243 無矛盾の歩法
ユフィリア:
「美味しい~☆」きらりん
〈ヘリオロドモスの塔〉を攻略した僕らは、その後、攻略を中断することになった。原因はジンのドラゴンストリームが出っぱなしだからだ。一緒に行動するのは難しい。とてもじゃないけどレイドなんて無理である。
現在も調査中らしいが、ゾーン外の吸血鬼騒動はほぼ終わったと考えられている。危機は去った。……とはいえ、放置しておくと早晩、封印を解かれた『吸血鬼の起源』が外に出て行こうとするだろう。だから、あまりのんびりもしていられない。
こうした事情から、攻略を『死ぬほど』急ぐ必要はなくなっている。というわけで、ジンのご機嫌うかがいもかねて、午後の攻略はお休みになっていた。
とくになにをするでもなく、やがて夕食へ。ジンのゴキゲン・メニューを堪能しているところだった。
シュウト:
「玉子とトマトの組み合わせが合うってイメージなかったんですけど、美味しいですね!」
英命:
「中華料理では、玉子とトマトの炒め物は人気があると聞いていますよ」
オープンオムレツにトマトが入っているのだけど、温かいトマトがマッチしてオムレツがメチャクチャ美味しい。考えてみれば、オムレツにケチャップは定番だった。これで合わない訳がないか、と一人で納得した。
ユフィリア:
「このコロモ、凄く美味しい!」
ジン:
「だろ?」
ユフィリア:
「うん!」
ジンはというと、お一人様テーブル&イスセットを用意され、僕らに背中を向けて座っていた。まだぜんぜんおさまる気配がない。ドラゴンストリーム、怖いです。……これ、明日までに止まるんだろうか。
それはともかく、ミルフィーユとんかつだ。下手なとんかつより遙かに満足感が高い。3枚のお肉をまとめて揚げているけど、噛みごたえもある。そしてコロモが美味しい。パンの耳をすってパン粉にするのではなく、包丁でザクザクと切ったものをパン粉の代わりに纏わせているらしい。単純に炭水化物だからかもしれないし、たっぷりと油を吸っているのかもしれないけど、コロモそのものが不思議と美味しかった。
ミルフィーユとんかつの一枚が、隠し玉のチーズ入りになっていて、これまた舌がとろけた。卑怯&卑怯の組み合わせである。「こんなの卑怯ですよ!」と憤慨しておいた。
ニキータ:
「はい、サービスのお好み焼きね」
ユフィリア:
「わーい♪」
ピザのように切り分けたお好み焼きが配られる。なるほど、フワフワとしていて、食感がパンケーキに似ている。味は完全にお好み焼きなのだけど、これはお店の味ってやつかもしれない。
ヴィルヘルム:
「ジン君、どうか話をきいて欲しい。今ならまだ間に合う! 頼む、一度だけでいい! お願いだ!」
……えーっと、さっきからあの調子でかなりうるさい。ものすごーく必死で、どうしたものかと思う。
レイシン:
「カレー、できたんだけどさ」
ジン:
「ああ、サンキュ」
レイシン:
「いや、これなんだよね」
ジン:
「ああー、神メシなのか。そいつは参ったな……」
神メシって聞こえたけど、なんだろう。不穏な響きである(偏見)
ニキータ:
「神メシってなんですか?」
ジン:
「神メシは、神が宿るご飯のことだな。……といっても、宿るのは米の方じゃないけど」
シュウト:
「へっ?」
ジン:
「神には基本的に体がない。だから自分では味わうことが出来ない。で、メチャクチャ旨いメシが炊けたらどうするか?っていうと、それを食べる人間に宿って、一緒に味わうんだよ。それが神メシ」
ニキータ:
「…………」
シュウト:
「…………」
ジン:
「まぁ、そういう反応になるだろうな。しかし、こればっかりは……」
レイシン:
「そう解釈するしかないからね(苦笑)」
葵:
『単なる狐憑きとかって可能性もあるんじゃねーの?』
ジン:
「あるだろうな。でも神も仏も大差ないからなー。……神の存在を証明するつもりも、その必要もない。神が存在するとしたら、そこには必然的に感謝があるからだ」
英命:
「神は感謝を強要しない、ということですね」
ジン:
「そう。つまりあらゆる場所に神はいるのだが、とかって神学論争めいた話をしててもしょうがない。……食ってみろ。分かるかもしれん」
炊き立てのご飯を受け取る。粒が立ち、ひとつひとつに艶が掛かっている。『ああ、美味しいんだろうな』と食べる前から分かってしまう。ほんの少しの恐れ、それに倍する期待。
シュウト:
「うっ!」
結果、神が自分に宿ったかどうかは分からなかった。それでも、神メシの名にふさわしい、途轍もなく美味しいご飯だった。……いつからだろう。ただ炊いただけのご飯がここまで『おいしい』と思えるようになったのは。単体で完璧な体験だった。神社なんかで感じるような神秘的な空気に近いものを感じる。感謝は確かにここにあった。
ジン:
「くぁ~っ、うまい。…………どうだ?」
ユフィリア:
「うん。神ごはんだった……」
ニキータ:
「でも、これをカレーにしちゃうんですか?」
そう、それだ。神メシにカレーは違う気がする。これだけのポテンシャルのご飯には、もっとシンプルなお供で十分なはずだ。
レイシン:
「だけど、このレベルで炊けちゃったら、食べさせない訳にはいかないよね?」
ジン:
「だよなー」ちらっ
ヴィルヘルムの方を確認するジンの視線に釣られて、僕も振り返って、見た。
葵:
『やっちゃえ! カレーバーサーカー!』
ヴィルヘルム:
「ガウウッ」
ジン:
「…………」
レイシン:
「…………」
ただ黙って、レイシンの肩を抱き、軽く叩いていた。そこには、男たちの友情があった(涙)
ジン:
「リアルタイム仕立ての24話使って報復されそうだ。フラグへし折るためにも、食わせて恩を売ろう」
レイシン:
「そうだね(苦笑)」
そんなこんなで、夜はふけていった。
一緒だとまるで眠れないことが判明し、ジン一人、どこかのダンジョンに行って寝ることになった。申し訳ないとは思うのだけど、ドラゴンストリームが出っぱなしじゃ、眠るどころじゃない。近隣のテントも全滅なので、深く深く謝罪&感謝しつつ、熟睡させてもらった。
ちなみに、カレーバーサーカーはカレーライスを食べて天に召された。神ごはんとかは、残念ながらわからないらしい。流石に日本人でもないと、白米の美味しさはなかなか分からないもののようだ。
◆
――翌朝
ジン:
「よし、朝練すっか!」
〈カトレヤ〉組だけで行う早朝訓練。そのつもりだったが、いくらか弱まったとはいえ、ドラゴンストリームがダダ漏れで朝練は不可能だった。両手を突きだし、顔を逸らして『ストップ、無理無理』の構えをしているリディアたち。他の面々もだいたい似たようなものだ。
ジン:
「今日辺り、凄いのを教えるつもりだったんだが……」
シュウト:
「あ、ぐっ、が!」
タクト:
「ふっ、ぐぐぐぐ……」
ジン:
「ダメそうだな」
ニキータ:
「ですねー」
レイシン:
「はっはっ、は……」
震える足でカニ歩きして、正面を脱出。そこをなんとか座学だけでも、と頼んでみた。
シュウト:
「どのくらいのどんなやつなんでしょう?」
ジン:
「そうだな、数学でいう未解決問題レベルかな」←結局、後ろを向いた
リコ:
「それ、教えちゃって大丈夫なやつなんですか?」
ジン:
「あんまり良くないけど、メインパーティーには既に教えている」
ユフィリア:
「んっと? そんなのあったっけ?」
ニキータ:
「どれもこれも似たようなレベルだから、……どれかしら?」
英命:
「面白い意味で有り難みが失われていますね(笑)」
ジン:
「自覚があるだけ、結構」
葵:
『で、どれの話?』
ジン:
「あとのお楽しみだな。数学における未解決問題に匹敵する内容だが、実は解決済みなんだ」
リコ:
「このパターンは、『名前を言ってはいけないあの人』ですよね?」
ジン:
「そうだ。俺の師匠に相当する『あの人』が、既に解決している。だから、それを有り難く使わせてもらおう」
シュウト:
「それで、どんな難問だったんですか?」
ジン:
「居着き関連だな」
シュウト&タクト:
「「あー」」
とても重要そうなのが伝わってくる。しょっちゅう、居着くな!と叱られてもいる。
ジン:
「『居着き』という言葉で示される概念は、実のところかなりの広範囲に及ぶ。動作間で停止する瞬間はすべて居着きと思っていい。『停止慣性力』以外の部分は全部が居着きなのだ」
リコ:
「えっとー、どこら辺が問題なんですか? 停止慣性力はどうにもならないですよね?」
ジン:
「魔法でも使わなきゃどうにもならんね(苦笑) 重力魔法はそういう意味では画期的な解決が得られるかもしれない。それはともかく、なぜ、人は居着くのか?とかが根本的な命題でな。そこから派生して、それらの解決はどのようにあるべきか?って話になってくる」
ユフィリア:
「むつかしい?」
ジン:
「厳密に考えていくと流石にな。なにせ数学の未解決問題レベルだから。てゆうか、武術だとそれが難問だって自覚が足りないのも足を引っ張ってるんだけどさー」
ユフィリア:
「うーんとー、簡単がいいなって思うのです」
葵:
『とぅっとぅるー♪』
ジン:
「じゃあ簡単に済ませようか」
シュウト:
「いいんですか? というか、大丈夫なんですか?」
ジン:
「難しい部分はあらかた終わってんだ。実際のところ、人間の移動運動現象を正確に捉えないと、居着きを読み解くことはできない。つまり、これまでに散々やってきたってわけだ」
レイシン:
「えっと、どうなるの?」
シュウト:
(レイシンさんも知らないんだ!?)
ちょっと驚いた。だいたいの話は聞いているらしいんだけど、知らないこともままあるようだ。レイシンも知らないものを聞かせて貰える。それがありがたくて、嬉しい。
ジン:
「フルクラムシフトでいうと、重心落下線と、支持線のズレ。ここに生まれるモーメントが、運動エネルギーになる。……今、この瞬間、俺の重心落下線と支持線はほぼ一致してて、だから垂直に立っている。ここから自由軸落下の動作で、いきなり足を後ろについてやると」
身体を傾けつつ、垂直落下するという器用な運動が、自由軸落下だ。『重心が』、垂直に落下しているのだ。次の瞬間、ダン!と後方の地面を蹴り、前進していた。消えるような速度で数メートル先に瞬間移動して、停止。
ジン:
「これが、フリーでの移動運動現象、フルクラムシフトだな。重心落下線と支持線が離れるほど、運動エネルギーは大きくなる」
ユフィリア:
「うんうん」
ジン:
「速く動こうと思えば思うほど、このズレを大きくする必要がある。しかし、根本的な問題として、このズレを大きくするってことは、居着いてしまうってことなんだ。ここに矛盾が存在している」
シュウト:
「えっ!!?」
タクト:
「そうか、確かに、一瞬、止まって見える、のか?」
ケイトリン:
「フン」
ウヅキ:
「おいおい、どういうこった?」
英命:
「ズレ、差分が解消される過程で運動エネルギーを獲得するのですね? 逆にいえば、その解消されるべきズレそのものが、居着きの成分を内包してしまう、といったことでしょう」
ニキータ:
「通常の移動運動は、動こうとすると居着いてしまう。矛盾している……」
葵:
『マジか、こんなん解決しようがないべ?』
途轍もない難問が出現していた。どうすればいいのかまるで見当も付かない。
ジン:
「答えは既に与えられている」
ユフィリア:
「それ、なぁに?」
ジン:
「進垂線だよ。前にやったろ?」
葵:
『っ!』
レイシン:
「そうなんだ?」
シュウト:
「えっと、……どういうことでしょう?」
ジン:
「居着きとは、大まかにいえば、動作間の停止状態から、停止慣性力を除いたものだ」
リコ:
「つまり?」
ジン:
「速く動く必要はない」
英命:
「なるほど」にっこり
レイシン:
「ん~っと、もうちょっと詳しくいい?」
ジン:
「ああ。フルクラムシフトで居着く最大の理由は、停止慣性力を越える運動エネルギーを用意して、無理矢理に飛び出そうとしているからだ。武術的にいうと、スピードによって相手の反応や狙いを外すことを目的にしている」
レイシン:
「うん、だよね」
ジン:
「居着きの問題ってのは、停止のデメリットの話だから、ちょっと別なんだよ。ただ、スピードの次元と問題が絡まってしまってる」
葵:
『たとえゆっくりでも、動けば居着きではないってことけ?』
ジン:
「そうだ。でも居着きが扱う範囲はもうちっと広い。この広さが勘違いを作ってしまう。なんというか、人間は自分が考えてるよりも、ずっと『居着いてしまっている』んだよ。……ニキータ」
ニキータ:
「はい」
実演係だろう。ジンの指示で位置についた。
ジン:
「肩に重み掛けて。ゆるめて、そう。いくぞ?……『はい』」
ニキータ:
「……!」
ジン:
「そこまで」
停止慣性力をするりと抜け出して、加速していく。僅か2秒ほどで停止を命じていた。つまり、停止慣性力が掛からなくなるまでということだろう。
ジン:
「いいぞ」
ニキータ:
「ああ、なるほど、それで……」
ジン:
「そういうことだ」ニコリ
何かを納得した様子のニキータだった。
レイシン:
「思ったよりぜんぜん早いね」
ジン:
「そうな。じゃあ、訓練してみようか」
進垂線の基本的なおさらいから。傾倒運動ではなく、軸の平行移動運動だ。お手本を見せた上で、練習していく。
ジン:
「ほどほどでいいだろう。さっそく、やっていこう。はい、ゆるめて~」
シュウト:
「ゆるゆるゆる~」
ジン:
「肩の力を抜いて~、重みを感じるように~」
ユフィリア:
「だら~ん」
ジン:
「上半身は軸を維持したまま、下半身の軸が後ろから前へと垂直を維持したまま、平行に移動していく。そのまま前に『ぬるり』と歩いていこう」
『ぬるり』、するする、と歩いてみた。ぞくりと体の中を震えが走る。
シュウト:
「これって……」
ジン:
「下半身は足ネバで鍛えた『運足法』が作用するハズだ。何度も繰り返せ、ゆるめて、ゼロベースで積み上げろ」
この技術のもつ圧倒的なポテンシャルに翻弄されつつ、何度も何度も積み上げ直すように訓練していく。
葵:
『これって、なんなん?』
ジン:
「停止慣性力にひっぱられて、動けない瞬間が死ぬほどあるんだよ。停止慣性以外の、居着き部分をゼロに近づけていくための訓練であり、中心軸の実際的な運用法だな。巧くなってくると、動作と動作の繋ぎに掛かるロスが最小化する」
タクト:
「これ、凄いです」
シュウト:
「こんなの教えちゃっていいんですか?」
ジン:
「どっちにしろ、教えるしかない。縮地なんかの異世界武術の代表格をやるには、この訓練が必須だからな」
シュウト:
「縮地ですか……!」
ジン:
「瞬歩、縮歩、その応用で瞬動と縮地だな。この段階にくるともうファンタジー武術だけどな(苦笑)」
気だの魔力だのを駆使するから、ファンタジー武術なのだろう。納得である。
一所懸命に歩いていたユフィリアから質問が飛んできた。
ユフィリア:
「ジンさん! この歩き方ってなんていうの?」
ジン:
「根幹の技術は進垂線だけど、正式名称は知らない。あるのかどうかすら分からんね」
ユフィリア:
「ジンさんは、なんて呼んでいるの?」
ジン:
「そのまま、『無矛盾』だよ。名付けるなら、『無矛盾の歩法』とかかな。名人クラスは出来てたりすんだけどな」
タクト:
「だけど、『あの人』が解決したんじゃ?」
ジン:
「あー、武術と数学は違うから。だいたい身体運動分野だと、現象や答えが先にあるんだけど、理由とかが分からないまま放置されちまうんだ」
タクト:
「原理が解明されていないってことですか?」
ジン:
「そういうこと。そもそも『無矛盾』は、最強の動き方って話じゃない。これを使っておけば必勝の、第一選択の技とかにはならない。もっと常時発動の、パッシブスキルみたいなものだ。普段から『無矛盾』の訓練しておくと、動作間の居着きとか、無駄な動作がカットされるような、効率を良くするためのものだ」
シュウト:
「なるほど……」
ジン:
「そうした名人の普段の歩き方が、居着きをカットするためのものだ!っていう関連が、あんまり伝わってないんだよね。昔の人はあまり説明しなかったし、自分の強さをほとんど言語化できなかったんだと思う」
英命:
「見て盗め、ということですね」
ジン:
「それもあるね。弟子に負けるとこっぱずかしいから、伝達効率を落とすってのは擁護システムだな。
……とはいえ、自分で研究して、自力でたどり着くと最高に面白いんだけどな。でもまぁ、低いレベルで真理に到達したっ!みたいなこと言われてもこっちがシンドくなっちゃうから、最先端までは連れていきたいかなって。その先は、自分の力で切り開いて行けばいいからさ」
まるで期待されていないような? もしくは、未来をまるまる押しつけられたような? 「はぁ……」としか言いようがなかった。
『無矛盾』の訓練をして、早朝練習は終わった。




