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225  滅びし世界 / 階段トレーニング

 

管理者サンクロフト:

「拡大した〈共感子〉能力をもつ次世代の種としては、とても成功とは言い難い代物でした。しかし、大きな飛躍をもたらす可能性も同時に秘めていました。かの存在は、伝承の怪物、『吸血鬼の起源(オリジン)』と呼ばれるに至ります」

ラトリ:

「ええっと、殺すことができなかったから、封印したってことでいいのかな?」

管理者サンクロフト:

「大まかには、その理解で間違っていないでしょう。ですが私が思うに、消滅させるのを惜しんだのではないかと。研究対象として留めおいたのだと考えております」


 『管理者』サンクロフトとの会話はひとつの佳境を越えたらしい。微かに熱を帯びていた語り口は落ち着きを取り戻していた。



管理者サンクロフト:

「大まかに、これが私個人の話と、この空間の成り立ちです」

葵:

『だいたい分かった、かな?』


管理者サンクロフト:

「次は私の番ですね。皆さんはどのような用件で、こちらへ?」

ジン:

「あー、それな……」


 封印を解除しようとしている手前、管理者には言い出しにくい。口火を切ったのは、代表者としての顔をしたヴィオラート様だった。「ジン様ジン様」と言ってない時は、意外なほどちゃんとしてて、……まともだ。


ヴィオラート:

「3週間ほど前になると思います。このゾーンの外、我々の住む世界に吸血鬼が現れました。その吸血鬼は噛みつくことで仲間を増やす性質をもっていたのです。人間だけでなく、動物やモンスターも吸血鬼になっていました」

管理者サンクロフト:

「そんなことが……?」

ヴィオラート:

「とても恐ろしい事件です。この問題の根本的な解決のため、私たちはこのゾーンを訪れました。今のところ考えられる原因は、あの永遠に続く満月、ではないかと」


管理者サンクロフト:

「なるほど……。それでしたらお役に立てるかもしれません。封印のための『疑似的な天体』を操作する装置が〈ヘリオロドモスの塔〉にあります。ですが、装置を作動させ『満月』を『太陽』へと戻すには、全てのオーブを集める必要があります」

ヴィルヘルム:

「そのオーブとは、魔力をもったオーブのことだろうか? つまり、各ダンジョンの守護者が持っているものと理解したのだが」

管理者サンクロフト:

「はい。あなた方も既にお持ちの様ですね」


 確かにミネアーからドロップした魔力のオーブを持っている。そのことは管理者も知っていたらしい。


葵:

『なるほどね。先に太陽を復活させられれば、吸血鬼を弱体化させられたんだろうけど、その手は封じられちゃったわけだ……』

管理者サンクロフト:

「あなた方は、戦うおつもりですね?」

ジン:

「ああ。連中に封印の解除を手伝わされていることは理解しているが、現状だとそれしか方法がない」

管理者サンクロフト:

「そうですか。……少しでも不利を緩和するには、満月を欠けさせればいい。それなら、オーブが4つもあれば可能でしょう」

葵:

『それはかなりの朗報! 連中の無敵状態を解除できるってことだね』

ヴィオラート:

「もしかしたら、外の吸血鬼騒動も収まるかもしれませんね」

アクア:

「だとしても、最後まで戦って吸血鬼のオリジンを倒さなければ、結局は外に出てくるだけでしょう?」

管理者サンクロフト:

「いずれは、そうなるでしょう」


 ジンが気を発する。威圧とも違うが、視線が奪われる。


ジン:

「……で、アンタは止めないのか?」

管理者サンクロフト:

「何を、ですか?」

ジン:

「俺たちが敗北して吸血鬼が野放しになれば、外の世界は破滅する」

管理者サンクロフト:

「そうかもしれませんね。……しかし」

シュウト:

「……?」


 こちらから逆に強く問いつめてしまうジン。対して、何かを言いよどむ管理者。


管理者サンクロフト:

「私にとっての『世界』は、とうに滅んでいるのです。あなた方をどうして、止められるというのでしょう?」


 悲しくも、重い言葉だった。管理者とは名ばかりなのかもしれない。ただ閉じこめられてしまっただけの人みたいに見えた。僕らが攻略しようとしていることには口出しする気はないようだ。


ジン:

「文句ねぇんだな? だったら、吸血鬼を倒して、ここの太陽を復活させるだけだ。レイドボス、じゃねーや、なんだっけ?」

葵:

『守護者』

ジン:

「ってのは倒しちまっても平気か?」

管理者サンクロフト:

「吸血鬼の起源を倒せば、また封印するために全てリセットされるはずです。元に戻るでしょう」


 互いに語るべきことは語ったと思った。


葵:

『じゃあ、吸血鬼の弱点 教えて?』

管理者サンクロフト:

「残念ですが、私にも分かりかねます。……太陽ぐらいなのでは?」

葵:

『じゃあじゃあ、これから戦うダンジョンの守護者とか、どんな奴かとか弱点とか教えて?』

管理者サンクロフト:

「残念ですが、言えない決まりですね。強制契約の魔法で口にすることができないのです」

葵:

『そーなん? じゃあじゃあじゃあ、なんか凄い魔法とか教えて?』きゃるるるるーん♪

管理者サンクロフト:

「……そう来ましたか(苦笑)」

ジン:

「さすが、アホの子」

葵:

『誰がアホの子じゃ、ワレィィ!?』


 猫撫で声でお願いしていたところから、瞬間的に裏返って、ヤンキーだか極道の妻的な状態へシフトしてしまう葵だった。


マリー:

「戦闘の役に立たなくて構わない。伝説のアルヴ族の魔法というのを見せて欲しい」

管理者サンクロフト:

「既にアルヴ族ではないのですが……」

ヴィオラート:

「わたくしからも、是非、お願い致します」

ユフィリア:

「みせてー!」

アクア:

「興味がないと言えば嘘になるわね」

ベアトリクス:

「期待してしまうな……」


 なんとなーく、女の子がチヤホヤした方が上手く行きそうだと思って黙って見ていることにした。


管理者サンクロフト:

「もしや、これが伝説に伝え聞く『モテ期』というヤツでしょうか。まさか骸骨の体になって経験しようとは……」

ジン:

「やめて! そんなの切なすぎるからぁ!(涙)」


 ジンの魂の慟哭みたいなものが室内にこだました……(笑)



 また改めてお邪魔することにして、この場を辞することにした。意識共有、問題点の洗い出し、質問事項のとりまとめなど、やるべきことは多いのだろう。

 そのまま〈ペルセスの地下迷宮〉へと向かう道すがら、管理者のいる場所から十分に離れるまで会話は慎むことにしていた。それが解禁されると、葵が静かに口火を切った。


葵:

『ユフィちゃんって、あの管理者のことどう思った?』

ユフィリア:

「うーんと、嫌いじゃないけど」

葵:

『好き?』

ユフィリア:

「わかんない」

葵:

『モルヅァートのことは?』

ユフィリア:

「大好き!」


ジン:

「それは何のやりとりだ、なんの?」

葵:

『だから、ユフィちゃんが好きになれないって確認をだな』

ジン:

「うさん臭いヤツなのは俺にだって分かるけど、それがどうした?」

葵:

『うーん。違和感が見あたらない時、その原因が「ない」ことを考慮に入れなきゃならないんだよねぇ』

ジン:

「だから、なんの話だよ」

葵:

『えっとー、もともと太陽だったのを、満月にひっくり返したヤツがいるわけじゃん? それは内部の犯行だろうと思ってて。で、昨日まではタルペイアかなって予想していたわけさ。タルペイアが裏切って吸血鬼になったんじゃね?って』

シュウト:

「それって、つまり……」

ジン:

「あの管理者が犯人だってんだろ? それがどうした?」


 事も無げにそんなことを言うジンだった。まるでみんな分かってる前提みたいな言いぐさである。そんなバカな……。


葵:

『その辺はいいやね』

シュウト:

「いいんですか?」


 しれっとした顔で味方っぽい態度をとってたことになるんですけど?


葵:

『ユフィちゃんが嫌いじゃないんだったら、悪人じゃないってことだから、そこはいいんだよ』

リコ:

「凄い理屈……!」

ジン:

「んで、なにが問題なんだよ?」

英命:

「問題にしているのは、管理者の動機のことですね?」

葵:

『そっそ。本来なら、ノウアスフィアの開墾が適用されて、しかるべき時期にワールドワイド・レギオンレイドとして開始される内容だったわけじゃん?』

ジン:

「んで?」

葵:

『その正常なシナリオでも、管理者はたぶん太陽をひっくり返して満月にしちゃってたと思う。なぜそんなことをしたのか?と考えると、たぶん彼が外に出るためなんじゃないかって』

シュウト:

「外に出るために、ですか?」


 それだけの為に吸血鬼を解き放ち、世界を危機にさらすというのだろうか? 完全に悪に認定したい気持ちなんですけど?


葵:

『内側からレイドゾーンの封印を破るには、吸血鬼の力を利用するぐらいしかないからねぇ』

ネイサン:

「だとして、封印が破れたんだったら、さっさと外に出ればいいんじゃない?」


 ちゃっかり会話に参加してくるのがネイサンらしさだと思う。もう違和感がなくなっている。


葵:

『たぶん「管理者として設定」されているのが問題なんじゃないかなー? ギアスの話は本当なんだと思う』

スタナ:

「守護者の秘密を漏らせないって件ね」

葵:

『もっとはっきり言うと、吸血鬼のオリジンがいる限り、外には出られないんじゃないかな?』

ネイサン:

「倒さなきゃならない。もしくは、交代で誰かが管理者になる必要があった、ってこと……?」


 滅亡の危機で交代の管理者がこなくて閉じこめられた、となりそうだ。


スタナ:

「そもそも、私たち〈冒険者〉の存在を、彼は知らなかったと思う。だとしたらオリジンを倒せるとは思っていないんじゃない?」


 だんだんと人が集まって来ていた。その中のひとり、マリーが解説を加えた。


マリー:

「〈冒険者〉の出現は、240年前とされている」

オスカー:

「つまり、〈エルダー・テイル〉のサービス開始、もしくは、オープンβの時期と一致するわけでしょ?」

マリー:

「管理者サンクロフトはノーストリリア計画すら知らなかった」

ジン:

「ノーストリリア?」

マリー:

「ノーストリリア計画。悪の亜人族に対抗するため、より戦闘に向いた〈猫人族〉〈狼牙族〉〈狐尾族〉と、疑似アルヴとして〈法儀族〉を生み出したとされる」

ラトリ:

「全部の種族が出てきた後に、〈冒険者〉は出現したわけだ……」


 十王戦闘→六傾姫の出現→悪の亜人族召喚→ノーストリリア計画→〈冒険者〉の登場(〈エルダー・テイル〉サービス開始)の順らしい。

 管理者サンクロフトは十王戦争前にこのゾーンに管理者として入り、たぶん交代がこないまま出られなくなったのではないだろうか。そして、死ぬ前にアンデッドに転生して命をつないだのだろう。いや、アンデッドだから死んでしまっている。なので、存在し続けることを選んだ、が正しいかもしれない。


葵:

『本来のシナリオであれば、ゾーンを満月にして、吸血鬼の起源を復活させて、このゾーンの外に出そうとしたんだろうね』

ヒルティー:

「このゾーンからオリジンが居なくなってしまえば、そもそも管理する必要がなくなる……」

葵:

『そうした危機的状況を、古来種かなんか?がたまたま?察知して、〈冒険者〉に調査依頼?だか、討伐依頼?だかする、みたいな?』

ネイサン:

「最後だけ急に曖昧になったけど、たぶんそんな流れだろうね」

ヴィルヘルム:

「〈冒険者〉の存在を知らずに立てた計画だったのだろう。その結果、我々のような〈冒険者〉がこうしてゾーンに現れてしまった。彼はなんらかの事情により、計画の変更を余儀なくされた。私の推測だが、もしかすると外部への被害を気にしたのかもしれない。そうして吸血鬼を倒そうとする我々の動きに乗じ、脱出を図ることにした。……本来のシナリオに沿って考えれば、このような流れになるだろう」


 なるほど、かなり分かり易くなってきた。


リディア:

「でも、どうして今頃?」


 ポツリとつぶやいたリディアの声が、妙に耳に残った。僕の答えは、『ノウアスフィアの開墾』で追加されるレイドだから、だ。しかし、葵の意見は違っていた。


葵:

『きっと待ってたんだよ。外の世界に、もうアルヴの生き残りが居ないと確信するまで、ね』



 ――私にとっての『世界』は、とうに滅んでいるのです――


 サンクロフトの言葉がリフレインし、違う角度から照らされ、別の意味を帯びる。僕はその感情を上手く言葉にできず、ただただ『凄い』と思った。

 悲しい言葉だと思ったが、もっとずっと強い言葉だったのかもしれない。


ジン:

「で? いい加減、結論になるのか?」

葵:

『ひとつはサンクロフトを外に出しちゃうと、イベントが続いちゃいそうだなって』

バリー:

「えっ、キャンペーン・シナリオってこと!?」

ネイサン:

「いいじゃん、大好物だよ。レイドがまたあるんなら、バンバン逃がしちゃおうよ! ワールドワイド・レギオンレイドのおかわりとか、ご褒美じゃなかったらなんなの?」

アクア:

「それはそれで問題があるでしょう? 周囲の迷惑も考えなさい」


 そっと顔を逸らす〈スイス衛兵隊〉のメンバーたち。レイド大好き過ぎて、多少の問題には目を瞑りそうな人たちばかりである。


葵:

『外にでたらどうなるか分かんない。味方かもだけど、もしかすっと魔王みたくなるかも?』

ジン:

「好き嫌いだのは、そのことか……」

ヴィルヘルム:

「だが、疑いがあるだけで罰することなどできない、だろう?」

葵:

『そーなんだよねー』


 釈然としていないのが感じられた。ここで殺しとけば確実だと思っている風だった。予知に近い能力を持つがゆえに、もどかしさを感じているのかも知れない。

 話し合いの趨勢は、サンクロフトとの共闘でまとまることになった。外の世界を見せてあげてもいいんじゃないか、という感情的な意見も意外に多く見られた。


 サンクロフトのいう旧人類というヤツは、もしかすると僕ら現実世界の人間のことを言っているのかもしれない。確定ではないと思うけれど、設定的にはそんな感じなのではなかろうか。

 彼みたいなアルヴ族の人間は、僕らからすると過去でありながら未来の存在でもあった。現実世界から見れば遠い未来の、そして異世界の視点でみれば、忘れられた過去の世界に住んでいる。過去と未来が絡まりあいながら、重なるような不思議な時間感覚。どこかで経験しているもののような、不思議な違和感だった。でもそれは親和的な違和感であり、心地好く思えるものだと思えた。







ジン:

「よーし、階段トレーニングをやるぞ!」


 地下迷宮というだけあって、〈ペルセスの地下迷宮〉にはちゃんとした階段があった。スロープだったり、凸凹だったりしないし、狭くもない。

 それにしても、レイド攻略よりも階段トレーニングの方がジンは大事だと思っているらしい。なんとなく苦笑いが漏れ出る。


ジン:

「ではまず準備体操から。前モモをさすります。脱力させながら~、ここじゃないよー、ここじゃないよー」

ユフィリア:

「ここじゃないよー、ここじゃないよー」

シュウト:

「ここじゃないよー、ここじゃないよー」


 丁寧に、前モモをさすっていく。摩擦で温かくなって気持ちよい。


ジン:

「じゃあ次、モモ裏をさすって行きます。こっちだよー、こっちだよー」

ユフィリア:

「こっちだよー、こっちだよー」

シュウト:

「こっちだよー、こっちだよー」

ジン:

「ケツの下半分と、モモ裏の上半分を、よーくさすってー」


 しばらく、こっちじゃないよー、とやって、こっちだよー、とやった。


ジン:

「じゃあ、階段トレーニングのやり方な。足から膝までが垂直になる様に乗せます。そして、後ろ足で蹴らないようにしつつ、前足のハムストリングスでスッ、と登る。中心軸意識して、スッ、と登る」


 さすがに96人いるので、全員の確認をするのは難しいっぽい。レギオンレイドのダンジョンなので広めの階段だが、2列で並んでやっていても最後尾は100段ほど下の方になる。(前足・後ろ足で2段×48人)


ジン:

「この時、注意! 足元の階段を見てしまうと、背中が曲がって、ヒザ周りの『こっちじゃない』方の筋肉を使ってしまうんだ。なので、背筋を伸ばす! 視線は正面より少し上! 登っていく階段の先を見るぐらいの意識で!」


 前足側のモモ裏を使うように意識しながら、何回か階段を登ってみた。この辺りの内容は前にも教わったことがある。


ジン:

「慣れて来たら、前足の内転筋も使って、後ろ足の内転筋と閉じ合わせるように。力を抜いて、もっと抜いて! 足はまっすぐ!」


 ジンブレイドを教わった時の、内転筋の使い方だった。階段で前(上)になってる足の、内側の筋肉で引っ張るような形だった。スルスル~っと登れる。階段を登る時のガニ股が矯正されていくようだった(苦笑)


ジン:

「よし、いいだろう。もうひとつ、セットの訓練もやるぞ。外に出ろ」


 ダンジョン入口の階段から外に出て指示を待つ。


ジン:

「次は、ハムストリングスを使うように、歩いてもらう」


 普通に歩いて行くのだが、すぐにパン、パンと手を鳴らしてストップが掛かった。


ジン:

「ぜんぜん違う! もっと、ケツの下半分から動かすんだ!」


 しばらくそうした指導が続いた。お尻の下半分から足を動かすというのは、真下を踏んだ後も、かなり後ろまでグイッと力を込めるような歩き方になった。1歩が明らかに大きい。


ジン:

「こんなもんか、じゃあ、もう一回階段な」

アクア:

「待って。……そろそろ理屈を教えなさいよ」


 敢えて言わないようにしていたので、救世主アクアの登場で僕らは歓喜に包まれた。瞳の中の星を増やし、期待のまなざしでじーっとジンを見つめておく。


ジン:

「ウザい目で見やがって。…………まぁ、お前らなら理解できるかもしれないしなぁ。今のが最も重要度の高い訓練だったわけだが」

シュウト:

「今のが、ですか? 四肢同調性よりも?」

ジン:

「レア情報と重要情報は別に扱うべきだ。最重要なのであって、激レア情報ではない」

ヴィルヘルム:

「ベーシック・スキルという意味なのだろう?」

ジン:

「そうだ。さすが、よく分かってる」うんうん


 やはりヴィルヘルムの評価は高い。でもまだ意味が分からない。


ネイサン:

「逆に分かんなくなったんだけど、どういうこと??」

ヴィルヘルム:

「ジン君が我々に施しているトレーニングは、ほとんどすべてがベーシック・スキルに類するものだということだ。それらに使われている知識は、レア度よりも重要度を中心に組み立てられている」

ジン:

「今回、俺がお前らを速成するために使ったのは、基礎訓練だってことだ。それもただの基礎ではなくて、他分野・他業種・他種目における基礎を4周半ばかり周回遅れにするような高水準のベーシックなわけだ」

スタナ:

「じゃあ、今の階段トレーニングも未来情報ってこと?」

ジン:

「当然、そうなる」

葵:

『ジンぷーにのみ可能な、リアル・チートってヤツだな(笑)』


 あんまり笑えないような気がするんだけども、話の続きを待つ。


ジン:

「たとえば戦士が強敵と戦闘になってしまったとする。そうしたら最大の戦力で戦いたいし、そうしないと負けるかもしれないわけだろ?」

ネイサン:

「戦士じゃないけど、そうだろうね」

ジン:

「人間にとっての最大の前方推進力は、ハムストリングスで作られるわけだ」

オスカー:

「ふむふむ」

ジン:

「そんでもって、さっき階段でやった通り、ほんのちょっとの姿勢の差なんかで、ハムストリングスが使えたり、使えなかったりする」

ギャン:

「そういうことに、なるのか」

ネイサン:

「強敵と戦うんだよね? それって、……マズいんじゃないの?」


 「あれっ?」という感じで疑問が生まれた。『最重要』という単語が唐突に現実味を帯びてくる。ただ階段を登るんなら出来てなくてもいいかもしれない。でも『強敵と戦う』という条件だと、出来てないのはかなりマズい。


ジン:

「実際、最大級の推進力なしで戦うなんて、ハンデにも程があるだろ?」

ミゲル:

「知ってしまえば、もはやありえん話だな」

ジン:

「てことはどうなる?」

ユフィリア:

「どうなるの?」

ジン:

「実戦的な戦闘訓練でこそないけど、かなり実際的な戦闘用の訓練にはなっているはずだ。 たとえば、武器を構えて階段トレーニングしたら、そのまま敵と向き合って動くための訓練になってくる」

アクア:

「敵と戦う際の、姿勢を徹底する訓練なのね……」


 訓練の射程が実際の戦闘へ向けて作られているのが分かる。否定や反論を許さない絶対性を持ちつつ、都市などで階段があればどこででも可能な汎用性を備えていた。

 残念なのは、階段トレーニングをやっても〈冒険者〉は筋力が鍛えられない点だろう。使うべきでない筋肉を使わないようにし、使うべき筋肉へと交換することと、そのための姿勢を矯正するのに留まってしまう。……十分すぎるほど十分な話だけど。

 全員を置き去りにした先で、さらに話を続けるジンだった。


ジン:

「現象としてはこれで2種類の立ち方が現れることになる。『正しい立ち方』と『役に立つ立ち方』だ」


 右手、左手と順番に出して、それぞれを表す。


ジン:

「今の訓練でやったように、最大級の推進力が使えないような姿勢は、どんなに正しくても、役には立たない訳だ。……従って、個々人の立ち方は、このふたつが全く重なっているヤツもいれば、」


 右手と左手を重ねる。


ジン:

「かなり離れちゃっているヤツもいるハズだ」


 右手と左手をそっと離していく。


リア:

「じゃあ、そのふたつが重なるように訓練すればいいんだ?」

ジン:

「…………と、思うだろうな。しかし、そんな時間のかかることはしない。『正しい立ち方』なんて捨てっちまえ」ポイッ



 !?


 右手をポイっと投げ捨ててしまうジン。根底的なところで自分の価値観が揺らぎそうになるのを堪える必要があった。もう踏ん張って耐えるしかない。


ジン:

「ハムストリングスが使えないような立ち方が正しいわけないだろ。綺麗なだけで役に立たない立ち方なんて、間違ってるんだよ。どうせ、他人からすれば大差なんてないんだし、『役に立つ立ち方』だけしてりゃあ、いい」

 

 『役に立つ立ち方』が何故か翻訳機能でもって『useful stand』の概念と同時に頭に飛び込んできた。いや、この場合〈エルダー・テイル〉的に言って、ユースフル・スタンスとした方がいいかもしれない。僕は常にリアル特技として〈ユースフル・スタンス〉を使うつもりでいるべきだろう。ゲームを越えた先で、現実がゲーム化していくような、入り組んだ感覚だった。

 

ジン:

「そして中心軸に感覚を統合していく。正しい中心軸は、役に立つ中心軸だからだ。中心軸があればハムストリングスが機能する。ハムストリングスを機能させるには中心軸がなければならない。OK?」

葵:

『もう何でもかんでも中心軸だな(苦笑)』

ジン:

「統一性の覇王だからな。処理を軽くするのは当然として、機能強化していかないと中心軸の意味がない。逆にそこらの雑魚は鍛えれば鍛えるほど『複雑さの海』に溺れる羽目になる。あれも大事、これも大事、ってな。そんなん大事じゃないものなんかねーっつの」


 徹底性の塊、合理マシーンとなったジンが頼もしくて仕方がない。大事さを束ねると、中心軸になるのかもしれない。


ジン:

「ここから先の話は腰痛になる危険性があるから注意するように。ネットの9割を占める、何を言っても何もやらない連中は安全なんだが、行動に移してしまう連中の大半は、ゴリゴリかアッパッパーなもんで注意しないといけない」

ネイサン:

「ゴリゴリって何?」

ジン:

「筋肉バカというか、一日に何度もプロテインをバカ飲みするタイプのことだ。用法用量を守れない」

ラトリ:

「なんとなく分かったかな(苦笑)」

ジン:

「行動に移すのは早いんだけど、体に良いと知ると不安とか疑問とかがパーッと消えてなくなって突っ走るんだ。プロテインだってバカ飲みしたら内蔵に負担がかかるのに、でも勿体ないからとかなんとか言ってバカ飲みをやめない」

ギャン:

「いるいる(笑)」

ロッセラ:

「じゃあ、アッパッパーは?」

ジン:

「『華麗なる理論』の持ち主だな。程度問題ではあるんだが、人の話を聞いてない・理解できてない・勝手にアレンジする、みたいなタイプ。潜在的に自分の華麗なる理論を守ろうとしているからタチが悪い。話を理解できないのはカッコ悪いからって、分かってるフリとか嘘を付いたりする」

スタナ:

「そっちも手に負えないわね……」

ジン:

「96人もいれば、かならずゴリゴリとアッパッパーは含まれちまうからなぁ(苦笑) 俺も気を付けるけど、この世界だと腰痛になってもヒール1発で解決できちまうだろうから、いろいろと問題でな」

バリー:

「ヒーラーに報告義務を課したとしても、休息してれば自動回復だしね」

ジン:

「客観性を維持したり、疑問を持ちつつもやってみるようなバランスの良いタイプは0.1%居るかどうかなんだろうけど、70億から計算するとそこそこ居ることになるからなぁ」

リア:

「700万もいれば、人類を引っ張っていくのに十分かも?」


 強いな人類、とは思うけれど、セルデシアに来ているのはその中の一部なので強い人類の割合はそんなに多くないような気がする。いや、0.1%ぐらい居るのかもしれないけども。


ジン:

「じゃあ腰痛のリスクのある話なんだけども、続きを語ってくと、なぜ、一定の姿勢によってハムストリングスのスイッチがオン・オフされるのか?ということになってくる。これの答えは、仙骨にある」

シュウト:

「仙骨?」

ジン:

「骨盤の上部、尾てい骨のちょっと上の部分で接続する骨だな。仙骨が使えるかどうか、仙骨が『利く』かどうか、仙骨を『入れられる』かどうか?の問題だからだ」

葵:

『じゃあ、仙骨を入れると、ハムストリングスが機能するってこと?』

ジン:

「そうだ。達人が問題にしているような問題意識こそが、こうした仙骨の話でな。ハムストリングスが機能している時、仙骨が使えていることになるんだよ」

アクア:

「じゃあ、役に立つ立ち方というのは『仙骨の機能問題』だったのね?」

ジン:

「厳密に言えば、そうなる。それを姿勢から中心軸への感覚統合へと繋げて話していたわけだ」


葵:

『んで? 仙骨の使い方ってどうやんの?』

ジン:

「だから、ゴリゴリとアッパッパーが怖いから言いたくないんだって」

葵:

『いいじゃん、言っちゃえよ(笑) 自己責任じょーとーだべ』


 最悪だ、最悪な人がいます。警察を呼ぶべきではないでしょうか。


ジン:

「……まぁ、いいか。仙骨の入れ方とは、『仙骨反らし』という技術になる。簡単にいえば、仙骨から体を反らすんだけど、ゴリゴリはやりすぎて腰痛になる。アッパッパーは背骨をそらしてもろもろ痛める。仙骨反らしのやり方はいちいち教えないので、階段トレーニングで身につけてくれたまへ」

ヴィルヘルム:

「了解した」


(作者注:腰痛持ちじゃない人が腰痛になったりして危険が危ないので、自己責任でお願いします。腰回りがゆるんでくるとアウターマッスルの防壁が弱まるので逆に危険度が増したりするかも(笑)『高度な成功は失敗の近くにある』ものです。正確なトレーニングはもはや前提ですね。さらに骨盤が前傾すると仙骨接続部分にダメージが入りやすくなるので、普段の姿勢まで絡んできます。ケア能力も必須です)


ウヅキ:

「まだだろ? 平らなトコで歩かせたのはなんだったんだ?」

ジン:

「拮抗筋の問題だ。……拮抗筋ってのは、一方が縮んでいる時、もう一方が伸びている。逆に一方が伸びている時、もう一方が縮む関係にある筋肉をいう」

アクア:

「フム、つながっているわけね?」

ジン:

「そうなるね。んで、さらっと答えを流してしまうけど、ハムストリングスの拮抗筋は、実は腸腰筋なんだ。つながってんだよ」

シュウト:

「えっ!?」

葵:

『マジ……?』

ジン:

「これは説明しても3~4割しか意味を把握できないと思う。要するに、ハムストリングスが収縮すれば、腸腰筋が伸張してエネルギーを蓄えるんだ。ゴムチューブがぐいーんと伸ばされたみたいなもんだな。そして伸張性収縮の力でびたーんと戻ろうとする。この辺りの構造が移動運動では中心になってくる訳だ」


 さすがに他種目を4周半の周回遅れにすると明言してしまうだけある。気合いだの根性だのが入る隙間なんてない。それらの使いどころはココではないのだから当然だ。科学的な構造理解から、正しいトレーニングを導きだし、それを実践するべきであって、その先に気合いだの根性だのを語る順番がくる。無知を根性論の言い訳に使えば、無能を晒すしかない。

 ……とか考えていたら、僕が話題になっていた。


ジン:

「シュウトがレオンと戦った時、超スピードのアサシネイトを繰り出しただろう? アレなんかはシステムを利用した裏技になる。動作を最適化させることで、倒れるよりも早く技を繰り出させたわけだ」

レオン:

「システム・アシストの動作補正を利用していた訳か……」

ジン:

「あれなんかはコケるより早く、継ぎ足を繰り出さなきゃならない。そうした超スピードの継ぎ足は、腸腰筋の伸張性収縮が必須なんだ」

シュウト:

「……ってことは、普段から出来るようになるんですか?」

ジン:

「原理的には当然、可能だ。長い長い訓練が必要だろうけども」


 ばっちりと繋がった。新しい道にレールが連結されたように感じる。僕はまだまだ、もっと先まで行くことが出来る。



ジン:

「運動としては下ケツから動くことが重要だ。ここは股関節の脚部接続箇所の真後ろに来る。ハムストリングスとは下ケツと上モモ、併せてケツモモのことを言う」

タクト:

「あの、下モモはなぜ使わないんですか?」

ジン:

「やってみれば分かるんだが、下モモまで使おうとすると、ヒザ周りで足を動かそうとしてしまうんだ。ヒザを中心とした半径での運動と、股関節を中心に足全体を半径とした運動では、その規模は大きく違ってくる」


 いつも言われていたことなんだけど、意味合いが変わってきた。理解度がまた上がったのが分かる。



ジン:

「下ケツを使うことで、股関節から足が振り出される。そこで初めて、腸腰筋がしっかり連動する。その前提は当然、仙骨が利いていなければならない。それらをまとめて中心軸で統合していく」


 もう一度、階段トレーニングと、平地での歩き練習をして動作を確認していった。ここに更にジャンプ練習が追加された。


ジン:

「よし、ついでにジャンプの練習もやっておこう。……その場で真上に飛び上がろうとすると、必然的にヒザ周りの筋肉を使ってしまう」


 ピョンと飛び上がると、確かにヒザ周りを使ってしまう。


ジン:

「軽く助走をつけて、ナナメ前に飛び上がろうとすると、ハムストリングスが使えるハズだ。やってみろ」


 何度か練習して、ケツモモが使えるようになって来ていた。よほど特殊な状況でもなければ、真上に飛び上がる理由もないので、ハムストリングスが使えるように練習しておくべきだろう。


(よほど特殊な状況の例:身体測定での垂直跳びなど。バレーボールはネットタッチが反則になるため、専門的に訓練しないとハムストリングスを使えるようにならない。特にバレーボールのブロックは運動条件が厳しい。バスケのジャンプシュートもその場で跳び上がるため、前モモでジャンプしやすい)


ネイサン:

「オディアなら、あの枝に届くんじゃない?」

オディア:

「やってみる」


 ネイサンが指さしたのは、かなり高い位置にある枝だった。正直、手で掴まるのだろうと思って見ていた。軽い助走から飛び上がると、オディアはそのまま枝の上に着地していた。特技は使っていない。体重が軽いこともあるんだろうけど、やっぱり侮れないな、と思った。


ジン:

「よし、これで足ネバもまた内容が上がるだろう。終わりにするぞ~」


 まだリヴァイアサンのスープでお腹がいっぱいなままだ。ダンジョンをアタックしてもしばらくは平気だろう。そして僕らは準備を済ませ、〈ペルセスの地下迷宮〉へと挑むことにした。

 


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