25 守護戦士の習い
「だからミナミの近くはダメだ。こっちの指定してるポイントに迎えに来させろよ。 …………ああ、そうだ」
ジンは葵を経由した念話で合流方法を確認していたが、既に何度もやりとりをしている。外から聞いている限りではモメているらしく、話の端々から察するに相手がミナミで待ち合わせしたいと言って来ているのを、ジンが断っているらしい。
「この辺りで待ち合わせするんじゃなかったの?」
ユフィリアに質問されるが、シュウトにも事情が飲み込めていない。
「そのはずなんだけど……」
実は相手のキャンプ地点は先に確認してあった。最初は無駄な手間だと思っていたものだが、ジンのしている念話のやり取りにどこかしら不穏な空気が感じられ、今では逆に正解だったのかもしれないと思いつつある。
慣れない土地で待ち合わせ相手と合流できない場合、かなり不安な気分になるものなのだが、こうして相手の居場所を確認していると余裕をもっていられる。相手からの指示に一方的に従わずに済むような『優位に立っている感覚』があるのだ。その気になればそのままキャンプ地点に行ってしまえばいいだけだと思えば気も強くなれる。
ジンが嫌っているのは、万一にもミナミの街中に入って『登録』されてしまうことなのだろう。そうなれば当然、アキバやシブヤに戻るのに〈帰還呪文〉を使えなくなってしまう。今度こそ本当に馬や徒歩で帰らなければならない。この条件は相手方も了解済みのはずなのだ。
しばらくの後、ついに相手が折れたのかそれから30分ほどで出迎えの一行が現れた。
その6人パーティは狩りに参加していたメンバーの一部なのだろう。先頭の馬に乗っているのは、あの女剣士だった。この世界では金髪など珍しくもないが、背は低いのに貫禄のようなものがあるので見間違い様が無かった。少し離れたところで馬を止め、馬上から挨拶してくる。
「〈カトレア〉のご一行ですね? 遠路、ご苦労さまでした。」
ジンが動かないのでシュウトが返事をしようとしたのだが、小声で何か言ってるのが聞こえてしまって笑いそうになる。「挨拶すんなら馬から降りろ、小娘」とかなんとか。
「出迎えありがとうございます。…………えと、よろしくお願いします」
練り込まれたパンの生地にたっぷりと空気が含まれているような、ゆったりとした動作で馬から降り、軽く撫でて騎馬に配慮を示し、それからこちらに近付いて来た。ここのところ走法・歩法を習って意識が高まっているためだろう、彼女の軸がブレない歩き方や、なめらかに継がれる足捌きに目を奪われる。自然で無理がない。訓練によって身に付いたものが素直に表れているようだった。
脳内メニューでステータスを確認するのを忘れてすこし慌てる。レベル90の〈守護戦士〉、ギルド名は〈ハーティ・ロード〉。名前は平仮名で『さつき』。後ろから〈森呪遣い〉の『睦実』という女の子が走ってきて横に並ぶように立った。
「〈ハーティ・ロード〉のさつきです。改めてよろしくお願いします」
「〈カトレヤ〉のシュウトです。こちらこそ、よろしくお願いします」
手を差し出されて、その小さな手を握り返そうとしたところで、横にいた睦実が「ホァ~」とあまり聞いたことのない声を上げて驚き、自分をマジマジと見つめていた。(あ、この感覚、久しぶりかも?)と思いつつも、シュウトは口元が引きつるのを停められない。……と、背後では堪えきれずにジンが噴き出していた。
「ブーッ!!」
「?!」
「ブワッハハハ! や、やべーっ!」
「ジンさん、……どうしたんですか?」
「ばっか、お前、目の前に本物のセ●バーがいるんだぞ? マズい、これはマズい。まさか、ここが二次元とは知らんかった! 油断したわ~。そうだよ、画面の中の世界じゃん」
「残念でした!さっちんはあたしのヨメだからねっ!触らせてあげないよ!」
「なんだと!?独り占めする気か!」
「あたりまえだし!」
「睦実、恥ずかしいからよしてくれ……」
「ジンさん、大人げないですよ……」
からだに巻き付きながら所有権を主張している睦実に、さつき嬢はかぼそい声でやめるように求めていた。
シュウトは初対面の相手に爆笑され、顔を真っ赤にして俯くさつき嬢に同情する。後ろに立っている〈ハーティ・ロード〉側の男性四人はというと、苦笑いしつつもジンの意見に肯定的な反応を示していた。同類相憐れむ(?)ということだろうか。
さつき達の後について集落の中に入る。規模的には30人程度で住んでいることになるようだ。食事場所や倉庫のように寝る以外の機能を集約した天幕が別々にあるため、数は人数分よりも多く感じる。その一角の空いたスペースに案内される。
「では、この辺りに天幕を設置してください。もし、お持ちでなければ、予備の天幕をお貸ししますが?」
「それは大丈夫っス」
行儀よく控えめにしていたユフィリアに気が付いた男たちが何度もチラチラとのぞき見を始めていた。集落に入ってからは物見遊山なのか、人が集まって来る。関東人を見てやろうという部分があるのだろう。
「では、また後ほど…………ああ、そうでした。この近くには温泉がありますので、女性の方は後でご一緒しましょう。それとトイレに関してですが……コラァ!!」
さつき嬢は丁寧な態度が一変し、無作法な仲間達を一喝していた。みな破顔しつつ、クモの子を散らすように逃げていく。配慮しようと努めてくれていることが分かるだけに、さつき嬢の態度のギャップや仲間達との仲の良さが合わさっておかしくなってしまう。
「おんせ……?」
ニキータの瞳に期待の輝きがにじんでいた。どことなく女性同士は仲良くやれそうだと感じてホッとする。ジンにしても何だかんだで睦実という子と打ち解けている気がするし、ユフィリアはどこに行っても大人気と来ている。
ジンの心配もなんのその、懐に飛びこんでみれば気のいい連中ではないかとシュウトは安堵していた。
「責任者の霜村から後で挨拶があると思います。それまでくつろいで長旅の疲れを癒して下さい。では、我々はこれで。」
さつきは軽い会釈をして引き上げていく。その後ろ姿も凛としてサマになっていた。
◆
「ぜんぜん呼びに来ないね?……昨日も温泉に行った時、よそよそしかったんだよ。こっちの話とか、もっと聞きたかったんだけど……」
「何か準備をしてるんじゃない?」
「それは歓迎パーティ的な?」
「どうかしら?」
「…………」
ユフィリア達が会話していてもジンは無言のままだった。
「しつれいしまーす。……えっと、ウチの霜村がお会いするそーでーす」
合流後、夕食時に挨拶するのかと思っていたら、シュウト達が呼ばれたのは翌日の昼頃になった。ジンは呼びに来た睦実に聞こえないように一番後ろを石丸と歩いて文句を言っている。〈暗殺者〉の特性によるものか他の〈職業〉に比べて目や耳がいいらしく、シュウトには聞き取れていたりする。
「おうおう、お約束通りだろうとは思ったが、待たせ過ぎだろ。こりゃ、バカの集団で確定だな」
「その確率はかなり高いっスね……」
隣を歩いているニキータの目がすっと細まり少し怖いような表情を作っている。よく鈍いといわれるシュウトだったが、笑いを堪えてるのだろうなぁ、と分かるようになっていた。吟遊詩人も耳がいいので聞こえてしまうのだろう。
集落の中央付近にある大型天幕の前で立ち止まる。
中に入る前にシュウトが礼を言おうとすると、睦実はまじまじとユフィリアを観察していた。今度は小声で「どひゃ~」である。どういう噂になっているものか、昨日から彼女を一目拝もうと男子がテントの周囲をウロウロとしていた。
普段の3倍ぐらいの笑顔で「ありがとっ♪」と睦実に声をかける。しどろもどろになっている姿に、(ジンさん並みの意地の悪さだ)と嘆息する。ジンなどは人をリア充扱いしてくれるが、似た者カップルこそ早く朽ち果てればいいのにと口に出さずに思う。
天幕の中は天井が高く、中で歩いたりするのに十分な広さが確保されていた。奥には机が置かれ、そこに男が一人座っている。まるでその人物の執務室に入って来たような雰囲気のセッティングだ。脇にも男が一人控えておりこちらが先に口火をきった。
「ようこそいらっしゃいました。〈ハーティ・ロード〉の葉月です。この部隊のサブリーダーをしています。こちらがリーダーの……」
「霜村だ。よろしく頼む」
「ああ。〈カトレヤ〉だ。よろしく。」
ジンが眠そうなまま適当に返事を返している。
「では、貴方が後見人のジンさんですね?」
「後見人?……まぁ、そんなようなものかな」
脳内メニューから見れば、ジンは〈カトレヤ〉のギルドタグを付けていないのが分かってしまう。葵はジンの立場を説明するのに後見人という方便を使ったのだろう。
「立たせたままで申し訳ありません。こちらに飲み物を用意していますので……」
室内の椅子は霜村の座っている一脚のみ。葉月が金属性のカップが乗せられているトレイの所に歩みよろうとしたため、ユフィリアが手伝おうと動きかける。
「そこのお嬢さん、申し訳ないが手伝って貰えるかな?」
「私?……はい。」
ユフィリアが動こうとした機を捉えて、霜村が手伝いを頼む。
「…………」
彼女が飲み物を配り終えるまでの間、ジンは無言のままだった。
飲み物は果汁を加えた冷たい紅茶のようで、爽やかなフレーバーが涼しさを演出していた。アキバにあるものに近い。砂糖の甘さは無かったが、これはこれで美味しいのだ。
「さっそくだが、本題に入りたいと思う」
霜村はそう切り出したが、結果的にこれは嘘だった。彼はしばらくミナミの現状と〈Plant hwyaden〉の非道さを延々と語り続けた。
衛兵の武力に脅されて〈Plant hwyaden〉に入ったものも多いし、多くの商店も脅しに負け、〈Plant hwyaden〉に未加入の〈冒険者〉との取引を停止させた。表面的に自粛と言ってみたところで、高圧的な権力の存在が背後にチラついていれば脅されてしているのと変わりはない。各ギルドにはそれぞれにカルチャーがあったはずなのに、それが乱暴にひとまとめにされてしまっている。今も同胞は苦しんでいるのだ、といった内容をたっぷりと3回は繰り返して強調していた。…………正直に言って、あまり新鮮な情報とは思えない。
いい加減にうんざりといった様子でジンが割り込む。
「つまり、レジスタンス活動に協力しろってことか」
「そうだ。話が早くて助かる。」
熱意が伝わったものだと解釈した霜村は、同志になるものだと思っているらしい。
「〈Plant hwyaden〉はやり方を間違えている。武力による脅しでミナミを統一などしても知らぬ間に不満が溜まっていくだけだ。これを見て見ぬふりをすることはできん。我々は富や権力に目の眩んだ濡羽とその側近達を打ち倒さねばならない。そうして始めて日本が、いや、世界の〈冒険者〉が協力しあうことができるようになる。今こそは皆で手をとりあい、この難局を乗り切るべき時だ。そのためにまず圧政に苦しむミナミの同胞を解放することが求められている」
「なるほど。……では、仮に濡羽を倒したとして、その後はどうする?代わりに統治する気はあるのか?」
「いや、俺は手を出さん。ミナミの同胞を解放できればそれだけで満足だ。」
「どうするつもりなんだ?」
「ミナミは英雄の街だ。志を持った若い者達に任せればいい」
「ふむ…………坂本龍馬のように、か?」
「そうだ!それが分かるか?いや、まさにそうなのだ!」
我が意を得たり。気持ちよさげに大笑する霜村。
「話はわかった。しかし、スマンが最初に契約した話とは違うからなぁ。レジスタンス活動を手伝わせるつもりなら、報酬もそれに見合ったものにしないといけない……」
それを聞いて霜村はニヤリと笑う。
「当然だろう。こちらにも支払う用意がある」
「いやいや、チト値がはるからな。止めといた方がいいかもしれない」
「構わん。言ってみろ。」
「高いぞ?」
「よし、いくらだ」
「大負けに負けて、100万」
(ざわっ……)
この世界の貨幣価値を現実世界のそれと比べることは難しいが、感覚的には10倍以上、ともすれば100倍(金貨100万枚で1億円)ぐらいの価値があるかもしれなかった。〈エルダー・テイル〉の世界はジっとしていればあまりお金は掛からないのだが、冒険しようと動き始めるとかなりのランニング・コストが掛かる仕組みである。一般的な冒険者の貯金額は3万もあればいい方だろう。
かなりマトモな性能の白ものアーティファクトが金貨1万枚程度で取引されているため、流石に100倍には感じないのだが、何日かごとに修理に費用がかかるためトータルで見れば高価なアイテムということになる。例えば、経験値やアイテムを入手するのに強いモンスターと戦いたい。安定して勝つために強い装備を使いたい。強い装備は修繕費が掛かるのでお金が必要になる。結果的にお金は貯まりにくい。という循環になっている。つまり、金額が高額になればなるほど価値が高くなって感じるのだ。
それほどの額をあっさりと要求してみせるジンの非常識さに焦りを感じる。余りにも高い金額の報酬を要求するということは、それに見合う膨大な仕事量を要求されるのではないか?という不安までもが喚起されるためだ。
「ふっ……いいだろう!その程度ならば問題ないっ。 ミナミを取り戻せば十分に支払える額だ」
(ざわざわっ……)
サブリーダーの葉月までもが呆気にとられて霜村を見ている。可愛らしく口を開けているユフィリアだけではなく、普段は冷静なニキータですら目から火花が飛び出しそうな表情になっている。6人に対して支払う報酬として、100万というのは破格中の破格だった。
無茶に無謀で応える。スケール勝負に勝つことで場を呑んでしまい、互いの立ち位置を決定付けるようとする行為である。霜村は計算というよりも勘で処理している部分が大きかった。実際問題、約束をすることと、後で踏み倒すことは彼の中では矛盾しない。これは単に約束を守らない『いい加減さ』でしかないはずだが、それが逆に『大物としての評価』を高める結果に繋がっている部分がある。約束するのも大きくし、破る時も大きくなるためだ。
(それって、ミナミの金を自分の裁量で使ってしまうつもりなのか……?)
その金銭感覚はシュウトにとって疑問に思ってしまうものだった。しかし、これがスケール大きさなのか?と自分の感覚の方を不安に思ってしまう。正常な基準からかけ離れた話の展開にめまいのような混乱を自覚できずにいた。
「そうか。ありがたい。…………じゃあ50万な」
「ん、何がだ?」
「前金に決まってる。まず半分の50万でいいぞ? 残りは成功してから貰うからな」
これには流石に場が沈黙する。ジンは全く場の空気を読まなかった。いや、相手の都合など分かり切った上で、無茶な交渉をしているらしい。いかに〈ハーティ・ロード〉が大ギルドだったとしても、ここに残っているメンバーだけで、そこまで大きな資産を持っているとは考えにくい。
「ハッハッハッハ」
大きな声で霜村が笑う。動揺を表さずに笑える胆力は正直に凄いと思う。ここで動揺をみせたりすれば周囲の評価を下げるだろう。その正しさに感動に近いものを覚える。
「まぁ、今ならキャンセルでも構わないぞ……キャンセルの場合は当初の成功報酬として約束していた12万をそのまま支払って貰うがな。契約時に仕事内容で嘘を付いたのはそっちだし、俺達はミナミまでこうして実際に出向いてきている。経費と慰謝料を考えても、ビタ一文マケられないよなぁ、普通」
ジンは最初から全力のお断りモードなのかもしれない。仕事内容からすれば12万を回収して帰還してしまうのがベストだと考えているらしい。
「少々、考える時間をいただけますか?」
後ろに控えていた葉月という参謀風の美青年が発言し、一時的に話を保留にしようとしていた。
「それは構わないが、何日考えるつもりなのかな?……金の支払いが済むまでは拘束時間に対しても手当てが必要なのは分かっているよな?」
「もちろんです。そちらもお約束します。」
葉月は慇懃無礼を地でいく笑顔でもって、ジンに快諾してみせる。
「じゃあ、まずは逗留中の食事に関して、そっちから食材を提供してもらわなきゃ、だな。そのつもりでよろしく」
「…………分かりました」
気持ち良いほどサクサクと要求を吊り上げていくジンだったが、葉月も(間こそあったものの)笑顔を崩すことはしなかった。
トレイを持ったままのユフィリアが飲み終えたカップを回収するため、シュウトも残りを一気に飲み干してしまう。トレイごと葉月のところに返しに行くと霜村が座ったまま礼を述べていた。
「君、ありがとう。」
「いえいえ」
「…………それと、少しいいだろうか?」
「何ですか?」
「置いてくぞ、ユフィリア!」
天幕の入り口のところでジンが怒鳴るような声を出したため、慌てた彼女は「ごめんなさい」と言ってジンを追いかけて行った。
「可哀想に、きっと彼女は粗雑に扱われているのだろうな」
「そうかもしれませんね……」
◆
「ちょっと!あんたら、ひゃくマんも要求するってどういうこと!」
シュウト達がねぐらに戻る途中、睦実が走って追い掛けて来た。指を突きつけたポーズで文句を言い放つのだが、動揺していたのか途中の声が裏返っている。タイミング的にあの2人から伝え聞いたとは思えない。となれば外で盗み聞きしていたのだろう。ついで、待ち伏せしていなかった理由がその後ろから歩いてくる。
「お客人、私共にも分かるように説明して頂きたい」
厳しい表情をしたさつき嬢が良く通る声で問う。
「筋違いだな。契約内容の変更に準じる報酬の再交渉をしただけだぞ。こっちは担当者と話してんのに下っ端に何を説明しろってんだ?」
シュウトにも分からなかったのだが、つまるところジンはルール違反の指摘をしていた。
これは〈ハーティ・ロード〉と〈カトレヤ〉の交渉である。ジンは〈カトレヤ〉の代表として〈ハーティ・ロード〉の代表である霜村・葉月と話しているのだ。ここで睦実やさつきが出てきて〈カトレヤ〉と交渉したり、決裂させるような権利はない。それは〈ハーティ・ロード〉内部の指揮・命令系統を無視していることになるのだ。霜村や葉月の交渉能力が疑わしいと思う場合であっても、それはまず霜村や葉月に確認すべきなのであって、〈カトレヤ〉に対して不満をぶつけるのは間違っている。逆にここでジンが睦実やさつきと交渉する場合、〈ハーティ・ロード〉に対して二重に交渉を持つことになる。それは通常ならば無意味でもあるし、もしくは組織の分裂を誘導する行為に近くなってくる。やはりルール違反になってしまう。
ところが、表面的にはワザと難しい言葉を選び、口調もからかい半分である。ビジネスに携わって組織の中で働いているのならともかく、〈エルダー・テイル〉をプレイしている人間の何割かが学生であるため、この辺りの機微が通じにくい。その結果、意味もわからず下っ端扱いされたと理解したさつき嬢の怒りに油を注ぐことになっていた。
「なんだと……!」
「フン、だいたい本気でミナミを落とそうってんなら高々100万ぽっちの金も出せなくてどうするんだっつの」
そう吐き捨てたジンの言葉がシュウトの胸にも突き刺さる。これには本音が混じっているのだろう。考えてみれば、ミナミも〈冒険者〉1万人規模のプレイヤータウンのはずだ。それを政治転覆させたとして、報酬がたったの100万では割りに合うわけが無い。『100万ぽっち』でうろたえているのはオママゴトかファッションだろうと言われればそれまでなのだ。……そうなると逆に霜村だけは本気ということになるのかもしれない。
「……ならば!その額に見合うだけの実力があるのだろうな?!」
手が腰の得物に軽く触れる。可愛らしい女性と同じ人物のはずが、周囲の空気を尖らせるほどの剣気を発している。
(いくらなんでも、直情的に過ぎないか?)
これまで丁寧な態度で接していてくれたさつき嬢に好感を持っていただけに、一触即発の状況になったことをいぶかしむ気持ちがシュウトにはあった。ジンがなぜか怒らせるような態度をとっているにしても、それだけでは済まない気がしてしまう。〈カトレヤ〉はいったいどういう風に彼らに説明されていたのだろう?
騒ぎに気が付いて〈ハーティ・ロード〉のメンバーが集まり始めていた。さつき嬢の様子から事態を察知した数人が素早く位置を変える。それに気が付いた他のメンバーにも緊張が伝播していき、野次に近い声まで聞こえ始めた。良い意味においても悪い意味においても、さすがは〈ハーティ・ロード〉、音に聞こえし戦闘ギルドだ。喧嘩師と名高いギルドマスターに似て、そのメンバーまでもが喧嘩っぱやいのかもしれない。
周囲にはさつき嬢を含めても全員で20人は居なかったが、それでも3倍近い。普通に考えれば負けだが、ジンが本気を出せばそうそう負けるとも思えない。……それよりも戦った後の落とし処が難しい。どうやって勝てばいいのか、負けたらどうなるのか。自分達は死ねばシブヤに戻るだけだが、彼らはどこに戻るのだろう。
「なるほど!ミナミのギルドは都合が悪くなると!こうして大人数で囲って人を襲うわけだ!」
ジンは周囲のメンバーに聞かせるように、大きな声でさつき嬢に抗議してみせた。内心ヒヤヒヤしているシュウトからすると、余裕たっぷりのジンが憎らしい。
「………………失礼した」
内心の葛藤を感じさせる間があり、得物からゆっくりと手を離す。
「……場を改めさせてもらう」
「悪いが、アンタ等の見世物になる気はないね」
「承知した」
振り上げた拳を下ろしたさつき嬢だったが、ジンの横を歩いて抜ける時に小声でやり取りしていた。やはり一度は戦うことになりそうだった。
「矛を収めることが出来るのが武人ってね」
その上から目線の台詞がジンの褒め言葉だとシュウトには分かったが、さつき嬢は特に良い顔をしない。
「……戦うべき時には戦えるのが武人だ」
◆
試合の前にしていたのと同じように、目を瞑って相手がやってくるのを待つ。周りからは瞑想か精神集中をしているのだろうと思われていたが、さつきにすれば単に目を瞑っているだけだったりする。瞑想のやり方などは知らないし、精神集中のつもりもない。なんとなく落ち着く気がするのだ。リラックスが一番近い。
あの後、霜村と葉月に呼び出されていた。葉月は困ったような苦笑いをしていたが、さつきが戦いたいと自分の希望を述べると、霜村は「ならば勝て」と言って終わりだった。葉月が段取りを決め、場所は中央の大型テントを使うことになった。高さがあるため、室内でも剣を振るうのに問題がないからだ。ギャラリーは最小限に留めることにし、仕度が整ったところで睦実が〈カトレヤ〉の連中を呼びに行ってくれた。
〈ハーティ・ロード〉の中では、最初から関東の人間に助けを求めるのに反対の意見があった。しかし、さつき自身にはそんなコダワリは無いつもりだった。ジンという〈守護戦士〉に初対面で笑われたのは少し傷付いた気もしたが、そんなことは理由にもなっていない。自分でも理由は分からないが、なぜか戦ってみたくて堪らないらしい。その予感はもはや確信に近かった。
「連れてきたよ!」
睦実が天幕に入ってくる声に反応してゆっくりと目を開ける。〈彼ら〉が入ってくる。向こうは6人全員だ。こちらには自分と睦実、葉月の3人のみだ。
「んだよ、ここで戦るってのか?」
「はい。室内で戦闘ができるのはここだけでしたので」
葉月がジンに応えていた。
「それにしても、客人のもてなしとしては、かなーり趣向を凝らしてるんじゃないの?」
「耳が痛いですね。ちょっとした余興と考えて頂ければ」
「どんな余興だよ。……で、おまえさんは何でここにいるんだい?」
「一応は、中立の立会人のつもりです」
「中立、ねぇ……? まぁ、いいや」
かったるそうな態度のまま、ジンという守護戦士は自分の方に向き直る。
「で、どうする? 死ぬまでやり合うか?……大神殿に戻る前に復活させりゃいいんだろ?」
「いえ、HPがレッドに入ったところで負けにしましょう」
「ふぅ~ん。じゃあ、そっちのお嬢さんとパーティになればいいのかな?」
ジンは理解を示して話を合わせて来る。頭は鈍くないらしい。相手側の〈吟遊詩人〉ニキータという人が自分とパーティを組むことになった。外部からでも大雑把なHPの割合は分かるのだが、瞬間的な判定には向いていないためだ。
「さて、じゃあやっか。いっちょモミモミしてやんよ。葉月、合図をくれ」
「ちょっと!余裕ぶっこいてるけど、アンタってレベル81じゃん!?」
開始直前に睦実が騒ぎ始めたことで、相手のステータスを確認していなかったことに気が付く。
「……えっ?」
「それが何か問題か?」
「ふざけんな! アンタが負けても『ボク81レベルだもーん』とか言い訳できるじゃないさ!」
「ん? 別に俺が勝つんだからなんの問題もないだろ。それとも、お前等が言い訳できなくなるのが困るとか?」
「まて、まってくれ……」
戦い前の緊張感だとか集中だとかが全く吹き飛ばされてしまう。睦実のペースに付いていくのはときどき困難を極めるのだ。
「じゃあ、どうしろってんだよ?…………ウチのシュウトとやるか?」
「え? 僕ですか?」
すっかり観戦モードでいた相手側の〈暗殺者〉が槍玉にあげられて驚いていた。それを見て、名案を思い付く。
「そうしよう。そっちはその2人でいい。」
「なに?…………俺とシュウトの2人と戦るってのか?」
「そうだ」
自分でもかなりの強がりだと思う。しかし、それでも簡単にやられるつもりも無い。〈守護戦士〉として数分は楽に持たせる自信があった。それと、ジンという相手の戦士がどういう顔をするのかにも興味があった。
「いいね! じゃあそうしよう」
ジンがあっさりと了承すると、慌てたのは自分よりもむしろ葉月とシュウトの2人だった。
「ちょっと、本気ですか?」
「いや、流石に2対1では不利でしょう。ハンデを要求します」
「んー、じゃあこっちは2人で1分以内にレッドにできなきゃ負けでいいぞ」
「私は5分なら耐えられる」
「じゃあ1分半」
「4分だ」
「2分だと有利すぎるだろ?」
「3分だ」
「2分半かよ」
「それでいい。」
「測定は面倒だが、どうせそんなに時間は掛からないからいっか」
「ああ、隙あらばそっちをレッドにするがな」
僅かに後悔の気持ちが沸き起こるが、それを打ち消して集中する。
「よし。シュウト、お前は相手の背後に気付かれないように回って、アサシネイトで終わりにしてやれ」
「…………作戦なら相手に聞こえないように言ってくださいよ」
「これもハンデの一部だっつの。いいか、『練習通り』にやれよ?」
「…………はい」
「さっちん、大丈夫だよ。楽勝だって!」
「ベストを尽くす」
「準備はいいですね?…………はじめっ!」
「ヤァアアア!」
得物を構え、正中でジンという〈守護戦士〉を捉えるようにする。すると途端に不思議な、初めての感覚に襲われていた。
5層構造の中心軸。
さつきは戦いが始まる前からその中に『居た』のだった。通常の中心軸とされる小径軸、その外側に中径軸と大径軸とがあり、更に体外を半径3~4メートルの範囲でカバーする戦闘軸、その外側を覆うように10~15メートルの範囲で戦術軸までもが存在していた。一歩で届く距離を『自分の間合い』などと表現するが、一歩で届かない範囲であってもそこは既にジンの間合いだった。
しかも、さつきはジンの中心軸に自己の正中面(剣道における正中線は面構造になり易い)を合わせるようにしていた。このため、彼女の中心軸の成長が始まっていた。戦闘とは一種のコミュニケーションであり、その本質は「高め合い」にある。ジンの中心軸がずば抜けて強烈なレベルであったため、つられて成長してしまうのだ。
それでも、さつきはめげなかった。当然、何が起こっているのか本人には1割も自覚できていない。そのため、攻撃をしかけるべく間合いを詰めていくのみだったが、急激な成長によって集中力が増し、入れ込みすぎに近い精神状態にあるのを自覚できていない。
サクッ。
「うそっ!? いつの間に!」
驚いた声を最初に上げたのは睦実だった。首筋に感じた衝撃や痛みはさほどでもなかったが、さつきのHPはレッドゾーンをしめす赤色の表示になっている。いつの間にか1万点近いダメージを受けてしまっていた。
シュウトの〈絶命の一閃〉である。さつきの背後へ誰にも気付かれることなく移動し、必殺の一撃を決めていた。
「あの、大丈夫ですか?」
人の良さそうな〈暗殺者〉が困ったような顔で声を掛けてくる。本当にすぐ背後に立っている。
「これは、流石に……」
「さっちんがこんなアッサリ……?」
葉月と睦実が呆然とした声を出す。
「よし、シュウトぐっじょぶ! 勝った勝った!っと」
「~……まだだ!」
自分でも『らしくない』とは思ったが、剣を合わせもしない内に負けたのには納得が行かなかった。後ろを向いた相手に背後から躍り掛かり、一撃を加えようと剣を振り上げる。相手の〈守護戦士〉はまるですべて知っていたかのように素早く振り向くと、さつきの剣に合わせるように剣を打ち付けていた。手に響くかつて無い衝撃に後ずさりし、もつれて尻餅をついてしまう。それは、とてつもなく重たい一撃だった。
ジンに一撃加えようとしたが実際のところ不意打ち気味の攻撃でもあって、さつき本来のキレは失われていた。ジンは剣と剣を打ち合わせるようにするのみである。金属同士が打ち合わされる音と共に火花が弾けた。驚愕を示す大きく開かれた碧い瞳。
ジンは敢えて『極撃』は使わず、より完成度の高い『重撃』のみを使い、特別に重たい一撃を放つ。これもまた戦闘演出である。既にさつき嬢は負けを認めていた。しかし、負けを認める理由が彼女の中には無い。故にジンはそれを与えたことになる。
「勝てると思ったのかい? お嬢さん」
座り込んださつきからは、ジンが山のように『おおきな人』に感じていた。潜在的な中心軸の巨大構造を背景とした認識のいたずらである。
「技とスピードは素晴らしいが、もう少し強さに幅が欲しいな」
自然な所作で頭に手がおかれる。大きくて暖かな手は、まるで大好きなおじいちゃんに撫でられているみたいだった。自然と顔が赤らんでしまう。
しかし、その技やスピードをまるで見せられなかったことには、気が付くことができなかった。
「あ、あの……」
何を言おうとしたのか、何を言うべきなのかわかないまま、口を開いてみたが、その時だった。
「ジンさんは、カッコイイね」
ユフィリアが呟いた言葉が天幕の中にまるで光のように差し込む。淡々とした口調のため、褒めたと言うよりは、非難に聞こえた。
さつきは、突然に降って来た言葉に驚き、言葉を発した当人をみて、『こんな子がいるのか!』とあっけに取られていた。凄くキレイでとてもカワイイ。薄っすらと輝いて見えて、まるで魔法みたいだった。今の今まで何故あの子に気が付かなかったのかが分からない。たしかに昨日も一緒に温泉に行き、あの子の方から話しかけられていたはずだ。男子が異常に騒いでいたのも今なら頷ける。
「なんだそれ?」
「だって、なんか今のズルくなかった?」
ある意味において戦略的な勝ち方をしていたことにユフィリアだけはなんとなく気が付いていた。
客観的には、さつき嬢の背後から一撃したシュウトが凄いとなるべきところなのだ。対戦していたさつきばかりか、観戦していた睦実や葉月にすら察知されておらず、その実力は底知れぬ不気味なものに見える。高まりつつある速力と、ジンを相手に練習していた気配消し、加えて場の空気から盲点を衝くセンスまで含めれば、ちょっとした達人クラスの実力だろう。
一方でジンはといえば、戦闘的・戦術的に、単に戦っても勝てたであろうところを、戦わないことで勝ってしまっていた。さつきの意識を自分に向けさせ、その間にシュウトに背後を取らせている。相手プレイヤーに実力があることで逆に成立してしまうある種のタウンティング技を駆使し、本来的な〈守護戦士〉の役割をこなしていたのだが、やはり生の勝負とは違うレベルでの戦いを展開していたことになる。自分はほとんど働かずに、ちょっとした演出だけでさつき嬢を屈服させていた。彼女はジンに負けたがったのだろう。その心理をかるくつついて引き出してしまっていた。
「とかいって、ホントはちょっと嫉妬したんじゃねーの?」
「うん。ちょっとね」
「…………いや、そこは『違うもん』とかって否定するのがお約束なんだが」
「なんで? そうなの?」
「くそう、萌えが足りん。これがジェネレーション・ギャップか!?」
「……単にクラスタの違いじゃないっスか?」
あの2人のやりとりを眺めていて、眩しいような、寂しいような気持ちになってしまう。そばにあんな子がいたら仲良くなるのは当然だろう。しかも、負けたのに悔しさが湧いてこない。どうしたことか、自分の心がぐちゃぐちゃになってしまった気がする。
――そうしてさつきは、泣きそうになる自分の頬を叩いて気持ちを元に戻そうとした。睦実のかけてくれたヒールが心地好かった。