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29  トマトの日

 

 

(早く目が覚めてしまった……)


 ここは時計に支配されていない世界。日が昇り、空が白み始めればそこからが朝である。朝というものは日が昇り始めると途端に明るくなるものだったが、そんなことを知っていても、さつきは好きというわけではなかった。訳も分からぬ子供の頃から朝稽古の習慣が身に付いていたため、良いとか、悪いとかの感情が入る隙間などはない。寒いし、眠いし、辛い。たいてい時間もなくて忙しい。それが朝というものだ。ただ一つ、空気だけは別。朝の空気は一日で一番おいしい。


(子供みたいだな、私……)


 不覚にも、朝稽古が待ちきれずに早起きになってしまったらしい。あの2人は今日もきっと来るに違いない。来なかったらどうしようなどとは、さほど考えていない。


 人と一緒に朝錬をするのは久しぶりだった。〈ハーティ・ロード〉の仲間達も最初の何日かは付き合ってくれたのだが、今では誰も寄り付こうとはしなかった。さつきがすこしばかり激しくし過ぎたということもあったかもしれないのだが、主な理由は〈この世界〉では鍛錬にほとんど価値が無いためでもあるのだろう。経験値の取得によるレベルアップによってしか、肉体的な機能の向上は図れない。筋肉痛になっても一時的なもので、超回復などは起こらない。からだを鍛えるということはその意味では無駄なのだ。意味のある訓練、例えば集団演習や連携訓練などは別にキチンと人数を集めて行っている。だから勘が鈍るといったことの心配はないのだ。ともすれば、さつきが行っている朝稽古などは単なる自己満足と言われてしまうものだ。


(ユフィリアさんには申し訳ないけれど……)


 やましい気持ちが全くないとは言わない。ただ、ちょっと朝稽古の間、あの人を借りるというだけだ。好きだとか、付き合いたいのかと自問してもよく分からなかった。そちら方面はあまり得意な分野ではないこともあるし、そういうものとはちょっと違う感情という気がするのだ。これは素振りの1回1回が鈍っていくのではなく、逆に段々と鋭くなっていくような種類のものであった。



「よっ、早いな?」

「おはようございます」

「えっと……おはようございます」


 振り向いて硬めの表情で挨拶を返す。笑顔は必要以上に見せるべきではないという判断からだ。背を向けて素振りしていたのはやはり正解だった。


「ところで、いつも1人なのか?」

「ええ。なんだかんだと朝食前には睦実が来てくれますが、たいてい邪……見てるだけですし」

「もしかしてお邪魔だったりとか?」

「いえ、そんなことは。人と一緒だと活気があっていいですね」

「……まったく、こんな美少女と一緒に朝錬できるかも?ってシチュをどうしてほっとくのかねぇ? ヘタレだね、フニャチンだね、論外だね」

「ジンさん、朝からそんな……」

「そのぉ、すこしだけ厳しくし過ぎたこともあったので」

「鬼教官か、やるなぁ」


(ううっ、美少女とか言われてしまった……)


 誉められたからと嬉しそうに笑顔にもなれないため、ギコチなく固まってしまう。同時に鬼教官とも言われてしまったのだが、今となっては「朝稽古でパーティを全滅させるつもりですか?」と葉月に叱られたのも良い思い出である。

 練習前のこうした何気ない会話が心地好かった。意図的にリラックスさせようとしているのかもしれない。


「今日は何をやろうかなっと」

「で、では! 盾の使い方などはどうでしょう?」

「おお、やる気だなぁ。じゃあそれでいっか。シュウトには関係ない気もするけど、基本的なことを話しておこうか」

「わかりました」


 すこし慌ててしまった感じもあるが、ともかく作戦成功である。剣道の極意『先の先』。こうして主導権を握って放さないのが勝負の鉄則である。



「結論から言うと、盾ってのは廃れたんだよ」

「え?」

「そうなんですか?」

「理由は諸説あるからハッキリしないんだけど、結果的に盾は使われなくなっていったんだ。最終的には鉄砲なんかの火器が防げないから要らなくなっていくわけだけど、日本ではかなり早い段階から廃れてしまっていたんだな。一方の西洋では盾に紋章を描いたりしていたから、そこそこ残って使われていたわけだけど、まぁ、旗みたいなもんだろうな」

「なる、ほど」

「そうでしたか」

「鎧が発達すると両手持ちの武器を使う傾向が強まるんだが、盾の素材が木か鉄か、みたいな話もあるし、決め手がドレとかは言い難い。置き盾とか垣盾とか言われる設置して使うタイプの盾ばっかりになったわけだな」

「矢とか鉄砲を防ぐのに使ったとか?」

「そうそう。その進化形が塹壕とかだな。そんなワケで、盾を使う技法なんかは少なくとも日本には無い。どっかのマイナー古武術とかには残ってるかもしれないけど、失われたのと大差はないだろう。あとは暴徒鎮圧に機動隊が使ってるライオットシールドぐらいのもんか。アレはどう考えても別モンだろう」

「……いきなり終了ですか?」


「んー。要するに、人間は人間ぐらいとしか戦ってないんだわ。戦闘に多様性が無かったから、盾を使う戦法が残らなかった、ということだろう。時代ごとの科学技術や戦術研究の結果、勝ちパターンとか勝利法則とでもいうべき戦闘教義(ドクトリン)ってヤツが決まってしまうんだろうな。その程度には戦争ってのは『単純』だったわけだ。人数が多いと複雑には出来なかったのかもしれん」

「そうなると、この世界では戦うモンスターの種類の多さによって盾の存在意義が保証されているってことになりそうですね」

「まさに、そういうこと。まぁ、盾に異様な強度があるからってのもおっきいんだけどさー」


 突如として濃いめの解説が始まったので目を白黒させてしまう。体は、動かさないのだろうか……?


「で、そこから盾の使い方やらなんやらを考察するわけだけども、端的に言えば、いろんな敵がいろんな攻撃をしてくるから、がんばってソレを防ぐ!になるわけだな」

「そう、ですね」

「それは分かり易いですけど……」

「で、攻撃力的な意味では両手武器の使い手に大きく劣ることになる。これは片手武器使いの宿命ってものだね。それを集団戦闘における役割分担によって大目に見て貰っているのが実状かな、とか」

「あははは」

「いえいえ、前衛の戦線維持は最重要ですよ?」

「そげなこと言うたかて、前衛を壁扱いする慣習があるのは事実だしー」(いじけ気味)

「ええっと、その……(苦笑)」

「気にしてないからフォローしなくていい。さっさと本題に入ろうか」

「早くそうしてください」



「今度も結論から言うと、本格的に盾を使おうと思うと、二刀流に近い運用になるんだな。二刀流は同じ得物を両手に持って処理するんだが、片手剣+盾では、それぞれ別の使い方をする二つの『武器』を持つことになる。その結果、最終的には扱いが最も難しくなってしまうわけだ」

「昨日やっていた攻撃と防御の同時処理ですね?」

「まぁ、そういうこと、かな」


「しかし、システム的に不可能ではありませんか?」

「てーと?」


 思わず言葉が出てしまう。ジンは続けるように先を促がしてくる。


「攻撃を受ければ一瞬ですが硬直が発生する場合があります。そうなれば攻撃が停止した上にカウンターになってしまいます。逆に攻撃途中には盾で防げません。上手く行っても同時攻撃による相討ち、悪ければ一方的にカウンターを受けて大ダメージのはずです」

「それだったら同時かちょこっと速く相手に当てればいいだけだろ? 相手の攻撃は勝手に当たるような位置に盾を移動させといて、こっちの攻撃を先に当てればいいだけの話なんだし」

「そ、れは……」

「また無茶苦茶な (苦笑)」


「それに、その話は部分的に訂正が必要だぞ。上手くやって先に当てれば相手の攻撃が停止することになるんだったら、こっちが喰らう分のダメージが無しになるはずだ。それだと逆に安全すぎるぐらいの話だろ? その場合はもちろん先行攻撃が有利になりすぎるから、相手の停止中にどんどんダメージを積み上げることが出来るようになるはずだな。反証としては、例えばレギオンレイドしてる前衛の〈守護戦士〉がモンスターの軍団の前でカクカクしながら止まったりするかって話だろうな」

「いいえ、そうはなりませんね」


「PvPだと仕切り直しを誘発させるヒットストップ系の特技を使うこともあるけど、集団戦闘でそれがあるとコンビネーションでハメが出来ちまうから、システム的に外してると思う。カウンター停止の件もバランスを破壊するってんでとっくの昔にパッチ当てられてるし、まず無問題(モーマンタイ)だね。〈大災害〉以降はフレームでキッチリ硬直とかは微妙だから、もうちょい研究する必要はあると思ってるけどさ。ノックバックやノックバックのレジスト成功だとか、シチュエーションは様々あるから、まったくリスクが無くなっているわけじゃないんだけども」

「……そうですね」


 1対1でプレイヤー同士が戦うコンテンツなどを特にPvPと呼び、おおまかには特殊ゾーンや特殊ルールによってゲーム本編とは別に「より対人戦闘の再現性を高め」たりしているケースがままある。〈エルダー・テイル〉においても闘技場などが存在するため、PvP戦闘はレイドコンテンツとは動作ルールが部分的に違っていた。

 ここでジンが問題にしているものにヒットストップと呼ばれる概念がある。大まかに言えば攻撃命中(もしくはブロック)時に攻撃側・被攻撃側の双方に硬直が発生することを指している。

 硬直の時間差を多くつければ、硬直の短い側が先に動けるようになるため有利に戦闘を展開するチャンスになる。時間差をつけない場合は仕切り直しになり、近接している場合には瞬間的な選択と対応が問われる展開になる。


 ゲームのメインとなるクエスト~レイドコンテンツでは、硬直を厳密に適用していくと多数の敵になすすべも無く嬲り殺しにされてしまう。多数の敵と戦っている際、ヒットストップによる停止時間が連続するとシステム的な行動不能を起こしてしまうためだ。一方でPvPで動作硬直を緩和してしまうと、殴られても次の行動が継続できることから、より速く多く殴り続ける側が勝つような連打ゲームになってしまい、ゲームとしての面白さは失われてしまう。

 特技の使用や再使用規制などの基本的なゲームシステムは共通していても、ゲームの魅力として表現すべき内容は異なってくるのだ。これらの問題は〈大災害〉によって、より現実的な物理法則に近似する形になっていることが考えられ、〈冒険者〉たちは大きな違和感を感じずにすごしている。



「基本的に人間は1度に1つのことしか出来ない。だから同時に2つのことをやるのが優位性になるんだよ。といっても、同時に2つ以上の処理をするなんてのは、運動の根幹をなすものでしかない。それは特別なことではないのさ。それこそ武術や運動を嗜むものは『オハヨウからオヤスミ』まで、身体の運用能力そのものを高めていくことを目的としている。じゃあ、その高めるべき運用性ってのは何か。 筋力が高まらない以上、技術かそれに近い何かってことになる。そういった技術の前提にくるのが、この手の同時制御の鍛錬なんだ」


「それは、かなりの才能がなければ為し得ないと思います」


 言っていることは正しいように聞こえる。しかし、実現は至難だろう。相手が格下ならばともかく、同クラスの実力者を相手に出来る技とは到底、思えない。自分を相手に実行してみせた彼だからこそ、その言い分に説得力があるように聞こえるが、それは単に巨大な才能があるだけの話だろう。


「才能が無きゃ出来ないものならばこそ、鍛える意味が有る。なにせ、可能になったらそれは才能に等しいものになるのだろう? グダグダ言わずに始めちまえば、その内になんとかなるってこともあるさ」


 論理的なようでいて、同時にメチャクチャだった。これも同時制御?などと考えをめぐらせる。見ている場所が果てしなく遠い気もするし、意外と1歩先の足元しか見ていない気もする。一緒に大きな夢を見たいと願うタイプではない。むしろ苦痛の多い現実を足掻いて歩こうと笑っているような、なんともタチの悪い人だった。そんなことは誰だってやっている(、、、、、、、、、)に違いないのだから。


「ジンさんは、具体論よりも前の部分を重点的に鍛えようとするタイプなんですね? 以前に……」

「おっと、変なことを口走るなよ? だいたい正解と言っておこう。具体の前にある部分とは、抽象というよりも、本質なのだよ」

「本質?」

「というわけで、さっそく練習すんべ」


 といいつつ、ジンがやらせたことは右手で四角を、左手で三角を描くという良くある体操(?)だった。


「ゆっくりと確認しながらでいいぞ。この時の脳の使い方だとかの感覚的なものを味わうようにするんだ」


 その後、同時制御を使うような簡単な取り決めをした組み手をし、また基礎練習に戻り、組み手をし、と交互に練習を行う。ゆっくりとしたペースのため体に負担は掛からないのだが、頭だけは短時間で疲労が蓄積した風になっている。さつきは経験したことのない種類の疲労であった。


「異様な疲れ方をしますね、この練習」


 円と四角を描きながら、同じことを感じていたらしいシュウトが感想を漏らす。自分だけでは無かったことにさつきはホッとしていた。


「だろ? いま感じているであろうものが俗に『脳疲労』と言われているものだな。……つまり、頭が良くなっているかもしれないわけだ!」

「本当に頭が良くなるんですか?」

「知識は増えないけどな~。脳は一部分が活性化すると全体も活性化する仕組みだから、理屈の上では頭が良くなっているはずだ。ついでだから簡単に説明しておくと、勉強もそうだが、鍛錬の仕組みってのはフィードバックループを上手に構築できるかどうか?ってのがキモなんだよ。今回の場合だとからだを動かした刺激で脳を活性化させている。脳が活性化された結果、からだの動きが改善し易くなる。からだの動きが改善すれば、更に脳が活性化していくって寸法だ。脳とからだの間でループを作るわけだな」


「それだと無限にループすることになるのではありませんか?」

「大抵は慣れが追いつく方が早いんだよ。反復練習はまさに反復することよって脳を慣らしていく鍛錬だろ? それらは同じ刺激を与える目的から、慣れや飽きによってループが中断するんだ」

「その理屈だと反復練習では一定以上は上達しないことになると思いますが?」

「ん? しないよ?」

「いえ、決してそんなことは無いと思います」

「んー、反復練習によって専門体力や何やらが身に付いたりすることはあるんだが、それで上手くいくのは、より高度な反復練習を目指して日々進化しようとしている連中だけなんだよ。ただダラダラ反復してても上達はしないね。まぁ、でも、同じことやり続けてると、省体力化の方向に進む場合があるから、そっちの方面で上達する人も出てきたりするのが人間の面白い部分ではあるんだけどな。どちらにしろ同じ事を反復し続けることではほとんど上達はしないと思ってていい」

「そうなのですか……」


 ジンは停止的反復練習・上達的反復練習といった用語を即興で作ったりしながらさつきと会話していた。こうして会話している間にだんだんと脳の疲労が抜けていく気がするのだが、脳の疲労が抜けていくと脳に加えられた刺激もなくなってしまうのではないか?などと心配な気持ちになったりする。

 静かになっていたシュウトの方をみると、何やら目を輝かせていた。感極まった様子で彼は口を開いた。

 

それ(、、)が答えだったんですね?」

「あ?……お前、何の話してんの?」

「ということは?……えっとこれを応用すればいいんだから……」

「おーい、シュウト先生? …………ダメだこりゃ」


 こうして朝稽古は流れで解散となった。

 さつきはいつもとは違う不思議な充実感に戸惑いや嬉しさ、少しばかりの後ろめたさが交じり合って複雑な心境でいた。それでも明日が楽しみなのも本当の気持ちだった。





「できました」

「ああ、ありがとう」


 書類を渡そうとユフィリアが机の前に立っている。霜村はゆっくりと顔を上げると笑顔を見せながら礼を述べた。


「すまないな、ユフィリア君。……これも頼めるかな」

「分かりました」


 笑顔で別の書類を受け取ると、ユフィリアは新たに設置された机に戻っていた。一生懸命に仕事している姿に微笑みを浮かべると、霜村は立ち上がって水差しのところへ向かう。伏せられていた金属性グラスにオレンジジュースを注ぐと、彼女の側に近付いていった。


「分からないことはないか?」

「今は大丈夫です」

「さ、飲むといい」

「わぁ~、ありがとうございます♪」


 机を迂回し、椅子のすぐ脇に立つと霜村はグラスを置いた。触れるかどうかという距離で上から覗き込むようにしていると、その視線に気付いたのか、自然と上目遣いで霜村の様子をユフィリアがうかがう。


「何かヘンですか?」

「いいや、凄く助かっているさ」

「でも暇そうですよ? 忙しくないなら、私が手伝わなくてもいいんじゃないかなって」

「いやいや、大忙しさ。ちょっと見とれていただけだ。チャーミングだものな?」

「んーと、そういうの、よく言われます」

「ワハハ、参ったな。そうだろうとも」


 誉め言葉で照れるような反応を引き出したかったのだろうが、ユフィリアはまったく動揺することがなかった。すっと身を引いた霜村は笑いかけるようにした。ユフィリアもいつもより少し大人びた笑顔を返していた。





「おーい! ちょっと止まってくれないか?」


 ミナミの郊外に出たジン達は、情報収集のために〈大地人〉の商人と接触しようとしていた。離れた処から早めに声を掛けて敵意が無いことを示したつもりだったが、盗賊と疑われても仕方のないやり方なのは最初から理解していた。


「〈冒険者〉様がなんの御用でしょう……?」

「すまん、トマトを扱っていないか?」

「トマトですか? ありますけれども」

「少し譲って欲しいんだ。モノを見せてくれないか」

「それは、構いませんが」


 ジンは相手の懐にドンドン入り込むようにしながら交渉を開始していた。レイシンに品物を確認させつつ、後方に待機させていたユフィリア達に合図を送って呼び寄せる。特にコミカルな白いウサギ型キャップをかぶったユフィリアがこれでもかと目立ちながら近付いてくる。これは素顔の彼女は途轍もなく目立つためで、せめて顔だけでも隠そうとする配慮のためだった。ちなみにこのウサギキャップはユフィリアの自前である。


「レイ、どうだ?」

「うん、凄くいいね。 全部買い取りたいぐらいだよ」

「……すまないが、もし売約済みでなければトマトだけでも全部譲って貰えないだろうか?」

「よろしゅうございますとも。ありがとうございます」


 丁寧に了承しつつも、どこか胡散臭く思われているのが表情に現れていた。ミナミの手前で突然にトマトを譲れといってくる人間を怪しまないのであれば、それだけで商売人としては感度が低いというものだろう。


 街道の脇に荷馬車を止めさせ、石丸を交えての金額交渉を行う。

 通常は生産ギルドがまとめて仕入れるなどをするため、トマトにしたところで仕入れ値に利益を上乗せした額で購入することになる。商人自身が街中で売る場合は許可や場所に掛かるコストが上乗せされることになる。そこをこうして〈大地人〉の商人から直接に買い付けてしまえば仕入れ値のままとなるために安価で済んでしまう。といっても、こんなことばかりされてしまえば生産ギルドが予定量を安定して仕入れることが出来なくなるため、当然のように様々な工夫をすることになる。それら対策の一つが売買契約を結んで行う『予約しての買取り』である。

 ただし、1万人のプレイヤーが生活するミナミの巨大さから、周辺の商人たちが商機を見つけるケースが十分に考えられるため、どこのギルドとも何の約束もしていない商人達とコンタクトを取れるだろうとジン達は予想していた。このため、今回は実験を兼ねた即席の買い付け兼情報収集作戦を行っていた。


 ジンはあまり値切らず、逆に金額に色を付けながら、あからさまに周辺情勢についての質問を始めてしまっていた。何処から来たのか、領主はどんな人物なのか、住み良いか、特産はなんだ、と次々に問いかける。情勢に疎いことを暗に認めてしまい、情報収集のために少し余計に金を出しているのだと相手に悟らせてしまう。目的が分かって安心したのか、その旅商人は親切にもいろいろなことを教えてくれたものだった。


 〈冒険者〉が世界の情報に疎いということは、商人であれば大半の人間が知っていることだった。大地に根ざしていないのが〈冒険者〉なのだ。彼らの言う〈五月革命〉で〈冒険者〉たちは変わった。何がどう変わったのかハッキリと知っている者たちは少ないが、この世界に対する在り方が変わったのは感じているようだ。


 ユフィリアは大人しく座って話を聞いていただけだったが、ウサギキャップの長いウサギ耳で顔を覆うようにしていても、美人の雰囲気だけは伝わってしまうらしい。顔を見たそうに商人の男はチラチラと視線を送っていたのだが、ついには諦め、少々残念そうにミナミへの旅を再開することになった。



「あっつーい! もう限界!」


 しばらく手を振って見送っていたユフィリアだったが、夏の日差しに耐え切れず、毛並みがフサフサとしているウサギキャップをもぎ取るように脱いでいた。冬用らしいのでこれは無理もない。


「もう! これ、すっごい蒸すんだよ?」

「お疲れ。悪かったな。どうにもお前さんだけは気を付けとかないと、どっかでウワサになっちまいそうだからなぁ」

「…………エラい?」

「もちろん、エラいぞ」

「じーーー」

「んー? ……こうか?」 ナデナデ

「フフ、もわっとするでしょ?」

「確かにな。仕方ない、俺が空気を入てやろう」 わっしゃわっしゃ

「や゛ー!?」


 ジンに髪の毛をグシャグシャにかき乱され、ユフィリアは走ってニキータの所に逃げる。タイミングよく差し出されたクシを受け取り、慌てて髪の毛を整えていた。なんとか纏まったところで、ニヤニヤしていたジンに向かって「べー!」と舌を出す。



「しっかし、効率悪いな。これじゃ金も掛かるし、仕入れた情報が正しいかどうかも確認しなきゃならない。だいたいルンドスタード?って誰だよ、有名なのか?」

「そうですね、どうにかなりませんか?」

 ジンの言うように効率が良いとは言い難い。シュウトは石丸に話を振るのみだ。


「そうっスね、生産ギルドの仕入れ担当者になら、情報が集まっているとは思うんスが……」

「そんなとこにコネなんか無いよなぁ。拉致ってきて吐かせるぐらいしかないけど、特定すんのも大変だ。つーか、どっかの小さい貴族にでも恩か何か着せた方が早いかも」

「何かそういうクエストでもあればってことですよね……」


 基本的に情報を握っているのは、各地を旅することもある商人達か、貴族達に限られていた。元来、大衆の知識水準は識字率などに左右されるものだったが、この世界では街道といえどもモンスターが出現するため、町と町との間で情報が交換されない。旅などが出来るのは屈強な護衛を用意できる貴族達か、死ぬリスクまで納得し、なるべく安全なルートを発見しようと努める商人達に限られてしまう。



「……なぁレイ、トマトってまだ青いか?」

「青いのも混じってるけど、良く熟れてるのもあるよ。早く料理しちゃわないと、だね」

「ほほーぅ、どれどれ」


 かなりの量を買い込んだため、3人のマジックバッグに分けて入れてある。ジンはレイシンのマジックバッグに手を突っ込んでトマトを1つ取り出していた。

 

「ふむ、小振りだが赤くて美味そうだな」 はぐっ、あむあむ

「どう?おいしい?」

「ウマいぞー!!」クワッ

「ねーねー、ジンさん」

「いやぁ、味が濃いっつーの? 品種改良しないと青臭くて食えないって話は……」

「あむっ」もぐもぐ

「はい?」


 ジンの食べかけのトマトにユフィリアが首を伸ばして齧りついてしまった。


「おいしー!」

「おいしー! じゃねぇよ、ナニひとの食いかけ食べてンだよ」つんつん

「ヤーダぁ」


 ほっぺをつつかれ、ぴょんと跳び下がる。


「なんで? 半分コして食べようよ」

「いっぱいあんだから新しいの食えばいいだろ」

「だって、ジンさんの食べてるのが美味しいそうなんだもん」

「んなわけあるかよ。レイにウマいヤツ選んで貰えっちゅーの」

「ホントは美味しいの選んだりもできるんでしょ? 自分ばっかりずるい!」

「そこまで万能じゃねー……と思うけど」

「私、間接ちゅーなんてべつに気にしないよ?」

「……やはり貴様は別のヤツを食え!」

「じゃあ、それちょうだい?」

「あんがっ」 もぐもぐ

「あーっ! 食べちゃったぁ!」


(元気いっぱいだなぁ……)


 元気すぎて、見ているシュウトはなんとなく疲れたような気分になってしまう。その時、すい、と赤い実が目の前に差し出される。いつの間にか隣に立っていたニキータからだ。


「はい」

「…………」

「要らなかった?」

「いや、ありがとう」

「…………それとも、半分コしたい?」


 意地の悪い微笑みで提案してくるニキータに、「やめとく」と答えながらも、すこし気不味いような気がして目を逸らしてしまう。やはりというべきか、クスクスと笑われた。


 八つ当たり気味にトマトに齧り付いたのだが、予想外の甘さに驚く。果物のような味と言えばいいのか、これはとても良いトマトだと思う。


「ユフィ!半分コしましょ?」


 ジンのほっぺを両手で掴み、左右に引っ張って遊んでいたユフィリアだったが、ニキータのところにスタスタとやってきた。しかし彼女のトマトを一口齧ると「やっぱりジンさんのが美味しかった」とボヤいていた。

 次の獲物を狙う鷹のごとき眼差しに自分(のトマト)がロックオンされたのを感じ、シュウトは無言で食べかけトマトを差し出す他なかった。


「あっ、これも美味しいよ? 2番!」


 そう言われて、なんとなくニキータの方をみてしまう。ユフィリアはトマトを返すと次の獲物を石丸のトマトに定めたらしく、「いしくーん!」と呼びかけながら走っていった。すでに目的はトマトの食べ比べになってしまっているようだ。


「食べてみる? 2番らしいんだけど」

「いただくわ」


 ニキータが食べているところをまじまじと見てしまった。下を向き気味になり、伏目になった彼女がそっとトマトに口を付け、見えないように歯を立てて齧り取る。


「ホント、甘いわね」

「なんなら、もう少し食べてもいいよ」

「やめておく。見られてたら食べ辛いし」

「ははは…………ゴメン」


 トマトを返してもらい、もう一度齧る。やはり甘かった。ニキータが素早く身を寄せると、耳元で囁いた。


「間接キス2人分ね?」


 どんな顔をすればいいのか分からなかった。苦手だ、苦手すぎる。別にそんなの狙ったつもりはなかったんだ!などと釈明もしたかったが、冗談なのは分かっていた。このギルドの女子は性格に問題がある。しかし改善要求は無駄なのも分かっていた。



 食べ比べしていたユフィリアが、外敵を発見したミーアキャットのように停止して彼方を見やる。同時にジンも声を上げていた。


「〈冒険者〉だな、ここを移動するぞ!」


 ジンの宣言で慌ただしくその場を離れることになった。

 時間帯にもよるのだが、ミナミから続く街道にいるため、ミナミから出てくる冒険者や、ミナミへ戻っていく冒険者が頻繁に通ることになる。〈大地人〉の商人であれば自分達のステータスをチェックされる恐れなどはないが〈冒険者〉が相手では軽く挨拶されるだけでも危険である。この場所には一つのギルド以外は存在していないことになっている。


 遠く離れた場所まで移動を終えると、〈冒険者〉の姿をシュウトは確認していた。距離があるので視力の良いシュウトであってもステータスを確認することはできない。

 ここまでミナミの〈冒険者〉たちと全く遭遇しなかったのは、単にミニマップを使えるジンが一緒に居るからなのだ。考えてみれば1万人規模のミナミを経済的に回すには、大勢の〈冒険者〉が毎日なにかの役割を果たしていなければならない。冒険に出るものも1000人ぐらいはいるかもしれないのだ。


(当たり前だけど、普通の〈冒険者〉だな……)


 特に何かを期待していたわけでもないが、そんな感想を抱いてしまう。ミナミには普通で当たり前の〈冒険者〉たちが暮らしている。〈Plant hwyaden〉の一員として……。



 この日はこのまま〈ハーティ・ロード〉の拠点に戻ることにした。

 

 

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