22 フリーライド (後編)
ゲームにおける白兵戦・格闘戦をもっとも単純な形で表現しようとすれば、『交互に殴りあう』となるだろう。
ここから要素を増やすことで現実に近付いてゆく。攻め手が攻撃特技を繰り出してダメージを与え、技後硬直によって今度は相手が攻撃する番へと切りかわる。例えば〈武闘家〉は連続技を繰り出してダメージを与えようとし、〈守護戦士〉はそれを防ぎ切って反撃に転ずる形になり易いだろう。
技後硬直によるターンエンド(攻守交替)や確定反撃を様々な工夫で隠しながら、上下左右に揺さぶられるアタックを見切って避けたり確実にガードしたり、一方的な連続攻撃に素早く割り込んだり、といった様々な部分に戦士の技量が現れてくる。実戦のソレはゲームという戦闘もどきからすると、軽く数倍~数十倍の難易度にもなるだろう。
武器を使うタイプの〈武闘家〉であるレイシンは足技を得意とし、武器と足技を組み合わせてコンビネーションを構築するタイプのファイターである。
一般に足技の威力は腕による打撃の3倍と言われているが、同時に使いこなす難易度も3倍かそれ以上になる。身体を支え、移動に使う2本の足の片側を攻撃に利用するのだ。難易度の高さは当然の帰結であった。威力を乗せるための重心移動ひとつをとっても、技のレベルを決定するほどの重要事項になる。
また激しい戦闘で足技を使っていれば、自ずと転倒しやすくなるのが道理というものだった。たとえば現実で野生動物と戦っていて転んだりすればどうなるか。相手にもよるが、まず大きな失敗となるだろう。如何に豊富なHPに守られているとはいえ、様々なモンスターと戦うシビアな冒険の舞台において、無闇な転倒は致命的な事故の原因となり易い。つまり足技を頻繁に使うということは、それだけで高い技量が要求されることを示している。
武器を使う〈武闘家〉は少なくないが、その大半が爪など〈武闘家〉専用の武器であり、レイシンのように棍や両手両刃武器はあまり使いたがらない。これは〈武闘家〉の特徴となるコンビネーションの多くにパンチ系の技が組み込まれているためだろう。武器の使用はそれらパンチが組み込まれたコンビネーションの使用を不能にしてしまうのだ。専用武器である爪や防具として表現されている篭手であれば、パンチ系の特技を邪魔することがない。それは大きな利点と言えた。
大きな武器を使えば、その分攻撃の威力は大きく増加する。レイシンは高威力の武器と足技の組み合わせを選択しているため、高ダメージ仕様なのは間違いないが、その代償として一般的な〈武闘家〉にとってダメージ源となっている派手な連続技の多くが使えなくなっている。その選択は想定している敵に理由がある。つまりジンと一緒にいる以上、レイシンの仮想敵も必然的にドラゴンとなる。
多段にわたる派手な連続技は、その後半に高ダメージ技が集中するため、一度開始したら技を出し切らねばダメージが確保できない。その結果、長い技後硬直を甘んじて受け入れなければならず、一定以上の実力者を相手にすれば確実に反撃を受けることになる。かといって、それを嫌って途中で技をキャンセルすれば、大ダメージを与えることが出来ない上に、中途半端な技でMPだけを消耗することになってしまう。ドラゴンと戦う際の戦闘継続性とMPの使用効率、可能な限りの大ダメージ、ジンとのコンビネーションといった諸要素をバランスさせた結果、レイシンは単発技をメインとする現在のスタイルに辿りついていた。
ただし、たとえ単発技メインといっても前衛戦士職の中にあっては〈武闘家〉の連続技はやはり段違いに豊富である。…………そして現在も単発技同士を組合せてコンビネーションさせつつ、ジンを攻め立てていた。
前転から浴びせ風のカカト落としに武器の振り下ろし攻撃を重ね、着地からそのまま最下段の水面蹴りに繋げる。たまらず飛び退って回避するジン。追撃でキレの良い中段蹴りをガードさせておき、反撃を見越してのサイドステップから武器攻撃へと連携させていく。ジンは鋭い多段攻撃を弾き返すために盾を大きく振るう。見切ったレイシンはヒット寸前で回避し、一定の距離を保つようにする。
開始から20手ほどとなる。さほど素早い動きではないが、テンポ良く確認するような動きで2人は戦っていた。まだクリーンヒットこそ無いが、レイシンが戦いを一方的有利に進めていた。
間合いをとった2人はここから戦いのステージを上げる。武器を握り直すレイシン。ジンは気迫が増して行く。具体的には70レベルまで抑えていた力を75レベルにまで戻してゆく。
ジンは一般的な意味においては、あまり面白みの無い〈守護戦士〉だった。
一線級のプレイヤーを参考にしようとする場合、まずどのような戦法や連携を使うのかを把握し、その登録しているショートカットを割り出したとしても、コンビネーションを『部分的に真似する』といったことをやりがちである。
近年のゲーム事情では、ショートカットテーブル自体を交換できるようになっていたため、戦う敵の属性ごとにショートカットテーブルを作成して使い分け、また長期戦であれば再使用規制の掛かった特技を交換する予備のショートカットリストも作成するのが、廃人級プレイングに於いてはもっぱら常識となっていた。このため偵察を繰り返したところで、ショートカットリストの全体像を知ることは難しく、自然、部分的に真似するのが限界になる。すると、華麗な決め技だけを真似したがるプレイヤーが増えることになり易いのだ。
そもそも戦闘には流れがあり、その決め技を出すに到る経緯があって始めて、その連携が決め技になるものなのだが、攻略サイトや一部の雑誌が決め技だけを大きくピックアップすることもあってか、一部分だけを真似しようとする風潮を加速させていた。
そこを行くと、ジンが登録している特技のショートカットはかなり大雑把で魅力に乏しい。
〈大災害〉があってショートカットテーブルの交換ができなくなった現在、多くの戦士達が何の特技を登録するかで吟味を重ねている。ショートカットの内容はトップシークレットでもおかしくない重要情報であったが、ジンの場合は何故か逆にいくつかスペースが余っていたりする。〈守護戦士〉なので一応はタウンティングと盾を使う特技をメインに緊急特技も基本として入れてある。そこに〈竜殺し〉の特技を入れたら、後はオマケのように使い勝手の良い攻撃特技をいくつか入れてあるのみ。……つまり、バレやすい構成になっているのだ。それは相手に動きを読まれる(=読ませる)ことを前提にした構成にするためだ。
エルダー・テイルは膨大な情報量を持つ複雑なゲームであり、もともと特技の数も多い。このため相手の使用特技自体を把握するのが困難になっている。対戦格闘ゲームと異なり、特に一般プレイヤーなどであれば、敵どころか味方の使う特技ですら把握しないで戦っていることも珍しくない。普通に遊んでいれば(PKに襲われない限り)プレイヤー同士で戦うことは稀であることも大きな原因であろう。
ジンは相手に動きを読まれることを前提に、読み合いを仕掛けていく戦法を取っている。実のところ相手がこちらの動きを読んでくれなければ、『裏をかくこと』ができないためである。裏をかくことができない場合、単純な力押しで勝負を決めることになり、結局は効率が悪くなるのだ。一部のプレイヤーが特技構成を秘密にするのは、どんな技を使ってくるのか分からなくすることで、相手が対応できないようにするためだ。…………このことを逆にすれば、読まれてしまえば対応されてしまう、ということを意味している。つまり、ジンは使用特技を読まれても負けに直結しないことを優先して特技を選択していることになる。
打って変わり、鋭い踏み込みから圧倒的な速度を持つ斬撃が放たれる。レイシンはそれを辛うじて武器で防いでいた。これはニキータにも一目で理解できた。話に聞いていた『極撃』であろうと確信する。……と同時に、防いだレイシンに驚きを禁じえない。知っていたからこそ防ぐことができたのだろう、と思う。
片手剣としては最も重量のあるシリーズであるブロードバスタード系を使うジンは、それを軽々と、……否。 重く、鋭く振るう。ジンの極撃とは単なる通常攻撃のバリエーションだったが、この時既に中級特技クラスの速度と威力を持ったものになりつつあった。
レイシンが自分の間合いに素早くポジショニングして有利に戦いを進めていくスタイルなのに対し、ジンはどんどん前進していくスタイルである。盾を活かし、時に強引に、時に鋭く、時に柔軟に間合いを詰めていくのだ。カウンターになることもあるが、基本的に相手を後退させることが目的に含まれる。格闘戦では後退しながら威力のある攻撃を加えることは難しいため、相手を後退させるほどの前進力を持つことは即ち自身の被ダメージを減少させることに繋がっていくのだ。基本原理に基づく王道的な戦法でもある。
元来、長剣を使う戦士の標準的な有効距離は90センチ前後とされる。その距離に入る一瞬を絶妙に捉えて攻撃するのが一流の剣士の条件であった。全てはその間合いを軸に攻防が収斂されていく。如何に相手よりも速くその間合いに入るのか、如何に自分が的確にタイミングを捉えるか、如何に相手のタイミングを崩すのか、如何に間合いを勘違いさせるのか、エトセトラ、etc。
この『90センチ大会』という格闘ゲームにそのまま挑んだとすれば、ジンなどでは二流どまりの戦士にしかなれない。剣術とはそれほどに研鑽が積まれている世界であって、果てしなく『上には上がいる』のだ。
逆にこの90センチの間合いを外してしまえば、たとえ一流の剣士といえど、十分な実力を発揮することはできなくなる。その大元の原因はフォームを固めていることにあった。かといって、フォームを固めなければ『刃を立てる』ことができない。もしくは反復練習を繰り返していない動作では必要な威力・速度・精度で得物を振るうことが出来なくなる。 そもフォームとは『威力・速度・精度』が高くなるものとして抽出され、反復動作を繰り返す動作であるため、そこから外れれば『威力・速度・精度』が下がるのが道理である。
……同様に、特技の使用はシステムのサポートによって『最適な動作』を実現させている。つまりインパクトから逆算して既定動作(剣ならば振りかぶるなどの準備動作)を開始し、敵も止まってばかりいる訳でもないため、攻撃の理論値を実現可能とする許容範囲内に入ったところで技を炸裂させることになる。
ジンの異常に高く感じる防御力の秘密(のいくらか)は、命中の直前に僅かに打撃面をズラす技術(既にセンスに近い何か)にある。人型サイズ同士の戦闘であれば、自身が攻撃し易い距離は相手にとっても攻撃し易い距離となるハズであったが、ジンは『90センチの呪縛』から解放されているため、攻撃のための前進によって、同時に敵の攻撃を不発にさせることが可能になっている。…………しかし、それも練習に付き合わせた当の本人を相手にしては、そうそう通じるものではなかった。
武器よりも腕自体がムチであるかのような速度になっている。腕の先にあるはずの武器は、もはや霞むような速度でレイシンを襲っていく。連続する攻撃音。レイシンはほぼ勘だけで攻撃を防いでいた。瞬間的に反撃に転じ、逆に自分から間合いを潰してヒザ蹴りを放つ。ジンも同時にヒザを放ってレイシンの攻撃を逸らしていた。レイシンはそのまま武器の一撃を素早く繋げに行く。
「ぐっ……」
交錯したかと思えば、レイシンが大ダメージを受けてグラついた。
安易に当てに来た(=ガードさせるのが目的の)一撃を見切って、ジンは斬り抜けを重ねている。立ち止まっての打ち合いと見せて、突然の移動斬りだった。相打ちスレスレの同時攻撃でカウンターを取っていくその技法は、ジンが「青」と呼ばれた頃の業である。
その過去も身近に知っていたレイシンは、普段よりも何倍も凄みを増した笑みを浮かべる。ジンもそれに呼応するように笑みを浮かべた。
呼吸も忘れて見入っていたユフィリアが、今の内にとばかりに空気を求めてあえぐ。ニキータも深く息を吸い込み、肺にたっぷりと新鮮な空気を送り込んでおく。
いとも簡単にレイシンがローキックを決める。
レイシンの蹴りは当たる直前までミドルとの区別が付かない。このためジンはローに対する防御を捨てる。ヒザの部分は可動部位に近いため鎧が薄い。しばらくすれば自動的に修復すると言っても、ダメージを受ければ鎧は変形することもあって、ローキックなどはそう何度も受けたい技ではない。
レイシンがもう一度ローでくるのを見てジンは一歩下がる。……と、突然に速度とキレを増した後ろ回し蹴りがジンの頭部を襲った。
「ガ……ッ!」
咄嗟に盾で受けたが、やはり衝撃を殺しきれていない。
「モーション入力かよ……」
〈特技〉をショートカットにあるアイコンからではなく、ジェスチャーに似た体の動き・サインによって発動させる方法が存在していた。一部のプレイヤー達にとってはかなり早い段階から既に知られていたものであった。モーションの一部の動きを真似るその入力方式はゲーム時代には当然ながら公式として存在していなかったため、「アクション入力」「モーション起動」「任意発動」などの様々な名前で呼ばれることになる。
その主なメリットは、ショートカットに登録していない特技であっても使用できることだろう。デメリットは動作最適化が働かないため、自分で命中させなければならない点にある。蠅のような小さくて動きの素早い相手に攻撃する場合にはショートカットからアイコンで入力する方法が圧倒的に適しており、自身に効果を発揮するタイプの特技は命中失敗などのリスクが無いため、ショートカットに登録していないものをモーション入力によって任意発動する方法が適している。一般プレイヤーの多くは(ゲームはともかく)実際の戦闘に関しては完全に素人であったため、いざという場面で信頼がおけないものとして敬遠されることも多い。
2人は間合いの攻防と激しい打ち合いに戻っていた。斬り抜けを警戒するレイシンと、モーション入力によって増加したコンポのバリエーションを警戒するジン。それでも2人は変わらぬ速度で攻防を繰り返していく。
「…………ユフィ? どうするの?」
ユフィリアが呪文詠唱を始めていた。それに気付いた2人が手を休める。完成した呪文が投射されると、ジンのHPが回復していた。
「回復魔法、か」
「だって、まだ戦うんでしょ?」
それだけを言うと、今度はレイシンのために回復呪文の詠唱を始める。
ジンは口元をニヤつかせて笑うと、レイシンへの回復呪文を邪魔するべく、その射線に身体を割り込ませようと走る。ユフィリアは驚いてビクッとしていたが、レイシンもそうはさせまいと、ジンに体当たりするようにして妨害を阻止しようとする。
「ユフィさん、こっちへ!」
ジンを押し返し、その反動も利用して離れた場所へ走る。
「まだまだっ!」
ジンがダッシュし、好んで使うシールドを用いての突進技を繰り出す。緑色の軌跡を曳いて急加速し、レイシンを後ろから襲う。
「ハッ!」
走り高跳びのバーをパスする風の、見事な背面跳びでジンの攻撃特技を回避すると綺麗に着地し、ユフィリアからの回復呪文を受け取る。
「ククク」
「ハハハ」
楽しげな2人はさらに戦闘を加速させていく。
(イチャイチャ、か。確かに見せつけられちゃったわね……)
戦闘嫌いのニキータですら心がざわめくのだ。隣のユフィリアは落ち着き無く、体を動かしながら観戦するのも当然だろうと思う。もどかしいのだ。飛びこんで参戦したいけれども、しかし、2人の邪魔をしたくもなかった。
「あれって、レイシン……さん?」
「え?」
段々とレイシンがジンを圧倒し始める。良く見れば〈狼牙族〉の特徴が各所に現れ始めていた。レイシンが〈狼牙族〉であることなど、これまで殆ど意識したことがなかっただけに、意外に感じてしまう。
〈狼牙族〉は平素は少し髪の毛の多い人間といった外見をしているのだが、戦意が高揚してくると狼の特性をあらわす。瞳が黄金に輝き、狼のごとき耳や幻の尾が出現するのだ。それと同時に筋力も上昇し、戦闘力が一時的に高まるのだ。…… レイシンは足を止め、獣性の解放を始める。
「種族特性ね」
「ちがうよ。 アレって……」
「どういうこと、ユフィ?」
ユフィリアの変化に気が付いて、ジンが「問題ない」とジェスチャーで示した。
「さて、と。 ここからは俺の趣味だな。」
レベル抑制を止め、81レベルに力を戻す。そして迷うことなく〈フローティング・スタンス〉を起動させた。そのまま第2段階の能力を呼び覚ます。戦闘モードの上位版であり、いわば『戦神モード』とでも言うべきものだった。その名を『荒神』という。
今やレイシンの意識は中次段階へと達し、〈フリーライド〉を開始していた。
もともと優しい人間であるレイシンは肯定的な人格的特徴の持ち主であり、バランス性に秀でている。この場合であれば〈狼牙族〉の種族特性を利用し、身体そのものが持つ意識と自身の意識をバランスさせていた。レイシンは獣化も暴走も狂人化もしない。それは実際のところ、勇者的な性質に近いものであろう。
〈フリーライド〉とは、身体の乗りこなしの事であり、その自由化を意味する。 〈冒険者〉に対して肉体的に遥かに劣る人類では、その肉体の能力を十全に振るうことが出来ない。想像力が足りない。感覚が追いつかない。そのためシステムサポートに『依存』させられている。もっと言えば、『自己を保全するため』にリミッターが掛かっているのだ。力を振るえば、その力のフィードバックから自己が侵食を受ける。その危機感は戦闘の高揚を超えて、根源的な恐怖を喚起する種類のものだ。自分と思う自分が『変わってしまう』という危機に晒されることになる。
〈フリーライド〉に成功したレイシンは90レベルの存在としてその力を自由に振るうことが出来る。それどころか、〈狼牙族〉の種族特性が解放されている現在、その能力は90レベルを越えたものになるのだ。……これによってジンのアドバンテージは消えた。逆に9レベルを越えるハンデが圧し掛かることになる。
「いくよ?」
「来い!」
確かに、ひとつひとつの違いは分かりにくい。伸びが違い、キレが違い、圧力が増し、技の戻しがコンパクトになる。それらが合成されることで手がつけられなくなっていた。
ジンの最強状態はほとんど理解できない種類のものだったが、レイシンのそれはニキータにも感覚的に理解できていた。巧いのではなく、強い。そういう種類の戦闘法を確立させつつあるのが『彼ら』なのだ。
(ジンさんは、この先にレベルに達している……!)
成長した〈冒険者〉はドラゴンとも戦う強者となれる。如何に仲間と連携してその力を高めようと、それぞれの戦士は各個に最強と対峙しなければならないのだし、対峙しうるのだ。
いつかの砂浜で見せた、ドラゴンと戦うスタイルで戦うジンは、レイシンに圧されながらも対抗しようと足掻いていた。やがてあり得ない方向に身体がズレて攻撃を回避し始める。その様子を表現するのであれば、空ではなく、『地を飛んで』いた。
〈フローティング・スタンス〉の高級運用。
この技は「大地から浮力を得て回避力を向上させる構え」として、サブ職〈竜殺し〉の目玉と見做される回避系特技である。回避性能だけであれば、他にもより高性能な特技が存在しているが、この特技はその性質から使用者の運動性能を激変させる可能性を秘めていた。
通常、体重を越える浮力を得れば、人体は浮かび上がってしまう。しかし、空を飛ぶための特技ではないため、足を付けている間だけ大地から浮力が供給されるという仕組みになっている。装備重量の大小に関わらず得られるその浮力の限界は、ジンの行った実験では遂に分からなかった。体重の数倍の重量を掛けても、浮力が無尽蔵に強化・供給され、一定の状態を生み出し続けるためだ。浮力の限界を知ろうにもジンの身体が先に持たなくなってしまう。ならば無限の浮力が得られる、と表現してもさして間違ってもいないだろうと思われた。
回避性能に関しては、簡単に言ってしまえば『軽くなって動き易く』なる。実際には装備重量は消えていないため、重いまま軽いのと同じように動けるようになる。感覚的に分かり難い部分なのは、重いままなので実際には速く動けるわけではない部分だろう。例えば走ろうとすると、両足が地から離れる『空中局面』があるため、浮力の効果は限定的になるのだ。従って、回避の初動を助ける意味合いが強い。停止慣性力を振り切って回避性を向上させるためのものなのだ。
しかし、その使用法は序の口に過ぎない。その本領は、地に足を付けたままでこそ発揮される。例えば、野球でみかけるスライディングタックルの場合、名人ともなれば5メートル以上の距離を滑って移動し、大きなカーブやS字を描いて野手を躱すことすらしてのけるのである。〈フローティング・スタンス〉の使用者は大地からの浮力を得ていることから、単なるスライディングであれば、30メートルを軽く越える移動が可能となる。しかも、地に足が付いていれば原理上360度全方向に身体を滑らせることが可能だ。実際には使用者の体重移動そのもののレベルが限界を決定する程だった。
加えて転倒事故防止効果と無限の浮力があるため、身体を深く倒しても、その方向に移動しようと力を加えれば簡単に立ち上がることが可能だった。その動きはおもちゃの起き上がり小法師に近い。アイススケートなどでは勝負にならない多方向性は、結果的に地上にあっては人体に不可能な運動性能を与えたことになる。ジンは地を滑り、翔け、舞った。
強大な圧力を発するレイシンに一方的に攻められながらも、するするとなめらかにポジションを変えてゆく。死角に入り、近接から極撃を連打することすらやってのける。攻めに転じ、反撃を受け流し、また攻めに転じていく。ドラゴンと戦うためのスタイルとは、つまるところ、自分よりも強い者と戦うためのスタイルだった。
攻めるジンが、突然に半歩下がる。
一瞬遅れて銀色の弧が地から駆け昇っていた。後退を兼ねたサマーソルトキック。その銀の弧は一瞬速く振り抜かれた蹴り足の残光に過ぎないため、エフェクトを見てから回避するのでは間に合わない。それ以前に接近戦で真下から襲ってくるこの技に対処するのは至難と言えよう。
ギリギリで回避できたジンは、レイシンが体勢を立て直すタイミングを狙うべく素早くダッシュを掛ける。
しかし、それはレイシンの狙い通りの行動だった。誘いである。至近距離からのワイバーン・キックをジンはシールドでガードする。否、ガードさせられている。吹き飛ばされ、ジャリジャリと大きく後退。いち早く体勢を立て直したレイシンは最大加速をかけ、一瞬でその姿が掻き消えた。
刹那、月を背負うレイシン。続く空を断つ黒き一閃は、まさに死神の鎌。ガードしようとしたジンの左肩から血しぶきが暗闇に弾けた。
〈フローティング・スタンス〉の弱点とは、ノックバックと呼ばれる吹き飛ばし攻撃への耐性が失われることにあった。吹き飛ばされることでダメージを運動エネルギーに変換し、そのまま飛散させる効果も付随するのだが、一方で前線構築を主眼とする通常のゲームプレイングにおいては、前衛戦士職にとってかなり大きなデメリットにもなりえる。ダメージを低く抑えられたとしても、前線が崩壊すればチームが負けてしまう可能性がある。
互いに手口を知り尽くしているため、レイシンはジンをノックバック誘発で後退させ、その間に体勢を整えて大技を叩き込む作戦に出ていた。
〈断空閃〉。
ジャンプ中を条件として放たれる武器振り下ろしの高威力特技で、レイシンの決め技の一つだ。今回の場合、放物線を描く比較的ゆったりとしたジャンプではなく、ダッシュからそのまま突き刺さるようなライナー性のジャンプを用い、全身の力を解き放つ最大の一撃となった。
ノックバックから回復するかどうかのタイミングでは回避は間に合わない。ジンはシールドによるガードを試みるも、レイシンの愛用武器ドラゴン・ホーンズに左肩を深く抉られていた。それはほぼ勝負を決する一撃である。
が、
「ダメェぇぇえー~ッ!!!」
語尾が高音を越えて超音波になるほどの、ユフィリアによる全力の制止。
ニキータは動けずに、ただスローモーションのように起こった出来事を観ていた。
戦闘モードですら目で追うのが厳しい全速のレイシンが放つ強大な一撃に、ジンがガードごと左肩を破壊される。そのままレイシンはジンの背後に着地しようとしていた。たたらを踏んだジンが、振り返る。その時、僅かな手元の操作で剣が青の光を点した。絶対死を意味する最強の……、ユフィリアの絶叫も虚しく、レイシンの背中へとジンが突進し、2人のシルエットが重なった。
駆け出すユフィリアになんとか付いて行こうとしたが、足が巧く動かない。
地面に吹き飛ばされるレイシン。ジンは、激突の衝撃にもんどおりを打って仰向けに倒れる。ゆっくりと身を沈めながら手の中の力を空に解き放った。振るわれた剣から青の輝きが闇夜に溶けて、夜空の星々を彩る。
――戦いは、終わった。
「ジンさん!レイシンさん! 大丈夫!?」
「こっちはなんともないよ。 ありがとう。」
「あーっ、くっそぉー、使っちまったか……。肩がイテー」
ホッとしながらも駆け寄る。ジンの肩は派手に血が噴出していた。
「待って、回復するね?」
「おう、サンキュ。……それと、良く止めてくれたな。偉いぞ、ユフィリア」
「えへへー。でしょ?」
呪文詠唱を始める。ジンは膝枕を要求し、寝転がったまま足を動かしてユフィリアの膝に頭を乗せている。
レイシンがジンの傍に立つ。戦闘の終了と共に、〈狼牙族〉の種族特徴は消えていた。
「大丈夫?」
「見た目ほどじゃねーけど、ちょっと痛ぇな。…………勘は戻っただろ?」
「お陰さまでね」
「それと、悪かったな〈竜破斬〉を使っちまった。」
「当たってないから、ね。死んでもユフィさんに復活させて貰えばいいだけだし」
「そうだけど…………それにしても、くっそー、勝てなかったか。残念」
「はっはっは」
「治癒終わったよー」
「サンキュ。ってか、鎧の耐久値も激減だろ、これ?」
「大穴が開いてますね」
「修復が始まってるよ」
「ランニングコストが馬鹿にならないんだぞ? 練習費として代金を要求するっ!」
「はっはっは。負けたんだからそっち持ちでしょ?」
「おっ、なかなか言うじゃねーの? なら、もっぺんやっか?今度は〈極意〉も使ってやんよ?」
「いや、勝ち逃げさせてもらうよ。明日の食事の準備もあるしね?」
「キタネー、いつもそれじゃねーか」
2人のコンビネーションは、こうして本気をぶつけ合うことで培われたらしいことをニキータは知った。正直に言って、大人しいレイシンがジンにここまで対抗できるとは思っていなかった。
それとワケが分からなくなるほどの高速戦闘に驚愕する。あの速度で戦いながらアイコン操作もするとなると、全く手も足も出そうにない。ジンが〈竜破斬〉を使ってしまうのも仕方がないことのように思えた。
実際にはモーション入力も混ぜて利用しているため、ニキータの想像通りでは無かったのではあるが、実力差を垣間見れたのは彼女たちにとって大きな刺激となった。
ニキータは聞きたかったことを思い切って尋ねることにする。
「ジンさん、どうしてシュウトとは戦わないんですか? レイシンさんとは戦うのに」
「んー、アイツは今、大きく伸びていく時期だからな。俺と戦って、1~2秒長く生き残るのに汲々とさせていいタイミングじゃないっていうかさ」
「大きく、伸びる?」
「予兆はもう始まってる。けど、シュウトにはまだ言うなよ?…………まぁ、俺もアイツに合わせて手加減なんかしてらんないってのもあるけどな。そういうのって、無駄だろ?」
「そうですか……」
やはり、理由は在ったのだ。その見立ては自分よりもずっと正確だろうと思う。
「明日からはしばらく、レイにボッコボコにされるのを見て楽しむとしようぜ?…… リア充、死すべし。」
そう意地悪く笑っていた。照れ隠しだろうと思って聞き流す。ニキータにしても、シュウトが戦うところを見るのは少しばかり楽しみでもあった。
◆
「ただいま~」
「おかえり。早かったじゃないか?」
何処となくフラフラとした足取りで戻って来たユフィリアに挨拶を返す。
「どうだった? 」
「何が~?」
「ラブラブで、イチャイチャだったんだろ?」
「えー? うん…………すっごく、激しかったよ」
「え?」
そのまま手をひらひらと振ってユフィリアは天幕の中に入っていった。
「たしかに熱かったわね」
「そうなん、だ…………?」
ニキータまでどことなく熱っぽい表情をしているのにどきまぎする。「もう、休むわね。オヤスミ?」とシュウトに声を掛けて、彼女も天幕に消えた。
「というか、…………何が激しかったんだ?」
普段から冷静なニキータが誤解を解かなかったこともあってか、その夜のシュウトはうまく寝付けなかったという。