003 青との出会い
あの日の戦士がすぐ近くに立っていたが、僕の気持ちは中途半端なものだった。驚いてはいたものの、大げさに目をむいたり、喜んだりしたわけではない。(何故ここに?)と思いながら、同時にどこか腑に落ちもしていた。会えるとしたら、〈カトレヤ〉しかないような気もしていた。
〈大災害〉当日の混乱していた状況の中でごく短い時間、こちらから一方的に見かけただけの相手だ。なのに、当人であることは疑いない。むしろ出会いたくはなかったかのように「本人ではない理由」の方を探そうとしてしまっていた。
あの日の戦士:
「帰りに〈シンジュク御苑の森〉に寄ってきた。だけどあそこの敵ってレベル74までなのな? 経験値入んねーし」
葵:
「言っとけば“ポット”渡しといたのにぃ、ってアンタ、ソロで平気なの?」
あの日の戦士:
「ん、まぁ、なんとか?」
葵:
「なぜに疑問形か」
慌てて脳内でメニューを操作する。名前はジン、よく使われていそうな名前だ。レベルは80で、これはちょっと意外な感じがした。てっきり一線級のプレイヤーだろうと思っていたからだ。そして無所属。〈カトレヤ〉のギルドメンバーじゃなかった。それでも顔つきや葵への態度から、中の人の年齢は30歳は超えてそうな印象を受ける。〈冒険者〉の外見は、一様に若々しく見えるため、外見では判断するのは難しい。
ジン:
「で?」
葵:
「で、って?」
ジン:
「いやいや、こっちの彼は何者だって話だろ」
自分の話になったことにドキリとする。ジンはそのまま自分の隣に座ってきた。なんだか落ち着かない。空気みたいなものが違う気がした。まるで自分が新人冒険者にでもなったみたいに、心のどこかが身構えてしまう。この異世界に叩き込まれてから今まで見てきたどんな〈冒険者〉とも違った。『何か』が決定的に違っている気がする。
葵:
「そりゃもちろん、我が〈カトレヤ〉期待の新戦力っしょ!」
ジン:
「へー、そっか。……じゃあ、よろしくな」
シュウト:
「はい、こちらこそ……って、ちょっ!」
口から出任せで適当なことをいう葵に混乱する。
シュウト:
(いやいや、〈カトレヤ〉に入りに来たわけではないし、そんな話だってしてない。もちろん、そんな気もない。無いよ。無いハズ。…………あれ、無い、のか?)
葵:
「ん、ダメなの? いいでしょ? ってか、いいよね?」
シュウト:
「え゛っ!? いや、まぁ……」
葵:
「どっちなんよ! ハッキリしんさい! チンコついてんでしょ!?」
なぜか怒られていた。おかしな展開だった。
しかし僕がプレッシャーを感じていたのは、隣に座った戦士の視線からだった。ありもしないプレッシャーに焦ってしまっているのだ。
シュウト:
「……それじゃあ、しばらく、だったら」
しどろもどろになりながら、良く分からない文字列を口から吐き出していた。
葵:
「ぃぃぃYes!!」
葵のかなり派手なガッツポーズが決まった。
畳み掛けるような葵の言葉と、隣に座っていた戦士の視線に怯んでついOKしてしまっていた。自分でもどっちでも良かったのかもしれない。行く当てのない不安もあったのだろう。久しぶりに話しをして〈カトレヤ〉に対する懐かしさも感じていた。それに、時折ここに立ち寄って挨拶していたのはギルドメンバーにならなかった事に対する申し訳無さもあったからだ。
葵:
「それじゃあ、改めて。〈カトレヤ〉にようこそ。……ううん、あえて言わせて欲しいの。『おかえりなさい』」ホロリ(涙)
シュウト:
「は、はぁ……」
聖母のような微笑み。そして噛み締めるような「おかえりなさい」のセリフと演技入りまくりの涙。流石に恥ずかしくて「ただいま」とまでは言えない。
シュウト:
(……というか、このちょっと感動的なシーン風なのは一体何なのだろう? 流れが速すぎて付いていけない。もしかすると、いい感じの音楽でも流れてたら感動できるの? そんな要素がここまでの展開のどこかにあった?)
葵:
「なんて素晴らしい!……その少年は強くなって帰って来た。メジャーリーグの恩知らず共ではこうは行かないっ。あいつ等は行ったらそのまま行きっぱなしだもん!」
シュウト:
(な、なんだか色々な意味で危険なセリフを言い始めたような気が?)
野球好きなので、微妙に同意せざるをえないセリフではあったが、メジャーで活躍してくれるのも、それはそれで嬉しいよね?といった『外行きのセリフ』が使える程度には、僕は大人である。
葵:
「ああっ、まるでライオンが我が子を千尋の谷に突き落とすかのよう。そう、若者を狭い世界に縛り付けるのは良くないわ。広い世界を体験することが大事ですもの。……でもそれだけじゃ完成しないの! 鮭だって生まれた川に戻ってくるのよ? それなのに哺乳類ともあろうものが、帰巣本能のひとつも無いだなんて、なんって、みっともない!……ううん、シュウくんは違うんだよ? 別に帰ってこなくても恩知らずだなんて思わなかった。でも帰って来てくれたのでしょう? アタシはただ、それがとっても嬉しいだけなのぉ~!」
何かの魔法効果なのか、☆マークなどを振り巻きながらくるくると踊っている。葵の独演会はまだ続くのだが、実況はここまででいいだろう。
隣に座っていた〈守護戦士〉――ジンは、いつの間にかカウンター内側の即席クーラーボックスを勝手に開けて、冷えた水を用意していた。その気安さからするとギルドメンバーではなくても、ここには入り浸っているのだろうことが分かる。ただいまとも言っていたし。
ジン:
「まぁ、よくわからんけど、オメデトウ」
シュウト:
「あー、ありがとうござい、ます」
ジン:
「……来る場所、間違えたかもな?」
シュウト:
「いえ、ダイジョブです、たぶん」
これまで自分が嫌っていた馴れ馴れしくてカッコ悪い人付き合いそのものだった。それでも今はコレでいいのだと考える。ゲームは現実の代用品に過ぎない。だから、ゲームなんかで人との繋がりを欲するぐらいなら、現実でやるべきなのだ。
シュウト:
(『この世界』はもはや僕の現実になった。だから、ここではコレが正しい)
僕はまだ、そんな風に考えていた。
◆
遅い昼食が、そのまま僕の歓迎会となった。
カウンターからテーブル席に移動して、料理を並べるのを手伝う。冷たくしたお茶で乾杯し、食事を堪能した。本日のメニューは鶏肉のトマト煮。1羽絞めているので量はかなりあったが、4人で綺麗に平らげてしまう。正直に言うと白いご飯を食べたかったのだが、アキバの街に突如として生まれた食料品の需要に対して、供給がまだ追いついていない。お米もその中の一つで、全体に行き渡るにはもう2~3日掛かるのだという。それでも収穫される秋まで待たずに済むのは凄い。生産ギルドの連中がどんな魔法を使ったのか全く分からなかった。
レイシン:
「精米の機械化じゃないかなぁ」
シュウト:
「でもあれって収穫をメニューでやった時点でせんべい味になりませんか?」
葵:
「うみゅー、稲刈りと脱穀の2回をメニューからやってそうだしねぇ」
ジン:
「素材アイテムのままだからか? なら玄米は“湿せん”かもな」
葵:
「そこで発芽玄米っしょ!」
調味料が足りないので狙った味にならないと謙遜していたが、レイシンの作る料理は本気で美味しかった。この世界では素材の質が問題になる。店売りのものは値段の割りに味がイマイチだから、自分で捕まえてきたと言っていた。こうなってくると料理の世界も、元の世界同様、奥が深くならざるをえない。
レイシン:
「ごめんね、本当は得意なチキン南蛮を作りたかったんだけど」
葵:
「ダーリンのてぃけん(チキン)を食べたらほっぺが恋に落ちるゼ?」
シュウト:
「……豚とか鳥とか絞めたりサバいたりするのって、大変そうですね」
レイシン:
「はじめはね。でも慣れればなんとかなるよ」
ジン:
「メニューから素材アイテムにできりゃいいのにな」
葵:
「スーパーで売ってる『切り身のパック』で出てきたり? ぐふっ、ぐふふふっ」
レイシン:
「まぁねぇ。でもマグロの解体は一度やってみたいかもしれないなぁ」
最後にジンがアキバで仕入れてきた果物をデザートにする。果物は味のするアイテムとして品薄&高騰化していたが、相対的に価値が下がり、店に並ぶようになって来ている。買い占めていた連中が慌てて売りに出したのかもしれない。真相は不明である。
葵:
「歓迎会なのにお酒が無いのは寂しかったかにゃ?」
シュウト:
「いいですよ、あんまり好きじゃないですし」
レイシン:
「お酒は料理に使ったりしたいなぁ」
ジン:
「そういや、俺ってこの体だったら飲めるかもだな」
葵:
「底なし冒険者でがぶ飲み大会とかやったら、単位はきっと樽だね」
食事が終わり、ものすごく意外なことに葵がお皿を洗いに行くのを目撃してしまった。明日は大雪か、はたまた槍が降りそうだと、漠然とした不安を感じてしまう。窓から外を眺め、神々の黄昏に想いを馳せていた時だった。
ジン:
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
ジンが話を切り出してきた。何を質問されるのかと急に緊張してくる。
シュウト:
「はい、なんでしょう?」
ジン:
「ああ、そんなに硬くならんでいいから。あのさ、格闘技とかの経験は?」
硬くなるなと言っておきながら、聞いている内容は硬くなるようなものの気がする。
シュウト:
「いえ、全然です。武器の、弓のことをちょっとネットで調べたりしたぐらいで」
弓使いだと弓道の経験者かと聞かれることが多くなる。自分もゲームを始めてから多少は弓道に興味が出たりもしたが、弓道をやっている友人がいないので知識はネット頼みになってしまった。結局はゲームをやるので忙しいということなのだろう。
ジン:
「ふぅん、じゃあ暗殺者の弓使いか…………それじゃ、ミリタリーとか、サバゲー(サバイバルゲーム)は?」
シュウト:
「そっちもほとんどわかりません」
そういって苦笑いする。現実世界でのスキルが持ち込めるかどうかという話なのだろう。ゲームでは〈シルバーソード〉での経験がそれなりにあるが、実生活で戦いに関する何かを経験してはいない。なんだか認められていないような嫌な気持ちになっていた。ここで一から頑張らなければならないのだろう。
ジン:
「そっか、それならいいんだ」
いやにあっさりした反応で、別に残念そうでもない。単なる確認という感じだった。それが気になって、ちょっと食い付いてみる気になった。
シュウト:
「でも、知識とかがあった方がいいんじゃありませんか?」
ジン:
「……いや、難しいところだな。妙に頭が硬くなるヤツとか多いし」
シュウト:
(確かにそういう部分はあるか。知ったかぶりして妙に仕切りたがる傾向があったりとか……)
それでいて、大して強い訳でもなかったりするのだ。武道・武術の経験者が、それを活かして強くなるのはかなり困難そうな印象がある。結局、特技を連射している方がマシ、といったような具合だ。
ジン:
「現代の武道はモンスター相手には全くと言っていいほど通用しないからなぁ。基本が対人技術だからってのもあるが、具体論は練り直さないと使いものにならない。まぁ、どこにでも例外はいるもんだが、その手の例外は5%もいればいい方だろうし。結局、剣道の経験があって〈武士〉(サムライ)をやっているヤツとか、空手・ボクシングの経験者が〈武闘家〉(モンク)をやっているケースは要注意だな。格闘技経験者がやってる魔法使いなんかは、良いプレイヤーが多い気がするんだがな」
これも一般論としてならそういう傾向があるように思う。シュウトの知っている〈守護戦士〉も最初の頃はすり足をやろうとして諦めていたし、剣道の経験で『反射神経が良くなる』といったプラス要素は感じられないらしい。一方で良く組んでいた〈妖術師〉は反応が良く、視野の広い、欲しい所に手が届くタイプだった。
それでも空手の経験者がやっている〈武士〉に上手くて強いプレイヤーがいるのも事実だった。希な例外というものだろうけれど、武道のどんな要素がプラスに働いているのかは外からは分からない。
ジン:
「〈大規模戦闘〉(レイド)をやるなら軍隊の知識は役に立つかもしれないけど、今の俺達にその予定はないし、君、……シュウトは〈シルバーソード〉に居たんだろ?」
シュウト:
「ええ、まぁ」
ジン:
「だったら〈大規模戦闘〉(レイド)に関しては俺より経験があるってことだな」
そういって笑っているのをみて、少しホッとしていた。
葵:
「シュウくんは私のイチオシだよ? 自信を持っておススメできる逸材に決まってるっしょ」
洗い物を終えた葵が手を濡らしたまま戻って来ていた。タオルを使わないで、手をふりふりさせている。
シュウト:
(いやぁ、保証してくれるのは嬉しいんですけど、一緒に戦ったりしたこと無いんですが……)
レイシン:
「とりあえず3人になったってことでいいんじゃない?」
ジン:
「ああ。あと2人は欲しいな」
レイシンの言葉にジンが頷いている。葵は戦力外のままにしておくのだと暗に告げていた。連れて行けそうにないからだろう。
シュウト:
「……何かクエストにでも行くんですか?」
このメンバーであと2人追加したいといえば、回復職と魔法攻撃職だと見当がつく。
この規模のギルドスペースの維持費と、日々の食料代ぐらいならパーティーまでは必要ないのだ。従って、パーティーを結成するのであれば、何か目的があることになる。大抵はクエストという形になるはずだ。
葵:
「んー、ちょっち知り合いの様子が変なんでね。それで様子を見にいけたりするといいのになー、って。ミナミなんだけど、念話しても要領を得ないっつーか。本人達も何が起こっているのか良くわかっていないみたいで……」
葵の表情からは状況が深刻なのか、そうじゃないのか、良く分からなかった。そのためか、ナチュラルに『そういうものかー』と思った。
シュウト:
「ミナミですか、遠いですね……。でも、そういう話って、何かあれば〈円卓会議〉で何とかするんじゃ?」
これは本心からではない。実際、立ち上がったばかりの〈円卓会議〉がこのまま自治として機能するかなんてわからないのだ。ギルド同士の潰し合いの場にならないとも限らない。今のところ面倒なことを勝手に引き受けた自警団のようなものだが、大手ギルドが軒並み参加しているのだから規模的なメリットは大きいだろう。
現状、〈妖精の輪〉の周期確認が始まってもいない。零細ギルドにミナミは遠すぎるのだ。だから役割分担としては〈円卓会議〉(かれら)のすべき仕事のように思っただけである。
レイシン:
「まぁ、行く・行かないはともかく、何かあった時のために最低限の準備を整えておきたいってのもあるんだよ」
レイシンがにっこりと笑って付け加える。ホッとするような笑顔だった。
葵:
「そそ、アキバに移動したいのもあるからに」
「でも外に着ていく服もないんだけどね」と葵が話をまとめた。
今日は解散し、明日もう一度〈カトレヤ〉に集合ということになった。
僕は荷物を置いてある宿に帰ることにした。個室の部屋を貰ったので明日は引越しだが、荷物なんて全て魔法のカバンに入ってしまう。それ以外のものはまだ貸金庫だし、出してくるつもりもない。置いてきた荷物と言ったって、昨晩、部屋を散らかしたままにしてあるもののことだった。宿賃を今日の分まで支払ってあるから戻るだけのことだ。
廃墟となったシブヤの街をオレンジ色の光が染め上げてゆく。この世界の空気はかなり乾いていて、風が心地好い。空腹を感じていないから、今日の夕飯は必要なさそうだ。
シュウト:
(この分だとすぐにもアキバに戻ることになりそうだな……)
考え無しに出てきてしまったものだが、不思議と良い方向に動き始めた気がしていた。
しばらくの間だけ参加するという約束だったが、このまま〈カトレヤ〉に入ってしまってもいいかもしれない。なんとなく〈カトレヤ〉のギルドタグをつけている姿を想像してみた。
シュウト:
(アキバに戻った時、零細ギルドのタグをつけている僕は、〈シルバーソード〉の仲間達に見られて、恥ずかしい気分になるのかな?)
そんなことまで考えている自分に呆れてしまう。
シュウト:
(重症だな……)
口元を引き締め、せめて真面目な顔を作っておくことにした。
◆
階段を下りると、酒場のざわめきが聞こえてくる。
僕の宿泊する〈大地の鈴〉は、中の下クラスの『冒険者の宿』だった。いわゆるポリゴンデータをコピーして作られている(と言われても誰も疑問に思わない)普通の宿だ。一階フロアには食事場所を兼ねた酒場スペースがあり、二階は名ばかりのロイヤルスウィートが用意されている。
この時、僕はあまりにも暇だったので、街の外に試し撃ちに行こうとしていた。
夕方の早い時間に宿に戻って来たものの、引越しの準備は5分で済んでしまった。大して散らかしてもいないし、片付けにしても何も考えずにマジックバッグに荷物を放り込めばいいだけ。時間の掛かりようが無い。その後、2時間ほど部屋でぼーっとすごしていたが、それも2時間が限界だった。
一度は誰かに念話でもしようかと考えたのだが、思い留まった。「暇だから念話した」などと言われたら、自分だって怒るかもしれない。いや、それ以前に〈シルバーソード〉の仲間以外に念話する相手が思い付かなかった。
段々と「魔法使いが呪文で眠らせてくれるサービスでもあればいいのに!」と八つ当たり気味に考え始め、〈冒険者〉の身体は体力がありすぎるのが問題なのだという結論に至った。がんばったが眠れない。
仕方なく、作った矢の試し撃ちをしようと決めた。少し勿体無い気もしたが、また暇な時に作ればいい。時間だけは幾らでもある。それでも自分のサブ職〈矢師〉に『試し撃ち』といった特技でもあってくれれば、作った矢を失わずに試し撃ちができるのに!と世を儚んでみたりもしたのだが、……まったく意味はなかった。
酒場のスペースはほとんど〈大地人〉が座って食事や会話を楽しんでいた。〈冒険者〉が少なくなったことで〈大地人〉にも酒場を開放したのだろう。
シブヤでも食べ物の混乱はまだ始まったばかりだ。この宿でも具材を挟んだだけのサンドイッチの提供は既に始まっていたし、飲み物も果物を絞っただけのジュースなら注文できた。もうしばらくすればメニューが充実して、大地人が食事を楽しむ店になるのかもしれない。
火を分けてもらっている時、妙な噂を耳にした。なんでも衛兵を倒した〈冒険者〉がこのシブヤにいるというのだ。馬鹿らしい噂話なので、やはり周囲に相手にされていない。衛兵達は都市魔法陣から力を得るムーバル・アーマーを装備している。大半の特技も効き目がないが、そういったレベルの問題ではない。彼らは違反プレイヤーに対してペナルティを科すためのシステムの一部なのだ。それは戦って勝つ対象ではない。
それでも部屋に居るよりは酒場でそんな馬鹿話でも聞いていた方がマシだったかもしれないと微笑ましく思った。
◆
街を出て近場のゾーンで場所を探す。多少モンスターが出てもいい。それよりも他のプレイヤーに遭遇しないことが絶対条件だった。しばらくランプを持ってウロウロと彷徨う。30分ばかり歩いて、それなりに具合の良い場所を見つけた。ここなら今後も使えるかもしれないと思い、満足する。
どうやって試し撃ちをするか、しばし考えを纏める。
標的がないと格好が付かないのだが、的を自作するのはいかにも面倒だ。果たして家具のレシピにそんなアイテムがあっただろうか? アキバに行った時に探してみるのもいいかもしれない。ダーツ用の的ぐらいならあっても不思議ではない。
結局、手頃な木にショートソードで刻んでしるしを付けることにした。胸ぐらいの高さにひとつ、頭の高さにもひとつ×印を付けておく。
15歩ほど数えながら離れてみて、更に8歩ほど下がる。
シュウト:
(これでだいたい20メートル、かな……?)
地面に足で線を引き、マトの近くまでもう一度戻ってランプを置いた。まだ20時になる少し前だが、完全に夜であって、周囲はとても暗い。
僕が立っている場所にしても、頭上は木々に遮られる事なく、星が見えている。ただ、この世界は電気も街灯も無く、その闇は『根源的な恐怖』を呼び覚ます濃密さがあった。……僕は意識して〈暗視〉の特技を発動させることにした。〈暗視〉ならば、星明かりがあれば十分に周囲を見渡すことができる。
まず通常の矢を番えて、胸の高さの的に向けて射る。右に3センチほどズレたが、20メートルの距離なら十分な精度だろう。もう一度、今度は顔の高さに向かって射る。今度は下に少しズレた。悪くない。
次から本番だ。鏃を変えた自作の矢を番え、胸の高さの×印に向けて狙いを付ける。標的は柔らかなランプの灯りに照らされていた。強く見据えるようにする。集中が増すほどに周囲の音は遠ざかっていく。あまり考え過ぎないように、身体に狙いを任せるのがコツだった。愛用しているアーティファクト級のショートボウが震え、矢が吸い込まれるように標的の中心を捉える。ズドンと重い響きが耳に心地好い。
小走りで確認に行く。比べて見ると、自作の矢はかなり深く刺さっていた。命中精度も高いし、威力も確認できた。実験としては大成功だろう。勿体無いが、もう2~3本試し撃ちするべきか、と逡巡する。
闇からの声:
「よっ、自主錬か?」
突然の声とその『近さ』にゾクリと緊張が走る。振り返ると片手にランプを下げた鎧の男が近付いて来ていた。
闇からの声:
「上手い場所を見つけたな。ここならPKなんかに襲われにくい」
のんびりとした口調で緊張感を削ぐようにしていたが、油断しないようにする。相手の顔が見えないので、脳内メニューで名前を確認。
シュウト:
「ジンさん、……よく分かりましたね」
知っている相手だったことに安堵し、肩の力が抜ける。同時に何故ここが分かったのかと疑っていた。偶然だけで辿り付くのは難しい場所のはずだ。
人の減ったシブヤの周辺でPKされる危険性はそう高くない。しかし逆に言えば、人が減っているせいでPKの成功率は高くもなる。
無差別のPKは待ち伏せが基本になるため、シブヤへ向かうプレイヤー、もしくはシブヤから出てくるプレイヤーを狙うことになるだろう。同時に、『人の通らない場所』は待ち伏せのポイントとしては不向きになる。これらの条件を考慮し、シブヤ周辺のゾーンを探して見つけた場所なのだ。モンスターならともかく、偶然で誰かに見付かるとは考えにくい。
ジン:
「いや、後をつけたりしたわけじゃないぞ。こんな場所だろ? 一人でなんかしてるヤツがいるなーと思ってさ」
僕の声に疑いのニュアンスが混じったのを感じたのだろう。ジンは少しばかり説明を付け足して言った。外からだとランプの明かりが見えてしまっていたのかもしれない。それでも、何か違和感が残った。とりあえずは問題にはならないと考え、気にしない事にした。
ジン:
「見たら期待の新戦力君だったから、声でも掛けとこうか、ってな」
シュウト:
「……自作の矢を、試してたんです」
近付いて来たジンに、矢を自作したことや、その実験結果など、一通り説明してから矢を引き抜いた。深く刺さっていて再使用はやはり難しいようだ。足元に捨てて放置しようとしたが、マジックバッグに突っ込むことにした。ゴミがどうとかよりも、活動した痕跡をあまり残したくなかった。木には傷跡が残ってしまっているが、またこの場所を利用した時に誰かに待ち伏せされる危険を少しでも減らすべきだろうと考えたのだ。
昼に知り合ったばかりの相手と会話が長く続くとも思えず、さっさと退散しようとした。試射は成功だし、今日はここまでで充分なのは本当だ。しかし、挨拶して帰ろうとする寸前に呼び止められてしまった。
ジン:
「ちょっと頼んでいいかな?」
シュウト:
「何でしょう?」
ジン:
「俺に向けて、矢を撃って欲しいんだけど」
シュウト:
「はぁ?……なんでまた」
ジン:
「手で掴んだり、剣で弾いたりしてみたいんだが、……あー、もし弓使いのプライドとかがアレならいいんだ」
シュウト:
「……いえ、いいですよ」
一拍おいて了承した。そういうプライドが自分にあるかどうか考えたことも無かった。単純に人に向けて撃つのも面白そうだと思ったのだ。
シュウト:
「じゃあ、いきますよ!」
ジン:
「いつでもいいぞー」
20メートルの距離から矢を番え、弓を構える。ジンは素手で弓を掴み取るといって右手には何も持っておらず、何度か素振りをしていた。
鎧はつけているし、左手には盾もある。HPは満タンだ。この状態なら2~3発命中しても死ぬことなどありえない。こちらは気楽なものだった。
よく「心臓は左胸にある」などと言われるが、実際には殆ど中央に位置しているようだ。真っ直ぐに胸の真ん中へ向けて、つまり心臓を射抜くつもりで矢を放った。
ジンは軽く手首を振るようにして矢を掴んでみせていた。
通常の握力で手を握りこむスピードは考えられているよりも遅く、そのままでは矢を掴みにくい。このため手首のスナップを利用して手を高速で握らせているのだった。
ジン:
「よしよし。上手くいったな」
シュウト:
「一回で成功しちゃいましたね。……それって矢を掴む特技なんですか?」
呑気に喜んでいるジンに小走りで駆け寄り、声を掛ける。
ジン:
「いや、〈守護戦士〉にそんな特技は無いな。〈武闘家〉(モンク)にならあるかもしれんけど。まぁ、思ったほど難しくはないみたいだな」
シュウト:
「そういうものですか」
ジン:
「〈冒険者〉の身体だと目も反射速度も段違いだからな。まぁ、戦ってたらこんな風に集中できないから、単なるお遊びでしかないんだろうけど。それに……」
シュウト:
「……?」
急に言いよどむ。何か言いにくいことなのだろう。しかし気になるので先を促す。
シュウト:
「構わないので、どうぞ」
ジン:
「んー、……一つは、今の矢ってそんなに速くないよな?」
シュウト:
「ああ、そうかも知れませんね」
矢の速度は、秒速90メートルに達するとも言われている。この場合は時速300キロを超えている計算になるが、今回は通常の矢を使用し、特技も使っていない。このため時速換算で200キロ前後の速度だと考えられる。
僕の使っている武器は、アーティファクト級のショートボウだ。この弓は特に努力せずとも、現実世界の同サイズの弓と比べれば遥かに高い初速が出せる。それであっても時速200キロ程度ならば、いくつかの球技でも経験できる速度でしかない。
ジン:
「もう一つ。射る時のタイミングが、指の動きで分かり易かった」
シュウト:
「なるほど……」
〈冒険者〉は視力が高いので、矢を離す時の『指の動き』が見えてしまうという。それは仕方がないことだった。暗闇の中で射ればそもそも矢自体が見えないことになってしまう。
ジンはしばらく考え込んでいたが、やがて質問してきた。
ジン:
「なぁ、弓を持つ時ってどうやってる?」
シュウト:
「えっと、僕はピンチ式っていう……」
弓の番え方は3種類あると云われる。
まず地中海式。これは弦を人差し指・中指・薬指で引くものだ。矢は人差し指と中指の間に挟むようにし、構えた弓の左側に矢を番える。2本以上を同時に射る『束ね撃ち』|(〈ソーンショット〉など)の特技を使う場合は自然にこの持ち方になり、2本目を中指と薬指の間に挟むようにする。
次に蒙古式。これは親指で弦を引き、矢は弓の右側に番え、指で握らずに乗せるようにしながら人差し指で矢を押し付ける風にする。日本の弓道もこれに分類され、特に『ゆがけ』と呼ばれる専用の防具を使用し、高い命中精度を誇っている。
最後がシュウトの選んだピンチ式。番えた矢を指で持って弦を引く方法で、未開の部族にみられる使い方とされている。感覚的に分かり易いのが利点なのだが、矢を触ってしまうために命中精度は落ちる。現実ではあまり強く弦を引くことが出来ない方法らしいが、〈冒険者〉には筋力があるので問題ない。
乱戦になりがちなモンスターとの戦闘中に『しっかり構えて、ちゃんと撃つ』ような余裕はない。篭手に『ゆがけ』自体は存在していたが、右手の親指が固定されてしまうため、矢以外のアイテムを取り出したり、近接武器に持ち替えたりすることは出来なくなる。万一の可能性も考え、シュウトは蒙古式(日本式)は諦めていた。
ジン:
「俺も弓道に詳しいわけじゃないんだが、能動的な離れは“はなし”で、受動的な離れが“はなれ”だと思うんだよ」
それは何かの本で読んだ話だと言っていた。
僕は親指・人差し指・中指の3本の指先で矢を掴んでいる。矢を離す時に指の些細な動きが命中に影響してしまうため、この3本の指を『同時に』開いて離すようにしていた。人間には難しくても、〈冒険者〉の身体はこの手の無茶が利く。繊細な作業だが特に問題にならずにこれまでやってこれていた。長距離の狙撃よりも、近距離からの制圧射撃の使い方をしていることもあるのだろう。特技を使えばあまり意識する必要もないという意味も大きい。
だが、ここでジンの言った事は、その指を放す作業自体の『能動性』が発射タイミングを相手に教えてしまう、ということを意味していた。
シュウト:
「それってつまり弦を強く引いて、指からすっぽ抜けさせろってことですよね?」
ジン:
「そうだな」
――弓道の論理では『会』が十分となる前に『離れ』てしまうことを『早気』と呼ぶが、シュウトにそこまでの深いこだわりはない。
ジン:
「とりあえず、いっぺん試してみてくれ」
どうやら自分に向かってもう一度矢を射てみろということらしい。深く考えずに、線を引いてある所まで戻った。
ジン:
「いつでもいいぞ~」
20メートル向こうでジンは剣を上げて合図を送っている。今度は剣で矢を弾くつもりのようだ。
シュウト:
(ええっと、どうすればいいんだろ……?)
僕は矢を番えると、『戦闘モード』に入った。自分の意識が少し後ろに下がり、瞳から光を消すような状態だと思っている。精密な作業でも、身体に任せてしまえば成功することは多い。
矢を掴む指先の力を必要最小限に抑える。魔法のショートボウを強く引き、十分なエネルギーを生み出す。……それでもすっぽ抜けるまで、さらに弦を引き続けた。
ジン:
「のわっ、た!!」
バキン!と強い音が響いて、矢はジンのシールドに弾かれていた。反応が間に合わずに盾で防いだらしい。自分では指先から矢が離れた瞬間が分からなかった。手の中から矢が消えたと感じた時には、矢は既に飛んでいた。それほど自然に矢は離れたらしかった。
不思議な虚脱感を感じる。ステータスを確認してみたが、MPが減っている様子もない。どうやら特技を使ったわけでもなさそうだった。
ジン:
「上手くいったみたいだな。出所が全く見えなくて、気付いたら矢が当たる寸前だったよ」
シュウト:
「ちょっとこれ、練習したいんですが」
ジン:
「おう。俺はパスな、……ちょい肝が冷えた」
さっきの感覚を忘れない内にと練習を始めた。2~3回で大体の感覚は掴むことが出来た。この『受動離れ』は、今までのいわば能動離れと命中精度の点でも殆ど差がない。実戦でも十分に使えそうなテクニックだった。
それからも10本以上矢を射てみたのだが、なぜか先ほどの虚脱感は現れず、しっくりと来ない。そこが不満だった。
ジン:
「上手く行きそうだな」
シュウト:
「ええ、問題なく使えそうです。ですけど、どうも最初の時の感覚にならなくて……」
残念だが、どうやら自分の気のせいだったか?と思い始めていた。
ジン:
「ふぅん。だけど、『感覚の再現はタブー』だぞ。なんというか、自己ベストを目指さないと」
シュウト:
(そういうものか……)
さらに何本か試し撃ちを続ける。当初の目的とは違い、最初の虚脱感を期待してのものだ。
風を斬る「シュッ!」という音が聞えた。それでジンの方をみると、手持ち無沙汰なのか、その場で素振りのようなことをしていた。だが、剣は手にしていない。代わりに小さな板らしきものを握っている。歯のようなギザギザが見えた。
シュウト:
(…………櫛?)
ジンは髪を梳かす櫛を握って素振りをしていた。アーチのない、真っ直ぐな櫛。手の先から見えている部分は小さなナイフよりも更に短く、5センチ程度しかない。
シュウト:
「ジンさん、もっと重い物で素振りしないと、あんまり意味がないんじゃないですか?」
『変な人』なんだな……、という感想を抱いた。櫛で素振りをする人は十分変な人に分類される。
ジン:
「……素振りは筋トレじゃねーよ」
自分の方は見ないで、そのまま一回、また一回と確認しながら振り下ろしていく。丁寧に、丁寧に。
ジン:
「もっと重いモノでも試してみたが、筋肉自体は負荷を掛けても変化しないらしい。レベルでステータスが成長するのに合わせているせいか、固定されてる感じだな。逆に言えば鍛えられるのなら、衰えるって意味かもしれないが……」
シュウト:
「? ……鍛えても強くならないのなら、意味がないんじゃ?」
自分の本当の疑問はこれだった。練習するよりもモンスター相手に戦って経験値を稼ぐほうがいいのではないだろうか。90レベルの自分はともかく、ジンのレベルは80。少なくともあと10レベルは高められるはずだし、今は上限レベルが100まで上がっている可能性が高い。
ジン:
「“点”に面積や体積が無いって話を聞いたことは?」
シュウト:
「え?……はい。聞いたことがあるような」
突然の話題に困惑するものの、中学か高校の授業かどこかで誰かが言っていた気がした。
ジン:
「同様に、“線”は幅を持たない」
また一度、櫛を振り下ろす。ブレることなく、真っ直ぐの軌跡を描いている。手を止めると、ジンは僕の方へ向き直った。
ジン:
「コレな、重い武器の方が安定するからやり易いんだ。本当ならプラスチックの安っぽい定規が良かったんだけど、手頃で代わりになるもので、櫛ってだけなんだよ」
ジンは戦闘用ナイフに持ち換えると、木に向かって技を繰り出した。基本技のクロス・スラッシュだろう。刃先をほんの少しだけかすらせ、木に十字の傷跡を刻む。
しかし、僕の目には特に違いが感じられない。仮に違いがあったとしても、他の〈守護戦士〉に同じことをしてもらって比較してみなければ気付けないだろう。
シュウト:
(そもそも、何のための努力だろう? 方法も能力も同じならば、結果は同じになる。……結果だけを変えることなんて、出来るのか?)
数値範囲上の行為を、数値以上のものにすること。僕の脳裏に「アート」という単語がひらめいた。
シュウト:
「なんだかアートな話ですね」
思いついた言葉を口に出してしまう病気とでも言うのかもしれない。とりあえず言うだけ言ってみたのだが、それを聞いたジンは苦虫を噛み潰したみたいな顔をするのみ。……僕は、我が国におけるアートの夜明けは遠いのだと思わずにはいられなかった。