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41  喧嘩師

 

霜村:

「慌てて攻撃するな! ヘイトを考えろ!」


 予期していたことだったが、そうなってみるとアッという間だった。村人を護る霜村の部隊は、今や周囲をモンスターに囲まれている。残された手段は葉月たち分隊との合流しか考えられなかったが、四面楚歌なのは変わらない。


霜村:

「弥生、どうだ?」

弥生:

「ダメ、まだ距離があるみたい」

霜村:

「……自力で凌ぐしかないな」


 範囲攻撃呪文を使えるメンバーは、目の前の敵を焼き尽くしてしまいたい衝動と戦わなければならなかった。しかし下手に呪文を使ってしまえば、乱戦となる。乱戦になれば護っている村人に犠牲が出てしまう。どれだけ焦ったとしても、味方の守護戦士たちで壁を作って、前線を構築して敵を押さえ込まなければならない。


 これはゲームでは当たり前の常識でしかないことだが、こうして実際に戦っていると、その当たり前を信じて良いのかどうかが疑問に思えてくるのだ。ポリゴンで作られていない敵のリアルさが、ゲームと現実の境界を曖昧にしている。醜い亜人間たちの臭気や耳障りな叫び声などは、現実のものでしかない。生理的な嫌悪感に加え、周囲を囲まれているという圧迫感。プレッシャーは決して小さなものではない。〈ハーティ・ロード〉のメンバーはよく耐えて、戦いを継続していた。


 そんな絶望的な状況の中でも、輝きを失わないものもいる。


さつき:

「レイシンさん、ここは私が」

レイシン:

「……任せたよ」


 レイシンがフォローした方がいい場所は他にある。ここは自分だけでなんとかできると踏んで交代を促した。

 肩の力を意識して抜いていく。さつき嬢はおのれの状態を自然体へと近づけようと試みていた。


さつき:

(ただ勝てばよい、とは思わない)


 レイシンの思考法と比較すれば、『勝てばそれでよい』というのは、なんでもいいから『食えれば良い』といったことになるだろう。笑顔が答えであるのならば、卑怯な戦い方はしたくない。卑怯な戦い方は心にしこりを残すことになる。それはいつか、自分の技や身を縮めてしまいかねない。やはり、自分に恥じることのない振る舞いをするべきなのだ。


 強さが弱さに、弱さが強さになるのだとすれば、それぞれ相手ごとに対処法が変わってくるだろう。従来の『構え』が自分の方向性を決めていたとすれば、自然体といわれるものは最終的に全ての相手、全ての状況に柔軟に対応できるものになるはずだ。泰然自若の境地にやがて至れば、これもひとつの無敵の構えということになるのかもしれない。



荒くれ武闘家:

「さつき隊長、ありゃ、また強くなってねえか?」

変態武士:

「…………」

荒くれ武闘家:

「聞こえてんのか? 返事ぐらい……おい?」


 持ち場を離れて、さつき嬢に近づいていく変態武士であった。


変態武士:

「さつきちゃん、戦闘中にすまない」

さつき:

「なんでしょう?」


 周囲のメンバーはだいたい大人だった。さつき嬢を隊長と呼んでいても、冗談半分だったりする。それは演技なのだ。このため、特に『ちゃん』付けで呼ばれた場合は、演技は入っていないものとして対応していた。


変態武士:

「君って、確かハタチぐらいだったよね?」

さつき:

「ええ、それがなにか?」


 次々と敵を倒しながら、受け答えする。まだまだ心には余裕があった。


変態武士:

「すごく強いよ、すごく強いんだけどさぁ」

さつき:

「いえ、私なんてまだまだ、ぜんぜんですが……」(苦笑)

変態武士:

「君って、どこまで強くなるつもりなの?」


 彼は聞かずには居られなくなっていた。どこまで伸びるのかそら恐ろしくなったのだろう。その問いにさつき嬢は少し長く考えて、


さつき:

「さぁ…………いけるところまでじゃないでしょうか?」


 と言った。そんなことは考えたこともない。人の限界は遙か彼方にある。可能だと分かったのだから、歩むまでだろう。迷いは晴れた。強さも弱さもすべて自分のもの。共に在るべし、である。


睦実:

「大丈夫! さっちんがいる限り、負けたりしないよっ!」


 少し離れたところから睦実がそんなことを言っているのが聞こえてくる。自分の声が聞こえないのは分かっているが、どうしても言わずにいられない。


さつき:

「睦実、恥ずかしいから止めてくれ……」





ニキータ:

「落ち着いてください。大丈夫です。その石を下ろして」


 ニキータは村人がパニックにならないようフォローに回っていた。モンスターの脅威から護ろうと思っていたのもあるが、半分は村人自身を警戒していた。


 この世界での〈大地人〉はNPCではない。大人しく護られていてくれるとは限らないのだ。以前に護衛した親子のケースでは、恐怖にかられて子供が走り出してしまった。今回もがんばっている〈冒険者〉を助けようと、手頃な石を投げて援護しようとしていた。これは下手するとモンスターの注意を引きかねない、自滅的な行いである。


 たとえ善意からしようとしたことでも、返って来る結果までもが善意に満ちているとは限らない。


血の気の多い村人:

「あんなに数がいるんだ、手伝った方がいいんじゃないのか?」

村の狩人:

「そうだ、ここから弓を射るぐらいなんでもない」


 ただジッと待っているのは誰でも辛いのだ。無力感にさいなまれるのを嫌うのは、〈大地人〉であろうと〈冒険者〉であろうと同じだった。ニキータの説得になんだかんだと文句を言う彼らの心の底にある感情をみて、仕方のないことだと思う。


 ニキータは無言で髪留めに手を伸ばす。くくっていた赤い髪が解かれて流れ落ちた。首のコリをほぐすように左右に首を振ると、髪の毛も一緒に揺れ動いた。男装の麗人をしていたものが、理知的なお姉さん風美人に戻る。



 ニコリ。



 視線を集めたところで、呼吸をとらえて笑いかける。ユフィリアの視線を集める力は天性のものだが、ニキータのそれは純然たる演技力であった。


ニキータ:

「敵の標的になるように、私の仲間たちが注意を引いています。このまま皆さんが狙われることのない状態にしておきたいのです」


 一般の〈大地人〉となると、ヘイトなる概念を知らない可能性が高い。モンスターなどの安易なカタカナ語も避けておく。あくまでも丁寧な対応を心掛けたお陰なのか、立場のありそうな村人が諫める立場に回ってくれた。

 近くで巡回回復要員をしていた睦実がニキータに声を掛けてくる。


睦実:

「さっすが、ニキータ」

ニキータ:

「アリガト」


 そこに村の少年が話しかけてくる。


気弱そうな村の少年:

「でも、本当に大丈夫なの?」

睦実:

「ふっふっふ、大丈夫!ほら、あそこにかっちょいいおねーさんがいるでしょう? あの、さっちんがいる限り、あたし達は負けたりなんかしないよっ!」


 その時、ラヴィアン少年の召喚した光の精霊が、まるで照明弾のように空へと昇っていった。





水梨:

「あれは何だ?」


 遠くの空に輝く自然のものとは思えない輝きを見つけて水梨が声を上げた。


葉月:

〈光の精霊〉(リュミエール)?……〈召喚術師〉のものか」

キサラギ:

「〈冒険者〉の救難信号?」


 キサラギが第一に想定したのは、ミナミの〈冒険者〉達の独自ルールの存在だった。ああした合図で付近の〈冒険者〉に救助を求めるのは、〈Plant hwyaden〉が単独で支配しているこの付近でなら、十分な可能性があることだった。


ふーみん:

「合流地点だって近いから、仲間のかも! 確認しまっす」


 付近のモンスターが予想よりも多かったため、西宮よりも東のポイントでの合流に変更となっていた。霜村達は進路をやや南よりにしていたものの、現在は交戦中である。

 光の精霊の輝きは、目視で測っただけだが、まだそれなりに先なのだ。ここからダッシュして直ぐに到着、というわけには行かなかった。


 ジンが葉月に近付いて声を掛ける。


ジン:

「悪いがヤボ用だ、先に行っててくれ」

葉月:

「なんの話です?」


 葉月が耳打ちできそうな距離まで寄って、声を潜める。それに合わせてジンも声のトーンを落とした。


ジン:

「後ろから敵が来てる。しばらく俺たちで殿(しんがり)をやる」

葉月:

「ですが、3人だけでは……」

ジン:

「おろ、心配してくれんの?」にやにや

葉月:

「まさか」

ジン:

「任せとけ。いや、タダ働きはこれっきりにしたいんだがな~。そっちこそ、俺たちがいなくて大丈夫か?」

葉月:

「笑えない冗談ですね」

ジン:

「ならいい。直ぐに追いつく。向こうには(こっちの)仲間もいるからな」

葉月:

「……分かりました」


 ジンがシュウトと石丸を連れて離脱した。といっても、単に立ち止まっただけだ。軽く手を振って見送っている。


ふーみん:

「アレってどうしたの?」

キサラギ:

「さてな、なんでもないだろう」


 団体行動的な意味ではマナー違反だが、葉月が了承したのだから問題ないはずだ。移動するにしても、残りのメンバーが居れば事足りる。


ふーみん:

「フーン。そうそう、あの光はやっぱりみんなだって。それとビッグニュースだよ!」





フードの男:

「いくぜっ!!」


 フードの男は、『いつも通りに』突っ込むことを選んだ。彼の黒いサーベルタイガーは迷うことなく跳躍し、敵のただ中に着地する。大胆というよりも無策無謀のたぐいだろう。霜村の部隊を襲っていた亜人間の群は、突然の闖入者に発狂したように慌て、怒る。

 男はフードを投げ捨てるや、敵に囲まれているのも気にせずに戦いはじめてしまう。仲間たちもその背後から攻撃を始めたため、部分的に挟撃する形になる。


霜村:

「援軍か? いったい何者だ?」

ラヴィアン:

「ぎるます~!」

霜村:

「なっ、アギラだと? ヤツはナカスにいるはずじゃ」


 アギラと呼ばれたフードの男は、爆発のような威力の技で敵を吹き飛ばし、突進して霜村の隊に加わる。


(フードの男→)アギラ:

「準備運動、終わりっ!」


霜村:

「アギラ!」

アギラ:

「よう、シモ!元気だったか?」

霜村:

「貴様、なぜここにいる?」

アギラ:

「そりゃアレだ。サプラーイズ!ってな? みんなも元気にしてやがったか?」

芝生守護戦士:

「マジでギルマスwwwウケるwww」


 “喧嘩師”アギラ。

 彼こそ、ミナミ有数の戦闘ギルド〈ハーティ・ロード〉のギルドマスターである。クラスは〈武闘家〉(モンク)、サブ職は〈巨人殺し〉。なんといってもデカいのを殴るのが大好き。背はちょっぴり低めのナイスガイ(自称)だ。


 彼の二つ名“喧嘩師”の由来には諸説ある。面白ければ他のギルドとの戦闘も厭わないという側面もあるにはあったが、たまにそういうことがあったというだけで、ギルドとしてはそこまで喧嘩っぱやいわけでもない。ギルドの顔としてその異名はどうかと尋ねると、「ハッタリが利いてて良い」が公式見解らしい。……本当のところは、自分の名前を呼ばれたく無かったためだという。ゲームの導入を手伝って貰った隣の家の兄ちゃんに「アキラ」と書いて渡したつもりだったが、少しばかり(否、かなり)字が汚かった。さっさと名前を変えろよと言えば「それは何か負けな気がする」と答える真性の××だった。


 結果、仲間内にはギルマスと呼ばせ、ギルド外の人間は喧嘩師と呼ばせていた。呼ばなければ殴る。蹴る。やっぱり喧嘩っぱやい。「うるせぇ、俺は喧嘩師だ!」と叫びながら、やってきた衛兵に連れて行かれる。拘束ペナルティが終わって戻ると、レイドに行こうと待っていた仲間に遅いぞクソギルマス!と怒られる(ここまででワンセット)。……それが彼、アギラという男だった。ちなみに、アギラと呼んでも殴られないのは初期のメンバーだけだ。もはや殴り過ぎて飽きたらしい。 


 〈大災害〉からこっち、ギルドが半壊したとはいえ、本人は一向に気にした様子もない。誰かが死んだわけじゃあるまいし、と気楽なものだった。



 アギラの後に続いて彼の黒いサーベルタイガーも飛び込んでくる。筋肉の塊のような圧倒的な迫力を前に、村人が恐怖に突き落とされる。逃げ出そうにも周囲は敵に囲まれているのだ。ニキータが咄嗟にかばうように壁として立つ。危険はないのだが、それが分からなければ危険なのと変わらない。


睦実:

「あれっ、くろぽん? どうしてここにいるの?」


 騒ぎを見に来た睦実が、アギラのサーベルタイガーを見つけてナデた。もふもふである。攻撃してこないサーベルタイガーは、大きいだけで猫とさして変わらない。強いて言えば、寝返り→下敷きのコンボには注意が必要だった。


アギラ:

「くろぽんじゃねぇ! クロスケだっつってんだろ、睦実!」

睦実:

「変わんないじゃん。なんだ、ギルマスもいたんだ」


 睦実のため息に、ヤンキー顔+中指を立てて応える。イキナマ上等。

 そのまま俺様アピールをするべく周囲を巡ろうとしていた時だった。見慣れない女に近付いて顔を確認する。


ユフィリア:

「ん? どちらさま?」

アギラ:

「おっ、おっ、おっ……」


 振りむいたのは突き抜けた美人だった。瞬間的に気後れしてしまい「お前こそ誰だ」の一言が言えなかった。硬派=奥手の図式から、アギラもまたそっち方面は苦手だ。否、コブシが通用しないものの大半が苦手である。

 しかし、男たるもの度胸で負けるわけにはいかない。胸を張って問いただした。


アギラ:

「しっ、新人か? おまえ」

ユフィリア:

「おまえじゃないよ、私はユフィリア」

アギラ:

「お、おう」

ユフィリア:

「あなたは?」

アギラ:

「俺はギルマスだ」

ユフィリア:

「ぎるます? おかし(、、、)な名前だね」

アギラ:

「おう。その、アレだ。スイーツみたいか、そうか」


 ユフィリアの天然ボケにも気が付かず、噛み合わない会話が続いていた。初戦は引き分けだろうと自分本位のジャッジを下し、負ける訳にはいかないとその場に踏みとどまる。周囲の「戦闘中だぞ、邪魔!」という視線には気が付きもしない。見事にテンパっていた。


 ユフィリアのような〈施療神官〉(クレリック)は、雑魚モンスター相手の集団戦で特に威力を発揮する。敵から受けるダメージ量が小さい場合、反応起動回復が数回~十数回の攻撃を帳消しにすることができる。

 その効果によって慌てて回復しなくても大丈夫とはいっても、戦闘中にヒーラーがその場から離れられるハズもない。アギラにしつこく話しかけられれても、逃げられないとなれば対応しなければならない。

 実際のところ、ユフィリアは別に困ってはいなかった。この程度で困ったり迷惑がったりするのであれば、美人などは務まらない。それでも守護者は現れる。


アギラ:

「そうか、ウチのギルドじゃないのか」

ユフィリア:

「うん」

アギラ:

「じゃあ、アレだ、俺のトコに来いよ」

ユフィリア:

「え? だけど今のギルド気に入ってるし」

アギラ:

「それじゃあギルドはそのままでもいい」

ユフィリア:

「んっと、どういう意味?」


ニキータ:

「会話中失礼。というか戦闘中よ、彼女の邪魔をしないで!」


 常識を逸脱した美人の次は、常識的な美人の登場だった。髪留めを外したままのニキータが、喧嘩腰でユフィリアをかばいに現れる。

 これにアギラは内心でホッとしていた。女性とのコミュニケーションも喧嘩の延長でしかやりようがない。怒ってくれないと巧く話せないのだ。ユフィリアはほわほわと言葉を返してくるので噛み合わない。今のニキータは喧嘩腰なので話しやすかった。


アギラ:

「別にいいだろ、雑魚しかいねーんだし」

ニキータ:

「だったら先に全部倒してからにしなさい!」

アギラ:

「上等!まるっと倒してきてやらぁ。それでいいな?」

ニキータ:

「ええ、それならいいわ」

アギラ:

「…………」

ニキータ:

「まだ何か?」

アギラ:

「お前、イイ女だな」

ニキータ:

「は?」

アギラ:

「いいね、いや、気に入った!」


 歯を見せつけて笑うと、そのまま格好良いところを見せようと敵に突っ込んで行った。まるで鉄砲玉だ。ニキータは(もしかすると困ったことになったかも?)と頭痛に近いものを感じていた。


 ヘイトだのを無視してやりたい放題に戦い、そのままの勢いで相手を混乱させてゆく。しかし、彼はただのバカではない。真のバカである。その膨大な戦闘経験がギリギリ破綻しないラインを綱渡りさせていた。滅茶苦茶をしている数が違った。計算などしなくても、なんとなくの直感で『やってはいけないミス』は避けることが出来る。〈大規模戦闘〉(レイド)は自分の庭も同然。敵の中を動き回りながら、次々と場所を変えていく。



 その時、ひとつの光景に目を奪われた。アギラはちょうど近くで戦っていたさつき嬢に話しかけていた。


アギラ:

「おい、アレは誰だ」

さつき:

「お久しぶりです、ギルマス。えっと、レイシンさんですか? アキバから来た傭兵の人ですが」


 近くで戦っていたので、さつき嬢からはアギラの姿が見えていた。挨拶がまだだったので、挨拶をしたのだが、しかしアギラの目はレイシンを見たままだ。なんだか夢中になっている。


アギラ:

「すげぇ蹴りだ……」

さつき:

「え?」

アギラ:

「こうか?……こうか?」


 確かにレイシンの腰の入った蹴りは美しいものだったが、さつき嬢にはどこが違うのかよく分からなかった。同じ〈武闘家〉だからなのか、何かしらの違いに反応した様子で、そのまま繰り返し蹴り技ばかりを使うアギラだった。

 しばらく続けても何かが違っているらしく、結局はレイシンのところに突撃していった。失礼なことを言わなければいいが、と心配するさつき嬢であった。



アギラ:

「おい、その蹴りはどうやるんだ? 俺に教えろっ!」

レイシン:

「えっ? 別にいいけど」


 人にものを頼む態度ではなかったが、レイシンはOKした。



 ハイキック(上段回し蹴り)。

 以下は右足で蹴る場合で説明する。左足が前、右足が後ろにある状態から、右足で軽く地面を蹴って勢いをつけ、左足を軸にしつつ、腰の回転運動によって右足を回して相手を蹴る、というのが一般に認知されている『回し蹴り』の動作である。

 これに対してレイシンのハイキックは、蹴り足(右足)の勢いで腰を回していくという、より実戦的なもの(プロ仕様)であった。


 左軸足中心による蹴りでの回転運動の場合、腰を回して、右足を『振り回した結果』として蹴りが発生することになる。その準備として左足を軸として固める必要があることから、2テンポの動きになってしまうのだ。


 右蹴り足中心で蹴る場合、左足はそこまで重要とはならない。また、この方法では勢いをつけるための右足の始動(地面を蹴る部分)を、そのままキックの動力として活かすことができる。左軸足中心の場合は、腰の回転が始まるまで待たなければならないため、右足で大きな勢いを付けられないのだ。地面を強く蹴ってしまうと、腰の回転よりも蹴り足が先行してしまい、腰が回り切る前にヒットして中途半端に終わるのだ。それを失敗だと認識するので、右蹴り足中心の蹴りになることはまず考えにくい。


 それ以外にも、左軸足中心で腰の回転運動を強化するには、上体をネジるなどして腕を逆に回す動きが必要になってしまう。実戦では腕を振り回すと上体のガードを開けることになるため、あまり有効な動作とはならない。

 右蹴り足中心の動作であれば、蹴り足の前進力をそのまま腰の回転運動に利用するため、腕を振り回す必要がなくなってくる。また踏み込みの前進力を活かせることから、蹴るための準備は不要で流れの中で蹴っていけるし、そのことによって踏み込みの速度も増す。相手よりも一瞬でも速く動作に入れれば、それだけ強い蹴りを出すことが可能になるし、主導権を握って押していきやすくもなる。


 それもこれも〈冒険者〉の蹴り技であるため、このような運動構造の差があろうとも時間的にはコンマ数秒以下の話でしかない。しかし、その僅かな差が実力を決定する力をもってしまうこともあるのだ。そしてアギラはこの違いに一目で気が付くことが出来たのである。


 このレイシンの蹴り技の情報源もジンである。ジンも蹴りは得意だが、レイシンと比較すると蹴っている本数が1~2桁ほども少ない。身体開発度の差が支配的なヒザ蹴り以外は、既にレイシンの方が巧くなっていた。


アギラ:

「こうか?」ビシッ

レイシン:

「いや、もっと踏み込んで、こう」スパァン!

アギラ:

「なら、こうか?」シュパッ

レイシン:

「いいね」

アギラ:

「……こうだろ!」ズパン!

レイシン:

「それ!」

アギラ:

「おおおおっ! やべぇ、超カッケー!」


 プロ仕様の蹴りに大興奮し、見せびらかすように蹴りまくるアギラだった。悩みなんて無さそうなギルマスの姿に、メンバーはいつしかリラックスしている。

 また、5人の援軍の存在も大きかった。アギラの側近をやっているメンバーともなると、全員がほぼ葉月・霜村クラスの装備を揃えている猛者である。こうした心強い味方の参戦もあって、敵の数を大きく減らすことに成功していた。


 そして、ここにもうすぐ葉月たちが合流することになる。





シュウト:

「200は居ますね。なのに3人で()るんですか?」

ジン:

「別に、俺だけでも倒せる数だけど?」

シュウト:

「そうですけど……」


 相談もなく殿(しんがり)を引き受けたジンに不満の声を漏らす。200体も居たら、最低でも30分はかかりそうなものだ。こんな回復役もいない状況では長く戦い続けることはできない。


石丸:

「作戦はどうするつもりっスか?」

ジン:

「んー、適当で。好きにやっちゃって~。ま、全部倒す必要もないし、葉月たちが追いつかれない程度に時間潰して、数を減らせばここはオーケー」

シュウト:

「……つまり、葉月さん達と一緒に戦いたくなかったんですね? 時間が掛かるから」

ジン:

「そゆこと♪」


 ジン的に最も効率の良い選択なのだろう。しかも下手したら自分だけ残ってここで足止め役をやっていた可能性もあるのだ。そう考えると、仲間と思われている分だけマシかもしれないと思えてくる。


ジン:

「よっしゃ、眠くなる前に始めようぜ~。石丸、先制してくれ」


 通常は〈守護戦士〉がタウンティングを行って、ヘイトを集めてから魔法を使わなければ石丸が狙われてしまうものなのだが、全力のジンは後から始めても間に合わせる自信がある。


石丸:

「ジンさん」

ジン:

「何っスか?」

石丸:

「本当に、好きにしていいんスね?」

ジン:

「おうよ、ヘイト管理もお任せあれ」


 頷いた石丸が攻撃魔法を唱え始める。ジンは軽く肩を回した後で武器を抜き、フェイスガードを下ろしていた。氷系の範囲攻撃魔法〈フリージング・スフィア〉が炸裂する。


 くるり。


ジン:

「ん?……なんだ?」


 突撃しようとしていたジンが振り返り、石丸をまじまじと見つめる。呪文の投射から技後硬直を終えた石丸は再度別の呪文の詠唱を始めていた。魔法を連発する構えだ。


ジン:

「なんなのか分からんが、マズい気がする」


 謎解きをしたいが足が先に行こうとしている、といった様子でジンは飛び出して行った。代わりにとばかりにシュウトが石丸を観察する。


シュウト:

「砂時計?……そんな小物 持ってましたっけ?」


 石丸の装備をちゃんと見た覚えがないので確信は持てなかったが、ジンの心に引っかかる何かがあるとすれば、首から下げた紐で結び止めた砂時計ぐらいしかない。30秒単位だろうか、今もさらさらと砂が落ちている(、、、、、)


シュウト:

(ん? 今、砂時計を使ってる(、、、、)ってこと?)


 詠唱終了で次の魔法が発動する。光の範囲攻撃魔法〈スターダスト・レイン〉だ。その技後硬直が解けると、石丸は胸元にサッと手を伸ばし、砂時計を『くるり』とひっくり返していた。そして間を開けずに次の呪文詠唱に入る。


 好きに戦って良いと言われているので、シュウトは弓を準備していた。ここでジンが敵の先頭ラインに到達。初撃から〈竜破斬〉を放つ。一瞬の青い輝き。シュウトも敵に狙いを定めていると、石丸の爆炎の範囲攻撃魔法〈チェイン・エクスプロージョン〉が決まった。


 ここまではいつも通りだった。通常、〈妖術師〉が範囲攻撃魔法を連発すると、〈守護戦士〉がタウンティングするよりも多くのヘイト値を獲得して敵に狙われることになってしまうのだが、ジンの場合は話が別である。


 全力のジンがブーストして放つ〈竜破斬〉は最高ダメージが2万を軽く超えている。加えてそれを2秒半というハイペースで繰り出すことが可能なため、そうそうヘイト値を追い抜くことは出来ないし、石丸がしているように先に魔法攻撃による先制を行ってしまっても、敵が石丸に攻撃する前までには、ジンが敵からのターゲットを奪い返すことが出来てしまう。


 その時、2度目の〈フリージング・スフィア〉が炸裂した。


ジン:

「なっ!?」

シュウト:

「早い!どうして?」


 シュウト達の感覚では、まだ同じ呪文は使えない時間のハズであった。

 ……これが石丸のハイエンドスキル〈ジュークボックス〉、その原形となるものであった。原理としては重複詠唱法スペルオーバーラッピングを連続させることにある。


 重複詠唱法(スペルオーバーラッピング)。

 まず同じ魔法を2回連続して使うことを考えてみると、「1度目の呪文選択」→「詠唱」→「呪文発動★」→「技後硬直」→「再使用規制時間による待ち時間」→「2度目の呪文選択」→「詠唱」→「呪文発動★」→「技後硬直」→ ……という流れになっている。


 石丸の行った重複詠唱法では再使用規制時間中に、マニュアルによる呪文詠唱を始めてしまい、規制が解けたところで呪文を発動するというものであった。

 呪文詠唱はショートカットリストのアイコンを選択することによってオートで行われるため、再使用規制時間中に呪文詠唱をすることは(アイコン入力では)出来ない。そこを自分で詠唱するマニュアル詠唱を利用することで、時間を短縮して呪文を放っているのである。


 呪文詠唱5秒、再使用規制20秒の呪文を例にすると、一般の魔法使用は再使用規制20秒に詠唱時間の5秒を加えた、25秒後に再使用することが可能であるのに対して、重複詠唱法では再使用規制16秒目にマニュアル詠唱を開始し、21秒目には呪文を再使用することが可能になるのである。その差は4秒。これは呪文の詠唱時間が長い魔法ほど、その恩恵も大きくなるという特性がある。呪文詠唱10秒の魔法なら再使用時に9秒の短縮が可能になる。


 (物理攻撃系の特技でもこの重複法を使うことができるが、キャストタイムが短いため、ほとんど価値が生まれなかった)


 マニュアル詠唱に必要な『呪文の完全暗記』と、規制時間をきちんと把握すれば、実のところ誰にでも使用可能なのだ。……1度だけであるならば。


 石丸の〈ジュークボックス〉のように重複詠唱法を連続させるとなると、それは異次元の高難易度技に激変する。そもジュークボックスとは、単に音楽を鳴らす箱ではなく、音楽を選曲するための『チェンジャーデッキ』としての特性を持つものである。チェンジャーデッキとは、レコードやCDを複数枚収納し、演奏する際に自動的に変更し、自由に選曲する機能を持つ機械のことである。


 石丸は、全ての呪文を自在かつリアルタイムに組み合わせて使用することが出来るようになりつつあった。詠唱時間や再使用規制時間だけでなく、それぞれの呪文にかかる発動時間や技後硬直までの諸要素の時間を全て把握し、マニュアル詠唱に必要な呪文とその身振りを完璧に記憶する。更に呪文の組み合わせの最適化をリアルタイムで行うのだ。コンピューターならぬ生身で。


 事前に使う呪文の順番をルートとして決めてしまえば、人間にも可能な範囲の難易度におさめることはできる。普通はそうするのだが、石丸はそれを選ばなかった。

 更にこの技の難易度を1段階引き上げている部分は、『時間を正確に把握すること』であったりする。現在のところ、時間を計るための道具は貴重品に類する。ストップウォッチどころか、アナログの腕時計も馬鹿でかい代物になってしまう。……このため、石丸は砂時計を利用することにしていた。


ジン:

「ヤバい、敵が足りないとか!(笑)」


 石丸の範囲攻撃呪文の嵐は、ジンの周囲の敵をかなり減らしてしまっていた。この場合、次に攻撃する敵が周囲にいなければ、ジンはヘイトを高めることができない。たとえ5000点のヘイト値をもっていても、石丸が10000点のヘイト値を持っていたら、ジンがターゲットにされることはないのだ。仮に3体の敵がいるとすれば、まっすぐに石丸に向かって走って行ってしまう。その2体までをジンが倒せたとしても、残り1体が石丸のところへ攻撃しに行ってしまったらジンの失敗、この場合は敗北ということになる。1体だけならシュウトが十分にフォローできる範囲だが、3体などの規模ではない。150体以上の敵がまだ残っているのだ。


 ジンの能力を引き出すこと。それが石丸の選択であった。


 葉月達のしていたように、普通の〈守護戦士〉としてジンを扱えば、その能力を殺してしまう。つまらなくてアクビしながら眠そうにしている、ただのぼんくら守護戦士にしてしまう。だから、ジンは逃げた。殿(しんがり)が必要なのも本当だったかもしれない。それでも、窒息したくなかったのだろう。


 石丸は考えていた。ジンの後衛を務めるということを。……つまり、世界最強(、、、、)の〈守護戦士〉に前立ちさせた自分がすべきことは何か?という問題に対する、これが石丸なりの答えだった。


ジン:

「ヤバい(笑) シュウト!飛んでるヤツはおまえが何とかしろ!」

シュウト:

「了解です!」

ジン:

「それとおまえのヘイトも寄越せ!」

シュウト:

「いっぺんに幾つも無理ですよ(笑) 自分でどうにかしてください!」


 二人とも必死になって、石丸を護るべく敵を倒して回っていた。ひーひー言いながら、しかし、楽しくて仕方がないのだろう。こみ上げる笑いを隠そうともしていない。


 その様子に石丸も満足の笑みを浮かべるのであった。

 


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