33 泥にまみれて
さつき:
「んーっ!」
眠気を追い払うように、手足や背中を震わせながら『伸び』をする。すこし心配になってテントの外に出てみるのだが、いつもと変わらない朝の雰囲気に、大して寝過ごしてはいないようだと胸を撫で下ろす。
昨夜は夕食の後、しばらくしてからユフィリアとニキータが合流していた。いつもの様に覗きを警戒しながら温泉に入り、戻ってからは遅くまでオシャベリの華が咲いた。夜更かしをするみんなよりも先に寝てしまったさつきだったが、朝錬に遅刻するかと思って、少し冷や汗をかいてしまった。
いつも元気なユフィリアが少し大人しい。もしかして落ち込んでいるのかと思って心配してしまうのだが、淡々としている彼女の方が、さつきには何倍も魅力的に感じられた。
少々意外だったのは、〈カトレヤ〉に入ってまだ1ヶ月ぐらいと言っていたことだろうか。シュウトの話をせがむ睦実を相手に知っていることを話して聞かせていたが、話の合間に〈カトレヤ〉というギルドがどれほどか大切な場所かが感じられて、羨ましくなってしまう。なんとなく〈ハーティ・ロード〉だって負けていないぞという気持ちでギルド自慢の話になったりしていた。
みんなを起こしてしまうのは申し訳ないので、準備は外ですることにして荷物を魔法のカバンに放り込む。それが終わったところで睦実に声を掛けようとして、隣に寝ていたユフィリアの寝顔にしばらくみとれてしまっていた。
ただ顔が綺麗といったことではありえないその存在感に、剣士としての勘が何かを告げていた。戦いの強さとは別の、何がしかの強さを持っている子なのだろう。どこまで行っても剣士でしかない自分にはそれは良く分からない種類のものだ。
さつき:
(……だから、なのだろうか。あの人の傍に居られるのはこの子だから?)
さつき:
「睦実、ほら、起きるんだ。……今日はシュウト君がまってるぞ?」
睦実:
「うー、んー、う~ん」
ジンに教わった通りの台詞を言うと、睦実は寝たままで歩き始めた。寝間着から着替えるように言ってみたが、あまり言葉が理解できないようなので諦めるしかなかった。
パジャマ姿のまま、枕を抱きかかえてフラフラと歩く睦実の手を引っ張ってやり、ゆっくりと歩いてゆく。朝錬の場所まで辿りついたところで乾いた木の根元にしゃがませてやった。やはりというべきか、睦実は枕を抱きしめたまま寝息を立てていた。しばらくは寝たままでも問題はないだろう。
体をほぐす様にひねったりしておいてから、鎧を着込むことにする。それが終わってもまだ時間があるようなので、毎日の習慣で素振りを始めながら、あの人達を待つことにする。最初はゆっくりと、感触を確かめるように。そして段々と鋭く。
決意を固めるように。
◆
ジン:
「よーし、そっこまで!」
ジンの掛け声で動きを止めるさつき嬢とシュウト。2人の模擬戦はさつき嬢がやや優勢の形で終わっていた。今回、彼女は片手剣に盾を持って戦っている。両手剣ほどの圧力はないが、軽く十人並み以上の実力はあった。今回は仲間達に習ったという盾の戦術を試すのを兼ねてお披露目しようということで、その相手役をシュウトが務めていた。
片手剣の攻撃力が低いために戦いが長引いていただけで、やはり正面からの戦いでは分が悪い。こうなるとアサシネイト頼みになってしまうため、『当たれば勝つ!』といった軸での展開に陥り易い。必殺技をチラ付かせながら小技でダメージを蓄積していくのだが、おかげで余計に防御力の差が大きく感じてしまう。そう言ってもアサシネイトを外してしまったら敗北まで一直線となるわけで、簡単に使えるわけでもない。捨て技にしてでも有利に展開するチャンスに変えたいところだったが、生憎とそんなに生易しい相手ではなかった。
集団戦ならばわりと簡単に当てられるアサシネイトも、このクラスの相手に1対1でやっていてはキッチリと防がれてしまう。しかも、さつき嬢はシュウトの武器の長さを把握するや、目測での見切りを入れてくる。〈武士〉などの防御特技にあるものをプレイヤースキルで補って使ってくるのだから参ってしまう。元々が両手剣使いのため、盾で防ぐよりも武器受けや見切って回避する傾向が強いのだろう。シュウトにしても、武器のリーチに不安を覚える相手というのは中々いない。ジンもそうだがこのクラスのプレイヤーだともうなんでもアリなのだと思うしかなかった。
ジン:
「うん、おもしれー使い方だったな?」
さつき嬢:
「そうなんです。みんな色々考えるもので」
ジン:
「シュウトは気付かないで回避してたみたいだけどな(笑)」
さつき嬢:
「アレは天然のものなのですか?」
ジン:
「うーん、ある種のセンスかな。何か持ってるんじゃないか」
さつき嬢:
「そうですか。羨ましい限りですね」
ジン:
「ああ。まったく」
シュウト:
(この2人は何を言ってるんだろう? また遊ばれているな……)
もしくは、どこまでも図々しくなんでもかんでも欲しがるほど貪欲であるか、だ。
人は持っているものは鈍感に忘れ去り、持っていないものにばかり敏感になる。そんな態度であっても、強くなろうとすることはまるで偉いかのように言い募り、最上の価値へと押し上げようとするのだ。勝利に強欲な人間はしばしば誉められ、憧れの対象のように言われる。これらプラス思考の鈍感な罠とは、他者を敗北させることを肯定し続け、省みることを忘れさせる。
シュウト:
(そうか、そんなことを考えていた時もあったっけな……)
だから、弓を使うようになったのだ。元々は一方的に攻撃する武器として嫌いだったのだ。それも今からすれば自己嫌悪の象徴みたいなものかもしれない。安全な場所に居て好き放題に人を批判する輩が嫌いだった。そんな相手を逆に安全圏から一方的に攻撃する目的であえて使っていたのだ。
ところが使ってみるとこれがなぜか性に合っていたし、独特の難しさがあって使っていて飽きなかった。元いたギルド〈シルバーソード〉のギルドマスター、ウィリアムも弓使いだったため、憧れのようなものがあったのも大きかったと思っている。
しかし、ジンもさつき嬢も安全な場所に隠れてなどいない。体を張って仲間を守る一流の〈守護戦士〉なのだ。自分のバカらしい考えなど、彼らの前では妄言に過ぎないし、今日まで思い出しもしなかったぐらいなのだ。たまたま才能や素質があってどうのこうのと言われたので、少し昔の記憶が刺激されたのだろう。
ジン:
「じゃあ、そろそろ終わりにすっかー」
シュウト:
「そうですね」
さつき嬢:
「…………」
ジン:
「小娘のヤツ、寝っぱなしかよ」
シュウト:
「悪いことしましたかね?」
ジン:
「叩き起こして回復して貰えよ。せめてその位の役には立たせないと」
シュウト:
「寝かせておいてあげてもいいのでは?」
ジン:
「つっても、もういい時間だろ?」
ジンの前に廻り込み、さつき嬢が立ちはだかる。
さつき嬢:
「すみません。私とここで、もう一度……」
ジン:
「ん、戦いたいのか? 別にいいけど、明日じゃダメなのかい?」
さつき嬢:
「そうでは、そうではなく、『全力で』戦って頂きたいのです!」
ジン:
「へ?」
バレたな、と思った。何度も剣を合わせているのだし、なんとなく分かるのかもしれない。
それに本当のところ、ジンはさつき嬢に対する興味を失い始めていると思う。もう全力を出さなくても勝てる範囲に収まりつつあるからだろう。彼女の成長よりもジンの成長の方が速い。〈レイジング・エスカレイド〉に〈パラダイス・ロスト〉という奥の手も見せてしまっていて、どこかしら『怖さが足りない』。それはシュウトも感じていたところなのだ。さつき嬢は確かに強いのだが、何かが足りていないような気がしてしまう。シュウトにはどこかキレイすぎるように感じられるのだった。
ジン:
「えっと、勘弁してください」 ぺこっ
さつき:
「……っ!」
疲れた感じで簡単に頭を下げてしまうジンに、さつき嬢が傷付いた顔をする。
昨晩はユフィリアで、今日はさつき嬢と立て続けに絡まれれば精神的に疲れるのはわからなくもない。それもこれもジンのいい加減さ(?)が招いた結果だと思えば、少しばかり自業自得だと思う気分もあるのだが、それで彼女が割りを食うのでは可哀想な気がする。
さつき嬢:
「なぜです?! 全力で戦わないのは失礼です! 剣士にとって侮辱です!」
ジン:
「いや、でも、俺が勝ってるわけだし。そりゃ、手加減して負けてたら失礼かもしれんけど、別にそうじゃないだろ?」
明らかにジンは困ってしまっていた。一方でさつき嬢は泣きそうだった。
ユフィリアとさつき嬢に自分を重ねると、シュウトには見えてくるものがあった。たぶん、ジンが本気で相手してくれないのがイヤなのだろう。と、底冷えのする死のイメージを思い出して身震いしてしまう。アレをまた味わいたいのか?と言われると、当面はおなかいっぱいとしか思えない。それにしたところで、ジンが全力だったかどうかなんて分かりはしないのだ。
すると、眠っていた睦実の目に光が走る。彼女はさつき嬢を守るためならば、暗黒の世界からだろうと駆けつけるのだ。
睦実:
「くぉらぁぁあ! さっちんイジめんなぁぁああ!!」
ジン:
「ゲッ、めんどくせぇのが起きやがったか!?」
睦実:
「どういうこと? 別に全力で戦うぐらい、いいじゃない。そんなにご大層なもんなワケ?」
ジン:
「実は、全力で戦うと寿命が縮まっちまうんだよ。1分で1年ぐらい」
さつき:
「えっ!?」
睦実:
「嘘こけこの野郎! 厨二病設定で誤魔化すな!」
ジン:
「ぶわぁ~れたか。つーかさ、別に実力なんて隠してないんだよ。ちょっと強がって見せただけっていうか?」
睦実:
「……やっぱそうよね。そうだと思ったんだ。それ以上 強いわけないもんね。んじゃ、帰ろっか?」
シュウト:
「そうですね……」
ニキータを真似た感じのさりげないフォローを入れてみる。我ながら上出来だったと思うのだが、さつき嬢は動こうとしなかった。
さつき嬢
「いいえ! 戦っていただくまでは、ここを動くわけにはいきません」
ジン:
「はぁ、強情だねぇ。なんかワケがあるとかなら、一応は聞いてやっけど?」
さつき嬢:
「いえ、その……………………衛兵と戦えるようになりたいのです」
ジン:
「衛兵、か……」
ここでその話題が来るのか、とシュウトは唸ってしまう。
〈ハーティ・ロード〉の作戦行動はミナミの衛兵達の存在がネックになっている。ミナミ内部での戦いは衛兵に邪魔されるために自由にならない。100レベルの衛兵を倒す手段があるとすれば、同じように100レベルの力を身につけるか、ジンのような特別な能力を会得するしかない。
衛兵が相手では仕方が無いにしても、さつき嬢は戦闘班の隊長なのだ。戦闘班の隊長が味方の足を引っ張っているのだと思えば、そのことが重く圧し掛かっていたとしても不思議はなかった。
ジン:
「仮に戦える実力があったとして、衛兵は倒しちまうとそのまま死ぬぞ?〈大地人〉だから復活しないハズだし、蘇生の魔法もたぶん効かないぞ?」
さつき:
「分かっています」
ジン:
「それでも、……『人を殺して』でも戦うってのか?」
さつき:
「それが、私に求められている役割ならば。 味方を守る武器として在るのみです」
熱に浮かされたような熱い眼差しでジンに訴えるさつき嬢の姿に、少しばかり冗談交じりだったジンの表情が変わる。なんとも言えない表情をしているため、どう思っているのか読み取ることができない。
睦実:
「つーかさ、あたしらだってヤバいんだもん。衛兵の人達が死んじゃったら、そりゃ可哀想かもしれないけど、あたし達だって神殿のブラックリストに登録されてたら消滅しちゃうんだから、こーいうのってオアイコでしょ? 殺したって文句なんか言われたくないよね」
サラッと怖いことを言ってのける睦実にまたもやエグいものを感じるシュウトだった。
確かに、シュウト達とは立場が違うのだ。自分たちの考え方は自分たちが死なないという前提に立っている。それは彼女達からすれば単に甘いだけなのかもしれなかった。
この場合の神殿のブラックリストによる消滅死は、能動的な殺害の感覚が必要とされない。何となく登録しておけば、何かの切っ掛けで死んだ時にいつの間にか消滅することになってしまう。ブラックリストに加えた側の人間は、相手を消滅させたことにまったく気が付かないかもしれないのだ。なんとなく名前を知っていればいたずらの感覚で登録できてしまうし、それで消えても当人の責任と言い切れてしまうようなアッサリしたものだろう。街中での犯罪の取り締まりに利用すれば、衛兵とのコンボが発動して凶悪な威力を発揮することになるだろう。
〈ハーティ・ロード〉でも、ギルドマスターだけは念のためということでナカスへ行かせていた。表面的には責任者が仲間を引率するのが当然の責務だからということになっていたが、側近はギルドマスターの安全を優先して言い包めていた。
また右腕と言われている霜村もまた登録されている危険はあるのだが、本人が気にしていないというので放置されている。これはギルド内部の不安症に歯止めをかけた意味合いが大きかった。霜村が平気そうにしているため、下の人間達が心配だからと自分勝手な行動をとるのを許さないことができた。
ジン:
「…………フム、本気なのは分かったけどさ」
さつき:
「では……!」
ジン:
「だからって俺が全力を出す理由にはならないんだけど」
睦実:
「ちょっとぉ、けち臭いこといってんじゃねーわよ!?」
さつき:
「睦実、止めてくれ。 どうしたら、全力をみせて頂けるのですか?」
ジン:
「んーと、そうだなぁ。ハダカ踊りでもしてみる? そんじゃなきゃ裸エプロンで1日ご奉仕とか、いや、今晩あたり夜伽にくる方がいいなぁ。まぁ、そんな場所はないから外ですることになっちまうんだけども」
さつき:
「えっ…………?」
睦実:
「ふっっっざけんな!!!」
淡々といやらしい要求をするジンに絶句するさつき嬢。一方で睦実は本気で怒り始めていた。掴みかかろうとするのでシュウトが仕方なく後ろから取り押さえるのだが、足をバタつかせて抵抗される。
シュウトにもジンの考えていることが分からない。バカにしているだけのようにしか思えないのだが、実際のところそんな人であるハズがなかった。
ジンは額に手をやり、苦い表情で言葉を吐き捨てた。
ジン:
「おまえらさぁ、勘違いもいい加減にしてくんないかなぁ。人の本気が見たいんだったら、それだけの覚悟をみせろよ。何でもかんでも要求すれば手に入るってか? 言うだけならタダだって? 言ったモン勝ちかよ …………男の本気はそんなに安っぽいもんじゃないって、わっかんないかなぁ!」
心底から面倒臭そうに、最後は怒鳴り声を叩き付けるジン。男性であるシュウトはこの台詞の攻撃対象からは外れているためか、むしろ頼もしさのようなものを感じてしまう。
さつき嬢はともかく、睦実が黙ったことが意外だった。反論だけならいくらでも出来そうなのに、彼女はきちんとその重みを受け取っているように感じられた。
シュウト:
「でも、ちょっと要求が酷じゃありませんか?」
ジン:
「ユフィリアのヤツはキスしろっつったらキスしたけどな」
その言葉にさつき嬢は息をのみ、睦実は複雑な面持ちで「可哀想……」と呟く。
ジンが躱したために、ほっぺにキスしただけなのだが、躱してしなければそのままキスしていたはずだ。
シュウト:
「そう、でしたね。……そうすると、僕は何も支払っていない気がするんですけど」
ジン:
「お前はオモチャ兼雑用係だからいいんだよ」
シュウト:
「…………やっぱりですか」がくり
前日のアレは聞き間違いでは無かったらしい。なんとなく(オモチャ兼雑用係にしては悪くない待遇かも?)などと、どうでもいいことを考えてしまう。
あの時、ユフィリアはまるで迷わなかった。もしも、ためらっていたらどうなっていたのだろう。笑って誤魔化したりしていたら、今の〈カトレヤ〉は無かったに違いない。ジンの性格からしたらチャンスはあの一瞬しかない。紙一重でその後の運命が変わっていたことに今頃になって少し怖くなってくる。それでも自分はジンと一緒にいたかもしれないのだが、ここにこうして来る事はたぶんなかっただろう。
シュウト:
(なんというか、難しいな……)
さつき嬢が衛兵と戦えるようになるということは、彼女を『人殺しにする』という意味かもしれないのだ。強くするというだけならば、実際に手を下してしまうまでは人殺しにはならないし、可能性に過ぎないとも言える。仮に強くなること自体が良い事だったとしても、彼女が衛兵と戦えるようになったと知れば、霜村や葉月が放っておくとは考えられない。さつき嬢を駒のように用いてその気持ちを斟酌することなどは思い付きもしないのではないか。霜村たちを信頼することなど、シュウトには到底無理な話だった。
逆に見れば、さつき嬢はジンに対して「人殺しをしたいので、どうか共犯になってください」と言っていることになる。その要求の厚かましさを考えれば、おかしいのはどちらなのか。
それに対してジンはスケベ要求を返している。スケベ要求=絶対防御陣なのだとしたら、やはり彼女達が人殺しのような取り返しの付かないことをしてしまうのは嫌だということになるだろう。
シュウト:
(ジンさんなら、どうする……?)
さつき嬢が手を汚す前に、自分が代わりになったりのするのだろうか……? いや、それはどこかしらこの人らしくない。もう少し違うこと考えるのではないか。
シュウト:
「もしも、なんですが、ジンさんが衛兵と戦わなければならなくなったとしたら、どうするんですか?」
ジン:
「…………戦わないだろうな。そんなことをするのは無意味だ」
睦実:
「なんなのよ!アンタは……」
ジン:
「最後まで聞けって…………衛兵達の着ている鎧、ムーバルアーマーは都市魔法陣から力を得ている。ならば、『都市魔法陣を破壊』してしまえばいい。そうなれば、もう脅威じゃなくなるハズだろ?」
睦実:
「そっ、か……」
驚いた顔をするさつき嬢たち。シュウトは、ジンの答えが何となく想像した通りの方向だったことに満足する。
ジン:
「ま、その魔法陣がどんな形をして、どこにあるのかなんて知らないんだけどな」
シュウト:
「でも、その作戦なら犠牲者を出さずに済みますよね?」
ジン:
「いや、そう簡単にいくとは限らんし、別の形でも犠牲者は出るかもしれない。だから、なるべくなら最終的な手段であって欲しいとは思っているんだよ」
さつき:
「別の犠牲というのは?」
ジン:
「魔法陣を壊した後で直せればいいけど、壊れっぱなしかもしれないだろ? そうなると衛兵が機能しなくなることで、治安が悪化することになる。そうなると、例えば女の子が夜に1人で歩くのは難しくなるかもしれない」
シュウトの頭をかすめたのは、よりにもよって、丸王のイメージだった。ユフィリアやニキータにちょっかいを出そうとしてくるため、今では敵対関係にあるアキバの中堅ギルドのマスターだ。
シュウト:
「となると、都市魔法陣の破壊は『ミナミの街そのもの』を破壊してしまうことに成りかねないですね」
ジン:
「まぁ、昔から街に人が住んでるんじゃなくて、人の住んでいる場所が街だっていうけどなぁ。そういうのも含めて、取り戻したい『ミナミ』ってのはどんなものなのか?みたいな問題は出てくるかもしれないわけだ」
ここまでで衛兵を直接的な武力で倒す必要がなくなり、戦略的・戦術的な意思決定の問題に変換してみせたことになる。『都市魔法陣の破壊』という作戦行動となれば、それは既にさつき嬢ひとりの問題ではなく、〈ハーティ・ロード〉全体の議題になるべきだからだ。
それは同時に、さつき嬢がジンと戦うべき理由もなくなったことを意味していた。
シュウト:
(本当は、ただ戦いたかっただけなんじゃ……?)
今の話で逆に困った顔になっている彼女に微笑ましい気分になってくる。単に負けず嫌いの女の子が戦いたかっただけ、という方がしっくりくる気がする。
さつき嬢たちと別れて自分たちのテントに戻る途中、聞きたかったことをジンに質問する。
シュウト:
「……というわけで、矢が真っ直ぐに飛ばなくなったんですが?」
ジン:
「ふぅーん、よかったじゃん。進歩進歩。」
シュウト:
「進歩なんですか?…………ここからどうすればいいんでしょう?」
ジン:
「ははっ、そりゃあ自分で試行錯誤しようや」
シュウト:
「…………覚悟の問題ですか?」
ジン:
「プッ、ちげーよ。なんというか、必要なことはたぶん教えていると思う。あとは、自分で切っ掛けを掴めってことさ。『分かる』ってのは連鎖しやすいというかね」
シュウト:
「そういうもんですか…………?」
ジンが速度を落としたので自然と自分が先にテントの中に入ろうと身を屈める。中で待っていても、そのままジンは居なくなっていた。
◆
早めのブランチを食べるために中央の大テントへと足を運ぶと、直ぐにこちらに気付いた睦実が近付いて来た。
睦実:
「ねぇシュウト君、さっちん知らない?」
シュウト:
「えっと、あの後は見掛けていませんが……」
睦実:
「え…………? じゃあジ、オッサンは?」
シュウト:
「そういえば、ジンさんも戻って来ていませんね。一緒に居るのかも」
睦実:
「あたし、行かなきゃ!」
シュウト:
「ちょっと待って」
飛び出そうとする睦実を制止し、弥生たちの所にニキータと一緒にいたユフィリアの元へ急ぐ。走り回って見付かればいいが、朝錬の場所にいない場合は面倒なことになる。彼女のミニマップをアテにさせてもらった方が近道だと思えた。
ユフィリア:
「ん、シュウトおはよ」
シュウト:
「ああ。悪いんだけど、ジンさんとさつきさんの居場所って分からないか?」
ユフィリア:
「えっと…………んー、分かると思うけど、何かあったの?」
睦実:
「ホントに? どこなの?」
ユフィリア:
「急ぐんだったら、私も一緒に行くよ!」
小走りで朝錬の場所に向かおうとする睦実だったが、ユフィリアが「こっちだよ!」と少しズレた方向を指し示す。どうやら彼女に確認して正解だったようだ。
ユフィリア:
「この辺りのハズだけど?」
睦実:
「いたっ!さっちん!…………えっ?!」
地面を転げまわって真っ黒になった様子のさつき嬢が、地面に座り込んで呆けていた。一体、ここで何があったのか、土ぼこりにまみれた顔には涙の痕跡が残っていた。ボロボロと言ってよかった。
睦実:
「さっちん…………? だい、じょぶ?」
さつき:
「むつみ?」
おそるおそる無事を確認する睦実だった。さつき嬢の反応は薄かったが、意識はしっかりしているように感じた。
睦実:
「その、へ、ヘンなこととかされなかった?」
さつき:
「ん……別に」
睦実:
「まさかの、泥水で口をすすぐ展開!?」(※)
ユフィリア:
「え? それってどういう意味?」
さつき:
「何を言って?…………あぁ、ドロドロなんだな。水浴びしなきゃな」
睦実:
「まさか、白い液……体中を泥水で洗う展開?!」
ユフィリア:
「ねぇ、それってどういう意味!?」
さつき:
「泥水? ……少し落ち着いてみないか、睦実」
シュウト:
「大丈夫みたいですね?」
さつき:
「なんだか、ご心配をおかけしたようで、すみません」
たぶん、ジンと戦ってこうなったのだろう。泣いていたらしき部分は気になったが、当のジンの姿が見当たらなかった。後ろでは睦実がユフィリアに何やら耳打ちしている。たぶん泥水がどうとかの話を教えているのだろう。……すると急に立ち上がったユフィリアが怒っているかのように、ずんずんと歩いていくので、その後を追いかける。すこし離れた場所で木にもたれ掛かっていたジンを直ぐに発見することができた。
(※ジョジョの奇妙な冒険 第一部にて、ヒロインのエリナ・ペンドルトンがディオ・ブランドーにくちびるを奪われた際に、綺麗な水ではなく、泥水で口を洗ったシーンのネタ。ここでは「キスされちゃった?!」ぐらいの意味)
シュウト:
「ジンさん!」
ジン:
「よっ」
見かたによっては、こちらの方が何倍もボロボロに思えた。剣も盾も壊れかけていて、この時はまだ自動的な修復の途中だった。かなりの耐久力を消耗しているだろう。鎧にも刀傷があちらこちらにある。気になったのはフェイスガードを下ろしているということだった。ジンが全力だったとしたのなら、どうしてこんなに傷だらけなのだろう。まるで何十人かと同時に戦っていたかのようだった。
そのジンの前にユフィリアが立つ。仁王立ちを思わせる態度だった。
ユフィリア:
「さつきちゃんに、ちゅーしたの?」
ジン:
「なんだよ、いきなり?」
ユフィリア:
「ちゅーしたの?」
ジン:
「してねーよ」
ユフィリア:
「じゃあ、もっと、すごいことしたの?」
ジン:
「あー、えらい目にはあったが、えろい目にはあってねーよ」
ユフィリア:
「ほんとう?」
ジン:
「さて、どうだかな……」
フェイスガードの奥の表情はシュウトからは見えなかった。しばらくするとユフィリアはプイとそっぽを向いてさつき嬢のところへ戻っていった。シュウトはジンの無事を確認しようとしたのだが、さつき達の所へ行くようにと追い払われてしまった。
まだ気持ちがシャキッとしていないさつき嬢をつれて集落へと戻る。この件が大きな騒ぎにならないようにと配慮をして、シュウトとユフィリアは先に食事に戻ることになっていた。食事が始まってしばらくしたころ、服を着替えたさつき嬢を連れて睦実が食事に加わる。覇気こそ感じられないのだが、特に問題はなさそうに思える。
しかし、食事が終わってもジンはそのまま戻ってこなかった。
大事なところなので時間が掛かっておりまする。申し訳ございませぬ<(_ _)>
今回のさつき嬢に何があったのかは本筋とは直接的に関係してはいないのですが、近々書いてしまいたいと思っております。申し訳ございません<(_ _)>
次話からが問題ですね。あと何話かかりやがるのでしょうか。はやくアキバに戻りたいです。
重ね重ね、申し訳ございません<(_ _)>




