57 拘束世界
雨も上がった翌日の午前中。地面がそこそこ乾いているのを確認し、全員そろって戦闘訓練をすることになった。場所はシブヤ近くのフィールドゾーン。いつもの隠れ練習地点である。
ジン:
「順序的には色々とすっ飛ばし過ぎな感じだが、戦闘モードがあるから、いきなり実戦訓練をやっても平気という、歪んだことになっているわけだな」
戦闘モード、ゲーム的に言えばオートアタックが自動的に戦闘を可能にしてくれる。これのお陰で『戦うこと自体』に困ることはない。しかし、それも使い手によって多様性を持つに到っていた。
ユフィリア:
「じゃあ、私から! いくよ、ジンさん!」
ジン:
「え? イヤだよ。何でお前と戦わなきゃならんの?」
ユフィリア:
「えっ?……だって、戦闘訓練するんじゃないの?」
フッ、とジンは鼻を軽く鳴らした。
ジン:
「バカだな、俺が本気でお前と戦うわけがないじゃないか。こんなにも、大切に想っているのに……」
演技臭いセリフを言ってから、最後に横に視線を外して照れを表現している、らしい。
ユフィリア:
「ジンさん……」(きゅん)
胸の前で両手を握りしめるユフィリアが、少し困ったような、潤んだ瞳でジンを見つめた。オーバーなリアクションはシュウトにも分かる演技のそれだ。瞬間的な切り返しができるのは、さすがに芸達者だなぁと思う。
ニキータ:
「はいはい、イチャイチャカップルごっこはそこまでにして」
ユフィリア:
「はーい♪」
ジン:
「……とまぁ冗談はともかく、手加減ばっかりしてたら俺が弱くなっちまうよ。シュウトと組み手しないのだって半分は俺の事情なぐらいなんだ。まだ先生と呼ばれて喜ぶほど、人間的に完成してないし、したくもないね」
ユフィリア:
「じゃあ、どうやって訓練するの?」
ジン:
「そりゃあ…………」
急いであさっての方を向くシュウト。レイシンも同じだ。
ユフィリアの訓練相手になって、彼女を殴ったり、傷つけたいと思う男子がいるはずもない。いるとすれば性的に倒錯している変態か、恨みを持つ女子に限られるのではなかろうか。
ジン:
「参ったな。そりゃあ、そうだよな(苦笑)」
ユフィリア:
「どうするの?」
ジン:
「じゃあ、ニ」
ニキータ:
「お断りします」
ニキータのニが聞こえたかどうか、というタイミングでの断固たる拒絶だった。
ジン:
「ですよねー? ……ユフィ、諦めろ」
ユフィリア:
「いー(↓)やー(↑)だー(↓)」
変速イントネーションで自己主張を続けるユフィリア。迷惑な話である。このままだと自分が罰ゲームかもしれないと冷や冷やしてきた。
ジン:
「随分とやる気があるなぁ、おい」
ユフィリア:
「うん。シュウトに勝てるようになりたいの!」
シュウト:
「え゛っ?」
唐突に妙なことを言い始めて困惑する。いやいや、それは一体どういう意味で言ってるのだろう。ちゃんと話を聞いてみるまでは分からない。
ニキータ:
「シュウトって、……何かあったの、ユフィ?」
ユフィリア:
「シュウトって、私がミニマップ使えなくなった時、嬉しそうにしてたでしょ」
シュウト:
「いや、だからアレはたまたまそう見えただけであって!」
ユフィリア:
「(ガン無視)それで葵さんと話してたら、『シュウ君より強くなっちゃいなよ』って言われたの。黙らせるにはそれが一番だよって」
ジン:
「あの馬鹿、余計なことを。しかし、シュウトかぁ。……いや、思ってるよりかなり強いぞ、こいつ」
意外なタイミングで褒められたので、得をした気分だった。
ユフィリア:
「……ジンさんでも無理? 絶対に不可能?」
ジンをまっすぐに見つめるユフィリア。眠そうな感じのジンが、苛立ちのような表情を浮かべた。
ジン:
「はぁ? 誰にいってんの? たかだかシュウトの一匹や二匹、不可能なわけねぇだろ?どの口が言うか。マジならやってやんよ。お前こそついてこれんのかよ? 俺の訓練は厳しいぜ?」
シュウト:
「ちょっ、ちょっと!」
ユフィリア:
「うんっ。がんばるっ!」
ジン:
「よし、作戦を立てるぞ!」
シュウト:
「ああああ……」
ニキータ:
「大丈夫、じゃなさそうね……」
ジン:
「まずは戦闘用の特技を充実させるところからだ。まだレベル差があるから、実際に戦って勝てるのはしばらく先になるだろう。その間にサブ職を高めて、特技の充実を図るんだ。どのサブ職にするかだが……」
ユフィリア:
「あっ、ごめんね、サブ職は無しでお願い」
ジン:
「は? ……サブ職なしって、なんでまた?」
背を向けただけの丸聞こえの状態で作戦会議を始めてしまう。
サブ職選びの話題に(うわぁー、本気だ)と思ったのも束の間、状況がおかしくなって来ていた。
ユフィリア:
「うん。何かサブ職を取りたいと思ってて悩んでるの。お洋服を作ったりもしたいし、でもお料理もしたいでしょ? それから……」
アレもしたい、コレもしたいを延々と繰り広げるユフィリア。どうやらギルドのみんなの為になることをしたくて、決めかねているらしい。サブ職の大半は専門職であるから、あれもする、これもする、というのには向いていないのだ。
ジン:
「いや、ちょっと待て。それでシュウトに本気で勝つつもりだってか?」
ユフィリア:
「もちろん本気だよ。……ダメだった?」
ジン:
「ダメっつーか、本気じゃねーだろ、それは……」
頭を抱えるジンの姿に、半ばホッとする。相手がユフィリアだとしても、ジンが真剣になればどうなるのか。本気で負けるようなことがあっても不思議ではない。
ジン:
「いいか? 〈施療神官〉がソロでシュウト、っつーか〈暗殺者〉に勝とうと思ったら、回復しながら持久戦で押し勝つパターンが近道だ」
ユフィリア:
「うんうん」
ジン:
「そのためには、どうにかして呪文を使うチャンスを確保しなきゃならない。〈暗殺者〉が使う特技は物理攻撃系が大半だし、そのキャスト・タイム中には移動することも可能だ。逆に〈施療神官〉が使う呪文は、キャスト・タイム中に移動すると中断されてしまうから、移動はできない。このことから、シュウトの動きをどうにかして止めている間に呪文を使うような、なんか工夫が必要になるわけだよ。でも、動きを止める呪文を使うために自分の動きを止める、のでは矛盾してしまう。何せ〈暗殺者〉には最強の〈アサシネイト〉があるから、安易に動きを止めたんでは一発で致命傷になっちまう。ここを補うためには、サブ職で攻撃系の特技を習得するのが手っ取り早かったんだけど……」
基本戦略から作戦遂行時の一次的な問題点までがスラスラと出てくる。こと戦闘に関しては本気の人だものなぁ、と思いつつ話を聞いておく。
ジン:
「サブ職の〈特技〉が利用できないとなると、次は武器のProcを利用する方法だな。これは結構いい武器じゃないとダメだ。どっかのダンジョンに潜って、アーティファクト級を探さなきゃだが……。どうにかインタラプトは狙って出来るようにしておきたい所だ」
インタラプトとは行動阻害の効果である。主に特技使用時のキャスト・タイムに当てることで、特技の使用を中断・停止させることができる。
ジン:
「とりあえず、実力差を確認しておくか。……シュウト」
やはりこうなってしまった。女の子だろうと戦えなくはないが、ユフィリアを傷つけるとニキータも敵に回りそうで、いろいろと危険で、後が怖い。
シュウト:
「なんでしょうか?」
ジン:
「ユフィリアと勝負してやってくれ」
シュウト:
「……構いませんけど、僕にメリットがありませんよね?」
普段、こんなことを言おうものならボコられるか、いろいろと教えてもらえなくなるのかもしれないが、あからさまにユフィリアの味方をしている今ならば、ギリギリ交渉も可能だろう。
ジン:
「んで、なにが望みだ?」
シュウト:
「さぁ、特には…………」
ここで自分から要求を出すのは得策ではない。渋る顔をする必要もない。
ジン:
「じゃあ、10分間、ユフィリアの攻撃を避け続けることが出来たら、俺と組み手する権利をゲットってのはどうだ?」
来た!と思ったのだが、顔には出さない。もう少しだけ我慢の子である。
シュウト:
「……何回ですか?」
ジン:
「む、別に10回でも20回でもいいぞ?」
シュウト:
「わかりました。では、それで」
我ながら図々しくもふっかけたものだが、巧くやれたようだった。
ユフィリア:
「じゃあ、いくよっ!」
意外と素早い動きのユフィリアだったが、攻撃は難なく躱すことができる。よほど気を抜きでもしなければ、10分程度を逃げ続けることは自分にとってそう難しいことではない。
ジン:
「いいかー? オートアタックってのは、所詮は相手の前に移動して、棒立ちでポコスカ殴るだけの機能なんだ。今はゲームが現実になったことで、まるで数十レベルの〈冒険者〉が実在しているかのように動きをサポートしてくれるものへと変化した。だから俺達は戦闘モードってわざわざ呼んでいるんだ。色々やって、試してみろ」
オートアタック同士で殴り合えば、どれだけ〈暗殺者〉が回避に優れていようと、一定の確率で防御に失敗してしまう。ユフィリアの〈施療神官〉としてのレベルが11も下だからと言って、10分もの間、回避に成功し続けることなど期待できない。期待すること自体が間違っているのだ。
オートアタックでは、なまじ最適動作を行おうとするのが問題でもあって、命中する距離に入れば相手は攻撃のモーションを起こす。敏捷性には十分な差があるのだから、モーションを見てからでも武器の届かない場所に移動できるし、そうなれば命中することなどあり得ない。武器の長さや相手の踏み込む距離に慣れてくれば、ギリギリ当たりそうになる演出や、回避特技を使って仕切り直すなどして、リズムが単調になるのを防ぐことも大切だった。ユフィリアのやる気を引き出しつつ、自分の緊張感を引き締めるのだ。もう少しで当たりそうだと思わせて、それに夢中になれば、余計な工夫をしなくなるように誘導できる。心理的なハメを使っていくのは当たり前の工夫だった。わざわざ未来の敵を成長させてやる筋合いはない。
石丸:
「残り3分っス」
ジン:
「タイム。ユフィリア、ちょっとこっち来い」
なにやら耳打ちしているジン。こくこくと頷くユフィリア。どうやら少し状況が変化しそうだった。
ユフィリア:
「今度こそ、当てるよ!」
会話していた時間が短いので、複雑なアドバイスは無理だろうと考える。それでも何か仕掛けてくるのに違いない。
ユフィリアの動きが微妙に、否、大きく変化した。鋭い踏み込みからの回転気味のメイス攻撃を、下がって回避する。正面を横切るようにして、今度は右前方に踏み込んで振り回してきた。正面からの単調な攻撃に変化が出てきてしまった。
シュウト:
(ジンさんは一体どんなアドバイスをしたんだ!?)
短時間で変わり過ぎだった。複雑なアドバイスは、それを実行する方にとっても複雑なのだ。ユフィリアは難しいことなどしていないハズだと考える。
まだ余裕はあったが、動きの癖を見抜かないと万一というともありえる。緊急事態に備え、脳内のアイコンは回避特技をいつでも使えるようにしておくのを忘れない。
当たればいいのだからと言わんばかりに、威力を度外視したジャブに似た突きなども混ざって来た。ますますジンが何を教えたのか分からなくなる。自分が逃げる方向を限定するような立ち回りなどは、最初から出来たのにやらなかったのかと疑うような動きだった。
一度、落ち着きを取り戻すために離れた位置で立ち止まる。ギリギリまで引きつけて観察し、〈ガストステップ〉で一気に回避するのだ。
彼女はジグザグに走るフェイントを入れながら、左前のポジションから片手でメイスを振り回してくる。フォアハンドの動きを見切ったところで、〈ガストステップ〉を発動。攻撃を空振りしたユフィリアの背後に移動する。
シュウト:
「分かった。……テニスの動きなんだ」
ユフィリア:
「もうバレちゃったの?」
ジン:
「やっぱダメか(笑)」
レイシン:
「なるほどね……」
ジンはテニスっぽく動いてみるように言い、加えて斜め前の位置からも攻撃するように指示していた。シュウトの正解である。テニスの動きをしたから強くなったわけではない。逆に通常のオートアタックから見れば、確実に弱くなっているだろう。この場合は防御を度外視して良いので、移動時間(=攻撃回数のロス)を増やして、一発の命中度を高める作戦だった。
仕掛けが分かれば突発的な動きにも対処できる。負けじと追いかけてくるユフィリアを捌きながら、終了まで逃げのびることに成功した。
石丸:
「時間っス」
ジン:
「そこまで!」
ユフィリア:
「あれ、もう終わりなの?(はぁはぁ)私、まだやれるよ?」
ジン:
「実力差はわかったろ、とりあえず休憩しとけって。どうする、シュウトも少し休むか?」
シュウト:
「いえ、直ぐにいけます」
口元に自然と笑みが浮かぶ。これこそ、労少なくしてなんとやらだ。
ジン:
「じゃんじゃじゃーん。ひみつへーき~♪ これぞ、シュウトボッコボコ棒だッ!」
シュウト:
「それは、一体?」
ジン:
「装備レベル一桁の弱っちい剣だよ。これなら幾らひっぱたいても、たぶん平気だろ? 何より安いのがいい」 うんうん
死なないように配慮したのだと思いたいが、回数多く殴りたいだけじゃないのかと疑ってしまう言い草だった。
ジン:
「よっしゃ。じゃあ変則ルールでいこうか。先に1発当てた方が勝ちで、とりあえず10本な」
シュウト:
「…………分かりました」
少し考えてみたのだが、これはスピードのある自分に有利なルールではないかと思う。
シュウト:
「ジンさんは、オーバーライドですか? フリーライドは使うんですか?」
ジン:
「オーバーライドは使わない。それから、俺は常時フリーライドだぞ。83に上がったっていっても、まだ7レベルも下なんだし、普通じゃ勝ち目なんてないだろ」
シュウト:
「そうですよね」
適当に離れたところから一本目を開始。間合いの読み合いになるかと少し思ったのだが、無視してズンズンと歩いてくる。
先に仕掛けようと思った瞬間、胸に走る痛みが負けを教えていた。
ジン:
「ほい、一本目」
速い。どうして負けたのかもよく分からないスピードだった。立て続けに2本目、3本目と負けたので、4本目こそ先に仕掛けたつもりだったが、動こうとしたところで、またもや先に斬られてしまった。ユフィリアに回復して貰いながら作戦を練る。
5本目、自分の間合いギリギリの距離から先に仕掛けてみる。すると、一歩引かれ、空振りしたところで軽く叩かれてしまった。これも通用しない。
次の一本分を思い切って捨てて、観察に当ててみることにする。防御姿勢で逃げられるように構えを深く作る。
ジン:
「じゃ、良く見とけよ?」
こちらの狙いはバレているらしい。警戒心ゼロのまま歩いて近づいてくる。……と、圧倒的な加速から、防御の構えを取っていたのにも関わらず、一気に斬られていた。
喩えるならば、角を曲がったら突然、10トントラックが100キロ以上のスピードで突っ込んで来たようなものだった。
相手は運動量が最大になって突っ込んで来ているのに、自分はまだ停止していてまったくのゼロ。これで勝てる訳がない。少しばかり剣を動かして防御したとしても、関係なく斬られてしまうのも当然である。勢いが違うのだ。
7本目から段々と、深く構えて、少しでも速く動こうと足掻いてみた。カカトダッシュでは間に合わないので、つま先で地面を蹴る。
シュウト:
(ジンさんが攻撃してくるホンの一瞬だけ先に打ち込めれば……!)
最後の10本目。初めてほぼ同時の飛び出しに成功し、狙いすました小剣を振るう。しかし運動量の差によってあっさりと追い抜かれ、先に一撃をもらってしまった。たとえ同時か僅かに速いタイミングであっても、速度にも威力にも差が付きすぎているので、勝ち目などまるで見えなかった。……かといってタイミングが早過ぎれば、空振りを誘われて終わりである。これでは手の打ち様がない。
ジン:
「まぁ、こんなもんかな。どうだった、シュウト?」
シュウト:
「これって、〈暗殺者〉だと強くなれないんじゃないですか? 〈守護戦士〉とは言わなくても、せめて〈武士〉とかじゃなきゃ、どうしたって体重差だとか、筋力で押し負けてしまう気がするんですが。〈暗殺者〉を選んだ時点で、あまり強くなれないんじゃ……?」
ジン:
「はぁ?」
レイシン:
「ぷっ」
ジン&レイシン:
「「わははははは」」
かなり深刻な問題だと思ったのだが、ジンとレイシンの2人に笑われてしまっていた。他のメンバーは意味が分かっていないらしく、キョトンとしている。
ジン:
「ばははは。お前、そんなこと考えてたの?」
レイシン:
「くくく。大丈夫だよ〈暗殺者〉はたぶん一番強い方のクラスだから」
シュウト:
「ですが……」
同等のスピードと技術があれば、筋力や体重がある方が勝つのだと、いましがた経験したばかりなのだ。今回の組み手でジンが扱っていた運動量の大きさは圧倒的であり、体格差の問題もあるので、非力な自分にどうにかできるとは思えなかった。もっとずっと速く動けるようにならなければ、この不利を覆すことはできそうにない。
ジン:
「今のは昨日の話の延長上にあるんだよ。強い方はどんどん脱力して柔らかくなっていき、弱い方はどんどん身体を固めて、硬くなっていくんだ」
ジン:
「まず、俺は『間合いの読み合い』を無視した。〈冒険者〉はモンスターと戦うのが仕事だから『間合いの読み合い』はあまりやらないんだけど、対人戦では間合いの調整を含めた『警戒的コミュニケーション』をするのが普通だと思うだろ?」
シュウト:
「はい。組み手だから無しなのかと思いました」
ジンは意図的に『間合いの読み合い』を、『警戒的コミュニケーション』と言い換えていた。これは用語の問題だが、好みか何かなのだろうとシュウトは思っていた。
ジン:
「通常、斬ったり、殴ったりにはある程度の距離が必要なんだ。素人の喧嘩は距離を計らないから、直ぐに掴み合いになってしまう。お互いにハグしてたら打撃は威力が出なくなるんだよ。それを防ぐ意味からも、武道では足を止めて『警戒的コミュニケーション』をお互いにやるわけだな」
ジン:
「でも武術の達人はこの『警戒的コミュニケーション』を無効化しようとする。巻き込まれると身体が硬くなって行くし、相手にだけ警戒的コミュニケーションをやらせておいて、自分は無視すれば、相手を混乱させることができるんだ。素人の自己流も警戒的コミュニケーションを無視することで成功しやすくなる。……どっちにしても、先に斬るか、斬られるか、同時に斬りに行くか、どっちも斬らないかの4パターンしかないんだから、達人はさっさと動いて間合いを詰めるんだよ。早く来い、と思いながらね」
シュウト:
「じゃあ、どうして『警戒的コミュニケーション』というのをやるんでしょうか?」
ジン:
「んー、立ち止まっている状態からだと、停止慣性力だので動きだしに反応し易くなるから、自分の身を守りやすくなる、とかが色々あるんだろうな。俺はやらんから良く分からんけど」
ジン:
「で、こっちは歩いている状態からでも拇指球を抜いて、そこに体重を掛けられるから、一気に崩れながらカカトダッシュで運動量を最大に持っていけるんだが、シュウトは立ってる状態からじゃ窮屈でカカトは使えなかっただろ?」
シュウト:
「はい。前に出る力にはあまりなりませんでした」
ただ走るだけならともかく、瞬間の斬り合いを主眼とした対決に使えるレベルの技術にはなっていないのが良く分かった。
ジン:
「そうなると、半身を引いて、後ろ足を作り、膝を曲げて、タメた筋力に頼ることになる。この姿勢だとカカトは蹴る長さが短くなるから、拇指球のキックの方がやりやすくなるよな。しかし、脚力は足首の筋力がネックになるから、部分的にしか使えなくなる、ってのは前に説明してあるな」
シュウト:
「分かってはいたんですが、構えたところからだとやっぱりカカトは弱くしか使えないので……」
ジン:
「その運動量のエネルギーが足りない状態で、俺の体重が乗った攻撃を防ごうとすると、腕も肩もガチガチに固めなきゃならない。俺は力を抜けば抜くほど速くなって、威力も増えていく。逆にシュウトはどんどん身体に力を入れて、遅くなっていったわけだな」
シュウト:
「なんとなくわかります」
ジン:
「後は、たとえ見えていても防御が間に合わないと思うと、脳が錯覚を起こして認知外攻撃になるんだが、無拍子の話はまた今度にしよう」
そして、ジンはユフィリアの方に向き直った。
ジン:
「どうだ? このぐらいの動きができるようになれば、特技なしでもシュウトに勝てるようになるぞ?」
ユフィリア:
「そっか、そうだよね!」
シュウト:
「それは、僕が同じ動きを覚えなければの話じゃないですか!」
ユフィリア:
「別に、シュウトが覚えるより速く私が覚えればいいんでしょ?」
ジン:
「もちろんだ。大丈夫、任せとけ。豪華なタイタニック号に乗った気分でいるが良い」
シュウト:
「ジンさん、勘弁してくださいってば!」
ニキータ:
「……普通、沈むから」
ジン:
「もしくは万能潜水艦ノーチラス号でもいい」
石丸:
「ジュール・ヴェルヌ、もしくは『不思議の海のナディア』っスね」
シュウト:
「ところで質問してもいいでしょうか?」
ジン:
「なんぞや、青少年」
シュウト:
「ジンさんが使っているフリーライドを使えないってことは、今は『不自由な世界』にいるってことになるんですか?」
実のところ、これはさつき嬢との念話で話題になったものだった。『フリーの世界』ではないなら、何なのだろう?いうことで、対になる概念があるのではないか?というのが彼女の疑問だった。
今の組み手の経験から考えると、ジンの運動量が最大近くまで発揮されるのに掛かる時間は極端に短いことになる。それがフリーライドの能力だとは考えられないだろうか。逆に自分はほとんど動けていない。そのコンマ数秒の不自由さのようなものを言い当てるのに『フリーではない世界』『不自由な世界』のような概念があればぴったりくる。
ジン:
「『拘束された世界』もしくは『拘束世界』だが…………、それはお前の考え方っぽくないな。何かあるだろ?」
ギクリとするが、素直に話してしまうことにした。隠しおおせるものではないし、冷静に考えれば、隠さなければならないほど後ろめたくもない。
シュウト:
「実は、さつきさんと念話で色々と話したりしてまして……」
ジン:
「さっちん、なのか? お前、あの子とフレンドリストなの?」
シュウト:
「はい。ちょっと強引な感じで頼まれまして……」
ジン:
「カーッ、手がはえーな、オイ」
シュウト:
「そうじゃなくて、色々と教えて欲しいと頼まれてるんですけど、不味かったでしょうか?」
ユミカに対して不誠実な態度だと判断されると筒抜け状態なので後で困ったことになる。少しあわてて自己弁護をしておいた。
ジン:
「うん? うーん。……いや、別に問題はないな。あの子は信用できるし、むしろ好都合、なのかな? よし、そのまま続けろ。俺からもよろしく言っといてくれっか?」
シュウト:
「分かりました」
何が好都合なのかは分からなかったが、とりあえずこれで気兼ねせずに色々と話すことができるようになった。
ジン:
「じゃあ、簡単に拘束世界の話をしておこうか」
剣でカリカリと地面に何かを描き始める。足の裏の絵に円が重ねてある。
(図)
ジン:
「これを足の輪っか、足輪と言う」
ジン:
「この円の上にアウターマッスルと言われる、身体の外側の筋肉が並ぶわけだ。円の内側には有名なインナーマッスルがあるわけだな」
ジン:
「『拘束世界』は、足輪から円筒状に身体を包み込む『檻』みたいなものだ。筒状にアウターマッスルが硬直することで、身体を拘束してしまうんだよ」
シュウト:
「なぜ、そんなことになっているんですか?」
自分達がそんな檻のようなものに囚われているとは思えなかった。
ジン:
「簡単に言えば、二足歩行で立つためであり、倒れなくするためだよ。立てるようになったばかりの赤ん坊がフラフラしてしまうのは、アウターマッスルが弱くて、カッチリ立てないからなんだ。段々と大人になるにつれて人間は硬くなって行く。そして拘束に囚われるようになって、真の運動能力を失ってしまうんだ」
アキバで見た、偏った歩き方をする人々が脳裏に浮かぶ。ジンが『自分化の罠』と呼ぶものも、拘束世界に囚われた人々が、〈冒険者〉の身体を元の世界の自分のように扱うことなのだろうとイメージする。
ニキータ:
「その場合、赤ちゃんみたいにフラフラしている方が良いみたいに聞こえるんですが?」
ジン:
「実はそうなんだよ。超一流のスポーツ選手や、武道・武術の達人なんかは、全員がとんでもなく柔らかい体をしているんだ。みんな、赤ちゃんの頃の柔らかさを維持しているか、取り戻すことが出来た人達なんだよ」
シュウト自身は、どちらかと言えばあまり身体が柔らかい方ではない。言われていることに少しばかりの不安を感じないでもなかった。
ジン:
「シュウト、前屈してみろ」
シュウト:
「前屈、ですか?」
元の世界では、床に指先がつかなくなっていたので不安になったが、さすがに〈冒険者〉の身体なので指先が地面についてホッとする。
ジン:
「おいおい、メチャクチャ硬いな。そのまま、息を完全に吐き出してみろ」
ハーっと、すべての息を吐き出す。すると、ぐにゃりと身体が曲がり、あっさりと手のひらが地面についていた。それどころか、まだまだ余裕がある。肘までは届かなかったものの、手と肘の中間ぐらいの部分なら地面に届きそうだった。現実世界の前屈測定をすれば、今ならプラス30センチはありそうだった。
ジン:
「そのまま後屈。同じように息を吐け、全部な」
息を吐き切ると抵抗がなくなり、前側と同じ風に、ぐにゃりと曲がりだした。後ろの風景が逆さになって見える。イナバウアーはこんな気分なのだろうか?と思う。
ジン:
「はぁー。だいぶヤラれてるな」
シュウト:
「そうなんですか?」
ジンとレイシン以外はそれぞれに前屈や後屈をやっていた。中でも一番柔らかかったのは、意外というべきか、やはりというべきか、ユフィリアである。
ジン:
「次は、四つん這いになってみろ。鎧は外せよ?」
がちゃがちゃと鎧を外すユフィリアを、ニキータが手伝っている。シュウトも皮鎧を素早く外して、荷物と一緒に置く。地面が少し湿っていそうなので、毛布を下にひき、その上で四つん這いになってみる。普通に四つん這いの形だった。
ジン:
「ユフィリア、ちゃんとしなくていいぞ? 力、抜いてみ?」
ユフィリア:
「ん、じゃあ……」
まるで腕と脚に支えられたハンモックのように、胴がふんわりと垂れて行った。四つん這いで見ていて、息を呑んだ。アバラや背骨が滑らかにズレながら体幹部がカーブを描くのを見て感動する。ただただ、美しい。
ジン:
「体幹部が拘束されていると、こういう風に垂れて行かないんだ。真似をして、力を抜いてみな」
眼には見えない『意識の筒』に包まれているということらしい。力を抜けば、確かに地面側に垂れるようなカーブを描くが、それもどこかぎこちない。前屈や後屈と同じことなのだろう。頭のどこかに身体を固める癖のようなものが出来てしまっているのだ。
ジンの説明によれば、意識の筒とアウターマッスルが硬直することで、拘束される檻のような状態になるのだというが、実際に見せられ、体感してみると確かにそんな気がしてくる。
シュウト:
「もしかして、ユフィリアはフリーライドが使えるんですか?」
ジン:
「いや、拘束はほとんどないが、フリーってわけでもないな」
ミニマップの時に引き続き、またしてもあっさりと追い抜かれた気分だった。戦闘能力では優位に立ってているが、油断しているとその戦いの技でも負けてしまいかねない。気を引き締めて努力しなければならない。
ジン:
「次はモモ上げだ。前に少しやったから復習だな」
これはミナミへ行く途中で軽く教わったものだった。息を吐き切ると、インナーマッスルである腸腰筋が働き易くなり、モモを軽く上げることが出来るというものだ。
ジン:
「普通にモモ上げをしようとすると、膝に意識を置いて引っ張り上げてしまうから、重たい動きになる。腸腰筋を働かせるのに成功すると、膝を軽い感覚で上げることが出来るようになる」
これは何度も練習しているので得意だった。最初の頃の倍近い速度でモモを上げ下げすることができるようになっている。
ジン:
「インナーマッスルをメインで使う動作は、アウターマッスルでは代わりが利かないことが多い。モモ上げの場合は足の筋肉(大腿四頭筋)でも膝を上げられるけど、動きは鈍重だし、とてもじゃないが運動の邪魔になってしまう」
ジン:
「かといって、アウターマッスルを全く使わないってことじゃないんだが、拘束されてしまうとインナーマッスルは使えなくなっていくから、総合的なパフォーマンスは落ちる。アウターマッスル自体が元の身体よりも強力になっているから、どうしても頼ってしまい易いんだ。その状態のまま、戦闘を特技で補って目先を誤魔化すのが、いわゆる『普通の戦い方』なわけだ」
ジン:
「ユフィリアがやったみたいに、ちょっとした工夫でオートアタックにも変化を付けたりすることができる。なぜなら、もともと人体は豊かな可能性を秘めているからだよ。それを何重にも拘束して、フリーの世界から遠ざけてしまっている『何か』があるわけだな。それらを一つ一つ解きほぐして、段々と人体が本来もっている可能性に気づいて行くことが重要な訳だ」
その後はユフィリアの戦闘訓練のため、近場のゾーンにモンスター狩りに出掛ける事になった。少し長めに訓練した結果、この日ユフィリアは無事に80レベルに到達することが出来たのであった。