46 最高の一撃
シュウト:
(間近で見たいのに……っ!)
ベヒモスの背後側で気配を消しながら戦っていたシュウトは、ジンたちのいる正面側で青い輝きが何度も点滅しているのを見て、悔しさにほぞを噛む思いでいた。〈竜破斬〉を連続使用して戦っている全開のジンを観察できないのなら、仲間たちに黙って残った意味がない。少し前にニキータが念話を掛けてきたこともあって、どことなく申し訳ない気持ちもあった。
ここでシュウトが欲していたのは『強さのイメージ』である。ジンの戦いから真似できそうな部分を見つけて、自分の戦い方に取り入れたかったのだ。より率直に言えば、難しいところ・分からない所はスルーして、簡単そうなところだけ真似して、手っ取り早く強くなろうとしていたことになる。
ジンはシュウトの前では本来の戦い方をあまり見せようとはしていなかった。それがシュウトの不満やこれらの行動に繋がっていた。しかし、ジンの戦い方はジンだけの戦い方である。本当には、シュウトはシュウトの戦い方を見つけなければならない。ジンが、ジンの戦い方をシュウトに押しつけるのは長期的に見てマイナスになる可能性が高い。それが理解できても、納得いかないのが若さの犯す過ちというものであろう。
シュウトはベヒモスの攻撃範囲ギリギリを綱渡りし、可能な限りのダメージを与えようと足掻いていた。これは〈武闘家〉のような回避型タンクの戦い方で、ジン達が期待している戦法で無いことはシュウト本人にも分かっていた。
本来であれば、ベヒモス後方の攻撃範囲外から安全にダメージを積み重ねるのがシュウトに任せられた仕事なのだ。それが分かっていても満足できない。なるべく高いダメージを引き出さなければならないという脅迫観念のようなものがあった。ジンの負担を軽くしたい。ジンの期待以上でありたい。それ以上に、ジンと肩を並べて、認められて戦いたいという欲求が強かった。
シュウト:
(もっとダメージを与える方法はあるけど……)
何度か経験した、激しい怒り。あの力を使えば、今よりも確実にダメージが出せるだろう。それでもシュウトはそんな自分の感情に戸惑っていた。怒りが制御できていないとジンに叱られ、シブヤに追い返されそうになったのだ。あの時の寒気を忘れたわけではない。それでも、強く、もっと激しく戦いたいという誘惑が強くなって来ている。
シュウト:
(どうしたんだ? こんなこと考えている場合じゃないのに)
複雑な想いが去来する。
(ここはジンさんの言う通りにしておくべきだ。 それは怒られたくないだけでは? でもやっちゃいけないこともあるのかもしれないし。 しかし、自分で考えろと言われていたのでは? 急がば回れというじゃないか。 どうしてもっと強くしてくれないのだろう? 十分に教わっているだろ、これ以上は望み過ぎじゃ? 今は一秒でも早くベヒモスを倒さなければならないのに? 少しぐらいなら無茶してもいいかも? それで死んだら意味はないぞ。 このままで本当に強くなれるのだろうか? でも、だいぶ強くなったと思う。 ジンは自分をあまり強くしたくないのではないか? そんなことあるわけない。 しかし、俺の方が強くなってお払い箱にでもなったら、困るんじゃないか?)
シュウト:
(僕は何を考えているんだ? ……まだたったの1ヶ月なんだぞ?!)
(……これが『力に対する責任』と言ってたものか。強くなるってことは自分自身が変質するって話をしていたっけ。 しかし、それだと元の自分を守ろうとする行為は『自分化の罠』にハマるんじゃないのかな。 もしかしたら、知らぬ間に強さの入り口に立っているのかも? いや、惑わされるな、自分を見失っているだけだ)
(どうする?)
(どうする?)
(これは…………ジンさんを信じられるかどうかの問題だ。本当に僕を強くしようとしてくれているのだろうか?っていう)
(従順なイイコでいたいだけじゃないのか? それはただの自己欺瞞だろう。単に嫌われるのが怖いだけっていう)
(強い人間は、弱い人間からは嫌われているよ?)
シュウト:
「なるほど……」
力の誘惑とはこういうものか、と思う。
シュウト:
(何をいい気になってるんだか。仮に、ちょっとぐらい強くなれたとして、それでジンさんに追い付けるわけないじゃないか……)
内面的な葛藤や誘惑のようなものがこんな形で自分に起こるとは、シュウトとしても思っておらず、興味深く感じていた。激怒したときの『性格に現れる影響』を、仮に『内なるケモノ』と呼ぶことにすれば、シュウト自身とケモノとの境目は曖昧で、どこまでが『自分』であるかが分からなくなっている。しかし、シュウトの自意識は本人が感じていたものよりも遙かに強固で、誘惑に流されそうな自分を楽々と押さえつけることが出来ていた。
そもそも、ちょっとぐらい『内なるケモノの力』を借りた程度で、ジンに勝てないことなど、骨身にしみて分かっているのだ。シュウトを強くするかどうか悩む段階になど、ジンはまるで至っていないのだ。現実的に考えれば、シュウトはそこまで(ジンにとって)重要な人間ではないはずなのだ。
シュウト:
(だから、焦ってるんだろうけど……)
あえて心の中で言葉にしたため、気まずいような、恥ずかしいような気分になってしまう。内なるケモノもいいかもしれないけれど、正しい道のりを通って強くなろうと思う。そのためにも、出来ることをひとつひとつ、一生懸命にやらなければならないのだし、やるべきなのだ。
気配を消して移動する。ベヒモスの攻撃が届かない場所で立ち止まり、大きく気を込めて、無心に矢を射る。決意の一撃でもあった。
シュウト:
「あっ……、えっ?」
なぜか虚脱感に襲われていた。
シュウト:
(どうして今頃? なんで……?)
正道を征くと決めた途端にコレである。嬉しいことは嬉しいのだが、泣きたいような、勿体ないような、悔しいような、いろいろな気持ちが入り混じった複雑な感情に対応できず、持て余してしまう。
ジンと出会った日の夜から一ヶ月と少し。最初の虚脱感を覚えた時から数えて、シュウトが矢を射た回数は3000本を軽く越えていた。最近はやり方を変えていて、ヤジリを無くした練習専用の、繰り返し使える矢を使って遠くまで射るようにする形で練習していた。
それでも、一度も虚脱感を感じることは出来なかった。今が待望の二度目である。
虚脱感を感じるということは、自分の『気』が矢を飛ばすことによって失われたと考えられ、矢に『気が乗った』ということを意味するはずなのだ。つまり、弓矢の威力を増幅するための最初の一歩に成功したことになるのだ。
シュウト:
(なんでだろう? いつもと何が違ったんだ?)
無心に射たのが良かったのだろうか? しかし、その程度のことならば、ここまで一度も成功しなかった理由が分からない。そうなると、考えられる要素はひとつしかない。
シュウト:
(とりあえず、もう一度同じ条件で!)
気配を消す。そして気を高めて射る。……小さな虚脱感だったが、確かに再現することが出来ていた。
シュウト:
(みつけたっっっっ!!!)
気が付けば右手を握り込んでガッツポーズをしていた。
この期に及んでも、声を出すとアクアに聞こえてしまうと配慮をしているのがシュウトらしい姿であった。
その後も立て続けに数度繰り返し、虚脱感の大小はあれど、再現できることが確認できた。一度だけ失敗したが、『感覚の再現はタブー』とジンに言われた事を思い出す切っ掛けになっていた。
シュウトは嬉しくて仕方がなくなっていた。加えて、成功したことによってまるで脳内に新しい回路が繋がったかのようで、様々なことを思い付くようになっていた。これまでの自分が何の工夫もなく、バカみたいに同じ事だけをいかに続けてしていたかを痛感する。気を高めるにしても、矢を持つ手や指先に集めたらどうか?といったことや、矢との一体感を高めることが重要なのだろうといったことに次々と気が付いていく。本数ばかり気にした練習をして、まったく身が入っていなかったとしか思えないほどだった。
次に気が付いたのは、虚脱感の大小は時間の問題であるらしいことだ。つまり使用間隔が短ければ弱く、気も乗っていかない。間隔が長ければ、虚脱感が少し増え、気が乗っていくらしい。
そうこうやっている内に、嬉しさがなくなってしまっていた。
シュウト:
(これ、意外と疲れるかも……?)
シュウトのリソースは小さいのだが、矢に乗せられるリソースも小さかったため、疲れを感じる程度で済んでいる。これは本人にとっても想定外の挙動であった。嬉しさが消えたのは、嬉しさでこみ上げていた気が飛んでいってしまったためだと思い至る。
シュウト:
(気を乗せるといっても、ジンさんみたいな大きなエネルギーが直ぐにどうにかなるわけもないし…………?)
どこかに自分にも使える要素がないかと考えて、思い至る。
シュウト:
(あった、けど……)
それはつまり『内なるケモノ』の力を借りて、矢に乗せたらどうか?という案なのだ。これならば、現在のシュウトが扱える気の量からみて、数倍にもなるだろう。激しい怒りの気を全て矢に乗せられたら、それなりに威力が増すような気がしてくる。
しかし、それではつい先ほど『正道を征く』と決意したばかりなのに、もう手の平を返すことになってしまう。流石にこれに抵抗がなければ不味いのではないか?と思う。
シュウト:
(いや、でも、さっきまでとは状況が違うわけだし?)
(『好奇心は猫を殺す』とか聞いたことがあるけどね)
これはイギリスの言葉で、臆病で慎重な猫は、死ににくいことから『九つの魂を持つ』とされるのだが、好奇心が強いとそんな猫でも死んでしまうというので警告の意味になっている。
シュウト:
(でも、その、ジンさんっぽくないかな? こういうの好きそうだとか思うんだけど……)
余計なことや滅茶苦茶なことをしたがる性癖のようなものをジンも持っている。シュウトがそれを真似していけない理由は確かにないのだ。
しかし、所詮は独り相撲である。シュウトが本当にやろうと思えば、止められる誰かが別に隠れているわけではなかった。何とか納得感を得られないものかと言葉を弄んでいたが、説得するのも説得されるのも自分であっては、嘘を付いてもだまされてくれるとも限らない。
シュウト:
(なんか、アレだけど……)
力の誘惑には抵抗できても、好奇心にはまるで歯止めが掛からない。
しかし、どう『内なるケモノ』を呼び起こすかが問題だった。これまでは激しい怒りを感じた時にわき上がってくる何かであったので、怒ってみればいいのではないかと推論を立ててみる。
これが殊の外むずかしく、やろうとしていることは『演技で涙を流す』などとそう変わらない。シュウトがこれまでに激怒して内なるケモノらしきを感じたのは、ユフィリアが背後から矢を受けた時と、ジンが襲われそうになっていた時の2回である。とりあえず安全圏まで後退し、時間を作っておく。
シュウト:
(うううう……)
ユフィリアが矢で攻撃された時のことを思い出してみる。子供をかばった背中に突き刺さる敵の矢。遅延発動した追撃。くぐもった悲鳴。だいぶ記憶は薄れていたが、胸がムカっとくる。悪くはないが、まだまだ怒りが足りていない。
シュウト:
(くっそぉ~)
次にジンが襲われそうになったときのことを思い出す。闇に紛れて襲いかかろうとする卑怯者たちの集団。それに気が付いた時の衝撃はまだ鮮明なままだ。自分たちを言いなりにしようとしてジンに襲いかかるゲス野郎共。その背後から怒りに満ちた自分が襲い掛かり、残虐な喜びに浸るのは初めての経験であった。
産毛が逆巻くような感覚は良かったが、こみ上げてくるものが足りない。もう一息というところだった。
シュウト:
(他に、怒るようなことは、えっと、何かないか、何か……)
アキバの街を駆け抜けるシュウトがようやく発見した時、ニキータが見たことのない男に腕を捕まれていた。強引で乱暴な、不愉快な匂いのする男の自信ありげな薄ら笑い。自分を見下す視線と鼻息。
プチッ。
シュウト:
「ううううぁぁぁぁあああああああああ!!」
内から沸き上がる激しい怒りのエネルギーがシュウトの全身を痛みにも似た殺意で満たしていく。同時にシュウト自身も内心で快哉を叫んでいた。成功である。
目的は分かっている。この状態で矢を射るのだ。半ば自動的にガッと荒々しく矢を掴み取る。
シュウト:
(ちょっ、それは!)
掴んだのは、切り札に取ってあった金貨1600枚はするであろう手持ち最強の一矢。アキバ全体でもまだまだ素材調達が巧く行っていない現在、購入しようとすれば金貨2000枚は必要になるであろう逸品。『天の炎』を意味する〈エンピリアルの矢〉だ。
(ここで使わないでどこで使うのだ?)と未練がましいシュウト自身の気分を蹴散らして弓につがえる。しぶしぶと従い、気配を消すべく特技を選択。アイコンに意識で触れた。
気配が消えゆく最中、『内なるケモノ』が微かな気配のようなものを発した。言葉に変換するならば、(俺はこのままでいいのか?)ということになるだろう。
気配は消えようとしているのに、シュウト自身は猛り狂うままでいるのは矛盾であった。瞬間的にシュウトの中で何かが噛み合い、溶けるように理解へと至る。
咄嗟に、消えてしまわないギリギリまで『内なるケモノ』を押さえ込んでいった。口からは『必要な言葉』が形をとって零れていた。
シュウト:
「ゼロベース……」
心の問題であったのだ。
力は抜いた、気も抜いた、でも心は抜いていなかった。ある意味においてシュウトの自意識は強固であり、そのことが自身の真面目な性格を形作ってもいる。一生懸命に努力して、手抜きなど考えない。そのことがこれまで失敗させていたのだ。障害となっていたのは自分自身であったとこの時に知った。
気配が戻ってくると、ギリギリまで押さえ込まれたケモノがプライドを踏みにじられたとでも言わんばかりに、それまでの倍する勢いで猛り狂った。心をゼロに近付けたことの副産物だったが、思いがけず威力を増やす下地が整っていた。
凶暴さが突き上げ、犬歯が盛り上がって牙を形作ろうかとしていたが、構えた弓はピタリと動かさない。『感覚の再現はタブー』というジン言葉を頼みに理性の一線を守り切る。ここで全てを出し切るのだ。
特技〈スナイパー・ショット〉を選択。
これは弓矢版アサシネイトとされる最強の特技であった。詠唱時間も5秒以上掛かる上、再使用規制はアサシネイトを優に越す15分。最低距離10m、最適使用距離も20m以上という確実に命中させるのも一手間という癖の強い技だが、巨体のベヒモスが相手では外す心配は無い。
シュウトの使うアーティファクト級のショートボウは飛距離と同時にクリティカル・レンジをも延ばす特性を持っているため、僅かに距離が近くとも、最高威力を出すのに問題はない。
シュウト:
「最新……!」
天に高く掲げた両手をゆっくりと広げながら下ろす。手の中の〈エンピリアルの矢〉が輝きを帯びていく。
シュウト:
「最大!!」
シュウトの選んだ言葉はシンプルだった。「ゼロベース・最新最大」。先人が繰り返し再発見した『初心を忘れるな』という戒め。それと同時に自己ベストを目指すこと。つまり最新にして最大の威力で繰り出す、ということを発動キーにしていた。
単なる基本中の基本なのだが、最上級者こそが大事にする基本でもある。この世界であっても、使いうる者が使えば、特技使用の基本強化技になり得た。
『内なるケモノ』によるこれまでで一番大きなエネルギーに、〈エンピリアルの矢〉という最高の矢を用い、最も強力な特技〈スナイパー・ショット〉を使用する。手の内に『気』を集め、ジンに教わった受動離れを使う。絹糸を扱うかのような指先の繊細さのまま、弦を引き続けた。限界を越えて更に、更に……
次の瞬間、矢と一体になったシュウトの感覚は、まるで矢になって飛んで行くかのように突進していた。目には見えない何かで繋がっていた矢が体から離れると、自意識が身体に戻ったかのように、飛んでいく矢がベヒモスに命中するところを見ている状態になっていた。
改心の一矢であった。
それは完全にシュウトの実力をふたまわりほど超えている一撃だった。シュウトの人生を通じても忘れられぬ一矢になるだろう。しかし、喜びのようなものはない。深い感謝と、ほんの少しの寂しさだけが残った。
矢を放った瞬間に分かってしまったのだ。これで『この領域』に至ることはしばらくないのだろう、と。常に最新最大を目指す射手としては、この一矢を偶然で終わらせるわけにはいかない。一刻も早く、この段階に再び到達しなければならない。否、さらに超えていかねばならない。それでも、しばらく時間は掛かることになってしまうだろう。それほどの、奇跡のような一撃だった。
シュウトの『内なるケモノ』が乗り移ったかのように矢は奔る。本来ならば突き刺さって表面で止まるところを、この矢は内部へあっさりと貫通してみせた。〈エンピリアルの矢〉がその炎の全てを体内で放出する。まるで徹甲榴弾のように数回の爆発が起こった。システムは追認する形でこの一撃をクリティカルと判定する。複数回のダメージとして分散されていたが、合計すれば優に3万を超える特大の一撃であった。
◆
エリオ:
「ズアァ!!」
エリオが右手の刀を一振りすると、そこには3本の刀傷が生まれる。続けて素早い回転で次々と斬りつけると、一振りで3つづつ傷が増えていった。これがエリオの愛用するサイウン・ズイウンの能力であった。
イリュージョンブレイド・サイウン、ズイウン。
彩雲・瑞雲とは、光の加減によって雲が虹色に輝いてみえる現象のことをいい、日本では吉兆とされている。
エリオの持つ幻想級イリュージョンブレイドとしては、虹の七色のように刀身が分裂し、追加攻撃を加えるという仕様になっている。
もともとイリュージョンブレイドはファンタジーゲームでは馴染み深い存在であり、TRPGのD&Dシリーズには既に登場していた(日本の発売は1985年~)分裂する幻の剣による攻撃であることから、防ぎにくいといった効果が期待される。コンピューターゲームではメジャーな存在とならなかったが、〈エルダー・テイル〉では時々見かけることができた。この場合、幻の剣によるダメージがゼロである代わりにヘイトを獲得する、といった前衛向きの武器であることがほとんどである。
ところが、エリオの使うサイウン・ズイウンの場合は、完全無欠の物理追撃タイプであり、Procの発動率100%というダメージ特化仕様であった。二刀一対であることから、左右の刀と追撃とで4回のダメージが一度に発生する。
汎用性の高い物理Procのメリットは大きいが、敵の装甲に強く影響を受けてしまうことや、他のProcが追加されると重複できずに上書きされてしまうこと、直接攻撃に反撃する敵の場合は、反撃の判定に引っかかるといったデメリットも存在する。
HPが半減したことにより、叫び声をあげ、停止して持続型の回復を行っているベヒモスに対し、回復を阻止するべく速攻・強襲を仕掛けるジンとエリオ。停止しているため攻撃される危険がないことから、エリオが立て続けに高威力の特技を放ち、更に連続して斬り続けていた。アクアの永続式援護歌の効果によって攻撃速度が異常に加速していることもあって、次々とダメージが生産されていく。
ジンやアクアにしてみれば、エリオにはまったく期待していなかっただけに、少しばかり意外な結果ということになる。……実際のところエリオも幻想級の装備を持ったプレイヤーなのだ。つまりは、戦闘系ギルドでこの地域のクエストを攻略している廃人ゲーマーということになる。『廃人ゲーマーだからこの世界でも通用する』などという甘い話などはあり得ないのだが、装備品や組織化されたギルドといった先行者利益のようなものは確固として存在している。
かといって、「お前、仲間はどうした?」という質問をするほど、ジン達にしても空気が読めないわけではない。この世界ではいろいろな事情がありうる。それを本人の責任だと突きつけて勝ち誇るのは愚か者の仕儀でしかない。
ジンも全開でダメージを与えているのだが、それでなんとかベヒモス側の回復と釣り合っている状態であった。これは総HPが大きい場合に起こる現象で、単純な脈動回復であっても、毎秒の回復値が大きくなりすぎることがしばしば起こる。もともとレギオンレイドで相手する敵であることから、物理&魔法アタッカー20人以上の猛攻を想定した上での総HPが原因である。これでも瞬間的な全回復をランダムで無限回数というパターンの相手でないだけ、まだ何とか戦える部類となる。
エリオ:
「オオオオッッ!!」
ジン:
「ゴザル、そろそろ下がれ。十分だ!」
ベヒモスの回復時間が終わろうとしている。攻撃が再開すれば、回復役のいない状況では無駄に死んでしまうだけなのだ。この〈武士〉のラッシュは賞賛に値していた。ここで死なせるのは惜しい。また回復でベヒモスが停止する状況での活躍を期待したくなるのだ。南米の戦士もそうそう侮ることは出来そうにない。
彼方からの閃光が奔る。ここでシュウトからの一撃が送られて来ることになった。貫通した矢がベヒモスの体内で何度も爆発を起こす。凄まじい火力に、苦しみを表す陸の怪物は、その回復行動を中断させていた。
エリオ:
「……お任せするでござる!」
回復の終了を見て取ったエリオが素早く後退をかける。
激怒したベヒモスの行動パターンが変化し、その速度までもが高まっていく。ここからが試練の時であった。
激しく牙を突き込むようにして地面を顔面で強打するや、土砂を飲み込み、武器として固めて吐き出し始める。
ジンはその行動を見切って足下の安全地帯に入り込み、逆に打撃を加えていたが、尻に火がついたように逃げ出すエリオと、華麗なステップワークで回避行動を行うアクアには、そう簡単な話ではなかった。
アクアのメインクラスは〈吟遊詩人〉だが、サブクラスは〈歌姫〉という〈吟遊詩人〉に特化されたものであった。永続式援護歌の効果を増強できる非常に有用なサブクラスなのだが、その代わりに物理攻撃力の大半が失われてしまう。〈吟遊詩人〉は武器攻撃職なので、彼女も武器で戦えないわけではない。ただ、武器を装備してしまうと〈歌姫〉による能力が発動しなくなる特性があった。
この能力は、パーティよりもレイドでこそ、その真価を発揮する。ソロなどは不可能というビルドだった。
ただし、攻撃力はないからと防御力まで奪われた訳ではない。回避力は〈ステージング〉と呼ばれる追加特技によって強化されていた。舞台をいっぱいに使って観客にアピールするアーティストのように、戦いの舞台をアクアは華麗に駆け、舞うことができる。
アクアはこの状況で〈ステージング〉に改良を加えていた。ジンに触発され、非リズム的な動作になるように工夫を始めたのである。危険状況の濃淡に反応し、足捌きはより滑らかに、より観ている者の心に響くように舞うのだ。未完成にも関わらず、驚異的な回避性能を持ち始めた〈ステージング〉ではあったが、ベヒモスの苛烈な攻撃のすべてを避けるには至らない。このときも、岩のように固められた土砂の一つが、アクアを押しつぶそうとしていた。
ジン:
「ほいっ、と!」
瞬間的にカバーに入ったジンが、飛んでくる岩の側面に盾で力をかけて受け流す。守護戦士のインターセプト系の特技〈守護神〉である。
インターセプト系の特技は複数のバリエーションがあり、大まかには守りたい対象者のダメージを部分的に引き受けることが出来る。
メインタンク以外の〈守護戦士〉で、HPに余裕がある場合などでは、メインタンクのダメージを積極的に肩代わりすることで、レイド全体の生存に貢献することが出来たりする。
この時にジンが使ったものは、仲間のダメージを完全に肩代わりする代わりに、防御判定が発生する特殊なものである。軽妙なかけ声だったが、岩を受け流して方向を変えるだけであっても誰にでもできることではない。
ジン:
「AEの範囲に入んなよ! 基本だろ、暴れてんの見えねーのかよ!」
動きのある巨大モンスターをその場に留めるのは難しい。優秀なメインタンクであれば、仲間をAE範囲に入れないようにするのだが、ジンの戦い方は特殊である上に、様々な条件がギリギリなのだ。ベヒモスを動きたいようにさせた上で、隙をついてダメージを積み重ねていくスタイルだった。今回に限っては、悪いのはアクアであり、エリオであった。
ターゲットにされているジンが一緒にいれば、味方への被害が広がることになるため、素早くベヒモスのところに帰っていく。どうにかして言い返そうとしていたアクアだったが、舌打ちをして諦めるしかなかった。パターン変化に付いていけなかったのは部分的に事実でもある。
エリオ:
「今のは仕方ないでござる」
アクア:
「私がこの程度で落ち込むわけないでしょ!勝手になぐさめてんじゃないわよ!」
エリオ:
「八つ当たりも、必要なことでござる」
そういってエリオはニコッと微笑むのだが、それが意外とセクシーでアクアは余計にイライラさせられる。単純な戦闘においてアクアを足手まといにできる人間がこの世界にいるとは、さしもの彼女も予想していなかった。
◇
終わりが近づいていた。
ベヒモスは数回HPを回復しようとしたが、集中攻撃で回復量を最小に留めておく。そうして残りHPが1割を切るところまでなんとか追いつめていた。ここからは回復されないように速攻で攻め切るのが望ましいのは言うまでもない。
ジン:
「うっし、もう一削りだ!トドメさすぞ!!」
ジンのHPも既に赤く表示されるところまで来ていた。できれば回復薬を使いたいところだったが、状況的にその選択が命取りになりかねない場面である。MP以外のリソースに余裕は一切なかった。
エリオから見たジンは、あまりにも圧倒的で、強すぎる異常な戦士だったが、不思議と恐ろしさは感じていない。味方であるためなのか、頼もしさが先行していた。ドジもあるし、アクシデントもある。機械的な精密さで敵を打ちのめす姿とは裏腹に、あまりにも個性的で、人間的に見えていた。
そしてこの時も、最後の最後でやらかそうとしていた。
ベヒモスが右足を振り下ろすと強烈な衝撃破が広がるが、その時にはジンはその場所からはいなくなっている。すれ違いざまに斬り抜けて逆の足下へと消えていく。その動きを追って薙ぎ払うような牙の一撃を振るうベヒモス。逆にその牙に向けて体当たりをかける様にして一撃を加えるジン。〈竜破斬〉の『部位破壊』効果が発動し、根本付近から牙が折れて落ちる。これで左の牙周辺の安全圏が広がったことになる。
上位戦闘モード『荒神』によって純粋な戦闘存在と化したジンが、攻めに攻める。勝利を確信した、まさにその瞬間だった。
ピシッ
ジン:
「あ。」
不吉な、一番聞きたくない何かの音がした。手元を見ているジン。
アクア:
(「あ。」って何よ、「あ。」じゃないでしょ!)
エリオ:
(なにでござるか、今度はなにでござるか~)
ジン:
「やっべ、剣が死んじまった……」
酷使のしすぎで、耐久力が尽きたジンのブロードバスタードソードはお陀仏となっていた。中心部にヒビが入り、どことなく色もくすんでいる。これで修復するまで特技の使用もできなくなった事になる。
ジン:
「うおっと!」
ジンの武器がどうなろうと、ベヒモスに待つ義理はない。ジンはそれでも攻撃を避けたつもりだったが、軽く盾で押し返すような動きを自動的に加えていた。『荒神』のしたことはジンの責任である。
バキッ
今度は盾である。
ある意味でジンのリソースコントロールが極まっていた結果なのだが、こうも同時に限界を迎えているとなると、あまり洒落にならない。次は鎧の番だと誰でも想像がつく。その手の冗談になど付き合っていられず、アクアは吠えていた。
アクア:
「武器防具の手入れなんて、基本中の基本でしょ!」
ジン:
「いやぁ、スマン……(笑)」
アクア:
「バカに構ってられないわ!シュウト、エリオ、トドメを刺すのよ!」
この時、エリオにはひとつの考えがあった。
彼の使うサイウン・ズイウンはデザイン的にも二刀一対と言うべき代物であったが、最初に見たときから、できそうな気がしていたし、こちらに来てからやってみたら本当に出来てしまった。
何度か練習していたため、それほど時間は掛からない。戦闘中に使うには、練習しておかなければならなかったからだ。
アクア:
「エリオ!さっさと攻撃して! 何を遊んでるの?」
エリオ:
「もう出来るでござる……」
サイウン・ズイウンは、厳密には日本刀ではない。二振りの片手曲刀なのだ。それは何故か?といえば、日本刀では実現できないとある機能が隠されていたためなのだ。
二刀を『一刀』にすること。
ゲームとしてはありえないことだが、この世界ならば出来る。ゲームとしては実装できなかったであろう機能が、この刀のデザインには込められていたのだ。それはこの刀の魂と言っても良いものである。
その名を、七光剣という。
エリオの命名だが、そうとしか名付けようがなかった。
ベヒモスの動きが止まり、回復が始まろうとしていた。悠長に構えている暇は無かったが、構えをとる必要はあった。エリオは立て続けに3つの特技を連続で使用する。
刀を肩に担ぎ、まず攻撃スタンスを起動させる。これで威力を少しでも大きくするつもりだった。そして自己Buffの〈鬼神〉を重ねる。これは速度強化と同時に毎秒ヘイトを失う特技である。赤黒い殺気が闘志となり、渦を巻いた。
エリオ:
「決戦奥義!」
最後に三つ目の〈特技〉を使用する。キャストタイムの後にも暫くタメにモーション時間が掛かるのが難であったが、アクアの永続式援護歌と、エリオが〈鬼神〉化したことで、時間のロスは最小減に留まっている。
次の瞬間、エリオはベヒモスに向かって真っ直ぐに突っ込んでいった。狙うは、落ちた左牙の付近に開いた隙。ここしかないという状況・タイミングであった。
エリオ:
「七光剣・鬼神化……」
両手で握られた一振りとなった刀。最大のタメから放たれるのは、〈武士〉最大の一撃。
エリオ:
「〈七胴落とし〉!!!」
〈七胴落とし〉。
これは〈武士〉の特技で、大きく振りかぶり、一挙に振り下ろす特大ダメージ技である。日本のSF作家、神林長平に同名の小説があるが、その名の由来も日本刀の試し切りから来ている。
過去の日本では、試し切りに首を落とした罪人の死体を用いることがあり、これを両断できれば一ッ胴と言った。互い違いになるように配置し、二体を両断できれば二ッ胴である。……これを七体まで重ねるのが七ッ胴落としとされ、ある意味で名刀の規格や規準となっている評価軸のことであった。
物体としての人体は、それだけで厚さ20センチ近くあるため、7体も重ねれば140センチもの高さになってしまう。いかなる名刀であれ、適切なインパクト・ゾーンは決まっていることから、最終的には高いところから飛び降りて押し切ったとされる。それでも七ッ胴もの両断に成功した刀が二振りも確認されている。「備前基光」と「兼房」。
〈エルダー・テイル〉においては、力をタメるモーションに時間の掛かる技で、当たれば大きなダメージとなるが、タメのモーション中に敵に移動されると外してしまうリスクのある大技であった。最大タメで5000点ものダメージを叩き出すことが可能である。
ひとつに合わさった刀身の左右に3本づつの幻想剣が発生し、中心の実体剣と併せて七つの剣となる。これが〈七胴落とし〉によって七つの刀傷となって、深くベヒモスの体を刻み付けていた。
エリオ:
「どうでござる!?」
アクア:
「まだよ!」
叫び声を上げ、今こそ回復しようとするベヒモスの頭上に現れるひとつの影。ジンは口元を歪ませて笑った。
シュウト:
「ゼロベース……!」
20分近い戦いでほぼ全てを出し切ったのはシュウトも同じであった。残りの矢も、決め手となる〈特技〉もロクに残っていない。この状況で自分にできることは何かと考えれば、一つしか手は残されていなかった。
尻尾の上を走って登り、気配を消したままベヒモスの背中の上を駆け抜ける。ジャンプすると同時に、シュウトに気配が戻る。
シュウト:
「最新、最大ッ!!」
シュウトの瞳には青く光る死点が映るのみ。それだけしか見えないのだから外しようがない、と言わんばかりに、全身で突っ込んでいく。
パワーを絞り尽くされた『内なるケモノ』がふと顔を出した気がした。力強さはひとかけらも残ってはいなかったが、牙の鋭さをシュウトに貸し与えた。
そうして発動するのは、当然、最速にして最強の絶対奥義。
シュウト:
「〈アサシネイト〉!!!」
◆
その後も、いろいろとあって時間は掛かったのだが、ジンとシュウトは懐かしきシブヤへと戻って来ていた。外国へ行ったことで何時なのか分からなくなっていたが、たぶん真夜中の0時ごろだと思われる。
アクアとは、カンダ古書林で別れた。どうせならシブヤに連れてけとジンは言っていたのだが、なにしろ2人はクタクタで、モンスターがいようと何しようと倒れ込んだらその場で寝てしまいそうに疲れていた。
別れの挨拶もそこそこに、フラフラとシブヤまでようやく戻って来たのだが、街中に入ったとたんに、ジンが「あれ?」と声を出した。疲れているのでシュウトも余計なツッコミなどは入れていられない。そして〈カトレヤ〉のギルドホームまで戻ってきた。
ジン:
「やっぱいねーぞ、オイ」
シュウト:
「あー、どうしますか?」
2人ともちっとも頭が働いておらず、何も考えられなかった。
ジン:
「とりあえず、寝る。久しぶりのベッド~」
シュウト:
「そですね」
真っ暗な室内をそれぞれ暗視とミニマップで歩いて行き、ベッドに倒れ込んでそのまま闇に沈んでいった。ジンは辛うじて胸鎧だけ外すことに成功していた。
こうして、ミナミへの遠征は終わった。
――結論から先に行えば、僕らの行ったミナミへの遠征は失敗に終わったことになる。
出発した時、僕らは何も知らなかった。戻ってきたこの時には、ひとつの懸念を胸に抱くことになっていた。……運命は分岐を果たし、ミナミは一つの方向へと走り始めてしまう。
その直後、一つの出会いがあった。ジンさんとアクアさんの邂逅。これが僕たちの行く末を決定的に変えてしまう転機となるのだった。
1/29 ちょっと七胴落としの周りに文章追加しました。