EX さつきの運命
33話「泥にまみれて」の別視点+続編になります。
さつき嬢
「いいえ! 戦っていただくまでは、ここを動くわけにはいきません」
梃子でも動くまいと身構える。目に本気であるという意思を込めて睨みつけるようにした。
ジン:
「はぁ、強情だねぇ。なんかワケがあるとかなら、一応は聞いてやっけど?」
呆れた様子のジンがどうしたものか?という風の思案顔で尋ねてくる。
さつき:
「いえ、その…………
さつき:
(理由……? 理由ってなんだろう? 単に戦いたかった。何故、戦いたいのだろう……)
ジンとの戦いを熱望していたさつきだったが、言われたように明日でも別段構わないはずだった。それが『今日でなければいけない』という不思議な強迫観念に支配されており、しかもそのことに本人は気付かずにいる。原因はユフィリアにあった。昨晩彼女たちと共に過ごしていたことで、どことなく卑怯なことをしているという罪の意識が炙りだされていた。
実際のところジンとユフィリアは付き合っている訳ではない。そのことをさつきは知らなかったのだが、別段、誤解をしていたという訳でもない。自分は二人の間に割り込もうとしているのだろうと素直に理解していた。だから急がなくてはならない。
さつき嬢:
「…………衛兵と戦えるようになりたいのです」
ジン:
「衛兵、か……」
思いつきの発言だったが、割と悪くない理由だった気がしてくる。ジンだけでなく、その近くに立っていたシュウトの顔色までもが変わっていた。
さつきとしては、衛兵と戦うことなどはあまり考えてこなかった。システム的に〈冒険者〉よりも強く『設定』されているのだがら、戦う対象などではない。濡羽が衛兵達を味方につけたのは巧い手だったと思っているが、やはり戦える相手ではない。
ジン:
「仮に戦える実力があったとして、衛兵は倒しちまうとそのまま死ぬぞ?〈大地人〉だから復活しないハズだし、蘇生の魔法もたぶん効かないぞ?」
さつき:
「分かっています」
ジン:
「それでも、……『人を殺して』でも戦うってのか?」
さつき:
「それが、私に求められている役割ならば。 味方を守る武器として在るのみです」
人殺しだのと言われて引きそうになるのだが、ここが勝負処なのも間違いない。勢いで乗り切ってしまい、ジンと戦えればそれでいい。半ば自棄になりながら言葉に力を込めた。
この時のさつきに人殺しの覚悟はないし、殺そうとも戦おうとも思っていなかった。むしろ、〈大地人〉が人間と同じ存在であるということすら確信が持てていない。〈大地人〉と接触する機会がそれほど多かったわけでもないし、人目に触れないようにミナミの周辺に潜伏している現在では、尚のこと〈大地人〉と知り合って言葉を交わす機会などには恵まれようもない。
睦実:
「つーかさ、あたしらだってヤバいんだもん。衛兵の人達が死んじゃったら、そりゃ可哀想かもしれないけど、あたし達だって神殿のブラックリストに登録されてたら消滅しちゃうんだから、こーいうのってオアイコでしょ? 殺したって文句なんか言われたくないよね」
睦実からの援護射撃だ。それをこんなにありがたいと思ったことはない。勇気付けられていた。
ジン:
「…………フム、本気なのは分かったけどさ」
さつき:
「では……!」
ぽつりと呟いたジンの言葉に歓喜が沸き起こる。
さつきは年上の男性とこのような交渉をしたことが無い。それが別の高揚を彼女にもたらしていた。年上と言えば、霜村や戦闘班の仲間もそうなのだが、ゲームでの交渉というと彼女としてはもう少し力任せなものだった。この時は『感覚的に別!』という気分である。
ジン:
「だからって俺が全力を出す理由にはならないんだけど」
睦実:
「ちょっとぉ、けち臭いこといってんじゃねーわよ!?」
さつき:
「睦実、止めてくれ。 どうしたら、全力をみせて頂けるのですか?」
ここはとても、とても大事な処だった。
睦実のチャチャ入れに肝を冷やしていた。もう一息だろうと固唾を呑むように問いかけたのだが、予想していない答えが返って来てしまう。
ジン:
「んーと、そうだなぁ。ハダカ踊りでもしてみる? そんじゃなきゃ裸エプロンで1日ご奉仕とか、いや、今晩あたり夜伽にくる方がいいなぁ。まぁ、そんな場所はないから外ですることになっちまうんだけども」
さつき:
「えっ…………?」
頭が真っ白になった。
睦実:
「ふっっっざけんな!!!」
怒鳴り散らして、掴みかかろうとする睦実の声が遠くに聞こえる。危険を察知したシュウトが素早く睦実を背後から取り押さえている。それでも足をジタバタと動かし、もがいて抵抗していた。
ジン:
「おまえらさぁ、勘違いもいい加減にしてくんないかなぁ」
動きが止まる。肉体か精神か、もしくはその両方だったろうか、動きが止まった。
ジン:
「人の本気が見たいんだったら、それだけの覚悟をみせろよ。何でもかんでも要求すれば手に入るってか? 言うだけならタダだって? 言ったモン勝ちかよ」
厚かましいお願いだったろうか。失礼なことを言ってしまっていたのかもしれない。
ジン:
「 …………男の本気はそんなに安っぽいもんじゃないって、わっかんないかなぁ!」
遂に声を荒げたジン。
(嫌われてしまった……)という嫌な気持ちが何度も心の中でリフレインする。好き・嫌いよりも遥か以前で『人間的に失格』というような烙印をおされた気になってしまう。
シュウト:
「でも、ちょっと要求が酷じゃありませんか?」
ジン:
「ユフィリアのヤツはキスしろっつったらキスしたけどな」
睦実:
「かわいそう……」
決定的だった。何の覚悟もない自分との差を思い知らされる。
睦実は強要されたと思ったのだろう。しかし、それは違うはずなのだ。その場所は覚悟なしに立つことは出来ないのだろう。ユフィリアに対して尊敬の念すら抱いてしまう。ああいう子は遥かな天空を軽々と跳び越えて、その先の未来へと飛んで行ってしまうのだろう。自分は地上からそれを見ているしかないのかもしれない。
自己否定の渦に呑まれ、さつきの判断は怪しくなって来ていた。ユフィリアを過大に持ち上げ、自分のことは貶めて考えることで打ちのめされていた。さつき自身もかなり才能には恵まれているのだが、恋愛的な要素が混じると途端に自信が持てなくなってしまう。無粋な剣道女というのが本人の自己イメージだった。
シュウト:
「もしも、なんですが、ジンさんが衛兵と戦わなければならなくなったとしたら、どうするんですか?」
会話はまだ続いていたようで、シュウトがリードしていた。それを半ば無関係のような顔で聞いていた。否、耳に入っていただけなのだが、妙に意味が分かってしまうため、失意の内にあっても呆然とはさせて貰えなかった。
ジン:
「…………戦わないだろうな。そんなことをするのは無意味だ」
睦実:
「なんなのよ!アンタは……」
睦実の苛立ちも分かる。自分達の存在を無意味といわれた気がしてならない。
ジン:
「最後まで聞けって…………衛兵達の着ている鎧、ムーバルアーマーは都市魔法陣から力を得ている。ならば、『都市魔法陣を破壊』してしまえばいい。そうなれば、もう脅威じゃなくなるハズだろ?」
睦実:
「そっ、か……」
別の方向からのアプローチもあったのだと驚いてしまう。自分は戦士だから、戦うことだけを考えて専門化するべきだと思っていた。だが、この人はそうではないのだ。蒙が啓かれた思いだった。
ジン:
「ま、その魔法陣がどんな形をして、どこにあるのかなんて知らないんだけどな」
シュウト:
「でも、その作戦なら犠牲者を出さずに済みますよね?」
ジン:
「いや、そう簡単にいくとは限らんし、別の形でも犠牲者は出るかもしれない。だから、なるべくなら最終的な手段であって欲しいとは思っているんだよ」
さつき:
「別の犠牲というのは?」
ジン:
「魔法陣を壊した後で直せればいいけど、壊れっぱなしかもしれないだろ? そうなれば衛兵が機能しなくなることで、治安が悪化することになるだろう。その結果、例えば女の子が夜に1人で歩くのは難しくなるかもしれない」
さつき:
(そんな先のことまで……)
目の前のことしか、否、それすらも見えていない自分との差を痛感する。
シュウト:
「となると、都市魔法陣の破壊は『ミナミの街そのもの』を破壊してしまうことに成りかねないですね」
ジン:
「まぁ、昔から街に人が住んでるんじゃなくて、人の住んでいる場所が街だっていうけどなぁ。そういうのも含めて、取り戻したい『ミナミ』ってのはどんなものなのか?みたいな問題は出てくるかもしれないわけだ」
気付くとジンと戦う理由が無くなってしまっていた。必死に頭を動かしてみるのだが、何も出てきやしない。普段から考え慣れしていないのが災いしていた。戦い以外のことはからきしだった。
睦実:
「ホント、むっかつくヤツだよねぇ~」
さつき:
「うん…………」
睦実:
「……だけど、あたしよりずっと考えてんだよね。あたしより真剣なのかも?って思っちゃったよ」
さつき:
「本当に、そうかもしれないな」
その後も睦実は色々と話かけてくれていたのだが、さっぱり聞こえてこなかった。ゆっくりと歩いていたのだが、そうして曖昧な相槌だけを繰り返している間にテントの近くまで戻って来てしまっていた。
睦実:
「でさ、あたしにジンって呼んで欲しいのか?って言ったら、さっちんに『ジン殿』って呼んで欲しいんだって。ホントばっかだよねぇ~」
さつき:
「ジン、殿…………?」
幾つもの細かな電撃がさつきの脳を、体を駆け巡る。強迫観念がぶり返し、いてもたってもいられなくなっていた。
睦実:
「どうしたの?さっちん」
さつき:
「うん…………どうやら盾を忘れて来たみたいだ。普段使わないからかな?ちょっと取ってくる」
睦実:
「一緒に行こうか?」
さつき:
「いや、一人で大丈夫だから」
始めはゆっくりと歩いていたのだが、睦実が見えなくなるぐらいから段々と早歩きになり、次第に駆け足になっていた。そのまま朝錬の場所に向かうのだが、やはりというべきか、そこには誰もいない。
さつき:
(どうしよう、テントの前まで行ってみようか?)
一時的に盛り上がった気分も、こうなるとダメだったな、としぼんでゆく。彼らのテントを訪れて、ジンを呼び出せるとは思えなかった。そこまで大胆にはなれない。
それでも彼らのテントの方に向かって歩いて行った。一目、テントを見たからと何かが変わるわけでもないのは分かっていたのだが、そうせずにはいられない。未練を転がし、その甘くて鈍い痛みに酔っていられるのも、あと僅かだった。
ジン:
「よう、もしかして俺に何か用とか?」
足元を見ながら歩いていたので、びっくりして顔を上げる。立っていたのは、あの人だった。
さつき:
「あの、そ、その……」
ジン:
「ふむ、裸踊りでもする気になったとか?」
ニヤニヤと笑いながら、無理な要求を言ってくる。そうだった、この人はそんなことは望んではいないのだ。
――それでもさつきは問いかける。
さつき:
「ハダカになったら、本気を出していただけるのですか?」
ジン:
「…………ハダカの女の子相手に出す本気ってのは、アレな方だけどな。せっかくハダカになってるのに、わざわざ服と鎧を着せて、それから戦えって?」
渋い顔を作るジン。たしかに滑稽なシチュエーションには違いない。さつきは手の内を惜しみなくさらけ出すことに決める。
ジン:
「悪いが、タダで見せるわけにゃいかないね。それ相応の『対価』が必要でござる」
さつき:
「……………………す」
ジン:
「ん? なんだって?」
さつき:
「……呼びます」
ジン:
「呼ぶ? 何を?」
さつき:
「貴方を、これから先ずっと、…………ジン殿と、呼びます」
ジン:
「は?」
ぽかんとした表情になるジンだったが、次第にその顔が歪み、喜色を浮かべてゆく。地の底から響いてくるような笑い声と、プレッシャーに襲われる。
ジン:
「悪くないぜ。ちょっとやる気が出てきた」
さつき:
「では?」
ジン:
「しかし、ちゃんとして貰わないとな。俺以外を『殿』付けで呼ぶんじゃないぞ。この世界で俺だけに使うこと」
さつき:
「はい」(誰にも言ったことは無いのだから、問題ない)
ジン:
「俺と話す時だけでもダメだ。他人と話す時や文章、心の中、独り言、フィクションだろうとナレーションだろうと、全てでジン殿と呼ぶんだ。約束できるか?」
さつき:
「大丈夫です」(そのぐらい、なんでもない)
ジン:
「期間は現実世界に帰還するまででいい。現実世界への帰還に尽力すること。大丈夫か?」
さつき:
「はい。勿論です」(現実世界に戻っても……)
ジン:
「実際、これは呪いに近い。お前に愛する人が出来たとしても、俺のことを考えたり、思い出したら直ちにジン殿と呼ばなければならない。それは魂に食い込むかもしれない。人生が歪むかもしれない。それでも、構わないな?」
さつき:
「構いません」(望むところです)
さつき:
(結ばれることは無いだろう。それでも構わない)
さつき:
(だって貴方が、私の運命、だと思うから…………!)
◆
武器を構えてジンと対峙する。熱いような寒いような感覚だった。緊張と興奮とで心臓は早鐘を打っている。耳元の血流がうるさい。早く始めてしまいたかった。
ジン:
「始める前に、残念なお知らせだ」
さつき:
「なんでしょうか?」
ジン:
「ある意味において、俺に限界はない。だから全力と言っても、現段階で見せられるものに限られる。一部分はお前さんの能力次第ということでもある」
さつき:
「はい。それは、構いません」
意味は分かりにくいが、成長途中とかそういうことを言っているのだろう。
ジン:
「それから、俺が全力を出すと、それを見ることが出来なくなっちまう。だから、手加減する必要がある」
さつき:
「それは、約束と違います」
ジン:
「直ぐに意味が分かるさ。そっちこそ、最初から全力でやれよ? 俺の限界を引き上げるためにもな」
少し、カチンと来た。
刻みつける。実力で、無理矢理に、力づくで、私の存在を刻み付ける。
――そう、思っていた。
いつ、始まったのかも分からなかった。
たしかに「行くぞ」とジン殿は声を掛けたはずだった。しかし、まったく見えなかった。初撃で総HPの半分近いダメージを受けている。
その後も何も出来なかった。させて貰えなかった。
あっという間にたたみ込まれ、後は分かりやすく手加減される。全力を出せば出すほど、手加減しなければならなくなるのだ。そうしなければ自分はすぐに死んでしまうのだった。
一人ではまるで相手にならない。剣を振り下ろすよりも速く前蹴りで簡単に吹っ飛ばされ、何度も地面を転がった。これで何度目なのかも分からない。直ぐに立ち上がろうとするのだが、体が動くことを拒否していた。実力差があり過ぎてどうしようもない。
ジン:
「どーした? もう終わりか? さっさと立てって」
立ち上がるまで何度も何度も蹴られて転がった。それはダメージが小さいからだった。剣で攻撃されるのにはもうHPが足りない。蹴られて転がりながら、次第に朝錬の場所から離れた場所に移動して行った。
モタモタと立ち上がろうとしないさつき嬢を前に、ジンは困っていた。このままだと単に負け癖をつけて終わりになってしまう。心が折れていようと、ここで下手に終わらせる訳には行かない。立ち上がって反撃するようになるまで何度でも痛めつけなければならなかった。こうなっては、泣こうが喚こうが許されないのだと分かるまで続け、反撃するしかないと体に覚えさせなければならない。
ジン:
「HPが1点でも残ってれば普通に体は動くだろ、さっさと立て!」
さつき:
「しかし、……もう」
ジン:
「甘ったれんな! 〈守護戦士〉は最後の最後まで立って、仲間を守るためにいるんだよ!」
さつき:
「もう……動けません」
ジン:
「ふざけんな、戦いたいって言ったのはお前の方だろうが! お前が立たなきゃ、お前の仲間は死ぬんだぞ!」
さつき:
「もう、ゆるし…………」
怒鳴り散らされ、蹴られ続けた結果、涙を流し始めるさつき嬢であった。
ジン:
「イジケてんじゃねぇ!さっさとかかって来い!泣いたってダメだ!絶対に終わらないぞ!」
修行というよりも虐待に近くなっている。ストレスや負荷を掛けて人間の精神を壊す方法はいくつもあるが、素人感覚でそれらを真似る危険はジンも十分に理解していた。ギリギリのところに来ている。しかし、ここで終われば、彼女の〈守護戦士〉としての能力は失われてしまいかねない。酷いトラウマで戦うことを拒否するようになってはダメなのだ。また、自分より遥かに強い相手と戦う時に動けなくなるようでも困る。
なぜならば、彼女は『女性』だからだ。
ジン:
「仲間を見捨てんのか? 敵に殺されるのを泣きながら見てるつもりか!?」
さつき:
「う、うわぁぁぁ!!」
気力を振り絞って攻撃してきたさつき嬢を、ジンは軽く剣で捌く。そのままの勢いで地面に倒れこむさつき嬢。
ジン:
「もう終わりか?ダメだな、そんなんじゃ。睦実やナガトモが敵の男共にレイプされるのを泣きながら見てればいいよ。お前は本心じゃそれを望んでいるんだろうさ」
さつき:
「あああああああ!!!」
理性の糸が切れたのか、激しくジンに襲い掛かってゆく。何度か転ばされたが、それでも構わず襲い掛かる。その姿は、まるで狂戦士だった。
ジン:
「もういい、よくやった、お前の勝ちだ!…………って、全然聞こえてないのかよ!?」
攻撃を捌くこと自体は容易い。理性が飛んで暴走しているさつき嬢の動きは単調だった。問題は話が通じないことで止める方法がないことである。殺してしまうのは簡単だったが、それは最後の手段にしたい。攻撃するなどして目を覚まさせたいが、どうにもHPを減らし過ぎている。
ジン:
「こら!目を覚ませ!…………まっじぃな、どうする?」
攻撃は苛烈さを増すばかり。対策を考えようにも、防御に専念しなければならない状況ではあまりにも慌ただしい。
ジン:
「ちょい休憩っ〈キャッスル・オブ・ストーン〉!」
10秒の休憩中に対策を考えようとしていたその時だった。
さつき:
「……〈レイジング・エスカレイド〉」
ジン:
「なっ!?……くっ、そういうことか!」
〈レイジング・エスカレイド〉の連続攻撃が次々と弾かれていく。絶対的な防御力を誇る〈キャッスル〉の前に、それらの連続攻撃は無力だった。ブレイジング・フレイムも防ぎ切り、最後のパラダイス・ロストのモーションが始まる。
7秒・8秒……
さつき嬢の狙いは、最後のパラダイス・ロストを〈キャッスル・オブ・ストーン〉終了直後に命中させることにある。これは考えるよりも遥かに難しいことだった。当然、早すぎれば〈キャッスル・オブ・ストーン〉によって防がれてしまう。遅すぎれば今度はジンに防がれてしまう。ジンは0.1秒あれば十分に〈竜破斬〉で相殺することが可能だった。時間的な猶予は0.1秒未満。そのタイミングにきっちり当ててくるのは至難の業だろう。
ショートか、ロングか……
本当にギリギリのタイミングだった。――パラダイス・ロストの光エネルギーが極大化する。技が発動するまで残り1秒を切り……
さつき
「Paradise Lost!」
瞬間、ジンの体にコントロールが戻る。が、しかし……
ジン:
「ぐわっ……!」
間に合わなかった。
直後、ダミーボムの小爆発が三回続き、続けて鎧に刻まれた刀傷が白熱してゆく。大爆発。吹き飛ばされるジン。……至近距離での爆発に鼓膜が破れそうになるのだが、この技には元々その効果はないらしく、耳は無事で済んでいた。
結果、完璧なタイミングであった。
たとえ0.1秒以下であっても、それがただの物理攻撃であったのならば、ジンは剣や盾で防ぐことが出来たのだ。問題はパラダイス・ロストが魔法攻撃に近い性質を持っている点にある。故に〈竜破斬〉を発動、及びブーストさせて相殺する必要があった。
この〈レイジング・エスカレイド〉でパラダイス・ロストだけを当てるという方法は、技を単体で使用することでその元ダメージを測定する時に使われるやり方であった。〈レイジング・エスカレイド〉を多段ヒットさせると『連続技補正』によってダメージが減少してしまうため、パラダイス・ロストの元ダメージが分からなくなるためだ。
ジンの防御力は異常に感じるレベルにあるとは言っても、命中した技のダメージを減少させる方法はどうしても限られてしまう。今回は瞬間的にレベルを高め、そのレベル差による補正を使うしかない。辛うじてダメージは4000点を下回らせ、残りHPは7000点強という状態にある。
ジン:
「やっべぇ、面白くなって来やがった」
特技を狙って使用できるのだから、理性はなくても意識はあるのだろう。とりあえず、MP切れを狙うことにするとして、今の戦闘ペースでMPが切れるまでの時間は概算で約20分。攻撃機会が1秒毎に(たったの)1回だったと仮定しても、20分×60回=1200回。1撃辺りの許容ダメージは6点以下。両手剣使いのさつき嬢を相手には不可能な数字だ。20分の間、1200回の攻撃の大半を躱し続けなければならない。合理的な判断をするならば、念話で仲間なりを呼べばいい。しかし、その判断をジンは笑って踏み躙る。……このチャレンジは面白すぎた。
〈フローティング・スタンス〉を起動、同時にムーンウォークを開始する。上位戦闘モード『荒神』も発動した。楽しい楽しいダンスの始まりである。相手の攻撃範囲内で回避し続けるのだ。正直、剣や盾の耐久値も心許なくなって来ている。バランスよくリソースを運用しなければならない。幾分かはダメージを覚悟し、鎧で受けたりしなければならないのだろう。
フェイス・ガードを下ろしたジンの口元には笑いが張り付いて離れなかった。
細い細い光の筋を追いかけていた。呼吸は荒く、周囲には血と鉄の臭いばかりする。何度も突っ伏し、弾かれ、転がりながらも、その細い雷のような光を追いかけて行った。もうどれくらいそうしているのだろう。1度、その光に手が届いたように思った。すると手応えが返ってきた。それが何なのかを知ろうと、また光を追いかけてゆく。それはいつまでもいつまでも続いた。
段々と鋭くなっていくさつき嬢の攻撃にプレッシャーを感じながらも、ジンは丁寧に作業を続けていた。偶然か、危険な間合いにまで踏み込まれての一撃をなんとか盾で受け止め、技後硬直の間に距離を取っていく。
細い光の筋を追いかけながら、さつきは昔のことを思い出していた。正確には過去のことを現在のことだと混同していた。剣道八段範士の祖父に様々なことを教わっていた。厳しかったが、大好きだったおじいちゃん。しかし、稽古の時は大先生と呼ぶように躾けられていた。甘えたかったのだが、いつも彼女にとっては『大先生』だった。
始めて剣道で賞を貰ったときに頭を撫でてもらったのが切っ掛けだった。もっとがんばって誉めて貰いたかった。でも、頭を撫でてくれたのはその時が最後だった。
そろそろ20分が経過する。軽く1000合を超える剣撃をジンは捌いていたのだが、しかし、勢いが衰えるどころか切れが増していくばかり。いい攻撃を3~4発貰い始めていた。残りHPもだが、そろそろ剣や盾の状態が不味い。自動修復が追いつかない速度で削り取られている。
高校3年の秋だった。「風邪をひいた」というと珍しく朝稽古も休んで1週間ほど布団で寝ていたと思ったら、そのまま帰らぬ人となってしまっていた。あまりにもあっけない終わりだった。特別な言葉などは何も残してくれなかった。最後の言葉も覚えていない。それほど唐突な最期だった。
さつき:
「おじいちゃんが死んだ! 死んじゃった!!」
ジン:
「知るか、バカ野郎っ」
燃え尽きる前のろうそくの炎か、恐るべき猛攻が繰り出される。レベル差も越えた真なる斬撃が連発される。辛うじて受け、避けしていたのだが、ジンであっても何発か貰ってしまう。攻撃なしでは捌き切れるものではない。残りHPの確認に反射的に目が動いた瞬間にさつき嬢から繰り出された技は、トドメの一撃だった。……が、そのタイミングで彼女のMPが切れ、不発に終わった。ジンの右腕では〈竜破斬〉の青いエフェクトが発動している。
ジン:
「ふざけんな!俺は、お前のジジイじゃねぇ!!」
残しておいたHPの分を削り切る勢いで蹴りをぶちかます。楽々と吹っ飛んでいくさつき嬢。ジンはそのまま背後にあった木にもたれ掛かっていた。同時に〈竜破斬〉の攻撃エネルギーを振り払って散らしてしまう。危ないところであった。
ジン:
「くっそ、ちょっとは俺のこと好きかなぁ~なんて思ってたけど、結局、ジジイの代わりだってのかよ……」
『未完の美』というものがある。
ミロのヴィーナスに代表される、不完全さの持つ不思議な魅力のことだ。ヴィーナスは両腕を失ったことで、あらゆる可能性を逆に獲得することになった。
さつきの祖父は孫娘を完成させてしまうことを恐れたのだった。剣道の修行段階に「守・破・離」があるように、孫娘を完成させ、一個の別の存在となってしまうことを恐れた。祖父は孫娘を愛していたため、完成してしまうことによって孫娘に対する興味を失うことを恐れたのだった。そうして彼は、さつき嬢の完成を待たずして逝くことを選んでいた。彼女の完成を他者へと委ねることにしたのだろう。言ってしまえば酷い責任放棄なのだが、その役割がたまたまジンのところに廻って来ていた、というのが大まかな意味で事の真相である。
これがさつきの運命であった。
ある種の人間は完成しうる。しかしそれで終わりとはならない。完成した人間は、今度はその完成度をまるで密度を高めるように高め続けることになる。努力の無限階段にようやく足を踏み入れたに過ぎず、これからが真の始まりと言って良かった。
無意識に蓄積されたジンを相手に得た1000合を越える打撃経験は彼女の宝になるだろう。自覚的に引き出せるかどうかは今後の彼女の努力次第だと言えるが、何発かはフリーライドの領域をも超えて、その先の世界に到達していたように思われる。
さつきは幼い頃の記憶を見ていた。どこかで見たことがあるような、小さな女の子の記憶。一生懸命に自分を守ろうとしてくれている。
さつき:
(ああ、この子って誰だったかな……?)
とても、とても大事なことを忘れていたような気がする。
睦実:
「さっちん…………? だい、じょぶ?」
おぼろげな過去の記憶から引き戻される。目の前には現実の睦実が心配そうに覗き込んでいた。
さつき:
「むつみ?」
さつき:
(ああ、そうか、そうだったのか……)
そうして、さつきは自分が剣道を始めた最初の理由を思い出していた。
いつもお世話になっております<(_ _)>
いわゆる「さつきエンド」です。おおさめください。
手直しする体力などはごじゃいません。
しばらく死なせてください。<(_ _)>