま持って来てしまった。後で気が付いて失敗したと思ったのだが、ここで幸運として働いた。
シュウト:
(よしっ!)
思い切って戦闘モードを解除し、罠の設置に取りかかる。サブ職〈矢師〉の特技の一つに罠を設置する技能がある。罠に引っかかると矢が飛んでダメージを与えることができるというものだ。罠の設置は脳内コマンドからだと10秒で完了する。矢の設置などはもっと手間が掛かるハズなのだが、いろいろと短縮されるのである。
注意すべきは、罠の設置が非戦闘時にしか行えないことにあった。非戦闘状態ではダメージが数倍になってしまう。ここを狙われると、威力次第で一撃で死ぬこともあり得る。
10秒という時間は長い。戦闘中なら特にそう感じやすい。緊張の10秒を乗り越えたところでホッと、自然に息を吐く。続けてお飾りになっている銀鞘の短剣から糸を引き出し、罠の近くの枝にひっかけて囮に使う。動きがつくように、軽く弾いて近くに潜む。
マック:
「居たぞ、こっちだ!……バカが、それで隠れてるつもりか!」
しかし、銀鞘の短剣がぶら下がっているのみ。付近を探すつもりで歩いてくると、上手い具合に罠に引っかかった。矢が背中に刺さる。
マック:
「……なんだこりゃあ!」
罠の矢に気を取られているところで後から攻撃して仕留め、死体を隠す。基本的にこの繰り返しで5分保たせれば、ケイトリンが援軍を呼んでくるハズだった。
シュウト:
(今の内に、こっちでも連絡を……)
ジンへの念話は通じず、代わりにレイシンに連絡を入れることになった。
◆
丸王:
「まだ捕まえられないのか……」
追いかけ始めてから既に5分近く経過していた。ただ逃げるだけではない。あちこちに罠を設置したり、後から襲われたりしてこちらも4人が殺され、その内の2人は蘇生が間に合わずにアキバの大神殿に転送されてしまっている。
フィールドモニターから何も報告が来ないので、まだ大丈夫なのだが、そろそろ誰かが気が付いてもおかしくない。だが、下手に魔法を使って火事などを起こしたらコトだ。逃げようにもあの〈暗殺者〉はどこまでも追跡して来るだろう。
道壁:
「マル、追っ手を引き上げさせろ。俺に考えがある」
丸王:
「分かった……」
道壁は最初にあっさりと殺されたことで、仲間内での面目を失っている。誰もがいい気味だと思ったのだろうが、打開策があるなら動かしてみるのも悪くない。
全員を引き上げさせると、ニキータを前に立たせて、シュウトに呼びかける。
道壁:
「おい、さっさと出てきやがれ、この糞野郎!」
短剣を取り出し、ニキータのフトモモをざっくりと突き刺していた。
ニキータ:
「あぐッ!!」
短剣を引き抜くと血が溢れ、ズボンが赤く染まる。
人質は殺してしまっては意味がない。万一、蘇生が間に合わずに大神殿に転送されてしまえば、逃がしたのも同然なのだ。アキバの街中で捕らえて好き勝手するのは難しくなる。
どこまで理解しているのか、道壁は手加減がなさそうに見える。脅しをかける上では正しい態度なのだが、怒りで気が狂ってやしないかと不安にさせられる相手なのだ。
道壁:
「次は、ここだ」
ニキータの下腹部に短剣の切っ先をあてがう。短剣から血がしたたり、下腹部に垂れてシミを作る。
道壁:
「縦に切り裂いて、中身をブチまけるぞ? さっさと出てこい!」
ニキータの子宮に刃物を突き立て、引き裂こうというのだろう。まるで帝王切開のように、だ。味方のはずなのだが、ゲスの臭いがしてたまらない気分になる。もう何度目だかわからなかったが、仲間にしたことを後悔する。
ともあれ、これで終わりだ。相手は生っ白いガキでしかない。こんな風に脅されたら出てこない訳にはいかないだろう。
シュウト:
「やめろ、人間のクズめ!」
やはり現れた。抑えきれない怒りに震えている。ざまあない。少しだけいい気分になる。
道壁:
「よし、いいぞ。アイツを殺せ! いや、ここに連れてこい。俺がやる」
汚名をすすごうというのだろう。道壁はシュウトを自分の手で殺そうとしていた。そのぐらいのことをしてパワーを見せつけなければならない。弱気を見せたら追い落とされてしまう。
だがその時、たくさんの〈冒険者〉が集まってくるような気配、否、『音』を耳にしていた。
そー太:
「隊長ぉぉ! 援軍だぜぇぇ!!」
エルンスト:
「そのまま突撃しろ!」
シュウト:
「そー太! みんなも!」
丸王:
「怯むな! 前線を構築しろ!」
突如現れた一団はこちらを超える人数だった。一斉にこちらに向かって襲いかかってくる。浮き足立つ味方を叱咤し、総崩れになるのを防ぐ。
丸王:
(くそっ、報告はどうしたんだ!)
フィールドモニターに配置していた『狙撃屋』からの連絡が無かったため、対応が遅れてしまった。援軍の登場に慌ててしまった部分はあるが、勢いにやられて総崩れになるのは防ぐ事ができた。
次はPvPで勝てるかどうかだが、これは経験によるところが大きい。だから有利なはずだった。このメンバーでPKをしたのは一度や二度ではない。逃げる算段に移るのは、敵の強さを見極めてからでもいい。
まずは更新をば。