21 フリーライド (前編)
「その3万ってのは何よ?」
「一撃のダメージのことだよ。3万160点。その1回を除けば、同じ技の平均値はだいたい2万3千点あたりになるけどね。技術的にまだ未完成なんだと思うよ」
「2万3千でも十分にチートじゃない……」
「いや、本当にチートみたいだよ? 僕の〈解析〉では、〈師範システム〉に介入して強引にレベルを引き上げていると出ている」
「師範システム……? あの初心者対策用の?」
「レベルを操作する仕組みだよね。やっぱりシステムが柔軟だったということじゃないかな?」
「……面白いわね。ちょっと興味が涌いてきたわ」
「それなら、知り合いになってみるのもいいかもしれないよ?」
「そうね。そのぐらいの価値はあるかもしれない。 ところで……」
「?」
「アンタは、私の知っているアンタなの?」
「もちろん。僕は君の知っている僕だよ」
「相変わらず、アンタたちって意味が分からないわね」
「僕は僕なのであって、僕たちじゃないんだけどなぁ」
◆
「めちゃくちゃしんでぇぞ、オイ」
「いえ、まったくの想定内です」
「嘘つきやがれ……」
大変に苦労しながらも現実世界で高梁川と呼ばれる川を渡る。ジンとシュウトの会話を聞きながら、ニキータは安堵とも疲れともつかぬ大きな溜息をついていた。
「大変だったねー?」
ユフィリアは楽しそうな笑顔で嬉しそうに話しかけてくる。彼女は大変なら大変で、大変だったことも楽しかったことにしてしまう。ほつれた髪を撫でてやりながら、「そうだね」と相づちを打つ。ああでもない、こうでもないと話すユフィリアの話に耳を傾けながら、その屈託のない笑顔に癒されていることを自覚する。自分と比較してテンションが5段階ほど上の位置で安定している様なので、そこまで差があると逆にこちらも一緒にいて落ち着くのだと思っていた。
ふと見れば、ジンが葵に念話で連絡を入れていた。
「で、合流場所はまだ決まらないのか?……ああ?…………ぐわっ、そういうのはレイと話せよ、切んぞ?」
ぐったりと疲れた様子のジンに、どことなく前途の多難さを思う。間をおかず、レイシンが念話を始める。
「うん…………うん…………へぇ~、そうなんだ?…………うん…………それは凄いねぇ~」
葵からの念話はその後も長々と続き、モンスターとの小戦闘になっても、レイシンはまだ念話を続けていた。口だけの相づちなのか、ちゃんと話を聞きながら戦闘もこなしてしまっているのかニキータには判別できない。戦闘のコンビネーションに支障を来たしている様子もなく、特に問題もないらしい。
「レイシンさんって、意外と万能タイプよね?」
近くにいたシュウトに向かって、そんな事を言ってみたくなる。ジンばかりが目立っていて、レイシンの評価が低かった事に気がついてしまったからだろう。
「そうだな。実際、戦闘もかなり上手いと思う。大技と小技のバランスもいいし、何よりも距離の取り方が良くて、なんていうか、カッコイイ戦い方って感じなんだ」
シュウトが自分のことみたいに嬉しそうに話すのを見て、眩しい気持ちになる。彼はこういうことで嫉妬を感じたりはしないようなのだ。
「へぇ、へぇ、カッコ悪い戦い方で悪うござんしたね?」
「いや、別にそういう意味じゃ……」
耳聡く聞きつけたジンがシュウトにツッコミを入れる。こちらは悪気は無いどころか、悪気しかない。
「でも、ま、レイのヤツがこのパーティの要だからな。」
「そうなんですか?」
「それはまた……」
要であれば当然ジンだろうと思っていたので、ニキータにしても予想外の話だった。
「うむ、健全なギルド運営は、美味しい食事からなのだよ。これが真理だな。」
「はぁ……」
「信じてねーな? ……いいか、日本人はちゃんとした食べ物があればあんまり文句は言わないんだぞ? 食事でだけは我慢できずにキレる民族なんだ」
「それって単にジンさんが……」
「あぁん?」
「ハハハ……」
シュウトが笑って誤魔化していた。ここのところヤブをつつく回数が増えている気がする。
「それに日本人ばかりとも言えない。社会情勢が不安定になるのなんかも、食料難から始まるのが珍しくないんだ。何年前だかにあったエジプト辺りから始まった中東での一連の騒乱とかは、小麦の価格上昇が原因だと言われているしな。……それから物語の中でも食料事情をちゃんと扱っているものだってあるんだぞ。例えば、『橙乃ままれ』という人が書いた『まおゆう 魔王勇者』というお話(エンターブレイン刊)の中でも、食料事情を改善するところから世界を変えて行ったりするな。それに続く『ログ・……」
「ごめん、終わったよ」
「おう、お疲れ。……なんか言ってたか?」
レイシンがタイミング良く念話を終えていた。 (ん? タイミング良く?)
「アキバ凄い!ってずっと言ってたよ。なんか、明日だかに牛丼屋がオープンするんだって」
「牛丼って、あの牛丼か?」
「そう。醤油がなきゃ作れないハズだからね、遂に出てきたってことじゃないかな?」
「スゲェな、アキバ……」
「えーっ!? 牛丼食べたかった~」
「一足違いね」
「なんだよ、牛丼なんて食べに行ってたのか?」
「なんで?普通に食べるよ?」
いわゆる牛丼のチェーン店に女性が入るのは抵抗があるものだったが、一部の店舗は女性だけでもかなり入り易くなっている。……もっともユフィリアの場合は、家で作るか、大学の学食で食べていたのかもしれないが。
「そっちは何の話?」
「んー、いつもの家事が万能だとかの話」
「ああ、ご飯は重要だよね」
レイシンに尋ねられ、ジンが微妙にズレたことを答えていたが、それでも通じるらしい。
「そっか、万能なんだ……」
それを耳にして、ユフィリアが神妙な顔付きになって深々と何度か頷いていた。
「どうですか石丸さん?」
「そうっスね、ここからは山陽自動車道や山陽新幹線のルートを辿るつもりっス。」
石丸の説明によれば、海岸線に沿って移動するのが一番確実ではあるのだが、瀬戸内海はノコギリの刃の様な地形になっているため、海岸沿いのルートでは距離がかさんでしまうのだと言う。石丸は手の平を見せて、指の外側を輪郭にそって一本一本なぞるルートを示していた。ショートカットするには、山陽自動車道や山陽新幹線と同じように、つまり指の付け根にあたるルートを通るのだと言う。
石丸にしたところで、詳細な地図を持っているわけでもない。幾つかの〈特技〉や磁石などの基本的なアイテムを駆使して移動ルートを策定してゆくことになるのだ。彼一人に任せ切りになってしまうことに、ニキータは不安のような、申し訳なさに似たものを感じていたのだが、石丸はむしろ嬉しそうにしていた。自分が役に立てることに喜んでいるらしい。
「本来は東海道か中山道を使って西に向かうハズだったっスからね」
「ろくに地図とかなくて、平気か?」
「手持ちの、アキバで入手できるタイプの地図は全て荷物に入れてあるっスから」
「それで何とかやり繰りするしかないな」
「そうっスね。けれど、ミナミまでは手持ちの地図があれば問題ないっス。大きなルートは地形や方角、太陽や月、ちょっとした星の見方さえ知っていれば、そんなに迷わないっスから。自分は東京の街中を歩く方が迷いやすいぐらいっスね」
「そうか、助かる」
ジンと石丸の会話を聞きながら、同じ能力を高めていくよりも、別々の能力を組み合わせていく方が強いことを思う。『旅をする』と言う一点において、ジンよりも石丸の方が秀でているのだろう。
このところ、ニキータは自分の方向性やスタイルを考えることが増えていた。ハッキリと言えば、決めかねている。流れつくようにお金の管理を引き受けており、流されるようにして弓を持たされ、戦闘でも流れのままに今のポジション(センター)にいる。それで特に不満もないのではあるが、それでは主体性までない気がしてしまう。
彼女としては、ユフィリアだけ守れればそれで良かったのだ。迷いが生じている原因は、実のところ守りたいものが少しばかり増えつつあることに本人がまだ気が付いていないから、なのかもしれない。
山道では馬が使えず、合間に戦闘もあれば徒歩の時間が増えてしまう。ミナミまで3日程度の距離だったが、ロスを含めると5~6日は掛かる様子だった。歩いている最中にはジンが歩法と走法の細かい部分をシュウトに教え込んでいく。細かいとは言っても、ひとつひとつが大改造に近い。内容的に聞いた事がない話ばかりをしていて、たぶん高度な内容なのだろうとニキータは思っていた。
基本になる立ち方、体重の掛け方、重心移動、ヒザやモモの上げ方に関わる深層筋群の話とその実際の使い方に加えて、腰の割り方、足の降ろす時のポイント、ハムストリングの使い方。それらの前提になる筋肉の操作法など、話の触りだけでも多岐に渡っている。
「ダメだな、体重の掛け方とか、ハムストリングの使い方とかが甘すぎる」
「大丈夫だよ、まだ初日だし、前に本職でも数年かかるって言ってたから」
「バラすなよ、レイ。 こういうのはノリと勢いで習得するのが一番いいんだぞ?」
「無茶苦茶じゃないですか!」
「無理があるっスね」
ユフィリアは自分にもできそうな内容だからと一緒に参加する。分からなかった部分を訊かれるため、ニキータも理解するべく集中することになっていた。大体いつもこのパターンを踏襲することになるので、慣れっこである。
「ジンさん、私もハムストリングって言うのの使い方がわからないよ?」
「だから、オシリにギュって力を入れてみろって。…………なんなら俺が触ってやろうか?一発だぞ」
「それ、 えっちだよ?」
「じゃあ、俺のオシリを触ってみるか?分かり易いぞ」
「え~?」
「そんなのでテレるなよ。 もっと凄いことだってしたことあんだろ?」
「セクハラですよ。それと触らせて悦ぶだなんて変態っぽいし」
「そうだよね。……最近、ジンさんえっちだし」
「欲求不満とか?」
「そうなの?」
「変態に欲求不満…………ニキータさん何気にヒド過ぎるのことですよ? チッ、 これだから女子供はっ!」
「性差別反対!」
「うるへー、わがまま言ってんじゃねぇや!」
「アハハハハ!」
夏場で長くなった日中を十分に使っての移動を終え、素早く夜営の準備を済ませてしまう。特に燃料に竹炭を使うことで、ほとんど煙も出ない上に料理に必要な強い火力も得られるようになり、様々な手間を省くことが出来ていた。
ジンは食事の準備が完了するまでの間を使って、今もシュウトに速く走る方法を教えていた。一段落したところで、シュウトがおずおずといった調子で口を開く。
「うし。……そろそろメシだから、このぐらいにしとくケ。」
「あのー、ジンさん、その、模擬戦とかってやらないんですか?」
「はぁ…………ちょっと足が速くなったもんだから、どの程度まで通用するかを試したいわけですかい? あわよくば俺に勝っちゃったりできるかもしれない、って?」
「いや、そんなつもりは……」
「勝つ気マンマンかぁ~。若いなぁー。いや、けっこう、けっこう」
「ですから、そうじゃないんですって……」
「……あのな、『力に対する責任』ってのがあるんだけど、ぶっちゃけ、そういうのって他人に教えられるものじゃないんだよな。自分で会得するしかないっていうか」
「はぁ、力に対する、責任、ですか……」
「弟子やら生徒がそういう方面で心配な場合、指導者側は『ほどほどに強くする』をやるハメになるんだよね」
「そう、でしょうね…………」
「まぁ、『強くなる』ってことは、根本的な部分から変化することだから、弱い時に相手を見て判断できるこっちゃねーんではあるんだけども」
「…………」
「強くなるのは面白いし、楽しいし、イイコトだけど…………正直、モロバレな態度とかは稚拙すぎんぞ?」
「…………すみません」
何気ない会話かと思いきや、一瞬で説教300%となり、鼻っ柱をボッキリと折られているシュウトに同情を禁じえない。顔を赤くして俯いているので、本人としては思うところがあったのかもしれないが、脇で聞いていたニキータにしてみれば、「言葉で伝わらないことならば言わなければいいのでは?」などと思ってしまう。流石にその考えには自己矛盾を感じて取り消すことにする。言葉で言わないよりは、言っておいて貰った方がいいには違いない。
分かり易い態度のシュウトの素直な部分は悪くない、むしろ好ましいと思ってしまうだけに、可哀想だった。
「模擬戦に関してはその内にな。まだ意味がない」
「そうですか……」
シュウトはしょんぼりとしていた。もしかすると勇気を出して言ってみたのかもしれない。(返り討ちにしてはキツ過ぎないかしら?)と感じてしまう。
「……だけどまぁ、レイと戦るんなら、良いかもな?」
「レイシンさんと、ですか?」
シュウトがパッと顔を上げる。ジンは決まり悪そうに「本人に聞いてみな?」と言葉を濁していた。
「別にいいけど、……明日でいいかな?」
「分かりました」
食事が終わり、後片付けの他に何か別の仕込みをしていたレイシンが話を聞いてOKする。シュウトは少しはにかみ、嬉しそうにしていた。
「ユフィリア、後でちょっと付き合えよ?」
「え? いい、けど……」
こちらではしゃがんでいるユフィリアに、ジンが身をかがめて上から声を掛けていた。ユフィリアはOKしつつも、目が泳いでニキータの顔色をうかがってしまう。その視線を追いかけてジンもニキータの方を見やる。
「そう睨むなよ、ニキータ。 心配なら付いて来てもいいぞ? らぶらぶでいちゃいちゃなのを見せつけてやんよ」
「ラブラブなの?」
「まぁ、ラブラブかどうかはともかく、イチャイチャではあるな」
「イチャイチャなんだ?」
「そうそう。楽しいだろ? いちゃいちゃするの」
「え~っ、わかんな~い。あははは」
「ウフフ。……じゃあ、遠慮なく付いて行きますね?」
「あ、やっぱし?」
天幕の中でジンからの呼び出しを待っている間、ユフィリアにソワソワとしている様子はみられなかったが、念話がかかってくると、弾けるように立ち上がった。外に出ると、自作の矢を作っていたシュウトに声をかける。
「シュウト、ちょっと出てくるね?」
「ああ、どこ行くんだ?」
「ジンさんとラブラブでイチャイチャ~」
「……あーはいはい、どうぞ、お幸せに」
「じゃあ、行ってくるわね?」
「行ってらっしゃい……………………って、保護者同伴でラブラブ?」
ガイドラインを伝ってジンの所へと歩いていく。パーティを解除していないので、同じゾーン内ならばガイドラインによって居場所を知ることができる。2人は手を繋いで歩いていた。しばらく歩いて、テントからかなり離れた場所まで来てしまっていた。周囲の景色は月明かり以外には深い闇にくるまれている。虫の鳴き声もまばらだ。ユフィリアの出している魔法の灯りだけが頼りである。
始めの内はモンスターが出るかも知れないと警戒していたが、もしそんなことになればジンが念話を使って先に警告してくれるだろうと考え直す。油断はしないが、過度な緊張はしなくなる。
遠くに灯りが見え、開けた場所に鎧姿で立っている戦士を見つけた。
「ジンさん、来たよっ!」
そう言ってユフィリアは小走りにジンの腕に巻きつくようにした。ニキータが見ても、ドキッとしてしまう。
「おい、いきなし巻きつくなよ。ビックリすんだろ?」
「え?だって、ラブラブするんじゃないの?」
「それは確かに素晴らしいアイデアではあるな。星空を見ながら、愛でも語った方がいいかい?」
「……その鎧姿で、ですか?」
ゆっくりと歩いて、ニキータも会話に加わることのできる距離まで近付いていく。
「そういえば、その鎧はどうして?」
「モンスターでも出たんですか?」
「まぁ、余計なモンスターを仕留めるぐらいはしたけどな、コレはまた別だな」
「?……それじゃあ、これからどうするの?」
「そう慌てなさんな。ちょっとだけ待っててくれ」
「何かたくらんでますね?」
「はてさてほほー。…………ユフィ、その服カワイイな。良く似合ってる」
「ありがと。でも、いつも着てるのだよ?」
「あれ、そうだっけ? いや、ホントに可愛いって(笑)」
「お気に入りではあるんだけどね。やっぱり冒険中は〈施療神官〉のカッコの方が気分が出ると思って」
「そうだよなぁ。街中ならともかく、世界観を考えろって思うカッコとかあるもんな」
「…………おまたせ」
雑談をしていたためか、背後から声が掛かるまで人が近付いてくるのに気がつかなかった。
振り向くと、そこにはレイシンが立っている。
「レイシンさん?」
「やぁ……みんなも、わざわざごめんね」
「レイは灯りをあっちに置いてくれ。ユフィリア達はその辺で、いや、もうちょい下がった辺りで見ててくれ」
「何をするつもりですか?」
「んー、俺は身も心も紳士なんで、レディの前で暴力を振るうのは気が引けるんだけどさ」
「ちょっとね、シュウト君とやり合う前に勘を取り戻しておきたいと思ってね」
「じゃあ……」
「え? もしかして今から2人が戦うの?」
「そっ、ちょうどいい余興だろ? シュウトにはナイショだぞ?」
「うんうん!」
シュウトとは「意味が無い」と言って戦わないのに、レイシンとは良いの?と少し引っ掛かりを覚えるが、この組み合わせは確かに興味深い。楽しさに関しては雑食のユフィリアだけではなく、ニキータまで高揚を禁じえない。
「二ヶ月ぶりだね?」
「ああ、前にも言ったが、〈竜破斬〉を出さないとかは保証できないぞ?」
「分かってる」
対峙する2人を見ながら、その静かな緊張感に周囲の景色のコントラストが怪しくなってくるのを感じていた。石丸やシュウトになら戦いを見ていてもっと詳しいことが分かるのかもしれないが、ニキータにはこれからの出来事が、たぶん半分も分からないと思われた。
レイシンはかなり本気なのだろう、武器には愛用のドラゴン・ホーンズを構えている。これを使うのはあの日の戦い以来だった。ジンはいつもの装備だが、こちらはいつもより強い気迫が感じられた。
傍らのユフィリアを見て、どちらに感情移入して観るのだろうかと思う。ジンになったつもりでレイシンと戦っている風に観るのか、レイシンになったつもりで、あのジンに挑む風に観るのか。それともどちらにも入り込まずに2人を外から眺める風にしてみるのだろうか……? ニキータはレイシンになったつもりで観るつもりだった。
自分達も含めて3箇所に配置された灯りをもってしても、やや薄暗い戦いの場で、影が動くような静けさとともに戦いが始まった。