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234  飛燕剣 / ゆる筋トレ

 

 〈ペルセスの地下迷宮〉をクリアした僕たちは、キャンプに戻って昼食を済ませたところだった。夕食は餃子パーティーをしたいというので、ユフィリアが参加者を募っているところだ。人数が多すぎるとアレなので、可能なら参加するような調整係の気持ちでいた。

 ジンはというと、タクトに稽古を付けていた。


ジン:

「いいかー? 基本が出来てないと高度もへったくれもないぞー。特に重心移動は完璧にマスターする必要があっかんなー」

タクト:

「はい!」

ジン:

「では、手本を見せてやろう。まずジャブだ。これは足体一致でもって、威力をアップさせるのが大事だ。つまり、『手足体一致』ってことだな。そしてBFSでもってジャブを打つ」ドシュ!


 ジャブは腰の回転を使うAFSとは運動構造が一致しない。それでBFSの体幹移動を利用した高速拳となると、ちょっと回避が難しくなってきそうだ。足体一致は、足の運びと体重移動が一致してくることをいう。ジャブで半歩踏み込むのがBFS化し、全身の体重移動が乗った突きになってきたら……、牽制の範囲を越えて、もう殺人技の気がする。


 そうした技術の肝、核にあるのが体重移動である。20センチ、30センチといった短めの踏み込みであっても、瞬間的に、滑らかに足体一致できるかどうか。体重移動の滑らかさがジャブの動作の起こりを消すことに繋がり、威力を高める秘訣にもなっている。基礎、基礎、基礎だ。これらは力任せではどうにもならない。


ジン:

「ワンときて、ツーだ。ツーは追い突きだ。可能なら逆順体でドカンとダメージを与えていきたい」

タクト:

「お願いします!」

ジン:

「え、殴るの? ……痛くても泣くなよ?」


 タクトが構えると、ジンはロクに構えもしていない状態から、唐突にジャブをめり込ませた。モーション・レスにも程がある。吹っ飛ぶタクト。ジンは右の肩口でタメを作りつつ、強く踏み込みながら逆順体で突きを放っていた。吹っ飛び途中のタクトの胸に核爆級のインパクトが炸裂。あまりにもエグい攻撃に、ヤツの命を本気で心配してしまった。軽く十数メートル飛ばされたタクトだったが、ヨロメきながらも立ち上がり……。


タクト:

「……うっ」


 食べたばかりの昼飯をリバースしそうになっている。必死で口元を押さえていた。そりゃ、そうなるだろう(苦笑)


ジン:

「これを極拳で決めりゃ、2発で7000点ぐらい出るだろ。2セットでシュウトも全殺しって寸法だな!」

シュウト:

「そんな、バカな……」わなわな


 それってレオンと攻撃力変わらないような気が……? いや、あっちはあっちでまともにオンスロートくらうと20000点コースの人だけど。


ジン:

「しっかし、2発で3000点ぽっちかー。やっぱ〈守護戦士〉の体じゃ、無手で世界最強は無理そうだなー」

シュウト:

「いやいやいやいやいや(苦笑)」

タクト:

「十分、狙えると思いますけど……」ぐぷっ


 むしろ3000点越えてるのが謎なんですけど。極拳の握りを使ってなくてこれだもの。体重移動も大事そうだけど、逆順体も恐ろしい威力を秘めている。


 そんな話をしていると、カミュという〈吟遊詩人〉が近寄ってきた。凄いイケメンの人。ゲームのキャラクターみたいな顔立ちだ。基本骨格レベルで勝ち目がないような気さえしてくる。そう考えると、ユフィリアなんかは顔立ち以前に、骨格から整っているってことだろう。


カミュ:

「ジン。すまないが、我々にも使えそうな攻撃技を教えてもらえないだろうか?」

ジン:

「お前らでもできそうなヤツかー。……あるぞ」

シュウト:

「えっ?」


 凄い怖いもの知らずの人だなと思っていたら、機嫌がいいのか、教えてあげることにしたらしい。カミュを相手にやってみせることに。


ジン:

「こうして片手で剣をもっているとするだろ? それで攻撃を仕掛けて」


 振りかぶったところで手を止めた。


ジン:

「武器をパッと逆の手に持ち替えて、攻撃するんだ」

カミュ:

「フム……」


 右腕の武器を落下させたのではない。魔法の様に左腕に持ち替えていた。どうやったのかを考えるのだが、方法はひとつしかない。こうして言われてみると、確かに可能だと思う。


ジン:

「その名を、『飛燕剣』という」


石丸:

「FSSネタっスね(笑)」


ジン:

「やり方は簡単。攻撃を仕掛けながら、脳内のステータス・ウィンドウで装備を右腕から左腕って感じで持ち替えるだけ。対人戦用の一発芸だけど、相手の防御の裏をかきたい時とかに使うと効果的かもな。エルダー・テイル式なんちゃって飛燕剣、ってね」


 弓を持っていない時なら、僕にもできそうな技だった。いや、そんなことはどうでもいい。


シュウト:

「そんなの教えちゃっていいんですか?」

ジン:

「秘密の技とかじゃねーし。誰でも思いつくっつーの」

葵:

『まぁ、FSSネタだしな』

シュウト:

「そうなん、ですか?」


 いつから居たのか、葵も会話に参加してくる。


ジン:

「元ネタがあるにはあるんだが、飛燕剣ってのが実際にどんな技なのかは微妙にわかってないんだよなー(苦笑) でもこの技はFSSを知ってたら思い付くものだ。俺も〈大災害〉でこっちに来た5月には遊びでやってみたことあるし」

レイシン:

「あー、なんか失敗してたよね(笑)」

カミュ:

「結論は出たのか? これは我々が使ってしまってもいいのだろうか?」

ジン:

「かまわねーよ。どうせ俺にはできないし」

シュウト&タクト:

「「できないんですか!?」」


 つい、タクトとハモってしまった。しかし、驚きが大きすぎた。


ジン:

「そんなにビックリすんなよ。……傷つくだろ?」

シュウト:

「できないことなんて、あるんですか?」

ジン:

「は? 万能の天才じゃないんだから、そんなん幾らでもありますが、なにか?」

タクト:

「戦闘関係の技術は、全て得意なものだとばかり……」

ジン:

「脳内ステータスでガチャガチャするのは割と苦手だな」


 たしかに脳内ステータスをイジくる速度はぜんぜん速くないって言ってた気がする。もしかして、弱点……?


葵:

『そりゃそっか。超人的な戦闘力だもんな。超スピードで剣振ってる間に、ステータスから装備品とっかえとか、激ムズだわな』

ジン:

「ユフィとか、向いてそうだよなー」


 餃子パーティーの参加者、集まったのだろうか? そんな関係ない思考で現実逃避してみた。ジンの戦闘速度で飛燕剣を実現しようと思ったら、ユフィリア並の正確さと速度が必要になる。脳内ステータス操作速度・操作精度ってことだけど、僕だってそんなのは無理だ。練習してどうにかなる範囲を大きく逸脱している。


葵:

『我、開眼せり!』くわっ

ジン:

「何に開眼したんだよ(苦笑)」

葵:

『ミラー、その応用技だじぇ!』

ジン:

「ミラーって、次元反転の? ダイバー・パワーが必要なやつだろ?」

葵:

『くっくっく。名付けて「ミラー・ブレイド」だっっ!』

ジン:

「どうせアホなこと思いついただけだろうが、……聞いてやろう!」尊大

葵:

『片腕での武器威力強化の〈フェンサー・スタイル〉のまま、モーション入力でもって二刀流攻撃する!』

ジン:

「ぶわっはっはっは! ばっかじゃねーの?(涙笑) 攻撃のタイミングでステータス持ち替えして二刀流って?」

葵:

『でも攻撃の威力は? 2倍、2ばーい!(笑)』


 毒にも薬にもならない、といった表現があるけれど、もう毒にしかならない話だ(苦笑)


ジン:

「ユフィなら可能性もあったが、ヒーラーだかんなー」

シュウト:

「……〈盗剣士〉でやらないと、ですね」


 それでも、一応は可能性を検討してみる。僕も付き合いがいい。

 リラックス・タイム中のバカ話のひとつなんだけど、〈エルダー・テイル〉と、この異世界が大好きなのが伝わってくる。


葵:

『ビーちゃんならできないかな?』

ジン:

「ビーちゃんってのは誰だ?」

葵:

『ベアトリクスちゃん』

ジン:

「アイツか。アイツ、腕力なさ過ぎだから、なんかダメージソースあるといいんだけどな~」

シュウト:

「じゃあ、脚力は?」

ジン:

「ダメ。蹴りで衝撃波ぐらい出せねーかと思ったけど、ヨロヨロしちゃって。そもそも、アイツ動きを止めると致命的だしな」

カミュ:

「意外と苦労しているのだな……」


 そう言われるとそうかも。自分のことではまったく苦労していないのだけど、周りのことをなんだかんだ面倒みて苦労してしまう。面倒かけてスミマセンなのだけど、この際なので自分のことは棚に上げておくことにしよう。スネを齧ることで強くなれるのなら、それを(いと)うことはしない。


ギャン:

「なぁ、もうちっと普通の攻撃技を教えてくれよ」

ジン:

「基礎すら出来ていないヤツに普通とか言われてもなー」

カミュ:

「では基礎を頼む」


 わかった。ストレートしか投げられない人だ。

 荷物からジン専用の統一棒の長い方を取り出し、高く掲げて持った。


ジン:

「腕は伸ばした状態で、ゆっくり引き下ろす。もう一回、まっすぐ引き下ろす。もう一回、引き下ろす」

ギャン:

「これが、なんなんだ?」


 それには答えず、続きをやってみせた。


ジン:

「……振りかぶって、斬り下ろす!」キュボッ


 空気が焦げた臭いを感じさせる一振りだった。基本中の基本、斬り下ろし。それを引き斬りの概念で再構成すると、基本の素振りはこんな形になってくる。


ジン:

「相手の頭を武器で殴ろうとすると、普通は肘をのばす筋力を使ってしまう。この時の運動半径は、肩から動かす時の約半分だ。厳密には腕を動かしながら、肘を伸ばして行く形になるがね。やっぱり有用ではない」

カミュ:

「つまり、足でやっていることを、腕でもやる必要があるのだな?」

ジン:

「その通り。この時、力こぶとは反対にある裏っかわの筋肉、上腕三頭筋を使うことが大事だ。日本だと振り袖ともいうね。この部位は、四つ足動物で考えると、前足の、ハムストリングスに対応する位置関係になっている」

シュウト:

「じゃあ、アクセル筋ってことなんですね」


 流石の合理マシーンっぷりだった。基本の素振りにもこうした背景構造があることがわかってくる。


ネイサン:

「おおーっ、動きがなんかジン達っぽい!」


 ギャンの素振りをみたネイサンがそんなことを言っていた。お昼休憩は終了となり、続けて訓練タイムへ。……いよいよ『時計の針を進める』お時間だ。







 満月の月夜であることは変わらないのだが、お昼であれば、なんとなくお昼のような明るさに感じていたりする。でも今日は暗雲がたれこめるかのごとく緊張感が満ちていた。全員が集まったところでジンが口火を切る。どうということのない口調だった。


ジン:

「じゃあ次の段階の説明な。今日から『ゆる筋トレ』をやります」


ユフィリア:

「ゆる?」

ニキータ:

「筋?」

シュウト:

「ちょっ!?」


 エグいほどの爆弾発言だった。「え……?」「なんで……?」「どういうことだ」みたいなザワメキがそこかしこで起こった。それはそうだろう。ありえない話をしようとしているのだから。


レオン:

「それはつまり、筋力トレーニングということだろうか?」

ジン:

「ああ。リアルの世界だと新種の筋トレなんだが、こっちの世界だと筋力はレベルで規定されてるから、ちょっとアレンジが必要なんだけど」

葵:

『んなこたぁ、どーでもいい。ダメージアップすんの? しねーの?』

ジン:

「しなかったら、やる意味ないだろ」

ウヅキ:

「マジか……」


 どう反応していいのか分からない。困惑か戸惑いって感じだろうか。


ジン:

「例によって例のごとく、説明が面倒くさい。なので、何があったのか?という経緯から述べていこう」

シュウト:

「よろしくお願いします」


 知的好奇心はあるものの、身が引き締まった感覚が強い。もっとゆるめないといけないかもしれない。


ジン:

「俺の師匠に相当する『あの人』が、高校だか大学だかのボート部を指導したら、日本一になったって出来事があってなー。そこまでは良いんだけど、ボート漕ぎ運動の、筋力測定?みたいな種目があるらしくって、そっちでも個人で優勝しただとかの話があるんだわ」

アクア:

「ふぅん?」

ジン:

「でも、筋トレはやらせてなかったらしい。正確には、週に2回、普通にやってたとかって話なんだけど、全国で優勝を争う水準とかを考えると、やってた内に入らないだろっていう」

リア:

「ん? やっていたの? やっていなかったの?」

ミゲル:

「最低水準の訓練で勝ってしまった、ということだろう」

ジン:

「そう。まったくやっていなかったとは言えないが、かといって、筋力系の種目で勝ってしまうとは、とても考えられないって出来事なんだ」

ヴィオラート:

「えっと……? 一体なにが起こったのでしょう?」


バリー:

「あっ、そういうこと?」

スタナ:

「でも、そんなこと……」


 またザワメキ始める〈スイス衛兵隊〉のみなさん。何に気が付いたのか、ちょっと分からない。


ユフィリア:

「はい! わかりませんっ」

ジン:

「そうだな、じゃあ専門っぽい人に説明してもらおうな。マリー?」

マリー:

「仮説モデル適用外の事例。たぶん『発見』があった」

ユフィリア:

「えーっと……?」


 残念ながらユフィリアと同じ状態だった。もっと勉強しておけばよかったとか、こんなことで悔しい気持ちになるだなんて、最悪である。


ジン:

「センコー」

英命:

「承りました。ではご説明します。……まず、科学者の目的はご存じですか?」

ユフィリア:

「えっと、なんだろ?」


 そう言われてみると、なんだろう?よく分かっていない、かも。


ユフィリア:

「発明とか?」

葵:

『発明は発明家のお仕事じゃん』

シュウト:

「なにか研究してるイメージですね」

英命:

「そうですね。言い方は様々ですが、世界の謎を解くことであったり、世界を説明すること、であったりします。もしくは『発見』などと呼ぶようです」

ユフィリア:

「はっけん?」

英命:

「たとえば、万有引力の発見という場合、引力はそもそもそこに存在していたものです。りんごが落ちたという事象を、それが引力の働きであると『発見』した、ということですね。この発見によって、それが『引力の働きである』と『説明できるようになった』のです」

葵:

『法則とかの発見、かな?』

ユフィリア:

「うんうん」

シュウト:

「それが科学者の仕事ってことですね?」

英命:

「様々な仕事の中のひとつ、目的と呼ぶべきものでしょう」にっこり

リコ:

「えっと、仮説モデル適用外の事例、だっけ……? えっ!?」

ユフィリア:

「ん~、ん~!」


 わからない!と悶えている。けれど、「ジンさんのいじわる!」って言えないので我慢している(笑) それを見越してニヤニヤと眺めているあたり、狡猾である。


英命:

「もし、仮説モデルで説明できないことが起こったら、どうしますか?」

ユフィリア:

「……みんなに自慢する?」

ジン:

「その発想は無かった(笑)」

タクト:

「誤解とか間違いがないか、徹底的に調べます」

英命:

「それでも間違いがなかったら?」

リディア:

「えーっ? そもそもその仮説モデルが間違ってた、とか?」

英命:

「間違っていたら、どうしますか?」

シュウト:

「修正する? ん? もしかして『新しい仮説モデル』を作るんじゃ?」

英命:

「そうですね」にっこり


 なんとか正解にたどり着けたようだ。


ユフィリア:

「それってすごいの?」

マリー:

「発見者の名前は歴史に残る」

ユフィリア:

「すごーい! 歴史に残っちゃうんだって! すごいね、ジンさん!」

ジン:

「そうだろ? 俺の師匠の人はメッチャすげーんだぞー」にやにや


 そうしてみると、〈スイス衛兵隊〉のメンバーが何に驚いていたのか少し分かったような気がした。


シュウト:

「あれっ? てことは、どうなるんですか?」

ジン:

「んー? 現在の仮説モデルじゃ筋力アップできないからなー、新しくて、より正しい仮説モデルを導入する」


 うー、わー。また斜め上のことを言い出した。でも、もしかするともの凄い話ってことなんじゃ……?


ネイサン:

「でも、それってこの世界でも通用するの? 〈冒険者〉の体とかで巧く機能するのかなって意味で」

ジン:

「フハハハハ。……俺を誰だと思ってやがるっ!」

ユフィリア:

「ジンさん!」

ジン:

「50点」

ユフィリア:

「半分ちがうの? ……誰?」


 そういう問題じゃない。


レオン:

「つまり、成功例であり、生きた証拠ということだな」

ジン:

「その通り」

ユフィリア:

「どういうこと? 半分は誰なの?」

ジン:

「俺の半分は神さまで出来ているんだよ。これ、みんなには内緒な?」

ユフィリア:

「うん」


 本当に出来てそうだから怖い。いや、別に怖くはないけども。


シュウト:

「……先に進まないんだけど?」

ニキータ:

「そうね(笑)」


 ユフィリアの手を取って連れ戻すニキータだった。これでしばらく大丈夫だろう。


ジン:

「じゃあ、新しい仮説モデルはどういうものか?というと、筋肉は伸縮する時にエネルギーを発揮するわけだが、新しいモデルでは、ゆるめばゆるむほど、筋力は高まると考えたのだ」


 大きな不等号(<)を足もとの雪に書いていく。


ジン:

「既存の筋力モデルと同様に、筋出力値は、出力前の状態との引き算で算出される。脱力状態である『たるむ』と、出力状態の『しまる』の振り幅が大きいほど、筋力は高い状態だと言える。そして、ゆるんでいるほど、その振り幅は大きくなる、というのが、ゆる筋トレの基本的な考え方、仮説モデルだ」


 大きな不等号(<)で説明すると、記号の左側はより体が硬い状態。右側はよりゆるんだ状態ということになる。右側に行くほど、振り幅が広がって大きくなるという。


ジン:

「でもこの世界では、出力値はレベルで規定されている」


 大きな不等号(<)を消して、横線を引いた。筋出力が一定化するので、カタカナの『フ』を左右に反転させた形になるらしい。一方が変化しないのだから、ゆるめばゆるむほど、ゆるむ? たるむ?ことになるような……?


レオン:

「つまり、脱力の底が、抜けるということか」


 天才のレオンでさえ、戸惑いが隠せない。


ジン:

「現在の仮説モデルを考えると、0から10までの振り幅があったとして、予備緊張などで出力前に3ぐらいの状態になっているとする。これで最大値の10まで筋出力すると、差し引き7点の筋出力になる、といった風に説明できる」

ネイサン:

「そうだね」

ジン:

「こうして新説を使うと、だいたいは古い仮説モデルを使って説明しようとしてしまう。そうした依存や、現実逃避が起こるのが自然な心の働きというものだからだ」

葵:

『古い仮説モデルで説明できるなら、それでいいじゃん!ってことか』

ジン:

「そうだ。こうして生まれる誤った理論を、ここでは『余力論』と呼ぶことにしよう」

ヴィオラート:

「余力論、ですの?」


 不思議な感じがする。どうして誤りを説明するのだろうか?


ジン:

「ゆる筋トレを余力論と誤解するのはだいたい2パターンあるんだ。ひとつが、ゆるめることによって余力を増やすというものだ」

シュウト:

「余力を、増やすんですか?」

ジン:

「7点の筋出力を行った場合、3点分の非入力部分が存在するだろ。これが余力だ。ゆるめることによって余力を増やし、非入力部分を4点に増やすんだ。予備緊張を減らすのは当然として、ゆるめることで更に無駄な出力を減らし、効率的な筋出力を行う、といった考え方をしていく。そうした結果、余力を増やした分だけ最大筋力が高まっている、といった具合に誤解するわけだ」

スターク:

「えっとー、……それじゃダメなの?」

ジン:

「最終的に説明できなくなるからな。最大の10点分の筋出力をしたとして、どこから余力を生み出せる?ってな」

ヴィルヘルム:

「もうひとつの説明というのは?」

ジン:

「もうひとつは、最大筋力を用いない方が、つまり余力があった方が、スキル的に高度なパフォーマンスを発揮できる、というものだ」

ラトリ:

「悪くないと思うけど、最大筋力の話とは関係ないよね?」

ジン:

「筋力発揮と関係なくても、最大パフォーマンスとは関係するんだよ」

ユフィリア:

「?」

アクア:

「ピアノを弾く時、パワーで叩きつけて弾くわけにはいかないの。テクニックとの共存が必要なの。そういったとても大事な話だったとしても、ゆる筋トレの効能とはズレてしまうのよね?」

ジン:

「そういうこと。それはレフパワーの話であって、ゆる筋トレではない」


 どうせ間違っている話だろうと思って聞いていたのだけど、どちらも説得力があって困った。……こうなると本物というのは、どうなっているのやら?


ジン:

「ここで一度、筋肉の仕組みの話をしときたいんだが、筋出力はボタンを押すような関係になっているが、脱力にはボタンがない」

オスカー:

「うん、分かるよ」

ジン:

「脱力というスイッチはないんだ。だから押すことができない。脱力とは、非・筋出力状態だからだ。出力ボタンを押さないこと、手を放すこと、『力を入れないこと』によって、実現させなければならない」

レオン:

「そこが問題だ。既存の筋力仮説モデルでは、0~10という形になっている。つまり脱力の限界は0だ。その下は存在しない」


 言わんとすることが分かってきた。ゆる筋トレで最大筋力を増やすためには、脱力することによって、最低筋力の0を、マイナスにしなければならないのだ。しかし、脱力スイッチなどというものは存在しない。力を抜く、脱力するという言葉はあっても、そうした行為は存在していないのだ。単に力を入れていない状態を指す言葉だから、だろう。

 実際の筋繊維の伸縮を考えてみても、0より下の『マイナスの状態』が想像できない。ありえない気がする。


ジン:

「ここでいったん、ブレイクタイムだ。結論を先送りし、別の話をする」

スターク:

「なんで今!?」

ジン:

「気楽にしていろ。……日本語では『気をゆるめる』という表現があって、だいたいは集中を弱めるといった使い方をする。なので『気を緩めるな!』と叱るようにして使われてしまう。まぁ、油断するなってことだな。これは、ゆるめる=ダメなこと、という関係になってしまう困った話でな。だから、戦術言語を設定して『気を緩めるな』と言ったヤツはバカ!と認定しようかと思ったりもしたんだけどさー」

シュウト:

「認定しちゃうんですか?」

ジン:

「いや、やめといた。原因を考えたら、どうしようもなくてな。そもそも気はゆるめて使うものなんだ。逆に気をしめて、張りつめた状態ってのは、つまり、緊張しすぎの状態のことなんだ」

葵:

『あー、新人くんとかが緊張してると、もうちょい気をゆるめなよ?ってことか』

ジン:

「そっそ。リアル社会じゃ、こんなのどーでもいい話だろうけど、こっちで気を使って戦闘だとかの話になってくると死活問題になんだよ」

スターク:

「あ!」

シュウト:

「確かに!」

ジン:

「油断するな、でも緊張もするな、ってな。ドラゴソボール的な気を使った戦闘法とかいってもさー、気を高めると緊張状態になるんだとしたらダメじゃねーか(苦笑) これってのは、X軸しかないような状態なんだ。軸線上でバランスを取るぐらいしかやりようがない。9とか10だと緊張に近いんだから、どうにかギリギリで7ぐらいにしようか、みたいなことになっていく。それで気を鍛えるって何?ってなるよなー」

葵:

『わりゃー!とかいいながら、気を高めるのができないじゃん!』

ジン:

「できねーんだよ。そもそも気を緩めるって表現は、『力をゆるめる』から来ているはずだ。それが転じて、集中を弱めるとかの言葉が変形して使われているからだろう。気をゆるめる=悪いこと=バカ、なのは何故か? それは既存の筋力仮説モデルに原因があるからなんだ」

リコ:

「あれ? もどってきた?」


 どこかで聞いた話によく似ている内容だった。いやいや、覚えている。オディアに語っていた、「2の話」とそっくりだ。たぶん同じだとすると、結論も同じってことになりそうだ。


シュウト:

「もしかして、Y軸化させるんですか……?」

レオン:

「それしか、ないだろう」

ジン:

「…………」ニヤリ


 脱力の限界は0のままかもしれない。その代わり、Y軸にゆるみ度を入れるのだろうか。いや、それってどういう状態なのだろう?


バリー:

「いや、でも、だけど」

マリー:

「ゆる筋トレの仮説モデル図とは矛盾しない」

ヒルティー:

「確かにそうだが、そうなのだが……」


ウヅキ:

「あー、ワリィ、どういうこった?」

英命:

「脱力と、ゆるみ度は、別ということですね」

ユフィリア:

「別なの?」

ジン:

「通常、ゆるみ度を高める訓練ってのは、脱力状態で行う。これを逆にいうと、『脱力している時しかゆるむことができない』って話になっちゃうんだよ。てことは、ゆるんだ状態でいるためには、常に脱力してなきゃいけないってことになるだろ」

タクト:

「なら、Y軸化するっていうのは……」

シュウト:

「力を入れながら、ゆるめていくこと、ですよね?」

ジン:

「そうだ。鋼鉄のようにギュッと筋繊維を締め付けながら、まったく同時にゆるめていく。当然、筋出力を一切、損なうことなしにだ」


 頭の中で不可分なものだった『脱力』と『ゆる』とを、それぞれに切り離す訓練になりそうだった。



ジン:

「敢えてマンガ的なウソを言うんだけどな。筋肉ってのは、ギュッと収縮して硬くなったら終わりだ。そこが筋出力の限界点なんだ。でも、もし、いつまでも硬くならなかったら? ずっと力を出し続けることが可能になる。無限に、永遠に。……いや、完全にウソなんだけど、この手のウソはイメージをブーストするのに、いい媒介になるっていうか(笑)」

葵:

『刃牙っぽいウソだな(笑)』

ジン:

「あれはけっこう元ネタあるらしいんだけどなー。武道家とかが勢いだけで言っちゃうような妄言っぽさが面白味っていうか(苦笑)」


 両手のコブシを思い切り握りしめ、握り込む。同時にどんどんゆるめていった。握り込むことができる。まだ、まだ、まだ、まだ……。本当にウソなのだろうか? そう思わせるような、どこか一抹の真実が含まれていそうな気がしてくる。その一抹というのがゆる筋トレのことなのだろう。


ラトリ:

「ところでこれってどうやって練習するの?」

ジン:

「足ネバにきまっとろうが」

スターク:

「アハハハ、ハハ……」


 やっぱり最後まで足ネバを続けるつもりのようだ。それはそれで、好都合な気もする。あまり新しいことに意識を割きたくない。ゆる筋トレも筋トレの一種だ。気合いを入れて訓練しなければならない。


ジン:

「少し説明を加えておくか。……ネバらせることで、弾性・粘性を持たせているだろ? 筋出力にそうした『質的変化』を起こさせることで、通常の筋出力方式から少しズラしてるんだ。これを利用して、脱力の下限から、ゆるみ度の方向にもっていくわけ。弾性・粘性じゃ大してパワーをかせげないけど、水のクオリティになれば、体や運動の性質が変化してくるから、結構ちがってくる」


 最大筋力に対応する脱力の下限は0かもしれないが、弾性・粘性の使い方をしている身体での下限は、ゆるみ度によって計算されると考えられる。いや、そもそも弾性・粘性のようなネバった体の使い方だと、筋出力方式そのものが変わっている可能性すらある。


ジン:

「よーし、足ネバやんぞー」


 この後、次のダンジョン攻略が控えているので、短時間で、効率的に訓練していかなければならない。これまで以上に集中して取り込むことにした。

 


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