51 100万年の孤独
――デート当日
ニキータ:
「待って、ユフィ!」
ユフィリア:
「大丈夫。今日はデートなんだから、付いて来たらダメだからね?」
渋い顔をしているニキータや、にやにやしている葵らに見送られてギルドを出る。シブヤの街を出るまではシュウト、ジン、ユフィリアの3人で歩いていく。
ジン:
「しっかり楽しんでこいよ?」
ユフィリア:
「ユミをイジメちゃだめだからね」
シュウト:
「そっちも、無茶しないでくださいね」
あまり小言も無く、それぞれの方向に出発となった。シュウトはアキバへ向かうのでここからしばらくはソロ戦闘である。ジン達はイケブクロの〈陽光の塔〉へ向かうのだと言っていた。
シュウト:
「あの2人、どうなるのかな?」
元気なユフィリアに振り回されて困った顔をするジンの姿が脳裏に浮かんで、少し微笑ましい気分になる。向こうの姿が見えなくなったところで、少し速度を上げた。
シュウトはかき消えるように森の中へ溶け込んでしまう。これを目視で見つけようとすれば、今ではかなりの難事となっている。
◆
ジンとユフィリアはイケブクロにやって来ていた。鎧姿の2人は、雑魚モンスターをポチポチと倒しながらの旅である。
距離的にはアキバへ向かうのと殆ど変わらない距離だったが、通い慣れていない道を行くために、余計に労力が掛かって感じる。一説には目新しい場所を行くと、たくさん記憶するものがあるためなのだと言われる。
ジン:
「しかし、これじゃ普段の冒険と変わらないな?」
ユフィリア:
「そうだね。でも、楽しいよ♪」
ジン:
「ういやつ。……っと、見えてきたな」
ユフィリア:
「うわぁ、たっかーーい!」
木々の隙間から雲一つない空が広がり、空高くを飛ぶ大きな鳥の姿が見えた。その鳥が住処にしているのが、まるで高々と幹を伸ばしている大樹のような建物である。太陽の光を受けて輝くのは、神代の世から存在している高層ビルの姿である。
この一帯は現実の池袋に相当するのだが、周辺に存在しているのはこの〈陽光の塔〉のみである。人々の住む街はどこにも見あたらず、そのすべてが、42階建ての建物の内部におさめられているのであった。
ジン:
「さて、ここからどうすっかなぁ?」
ゲーム時代には何度か来たこともあったが、元々閉鎖的なコミュニティなこともあって、あちこち自由に出入りできる場所ではない。加えて〈大災害〉以後の変化など把握もしていなかった。
入り口付近に歩いて行くと、外へ出てたむろしている人々が居たので、割り込みを掛けてみるジンであった。
ジン:
「悪い、ちょっといいかな? この建物のてっぺんに行きたいんだけど、入れっかな?」
のんびり町人:
「ああ、その鎧姿は〈冒険者〉さんかい? そんなところに何の用だ?」
ジン:
「ん? 学術的な探求心って奴だよ。上からの景色を眺めてこう……」
せっかち町人:
「こりゃベッピンさんだ。おい、本当は逢い引きだろう?」
ジン:
「だから、学術調査だっつの。……そんで入れるかい?」
のんびり町人:
「どうだろうなぁ。そんな所に出入りしたことないからなぁ。それに今はなぁ。困ったことになってるしぃ」
ジン:
「困ったこと?」
せっかち町人:
「ここに来るまでに見なかったか? 少し前から塔の天辺に魔物が住み着いちまっててよ」
ユフィリア:
「あーっ! 私、見たかも。おっきな鳥みたいなのでしょう?」
のんびり町人:
「それだぁ。巣を作るみてぇで、何度も上と、下を、往復してるんだよ」
せっかち町人:
「それだけじゃねぇ、中じゃ謎の病にかかるのも出ちまってな。それもあの魔物のせいだって言われてる。しかたねぇから〈冒険者〉に助けを求めるかどうかで揉めてるところだな」
ジン:
「そいつは、大変そうだな」
ユフィリア:
「ジンさん……」
難しい顔でお悔やみを申し上げるジンに、ユフィリアが「助けてあげようよ?」といった視線での会話をしてくる。ちゃんと気が付いていたジンは、ユフィリアを引っ張って行き、頭を突き合わせ、小声で打ち合わせをする。
ジン:
(こいつはラッキーだぞ? 上手くやれば屋上に入れそうだ。魔物退治のオマケ付きだけど)
ユフィリア:
(うん。街の人達も助けられて、一石二鳥だね!)
ジン:
(鳥だけにな?)
ジン:
「なぁ、おい。きっとこれも何かの縁だ。俺たちでどうにかしてやろうじゃないか。……責任者だとか、なんか偉い奴を呼んでくれないか?」
とんとん拍子に話が進み、街の長の代理の配下だという、まだ若い男が出てきた。貫禄めいたものを出す演出をしているため年齢は分かりにくく、20歳といわれても、35歳と言われても納得できそうな外見をしていた。
ジン:
「長の代理の配下ってんじゃ、誰でも一緒じゃねーか」
代行の青年:
「そうなのですが、一応はこれでも、上から数えて6~7番目の立場です」
ジン:
「はー、若いのに凄いねぇ。まぁいいや。ちゃっちゃと退治しちまおうか」
代行の青年:
「では、ご案内します」
通されたのは、薄暗い小部屋、否、遙か上方まで続く階段の出発点となる踊り場のような場所であった。
ジン:
「ちょっと待て。まさか、ここから一段ずつ登って行けってのか?」
代行の青年:
「そうですが、それがどうかしましたか?」
ジン:
「うおーい! もっと何かあるだろ、小型の転移ゲートでエレベーターみたいになってるところとか!」
この世界では移動で階段を登るのが常識と言って良かった。最初からショートカットできると考えていたジンの方を逆に怪訝な目で見返すほどである。
代行の青年:
「その、えれべーたー、とは何ですか?」
ジン:
「あ、え、い、う、え? おあお。……何て説明すりゃいいんだ?」
ユフィリア:
「んっと、上下にしゃーって移動する、人が乗れるおっきな箱とか、部屋みたいな乗り物?」
手の動きで「しゃーっ」を表現したが、そんな話が通じるわけもなく。
ジン:
「しかし、ここの階段は人が使ってる気配がないな?」
ユフィリア:
「非常階段みたい」
薄暗い階段には人の気配がしない。ところどころに光苔を利用した最低限の照明があるばかり。仮にもここは〈大地人〉の街であるハズなので、階段のような場所は移動に使われる交通の中心的な場所であると考えられる。この静けさはちょっと異様な雰囲気に感じられる。
代行の青年:
「今回あなた方への依頼は、私の『個人的な裁量』の範囲ということになっています。住民と行き合わないように、普段は使われていないこちらの階段の使用をお願いするのです」
ジン:
「組織のルールに抵触させないための、イレギュラーな運用ってやつね。いろいろ面倒臭そうだな」
後は階段を登るだけ、という段になってジンが最後の確認をする。
ジン:
「サンシャインだから、えっと60階だっけ?」
代行の青年:
「いえ、全部で42階です」
ジン:
「……やめとくか? 結構あるぞ」
ユフィリア:
「なんで? 早くいこっ!」
〈冒険者〉の体とはいっても、黙々と階段を登るのに耐えられない女の子も多いだろう。ところが山ほどのやる気に満ちているユフィリアには無用の心配だった。やりやすくて助かるというのが本音なのだが、ジンとしてはそれでも尋ねてみないわけにはいかない。
ジン:
「わーった。でもとりあえず鎧は脱ごうか。ジャラジャラうるせーし。それと、魔法の灯りを頼むな」
代行の青年:
「それでは、上でお待ちしています」
鎧を脱いでいるジン達に挨拶して去ってしまう代行の青年。
ユフィリア:
「いま上で待ってるって言わなかった?」
ジン:
「くっそ、やっぱ上に行く手段があるんじゃねーか」
◆
予定より40分は早く到着したつもりのシュウトだったが、待ち合わせ場所の銀葉の大樹に行くと、ユミカが既にそこで待っていた。
シュウト:
「待たせちゃったかな、ゴメンなさい」
ユミカ:
「いえ、いま来たところですから。……待つの、好きなんです」
はにかむユミカを見ていると上手く反応できない。出てきた言葉は一番簡単そうなものだった。
シュウト:
「直接会うのは、しばらくぶりだね」
ユミカ:
「はい。シュウトさん、お帰りなさい」
シュウト:
「えっと、ただいま……」
気恥ずかしいのをどうにか堪えて、挨拶を返す。
シュウトの得た結論とは、苦手な分野での直接的な対処を避け、『戦闘の延長線上で対応する』というもので、これでも本人としては大胆な発想の転換をしたつもりだった。
サポート役や、ヒーラーの戦い方を参考に、相手の情報を集めて解析していくのだ。時間を掛けて観察し、相手の性格や能力を暴き出す。そうした情報戦の先に『勝利への道』があると、半ば暴走気味に思い込むことで自分の不安を塗りつぶしていた。これは自己の精神を守るためのバリヤーでもある。
ユミカ:
「アキバは久しぶりですよね?」
シュウト:
「うん。昨日戻って来たときは殆ど見て回れなかったから」
ユミカ:
「この何日かで、新しいものがいっぱい増えたんですよ?」
シュウト:
「そうなんだ。教えて貰ってもいいかな?」
ユミカ:
「はい!」
嬉しそうにはしゃいでいる彼女を素直に可愛いと感じる。ふと、背の低い彼女の『頭の上』を見ている自分に気が付く。
背の高いユフィリア(165cm)やニキータ(170cm?)といると、シュウト(173cm)とさほど視線が変わらないためか、圧迫感を覚えなくもない。ユミカ(150cm以下?)といると、どこか癒されているような感じを覚える。
こうして2人は中央通りをメインにゆっくりと見て回ることから始めていた。のんびりとしたウィンドウ・ショッピングである。結局はユミカにリードして貰っているのだが、(この際それは問題にするまい)とあっさり妥協してしまうシュウトであった。
◆
ジン:
「なぁ、まだ着かないのかよ?」
ユフィリア:
「もうちょっとだから、がんばろっ!」
ジン:
「そのセリフ何回目だよ~」
ユフィリア:
「3回目♪」
定番の冗談のつもりなのか、本気の愚痴なのか、ジンのセリフをあっさりと受け流すユフィリア。2人は冗談を言い合いながら、階段をひたすら地味に登っていた。
ジン:
「いやぁ、しかし、さすがに飽きて来たな」
ユフィリア:
「ジンさんって飽きっぽい人?」
ジン:
「そうね、頭の回転が早いからな」
ユフィリア:
「……私も飽きて来たかも」
ジン:
「じゃあ、何か面白いことやって、もっと僕を楽しませてよ。見ててあげるから」
などとジンは某キャラの『エッチな雰囲気のセリフ』を平然とのたまう。元ネタ(ガ●パレードマーチ)を知らないユフィリアはナチュラルにスルー。
ユフィリア:
「じゃあ、しりとりでもする?」
ジン:
「いや、王様ゲームにしようぜ。……王が命じる。1番は王様にMAXちゅーをせよ!」
……とコード●アス風にセリフを言ってみるがこれにも反応なし。
ユフィリア:
「MAX……何? 2人で王様ゲームって意味なさ過ぎだよ?」
ジン:
「なんか飲み会系ゲームとか強そうだよなぁ。山手線の駅名とか全部暗記してたりすんの?」
ユフィリア:
「そんなことないもん」
ジン:
「ホントだな? じゃあ突然の山手線ゲーム!」
ユフィリア:
「いえー!」
瞬く間に3連敗するジン。
ジン:
「最後の、何処が残ってた?」
ユフィリア:
「んっとね、田端と大塚と浜松町」
ジン:
「完璧に暗記してる上に、答え被せてきてんじゃねーよ!」
ジンが言いそうな駅名を先回りして言って、慌てさせるという基本の攻略法を使ってくるユフィリアであった。
ユフィリア:
「女子の必修科目ですから~」
おほほほほ、と一昔前のお上品風笑いで対抗するユフィリア。
噛み合わなければ、噛み合わないなりに会話を楽しんでいる。
ジン:
「酒はイケる口なのか?」
ユフィリア:
「どうだろ? お酒ってよく分からなくて」
ジン:
「あんまり飲まないのか?」
ユフィリア:
「ううん。何時間か飲んでもふわっとなるぐらいで、顔も赤くならないみたい」
ジン:
「それって、どんだけ強ぇんだよ……」
その時、階段周囲のカタチが変化してきた。
ジン:
「おっ、もう終わりか?」
ユフィリア:
「けっこう早かったね」
最後の折り返しをすぎると、地上階で別れた青年が扉の前に立っていた。
代理の青年:
「どうも、お待ちしていました」
ジン:
「イヤミったらしいな、オイ」
代理の青年:
「申し訳ありません。関係者以外には立ち入り禁止になっている区画を使わなければ、ここまで来られないようになっていますので」
ジン:
「じゃあ、一緒に階段で登ってくりゃいいだろ」
代理の青年:
「まさか。〈冒険者〉の方と同行するような無謀をしたいとは思いません」
これは青年の主張が正しい。ジン達はわざわざゆっくりと歩いて登ったのであって、ゲーム時代であればダッシュで登るのが普通なのだ。〈大地人〉である青年が一緒に走って登れるものではない。
代理の青年:
「それでは、この向こうになっています」
そういうと、扉の鍵を開けて、下がった。
ジン達は鎧の装着を終えてから扉を開けたが、そこは小さな部屋になっていて、もう一枚扉があった。
代理の青年:
「そちらの扉には鍵は掛かっていませんので」
ジン:
「ああ、そう。じゃあ、ちょっくら行って来るわ」
ユフィリア:
「行ってきまーす」
代理の青年:
「ご武運を……」
金属製扉の開く重たい感触とひび割れた音がした。どうやら気付かれてしまうだろうと思い、一気に開けると、まぶしい程の青空が広がる。目が周囲の明るさに慣れるまでのラグは、人間のそれよりも小さい。
ユフィリア:
「…………いない、ね?」
どうやら飛び立って留守にしているのか、魔物の姿はなかった。ジンは巣の方へと近づいていった。
枝を集めて巣にするなら分かるが、明らかに子供の胴よりも太い木の幹を使って作られているため、魔物の大きさが容易に想像される。まだ中に卵などは見当たらなかった。
ジン:
「卵なんかはねーなぁ」
離れた所にいるユフィリアに声を掛ける。彼女は屋上のへりから下をのぞこうとしているところだった。
ジン:
「おい、何をやってる!? ユフィリア! 下がれ!」
ジンのミニマップに反応があったものの、ユフィリアの反応が薄い。ジンはとまどいながらも警告を発した。彼女はその言葉に、軽やかにバックステップをする。
羽ばたきの音がしたかと思うと、地上の方から巨大な鳥型モンスターが現れた。翼を広げたその姿は15mをゆうに越している。〈大怪鳥〉である。
瞬間的にホバリングに近い動きをしたかと思うと、ジン達が名前やレベルを把握するよりも早く、ユフィリアめがけて大きな鈎爪による攻撃を繰り出して来た。
ジン:
「〈守護神〉!」
ジンは強引に防御特技を発動させ、瞬間移動によって魔物とユフィリアの間に体を入れて庇う。盾を使って攻撃を防いだと思った時だった。
ジン:
「しまっ……」
ユフィリア:
「ジンさんっ!?」
ジンの足が床から離れる。鈎爪による引っかき攻撃だと思っていたのだが、掴まれて空中に引っぱり上げられてしまう。初撃からの特殊攻撃であった。間の悪いことに、特技〈守護神〉の技後硬直が発生して対処が遅れた。足が地を離れてからでは、ジンにも対処のしようがない。翼の羽ばたき一つで、屋上を離れて空中に出てしまっている。
42階ある〈陽光の塔〉の屋上からは、地上まで100m以上の高さがある。これはたとえ〈冒険者〉であろうと、落ちれば間違いなく墜落死が待っている。
左手に盾、右手に剣を握っているジンは、敵に『自分の手で』掴まっているわけではない。必死に腕を絡ませようとするが、魔物も狂ったように何度も爪でジンに引っかき攻撃を加えてくる。ジンの足元には何の感触もなく、力が上手く入らない状態であった。
剣か盾を離して掴まるべきなのか。しかし、殺してしまっても落ちるだけだ。一瞬の判断ミスが生死を分かつ状況にあった。
カチリ
ジンの内で何かが噛み合う。死の危機感に晒され、寝ていたモノが目を覚ます。闘争本能のような、生存・勝利に一直線に向かっていく断固たる意志の力、戦いのセンス。
その類稀なる戦闘センスでもって、状況のコントロールを始めていた。鈎爪から逃れる様にもがくと、〈大怪鳥〉は本能的に強くジンを締め付けようとしてくる。それを基点に力の流れを操り、バランスを崩させて〈陽光の塔〉側面に魔物を叩きつけようと試みる。しかし、惜しい所で体勢を立て直されてしまった。
ここで〈大怪鳥〉がジンの体を離す。
まばたきの間もなく、地面に向かって加速が始まった。落下をくい止めるべく、ビルに剣を突き立てようと試みるも、ガリガリと音がするばかりで外壁に刺さることはない。
摩擦で剣が赤熱化する。
ジン:
「〈ブレイジング・フレイム〉ッ!!」
剣から伝わった高温がジンの全身へと燃え移り、その身を焼き焦がさんと欲する。ジンは一個の炎となって落下。下からの突風が吹いて落下速度を緩和する。
僅かな足掛かりを頼りにビルを蹴りつけ、再上昇が始まった。ブーストされた〈ブレイジング・フレイム〉によって、ジンは炎の弾丸となる。2度、3度と回転することで空中姿勢を安定させつつ、〈大怪鳥〉に向かって一直線に翔け上がる。燃えるその姿は、まるでジェットエンジンの炎のように加速を生み出していた。
炎の生み出す特殊な上昇気流に巻き込まれ、〈大怪鳥〉は逃げることも出来ずにジンの突撃を受ける。
ジン:
「うおおおおっ!!」
そのまま燃える盾で押し上げていく。僅かな時間に落下した50m近くの距離を翔け昇ったジンは、〈大怪鳥〉を連れて屋上を越え、更に上空へと突き進む。
ユフィリア:
「きゃっ!?」
落下していくジンを覗き見ようとしていたユフィリアの眼前を、巨体の影が通過した。
屋上から10m、15mと押し上げた所で、限界まで加熱されて液化しそうになっている得物で突き刺し、〈ブレイジング・フレイム〉を完成させる。ベクトルを反転させ、〈陽光の塔〉の屋上めがけて、剣を刺した状態のまま突撃。
炎の燃え移った〈大怪鳥〉は、自分の巣に落下した。激しい衝撃と轟音によって、世界がブラックアウトする。
身を護っていたユフィリアが瞳を開けた時、青い剣を持ったジンが傷ついた魔物と最後の攻防を始めたところだった。
〈竜破斬〉を2撃したところで瀕死となった〈大怪鳥〉は、一瞬で逃げに転じる。続くジンの攻撃は空を切ったかに思われた。
ジン:
「〈パルス・ブレード〉」
その冷たい宣告よりも一瞬早く、空振りしたかに見えた刀身から『剣閃』と呼ばれる衝撃波が飛び、後退した〈大怪鳥〉を追いかけて打った。見えない刃に斬られ、血を噴き出す魔物はゆっくりと倒れていく。十数枚の羽が一斉に舞い、敵の絶命を教える。
戦いは終わった。
残った戦意を吐き出すようにジンが雄叫びをあげた。ユフィリアの目には、まるで天に向かって宣戦布告しているかのようだった。
ユフィリア:
「ジンさん……」
近寄り難かったが、躊躇せずにその身体に触れる。
ジン:
「ああ、勝ったな。勝つには勝ったが…………」
ユフィリア:
「うん。落ちて、死んじゃったかと思った」
ジン:
「……すまんが、ちょっと」
ユフィリア:
「?」
ジンはむっつりと黙り込んでしまっていた。
ユフィリア:
「ごめんね? 怒ってる?」
なんとなく、その様子に謝ってみる。落ちそうになったのは最初に彼女が油断したためと言えなくもない。
ジン:
「違う。……その、あんな格下相手に殺されそうになったとか、あまりにも情けなくてなー。でもあそこから生き残ってる俺ってちょっと凄くね?とか思ったりもするんだけど、やっぱ死にそうになってる時点でダメダメなわけで。あーもう、デートだってのに大失態ですよ」
ユフィリア:
「そうなんだ」
なんとなくガリガリと頭をかきむしろうとして、しかし、ヘルメットに邪魔されてしまうジンなのであった。
ユフィリア:
「見て見て! 七色の羽!」
ジン:
「レアドロップかもな?」
ユフィリア:
「今日の戦利品だね」
話のゴタゴタで消えてしまった魔物の死骸の跡から、ドロップアイテムを拾い集める。七色に輝く美しい羽を誇らしげに空に透かして見るユフィリアに、ジンが声を掛けた。
ジン:
「そろそろこっちに来いよ。これが本命の、俺たちの戦利品なんだからな。……この景色のすべてを、君に捧げよう」
ユフィリア:
「アハ、キザなセリフ」
ジン:
「ま、そんな事を言ってみたい年頃? みたいな?」
〈陽光の塔〉の屋上から、遮るものの無い景色を堪能する。大パノラマそのままの世界は、澄んだ空気のためにはるか遠くまで鮮やかであった。
ジンとユフィリアは、強めの風を受けて立っていた。夏の日差しに強め風は心地好かったが、どこか飛ばされて落ちてしまいそうでもある。その足下の不安定な感じが2人の距離を縮めていた。
髪を押さえているユフィリアは、〈施療神官〉専用の金属鎧と白い布地が合わさった姿だったが、ジンは想像の中で白のワンピースを着ている姿を重ねて見ていた。無骨な鎧姿よりも、その方が百倍は似合っているように思われた。
そのジンの視線に気付いているのか、いないのか、遠くをうっとりと眺めたままの彼女が言葉を返した。
ユフィリア:
「凄いね。自分がとけてなくなっちゃいそう」
ジン:
「ああ。向こうには富士山も見える。日本晴れ(※)ってやつだな」
ユフィリア:
「そうだ。シブヤとかアキバって見えるのかな?」
ジン:
「夜なら明かりでアキバは分かるかもしれないけど、昼間は厳しいなぁ」
(※『日本晴れ』とは、雲一つ無い快晴のこと)
ジン:
「……なぁ、ミニマップ、どうした?」
ユフィリア:
「うん。使えなくなっちゃった」
ジン:
「いつ?」
ユフィリア:
「んと、ミナミの最後の日の朝。敵が来るって分かって気絶して、起きたら、もう」
ジン:
「そっか。……しょうがねえよな。どっかで怖がってるんだろう」
ユフィリア:
「どうすればいい?」
ジン:
「べっつにー。ほっとけばいいんじゃねーの? その内、ひょっこり使えるようになるかもしれないし、使えなくてもみんなと同じってだけだろ? ……それともまさか、『最強』とか目指しちゃってたりすんの?」
ユフィリア:
「実は、……そうなの」
真剣な面持ちで告白するユフィリア。無論、冗談の類いである。
ジン:
「そいつはヤバいな。最強を目指すんだったら、ミニマップが使えないと話にならない……」
負けじと真剣な表情で言葉を返すジン。一拍して、大笑いする2人。
ユフィリア:
「聞いてもいい?」
ジン:
「どーぞ」
ユフィリア:
「ジンさんって、どうしてそんなに強いの?」
彼女の場合、仕組みや方法を尋ねているとも思えず、少し頭をひねる。
ジン:
「現実世界に帰りたいから、だろうな」
ユフィリア:
「じゃあ、どうして帰りたいの?」
ジン:
「母親と、猫が向こうにいる」
ユフィリア:
「……それだけ?」
のぞき込んでくる瞳をチラりと見てから、ジンは遠くの景色に視線を戻した。解釈の難しい「それだけ?」だったが、ジンは誤魔化すのを止めることにした。
ジン:
「この世界じゃ死ねないからな。死ねないんじゃ、本当に『生きている』とは言えない。今の俺たちは、亡霊みたいなものだ」
ユフィリア:
「そうかな? 毎日いろんなこと、楽しいことも嬉しいことも、ちょっと辛かったり、怒ったり、悲しかったり、だってあるよ」
ジン:
「そういうのはあるかもしれないけど、それもいつまで続くものか。……たとえば、この世界の寿命ってどのくらいだと思う?」
ユフィリア:
「世界の寿命? ずっと続くんじゃないかな」
ジン:
「だいたい5年から10年でピークに達して、後はゆっくりと後退していくだろう。新規参入も引退もない以上、人間関係が固定されて動かなくなるのがその辺。後はずっと惰性で動いていくはずだ。……想像してみな? アキバで言えば、クラスティやアイザックなんかが、ずっと偉いままの状態で固定されるんだよ。自発的な引退や、代表の持ち回りなんかはやるかもしれないが、全員が現役のまま、何十年も、何百年も生き続けることになる」
ユフィリア:
「何百年?」
遠くの景色をみやる。まるで遙か地平の彼方を見通せば、その向こうに未来が見えるのではないか、と言わんばかりであった。
ジン:
「戦闘でも、レベルを100まで上げたらやることがなくなる。多少はシステムを逸脱する方法を見つけるだろうが、それ以上の追求は一部のマニアの領域だ。銃器だのの新しい武器による戦術の変更はあるかもしれないが、その程度だろう。 科学技術も数年でストップして緩やかな発展に変わっていくはずだ。天才みたいな連中が今いる数から増えないからな。本気でやるなら、他の街から技術者をさらってでも連れてこなきゃならなくなる。それも終われば、〈大地人〉の弟子でも育てて、技術的な閃きを搾取していくしかなくなると思っていい」
ジン:
「そうやって過ごしたとして、30年以上は人類が経験したことのない領域に入る。『死ねない日々』の到来だ。200年ぐらいでモラルが崩壊して社会が形成できなくなるかもしれないし、2000年ぐらい経っても、昨日と同じ今日を変わらずに生き続けていくのかもしれないし。どうなるかは分からないな」
ユフィリア:
「もしかして、ジンさんが強くなったのってそういうのが理由なの?」
ジン:
「それもあるよ。世界にやることを与えるためってのは、今では一つの理由だな」
成長したシュウトと共に、ジンがその強さを公開すれば、100レベルに到達した後でも、戦闘の領域においては、まだやるべき事があると教えることができるようになるだろう。これがジンが強さをおおやけにしない理由だった。
ジン:
「だけど、どうしても早く帰らなきゃいけない理由は、やっぱ寿命のことだよ。一万年だの、百万年だの、永遠に生き続けるのはさすがに拷問だろう」
ユフィリア:
「……毎日たのしいかもしれないでしょ」
ジン:
「おまえはそうかもしれない。けどなぁ、この世界に引っ張られちまった世界中の中に、一人でもつまらないヤツが居たら敗北だと思うよ。『百万年の孤独』を押しつけることは、やはり許されない悪だ。現実世界でも状況的には同じに見えるかもしれないけど、百年程度の寿命と、自殺する権利があるからな」
ユフィリア:
「自殺する、権利?」
ジン:
「そうさ。どんなに綺麗事を言っても、人間として、個々人が『自分の命』を管理しているのは事実だし、それは死を管理しているのと同じだ。死にたければ死ぬことが出来る。それは自殺する権利といえるものだ。権利って言っても、誰かに邪魔されるかもしれないから、死にたくても死ねない可能性はあるけどさ」
ユフィリア:
「この世界では『自殺する権利もない』んだもんね……」
ジン:
「しばらくすれば、何が辛いか、何が怖いかも変わって来ちまうだろうな。……惚れた女と1000年、一緒に居られるかもしれないけど、その次の1000年は顔も見たくないぐらい憎しみ合ってるかもしれない。俺はそういうのは、ちょっとイヤだな」
ユフィリア:
「私は、それが本当の、真実の愛なら……一瞬でも構わないと思う」
冗談めかしたジンの言葉だったが、その内容はシビアであった。社会のあまりにも短い寿命と対比される〈冒険者〉の永遠の寿命。
ジンは、言ってしまえば、惚れた女と愛し合ったまま死にたいと言ったことになる。それはユフィリアに対する挑発的なセリフでもあったが、本当の本音を吐露したものなのだろう。
故に、彼女も個人的な真実で返していた。
間が良いのか悪いのか、ガンガンと鉄扉を叩く音がした。何事かとジンが近づいて扉を開けると、代理の青年が立っていた。
ジン:
「よう、どうした?」
代行の青年:
「ご無事でしたか。すぐ静かになってしまったので、どうなったのかと思いまして」
ジン:
「ああ、そういうことか。すまん。辛くも勝利した」
代行の青年:
「安心しました。女性の方の服装も乱れていないようですし」
ジン:
「ちょっと待て。それはどういう意味だ?」
代行の青年:
「逢い引きが目的と聞いていましたので、ここで不浄なことをしていないか心配で……」
ジン:
「だーかーらー、学術的な探求心を満たすためなんだっちゅーの!だいたい魔物が住み着く様な場所で不浄もへったくれもねーだろ!いやいや待て、そもそも性行為は、神聖な方の『聖なる行い』だろうが!」
喚き散らすジンを曖昧な笑顔で受け流す代行の青年であった。
ユフィリア:
「ねぇねぇ、病気の人達ってどうなったの? 私に出来ることって何かないかな?」
ジン:
「……ここはもう大丈夫なのか?」
ユフィリア:
「うん。十分楽しんだし、今度はみんなで一緒に来ようね?」
代行の青年:
「申し訳ありませんが、今回は特別だったのです。そんな簡単に許可できるわけでは……」
ジン:
「いっそ、観光地みたいにして〈冒険者〉から金を取って公開しちまえよ。デートスポットにして、土産物でも作って売ればいい。それに、〈冒険者〉がチョコチョコ来てた方が、何かと都合がいいんじゃねーの?」
代行の青年:
「その『でーとすぽっと』とは何ですか?」
代行の青年の肩に手を回し、悪いアイデアを吹き込もうとするジンであった。
何故かこうなりました。「もうちょっとだけ続くんじゃよ」です。
<(_ _)>