32 怒って、笑って、泣いて
32
弥生:
「こらっ」バシッ
霜村:
「おう?」
ユフィリア:
「え?」
ユフィリアの体に触れようとしていた霜村の手を、弥生が払いのけていた。その動きにユフィリアの方がびっくりしてしまう。
弥生:
「女の子の体に触らない! よそのギルドのお嬢さんなのよ?」
霜村:
「ハッハッハ、少しぐらいなら円滑なコミュニケーションにもプラスだろう?」
弥生:
「バカいうな、野獣」
ジト目で吐き捨てる弥生を軽い笑顔で受け流す霜村。このやり取りに年季が垣間見えた。
弥生:
「ごめんね、ユフィリアさん」
ユフィリア:
「大丈夫です。ちょっとぐらいなら慣れてますから」
そのトシで慣れてるってアンタはおみずの人か?と思った弥生だったが、顔には出さなかった。
弥生:
「手伝ってくれて助かってるけど、嫌な思いをするぐらいなら来なくていいんだからね?」
ユフィリア:
「……弥生さんは善い人ですね」
弥生:
「そう?このぐらい普通でしょ」
ユフィリア:
「…………」
共感のようなものを感じるユフィリアだったが、どちらかといえばニキータに似ているのだと思い直していた。
霜村:
「すまないが、こっちのも頼む」
ユフィリア:
「わかりました」
弥生:
「全部押し付けてやらせようとしてるでしょ?」
霜村:
「そんなことはないぞ」
弥生:
「貸しなさい」
ユフィリア:
「そっかー、なるほどー」ニコニコ
弥生:
「……?」
こちらをみてニコニコとしているユフィリアに「何?」と疑問符を浮かべる弥生であった。
◆
ジン:
「ぬー、撫でる頭がない。なんか最近、ユフィリアのヤツがちょくちょく居ない気がすんだけど?」
シュウト:
「言われてみれば……」
ニキータ:
「…………」
テントの中でぐったりと横になっていたジンがユフィリアの所在を話題にしてくる。そろそろ気がつく頃だろうと思っていたので案の定だった。もうしばらく誤魔化しておきたいのだが、下手なことを言うと藪をつついてしまいかねない。思案のしどころだった。
ジン:
「で、アイツどこいってんの、ニキータ?」
ニキータ:
「さぁ、誰かとオシャベリしてると思いますけど」
ジン:
「……ふぅーん、何か隠してるのな?」
ニキータ:
「あら、それはどうでしょう?」
言い当てられてドキッとする。仕方が無いので「受けて立って」しまった。ジンが微細な表情や反応を読めるとしても、そこから先は具体的に何をしているかまでは分からないハズだ。
シュウト:
「何の話ですか?」
ニキータ:
「ジンさん、ユフィがいなくて寂しいって」
ジン:
「…………別にニキータが相手してくれてもいいんだけど?」
ニキータ:
「へぇ、やっぱり誰でも良かったんですね?」
軽く牽制を入れてみたがあまり効果はなかった。それどころか、横になっていたジンがニヤリと笑うと体を起こし、そのままにじりよってくる。6人が生活するテントといっても、そこまで大きいわけではない。少しの距離の変化でも相当の圧迫感になってくる。
ジン:
「『誰でもいい』ってわけじゃないさ、ニキータだからだろ?」
ニキータ:
「それは嬉しいですけど、ユフィが聞いたらどう思うのかしら?」
シュウト:
「あのー、さっきからちょっと2人とも怖いんですがー」
ジン:
「おいおい、お前がそんなことを言うのかい?」
ニキータ:
「……っ」
ジン:
「自分だけ、安全な範囲に居られるなんて思うなよ?」
ユフィリアを盾に使うようなコメントを無意識に言ってしまい、そのことに気付くよりも早く揚げ足を取られていた。気まずく思うそのタイミングを捉えたかのように、ジンの手が伸びて頬にそっと触れてくる。顔に掛かった前髪をかくような動きで、人差し指の側面が軽く触れる。産毛が逆立つような、しびれる感覚に思わず目を瞑ってしまっていた。顔の紅潮が敗北感と重なる。ジンからみれば、やはり自分も小娘に過ぎないのだ。
ジン:
「ん……………………天才的なタイミングだな、にゃろう。……どした?」
動きを止めると、葵らしき人物からかかって来た念話にジンが出たため、窮地を脱することが出来てしまう。安堵とちょっとした拍子抜けの感覚を自覚したものの、その意味は区別して考えないことにする。手は自然とジンに触れられた頬を触っていた。感触を確かめているのか、打ち消そうとしているのかは自分にも分からなかった。
ジン:
「んー、これから雑用は全部シュウトに振っていいから。ん? ああ、やらかしやがったから雑用奴隷に決定した」
シュウト:
「…………」 がっくり
ニキータ:
「何かあったの?」
シュウト:
「文句が言えない程度には、あったかな?」
苦い表情のシュウトは、以前に比べると格段に表情が増えて親しみやすくなった気がする。
ジン:
「……………………それは、わかっちゃいるんだがな。いやいや、まだダメだ。ああ、また」
念話の向こうではどういう話になっているのか、おや?と思ったのだが、窺い知ることはできなかった。
ジン:
「ちょっと寝っから、後はよろしく。シュウトは葵に念話しとけな」
シュウト:
「分かりました」
念話が終わった時には全ての興味を無くしていたようで、自分のスペースに戻るとゴロンと横になってしまった。寝息が聞こえてくるまでさほど時間は掛からなかった。もしかすると不貞寝なのかもしれない。
ニキータ:
(…………)
ちょっとした隠し事があるのは、たぶんお互いさまなのだ。
昨晩、たぶん戦闘があったハズだ。ユフィリアのミニマップはまだ不確かな感覚でしかないと言うが、それでも何かがあったことは分かっている。しかし戻って来たジン達は何も言わなかったし、こちらも気付いていることは匂わせずにおいた。
問題はその沈黙がどういう意図によるものか、ということだろう。
ニキータ:
(私達がジンさん達を信じているぐらいに、彼らは私達を信じててくれるのかしら……?)
その想像は少しばかり不吉なもののように思えてならなかった。
◆
傷顔守護戦士:
「それじゃレイエスはうまく決まったのかい?」
さつき:
(こくり)
草生守護戦士:
「やはり、狙い通りw」
高貞守護戦士:
「いや、その彼も見事だよ。隊長のショルダーを受けたくても怖くて受けられないからな」
坊や守護戦士:
「斬殺確定ルートですよね」
芝生守護戦士
「漢なのは認めてやらなくもないww」
さつき:
「みんな、ありがとう。この感謝の気持ちをどう伝えればいいのか分からない」
こくりと小さく頷くと、嬉しそうに礼を述べるさつき嬢だったが、何故か恥じらいのようなものが混じって見えた。
実は盾の使い方を教えてもらっているだけではなく、作戦を授けてくれたのも彼らだった。確実に当たる技を中心に戦術を構成すべきだろうと言ったところから〈レイジング・エスカレイド〉の浮かせ技になるショルダー・アタックが突破口になるだろうというところまで一緒に考えて貰っていた。
草生守護戦士:
「しっかし、今時レイスカを秘伝にしっぱなしなんて隊長ぐらいじゃね?www」
坊や守護戦士:
「そうですよね」 クスクス
さつき:
「好きなんだから、別にいいじゃないか。どれを秘伝にするかなんて個人の自由だろう?」
高貞守護戦士
「チームプレイを疎かにしない範囲で、だがな」
この話題ではいつも笑われてしまう。よほど〈レイジング・エスカレイド〉を秘伝のままにしておくのは珍しいことらしい。あまり笑われてしまうと戦闘班の隊長として威厳を損ないかねない。何せみんなの方が年上なのだ。自然とムッツリとした表情になってしまう。
傷顔守護戦士:
「どうしてレイエスが好きなんだい?」
さつき:
「実際の剣道をやってたら出せないような派手な技がバーン!と決まるのが良くて」
傷顔守護戦士:
「そんな理由かよ……(苦笑)」
草生守護戦士:
「強いったって、まだまだニュービーってことだな」
さつき:
「もう2年以上プレイしてたんだから、初心者扱いは止してくれ!」
いい流れが来ているように思える。こうして仲間達と打ち解けて雑談しているのがとても心地好かった。全てが順調すぎる気がして怖いぐらいである。
さつき:
(ん、睦実…………?)
睦実:
「だから、ついてくんなっつの」
水梨:
「おいっ!タコ焼きの代金を払えよ!」
睦実:
「あ、アレね、アンタのおごりにしといて」
水梨:
「またか!? 冗談じゃねーよ!」
傷顔守護戦士:
「よう、睦実!」
草生守護戦士:
「今日の差し入れは何だ?www」
水梨:
「は?差し入れ?」
睦実:
「ざっけんな!アンタ達にくれてやる食い物なんぞあるくわぁ~!」
坊や守護戦士:
「美味しかったよ、あのタコ焼き」
さつき:
「ああ、本当だ。ありがとう、睦実」
水梨:
「ハ、こいつらに食われたって?ダッセぇ」
睦実:
「ううう、こいつらに無理矢理……もう、お嫁にいけない」
傷顔守護戦士:
「人聞きの悪いことを言うなよ」
睦実がもって来てくれたタコ焼きだったが、特訓の礼として自分の分を仲間たちに振舞ってしまったのだ。睦実は自分の分を分けてくれた。最初に『断腸の思い』と断りを入れてはいたが。
睦実:
「だいたい、ソースかかってなかったんだから、オゴリでしょ」
水梨:
「……すまん、実はソースが品切れだったらしくて」
睦実:
「知ってていわなかったなキサマぁ!?」
芝生守護戦士:
「ん?俺らの食ったのにはソースかかってたよな?」
高貞守護戦士:
「ああ。何せ隊長の優しさの味がしたからな、忘れられんよ」
水梨:
「なんだよ、ソースあったんなら別にいいじゃねぇか」
睦実:
「アレはユフィちゃんの私物だもん。アンタのゴチは決定しました」
坊や守護戦士:
「……てことは、ソースだけはアキバの品だったってことですよね」
芝生守護戦士:
「やべっwww うまいとか叫んじまったwwww」
水梨:
「チッ…………」
〈カトレヤ〉の彼らが来たことで、少しづつ状況が変わりつつあるのだろう。考えてみれば、そういった影響を無条件によしとすることは難しいのかもしれない。この世界では好ましい変化だけが起こるわけではないのだから。
傷顔守護戦士:
「なんかさ、思いっきり戦いてぇな、〈Plant hwyaden〉の連中と。なんにも考えずにさ」
芝生守護戦士:
「んなこといったって、本当は勝ち目なんてねーだろ、常考」
さつき:
「おい、戦う前から諦めるようなことを言うな!」
芝生守護戦士:
「そりゃあ……」
坊や守護戦士:
「僕らは30人弱ですしね。〈カトレヤ〉の人達が加わっても40人にも足りない」
さつき:
「人数の問題じゃない。こういうのは戦い方の……」
睦実:
「だったらさ、もうみんなでアキバに行っちゃえばいいんだよ」
さつき:
「睦実?」
睦実:
「うーん、悪くないアイデアじゃない? シュウトくん達とずっと一緒にいられるし。オジさん、マジでねらっちゃおうかしらん?」
水梨:
「おい、何いってやがる。頭が涌いたか?」
睦実:
「そんでさ、〈Plant hwyaden〉におん出されたから、アキバで暮らしますって言えばいいんだよ。 同じ日本人だもん、きっと受け入れてくれるよ。でしょ?」 にこにこ
芝生・坊や守護戦士:
「…………」
傷顔守護戦士:
「…………スマン」
自縄自縛という言葉が脳裏に浮かぶ。
さつきは究極的には戦いの理由には拘らない。正義であった方が当然嬉しいし、当然、やる気は出るだろう。それでもただの戦士であろうとするのは、自分が戦う理由をもつ事は、そのことに左右されてしまうことを意味するからだ。戦士は刀と同じ武器であり、その信頼性が揺らいではならない。自然にそういう風に考えている自分がいるのだが、それが何の為なのかは努めて考えてはいなかった。
◆
弥生:
「ニキータ!一緒に食べましょう?」
ニキータ:
「じゃあそうしようかな」
さっさと席を移動してしまったニキータに、ユフィリアがジンの顔をみてどうしようかと悩んでいた。ジンは軽く手を動かして許可を与える。その時のちょっと済まなそうなユフィリアの表情をジンは見ていなかったと思う。
睦実:
「よっこいしょっと。邪魔だって。早く場所変わって?」
ジン:
「うっぜぇ。シュウト、お前がそっちに行ってやれよ」
睦実:
「うん、その方がいいや。さっ、ばっちこい!」
床をパンパンと叩いてシュウトの移動を促がす睦実。自分に選択権はないのかとシュウトは暗澹たる気持ちになるのだが、たぶん無い。ユフィリアがいればユミカのことで何とか誤魔化せるのかもしれないのだが、そもそも、いつの間にかオモチャ状態で翻弄される人生になってしまっていることが問題かもしれず。どこで間違えたのか思い出せない。
さつき:
「すみません、いつも睦実が無茶を言ってしまって」
ジン:
「いや、困るのはシュウトだから別にいいよ。さっちんもここで食うかい?」
さつき:
「ご迷惑でなければ……」
睦実
「今日はスペシャルゲストも居るからね。おいで、ナガトモ!」
そしてシュウトと睦実の間に強引に長瀬友を座らせた。おかげでシュウトは密着感がとんでもないことになってしまっている。
シュウト:
「ごめんね、ちょっと狭いんじゃない?」
長瀬友:
「いえ、だだだ大丈夫れす」
ジン:
「出たよリア充め、また新しい子とか もげて死ねっちゅーの。こんどドサクサ紛れに切り落としちまうか……」
さつき:
「なんだか、すみません(苦笑)」
その後、ジンとさつき嬢が戦闘談義を始めたのだが、睦実の話し声に遮られて上手く聞こえなかった。シュウトは隣の女の子との密着感にもめげることなく、あちらの会話を聞いておきたいという気持ちが強かったりする。
長瀬友:
「あの、つまらないですか?」
シュウト:
「え?いや、そんなことはないよ」
長瀬友:
「す、すみません」
シュウト:
「……いえ、こちらこそ(今、なんで謝られたのだろう?)」
睦実:
「ねーねー、シュウト君ってどんな子がタイプなの?」
シュウト:
「タイプ、ですか…………?」
そういわれても、タイプとはどのようにして決めるものなのだろうか? そんなことは考えたこともない。忘れたい過去のことは忘れておきたい。となると…………。
シュウト:
「妹とは違うタイプの女の人がいいかな、なんて」
睦実:
「妹さんがいるんだ? どんな子なの?」
シュウト
「えっと、横暴で乱暴で、人を財布扱いしてガサツな感じの……」
さつき:
「それ、睦実のことじゃないか?」
睦実:
「さっちん!?」
長瀬友:
「妹さん、嫌いですか?」
シュウト:
「いや、異性として見られないってだけで、嫌いになんてなれないよ」
長瀬友:
(やりました!今度こそ、ちゃんと会話しました!)ガッツ
ジン:
「むむっ、シュウトの妹だと期待できんじゃねーの? 可愛いのか?」
シュウト:
「どうでしょう? 普通ですよ」
ジン:
「怪しいな。くっそ、携帯があれば写メみせろって話になんだけど」
シュウト:
「妹の写真なんて撮ってませんって(苦笑) それにまだ高校生ですよ?」
ジン:
「『まだ』じゃなくて『もう』かもしれないぞ? まだ圏外だけど、JD(女子大生)になるまで待つよ 義兄さん?」
シュウト:
「冗談じゃないですよ!」
ジンが義理の弟だなんて絶対にごめんこうむりたいと思うシュウトであった。
睦実:
「逆だ、逆に考えるんだ…………そう、妹に似てるなら背徳感が萌えに繋がると考えれば」
長瀬友:
「睦実ちゃんは妹に向いてない。私の方が適任です」
睦実:
「ナガトモ!? そんな娘に育てた覚えはないぞぉー!」
長瀬友:
「育てられていませんので」
睦実:
「ふっ、そんなこと言ったって、ナガトモにシュウト君を攻略することなど不可能だけどね」
長瀬友:
「ムッ、そんなこと言われたくないです」
睦実:
「じゃあ、お兄ちゃんと言いながら抱き付いたりできる?」
シュウト:
「なんかモメてませんか? 大丈夫?」
長瀬友:
「シュウト、お兄……ちゃん?」ぴとっ
シュウト:
「お兄ちゃん!? えっ、いや、それって?」
長瀬友:
「ダメですか?」
シュウト:
「ダメって、いや、ウチの妹がこんなに可愛いわけがないっていうか?」
睦実:
「魔物や……女は魔物や……ナガトモが魔物になってしまった」
長瀬友:
「…………」うるうるっ
シュウト:
「えっと……(どうすれば?)……こう?」 ナデナデ
長瀬友:
(ぱぁー)
大人しく頭を撫でられて嬉しそうにしている長瀬友、ハンカチを噛んで悔しそうな演技に没頭している睦実、それを笑って見ているさつき嬢、ジンはニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
その時、別の場所で笑い声が聞こえて来た。向こうも随分盛り上がっているようだ。そちらに視線をやると、やはりと言うべきかユフィリア達が話題の中心にいる。ユフィリアの近くには霜村がいて、彼女に絡んで冗談を言っているらしい。……素早くジンの様子を伺うが、特に表情からは何も読み取れなかった。
睦実:
「そういえばさ、弥生ちゃんがすっごく助かってるって言ってたよ?」
ジン:
「何の話だ?」
睦実:
「だってほら、ユフィちゃんが書類整理とかを手伝ってくれてるでしょ?」
ジン:
「ああ、そういうことか。……………………ニキータめ」
◆
食事が終わるや、ジンはズルズルと会話を続けていたユフィリアを連れ出し、テントに戻っていく。溜息をひとつ付いたところで、さっそく始まっていた。
ジン:
「お前なぁ、霜村んトコに入り浸ってんじゃねぇよ」
ユフィリア:
「むー、バレちゃった?」
ジン:
「じゃあ、手を引くんだぞ?」
ユフィリア:
「なんで? イヤだよ」
ジン:
「おい、分かってないのか? 仕事を頼んで好意を持つように仕向ける初歩的な手だろ?」
ユフィリア:
「そんなのに引っ掛かったりしないもん」
一般的に、誰かを好きになるとその人のために「何かをしてあげたい」と願うようになる。相手のために行動してあげた場合、表面的にはもちろん感謝されるのだが、それもいつしか重圧になってしまうことが多々あるだろう。人は潜在的に『貸し借りの関係』を作ってしまい易いことから、相手のためになる行動をしてあげることは相手に対して貸しを溜めることになってしまうのだ。一方で、借りを溜めてしまった相手は好意を返済するプレッシャーを感じるようになってしまう。このため、しばしば優しくされるのが負担になってしまうのだ。
逆に、『仕事を頼む』といった行為を要求することによって、相手に行動させ、その動機を勘違いさせる心理誘導のテクニックが存在する。「私がわざわざ○○をしてあげたのは何故だろう?」←「もしかして好きだから?」という様に、自分で自分を説得することによって好意を抱くことになり易くなる。
相手のために何かしてあげることで、相手に対して貸しを作ることができ、且つ、その理由は相手の依頼に拠るものなので、相手の責任だということになる。一般的にみられる現象ではあるが、心理的な依存に近い状態だろう。
相手からの好意を行為の形で表現されたら、普通は(可能な範囲で)お返ししたいとごく自然に望むものだ。ところがユフィリアはその強制力からは半ば自由でいられる。否、自由でなければ彼女のような人間は生きていけないのだ。彼女は周囲の人間から与えられる好意がズバ抜けて多い。すると他者からの好意(行為)という入力と自分の行為(好意)という出力が絶対的に釣り合わなくなる。原理的に『お返し』が出来ない状態が常態となるのだ。それは一般的な感覚からすれば、一方的に優しくされて、何も返さないという空気が読めないことにも成りかねないものでもあった。彼女が常に元気に振舞っていたり、馴れ馴れしかったりするのは、これらの現象を背景としていた。
ジン:
「だから、ギルドの方針的にマイナスだから止めれって」
ユフィリア:
「それはギルドの方針じゃなくて、ジンさんの考えでしょ? ギルドの方針は情報収集のはずだもの。そのために動いているんだから、マイナスのはずないよ」
ジン:
「そのやり方じゃ欲しい情報は手に入らないんだ。だから、止めてくれないか?」
ユフィリア:
「もっとちゃんとした理由じゃなきゃ納得できない」
ジン:
「霜村のところに欲しい情報はないんだ」
ユフィリア:
「そんなの分からないでしょ? 例え今なくても、集まってくるかもしれないし」
ジン:
「お前なー、いい加減に……」
ユフィリア:
「私、ジンさんの女じゃないんだよ!?」
微妙な空気になってしまう。ケジメの問題でもあるかもしれないし、ユフィリアがジンのコミュニケーションを嫌がっているのだとしたら、罪の告発という性質を帯びてくるだろう。
ジン:
「…………ユフィリア」
ユフィリア:
「怒っちゃヤだ」
ジン:
「はぁ?」
ユフィリア:
「怒るんだったら話なんて聞かない!」
シュウト:
「それはあんまりじゃ……」
ユフィリアの言い分にシュウトが呆れる。女子には怒られるのを過剰に怖がるため、怒られるのは何が何でもイヤだというタイプもいるのだが、しかし、ユフィリアはそんなタイプではない。
どうしたものかと様子を伺っていたジンが怒気を孕む前から、ユフィリアは巧みに怒るのを封じていた。予感というよりも、本能的なものだろう。
ジン:
「わかった。じゃあ、怒らない」
シュウト:
「いいんですか?」
ジン:
「霜村に近付くのを止めてくれれば、それでいいから。な?」
ユフィリア:
「どうして? イヤだよ」
ジン:
「つまり、自分はギルドの方針に従って動いているから問題はないってわけだな。その判定をしようにも、俺の発言は嫉妬に基いているから無効なわけだ。そしてお前は俺の女じゃないから、言うことを聞く必要がない、と。」
ユフィリア:
「そうだよ……」
ジンに論理で言い包められるのを警戒して、ユフィリアの表情が鋭くなっていく。
ジン:
「じゃあ簡単だな」
ユフィリア:
「何が?」
ジン:
「お前が、俺の女になっちまえばいい。それで丸く解決するだろ」
ユフィリア:
「…………え?」
普段はニヤニヤと笑うジンにしては、爽やか風味の笑顔であった。予想外の展開に今度はユフィリアが呆然としている。
シュウト:
「はぁ?」
石丸:
「なるほど、第三者に判定を求めると思ったんスが……」
ニキータ:
「そうか、この場合はそれでも解決するわね」
ただしユフィリアが受け入れれば、の話だろう。そうはならないとニキータは考えている。
ジンは、スッとユフィリアの傍に近付いてゆく。
ユフィリア:
「変だよ、こんなの……」
ジン:
「なんで?」
ユフィリア:
「ヤ、触っちゃダメ」
ジン:
「俺の女になれば言うこと聞くんだろ?」
ユフィリア:
「そんなの……」
ジン:
「つか、お前、顔が崩れてるぞ?」
ユフィリア:
「!?……ちょっと!ちょっと待って!」
顔の上と下で別々の表情になってしまっている。目元は怒り顔を作ろうとしていたが、口元はくにゃくにゃとほつれて笑みが零れてしまっていた。慌てて後ろを向いて顔を押さえていたのだが、やがてパッと振り向いた。
快心の笑顔。 怒り顔を作るのはどうやら諦めたらしい。
男女の恋愛関係では惚れられた側が勝つ。そのシンプルな法則に素直に反応しての『勝利の笑み』ではあったが、あまり嫌味は感じられず、純粋な喜びを表現してみえた。相手を操ろうとする支配欲が感じられないためかもしれない。
ユフィリア:
「これでジンさんは嫉妬してるって認めたことになるんだよね?だったら……」
ジン:
「いや、それとこれは無関係だろ? 俺は、嫉妬してないって証明したくなかったんだ」
ユフィリア:
「そんなの、だから一緒でしょ?!」
ジン:
「まぁ、一緒でもいいけどさ」
しかし、一緒ではないと彼女自身が気が付いてしまっていた。同時に、「付き合おう」と言われたのであって、「好きだ・愛している」と言われたわけではないのにも気が付いてしまう。その2つは彼女にとっては天と地ほどにも違う。
ジンの口調に優しさが混じってゆく。しかしこれがくせ者で、手加減するどころか逆に素早く畳み掛けていく。
ジン:
「一生懸命なのはいいけど、なんか少し焦ってるよな?」
ユフィリア:
「別に、そんなことないよ」
ジン:
「たぶん、ミナミに来る前からだよな。糞野郎の矢を喰らったぐらいからか?」
ユフィリア:
「…………」
ジン:
「そんな焦って認められようとせんでもいいだろ?」
ユフィリア:
「じゃあ、ジンさんは、どうして信じてくれないの?」
ジン:
「というと?」
ユフィリア:
「今回だってそうでしょ? 私のやることは認めてくれない。だから黙ってたんだよ」
いつの間にか、問題の根となる原因が話題となっていた。
ジン:
「んー、結構、誉めたりしてたと思うんだけどなぁ」
ユフィリア:
「お客様扱いされたくないの。 私だってギルドの一員なんだから、もっとちゃんと」
ジン:
「つったって半人前は半人前だろ? ……呪文は覚えたのかよ」
ユフィリア:
「お、覚えたもん」
ジン:
「よし、それは後で問題だすからな。ともかく、俺がお客様扱いを止めたからって一人前になれるわけじゃないんだぞ。半人前は上手にお客様扱いされとけって」
ユフィリア:
「私、子供じゃないよ?」
ジン:
「恋愛方面ばっかり大人になったってしょうがねぇだろ」
ユフィリア:
「うー」
不満げな唸り声だった。彼女にも何がしかの言えない言葉はあるのだろう。
実際にはユフィリアの望みは既にその半分が叶えられていた。『認めてもらえなくて不満』という状態は、そのことに相手が気付いていない時が一番問題なのだ。認めてもらえなくて不満という状態をジンがここで知った(と確認できた)のだから、そこからはユフィリアが努力すれば済む話となるのだろう。
ジン:
「それから、何かやるんだったらせめて得意なことをやれよ」
ユフィリア:
「どういう意味? 回復呪文のこと?」
ジン:
「客観的にみて、自分にできる得意なことだ。……ニキータ、ユフィリアの得意なことは何だ?」
ニキータ:
「それは…………」
意地の悪い質問に口篭る。ジンの口から指摘されるのと、自分の口から指摘するのとではどちらがマシだろうかと比べて、口を開く。
ニキータ:
「男の人にチヤホヤされること、でしょうね」
ユフィリア
「…………」
彼女の瞳に瞬間的に悔しさが滲んだのを見た気がした。魅力は彼女の大きな武器なのだが、それを武器だと認識することを彼女は頑なに拒んでいる。自分の最大の特徴を自己とは認められないのだ。故に、美人でモテるのに承認欲求が強くなってしまう。だからと、これを若さと言い捨ててしまうのは酷というものだろう。他者に対する誠実さを欠いたとしても、彼女の魅力は自動的に発揮されてしまうはずだ。その時、彼女の人格が他者に必要とされない状況になるだろう。
シュウト:
「しかし、それは今やっていることと変わらないのでは?」
ジン:
「いや、全然違う。誰かをチヤホヤするのと、誰かにチヤホヤされるのじゃ真逆だろ」
ユフィリア:
「チヤホヤされようと思ったことなんてないよ!」
シュウト:
「それ、聞きようによっては、もの凄い勝ち組発言なんだけど……」
ユフィリアに睨まれて、ジンは目を逸らす。
ジン:
「……霜村はともかく、葉月辺りはお前に偽情報を吹き込もうとするかもしれない。それは一人前だと認められようと頑張る誰かさんが得た貴重な情報ってことになるだろう。でも俺がそれを信じなかったり採用しなかった場合、俺が嫉妬しているからだってことになるよな?」
これでユフィリアの理屈を使って、ジンがそのままユフィリアを論破したことになる。この結論を避けなかったのか、避けられなかったのか。たぶんジンは避けたかったのではないだろうか。しかし、ユフィリアはこの結論を望んでいたのだと思う。だから、ジンは逃げなかったのだろう。
ユフィリア:
「…………ジンさんは、イジワルだね?」
テントを歩いて出てゆくユフィリア。怒って、笑って、最後には悲しそうだった。
ジン:
「ニキータ、頼む」
ニキータ:
「了解………… 今日はさつきさん達と一緒に寝ますね」
ジン:
「任せる」
テントを出るとき、ジンの大きな溜息が聞こえた気がした。