40 天の配剤
災難を避けるべく、人も動物も、モンスターでさえ西へ、西へと移動していく。そんな中、かなりのスピードで東へと疾走する小集団があった。
猫科の騎乗生物の背が波打つと、乾いた大地が土煙へと変わって背後に長く尾を引いた。力強く筋肉が躍動し、人が跨がってもまるで速度が落ちる気配がしない。……それは大型のサーベルタイガーであった。
〈剣牙虎〉サーベルタイガー。
現実には剣歯虎もしくはスミロドンと呼ばれ、猫科に分類される肉食獣の総称、絶滅した幻の虎である。その特徴はなんと言ってもその巨大な牙だろう。ゲームに登場するサーベルタイガーは大きさも強さもまちまちだが、騎乗生物のそれは大型強化されているものだ。虎の中でも最強と目されるベンガル虎、もしくはアムール虎を何倍も強くしたものがこのサーベルタイガーである。
騎乗生物として彼らを従えるのは難易度も高く、貴重であるとは言えるが、さほどの特殊能力を備えているわけでもない。どちらかといえば純粋な強靱さが売りという剛毅な代物である。連続召喚時間が長く、巡航速度・最大速度は馬を大きく引き離している。特に踏破能力に優れることから山岳部も得意、ジャンプ力もある。このように馬と比較すれば圧倒的だが、その他の特殊能力を持つ騎乗生物、たとえば飛行能力を持つグリフォンなどには見劣りしてしまう。ちなみに要求する食料(=肉)はかなり多い。
戦闘力も低くはないが、90レベルの〈冒険者〉の役に立つという程ではない。騎乗戦闘時に、相手の騎乗生物(馬や大型狼、戦闘猪など)を噛み殺すのが主な利用法として想定されている。
流れる景色は面白く感じるほどにあっけなく消え、どん欲に次の景色を呑み込み続ける。強靱な骨格をもつサーベルタイガーだが、その背中は意外なほど柔らかく、鞍を使って跨がっていてさえ安定する場所ではない。慣れぬものは振り落とされるのを恐れてしがみついてしまうだろう。一つには、その圧倒的な速度感に原因がある。馬に比べ全高が低く、騎乗者の視線も地面に近くなるため、余計に速く感じてしまうのだ。
併走する者たちの先頭で、日除けに風除けも兼ねたフードの男が歯を見せつけるようにして笑った。犬歯が牙のようにのぞく。獰猛な笑みだ。黒いサーベルタイガーを楽々と乗りこなし、手練れだけが持つ、危険な気配を散らしている。前方で騒ぐモンスターの集団をジャンプ一発で軽く飛び越えてしまい、更に突き進んで行く。まるでミナミへと吸い寄せられるかのように。
◆
霜村を中心とした一行は、村人の救出に成功し、〈港町コウベ〉へと向かって移動を続けていた。出だしこそ良かったものの、この道行きは難航することが分かっていた。
まず最初に意識されるのは、〈冒険者〉と〈大地人〉とでは体力的にも速度的にも大きな隔たりがあることだろう。車や電車、飛行機といった移動手段を持たない〈大地人〉は、日頃から運動を運動とも思わずに行っている。従って、現代人であるプレイヤー達と比べて、遙かに強靱な足腰をしている。高齢者や子供達は別にしても、遅いと文句を言わなければならないほどひどい話ではない。単にそれ以上に〈冒険者〉という存在が規格外だった。
これはシンプルに、モンスターの驚異に対処できる速度が足りない、ということである。襲われても追いかけられても逃げることは難しく、戦って追い散らすか、倒してしまうしかない。
加えて、移動している方向があまり良くなかった。〈ヘイアンの呪禁都〉や、そこから来ていると考えられる大群からは反対方向へと遠ざかっているのだが、その大群が生み出している『流れ』によって押し出されている周辺の動物やモンスター達までもが、同じ方向に逃げ出しているらしい。
50人以上いる村人を、今は20人のギルドメンバーで護衛している。全方向への警戒を必要とするが、いかんせん手薄なのは否めない。少なくない数の馬を呼びだして使っているが、戦闘になった時に暴れださないとも限らない。何頭かは軍馬だからいいにしても……、と霜村にしては悲観的な思考を重ねていた。村人の正確な人数も把握しておかなければならないと気付いて、指示を出す相手を考える。差配は弥生に一任してしまうのが楽でよい。考える役目は(今はいないが)葉月がやるべきなのだ。
霜村:
「……さつき、どうかしたか?」
念話をかける手間を惜しんで歩いていたところ、どことなく暗い雰囲気のさつき嬢に声を掛けていた。霜村は何も考えず先に話しかけたため、タイミングが悪かったかどうか、さつき嬢の反応を観察する。
さつき:
「いえ、特には……」
霜村:
「そうか。俺にしろとは言わんが、話しやすい相手に相談ぐらいしろ。そういうことも、これからはお前の仕事だからな」
さつき:
「……はい」
返事をしたので頷くと、霜村はその場を立ち去った。
さつき嬢の方は、今までなら聞き過ごしてきてしまっていたような言葉の中に、様々な意味を感じとっていた。
これまでは他人に弱みを見せられなかった。それはちょっとばかり行き過ぎた態度だったかもしれなかった。コンディションを整えるのも戦士の仕事の内なのだから、メンタルな部分もキチンとしていなければならない。それは一人でどうにかするべき問題だと思っていた。……しかし、霜村はメンタルも含めたコンディションを調整するのに他者に頼れと言う。
さつき嬢のリーダー像は『強い人間が仲間を引っ張るもの』という漠然としたものだった。部活で部長をしてきた経験からも、なるべく自分はそうあろうとしてきた。結果、最良だったとは言えなかったかもしれないが、それは自分がまだ弱いからだろうと思っていた。
考えてみると、〈ハーティ・ロード〉のギルドマスターにしても、霜村にしても、人に何かをやってもらっている部分が多い。役割分担して任せてしまうことも多いし、「面倒だからまかせた!」といって押しつけて笑ってごまかすことまである。
様々なリーダー像があって、自分のリーダー像が正しいわけではないのはなんとなく分かる。
自分のイメージする『強いリーダー』のことを考えると、自然と『敬愛するジン殿』へと思考が跳ぶことになった。あの方ならばどう考えるのだろう?と思っても、やはり本人に相談するのは(フレンドリストにも入ってないし)気恥ずかしい。
さつき:
(レイシンさんだったら…………)
優しそうだし、相談してみてもいいのかもしれない。戦いの実力もあるし、気配りも上手だ。他のギルドの人なので、変な気兼ねもしなくていい。うん、ばっちりじゃないか?
さつき嬢は、レイシンの姿を探して何気ない風に歩いてみることにした。まもなくその姿を見つけることができたが、どうやらユフィリアが先客のようで、ちょうど話しかけられたところの様だった。
――ここに至る展開は、実はレイシンの『ポジショニング戦略』による影響が濃く反映された結果であった。
地域や年代によっても異なるのだが、一般的に引っ込み思案などで責任者をやりたくないタイプの人物が「充実した人生を送りたい」と考えた場合に重要な要素となるのが、この周囲の人間関係で『優位なポジションにいること』なのだ。日本では出世レースなどのトップ争いよりも、中堅の立場を争う方がよほど熾烈であったりする。出る杭として叩かれることなく、周囲の信頼を勝ち得て、困った問題には自分で対処しなくて済む、などという都合の良い席があるのだとすれば、そこが一番居心地が良いと考えるからだ。
男子の場合、よいポジションにいられれば、女子の側から話しかけて来やすくなるし、自分から連絡をしなくても遊びに行こうと誘われることも多くなる。
この延長線上にあるのが参謀タイプのビルドで、責任ある立場によるプレッシャーは華麗に回避しつつ、世界を背後から牛耳って愉悦に浸るという頭脳派の真骨頂なのだ。
本来、モテポジションはレイシンの定位置であった。現在こそ、結婚してシュウトにその場所を譲っているものの、今でも優しそうなお兄さんとして一定の信頼を得ている。ジンにしてもこれらの仕組みに苦々しく思ってはいても、やはり役割もやり方も違うために対抗することはできなかったりする。
現在レイシンのとっている中堅よりも少し上というポジションは、他のギルドのさつき嬢からも相談されやすい位置ということになる。
理屈っぽい話ではジンに相談しても、もう少しソフトで感情的な話題となれば「レイシンなら優しくしてくれそうだし」という頼り方になりやすいのだ。
また、レイシンの戦闘の要諦もポジショニングにある。それは本人がそういう人物だからそうなのか、自分の勝ちパターンが戦闘にまで影響しているのかどうか、もっと言えばどこまで自覚的なのかすら、(長い付き合いのジンにも)わからなかった。もはや、そういう生存戦略で生きていると表現するのが適切なのだろう。
レイシン:
「……それでどうしたの?」
ユフィリア:
「あの、ちょっと言っておかなきゃいけないことがあって」
レイシン:
「なにかな?」
間の悪いことで、ちょうどこのタイミングでモンスターの襲撃を知らせる声が聞こえてきた。
レイシン:
「あっと、ごめんね」
さつき:
「いきましょう、レイシンさん!」
ユフィリア:
「私もいく!」
さつき:
「いや、全員が動いてはダメだ。君らはこの場所を守っていてくれ!」
ユフィリア:
「そっか、わかった!」
後ろでその姿を見ていたニキータは、先ほどから少しばかり違和感を感じていた。何に対する違和感なのかを考えていて、試してみることにした。静かに歩み寄り、後ろからユフィリアの肩を先に触れる。不自然ではない程度に、一瞬遅らせて声を掛ける。
ニキータ:
「ユフィ?」
ユフィリア:
「ニナ?……どうしたの?」
普通に反応するユフィリア。やはりだ。背後からの接近に彼女は気が付いていない。
ニキータ:
「あなた、……ミニマップはどうしたの?」
ユフィリア:
「あ、……うーんとね、気絶して、起きたらもう使えなくなってて」
ニキータ:
「そう……」
ユフィリア:
「ごめんね?」
ニキータ:
「どうして? 謝ることなんて無いでしょ」
ユフィリア:
「だって、モンスターが襲ってくるんだよ? こういう時にあればすごく便利なのに……」
少し悔しそうにうつむくユフィリアをそっと抱きしめる。
ニキータ:
「そうね、ちょっと残念だったかも。 でも、しばらくすれば元に戻るかもしれないでしょう? ダメなら、後でジンさんにも相談してみましょう」
ユフィリア:
「うん……」
ぬくもりが伝わるようにと思って抱きしめる。しかし、慰めるだけではダメなのだ。彼女が後悔しないように、村人を護り切らなければならない。ここで自分には何ができるのだろう?……そう自問するニキータだった。
◆
全員で周囲を警戒し、モンスターに襲われても一時的に耐え、さつき嬢やレイシンが戦闘に加わることで、モンスターをはね除けてしまう。これは村に到着したときに行った戦術と同じものだ。敵の数が少ないので今はこれで間に合ってはいるが、この先はどうなるか分からない。葉月達がいないことで、アタッカー不足が少し響いている部分もあった。
レイシン:
「流石だね」
さつき:
「いえ、そんなことは……」
戦闘終わりの何気ない会話というやつだ。人から誉められるのはやはり嬉しいもので、口元がゆるむ。とはいっても、素直に喜べる状況にはいなかった。戦闘中もどう相談を切り出したものだろう?などと考えながら戦っていたほどで、堕落したとまでは思わないが、以前ほど戦いに集中できていない気がしていた。
考えてみると、この流れは相談するのに悪くない展開の気がする。照れくさいのだが、思っていたことをそのまま口に出すことにする。
さつき:
「私は、その、弱くなってしまいました」
レイシン:
「そうなの?」
意外そうなレイシンの言葉に首肯する。
ジンの本気を体験して、自分の中にあった指針が崩れてしまったように感じていた。
戦士とは、心の持ちようで強さが大きく変化してしまうものなのだ。自分の可能性を無邪気に信じることが才能のようなものでもあって、可能性を疑った者から順に『成長の限界』が壁となって立ち塞がることになる。
さつき嬢は以前ほど自分のことを信じられなくなっていた。
レイシン:
「……そっか、『弱さ』を知ったんだね」
カミソリのような言葉に心の肌を傷つけられ、血がゆっくりと滲み出す様を見ているような気分になる。これまでは『弱さ』を他人に押しつけ、自分は理解しないように努めてきたのだ。強くなるということはそういう残酷なことだった。
さつき:
「これから先、どうすればいいのか……」
もう強さだけを見て、追いかけることなどはできそうにない。
レイシン:
「これまでに積み重ねてきた努力だって、そう簡単に消えたりはしないよ」
努力は裏切るとジンは何度も言っていた。それを分かっているレイシンだったが、裏切るまでは信頼できるのも努力というものだ。それに結局のところ、人間にできることは努力と呼ばれる何かでしかない。
ここでレイシンは自分のフィールドで思考する。
さつき嬢の状態をざっと見れば、下ごしらえや本体の料理は終わっているらしいことが分かる。あとは仕上げと飾り付けだけだ。「またオイシイところだけもっていきやがった」と言われそうなシチュエーションに苦笑する。
彼女が求めているのはジンの言葉だろう。同時に、レイシン自身の言葉でなければ、説得できはしない。これは一見、不可能なように聞こえるが、そうではない。
多くの場合、人間が厳密に『言葉のみ』によって説得されることは希だ。その大半がバックボーンを感じ取ることで説得されている。たとえ言っていることがめちゃくちゃでも、自信満々に振る舞えば、それだけで説得できる確率が上がってしまうものなのだ。
料理をきれいに盛りつけたり、食器や、場合によっては食べる場所にまで手を加える理由も同じだ。論理的に考えれば、「きれい」と「料理の味」の相関関係は低い。料理が同じでも、食器が違えばそれだけでおいしくなるかといえば、それは疑問だろう。
ならば、何故きれいに飾り付けるのか。
答えは、逆からの説得を防ぐためである。お皿が汚れていたり、盛り付けが雑だったりして料理が美味しそうに見えない場合、ろくに味わいもせずにただマズいと決めつける人間が一定の割合で存在してしまうためなのだ。もっと普通に「普通の味だ」と決めつけられた場合、その評価を覆すためには、これはもうかなり美味しくなければならなくなる。閉じられた目を開かせるには、最初の何倍ものエネルギーが必要になってしまうのだ。
人間は“意外と”味がわからない。雰囲気で味わっているケースも多い。一緒に食べている人や、その時の会話の面白さが味に上乗せされてしまう場合もある。
このように、バックボーンに影響を受けやすく、そこから自分で自分を説得する効果が大きいのだ。
きれいに飾り付ければ、それだけで美味しく感じてしまう人もいる。金額が高いとそれだけで美味しいと思い込んでしまう。実際にそんな効果を狙っている場合もあるだろう。それで高い値段を取ろうとすれば確かにズルいかもしれない。……それでも、マズいと決めつけて不幸な食事になるよりは、美味しいと思って幸せになるほうがずっといいものだろう。
今回のさつき嬢のケースで考えれば、レイシンの背後にジンが居ると感じさせればいいのだ。しかも彼女は聡い。無駄な演出を加えなくても自分の力で理解するだろう。
レイシン:
「『強いだけの人間は、鈍感で弱い。』」
さつき嬢は、はっ、と顔を上げる。ジンの言葉なのに気が付いたのだろう。続きを期待する瞳に思わず(可愛いなぁ)とのんびりしたことを思う。
レイシン:
「ただ強いと弱い人の気持ちが理解できないから、バカになってしまう。それは弱さだよね。怖いもの知らずの人は、慎重さに欠けるから危険を察知できないし、何度も同じミスをしてしまう。孤独を知らない人は、仲間との絆を大切に思わないから連携も巧く行かない」
さつき:
「では、弱いままでもいいのでしょうか?」
レイシン:
「弱さはそのままではただの弱さでしかないから、磨いて使えるように整えないといけないんだよね」
さつき嬢は頷いた。1度、2度と頷き、言葉をゆっくりと胸に落とすようにする。
多くの強さは弱さの裏返しである。弱さと共に強くなっていくのだ。最初から人は弱さと共にある。同時に強さも共にあるのだろう。
レイシン:
「料理でも同じだと思うよ。味の濃いものばかり、火も強火だけ、なんてのじゃ美味しい料理は作れないよ。いろいろな食材があって、調理を工夫しなきゃね」
さつき:
「強い技や速い技だけで戦わないのと同じなのですね……」
スピードがあって、反射神経も良かったために、さつき嬢は自分の強さを狭めているところがあった。これらが通用しなかったため、ジンに封じ込められてしまったのだ。
レイシン:
「美味しいものを組み合わせるとき、やり過ぎると辛すぎたり、しょっぱくなったり、甘すぎたりするんだよね」
さつき:
「えっ?…………はい」
もう大丈夫だろうと思ったレイシンだったが、残り半分を付け加えることにする。彼女は弱さまでも強さにしようとしている。それでは強くなろうとしていたであろう、これまでと変わらなくなってしまう。
レイシン:
「素材の味を活かした薄味が美味しい場合も多いよ。味の濃い調味料は邪魔になることもあるし」
さつき:
「それは、強くなり過ぎるなということでしょうか?」
レイシン:
「料理なら、『美味しいかったらそれでいい』んだよ」
さつき:
「勝てばそれでいい、でも勝利するには強くなければ……」
少し混乱したらしい彼女に、言い過ぎたか?と頭をかく。どうフォローしたものだろう。こちらの意図は果たして伝わるのだろうか。
さつき:
「いえ、相手が弱ければ、強くなくても勝てますね。でも、そのおっしゃり様では、弱いままでも勝てということになるのでは?」
レイシン:
「弱いままで勝ったらダメなのかな?」
さつき:
「それは強いということじゃ…………あっ」
ジンが壊した『小さな器』を取り除いてしまう。彼女はこれからもっと大きな器を自分の力で作って行かなければならないのだ。自分もその手伝いが出来たのかもしれない。それは嬉しいことだった。
さつき:
「なるほど、強いから勝つのであれば、『味が濃いものだけが美味しい』ということになってしまうのですね? ええっと、味が濃すぎれば美味しくなくなる。つまり、強さは弱さにもなる……」
レイシン:
「わかったみたいだね?」
さつき:
「いえ、まだ全然です。強さが弱さになるとしたら、今度はどうすれば……?」
レイシン:
「美味しければいいんだよ」
打てば響くように理解を示し、パッと笑顔になった。真面目一本な印象が強いけれど、笑うと年齢に似合うあどけなさが残っている。作り笑いをあまりしない子だからだろう、見ているだけで気分のいい笑顔だった。
さつき:
「でしたら美味しければ笑顔になります。笑顔が答えですね」
レイシン:
「それはいい答えだね」
さつき:
「勉強になりました」
すっと一歩下がり、一礼する。非の打ち所もない礼儀正しさだった。
◆
淀川に通された、旧時代の遺産でしかありえない大きさの橋に差し掛かる。ところどころ朽ちて崩れているため、馬車や荷車が通るのは難しいのだが、〈冒険者〉が川を越える目的に利用するのならばこれで十分だった。
葉月と同じ組にいるシュウトは何気なく東の方を見ていた。川の周りは視界が良く利く。この向こうに〈スザクモンの鬼祭り〉による大軍団がいるハズなのだ。しかし、スケールが小さくなった世界といえども、そう遠くまで見通すことは出来ない。行きに淀川を渡った時に比べ、その川幅は2倍か3倍ほどもあった。これは回り道をして河口側へやって来ているためなのだろう。
密集したゾーンは抜けたようだが、この先もモンスターの数は減らないどころか、増えていくらしい。霜村達はかなり先行しているのだが、村人を連れている分、その速度は遅い。合流は西宮付近になりそうだと葉月は全員に伝えていた。
西宮といえば、ジンの話していたナントカいう物語の舞台のはずだ。なんとなく(……幸運だといいな)と言ったジンの台詞が脳内で再生される。海の見える丘の上からの景色。それらは、そんなに日にちは経っていないのだが、けっこう昔のことに感じられてしまう。
橋の上にはモンスターの影はみえず、ジンはすこし下がった位置で石丸と話をしていた。
シュウト:
「2人で何の話ですか?」
ジン:
「いや、これからの展開についてだな」
シュウト:
「これからですか、どうするつもりなんですか?」
石丸:
「どちらにしても、レイシンさん達と合流するまではこのままっスね。そのまま村人の護衛をするつもりなら港町コウベまで……」
ジン:
「金を払う気があるなら、元々の依頼通りにナカスまで護衛ってことになるかもな」
シュウト:
「それなら、高確率でコウベまでですね(苦笑)」
もうお金を払うつもりなんてないだろう。ナカスまで移動するという話も聞いたが、ジンから『あの話』を聞かされたことによる影響だ。気持ちは分かる気がする。ミナミの周辺で中途半端に活動するよりも、ナカスに拠点を持ちたいのだろう。
シュウト:
「その、葉月さん達がナカスに行ったとして、それからどうなると思いますか?」
ジン:
「…………そりゃお前、|〈Plant hwyaden〉《プラント・フロウデン》に蹂躙されるだろうな」
誰も話さなかったので、ジンが続きを口にする。
ジン:
「痛めつけられて始めて人間は動き出す。 まぁ、殴る前に「殴られそうだったから」ってんで殴り返しちまうほど早漏なのも困った話だろうし、しょうがない部分はあるんだけどさ。それにナカスの連中だって、ミナミに攻撃される前から殺気立つほどバカじゃないだろうよ」
そうなると、ミナミに対抗するにはミナミに攻撃されなければならないことになる。
シュウト:
「もうちょっと何とかならないんでしょうか?」
ジン:
「もちつけ。俺の話に影響されすぎだろ。合ってるかどうか分かんないんだからさぁ。……単に、通商条約を結ぶだけかもしれないだろ? ナカス側にアキバの〈円卓会議〉みたいな代表者が出てこない場合、ナカス自身が長いものに巻かれる可能性だってあるんだし」
石丸:
「対抗策としては、ナカスに自治を確立し、先にアキバと同盟を組むなどが考えられるっスが……」
ジン:
「まぁ、そっちはそっちで『自治を確立するためのピンチ』が必要になるかもな」
途方も無い話だった。ナカスに出向いたことすらない自分達がここで考えていることは不毛でしかないのだとシュウトにも分かってくる。たぶん、自分が納得したいがために抵抗しているのだろう。ジンを悪役にして論破されることで諦めたいのだ。
シュウト:
「ならば、いっそ、ミナミが世界を陥れようとしていると教えてしまえば……」
ジン:
「色眼鏡で相手を見るように誘導しろって? ……だからさぁ、その手のフィルターで相手を差別するのは慎重にやらなきゃならないんだよ。勘違いじゃ許されないんだぞ?」
石丸:
「ナカスが取り込まれるのは、別に悪いことじゃないかもしれないっス」
シュウト:
「石丸さん? それって……」
石丸:
「ミナミとナカスの2つの〈Plant hwyaden〉になれば、自然と分裂しやすくなるはずっス。中心部から距離が遠ければ、意思の伝達も維持するコストも大きくなっていくのが自然っス」
ジン:
「たしかにそうだな。ナカスの街を焼き払って、ミナミへ移住させるように促がしたりしない限り、そう悪いことばかりじゃないのかもしれない。もっと言えば……」
そこでジンは言葉を止めた。
もっと言えば、アキバがミナミに取り込まれるのも、そう悪い話ではないのかもしれない。それは内部から〈Plant hwyaden〉を変える力になるかもしれない。そんな内容だろうとシュウトにも予想が付いた。
橋の上は少し風が強く、夏場には心地好かった。橋を渡りきろうという時、シュウトは風にのって響く、女性の笑い声を聞いた気がした。
◆
銀髪の女:
「なによ、コレ? めっちゃくちゃじゃない……」
高台から見下ろす景色は、モンスターの群れで満たされていた。好奇心の疼きに満ちた瞳はゾクゾクとしているのが明らかで、その光景を飽きることなく眺め続けていた。傍らに佇む愛馬の首の下から手を回し、その顔をいやらしい手つきで撫でる。その白馬は微動だにしない。否、馬ではない、角が突き出している。一角獣であった。プラスチックをはめ込んだような、つるんとした瞳には青い光が灯っている。
25mほど離れた距離には、モンスターがいる。しかし、どうしても近づけないらしい。銀髪の女とその相棒を中心とした直径50mの範囲だけが、モンスターの居ない空白地帯だった。この高台は、モンスターで埋め尽くされていたのだ。
銀髪の女:
「何か用?」
白く尖った顎が僅かに上がる。それは彼女が電話する時のクセらしい。念話でもなんとなくその姿勢になってしまうのだろう。青いカチューシャに付属しているリボンが揺れた。
謎の念話相手:
『ご挨拶だねぇ、君のために僕も働いているのを忘れないで貰いたいな』
銀髪の女:
「また、別人?あんた達って本当に謎ね?」
謎の念話相手:
『フフフ。君がご執心の“彼”だけど、ミナミへの介入を狙っていたのが失敗したみたいだよ。いや、介入する前に潰された形かな』
銀髪の女:
「フン、それでこんなになるわけないじゃない。運命だとでも言いたいワケ?」
謎の念話相手:
『この地域では、それを「天の配剤」と言うね』
銀髪の女:
「God's dispensation……」
謎の念話相手:
『これで、東と西、2人の付与術師が対決することになるだろう』
銀髪の女:
「そうよね!とっても興味深いわ!でしょう? よりにもよって〈付与術師〉が2人だなんて。さすが日本、面白いわ。面白過ぎるじゃない! フフフ、アハハ、アハハハハハハ!!」
彼女の笑い声は綺麗に響き、風にのってどこまでも、どこまでも運ばれていくのであった。