27 警告草
ぱかぁん!
練習用の木刀がジンの頭を叩く。
「ってぇー!…………ダメだ、反応できん」
「フフフ。 さぁ、もう一本!」
最初は表情の硬かったさつき嬢だったが、いつの間にか自然な笑顔を見せるようになっていた。可憐であった。
◆
「つまりな、腰って言葉は強化装置なんだよ」
「はい……」
朝早くからジンが鍛錬しに行くのに気付きシュウトが後を追っていくと、ジンは「気分が良いから特別サービスで腰について話してやろう」と講義を始めた。 さつき嬢にアサシネイトを入れたシュウトを誉める意図があるらしいのだが、話題のチョイス的にどこらへんがサービスなのかいまいち分からない。しかし、今、意味が分からないからと聞き逃して良い内容ではないことぐらいは理解できている。
「腰ってのは実は謎の部位でな、何処が腰なのかは微妙~な問題なんだ」
「そうなんですか?」
「通常は、尻の上辺りの背骨周辺を腰と呼ぶだろ?胸があって、腹があって、胸の後ろが背中、腹の後ろが腰って感じでの区別になってる」
「そうですね」
「ところが、『腰を入れる』『腰を落ち着ける』などの言葉が指しているのは、骨盤周辺の部位だったりするわけだよ。ケツ周りってことだ」
「はぁ」
「解剖学も名称付け以上のものは解釈論になっちまうし、そもそも四足動物に腰が無いことから推量してかないといけないわけなんだが……」
「それって学術論なんですか?」
「いやいや、もっと単純な話だよ。運動分野の科学化はずいぶんと立ち遅れたって言われているんだけども、なんというか部分な視点では全体性を除外していることに対して盲目的になってしまい易いんだな。例えば、腰の機能を高めるのに、腰のことだけを考えようとしてしまう。だけど腰とは何か?と考えて大元にまで戻らないと、実の所マトモな訓練をすることができなかったりするんだ」
「そういう話を聞いていると、なんだか常識的ですね」
「……俺は常識人だぞ? いまごろ何をいってるのかね、チミは」
「えっと、天才とか化物とか規格外の間違いなのでは?」
「だから、天才ぢゃないっていってんじゃん」
「いやぁ~、でも~」
「昔、偉い人は言いました。十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない※、と。……ある程度以上の実力が身につくと、それは才能と区別が付きにくくなっていくのだよ」(※クラークの三法則)
「……それ、天才だって暗に認めてません?」
「区別が付きにくいだけだっつの……なんでもいいけどさぁ、その手の逆差別を努力しないための言い訳にはすんなよ?」
「了解です」
「まぁいい。結論付近だけ簡単にまとめるとだな。運動全般における『最重要』部位である腰ってのは、二足歩行というか、立つ事自体と関係があるから腰というものになりえているわけだ。それは、頭蓋骨からだらーんと垂れ下がっている背骨の連なりを前提としている」
「最重要……」
「やっと興味が出てきたのか? 遅すぎだろ、オイ」
「すみません、続きを……(笑)」
「運動の中心は脊椎なんだ。腰なんてものは実のところ『無い』んだよ。鎖みたいに垂れ下がってる背骨が体の中をブラブラとしているだけなんだ」
「それじゃあ、腰っていうのは?」
「ただの言葉なんだが、もはや強化的な概念装置という風に認識するのが正しい。四足動物とは違い、人間は脚などの下体の上に上体…… 体幹部が乗っかる構造をしている。そして背骨が体の中を泳ぐようにしながら、運動エネルギーを下体に伝達したり、下体から地面反力をもらってたりするんだ。その伝達効率を高めるための概念装置が……」
「腰ってことなんですね?」
「そう。これらの前提を理解していない場合、いや理解しているヤツなんてほっとんどいないんだけども、腰って用語を簡単に誤用することになる。背骨との関係を無視して腰だけでどうにかなると思ってしまうわけだ。腰で打て!みたいな。」
「ただの言葉なんですねぇ……」
「微妙に違うって。もはやこの概念は存在しているのに近い。人の意識によって裏づけが与えられてしまっているんだ。実際に、人間自身が腰に意識を置くことによって、な。むしろ腰に置かれた意識のことを本物の『腰』と言ってしまってもいいぐらいだ。」
「腰に置かれた意識が腰……? でも腰が無いのなら、腰の場所もないのでは?」
「そうそう。だから問題にしているのさ。 ニワトリが先か卵が先か、みたいになっちまってるが、腰は何処なのか?って話はまさに強さの根幹に関わる物事になってしまっている。その位置情報からして、パフォーマンスレベルを決定しかねないものなんだ。これは強くなるだのの話の前に、弱くならないための話でもある」
「…………結局は何処が正しい位置なんですか?」
「何処だと思う?」
「いやぁ、イジワルしないでください」
「ちっとは自分で考えろって。 俺が嘘を教えてたり、知らずに間違ってたりしたらどうする気なんだ?」
「それは……」
「…………んで、そっちは何処だと思う? 聞いてたんだろ、出て来いよ」
ジンが振り向いて声を掛ける。その場所から現れたのは、さつき嬢であった。
「すみません、興味深いお話をされていたので……」
「いや、別にいいんだけどさ」
「……仙骨」
「ん?」
「腰の位置、仙骨ですね?」
「おお、正解だ。武道・武術の要。仙人の骨だから仙骨って言うらしいな」
「……あの、すみません。仙骨ってドコですか?」
「お前はソコからか…………」
それからしばらく、さつき嬢はギコチなく話にくそうな雰囲気で固まり続けたため、なにやら場の空気が持たなくなりつつあった。そこに都合よく救世主が現れる。
「さっちーん!…………!?」
「睦実……」
「オッサン、またさっちんにチョッカイだしてんの!?……あ、シュウト君オハヨー♡(ハート:機種依存文字)」
「おはようございます」
「どうしてそういう歪んだ目で人を見るかねぇ。邪眼の保持者か、お前?」
「クッ、あたしの左目が疼く…………じゃなくって、ここはさっちんの朝専用スペースじゃん」
「知るか、そんなもん」
「待ってくれ睦実。今日は彼らが先客なんだ」
「そうなん? ……じゃあ邪魔だから出てって?」
「よーし、わかった。いくぞ、シュウト」
「あっ、ゴメン、今のナシ! シュウト君はぁ、ずっといてもいいんだからネ?」
「お前って…………幸せになれそうだなぁ」
「あたりまえだし!」
「……それはともかく、ちょっとお嬢ちゃんに頼みたいことがあるんだが?」
「私、でしょうか?」
「そうそう」
ジンは「ちょっと剣道を教えて欲しい」と言い出した。シュウトも以前に弓矢の掴み取りをしたいと頼まれたことがある。どうやらジンの趣味のようだ。
さつき嬢が用意した木刀で簡単な立会いを行うと、かなりの速度で技が繰り出されていた。最初はまったく反応できなかったジンだが、しばらくすると1撃目を受けられるようになっていた。しかし、そこから難度が飛躍的に上昇してしまい、連続技になると体がまるで付いていかなかった。
「くっそー、反応できんなぁ」
「フッ、愚かな。さっちんはスペシャルなのだよ」
「まだ続けますか?」
「いんや、堪能さしてもらったわ。ありがとう。……参りました。」
深く頭を下げるジンに、さつき嬢も慌てて礼を返す。
「いえ! ……お粗末様でした」
「…………じゃあ、今度はお兄さんが特別にサービスしてあげようかなっ」
「何でしょう?」
「〈守護戦士〉の戦い方を教えてやんよ。実戦形式でな」
「それは……」
さつき嬢に静かな闘気が宿る。昨日は実力を見せる前に負けてしまったため、彼女もどこか燻っていたのだろう。その気持ちはシュウトにも分かる気がした。ジンと戦えるのは、正直に言って羨ましい。それでも対人戦を見せてもらえるだけでも進歩かもしれなかった。ニキータが教えてくれなければ、レイシンと戦っていたことすら知らないままだったろう。
「でも大丈夫なんですか、ジンさん?」
「おまえさん、何が言いたいのかね」
「いや、さっきは全く反応できてなかったじゃないですか」
「あれは……超反射を使うと剣道にならないとかの色々な事情があってだね」
「あっさり負けないでくださいよ?」
「でーじょぶだって。…………負けそうになったら本気出すから」
「それはそれで大人げないです(苦笑)」
「普通に負けたら『勝ちを譲る良識ある大人』風に振舞うし、勝ったら勝ったで『世界の広さ・厳しさを教える』って役割をこなすわけだよ。これが大人の戦略的勝利ってもんよ」
「まるっきり汚い大人のような気が……」
「お前もちゃんとした汚い大人になるんだぞ?」
「こんな風にはなるなよって言うべきところなんじゃ?」
「わはは。いいからお前は小娘にヒールするように言えって」
「分かりました。……すみません、睦実さーん!」
「なーにー!?」 しゅたた
「あの、ジンさんにヒールしてもらってもいいですか?」
「シュウトくんのお願いだもん、もちろんだよ?……ほれオッサン、ヒールだ」
「……なんだこの気持ち。あまり悔しくないのが中途半端で、こう、物足りないみたいな」
「すぐにソレが癖になるゼ?」
「ヤバ、押され気味」
「…………こちらは準備できました」
「うし、やろうか」
こうして2人は再び剣を交えることとなった。
◆
「なんでお前がこっちにくんだよ?」
「逃げられないように監視。あんた達に逃げられたら美味しいご飯が食べられなくなっちゃうから」
「とかいって本当は違うんだろ?……なんつーか、トシの割りに行動がオバン臭いんだよなぁ」
「オッサンはうるさい。ちょっとさっちんに勝ったからって調子に乗りおって。さっちんの仇はあたしが……」
「超絶特技〈シュウト・プレス〉ッ!」
「きゃーきゃーきゃー」
「フッ、峰打ちじゃ」
「あのー、人で遊ぶの止めてもらっていいですか?」
睦実に押し付けられながらも、とりあえず抗議だけはしておくシュウトだった。
午前中は全員総出で食料確保の狩りが行われることになった。それもこれも昨夜の宴が原因なのだ。とはいえ、〈カトレヤ〉に参加義務は無い。ミニマップの使えるジンが出張れば効率が違うので、最低限、自分達の食料だけは確保しておくことに決まった。ミニマップがあるとモンスターとも遭遇しやすくなることから実質的に戦闘訓練みたいになるのだろう。念のために〈ハーティ・ロード〉の部隊からは離れて行動するつもりでいたが、睦実が監視役として付いてくることになってしまった。睦実本人の意図はともかく、あまりにあからさまな行動は色々と名目が出来たということなのだろう。
「そういえば、あたしがこっち来ちゃったから、ユフィさんを貸して欲しいって言ってたんたけど?」
「却下。意味不明だろ。馬鹿じゃねーの? お前が帰ればいいだろ」
「いやぁ、あたしには崇高な使命が……じゃなかった、えっと、周辺の案内が必要だろうって、ね?」
「そんなのはいらん。むしろ詳細な地図でも寄越した方が気が利いてるっての」
「ヒドいわっ、そんなっ、役立たずみたいに言わなくてもいいでしょ!?しくしく」 ←嘘泣き
「あー、ほんっと、頭悪いよなぁー……」
しみじみと呟くジンだったが、シュウトにも意味が分かるようになっていた。確かに言っていることがおかしい。どちらにせよ〈カトレヤ〉に参加義務はないのだ。しかし、睦実は自分が馬鹿扱いされたと思ったらしい。
ちなみにユフィリアとニキータはまだ準備をしている。それは彼女たちがノロノロしているのではなく、万一に備えて一つのテントで生活しているためだ。順番的に男子の後に着替えているため余計に時間が掛かってしまう。
「にゃんだとぅ~、勝負すっか? フルボッコに……」
「必殺!〈シュウト・……」
「ぎゃー! やーめーてー(棒)」
「…………」
「ちょっと!そこで止めないでよ!」
「いやぁ、喜ばせてやるのもなんだし?」
「よ、喜んでないっすよ? 単に関西の血がボケとツッコミを要求しているだけで……」
「はいはい、そうですね。……そういえば、さっちんはどうしたよ?」
「アンタがさっちん言うな! さっちんは戦闘班の隊長だから抜けられなかったの。あたしも一緒に居たかったんだけど、泣く泣くこっちに来てあげたんだから、感謝してよね!」
「はいはい、ツンデレツンデレ」
「デレてないんだからねっ!」
あの後、さつき嬢は両手剣でジンに挑んでいた。彼女は本来、両手剣のスペシャリストなのだという。〈守護戦士〉の両手剣使いはあまり多くはないが、それでも居ない訳ではない。シュウトの見たところ、彼女は頭ひとつかふたつ飛び抜けた使い手だった。
現実の格闘技とゲームの戦闘は別物であるため、なまじ剣が使えてしまうとチグハグになり易いのだが、プレイヤースキルと見事に融合されたその剣技は、厳選された特技構成と合わさって高度な水準に達していた。扱い慣れた武器を自在に使いこなす姿は、盾など無くとも隙などは感じられない。観戦してても全く勝てる気がしなかった。自分でもよくアサシネイトを入れられたものだと思う。
タイマン戦闘で彼女に勝てる〈守護戦士〉は日本サーバーでもごく一部のプレイヤーに限られるだろう。最強と噂される黒剣騎士団のアイザックと、他に何人かいればいい方だ。
それでも勝ててしまうジンは…………流石に化物としか思えなかった。
始めは鉄壁そのものだった。驚異的な反射速度で彼女の攻撃を防いでいく。攻めきれないと見るや、ギアを挙げるさつき嬢に合わせてジンもギアを上げたのだが、今度は鉄壁のままぐりぐりと動き回っていた。不動のイメージが強い『鉄壁』が動き回るという矛盾が拮抗を生み出していた。白熱した戦いとなったが、攻撃に特化しているさつき嬢を相手にダメージを完全には遮断することはできない。最後はジンが強引に攻めて押し切る形になった。攻撃と防御の切り替えが段々と短くなり、攻撃と防御を同時に行うまでになっていた。右腕と左腕がバラバラに動き、相打ちになるはずの攻撃を盾で防ぎつつ、ジンだけがダメージを与えていく。それでも間に合わず、カウンターの斬り抜けを3度も繰り返してトドメを刺していた。
結果はジンの圧勝だが、さつき嬢はかなり健闘していた。レベル差があるとはいっても、ジンのHPが短時間でここまで減るのは初めて見た。彼女が強かったからこそ、ジンが段々と本気になっていく過程をみることが出来たのだ。それはシュウトにとってかなり収穫になっていた。
たとえば、本来、矛盾といえば『絶対の武器』と『絶対の盾』による二者の組み合わせである。しかしジンは『攻撃』・『防御』・『移動』という三者の同時共存を目指しているらしいことが分かる。特にカウンターの斬り抜けは『攻・防・移』の合成技かもしれない。
(いや、むしろレイシンさんがどうやって勝ったのかが問題だ…………)
さつき嬢は90レベル最高クラスの強者と考えて間違いない。それでもジンに勝てないとなると、レイシンはそれ以上の力をどこからか持ってきたことになる。シュウトがちょっとした模擬戦で彼に勝てないのも道理というものだろう。
(システムも、プレイヤースキルも超えた『力』……。いや、まずはスタイルの確立からなんだけども)
どうにも、やるべきことは無限にあるらしい。
「ごめんね、まった?」
ユフィリアがテントから出てくるとジンの近くに歩いていった。
「大丈夫だ。 ニキータはどうした?」
「うーん、もうちょっとかかるかなぁ~」
「そうか。なぁ、ユフィリア」
「なぁに?」
「…………」 ナデナデ
「……髪の毛ハネてた?」
「いんや。別に」 さわさわ
「どうしたの?」
「ん、いいんだ」 ポンポン
「ヘンなの~」
頭を撫でられたユフィリアは満更でもない、という顔をする。
睦実は「イチャイチャしおって、生意気!」と言っていたが、シュウトは(ジンさんは無意味なことはあまりしない。たぶん防御線を張ったか何かだろう…… )と予測を働かせていた。
「あれ? 睦実ちゃんだ」
「やぁ、ははは」
「こっちの組?じゃあ一緒にいられるね!」
「うん。まぁ、そうなるかなぁ~」
「……お待たせしました。えっと、ユフィは?」
「ん、食事中だな」
「食事……?」
戦闘用の男装に着替えたニキータが出てきてジンに声を掛けていた。
ユフィリアは睦実を捕まえてほとんど一方的に話している。その様子はたしかに睦実を食べているように見えなくも無かった。
ニキータの登場で解放された睦実は顔を赤くし、ほうほうの態で逃げ出していた。どうも睦実はユフィリアが苦手らしい。その様子を見ていたジンがチャチャを入れる。
「……お前、もしかしてレズなの?」
「レズちゃうわ! だって、めちゃめちゃ可愛くない? 女の子っていうよりも、もっとこう、生き物として可愛いというか。ドキドキして圧倒されるみたいな?」
「ふぅ~ん…………キャラ負けだな」 ぼそっ
「うっさい!あれは反則やろ!」
ややもありつつも、出発となる。
「そういえば、〈Plant hwyaden〉の人が居るんだね?びっくりしちゃった」
「そうだよ。潜入班のメンバーは、あっちのギルドに入って貰ってる」
「そういう人間も必要だろうな」
「まぁね。今日も買出しに行くことになってるんだ」
「ホント? 私、たこ焼きが食べたいんだけど!」
「いいよ?頼んであげる」
「そんな気楽なもんなのか?」
「うん、大丈夫だよ。30人分の食料を定期的に仕入れると足が付いちゃうから、ルートを分散させる必要があるのね。だから狩りで間に合うものは自分達で入手するようにしてるんだよ。お肉や魚はともかく、お米だとか小麦粉を手に入れるのは簡単じゃないもん。」
「なるほどな」
「それに、潜入班だと自由に買い食いできるって特典もあるからね」
ミナミの外に潜伏しているのは、何も〈ハーティ・ロード〉だけでは無いのだそうだ。30人の集団となると流石に彼らだけだが、4~6人程度ならばいくつものパーティが〈Plant hwyaden〉に入るのを嫌って街の外に留まっているという。その手の〈冒険者〉に対する闇取引も自然に発生していて、なかなか旨味のある商売だとか。ただし足が付いてしまうと一網打尽にされてしまいかねないので、そういう商人とは細心の注意を払って接触しているとのことだ。
「アンタ達、絶対アタマおかしいって!」
その後、シュウト達と共に数度の戦闘を経験した睦実の感想がコレだった。石丸にくっ付いていろと言われた睦実は、何をやっているのか全く理解できずにひたすら走らされていた。戦闘には密かに自信があったらしく、微妙に打ちのめされているようだ。
シュウト達はもはや慣れたもので、遊動型の戦陣を自在にこなせるようになって来ている。一度噛み付いた獣が噛み位置を変えながら弱点の喉笛を目指していくかのように、後衛が走ることで前衛に余裕を生み、素早く弱点を突いて行くことが可能になって来ていた。ジンの指示出しの回数もめっきり少なくなっている。
「これが出来れば確かに効率がいいのかもしれないけど……レギオンレイドはどうするつもりなの?」
「んー、俺は即席のしか経験してないからなぁ」
〈エルダー・テイル〉では上限70レベル頃から次第にフルレイドやレギオンレイドの重要度が高まっていった。最初は軍事マニアを中心に、本格的な〈大規模戦闘〉の研究がはじまり、いつしか『即席レイド』に対抗する概念として『一体形成』が登場することになる。
即席レイドとは、例えばフルレイドであるならば、4パーティがそれぞれ協力して戦うことを言う。あくまでも基本はパーティ・バトルであり、それぞれとして戦っていながら、たまに他のパーティとも協力しあう仕組みのことだ。これは分かり易く、成立もし易いのではあるが、同レベルのレイドランクモンスターには通用しないことが間々ある。
それに対して一体形成とは一度パーティを解体してしまい、一つの部隊として編み直したレイド戦陣のことを指す。レギオンレイドを行うに当たって、16ものパーティを別々に管理するのは困難でもあって、一体形成は指揮・運用能力を劇的に向上させることになった。〈D.D.D〉を始めとしたレギオンレイドを行うギルドにとっては、基本でありトレンドでもある。総合戦力は即席レイドに対して数倍化したとも言われ、同レベルのレイドランクモンスターを倒すことも十分に可能となっている。効率的に運用されたレギオンレイドこそが、この世界における最強の軍事的単位に他ならない。
昼過ぎには十分な戦果をもって狩りを終えることが出来ていた。シュウトとニキータが弓を用いて若い鹿と数羽の雷鳥を仕留めている。
「よし、それじゃ帰るぞ小娘?」
「つか、小娘って言わないでよ、オッサン! あたしには睦実って立派な名前があるの。いい? 睦実の『実』は美しいの『美』じゃなくって、実りのある人間の『実』なんだからね!」
「外見よりも中身で勝負ってか?」
「そう!」
「つまり、外見に自信が……」
「それ以上言ったら殺す!」
「だいたい、名前で呼ぶように要求しといて、俺の方はオッサンか?……まぁ、オッサンだけど」
「え~っ、あたしにジンって呼んで欲しいの?」
「いや、別に」 キッパリ
「またまた~、本当は名前で呼んで欲しかったんだよね?」 うりうり
「……そうだな、出来ればさっちんに『ジン殿』って呼んで貰いたいかも」
「ナニソレ?」
「いや、ほら、なんか口調的にあの子、『ジン殿 ♡』って呼んでくれそうじゃね?」
「呼ばないから。というか、それはあたしが許さん!」
「……!」
ジンの手が動いてさりげなく敵の存在をハンドサインで伝えてくる。睦実がいるため先程から言葉での警告はない。戦闘を回避しようと思えばできるのだろうが、帰ると言ってしまっているので今からだと不自然に回り道をすることになる。道なりに進めば自然に遭遇戦になってしまう。
「今、前方に敵影じゃないっスか?」
気を利かせたらしい石丸が演技で誘導を仕掛ける。
「ん、それは気がつかなかったな。……シュウト」
「はい」
「念のためだ、先行偵察を頼む」
「分かりました」
「はい!はい!あたしも一緒に行くよっ!」
「おーい、偵察は遊びじゃないんだぞ?」
「分かってるよ!ていうか、戦闘じゃ殆ど役に立てなかったから、ちょっとぐらい役に……」
「……といいつつ、シュウトくんと2人きりになったらどうしよう!と心が弾んでしまう睦実であった」
「げへへへ……って!勝手なナレーションつけんな!」
「じゃ、ちょっと行ってきます」
「あっ!あっ!待って、待ってぇ~」
「……あれって、大丈夫なの?」
「まぁ、シュウトと一緒だし、こんなところじゃそんな強い敵なんか出ないだろ」
「そっか、そうだね」
「……たぶん戦闘にはなるんだろうけど」
索敵のために迂回して獣道のような場所を選んで小走りに進む。草木を掻き分けているような状態でもあるので、振り返って睦実に気を遣おうとしたのだが、少し遅れる程度でしっかり付いて来ていた。どうやら〈森呪遣い〉には得意なフィールドということらしい。
「アレですね」
「どれどれ?……ほんとにモンスターだぁ。50体ぐらいいんね?」
「ですね。」
「んー、インセクト系かぁ。おいしいのがいるでもないし、6人じゃキツめかも。やり過ごしちゃった方がいいとおも」
「……伏せて」
「(きゃーきゃーきゃー! このシチュ、おいしすぎだよぅ?!)」
巨大蜂のようなモンスターが飛んでいたため、睦実の体に覆いかぶさるようにして伏せさせる。無事にやり過ごすことが出来たので、ジンに念話で戻ることを伝えることにする。
「このまま戻りましょう。今、念話してしまいます。」
「うん。わかったよー」 ぽけー
「……睦実さん? その足元って」
『おう、どうしたシュウト~?』
頭の中に念話の向こうのジンの声が聞こえる。と、睦実の足元に何かが巻きついているように見えた。
「〈警告草〉じゃ?」
「ほえ?」
びぎゃああああああああああ!!!!
「くわっっ!」
「ふにゅ!?」
〈警告草〉。
マンドレイクの亜種として、トラップ的な性質の強いモンスターだ。レベルは低いのだが、このモンスターに触れられてしまうと途轍もなく大きな警告音を発して周囲のモンスターを呼び寄せる、といった性質がある。またその音の大きさから、至近距離にいると一時的な聴覚遮断状態になってしまう。(時間経過で自動回復)
今も睦実が謝っているようなジェスチャーをしていたが、口パクのようになってしまい、言葉は聞こえていない。
『あー、お疲れ。こっちまで聞こえたわ。とりあえず戻ってこい』
『…………、…………』 (←わかりました、すみません)
どうやら念話の声は聞こえるのだが、自分の話し声は聞こえないままだった。
聴覚異常を回復すると言いたいらしい睦実の無言の提案を、しかし首を振って却下し、腕を掴んで素早く走り始める。案の定、先程の巨大蜂がこちらに向かって飛んで来ていた。さっさと合流しないと余計に面倒なことになってしまう。
「戻りました!」
「おう、お疲れ。」
完全にモンスターを引き連れての帰還になってしまったが、ジンは意外と寛容だった。
「ごめんなさ~い(涙)」
「はっはっは。思いっきり予想通りだぜ。んじゃま、とっととやっつけちまうか!」
「はい!」「うん!」「応!」
インセクトタイプの敵が50体居ても、別に恐ろしくはない。今日は睦実もいるので回復力も厚い。少し無茶してもいいかもしれない。 そうして実際にも戦いは順調そのものだった。
途中でひとつだけアクシデントが起こる。
「シュウト!後ろからも来るよ!2体!」
ユフィリアからの警告に振り向くが、敵影は見当たらない。2体だと言っても挟まれるのはやはり面白くない。
「どこだ?!見当たらない!」
空から来るのか?と仰ぎみるが、それでも敵の姿は見当たらず、焦る。
「そっちはまだ範囲外だ、無視しろ!」
前線のジンから否定の声が飛ぶ。
これはユフィリアのちょっとした勘違いなどではありえなかった。
無事に戦闘が終了したところで後処理を放り出してユフィリアのところへ向かう。ジンも同じだった。
「ユフィリア、お前いつからだ?……というか、もしかしてあん時からずっと練習してたのか?」
「うん。だってジンさんが出来るって言ったでしょ? それで、最近なんとなく分かるような時があって」
「そっか、…………偉いな」 ナデナデ
「えへへ。……シュウト、さっきのごめんね?」
「いや、いいんだ。でも、それじゃあやっぱり?」
やはりユフィリアもミニマップを使えるようになりつつあるようだ。
「うん。まだ時々だけど、私もミニマップ使えるみたい。ジンさんとおそろい~」
「そっか、やっぱり何も考えてないってことだな」
素直に驚いたが、素直な誉め言葉までは出てこない。
「違います、これは感受性の問題ですので。……あははは!」
澄まして答えるユフィリアだったが、直ぐに笑い出してしまう。
「どうしたのー!?」
「なんでもねーよ!…………じゃあ、帰るぞ?」
「うん!」「はい」
ジンに向かって真っ直ぐに歩いていくユフィリアの横顔や後ろ姿を見ながら、ちょっと焦りを感じなくもないシュウトなのであった。